『ハートの4』エラリー・クイーン【感想】ハート♡が邪魔

1938年発表 エラリー・クイーン13 青田勝訳 創元推理文庫発行

前作『悪魔の報復(報酬)

次作『ドラゴンの歯』

 

 本作は≪国名シリーズ≫と≪ライツヴィルシリーズ≫をつなぐ≪ハリウッドシリーズ≫……ってコレ、ここ何作かのエラリー・クイーンの感想でずっと言ってる気がする。いつまで繋げば「ライツヴィル」にたどり着くのだ……。もしかしてライツヴィルって概念か?

 

 改めて言うまでもないかもしれませんが、エラリー・クイーンはアメリカを代表する二人組の推理作家。1920年代以降のアメリカのミステリを創り上げた立役者であり、ミステリ雑誌の編集者や批評家としても活躍し、のちのミステリ繁栄の礎を気づいた作家です。

 エラリー・クイーンが創造した探偵の名はエラリー・クイーン。ニューヨーク市警の警視を父に持つ頭脳明晰で博識な紳士、しかも作中でも推理作家。デビュー作『ローマ帽子の謎』(1929)を始めとする≪国名シリーズ≫から架空の街ライツヴィルを舞台にした≪ライツヴィルシリーズ≫まで40年以上もの長きにわたってミステリ界を引っ張ってきた名探偵なのです。

 

 なぜこのタイミングで改めて作者紹介みたいなことをやってみたかというと、今ちょうど読んでいる第14作『ドラゴンの歯』を読み終えると、いよいよあの≪ライツヴィルシリーズ≫に入るっぽいんですよね。

 カッチコチの本格推理小説だった≪国名シリーズ≫から転換して、新しい時代のニーズに応えようと変化していった過渡期の作品群と目される作品を読みえる前に、自分のためにも一度整理しておいて、架空の街ライツヴィルという新世界へと旅立つ準備をちょっとずつ進めていくつもりです。

 

 

 駄弁はこれくらいにして本作の感想をば。

 狂った街ハリウッドの毒気に侵され、いつもの冷静さを欠いたクイーンを見ることができるだけでも読む価値はあるのですが、ハリウッドの喧騒と混乱を存分に味わうには前作『悪魔の報復』から読むのが吉。『悪魔の報復』は単体としても楽に読め、クイーンのキャラクターも魅力的に描かれているので初心者にもオススメです。

 ただ、本作はちょっと特殊というか、面白味を素直に感じ取りにくいところがあります。ひとつはメインの殺人事件のテーマに魅力がない点。さすがハリウッド、というセンセーショナルでサスペンスフルな事件の発生にはなっているのですが、物語が進めば進むほど事件の不可思議性が高まり、明らかに悪意に満ちた殺人事件が起きたのにもかかわらず、誰も殺人者がいないかのような停滞感/閉塞感がストレスを生みます。

 

 一方でエラリーの口からは、本作の解決の糸口になる手がかりについてしっかりと提示されています。ある一つの謎が解けさえすれば、この事件はきっぱり解決する、と断言するエラリーの自信が期待を煽ります。

 しかし、問題はここから。手がかりを徹底的に追及するかと思いきや、捜査は迷走します。先述のある一つの謎を解くために謎が出てきて、その謎を解くためにはまた謎が出てくると言う具合に、謎のマトリョーシカ現象が発生しているせい(そんなものない)で、コレだ!という筋は掴んでいるのに全く進展しません。もちろん振り返ってみれば、計算高いプロットだったと言えるわけですが……。

 

 煽情的で派手な事件に暗号。また、謎が謎を包含する特異なプロットと、プロットまでも伏線にしてしまう卓越した推理の技巧などミステリとして楽しめる要素には事欠かない中期の傑作ではありますが、間違いなく初心者向けではありません。

 表面上、こんな作品ですよ、何々が大事ですよとエラリー自ら言ってくれるにもかかわらず、その部分だけがなぜか文字化けして見えない。なぜ見えなくなっていたのか復習する楽しみはありますけど、さくっと騙されたいときには肌に合わない作品です。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本書を読んでからお読みください。

 

 ハリウッドの連中は、勝手に行動して問題を起こすから腹立つな。前作に引き続き振り回されるエラリーを見るのは楽しいが、ミステリとしては混乱が助長するので鬱陶しい。

 

 本作のエラリーは、なかなか素直に読者に手がかりを提示してくれる。まずは頁165

動機をはっきりつかめば―この事件はきっぱり解決するのだ。

 本書はシンプルなホワイダニットだということか。

 

 続いてカードによる脅迫の謎が登場するが、これがかなり邪魔。動機を探るのにいちいち暗号やその配達手段を操作する必要があるか?と訝しんだが、結果、配達予定日時から重大な手がかりが判明する。(頁250)

 要約すると、犯人の最初の目的はブライズのみを殺すことで、その罪をジャックに着せるつもりだった。しかし、二人が結婚することになったため、二人とも殺さなければならなくなった。なぜ?またもや重大な謎が発生した。

 

 ブライズとボニー両人に殺人の動機があるとなると、やはりトーランド・スチュアートしか思い浮かばない。自身の莫大な遺産を渡したくないという偏執的な動機だろうか。トーランドは病床に伏しているが、それがパフォーマンスだとすると、ジューニアス医師も共犯となる。遺言ではジューニアスにも条件付きで分配があることから、実行犯がジューニアスの可能性は高い。

 これくらいしか思い浮かばない。

 

推理

トーランド・スチュアート&ジューニアス医師

真相

リュー・バスカム&ジューニアス医師&アーサー・パーク(リューによる未来の遺産相続人殺害事件。のはずだが、実際には既に本物のトーランドは死んでおりパークが演じていた。)

 

 いやいや、そーいや最っ初の方に言ってたけども。ブライズのまたいとこ、とか言ってたけども。その後もスチュアート家の一員だとかなんとか紹介されているけども。パークも死んだって言ってたしさあ。死体が見つかってないとか何か怪しげに書かれていたけどさあ。

 

 全然不満はない。

 終始散らかった印象を受けないでもないが、たぶんエラリーのロマンスのせいだろうし、散らかったと言っても、暗号とその真意、いたってオーソドックスな事件を複雑化するプロットなど秀でた点の方が多い。

 強いて言うならば、最後に犯人を囮捜査のような形で嵌めなければならなかった必然性に欠けるように思える。パークによる死の偽装を追求すれば、芋づる式にリューまで捕まっていただろうし、先にボニーとタイに真相を告げておけば敢えてあんな危険を冒す理由が無い(もちろんこれだと全然面白くない)。

 いくらミステリに必要なサスペンスとはいえ、ちぐはぐに感じるのは、やはり作者クイーンがハリウッドと世間に尻尾を振ったからだろうか。

 

 

 

      ネタバレ終わり

 王道というかありきたりを膨らませて上質なミステリに仕上げる手腕にはただただ脱帽ですが、やはり≪国名シリーズ≫の正々堂々とした作風の方に好感を抱いてしまいます。

 もしかすると、本来切っても切れない関係であるはずのロマンス描写に対する嫌悪感が原因かもしれません。ロマンスって愛し合う二人の間に壁があるから、困難が立ちはだかるから燃えるわけじゃないですか。今回って、こう、全然熱くならないんですよね。もちろん本作のような展開が見たかった自分もいるんですけど、本作では必要無かったかなあ。

 抽象的すぎて未読の方は何言っているかわかんないでしょうけど、たぶん「ハート♡」がちょっと邪魔してるんだと思います。

 

では!

 

 

『読者よ欺かるるなかれ』カーター・ディクスン【感想】語彙力崩壊級の問題作

1939年発表 ヘンリー・メリヴェール卿9 宇野利泰訳 ハヤカワ文庫発行

前作『五つの箱の死

次作『かくして殺人へ』

 

ネタバレなし感想

 めちゃくちゃカッコいいですよねタイトル。響きも良い。「るる」の部分が特に最高です。でもオシャレなタイトルと違って中身は濃いんです。最初読んだ時はすげえ?で、次読み返すと、すげえ!→めっちゃすげえ!!→めっちゃ凄すぎて嫌だ……と語彙力崩壊級の問題作でもあります。

 

 

 先ず本作は前作『五つの箱の死』から続いて登場する人物がいるため、なるだけ前作を先に読むことをオススメします。と言いながら、前作が早川書房のポケミスからしか出ておらず入手難易度が高くなってるので、中々安易にオススメしにくいところ。

 

 テーマはいたってシンプルで、読心術、思念放射、予言など超常的な能力を用いての殺人。怪奇趣味ではなくオカルト趣味を盛り込みながら、金城鉄壁の不可能犯罪を構築してしまう、カーの力業にまずは魅せられます。ありのまま、読書中起こったことを話すと、「いつか……いつか光明が差すだろうと思っていたが、最初から最後まで超常的な能力による殺人だとしか思えなかったぜ」何を言っているのかわかんないと思いますけど、自分も何が起きているのかわかりませんでした。

 

 本書の解説で、プロの奇術師であり推理小説作家でもある泡坂妻夫氏が述べられているとおり、奇術と同様のミスディレクションが随所に忍ばされており、どう足掻いても真相にたどり着くことは不可能に思われます。

 そのミスディレクションの一つとして機能しているのが、至る所に仕掛けられている本書の執筆者による(原注:)です。「一言読者に警告しておく」という本書のタイトルを体現する「読者への挑戦状」が秀逸です。ここは、手がかりを指し示す、というより、(作者カーによって)明らかに間違ったナニカに誘導されている気配を感じながらも、不可能犯罪の濃霧を晴らすためにはストレートに受け取らざるを得ない、という選択の余地が無い歯がゆさを感じます。

 もう一つは、マジックで用いられるパーム(掌でコイン等を隠し持つ技法)のような技法です。一度読者に開示した手がかりやヒントを除去したように見せながら、謎解きの際には再度掌の中から持ち出して真相に構築してしまう鮮やかな手並みには脱帽させられます。

 

 一方で、鮮やかではありますが、あざとい技法とフェアプレイギリギリの記述に、釈然としない読者もいそうです。クイーンやクリスティの作品では決してお目にかかれない、特殊なプロットと驚愕の真相ではありますが、その性質上好き嫌いがはっきりと分かれる作品でしょう。

 

ネタバレを飛ばす 

 

 

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本書を読んでからお読みください。

 

「私が、彼を殺したのです。」

 奇怪な読心術師の自白だが、超能力を法では裁けず、全く先が見通せない展開が凄い。ドラマ『トリック』シリーズを彷彿とさせるオカルト趣味が盛りに盛られたストーリーにテンションが上がる。

 

 順当にいけば、ペニイクのテレフォースとやらを利用し、何らかの方法でサムを殺したのだろう。

 ここで原注1(112頁)の法医学についての参考文献が登場する。実例に挙げた三つの死因のどれかが殺害方法と繋がっているのだろうか?

 

 次の原注2(114頁)は、サーンダーズ博士によって読者へ向けられた警告。「その殺害方法は、犯人が現場にいあわせて、初めて可能となるものであった。」サムの死の前に一番近くにいた人物(マイナ)ということか?ペニイクを招いたのもマイナだし、探偵作家であり「殺人の新方法」を認めた本もある。容疑者としての資格は十分満たしている。あとは動機と犯行方法が不明。

 

 サムの死の直前の装いに関する目撃者のくい違い(198頁)からすると、マイナの目撃証言は嘘だったようだ。では、なぜなのか?たぶん、マイナが発見した?時にはサムは死んでいた。その状況と、自身の職や所持品から疑われるのを恐れ偽証したのではないかと思う。

 

 続く原注3(204頁)では、本件は真犯人の単独行動だと警告される。決して共犯者などはいない。ということは、ペニイクと真犯人の共犯関係などなく、真犯人が上手くペニイクを利用した、ということだろうか。逆に、ペニイクが世間の関心を得るために、未知の方法で無差別的に殺人を犯し、法で裁かれないことを良いことに一人で暴走している、という線も……ないか。

 

 

 マイナが死んだ。なんでだ。前後を何回も読み返してみたが、全くわからない。電波か何か?やっぱりテレフォースか??ここでは、実際にペニイクが発見されているので、容疑者ではあるが……鉄壁のアリバイもある。

 

 そして、最後の原注4(295頁)へ。

 「殺人動機は(中略)、物語のうちにあますところなく述べられている」?いや、ないでしょ。二人を選んで葬る動機のあった者は皆無。脳みそを絞っても、快楽殺人的にペニイクしか思いつかない。そのまま第四部の解決編へ……。

 

推理

やっぱりペニイク!!か、ペニイクを陰で操っているうーん……チェイス!!!

 

 ふう。完全敗北。

 過失による殺人を利用する過程で、関係者を葬ったうえで、自身の真の目的のための殺人(未遂)、ってこんなのわかるわけがない(怒笑)

 特に感電死の部分。一応原注1で提示しておきながら、一度消して(115頁 感電死の特徴は、即死するというところにある。)しまうのは酷い。

 完全に感電死を除外してしまった自分が悪いのだが、読み返してみると、随所に電気設備の記述が忍ばされている。電気ヒーターに始まり、停電を思わせる燭台や蝋燭の蝋、第二の事件の止まった電気噴水なんかはかなり直接的な手がかりになったはず。思い返せば思い返すほど、ハウダニットに関しての記述は多々あった。悔しいが、騙される快感の方が勝ったのでよしとする。

 

 動機については、いくら作中で提示されているとはいえ、名前しか登場しない人物への殺人計画など、当てようと思ってもどだい無理な話。

 本書の解説で泡坂妻夫氏が、あえて結末をつけない、謎解きの技だけで読ませる本書を「」と評していた。そうか本書は「粋」なのか。じゃあ何も言うまい。

 

 とか言いながら最後にこれだけ。原注2は凶悪であり秀抜。ここで言う「殺害方法」とか「犯人が現場にいあわせて」とかの明確な殺意を持った狡知な犯人像へのミスディレクションが凄い。ここはただの事故/過失だったわけで、のちの単独犯(204頁)と組み合わせると、第一の事件で完璧なアリバイのあるヒラリイは候補に挙がってくるわけがない。

 あれか。ということは、本書のタイトル『読者よ欺かるるなかれ』という警告によって欺かれたってわけね。めちゃくちゃすげえな。

 

 

 

            ネタバレ終わり

 第二次世界大戦の火種がそこここに燻っていた1938年に発表されたとあって、背景には、戦争への恐怖や異国への敵愾心が細かく描かれています。

 また、当時のイギリスのインフラ事情について、細々したとこまで念入りに描写されている点も見逃せませんし、ミステリへの組み込み方も上等です。

 決して十全十美というわけではありませんが、不可能犯罪とオカルト趣味が見事に融合しつつ、カーのやり過ぎちゃう習癖が全面に出たらしい」作品なので、読者の皆さんは広い気持ちで欺かれてください。

では!

 

 

『月長石』ウィルキー・コリンズ【感想】安心してください、めっちゃ面白いですよ

1868年発表 中村能三訳 創元推理文庫発行

 

 衝撃的で視覚に訴える殺人事件や目を瞠るトリック、秀逸かつ説得力のある動機、予想を覆す意外な犯人。これらは推理小説にとって必要不可欠なものと言われています。一方で登場人物のリアリティやユーモア描写は付加的なものと見られがちです。かくいう自分も、海外ミステリファンを名乗っておきながら、いつの間にかトリックなどの派手な見かけに惑わされて、物語の面白さや生き生きとした登場人物の重要性を軽視していたのかもしれません。実は本書に挑戦するのは三度目。毎回最初のプロローグ(僅か9頁ほど)で挫折していました。今となっては当時の自分の横っ面を引っ叩きたい気持ちですが、毎度プロローグの時点で「物語が古い(題材が古臭い)なあ」と「どうせ大したことないんでしょ」と軽視していたんだと思います。結論から言えば、ただ古いわけではなく「歴史もの」の題材だっただけの話なんですが……。

 

 本書は全編にわたって、生き生きとした登場人物たちの血が通った手記や寄稿・日記・手紙など一人称による記述形式で進みます。そのため、本編に入った途端題材の古めかしさは跡形もなく消え、登場人物たちの目を通して語られる新鮮で瑞々しいエピソードの数々を堪能できるでしょう。

 もちろん雰囲気全体を掴むには、当時のイギリスの風俗や人々の身分など予備知識はあった方が良いと思いますが、むしろ知らないからこそ興味を魅かれることも多々あります。例えば、本作には随所でダニエル・デフォーの小説『ロビンソン・クルーソー』(1719)の引用が出てくるのですが、それがめっちゃ面白いんですよ。語り手の内面が滲み出るような優しい筆致も相乗効果を発揮していて、最後の最後まで感動と興奮を与えてくれるはずです。

 

 もう一つ、登場人物の描き方で素晴らしいと思った点。

 本書の構成は、目次を見てもわかるように、“月長石”の盗難事件に関係のある人物たち、もしくは関係者と繋がりの深い人物たちが次々とバトンタッチし補完し合いながら物語を紡いでいきます。各人ごりごりの主観で(時には偏見も交えながら)他者の批評をしたり、自分の推理を述べたり、と、それぞれの自由奔放な記述が魅力的です。ここに外的要因(編纂者など)によって記述に手が加えられていない、というのが重要ポイント。つまり、一人ひとりが見聞きした情報(手がかり)がストレートに読者に伝わる点において、推理小説に必要なフェアプレイ精神が遵守されているということ。一方で、記述者が他者を主観的に語るときに、思い込みや勘違いによって自然と間違った情報が提供されている(ミスリードという点。この相対するかのような二つの記述による(文学上の)仕掛けを、まるで体の一部のように巧みにコントロールし大作を仕上げてしまう作者コリンズの高いテクニックを感じることができます。

 特に後者のミスリードに関しては、最近、自分という人間がどんな人間なのか疑問を持つところから物語が始まる稀有なミステリ(アガサ・クリスティ『春にして君を離れ』)を読んだところだったので、クリスティの人物造形の鮮やかさの源泉はこんなところにあったんじゃないかと想像を逞しくしてしまう読書体験になりました。さらには、本書を「これまでにない、もっともすばらしい推理小説」と大絶賛のドロシー・L・セイヤーズも、本書からあの貴族と執事のユーモラスで愛情ある関係性のヒントを得たのではないかとも思ったり……。

 

 

 最後に軽くミステリの中身にも触れておきましょう。宝石の盗難という一見すると小さな事件ですが、登場人物たちの思惑によってどんどん謎が謎を呼び複雑に展開する点が素晴らしいです。一人ひとりの行動理念にも不合理なところは全く無く(もちろん解決するまでは不合理に見えます)、伏線の張り方も巧妙です。あとビックリしたのは、ちゃんと探偵役がいるところ。黄金時代(1920~)となんら変わりないテンションで、当然のように探偵として紹介され、捜査し、推理し、犯人を追跡します。彼による謎解きがどうなるかは是非読んでいただくとして、彼の探偵としての扱いにも作者の捻りが加えられているので、そちらも十分楽しめるはずです。

 解決のサプライズもしっかり用意されています。ここでは改めて一人称の記述の危うさや、ミスリードの巧みさを感じることができるはずです。

 

 

おわりに

 文庫本2冊分という絶大な厚さと重さのせいで、なかなか手にとる勇気が出ない方も多いと思いますが、安心してください。めっちゃ面白いですよ。むしろ分冊しなかった東京創元社が天晴れ。不安な方は、物語の第一章(序破急の序)にあたるところまで、まずは読んでみましょう。えーっと、何頁あったっけな?……315頁までね……。頑張ってくださいめっちゃ面白いですよ(2回目)。

では!

 

月長石 (創元推理文庫 109-1)

月長石 (創元推理文庫 109-1)

 

 

『春にして君を離れ』アガサ・クリスティ【感想】バイブルにしたい必読書

1944年発表 ノンシリーズ 中村妙子訳 ハヤカワ文庫発行

 

 すごいすごいとは聞いていましたアガサ・クリスティ(メアリ・ウェストマコット名義)『春にして君を離れ』は確かにすごかった。

 

 クリスティ自身が自伝の中で「自分で完全に満足いく一つの小説を書いた」と言わしめた作品。あらすじもクリスティの口を(女史の自伝から)借りようかと思ったのですが、ギリギリまで迷って(ネタをバラす可能性があるので)、早川文庫の裏表紙からお借りします。

女の愛の迷いを冷たく見据え、繊細かつ流麗に描いたロマンチック・サスペンス。

 

 たしかにロマンチックなタイトル(元ネタはシェイクスピアの詩集から)ではあります。読む前は、クリスティのいくつかの作品の中で取り上げられる軽くて朗らかなラブロマンスかとも思っていました。しかし、その甘い予想を覆し、本作は、途轍もない破壊力と爆発力を秘めたサスペンスであると同時に、驚異的な致死率の毒まで含まれた(ある意味)ホラーでもあったのです。おわり。

 

 

 

 なんかキャッチーで耳に残るフレーズを用いてバシッと決めたいと思ったので、色々考えてみました。

『春にして君を離れ』は、「未来の殺人事件を描く」物語である。

 

以下、ネタバレ&妄想全開で書きますので、未読の方はご注意ください。

 

 

 

 

 

 読み終わった直後の自分の読書メーターの感想を見てみると、「ありとあらゆる関係性の中で踠き苦しむ全ての人に読んでもらいたい名作」とか「キリスト教的な原罪性に切り込む鋭い筆致」だとか「人生の節目節目に立ち返って読み返したい重く苦しい必読の書」などと書いていて、クリスティの生命を注ぎ込んだ力作から迸るエネルギーにノックアウト寸前だったことがわかる。

 

 以下、本書を読んだ時の自分の心の動きから始めて、ミステリとして眺めながらした妄想をまとめたい。

 

 

 読者としてジョーンという女性と向き合ったとき、まず一方的に彼女の表面的な痛々しさを見て同情し、多少苛つき、その後身近な誰かに重ね合わせて憎悪した。物語が進むにつれ、そんな悪い意味で純粋過ぎ幼気な彼女に対する悪感情は和らぎ、彼女を傷つけまいと陰ながら支え、時には冷めた/諦めの目で見つめる家族に感情移入し、より一層ジョーンに対する憐憫の情が強まってゆく。と同時に、家族が抱える秘密、決してジョーンには開かない扉のその先を垣間見、クリスティがミステリの中で描く人間ドラマと同じように、サプライズと物語の全容が見えてゆくカタルシスを感じるようになる。あとは着地だ。さて彼女は懺悔し改心するのか。

 

 全ての章が閉じエピローグに入ったとき、さっと本を伏せ、その余韻と衝撃、ありもしない・おこりもしないことに対する根拠のない、漠然とした、でも一瞬だけど強烈な恐怖を感じたことを覚えている。

 それは「これからエピローグで殺人が起こるんじゃないか」ということ。今までの数百頁は、被害者が殺害されるまでの経緯と犯人の殺人を犯すまでの心の動きを綿密に描いた異色のミステリだったのではないか。もちろん、その妄想は杞憂に終わり、虚無感と、結局誰もフォローしてくれないまま恐怖だけを残して、最後のあのゾクゾクと肌を粟立たせる薄っぺらい愛の言葉で締め括られる。

 

 上記の妄想は稲光ほどの一瞬の閃光で、気が付いた時には、序盤で書いたような体のいい読書メーターの感想を書いていた。しかし、冷静になった今改めてロドニーによる「殺人が起こるまでの物語」というのはあながち間違ってはいないのではないかと思うし、もう一つ穿った見方をすると、間接的ではあるが、ジョーンによる「人間性を否定し排除する特殊な殺人事件」でもあると思う。

 今ではネグレクトやDV、過干渉といった子どもに悪影響を及ぼす“毒親”という表現も誕生している。それもまた子どもの成長を阻害し、未来を奪う≒(少々物騒だが)殺人であると言っても良いのかもしれない。クリスティは1944年にあって、ごく一般的にいたであろうある中年女性を主人公に(もちろん個性は伸ばしただろうが)毒の強い小説を世に送り出した。本作が、当時どれだけセンセーショナルで衝撃的であったか知る方法が無いのが残念だが、自伝を見ると様々な意見があったのではないかと思わせる。

この小説が実際にどんなふうなものかは、もちろんわたし自身にはわからない。つまらないかもしれない、書き方がまずく、全然なっていないかもしれない。だが、誠実さと純粋さをもって書いた、本当に書きたいと思うことを書いたのだから、作者としては最高の誇りである。

 

 もちろん本作に対する愛情と自信、矜持は伝わってくるが、『そして誰もいなくなった』や『アクロイド殺し』を書いた天才作家とは思えない自信の無さも感じられる。そして、ここで注目したいのは「書きたいと思うことを書いた」という部分。

 

 彼女が人生の大半を捧げて書いたのは、ほとんどがミステリというジャンルの読み物だった。ポワロという鼻につく名探偵に辟易していた時もあったようだが、自分としては、本作に続く「ミステリ小説」があったように思えてならないし、クリスティが「本当に書きたいと思うこと」は特殊すぎるミステリだったのではないかと思うのだ。

 

 

 『春にして君を離れ』の続編があると仮定して、再びエピローグを読んでみる。

 そこでロドニーの目にちらと映ったのは、生まれて初めて一人きりになり自分と向き合ったジョーンの変わったかに見えたまやかしの姿だった。ロドニーは神頼みのように、このままジェーンが変わらないように、孤独に気づかないようにと願う。しかし、彼女の脳には既に不信と疑惑が巣食っている。最終章では、見ないふりをしたジョーンだったが、エピローグでは完全に傷は癒えていないのがその証拠だ。

 ロドニーは人生の大半においてジョーンに妥協し、調整し、諦めてきた。もちろん上手くやったことは幾度もある。そんなある日。ジョーンは全てに後悔し、懺悔し今までの虐げと抑圧の赦しを請う。ロドニーは赦すだろう。決して今までの時間は戻ってこないのにも関わらず。いや、逆にジョーンは変わらないかもしれない。本質的なところ、人間の核は滅多なことでは変わるはずがない。ジョーンが贖罪を果たしたとしても、彼女はいつかロドニーを完膚なきまでに傷つけるだろう。ロドニーが密かに愛で、全霊を注いだレスリーを貶め辱めるかもしれない。その時、ジョーンの人生の終幕は決定づけられる。

 

 

 最後はだいぶと妄想一辺倒になってしまい申し訳なかった。しかし、どちらがより悪なのか、といった物差しとは別に、ひとつのミステリとして眺めた時に、というか眺めてしまった時点で、自分には壮大な「倒叙ミステリ」しかも犯人ではなく被害者の物語としか読めなくなってしまった。

 そもそも、殺される側の物語というのは作家としても書きにくいのではないかと思う。死んで良い人間などいない、という陳腐な台詞がすぐに浮かぶし、ともすれば人権的な観点から世間から叩かれるかもしれない。ただ、もし被害者の物語を誰かが書いたとしたら?しかもその物語の中に、犯人も登場させ、動機を提示したとしたら?そんな作品があるとするなら、それは『春にして君を離れ』のような作品になるのではないか。

 

 

 結局まだぐだぐだと夢想している。

 本書には、解説の栗本薫氏が書いておられるように、二人の道徳的な罪を暴く(こんなフレーズではないが)物語として捉える奥深さが間違いなくある。ピリッとではすまない激辛で尚且つ極上のサスペンスも味わえる。それだけでも傑作級だ。しかし、自分にとっては、ミステリの女王アガサ・クリスティが自身と確信をもって書いた至高のミステリであり、だからこそバイブルにしたい必読作品なのだ。

 

では。

 

 

『五つの箱の死』カーター・ディクスン【感想】牛乳パズルみたい

1938年発表 ヘンリー・メリヴェール卿8 西田政治訳 ハヤカワポケットミステリー発行

前作『ユダの窓

次作『読者よ欺かるるなかれ』

 

 テーブルを囲む4人の男女。3人が苦しみ、1人は死んでいる。衆人環視の中盛られた毒、血の滴る仕込みナイフ、忽然と消えた証人、ポケットには説明不能な証拠品、轢かれた名探偵。

 もうこれ、あれでしょ。『盲目の理髪師』とか『パンチとジュディ』系列のファース味満載ドタバタミステリでしょ、と思いきや意外や意外、結末以外は硬派で堅実。整ったミステリに仕上がっています。

 

 鮮烈で異様な事件の発端から、堅牢な不可能状況で起こる服毒事件、五つの箱にまつわる魅力的なエピソードなど、読者を引き付ける要素に事欠かないので、終盤まで興味を保持しワクワクさせてくれる作品ではあります。

 とはいえ、手放しで称賛という訳ではなく、探偵の登場の遅さや探偵(推理)パートそのものに捻りが利かせてあるので、ミステリ初心者向けの読み物ではありません。また、挿話と謎を解く手がかりの比率が悪い(挿話のほうが多い)ので、歯切れの良いミステリを期待する読者にとっては、常に霧がかったような見通しの悪い構成も難点です。

 

 題材というか被害者の特性は、ミステリにおいては二番煎じのよくある形なのですが、どうもしっくりこないというか、モヤモヤするというか……。手掛かりが集まれば集まるほど、反比例して真相から遠ざかるような不気味さが感じられます。その不気味さを得心させる驚愕のラストは、鬱憤もストレスも何も発散させないという意味で、逆にドキドキしてくる(心臓に負担をかける)ヤバイ代物。

 そんな異質な解決編にもかかわらず、H・M卿の解説は名作『ユダの窓』に引けを取らないほど力と熱が入っているうえに、論理的には完璧に近いので、それも恐いんですよね。この記事を書いている今でも早まる動悸を感じます。

 

 カー初心者だけでなく、ミステリ初心者も避けたほうが良い作品ですが、玄人も心臓の強い方以外にはオススメできません。言葉で言い表しにくいんですが、お化け屋敷に入ったのに何も起きず出口まで来た、というか、急降下・回転があるジェットコースターのスピードが徒歩並みというか、アブノーマルな驚きが体験できる怪作ではあります。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵のモヤモヤ》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本書を読んでからお読みください。

 

 やっぱりカーの作品は推理が難しい。題材はかなりオーソドックスで、某女史の某作品でも登場した脅迫者による悪趣味なパーティが型。ただ、解決の意匠は全く違う。パズルミステリのような遊びは全くない。いや、パズルはパズルでも牛乳パズルのような最高難易度かつ出来上がりの情動も無い異様さが目立つし、牛乳パズルと違い達成感は無い。

 最大の手がかりは、たぶん15章のファーグソンの記述(特に180頁)「私がその男が誰であったかを話せば、あなたがたは吃驚するに違いない。」読者が驚くとすれば、それは秘密の会合に参加しなかった人物なのは明らかだろう。登場人物一覧を見る限りチャールズ・ドレークチモシイ・リオーダンボブ・ポラードしかいないが誰も犯人に思えなかった。

 誰かがジュディス・アダムスを指しているとも連想できず。ジュディス=ユダ、ユダヤ?と思い、アダムスと絡めてキリスト教と関係が深そうな人物も探ったが当てが外れた。

 この記述内で唯一モヤモヤしたのは、H・M卿の締めの一言。「われわれは(ファーグソンの告白によって)立派な人名簿を得たのだ。」のところ。その後には登場人物の名が連ねられ、あたかもその中に犯人がいるかのように思える(勝手に騙されたか)。あと、ジュディスに対して「その女」と性別を断定してしまうかのような記述も気になったり……。(ファーグソンが男と言っているのでここは引っかかった方が悪い)

 

 

 

        ネタバレ終わり

 突拍子もない要素で強引に最後まで引っ張られたせいで忘れていましたが、本作にはある古典的な名トリックが用いられています。ただのトリックで終わらせないよう、しっかりと前後の細かいディティールまで造り込まれている点は見事です。ただ、そのためだけに読むべきかというと……マストよりベターより。

 新訳化されればマストに格上げするんで、是非とも各出版社には頑張ってもらいたいところです(投げやり)。

 

 そーいや、ネタバレ箇所で「牛乳パズルみたい」って言いましたが、意味わかんなかったらごめんなさい。※決して牛乳パズル(及び類似する製品)を貶める意図はございません。

 

では!

 

『悪魔の報復(報酬)』エラリー・クイーン【感想】クイーンも人の子

1938年発表 エラリー・クイーン12 青田勝訳 創元推理文庫発行

前作ニッポン樫鳥の謎

 

 

 本書は、国名シリーズとライツヴィルものの間にある「ハリウッドシリーズ」のひとつ。前作『ニッポン樫鳥の謎(The Door Between)』前々作『途中の家(中途の家)』と打って変わって、エンターテインメントの別世界であり、豪奢でスキャンダラスなハリウッドが舞台になっている。

 序盤でも語られるとおり、他の街ではごくありふれた「企業の倒産」という事件も、ハリウッドでは上へ下への大騒ぎ。そして、倒産によって得をした人、全てを失った人、様々な人の情念が集積し、舞台となる無憂荘で爆発する。

 

 

 序盤は関係者の紹介に頁が割かれるが、財産整理のためのオークションを迎えると、探偵クイーンの登場と相乗しテンポアップ。

 本書でクイーンは探偵として、ではなく脚本家としてハリウッドに招聘されており、同じく1930年代後半に脚本家として数多くの映画に携わった作者クイーンの経歴とリンクする。

 

 

 いかにもな人物の死と真っ黒に見える容疑者といういささかマンネリ気味のオープニングだが、殺人そのものに仕掛けられた謎は魅力的。まあ、ミステリに少しでも耐性がある人ならば、コレというトリックはすぐに思いつきそうだが。

 物語を複雑化/停滞させているのは、探偵クイーンの対抗馬として出馬するロサンゼルス警察本部のグリュック警視。突然縄張りにやってきて手柄を掠め取られないかと警戒心を強くする気持ちもわからないでもないが、前時代的な登場人物にはやや辟易する。もしかすると、ハリウッドの華々しくも排他的/閉鎖的な状況を紹介したかったのか、または作者クイーンが新参者としてハリウッドに乗り込んだ自分の境遇とリンクさせたかったのかもしれない。

 

 加速度がピークを迎えるのは中盤の第三部に入ったあたり。ここからは、探偵クイーンがある特殊な立場で事件に首を突っ込んでいく。まさにハリウッド的といって良いド派手で、視覚的に映える仕掛けなうえに、クイーンシリーズの中でも稀有な展開だけに、クイーンファンにとっては必見の作品になっている。

 

 捨て鉢気味に国家機関までも手玉に取り事件に首を突っ込むクイーンも面白いが、恐いもの知らずで猪突猛進のヒロインとタッグを組んでの素人探偵の趣向も興味深い。また、ヒロイン自身がクイーンを心から信頼しないので、ある意味推理の三角関係に陥っている様もユーモラスで読み応えがある。さらに古典的な暗号トリックや手掛かりを引き出すための劇的なブラフなど色彩豊かな仕掛けが丁寧に仕込まれているので、解決の瞬間まで楽しめる。まあ少々拍子抜けなところがないでもないが。

 

 最後にタイトル『悪魔の報復(報酬)』原題:THE DEVIL TO PAYについて。直訳するとたしかにタイトルに近くなるのだが、調べたところ、英語の慣用句で「ひどい目に合う、大変なことになる」といった不幸な出来事/災い/後難を意味するようだ。イメージで言うと、悪魔に支払いや代金を要求してあとでどんなおつりが来るかわからんぞ、といった感じだろうか。脅し文句や忠告の際に使われることが多いようだが、本書ではどのような意味を持っているのか。悪魔の報復が意味するところから推理してみると、ホワイダニットを当てる手がかりになるかもしれない。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本書を読んでからお読みください。

 

 

 あまり推理という推理をせずに読書していたので書くほどのことが無いが、コートの鈎裂きの事実を知っていたのは、最有力容疑者ウォルターピンクヴァル、守衛のフランク?のみ。コートがリース邸で見つかった時点では、偽の手がかりを仕込んでリースまたはウォルターに罪を擦り付けようとしたのはピンク以外に考えられない。まあ動機と殺害方法は全くわからないが。

 

 スペイスが書き変えようとしていた(もしくはした?)遺言がカギかもしれない。と思ったがその後も進展はない。

 

 検死すればわかることなのに、何故毒殺を刺殺と誤認させようとしたのか。毒殺だとバレると誰か誤った人物に容疑がかかるからか?たとえばリースとかに。そして庇っているのがウォルター、と考えると一応しっくりはくる。なぜ毒殺だとリースが容疑者になるのかはわからない。

 

 18章からはほぼ解決編。殺害方法は、投擲もしくは射出された凶器による毒殺。それを誤魔化そうと傷口を上書きしたのがウォルターか。射出と言えば、ピンクがリースの体育コーチだからあとは順当。

 

推理

ピンク

 

 まあここまで理路整然と手がかりが提示されると、サプライズを感じるタイミングすら見失ってしまいます。とはいえ、事件現場に参集し殺人の再現を行った、その流れで軽やかに犯人の名指しまでもっていくクイーンの手並みは華麗です。

 ただピンクがわざわざ左利き用の弓術用の手袋をはめてクイーンにお膳立てしちゃうのだけはなんだかマヌケに見えます。そもそもが勘違い/思い込み/激情型/頭まで筋肉のおバカさんによる殺人事件だったので、そのマヌケさと、頁の端々から感じられる後悔/苦悩も含めて憎めない犯人にはなっていますけど。

 

 

 

           ネタバレ終わり

 エラリー・クイーンがホームタウン・ニューヨークを離れ、ハリウッドという別世界で孤軍奮闘するという筋だけ知っておけば、単体として読むことは容易なので、ミステリ初心者にもオススメできる作品でした。

 よくエラリー・クイーンは“神”と形容されますが、本作では急に道化を演じたり、人の子だとわかるように血を流したり、と神から人に降りてきたかのようなキャラクターになっていますし、特有の鼻につく堅さも和らいでいます。

 物語自体はやや地味ですが、探偵の勢いのある立ち回りと鮮やかで論理的な推理を楽しめる秀作です。

では!

 

 

 

 

 

『鍵のない家』E.D.ビガーズ【感想】ハワイ行きたい

1925年発表 チャーリー・チャン警部1 林たみお訳 論創社発行(論創海外ミステリ128)

 

 

アール・デア・ビガーズという男

 E.D.ビガーズは、1884年アメリカ・オハイオ州生まれ。地方新聞の編集者や劇作家として働き、数々の成功を収めました。

 彼の名を一躍有名なものにしたのは、1925年に発表した本書『鍵のない家』で、のちにシリーズ探偵となるホノルル警察のチャーリー・チャン警部の誕生が切欠でした。

 欧米では19世紀の末から20世紀初頭にかけて、アジア人に対する人種差別的な思想が蔓延していました(詳しくは黄禍論 - Wikipedia参照)。ミステリ好きなら一度は聞いたことがある「ノックスの十戒(推理作家ロナルド・A・ノックスが提唱した推理小説の書く際のルール)」にも「中国人を登場させてはならない」があるように、アジア人に対する恐れやアジア人を悪役として描こうとする動きがあったのは確かです。そんな情勢の中、それらの思想や風潮をかびの生えた時代遅れのものとしてとらえ、一転して正義のヒーローとして描いたのが上述の中国系アメリカ人の警部チャーリー・チャンでした。9人(のちに11人)もの子どもの父でもある彼は、丸々と太った体形に明晰な頭脳を備えた名探偵として活躍します。

 

ネタバレなし感想

 第1章から本書の旨味は爆発しています。燃えるような夕陽、夕陽が黄金色に染め上げる打ち寄せ波、心地良い貿易風、晴空に厳かに漂う叢雲、どれもがハワイ特有の風情ある叙景描写で、これだけで海外ミステリを読む価値があります。また主人公格の青年が船でハワイ島へ向かう船路が雰囲気を高めています。まるで彼と一緒に謎と浪漫に満ちたハワイへと旅立っているかのようです。この点は後で詳しく触れましょう。

 

 あらすじは常道でありながら少しアレンジが加えられています。陰のある資産家の死というありきたりな事件が底本ですが、現地に住む名家の女性と本国から派遣された堅物の青年紳士がともに手がかりを追うという素人探偵のような趣向も加えられています。その所為か、もしくは第一作目だからか、チャーリー・チャンの活躍はやや控えめ。もちろん解決編では鋭い知性と行動力を見せてくれますが、メイン探偵というよりも、物語の進行を補佐する狂言廻し、もしくは世間に受け入れられるか作者が試作したようにも見えます。

 

 ミステリの核については、特殊な手がかりが異彩を放っています。一度考証した手がかりに新たな方向から光を当て、違った意味を見つけ出す、という特殊な手法が1925年という黄金時代初期に生まれていたのには、ただただ驚かされます。

 全体を通して、多少挿話が多すぎるきらいがありますが、そのどれもが面白く、しかも齟齬なく都合と説明が付されるので、読後感としては悪くありません。むしろ人種の坩堝と化したハワイで織りなされる人間ドラマを純粋に楽しめます。ここらへんは、さすが大衆を満足させる劇作家としても名を馳せたビガーズ、といったところでしょうか。

 

 個人的に本書を推したいポイントはやはり主人公格の青年ジョンでしょう。彼は名門ウィンスタリップ家の御曹司であり、ある使命を帯びてハワイ島へと向かいます。サンフランシスコでの刺激的な体験や、船上での運命的な出会いは、後の彼の人生を大きく左右するものでした。そして、堅物でいかにも名門の御曹司タイプだった彼の固い心は、ハワイの陽光と風を受け少しづつ変わってゆきます。彼の男としての成長/しがらみからの解放、という物語だけでも十分楽しめてしまうところは、本書の美点に違いありません。

 これは蛇足ですが、彼と自分が同い年だったこともあって、妙なシンパシーというか「お前は俺か?」状態で楽しく読めました(本書のような刺激的な体験はしたことないです)。あ、御曹司でもないです。

 

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以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本書を読んでからお読みください。

 

 第一章「コナの嵐」はそれだけで本書を読む価値を高めてくれる。

 アモスとダンの間にある溝は事件に関係しているはず。たぶんダンが死んでアモスに疑いがかかる展開だろう。

 

 サンフランシスコでのジョンの災難を鑑みるに、ダンの後ろ暗い過去をネタに揺すろうとした人物、もしくは、彼が握っていたネタに揺すられていた人物が犯人か。

 第8章になって、ようやくジョンがハワイに到着するが、すぐさま素人探偵を依頼され戸惑い激怒、から一転して美しい従妹のため義憤に駆られ「目を輝かせて」警察と行動を共にするのが笑ける。齢30といってもまだまだ若いな。

 

 語られていない挿話、そして明確になっていない手がかりが多すぎてまともな推理ができない。

 怪しげに見えるとされていた人物たちには悉くそれなりに怪しく見えていた理由があって、しっかり説明されていくので、どんどん容疑者候補が減っていく。それでもなお残っているのは、弟のアモス、そして序盤から登場していて突然あしながおじさん的に再登場したコープ大佐。後者は海軍省に勤める高潔な人物なだけに、犯人にするには十分魅力的。もちろん、ダン殺害当時のアリバイなど調査してもいないし、元はダンと同業だった、とか彼に強請られていたという設定も十分可能か。まあこっち方面の手がかりが皆無なので本命ではないが……。

 

 サプライズだけでいくとカマイクイという線も思い浮かんだが、登場人物一覧に載っていないし、腕時計も関係ないし、で断念。

 

 コープ大佐だと仮定して殺害前後の頁を見返してみても、隠れて乗船している気配もないし、伏線もない。上陸前夜に仮装パーティーをやっていたことは関係あるだろうか。ボストン出のボウカーと言う男も怪しく見えてきた……。

 ダンが港で会い、手紙を託したヘップワースはどうだろうか。彼がコープの手下か何かで、手紙を盗み見、共犯関係を築いたのかもしれない。まあ登場人物一覧に載っていないので微妙だが……ここらで降参。

 

推理

アーサー・テンプル・コープ

 

撃沈。

 

 たしかに驚かされるし、腕時計の手がかりはかなり秀逸。一度、物的証拠としての価値を落としておいて、手首の太さという鋭角から切り込む手法は中々よくできたものだと言える。煙草の吸殻や新聞の切り抜きなど、お決まりの手がかりが散見されるのは古典ミステリの特徴なので逆に好ましく見えるし、それらが早々に無用だとわかるので歯切れは良い。というか、それら無用の手がかりこそ、腕時計から気をそらすミスディレクションになっている……のかもしれない。

 

 一方でモヤモヤするのは、ホワイダニットについて。ダンが溜め込んだ悪銭という動機は王道で納得できるが、ダンが書き換えようとしていた遺言書の手がかりが後出し(頁364)なのはモヤっとする。一応頁222にもジェニスンがダンの弁護士であることと遺言の中身の記述はある。もちろん、その情報が先に出ていたら、ジェニスンから目が離せなかっただろうし致し方ないとは思うが、もう少しヒントが欲しかった。ジェニスンが麻薬取引に関わっていた悪人という伏線も弱い気がする。

 

 読み返してみると、殺害後ではあるが、頁279のバーバラの台詞「ジェニスンさんと結婚するつもりはないんです」は巧み。この時から、彼女はジェニスンを疑っていたのか。さすがにチューのあとで暗殺未遂(頁287)はやり過ぎだし、やり過ぎて逆にジェニスンではないと思っていたので、普通にジョンとのチューが原因で結婚を止めたのかと思った(純朴)。コナの嵐のような女心の荒れ模様に翻弄されたということか(オチてない)。

 

 

 

 

  ネタバレ終わり 

 

 もう一回書きますけど、第一章「コナの嵐」は、ハワイ島の良いところを詰め込んだ宝箱のような章となっているので、ミステリに興味ない人も是非試しに読んで欲しい美しい文章です。五十歳を過ぎた女性の視点から描かれる、様々な心の変化、夢想の数々だけで今後起こるドラマの大きさを感じることができるはず。読めば間違いなく、ハワイに行きたくなるミステリでもあります。

 

では!

 

 

『金三角』モーリス・ルブラン【感想】戦時中の残酷さが現れた一作

1917年発表 アルセーヌ・ルパン7 石川湧訳 創元推理文庫発行

前作『オルヌカン城の謎

 

 前作『オルヌカン城の謎』に続く「第一次世界大戦シリーズ」とも呼べる作品群の2作目。『オルヌカン城の謎』では副次的な登場だったアルセーヌ・ルパンだが、本書では、愛し合う男女を助ける救世主としてしっかり活躍してくれる。

 

 時は1917年、第一次世界大戦真っ只中とあって、物語も登場人物も時期を的確に捉えたものとなっている。まず、主人公格のパトリス大尉が傷痍軍人、そして、彼ら軍人たちを介護・治療する看護師コラリーがヒロインという設定が巧い。彼らだけでなく、同じ野戦病院の負傷兵が活躍するシーンもあるなど、作者モーリス・ルブランのストーリーテリングの巧さもそうだが、読者の心を掴むしたたかさのようなものも感じられる。

 

 悪党と結婚してしまった美女と彼女を慕う青年、という構図は、アルセーヌ・ルパンシリーズにはかなり多く登場する。これがモーリス・ルブランのお気に入りの設定なのか、フランス文学のお決まりみたいなものなのか定かではないが、愛する女性のため一肌脱ぐ男を描いた英雄譚というのは、同じ男としてはそれだけで燃えるし、ワクワクしないでもない。

 

 目次を見てもわかるように前半でパトリス大尉とコラリーの冒険が描かれ、後半でルパンが登場し謎の解決と鮮やかなフィニッシュを飾るというのが大まかなプロット。まず、奇禍か僥倖か前半部のパトリス大尉とコラリーの運命めいた遭遇、そしてサスペンスフルな展開が魅力的。正直、メインの「金三角」の謎が完全に霞むほど、切迫感と危機感溢れる二人の冒険の方が面白い

 前半部でもう一つ触れておきたいのはちゃんと殺人事件が起きる点。もちろん、そのネタやどのように謎に絡んでくるか、といったプロットはバレバレなので、ミステリとして読むと肩透かしを食らうが、物語の体系には全く問題はない。むしろ、殺人は、ルパンが倒すべき巨悪の大きさを示す一つの方法に過ぎない。たぶん、ルパン(とモーリス・ルブラン)にとっては、犯人は殺人以上の悪事を犯しているのだろう。そう思わされるプロットになっているのも興味深い。

 

 後半である第二部の主題が「勝利者アルセーヌ・ルパン」だから、早々にルパンが登場しバッサバッサと悪をなぎ倒すのかと思いきや、流れは停滞する。パトリスとコラリーが犯人の魔手に掴まり悪戦苦闘する描写が長々と続き、仲間との悲しい別れなど悲劇的/絶望的な重苦しい空気が充満する。

 それらのフラストレーションを吹き飛ばすかのように、ルパンと犯人の一騎打ちシーンは熱が入っている。ルパンものの醍醐味と言っていい仕掛けが炸裂し、一気呵成にまくしたてるルパンが小気味よい

 一方オチはかなり古臭い。古風ではなく、干からびたネタであるうえに、性質上、生理的にも受け付けない。コアとなる謎の真相もまた同様にアンフェア気味で、ミステリとしては評価するのが難しい。

 

 

 上記のように、冒険譚そしてルパンの華麗な活躍劇以外には見どころは多くないが、書かれた時代・情勢を鑑みると、文学的表現の端々には戦時中の残酷さが現れているし、国民のやり場の無い怒りや鬱憤を本書の犯人に肩代わりしてもらったようにも思えて、それはそれで感銘深いものがある。

 

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以下超ネタバレ

《謎探偵のメモ》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本書を読んでからお読みください。

 

・典型的な“顔の無い死体”トリックなのでネタは明らかだが、エサリスがシメオンに化けた確証が得られない。お互いの描写に差異があって変装で誤魔化せるレベルなのか怪しい。

それにしてもエサリス(シメオン)の死体の描写で「血だらけの雑炊」って表現は凄まじいな。(頁105)雑炊の部分の原文が知りたい。

 

デマリオンヴァラングレーなどルパンの良き理解者/協力者がフランス政府にもいたとは驚いた。明確に気づいている描写は無いが、たぶん薄々感づいているとは思う。あと、ルパン、パトリス大尉を含めた一般人に簡単に正体を明かし過ぎじゃね?と思ったが、パトリスの友人ヤボンに命を救われた経験があると言う話が終盤に出てきて(どこだっけ?見つけられない)、ヤボンを仲立ちに繋がりがあったことがわかる。死ぬには惜しいなヤボン……。

 

・「金三角というのは、金貨の袋を三角に積み上げているということなのです」(頁362)じゃねえよ。砂山がどこかで出てきたか探してみ……てもない。探す気力がなかったので、どれくらい印象的に出てきてたか調べた方教えていただきたい。ポーの名作を引き合いに出している(頁380)けど、長編と短編でやはり有用性と説得力は変わってくると痛感する。

 

 

 

         ネタバレ終わり

〈その他メモ〉

・頁233に『虎の牙』(1921)の内容が書かれているとの注釈がつけられている。少し調べてみると、『虎の牙』が母国フランスで発表されたのは1921年だが、なんと1914年の第一次世界大戦勃発前にはアメリカで先行刊行(そして映画化)されていたらしい。その後すぐに戦争がはじまり、(権利の都合か?)フランスでは1921年になってようやく刊行できたが、その間にルブランは本書や『オルヌカン城の謎』(1915)『三十棺桶島』(1919)を書き上げている。

 つまり書いた順は『虎の牙』『オルヌカン城の謎』『金三角』『三十棺桶島』だがフランスでの発表は『オルヌカン城の謎』『金三角』『三十棺桶島』『虎の牙』になってしまっているというわけ。これは早めに『虎の牙』を読まなければ。

 

では!

 

 

 

『屍人荘の殺人』今村昌弘【感想】海外古典ミステリ好きとしては巧すぎて悔しい

2017年発表 剣崎比留子1 創元推理文庫発行

 

 驚異の新人による衝撃のデビュー作という触れ込みで世間を席捲し、年末に発表されるミステリの主要なランキングを総なめ、2019年には神木隆之介・浜辺美波・中村倫也ら主演で映画化もされた超話題作。昨年の映画公開前に急いで読んだ作品なので、既に記憶も薄れているところがあるが、読み返しながら書いていきたい。

 

 

 まず登場人物一覧から、青春が止まらない。学生が主役のミステリを読んだことが無かったので、なんかムズムズというかソワソワしてしまう。作品に関係ないが、自分が高卒なので、大学生が登場する作品を読むと、若干の劣等感というか抵抗感を感じてしまう。これは蛇足。

 

 主人公は神紅大学ミステリ愛好会会長、明智恭介(あけちきょうすけ)と助手の葉村譲(はむらゆずる)、ここに謎の美少女・剣崎比留子(けんざきひるこ)が事件を抱えて乱入する。映画研究会の合宿(という名の部内コンパ)で過去に起きたらしい自殺騒ぎ、そして参加者に送られた脅迫状を巡る謎の依頼だった。依頼後彼らは、人気の避暑地であるS県にあるペンションを訪れるが、未曽有の事態によって陸の孤島と化し、そこで猟奇的な殺人劇が幕を開ける。

 

 その後は、ミステリの王道らしい展開スピーディかつ衝撃的な設定、若人たちによる活力ある群集劇が盛り込まれ、高いリーダビリティを保ったまま混沌と叫喚のスペクタクルが繰り広げられる。

 

 

 さて、ここから本題。フレッシュなキャラクターと舞台、特殊な設定、グロテスクかつ驚異の謎解きが融合し、「新・新本格」の呼び声高いミステリが醸造されるわけだが、そんな尖った要素だけでミステリ四冠を達成したわけではなさそうだ。白眉は、特殊なプロットを全て全力で余すところなく注ぎ込みながらも論理性を欠くことが無い解決編。用意した仕掛けを無駄なく使い、何重にも張り巡らされた伏線を回収し、オフビートでありながらアッと驚かせる悲劇的なサプライズで締め括る。うーん巧い巧すぎる。巧すぎて逆に憎くなるくらい/粗を探してちくちく言いたくなるくらいだ(性格が悪いせい)。

 

 

 後半はネタバレ有で、チクチク言っていきたいが、そもそもミステリとしては言うことない出来であるのはもちろん、オススメ度もめちゃくちゃ高い。普段、海外古典ミステリを布教してるものとしては悔しいのだが、比べるまでもなく読み易い。舞台・情景が思い浮かべやすいし、起こるイベントや情勢が身近に起こるものばかりなので、海外ミステリに比べて圧倒的に親しみやすい

 地味に、序盤でヴァン・ダインクイーンの名前が出てきたのも嬉しい。新しい挑戦を試みながらも、根底には熱いミステリの血脈が絶えず力強く流れているのがようくわかるし、作者のミステリ愛/懐の深さを感ることができるのも魅力的だ。

 

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以下超ネタバレ

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

 さて、プロローグ代わりの剣崎比留子に対する報告書だが、こいつの取り扱いが難しい。明らかに、本編解決後の報告書という形式なのだが、全容は杳として知れないし、生物兵器を用いたテロ事件というネタバレもネタバレの記述を明かしてくれる。この時点で本書のネタバレは全開で、感の良い読者なら屍人荘の文字と生物兵器テロ、そして舞台である紫湛荘(しじんそう)との名称の対比もあってある程度展開は読みやすい。

 

 ゾンビ描写に関しては、正直「軽い」「物足りない」と感じざるを得ない。が、別にそもそもがファンタジー・SFの世界の延長線上なのだから、そのリアリティはどうでも良い。むしろ、作者自らが取り決めた世界線/設定の中で登場人物が動く以上、作者のゾンビそのものを殺害のトリックに用いる特異な発想と、犯人の未曽有の事態(偶然の要素)を殺人に用いる着想を称賛すべき。ゾンビ(一度死んだ人間)を再度殺すという憎悪を暴走させた特殊な殺人も、一般的なミステリでは体験できない貴重な殺人。

 

 もう初の読書体験が多くて、整理しきれないのが正直なところだが、真新しい描写や展開が一番に目について(つきすぎて)、オーソドックスなミステリとしての堅実な展開や、見取り図を絡めた実直なプロットの素晴らしさに着目しづらいのかもしれない。いや、評価されたからこその四冠なのか?

 

 「誰も思いついたことがない」が大正義、という方程式は置いておいた上で、根底に流れる推理小説の歴史にも思いを馳せると、先駆者としての勝利以上に計算高いプロットの原型は、作者今村昌弘氏が作中で紹介したヴァン・ダインやクイーンの創造した様式美を受け継いでいるように思える。本書を読むこと/体験することこそ、古き良き推理小説を回顧し、立ち返る切欠になるのかもしれない。

 

 

 最後に不満というわけではないのだが、犯人のキャラクターが苦手だ

 元々抱いていた殺人計画に、天啓にも思える閃きと強運が重なり、ゾンビを用いた特殊な殺人事件を実行した、これはいい。姉のように慕っていた友人を間接的に殺害した鬼畜どもに復讐するという原動力もまだいい。もっとシンプルに殺せよとツッこみたいけどまだ我慢できる。

 ただ、最後の独白が好きじゃない。自分がとうにまともな人間ではない、と告白し、殺害描写を鮮やか過ぎるほど細かくグロテスクに吐露する彼女を見て「あ~イタタタタ」と頭を抱えてしまった。もう少し前の「許しを得ました」もキツイ。憎しみと復讐に憑りつかれ人の心を失ったサイコパス、みたいなスペシャルな人間だとただ思いたかっただけの小さな人間。というかシンプルに現実世界にいたら苦手なタイプの人だからなのかもしれない。

 

 おこがましい話だが、最後の告白を止めて、探偵がワトソンに種明かししてあげるパターンだったら、また違った印象だったと思う。「最後に一つだけ、なんでエレベーターに乗った死体を回収したんでしょう?」から「これを見てごらん」で沙知先輩の死亡診断書で妊娠が発覚、「二回殺すためだったんだよ。二人分の復讐のためにね。」みたいなノリだったらカーぽくて好き。彼女の妖しげな笑みも映える。

 

 

      ネタバレ終わり

 ちなみに、映画版『屍人荘の殺人』は、主演している俳優陣(の演技)が圧巻で、それだけで観て良かったと思える出来。とはいえ、原作にある魅力を100%形に出来てはいない。ロマンスやコメディにエネルギーを費やした分、他の要素は控えめで、レーティングを下げCGを多様したせいで現実味も薄くなっている。だからこそ、ミステリの敷居を下げ、門扉を広げた功績はあるのだが……今年の6月17日にブルーレイ版が発売されるとのことなので、この自粛ムードの陰鬱さを吹っ飛ばすエンタメ作品を鑑賞してみて欲しい。そして、もっと海外古典ミステリに興味と関心を持ってもらう切欠にしてもらいたい。

 

ヴァン・ダイン『グリーン家殺人事件』『僧正殺人事件

エラリー・クイーン『Xの悲劇』『Yの悲劇

ついでに、アガサ・クリスティ『そして誰もいなくなった』あたりは必読書。

では!

 

屍人荘の殺人 (創元推理文庫)

屍人荘の殺人 (創元推理文庫)

  • 作者:今村 昌弘
  • 発売日: 2019/09/11
  • メディア: 文庫
 

 

 

『毒のたわむれ』ジョン・ディクスン・カー【感想】カー初期にしかない勢いがある

1932年発表 ノンシリーズ(パット・ロシター) 村崎敏郎訳 ハヤカワポケットミステリ

前作緑のカプセルの謎

 

 カーのノンシリーズものは久々です。探偵は、ギデオン・フェル博士ヘンリー・メリヴェール卿に先んじて登場するパット・ロシター青年。語り手にバンコランシリーズのジェフ・マールを据え、アメリカ・ペンシルベニア州の田舎町を舞台に、怪奇味満載の毒殺事件の幕が上がります。

 

 まずプロローグの雰囲気が抜群。ウィーンの観光名所、聖シュテファン大聖堂の壮麗な尖塔を見上げる通りのカフェで、名もなき「ぼく」そして「わたし」が話し合っています。事件解決後「ぼく」が書いたと思われる原稿用紙を片手に、「わたし」が解説を始めるところでこのプロローグは終わります。

 夕闇に染まりゆく美しいウィーンの地で、恐ろしい毒殺事件の話をするというだけでもゾクゾクしますし、それがペスト(黒死病(といえばカーの『黒死荘(プレーグ・コート)の殺人』))による死者2000人分もの遺骨が収容されている聖シュテファン大聖堂の鼻先というのも雰囲気を高めています。黄金時代初期のミステリの中では、群を抜いてオープニングが印象的な作品です。ここまでで、もうありがとうございました。って感じ。

 

 物語が開幕してからも、カーは、その怪奇趣味に費やす手を全く休めることなく、ガンガン突き進んでいきます。しかも、小道具として用いられるのが、冷酷無比なローマ皇帝カリギュラの大理石像(の「手」)なんだからもう恐れ入りましたというか、参りましたというか……カーの怪奇味の輝きって既に初期に完成されていたんだと確信させる出来です。怪奇要素だけで見てみても、処女作『夜歩く』(1930)から『絞首台の謎』(1931)、『髑髏城』(1932)、『蝋人形館の殺人』(1931)の流れまで最高です。

 

 物語の中身に移ると、のっけからクエイル家にたわむれる毒気があふれ出しています。ヒヨスチン、砒素、青酸カリと次々と毒が登場し、服毒事件も後を絶ちません。さらに、ひんやりじめっとした空気とともに、夜風が吹き込む音や部屋を動き回る足音、語り手ジェフ・マールの脳内で再生されるグロテスクな夢想の数々など、スリリングな空気作りにも余念がありません

 さらに、怪奇味満載の舞台づくりだけではなく、ミステリ的な仕掛けに注力されている点も見逃せません。特に、後の名探偵、ギデオン・フェル博士が提示しているかのような「答えなければならない疑問」という特殊な手がかり、そして提示者そのものが異彩を放っています。

 

 中盤以降は、巨躯を絞って年齢を若返らせたギデオン・フェル博士、がピッタリな青年パット・ロシターが登場し、掴みどころのない風変わりな捜査や心理学を応用した手法で手がかり収集に勤しみ始めます。

 

 前後半で怪奇の味付けが、物陰からひっそりと覗くような恐ろしさから、もっと直接的にド直球で血腥いものに変容していく様もカーの巧さを感じる部分。解決の瞬間のインパクトある手法や、「エピローグ」で語られる印象的な解決編まで一時も気を抜けないカー初期の佳作でした。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

 様式は、クエイル家に潜む毒殺魔を探すオーソドックスなタイプのミステリだが、毒の種類が豊富で、その効果や効き目が違うという特性が絡むと一段複雑味が増す。

 

 最初のターゲットはクエイル夫人。次はクエイル判事。そして秘密(真犯人)を知ってしまったツイルズが最初の死亡者。

 クエイル夫人と、クエイル判事が死ななかったのはシンプルに怪しい。というか、そもそも事件の序盤なのに、ツイルズが犯人を推察していたのがスゴイ。クエイル夫人とクエイル判事を診察・治療したのはツイルズなので、二人に関する何らかの不審な点を発見したということだろうか。

 

 家出したトムを偏愛するクエイル夫人が一番怪しい。彼を追い出したクエイル判事に対する純粋な憎悪という動機も成立するか。

 

 後半に入ると、犯人の必死さが加速する。殺害方法に脈絡が無くなってくるし、閉鎖的で環視の中にも関わらず堂々と/ギャンブル的に犯罪に手を染めていく。これも息子トムを思う狂信的な母親の成せる業か。

 ツイルズの残したメモの説明はできないし、しっくりこないがここらで。

 

推理

クエイル夫人

 

 犯人だけは当たったが、動機の奥底までは見通せなかった。毒の効果までの時間、そして犯人が複数の毒物を危険を冒して盗んだ奇行から、毒殺事件の計画を見抜いてしまうプロットは素晴らしい。

 さらに、動機の部分も秀逸。語り手ジェフ・マールの視点でやや霞みがかった気もするが、読者を含む関係者の中で、クエイル判事の経済状況を知らなかったのがクエイル夫人ただ一人=金銭目当ての殺人、というツイルズのメモを論理的に解決に結びつける手腕にも脱帽。

 

 

 

 

        ネタバレ終わり

 カーの初期作品で、フェル博士のプロトタイプとして、またバンコランシリーズ最終作『四つの凶器』の前作としても価値があり見どころも多いのですが、入手難易度が高いのが心底悔やまれます。忘れてましたが、『緑のカプセルの謎』(1939)に登場する“毒殺講義”の試作かのようなロシターによる毒殺講釈も出色のシーンでした。

 

 圧巻はやはり鮮烈な印象を残す、プロローグとエピローグです。荘厳さ、もの悲しさ、儚さ、多幸感、おぞましさ、色々な感情や心象が混成されながらも、刺激的で不快な劇毒ではなく心地良い調和があるように感じました。

 カーの初期作品にしかない勢いがあって、かなりオススメです。

では!

 

 



『料理長が多すぎる』レックス・スタウト【感想】本当に料理長が多すぎる

1938年発表 ネロ・ウルフ5 平井イサク訳 ハヤカワ文庫発行

前作『赤い箱

 

 極度の外出嫌いの安楽椅子探偵ネロ・ウルフシリーズ第5作。冒頭から、ウルフとアーチーが列車に乗ってカノーワ・スパーなるリゾート地を目指していることがわかります。この列車内でグチグチ言いながらビールを流し込むウルフとそれを往なすアーチーの舌戦から、早くも「ウルフもの」の醍醐味が味わえるでしょう。

 

 至る所に料理の蘊蓄が忍ばされ、カノーワ・スパーで行われる料理長同士のききソース対決という複雑で特殊な仕掛けが施された怪作なので、中々初心者向けとは言い難い作品です。しかし、その複雑さゆえに、解決編の厚みと味わいは圧巻。ただ真相を淡々と告げるのではなく、解決編の中に直接罠を仕掛け、“真の解決”に持っていくウルフの技量も見どころです。

 

 他にも細かいところで紹介したい魅力的なポイントは多々あるのですが、探偵に降りかかる災難に始まり、ききソース対決の様相や従業員たちの目撃証言などすべての出来事が、物語にひと波乱巻き起こす重要なファクターになっているので、詳細は是非とも本編でお楽しみください。

 

 帰りたがりウルフのタイムリミットや、料理長たちそれぞれの思惑、郡検事トールマンとのいざこざなどミステリに影響を及ぼしそうな要素や制約、障がいが多いにも関わらず、謎とその解決においてはあまり機能していたのはやや残念です。ただし、純粋なフーダニットのみで十分読ませてくれるので、これ以上綺麗に畳むのを求めるのは逆に贅沢なのかもしれません。

 

 ちょっと蛇足にはなりますが、本作の舞台が30年代アメリカのウェスト・バージニア州ということもあって、あからさまな黒人差別描写/極端なレイシストが登場します。黒人の証言や話は信用せず、彼らがお金をもらって殺人を犯す悪人かのように思い込み、差別する悪です。そして、彼らに対するウルフの価値観や思想、応対の様子や話し方にネロ・ウルフというキャラクターの奥深さや魅力が詰まっています。

 ウルフは相手がなに人であろうと、男であろうと女であろうと、職業や立場の別に関わらず、態度や言動を変えることはありません。むしろ、原則的には(自分に不利益が無ければ)相手の利益になるように親切心をもってアドバイスします。いつも言い方が悪いので、挑発されていると思われがちですが……。アーチーが愚痴を溢しながらも、ウルフを信頼し彼のために働くのは、そんな表裏の無い好ましい一面があるからなのかもしれません。

 そんな妄想も加速してしまうエピソードが収められた一作として、ウルフものを読もうと思っているなら避けては通れない作品です。

ネタバレを飛ばす

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

 列車内でのウルフ、アーチーの舌戦に始まり、グルメに目がないウルフの猫なで声の交渉まで早速面白い。が、カノーワ・スパーについてから事件発生までの経緯についてはただただ「料理長が多すぎる」

 

 たぶん料理長の誰かが犯人なんだろうが、まず名前からして覚えられない。

 被害者ラスジオがいなくなったのは7人目のヴィクシックがダイニングに入ったとき。ヴィクシックにはラスジオ殺害の確固たる動機があるが、さすがに彼が犯人だとは思えない。嵌められたか。

 やはり、ヴィクシックと同じくラスジオを殺したい料理長の誰かだろう。なんとなあくラスジオ夫人は怪しい。影で真犯人を操る悪女という線も捨てられない。わざわざウルフに会見を申し込んで、面と向かって嘘をつくやつは大抵悪人。

 

 こっからが進まない。ウルフは狙撃されるし、肌を黒く塗った白人が出てくるし、殺人の目撃者は何人も出てくるし、でお手上げ。ベリンを犯人に仕立て上げるパターンで考えると、アルバート・マルフィも怪しいが彼は登場人物一覧に載っていない(邪道)。降参。

 

真相

ラスジオ夫人

レイモンド・リゲット

 

 登場人物の多さゆえちょっと言い訳もしたくなる。リゲットがホテル・チャーチルの料理長=ラスジオの雇い主で、ラスジオ夫人と近しい仲だったという関係性が全く頭に入っていなかった。というかリゲットの存在感が薄い。

 とはいえ、166頁~ではマルフィの口からこれでもかと執拗に「リゲットとラスジオ夫人」の組み合わせが登場していた。ラスジオ夫人を怪しんでいたのに、リゲットとの関係を見破れなかったのは反省。また、ラスジオ夫人がラスジオ殺害の時間稼ぎをするため、ヴィクシックをダンスに誘ったこともしっかり明かされている(142頁)。細かいが、ソース・プランタンに関する墓穴の掘り方など、抜け目ないネロ・ウルフの性格がそのまま反映されたかのような解決編はただただ素晴らしい

 

 

 

 

      ネタバレ終わり

 グルメな安楽椅子探偵ネロ・ウルフの面目躍如と言わんばかりに、グルメ用語(料理やスパイス名、蘊蓄)が登場するので、ミステリとしてはやや読みにくいのですが、一方でミステリに関係ないところで笑かされたり、楽しめる部分もあって、一概に悪いとは言い切れません。個人的には、フランス料理に目覚めそうです(笑)

 ここまでグルメに振り切って書けたのも、もしかすると第一作『毒蛇』から第四作『赤い箱』の評判が良かったからなのかもしれませんねえ。次作はネロ・ウルフシリーズ最高傑作と名高い『シーザーの埋葬』です。題名から溢れる傑作感がすごい……。

 

では!

 

 

 

『船から消えた男』F.W.クロフツ【感想】フレンチ警部は幸運

1936年発表 フレンチ警部15 中山善之訳 創元推理文庫発行

 

 

 原題「MAN OVERBORD!」とは、船乗りが船からの落水事故に際し発する定型句のようです。訳すと「誰か船から落ちたぞ!」といったところでしょうか。そして、これがタイトルということは、本書の事件の本旨も同様です。ただクロフツらしいのは、すぐには誰も船から落ちないこと。もちろん船から落ちたことは大事件なのですが、その事件の裏にある“金の卵を産むニワトリ”を巡る犯罪の影が重要になってきます。

 金に成るアイデアを端に発する事件と言えば同氏の傑作長編『サウサンプトンの殺人』(1934)が思い出されますが、あちらは歴とした企業犯罪なので比べると小粒な感は否めません。とはいえ、アイデアは奇抜で今の時代に置き換えても画期的。当時の世情も考えると、ガソリンの運搬や生産にかかるコストに人々の興味が向いていて、かなりキャッチーな題材だったのだと想像できますし、シンプルに面白い発想だと思うんですよね。クロフツらしい実直で淡々とした語り口とリアリティある文体のおかげもあって、実験パートだけでもワクワクしながら読めました(化学に強い人なら齟齬が見えちゃうのかな)。

 

 肝心の事件ですが、まず事件性があるのかないのか、ただの事故なのか、それとも自殺なのかという、正直どうでも良いことにまで100頁近く費やしてしまうところに、クロフツの生真面目さがこれでもかと詰まっています。もちろんこの丁寧過ぎるほど丁寧な作風に惚れたわけですから別になんてことはないんですけど、「(今のヤングな若者に読まれないのは)こういうとこだぞ!」と小突きたくはなってきます。

 

 一方で、作者クロフツのフレンチ警部に対する愛も感じますねえ。読者からしてみれば、船から落水した事件の背景も、関係者たちの繋がりも、序盤で明らかなわけですが、主人公フレンチ警部にとっては1から、いや0からのスタートです。彼がベルファストに乗り込む経緯や、その時の感情、事件に対する熱意、意気込みなんかを感じ取りながら、彼がどう真剣に事件に取り組むか、という見方をしても案外面白いですよ(投げやり)。

 

 もう一つ、今までのフレンチ警部ものと違って楽しめるポイントは、仄かな“探偵がいっぱい”要素です。他人の縄張りであるベルファスト警察署と協力しなければならない状況でフレンチ警部を助けるのは、『マギル卿最後の旅』(1930)でも登場したマクラング刑事(本書では昇格)。また、行動派のヒロインや被害者の親族なども乗り出しフレンチ警部を真相へと導きます。

 フレンチ警部は(愛妻との旅行中にもかかわらず)、その恩を忘れないとばかりに、一度は解決したかに見えた事件を掘り起こし、誰も不利益を被ることのないよう細心の注意と気遣いをもって再調査を始めます。このあたりのフレンチ警部の温かさも本作の見どころです。

 

 事件のスケールの小ささ(アイデアは巨大)や、真相の見え易さなど、ボリュームに反して肩透かしなところもなきにしもあらずですが、その分登場人物たちそれぞれの視点が挿入されるため読みやすいうえに、フレンチ警部の幸運ぶりと人間味ある手腕を堪能できる満足度の高い一作です。

 

※そもそも本作には、過去作『マギル卿最後の旅』のネタバレがございます。読む際はご注意ください。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

 冒頭の事件背景からフェリスの怪しさが止まらない。アイデアは面白いが、そんなのなんらかの詐欺に決まってる。騙されるなパム&ジャック!

 

 定石どおりプラットは死に、生前にいざこざのあったジャックが最有力容疑者に。

 事件の性質から推理すると、プラットが死ななければならなかったのは、間違いなくガソリンの不活性化実験の結果によるものだ。ひとつはその実験がペテンだとプラットは見破り、バレたフェリスとマクモリスが彼を消した。もう一つは、プラットが研究成果を盗み、情報漏洩を防ぐためフェリスとマクモリスが殺した。このどちらかだろう。

 中盤、プラットが生前に送った電報「例の品を入手」が明らかになり、後者の説が高まる。

 

 では船のトリックは何か。まず、船に乗り込んだとされるプラットはプラットではなくフェリスかマクモリスだろう。これで、ジャックが船でプラットに会いに行っても会えなかった理由と、船の乗客の誰も船から人が落ちたのに気づかなかった説明がつく。ジャックの車のタイヤをパンクさせたのも、船に乗り込み、細工する時間稼ぎに違いない。船から降りた方法はわからないが、たぶんこれで決まり。

 

 

推理

フレッド・フェリス

エドワード・マクモリス

 

真相

 正解。うむ。裁判用の証拠固めが、解決した後に出てくる以上、読者による論理的な解決が望めない作品だったが、これ以上手がかりがあれば、逆に甘すぎだろう。

 

 一つ、自分が完全に見逃していた点は、序盤のジャックとプラットのいざこざの中でパムが瞬間記憶的に記録した実験室の描写。完全にノーマークだった。

 たしかに、再登場は終盤のパムの章だが、これこそパズルの最後のピース。あと一つ、あと一つ決定的な違和感があれば……という逼迫した状況で、警察に再捜査を踏み切らせる決定的な手がかりを配したプロットは巧みだ。

 

 

 

 

  ネタバレ終わり

 ミステリの多くは、作家という神の机上で、解決へ向かって真っすぐに進むことが多いですが、フレンチ警部シリーズは違います。間違い、踏み外し、明後日の方向に突き進むのは日常茶飯事です。

 一方で、間違いに気づき、軌道修正し、正しいことを成したいという意思をもって物事を達成できるのも人間だけです。フレンチ警部は、そんな正しいことへ向かってゆく意思がとても強いと思っています。だからこそ、いつだって諦めない。

 そしてその根底にあるのは、愛だと思ってます(何言っちゃってんの)。妻を愛し、仕事を愛し、旅を愛し、仲間を愛し、自然を愛するフレンチ警部には、憧れすら感じるほど。クロフツ(フレンチ警部)を聖人君主みたいに高めるつもりはありませんが、いくら「死」を扱ったミステリとはいえ、ちゃんと温かいエネルギーを感じることのできる作品だってちゃんとあると思っているのです。

 

では!

 

 

 

『クイーンの定員Ⅰ』エラリー・クイーン【感想】これであなたも一人前

 本書を読んで、ようやく、一人前の海外ミステリファンになれた気がしています。『クイーンの定員』は、1845年以降に刊行された最も重要な短編推理小説106作が収められたアンソロジーです。編者は、海外ミステリ黄金期を代表する作家エラリー・クイーン

 そして、彼ら(というのもクイーンはダネイとリーの二人で一人)が編纂するにあたって重要視した三つの要素がこちらです。

  1. 歴史的重要性
  2. 文学的価値
  3. 稀覯本としての希求度

 

 3つ目の希求度については、なかなか現代の日本の読者が感じ取ることが難しい要素ですが、1の歴史的重要性を測るには、やはり作家クイーンが生きた1900年代の海外ミステリを一定数読んでおかなければならないでしょう。さらには1800年代のポーからコナン・ドイル、モーリス・ルブランが活躍した時代にも触れておかなければなりません。これらの作品全てとは言えなくても、1800~1940年代の作品を300冊弱読んだ今なら、本書『クイーンの定員Ⅰ』くらいサラリと読むことができるだろう……と思っていましたが、その考えが甘かった

 本書の、収録作は1747(!)~1899年ということで、ミステリの奥深さを実感するとともに、勉強不足も痛感しました。名前は聞いたことがあるけど、まさかミステリを書いていたなんて!みたいな作家も沢山いて、これからの選書にも役立ちそうです。

 

各話感想

 

黎明期

『王妃の犬と国王の馬』(1747)ヴォルテール『ザディグ』より

 クイーンによると本作は、探偵小説の曽祖父らしいです。ヴォルテールには哲学者のイメージが強かったのですが、本作のような寓意性のある小説も書いていたとは驚きでした

 Wikipediaを見るとヴォルテールという名前自体も彼の本名のアナグラムだったようで、生来、暗号や謎解きに関心が深かったのかもしれません。

 本作が収録された『ザディグ(またはザディーグ)』は、バビロン(現在のイラク周辺)の哲学者ザディグの一生を“運命”というテーマで書いた作品です。あらすじを調べてみると、あきらかに哲学小説の色合いが濃そうですが、中には殺人を扱った(それも倒叙っぽい?)ものもあるようです。邦訳化もされているので、いつか読んでみようと思います。

 

 肝心の本作『王妃の犬と国王の馬』の中身ですが、見もせず聞いたことも無い事象を僅かな手がかりから洞察し推察するザディグの明晰ぶりが注目に値します。ホームズやデュパンの祖先と呼ばれるのも納得です。

 

カンディード 他五篇 (岩波文庫)

カンディード 他五篇 (岩波文庫)

  • 作者:ヴォルテール
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2005/02/16
  • メディア: 文庫
 

 



 

始祖

『盗まれた手紙』(1845)エドガー・アラン・ポー『物語』より

 物体消失系トリックの始祖は間違いなく本作でしょう。ホームズやルパン作品でもかなり堂々と紹介されていたので、なんとなく読む前から知ってしまっていたほど高名な作品です。

 ポーって推理小説における全部の要素を最初にやっちゃった感もあって、漫画で言うところの手塚治虫みたいな神的な作家、というイメージがあります。本書のトリックもそうですけど、題材しかり『モルグ街の殺人』の密室トリックや『黄金虫』の暗号、史上初の専従探偵デュパンの創造など『クイーンの定員』に名を連ねるべき作家です。

 

モルグ街の殺人・黄金虫―ポー短編集II ミステリ編―(新潮文庫)

モルグ街の殺人・黄金虫―ポー短編集II ミステリ編―(新潮文庫)

 

 



 

最初の五十年

『人を呪わば』(1859)ウィルキー・コリンズ『ハートの女王』より

 ウィルキー・コリンズと言えば、歴史上初の長編推理小説と呼ばれる『月長石』が有名ですが、本作はその9年も前に書かれています。クイーンによると、本作は推理小説にコメディを導入した初めての作品と目されているようです。パーシヴァル・ワイルド『探偵術教えます』(1947)の原型かのようなポンコツ探偵がとにかく笑えます。

 本作が収録された短編集には、“ハートの女王”とあだ名される一人の少女に恋する3人の少年が、彼女を楽しませようとして話す物語が収録されているようで、それだけでも面白そう。

 また、貧しい針仕事師の女性が殺人犯を追求する、という史上初の女性探偵ものや、『月長石』のキーパーソンの原型となった人物が登場する短編があるなど、歴史的価値が高い作品も多々ありそうです。邦訳化されているものが少ないのがとにかく残念。

 

 

『舞姫』(1862)トマス・B・オルドリッチ『狂乱』より

 オルドリッチという名前から初耳です。本作が収録された『狂乱(原題:Out ofHis Head)』からして、あまり情報がないんですよねえ……。一応頑張って調べてみたところ、主人公ポール・リンドが、魔術や魔法、霊魂、夢想的でクレイジーな発明などに傾倒する様を描く自伝的小説だということはわかりました。

 表題作『舞姫』はその第11~14章にあたる部分で、ポール・リンドが遭遇する殺人事件が骨子です。結構ちゃんとしているというか、事件の描写力や検死審問のリアリティ、謎解きの様式などどこをとっても、黄金時代(1920~)に刊行されても何ら遜色ない出来だと思いました。あとは、もう一つの奇妙味がみなぎる仕掛け。チェスタトンやクリスティなど奇妙味も愛する推理作家に繋がる歴史的な作品に違いありません。

 

 

『世にも名高いキャラヴェラス郡の跳び蛙』(1867)マーク・トウェインによる同名短編集より

 本作は、作家マーク・トウェイン初の短編集の表題作であり、この本の成功により作家として注目されるようになった、記念碑的な一編。

 中身は簡単で、ジム・スマイリーという生粋のギャンブラーのお話なのですが、作中で書かれているとおり“おそろしく長ったらしくてなんの役にも立たないうえに、あげくの果ては腹が立ってくるような昔話”というのが笑いを誘います。また、クイーンの、犯罪をおかす過程を見せる≒倒叙の萌芽という視点が興味深いです。

 

ジム・スマイリーの跳び蛙: マーク・トウェイン傑作選 (新潮文庫)

ジム・スマイリーの跳び蛙: マーク・トウェイン傑作選 (新潮文庫)

 

 



 

『バチニョルの小男』(1876)エミール・ガボリオによる同名短編集より

 エミール・ガボリオは“フランス探偵小説の父”、そしてルコック探偵の生みの親として有名ですが、本作ではパリ警視庁に協力する探偵メシネが主人公、カメラアイという超能力をもつ“わたし”ことゴオドユイルが助手となって殺人事件を捜査します。

 探偵としての才能だけでなく妙策を駆使する技巧派探偵としてメシネのキャラクターは魅力的ですし、A.A.ミルンが創造したアントニー・ギリンガム(『赤い館の秘密』)の先祖とも思しきゴオドユイルの組み合わせも特出しています。ポーが作り出した探偵と助手のスタイルをより一層洗練させ形を整えたという点では、たしかに歴史に残すべき一作でした。

 

バティニョールの爺さん

バティニョールの爺さん

 

 

 

 

『クリーム・パイを持った若い男の話』(1882)ロバート・L・スティーヴンスン『新アラビア夜話』より

 自分の中では、ロバート・L・スティーヴンスンは『宝島』(1883)の人、でした。冒険色が強い、という点で本書を読んでもそのイメージは崩れなかったのですが、幻想的なミステリの生みの親がスティーヴンスンというのは頷けます。

 本作は、ボヘミア(現在のチェコ西部)のフロリゼル王子と腹心のジェラルディーン大佐が「自殺クラブ」という名の秘密結社の会長と戦うお話で、三連作からなる作品『自殺クラブ』の一作目。チェスタトンやホームズが得意とした不可思議で奇妙な設定や巨悪との対立を描いた犯罪小説の先駆者として是非とも体験しておきたい作品です。

 

新アラビア夜話 (光文社古典新訳文庫)

新アラビア夜話 (光文社古典新訳文庫)

 

 



 

ドイルの十年

『赤毛連盟』(1892)アーサー・コナン・ドイル『シャーロック・ホームズの冒険』より

 赤毛のやつだけが雇われる変な会社のお話です。

 ホームズものの中で特に好きな話というわけではないのですが、この摩訶不思議な謎に対して、奇想天外の解決を用意した手腕だけで読む価値はあります。クイーンをして「世界の傑作の一つ」と評される作品です。うーん、アイデアがかな?

 

 



 

『サミー・スロケットの失踪』(1894)アーサー・モリスン『探偵マーティン・ヒューイット』より

 ホームズの消えた瞬間(1894年『最後の事件』)に、まるで彼の後継者かのように現れた名探偵マーティン・ヒューイットが登場する短編です。

 超個性的な同時代の名探偵たちの中で、逆に平々凡々な探偵だったヒューイットは、クイーン曰くホームズのライヴァルたちの中でも「歳月に最も長く耐えた」と言われています。

 取り扱う題材が、凶悪な殺人事件ではなく“日常に寄り添った犯罪”なのも良かったのかもしれません。『マーチン・ヒューイットの冒険』と題して創元推理文庫から短編集が出ているので、出会えたら手に取ってみたいと思います。

 

マーチン・ヒューイットの事件簿 (創元推理文庫)

マーチン・ヒューイットの事件簿 (創元推理文庫)

 

 



 

『罪の本体』(1896)メルヴィル・D・ポースト『ランドルフ・メイスンの奇妙な企み』より

 キターーーーーーーーーーーーー!めっちゃ読みたかった作品です。ランドルフ・メイスンの“悪徳弁護士”という肩書だけで垂涎もの。

 「当時としてはショッキング」(クイーン評)が納得のドロドロとした悪意の塊のような一作です。のちに世間からの非難でランドルフ・メイスンのキャラクターをライトサイドへと転向させなければならなかったと言われるほど、どす黒いランドルフ・メイスンを是非とも堪能してください。

 法廷ミステリ、また完全犯罪小説としても一読の価値があります。残念なのは、長崎出版の『ランドルフ・メイスンと7つの罪』が絶版状態で他の作品が読めないところです。

 

ランドルフ・メイスンと7つの罪 (海外ミステリGem Collection)

ランドルフ・メイスンと7つの罪 (海外ミステリGem Collection)

 

 



 

『ダイヤのカフスボタン』(1897)グラント・アレン『アフリカの百万長者』より

 グラント・アレン?誰ですか?と思って調べてみたのですが、ピンともきませんでした。

 ただ結構クセのある作家さんだったようで、父親が牧師だったのに無神論者だったり、科学や進化論に傾倒して科学小説やSF小説の先駆者としてあのH.G.ウェルズ(『宇宙戦争』ほか)に大きな影響を与えた作家さんらしいです。

 さらに、グラント・アレンは、『ヒルダ・ウェイド』という作品の最終話直前で死去してしまったのですが、その最終話を書いたのが友人だったアーサー・コナン・ドイル!!ドイルの友人ってだけでこう格が上がるというか、なんか贔屓目に見ちゃいます。

 でその勢いのまんま書きますが、本作も最高です。短編集の主旨は、元蝋人形師で詐欺師のクレイ(粘土?)大佐と彼に毎回騙される大富豪ヴァンドリフト卿の対決ものなのですが、登場人物の誰がクレイ大佐かわからせないキャラクターの描写力に巧さを感じます。洒落たオチの感じも大好きです。論創社からちゃんと短編集が出版されているので、直ぐに探してみようと思います。

 

アフリカの百万長者 (論創海外ミステリ)

アフリカの百万長者 (論創海外ミステリ)

 

 



 

『代理殺人』(1898)M・マクダネル・ボドキン『経験型探偵ポール・ベック』より

 弁護士であり判事であり、という多才なボドキンの代表作が、本作の私立探偵ポール・ベックと、女探偵ドーラ・マールもの。なんとこの二人、後に結婚するようで、子どもも探偵になるらしい!!絶対面白いでしょ。

 本作のミステリの中身は、タイトリングの妙技と探偵の実直さ、法廷ミステリの独特の雰囲気が混然一体となったオーソドックスな一作。とはいえ、トリックには時代を先取りした新鮮さもあり、ドイルが登場してからの十年の中で特に注目すべき作品です。

 

 

『ディキンスン夫人の謎』(1899)ニコラス・カーター『探偵の美しき隣人』より

 スパイ探偵のはしりと言われるニック・カーターが活躍する短編集からの一編です。これ、作家エラリー・クイーン/探偵エラリー・クイーンとも一緒ですよね?もちろんヴァン・ダインの影響が濃かったとは思いますが、色々と刺激されるところは多かったのではないでしょうか。

 肝心の中身ですけど、本書(『クイーンの定員Ⅰ』)に収められた、詐欺を取り扱った曲者ミステリの中ではやや小粒な印象を受けます。短編集を読んでもう少し全体像が掴めればもっと楽しめたのかもしれません。

 

 

『ラッフルズと紫のダイヤ』(1899)E・W・ホーナング『怪盗紳士ラッフルズ』より

 “怪盗紳士ラッフルズ”という響きからして、めちゃくちゃニヤニヤするの何なんでしょうか。同じ怪盗紳士ルパンよりもあか抜けていて、お喋りで、お調子者で、とキャラがたっているのがポイントです。また、ラッフルズの協力者(記録者)でもあるバニーとのバディものとしても優秀です。

 短編集の終盤の作品のタイトルだけ見てみると、どうもロマンチックでセンチな感じになりそうなんですよねえ。こちらも論創社から全作出版されているので、蒐集したいと思います。

 

二人で泥棒を―ラッフルズとバニー (論創海外ミステリ)

二人で泥棒を―ラッフルズとバニー (論創海外ミステリ)

  • 作者:E.W. ホーナング
  • 出版社/メーカー: 論創社
  • 発売日: 2004/11/01
  • メディア: 単行本
 

 



 

おわりに

 「騙された」というと語弊があるかもしれませんが、本作『クイーンの定員Ⅰ』ってクイーンの言っていた“最初の五十年”とか“ドイルの十年”に選ばれた作品“全部”が収録されているわけではないんですね。実際には選出されていたフィルポッツの短編とか、本物の警官による実話集など、気になる作品があったので少し残念な気持ちになりました。

 が、解説を読むと、ここまで完成されるだけでも並々ならぬ努力と熱意、多くの人々の協力があったようで……。ただただ感謝です。

 

 次の『クイーンの定員Ⅱ』はクリスティやセイヤーズ、チェスタトンなんかも入ってくるらしいので、まだまだ楽しめそうです。

では!

 

クイーンの定員―傑作短編で読むミステリー史 (1) (光文社文庫)

クイーンの定員―傑作短編で読むミステリー史 (1) (光文社文庫)

 

 

 

『ニッポン樫鳥の謎』エラリー・クイーン【感想】成長する探偵

1937年発表 エラリー・クイーン11 創元推理文庫発行 井上勇訳

 

 国名シリーズを脱却しながらも「読者への挑戦」を用意するなど、優等生だった『中途(途中)の家』に続く作品。前作でよっぽど抑圧されていたのか、本作は、解き放たれ道を踏み外した問題児のような一作だった。

 

あらすじ

日本文化にも精通し、類稀なる文才を持つ女流作家カーレン・リースの日本庭園で事件の幕は上がる。ここでは、癌研究の大家マクルア博士の一人娘エヴァも、日本庭園での茶会に招待されていた。カーレンによって明かされるサプライズニュースとエヴァへの個人的な相談とはいったい何のか。

本によっては、物凄い箇所に凶悪的なネタバレが潜んでいるので注意!(と指摘するのがネタバレか?)さらっと1ページ目から読むように。

 

 

 〈国名シリーズ〉の一角に加えるべきかどうかはさておいて、そんな枠組みを取っ払って読む価値がある作品だった。まず、当時のニッポン感というか興味が上手くミステリに反映されている点。書かれた1937年と言えば、第二次世界大戦の勃発によって、沖縄(琉球)が戦火に包まれる僅か7,8年前だが、本書では既に琉球を始めとする風俗文化や、着物やリュウキュウカケス(カケス科の亜種の一つ?)など日本固有の小道具が多々輸入されている。フジヤマの件(頁19)や日本語の台詞、アジア人への偏見など目を瞑らないといけない部分も多々あるが、ミステリにそこまで影響は無いのでスルーできる。

 

 また、エヴァを中心としたロマンスも心地良いいし、『中途(途中)の家』で未出演だったクイーン警視やジューナなどレギュラーキャラクターたちの登場も嬉しい。さらに、こちらも前作同様だが、クイーンの旧友(知人)が登場するので、探偵クイーンへの愛着も増したように思える。

 しかし、横筋に注力されているからといって、クイーンらしい論理性の追求や新鋭的なトリックは蔑ろにされている、なんてことは全く無い。寧ろ国名シリーズに何ら遜色はない。密室を解き明かす鍵は、ミステリ史に残る記念碑的トリックだし、サプライズの演出方法も完ぺきだ。後者については、推理小説における探偵の命題ともいえるある難問に挑戦しており、今までのエラリー・クイーンとは一風違った苦味を感じるオチが印象に残る。このオチこそ、冒頭で「問題児」と言った理由なのだが、それはネタバレ箇所で書くことにする。

 

 とにかく、日本描写を底本に、ストレートで情熱的なロマンスや人間ドラマが用意され、不世出のトリックとロジカルで透徹したプロットが見どころの佳作だった。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

 鉄壁の密室に、カーレンを殺す動機を誰も持たない殺人、という二つの謎が目を引くが、密室トリックがピンとも来ないので、動機(ホワイ)を中心に考える。

 中盤まで進み(進むんかい)カーレンの妹で彼女のゴーストライターを務めていたエスターの存在が明らかとなる。カーレンは彼女の死を隠し、彼女を出汁にマクルア博士と結婚したのか。いや、むしろマクルア博士はエスターを救うために結婚した。エスターとマクルア博士の共犯が濃厚か。

 

 しかし、後半になると、エスターが死んだのはカーレンが死ぬよりも前、しかもマクルア博士は船上でエラリーと完ぺきなアリバイがある。う~ん、違うか。

 

 やはり、問題はカーレンがエヴァに伝えたかった「何か」

 エヴァの母親がエスターだ、という線が強いがそうなると、カーレンの遺産はエスターに、エスターが死ねばエヴァに遺される。マクルア博士は正確には血縁ではないので金銭は贈与されない?ならばエヴァを執拗に結婚したがっていたスコット医師が俄然怪しくなってくる。これだな(密室トリックは無視)。

推理

リチャード・バー・スコット

真相

自殺(真相は、癌の権威マクルア博士の恣意的な誤診による自殺教唆。自殺に用いた凶器は飼っていたカケスの光り物を集める習性で消失。密室トリックはそもそも無し。)

 

 むむむ。真相としては小粒ながら、解決までのロジックが美しい。カケスの盗癖や、投石の推理、ハラキリの要素もしっかり本事件と符合している。

 ここまでは良いが、問題は二重解決。エラリーの二重解決ものを体験するのは初めてだったのでシンプルに興奮した。ここで探偵エラリーは、暗示による精神的な殺人を解明するため、偽の証拠を捏造し真犯人を追い詰める。ひとつ感じたのは、別に捏造、ではなく普通に樋の中から発見したのでは駄目だったのか、ということ。しかも、別に「癌と診断されました」という遺書が残っていて、犯人の誤診が原因であったとしても、殺人罪に問われるかどうかは怪しい。単純に「誤診でした」で逃れるもよし、そもそも自死が明らかであれば、本当に癌だったのかを調べる理由が無い(たぶんプラウティー医師なら調べたと思うが)。

 一方で、上記の結末だったら間違いなく面白くなかったはず。エラリーの頭脳を持ってしても、論理的な解決方法で犯人を名指しできなかった稀有な例として語り継がれるのはもちろん、探偵と犯人という両極の対決の中で、最終的な勝負では勝っていても試合で負けているかのような絶妙な関係性が峻烈で苛酷な印象を残す。探偵と犯人の関係性について苦悩した作品は多々あれど、本作のようなプロセスを経て行動に移した探偵が他にいただろうか。もちろんエラリー自身も、過去作で同様の苦悩があったが、ここまで振り切った選択を取りはしなかった。寧ろ、某作の経験がエラリーに厳しい決断を迫る遠因になったのかもしれない

 

 

 

 

 

  ネタバレ終わり

 個人的な印象としては、今まで知性溢れる洒落た名探偵止まりだったエラリー・クイーンが、ガツンと壁を打ち破り(良い方向かどうかはわかんないですけど)成長し始めた。本書はそんな作品だとも思いました。

 エラリーのキャラクターの方向転換だけで言えば、短編集『エラリー・クイーンの冒険』辺りからあったのかもしれませんが、これからも“成長する探偵”としてのエラリー・クイーンにも注目して読んでいきたいです。

では!

 

ニッポン樫鳥の謎 (創元推理文庫 104-14)

ニッポン樫鳥の謎 (創元推理文庫 104-14)

 

 

 

『死体は散歩する』クレイグ・ライス【感想】本そのものに酔う

1940年発表 弁護士J.J.マローン2 小鷹信光訳 創元推理文庫発行

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 感想は、読書メーターに投稿した短文を転載するのみで事足りるかもしれない。

1940年に発表された弁護士J.J.マローン第2作は、酔っ払いの酔っ払いによる酔っ払いのための推理小説。全編通してどたばたとした、コメディタッチな作風ではあるが、それも全て「お酒」のせい。常に登場人物たちはアルコールを摂取し続け、それは警察官であっても同様だ。全員がほろ酔い(泥酔)状態の所為か、クサい台詞だってスラスラ言えてしまうし、シラフ状態の人間では理解できない人知を超えた力で事件を掻き回してしまう。当然だが読者もシラフではいけない。ジンのボトル片手に頭のネジが緩んだ状態で読むのが吉。

 

 家では本書を読むのを口実に、だいぶとお酒を飲ませてもらった。心より感謝。

 たしかにアルコールミステリと言っても良いくらい登場人物ほぼ全員がひっきりなしにお酒をがぶ飲みするのだが、オープニングはと言うと、かなりムーディな雰囲気で始まる。というか、このムーディでありながらサスペンスフルでゾクゾクする感覚は第1章でしか味わえず、その後は跡形も無く消えるのでじっくり反芻して欲しい。

 主人公の一人ジェイクがお酒を浴びたくなるのも頷ける程、その後の彼の受難が凄まじい。専属契約しているスター歌手に降りかかる火の粉を払いながら、ビッグな契約も勝ち取り、愛する女性と結婚しなければならない、という過酷なミッションが待っている。

 

 肝心のミステリ部分はと言うと、タイトルどおり死体が散歩したとしか思えないような不可思議な謎が魅力的だが、それに付随して起こる脅迫事件、連続殺人、放火事件が輪をかけて混乱させる。似たようなドタバタとしたファース味満載のカー作品(『盲目の理髪師』『パンチとジュディ』など)を読んでいたので、ある程度事件の構図や経緯は描き易かった。しかし、その予想全てを覆す、驚愕の真実を突き付けられることになる。何百とミステリを読んできて、あれほど全てを疑わなくてはならないと学んだはずなのに、こうも毎回簡単に騙されてしまうのは何なのだろうか。

 本作においては、一つに作者クレイグ・ライスの色っぽい筆致にあると思っている。スター歌手ネルの甘美な歌声や蠱惑的な眼差しのせいなのか、それともジェイクの固執的なヘレンとの結婚願望のせいか、真っ直ぐにこう!と決めたことや与えられた情報や手掛かりをこちらも同調して妄信してしまい、真相にたどり着けなかったのかもしれない。作中で唯一冷静沈着な弁護士J.J.マローンが、幾度となく軌道修正をしてくれていたのだが……。

 

 最終章で描かれる登場人物たちのその後もまた堪らない。ロマンチックという言葉が陳腐に聞こえるほど、淡く切なくそして残酷なラスト。そうだ、俺は酒に酔っていたんじゃない、この本と台詞に酔っていたのだ。眼前に立ちはだかる障壁から目を背け、心の傷の痛みを麻痺させるため、ただそれだけのために。

 

 冒頭ではあたかも「酔っ払い」ミステリかのような紹介をしてしまったが、前作『時計は三時に止まる』以上に高まったマローン&ジェイク&ヘレンのトリオものとしての質と、味わい深いフーダニットだけでも読む価値がある。映画やテレビの普及により今ではすっかり衰退してしまったが、ラジオショー界のリアルが描かれる作品としても特異な作品だ。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

 

 簡単に「それ出してみろ」と言われて、この雰囲気が出るもんじゃない。 

 まるで歩いて散歩にでも行ったかのように動き回る死体にクスクスが止まらない。現代ならば都会の至る所に監視カメラがあり、実現が不可能に近い状況設定なだけに、この設定の妙味だけでも体験する価値がある。

 

 正統な推理で行けば、犯人はネルをスキャンダルから守るために暗躍したと考えられる。ここで浮かんでくるのは、愛人のベイビーとラジオ部門の責任者ジョン。しかし、契約相手のギヴァスが殺害されてしまうと、動機の点から容疑者とは思えなくなってくる。そしてジョンも死んでしまった。

 脅迫の元締めだったポールと金蔓のギヴァス、そしてネルとの独占契約を目論んでいたジョン、と全てにネルが関係しているのは間違いがない。ジョンとポールだけ死んでいたのだったら、ベイビーかもしくはその他の彼女に恋する男性だと思うのだが……。いつも女を追っかけているルー・シルヴァーという候補もあるか?やはりギヴァスだけがわからない、降参。

 

推理

(裏をかいて)ルー・シルヴァー?

真相

ヘンリー・ギブソン・ギフォード(トゥーツ)

 

 恥ずかしい。普通にハズして恥ずかしい。

 ネルとトゥーツの間にある愛に見向きもしなかった。なんとなく、ネルの性格と億万長者のトゥーツが結びつかなかったからなのかもしれない。

 よくよく考えてみると、トゥーツ初登場シーンからして怪しさ満点だ。

 ジェイクの第一印象は

これまであった中でいちばん魅力的で知識も豊富な人物

-頁68

なのに、誰か見知らぬ男たちにスパイされているという妄想や、自宅に馬を飼っているという幻覚まで見ているらしい。

 その後のマローンの穿鑿も意味深だった。

トゥーツの幻覚がどんなふうに始まったのか聞かせてくれないか。原因を知りたいんだ。

-頁72

(ネルが、医者に「二、三日安静にしていれば治る」と言われた、と聞いて)医者が、治ると言ったのか?

-頁72

  さらに、ネルに対してのマローンの尋問がまた巧妙なのだ。マーチを殺したいと思っていた人物は?という質問の後、ネルは「彼を知っている人全員」そしてマーチの情報について「かつてあたし(ネル)がその一部だった」ことだけを挙げた(頁76)。つまり、この時点で、マーチが殺された要因はネルと関係があったから=ネルを守ろうとした人物が犯人なのは明白だ。

 しかも、この記述の後、ヘレンとジェイクは勝手に作戦を立てて、勝手に盛り上がるのだが、マローンはと言えば一言も発しないのだ。要するに、折角マローンが正しい手がかりとヒントを与えてくれているのに、そのミスディレクションとして読者をたばかろうとしているのがヘレンとジェイクに他ならない。

 最初から二対一なのだから、読者に分が無いのは仕方ないとして、クレイグ・ライスが、レギュラーキャラクターそのものをレッドへリングとして用いるという特殊な手法駆使していたと知れただけで、良い経験になった。次のマローンものからはもっと注意して読み進めたい。

 

  ネタバレ終わり

 

 

 

 思い返せば、酔っ払いの~なんちゃらかんちゃらは、本当失礼でした。読者である自分が勝手に酔って、勝手に転がされていただけです。だって、読後感はめちゃくちゃスッキリしていて、晴れやかなんだもの。

 創元推理文庫版マローンものの表紙の多くは、イラストレーター・佐々木悟郎氏によるものなんですが、じんわりと滲む水彩の温かみと懐かしさに加えてセピア調の色彩がハードボイルドぽさも演出していて、めちゃくちゃ作品の雰囲気に合致しています。大好きです。

 

 お酒はただ酔うためにあるんじゃない。様々なスピリッツ同士を混合し、複雑な製法過程を経て生まれる幻惑的なカクテルと同様に、科学と技巧が詰まった芸術作品として『死体は散歩する』はお勧めできます。

 大丈夫、今日も酔ってる。

では!

 

死体は散歩する (創元推理文庫)

死体は散歩する (創元推理文庫)

  • 作者:クレイグ ライス
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 1989/12
  • メディア: 文庫