『ニュー・イン三十一番の謎』オースティン・フリーマン【感想】幻のソーンダイク博士第一長編

1912年発表 ソーンダイク博士3 福森典子訳 論創海外ミステリ発行

 

 タイトルで「第一長編」としたのには理由があるが、その理由については、定期的に購読している、渕上氏による海外クラシック・ミステリ探訪記の該当記事「31 New Innはソーンダイク博士の初登場作なのか?」をご覧いただきたい。

 

 存在したとされている幻のオリジナル版「31 New Inn」と本書の差が何なのかは予想もできないし、下手すればソーンダイク博士とジャービスが登場していたのかすらわからない。それでもなお本書を是非ともオススメしたい理由は、本書の中身そのものにある(普通はそうだ)。

 前述の渕上氏の記事によると、幻のオリジナル版「31 New Inn」が書かれたのは1905年。その2年後の1907年、ソーンダイク博士シリーズ第一作『赤い拇指紋』で作者フリーマンは推理小説作家として本格的に始動する。しかし、謎と解決を中心に据えたミステリとして書いた初めての作品は本書だったのだ。

 

 「デビュー作には作家の全てがある」が誰の言葉かは知らないが、幻のデビュー作である本書にはオースティン・フリーマンの全てが詰まっているに違いない。その熱い思いは、本書の序文に既に現れている。

 簡単に要約すると、出来事や捜査法の完全なリアリズムこそ、探偵小説を面白くする必須要素であり、それを証明するために作者フリーマン自らが実地で考案した測量法が本書の捜査に用いられているらしい。この宣誓は本書の2~3章で存分に達せられている。

 序文の隙間では、自身の著書も紹介するなど商魂逞しいフリーマンにニヤりとさせられるが、もう一つ注目したい点は、本書の舞台“ニュー・イン”が実際に存在した場所だったということ。そして、今は取り壊され、面影のみが幻のように漂う“ニュー・イン”の裏門のスケッチが描かれているところだ。

 この序文の数頁を擦るだけで、瞬く間に物語の中に吸い込まれた。聞いたことも無いビッグベンの鐘の音が聞こえたような気になり、ジャーヴィスの診察室にある書き物机の上で、カリカリと音を立てる鉛筆のこそばゆい振動が伝わってくるようだった。まさに海外ミステリを通して異国に旅をする感覚、というものがひしと感じられる作品になっている。

 

 なので序盤のたった数章を読むだけで大満足。クラシック・ミステリに自分が魅かれる理由とは何か。日常生活に足りない/得られない何を欲しているのか。それは『赤い拇指紋』や『オシリスの眼』や『ニュー・イン三十一番の謎』の中にある。19世紀末の電力事情・交通機関・情報通信技術など目まぐるしく進化を続ける激動のロンドン。その後勃発する世界大戦という歴史変動の中心地のひとつであった欧米。近代化してゆく社会の裏地にあしらわれた、伝統を守りクラシックを愛でる精神。その全てが内包されている。

 

 

 さてさて、ミステリ部分がお留守になってきたので、そちらも少し。

 冒頭から魅力的な謎のオンパレード。患者の謎に始まり、家の謎、症状の謎、家主の謎、そして遺言状の謎。実を言うと、それらの謎と謎を結び合わせるのはそこまで難業ではない。作者フリーマンのフェアプレイを遵守する姿勢からもわかるように、全ての出来事には完全なリアリズムと符合性があり、叙述的な仕掛けが主役になることはない。

 しかし、ちりばめられた謎の粒を辿り結んでいくと、どんどんまた違った種類の謎が顔を出す。楔形文字の謎やガラスの欠片の謎がそれだ。まるで科学の実験に使うシャーレに乗せられるかのごとく謎にはラベルが貼られ整列させられてゆく。

 ここでも探偵役のソーンダイク博士はジャーヴィスに語り掛けながら、私たち読者にも正々堂々と忠告を与えてくれる。どこそこを見なさい、とかだれそれの供述を見返しなさいと。しかし、その繋がりがわからない。ゲームの慣習による一足飛びの安直な推理に頼ることなく、物証や事実のみを根拠にした論理的な推理ができない。こんなにも近くに、また手に取るように証拠の数々を眺めているのに適切な解が求められない。それでもソーンダイクには全て視えているらしいのだ。

 この「手がかり配置」と「焦らし」のリフレインが何とも言えない快感をもたらしてくれる。これは、完璧なパズルミステリを目指し、フェアプレイに重きを置いたクイーンの作風とも被るところがある。一方で、犯人の特性や犯罪そのものの傾向はホームズ時代の古めかしさがある。つまり、本書を始めとするフリーマンの初期作品で既に、黄金時代と遜色ないハイレベルのミステリが生み出されていたことにはならないだろうか。

 解決編では、セイヤーズばりのユーモアのテクニックとセンスのある台詞が炸裂しているし、ポワロヘイスティングズの関係性は、ホームズ&ワトスンというよりもソーンダイク&ジャーヴィスの方が似通って見える。カーが生み出したH・M卿の医者兼弁護士という肩書すら、ソーンダイク博士と結びつけたくなってくるくらいだ。

 

 誰もが真似をしたくなる、自然と影響を受けてしまう、そんなミステリが1900年代初頭に既に存在していた。そう考えると、やはりオースティン・フリーマンは恐ろしい……いや、素晴らしい。

 その素晴らしさが浸透してきたのだろうか。2020年の春以降、ソーンダイク博士ものの中短編集の全集が発行されると聞く。まだまだ未訳の長編もあるようなので、どんどんどんどん邦訳化していただきたい。その都度、フリーマンの良さを布教してゆくつもりだ。

では!

※今日は≪推理過程≫はお休み。

 

ニュー・イン三十一番の謎 (論創海外ミステリ225)

ニュー・イン三十一番の謎 (論創海外ミステリ225)

 

 



『ヴォスパー号の喪失(遭難)』F.W.クロフツ【感想】地道さが奏功したりしなかったり

1936年発表 フレンチ警部14 訳 ハヤカワ・ポケット・ミステリ発行

 

 本書はフレンチ警部シリーズの中でも、かなり入手難易度の高い一冊。早川書房によってポケミス版(昭和32年)と文庫版(昭和56年)で発行されて以来復刊も無く、特に文庫版はAmazonのマケプレで6,000円以上もの値が付く稀覯本となっています。まあ、めちゃくちゃ人気だから手に入らないって言うよりかは、単純に刷数が少なかった(人気が出なかった)んじゃないの……とは思いますけどね。とは言っても、これは20年以上も前の状況ですから、クロフツ作品復刊の流れが進む今なら、自信を持ってオススメできるはず!

 

 開幕から面白いエピソードがあるのであらすじは省略します。タイトルどおり「ヴォスパー号」に訪れる危機が発端となっていますが、このヴォスパー号、(無意味な伏字ココから)(ココまで)なんですよ。自分が持っているのはポケミス版なのでタイトルが「ヴォスパー号の喪失」となっていて、ヴォスパー号が何なのか推測できる情報があまりありませんでした。なんとか号と聞くと、やっぱりホームズの白銀号(『白銀号事件』(1893))を思い出されますが、こっちの喪失エピソードの方が断然ドラマチック

 本作で用いられる大道具自体は、クロフツの過去の作品でも度々登場するものなのですが、時代背景や登場機関との繋がりなどの構成には、強い説得力とリアリティがあるため、のちに起こる大事件への導入としては満点。フレンチ警部ものの犯罪小説群の中でも特に優れた部類に入る根拠になっています。

 

 犯罪小説を愉しめるかどうかの大事なポイントは、魅力的な事件かどうか、とその解決のための手法(プロセス)だと考えています。その点、本書の事件自体は、魅力的なのかどうかすら読者に把握させない五里霧中ぶりが異彩を放っています。

 今までのクロフツ作品だと、読者が探偵役を一歩先んじることもしばしばありましたが、本書においては、読者とフレンチ警部の推理は横一線。着実ではあるものの遅々とした捜査進捗も輪をかけて停滞感を高めています。

 自分の場合は、どっぷりクロフツ沼にハマっているので「たまんねえ」となるわけですが、クロフツ愛が無ければここらへんの退屈さがかなりキツいかもしれません。

 

 一方で犯人が計画した悪質な犯罪自体は秀逸と言えますし、犯罪計画を隠し、実現のため張り巡らされた予備計画も綿密そのもの。クロフツのアイデアマンとしての高い能力を感じることができるでしょう。

 あと、贔屓目にみると作中ののろのろとした時間の進み具合がむしろ奏功しているような気がしています。後半に入ってようやく明らかになる一つの事実は、順当な展開とはいえ、タメられた時間の分だけより一層悲劇的に感じます。これがクロフツの思惑通りだとすると案外侮れません。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

 爆発の度にダメージが蓄積し、沈没へ向けたカウントダウンが進んでゆくヴォスパー号の描写がとにかく悲しく、そしてスリリング。

 

 船を沈没させる、もしくは乗組員の誰かを葬るためだけなら、一度の大爆発で事足りるので、目的は船にかけられていた保険金だろうか。作中でもその筋で話が進められるので、たぶん違う。クロフツは話の前提から罠を仕掛けてくる傾向がある。

 

 フレンチ警部の知人として私立探偵サットンが登場したのは驚き。これはウェリス警部やタナー警部と同様に、フレンチ警部との共同戦線決定か!?と思いきや、サットンが失踪。

 彼の実直で誠実なキャラクターを考えると、まず間違いなく事件に巻き込まれたのだろう。悲しい。

 

 推理に戻ると、サットンが失踪前に注目していたのは、船そのものではなく積み荷の経路だった。中でも登場人物一覧にも載っており、フレンチ警部の尋問も受けた、ウィーバー・バニスター工業会社の関係者で犯人は決まりだろう。

 

推理 

ドーンフォードヒスロップ(本命)

 

 そうですよね、もちろんヴォスパー号に積んだ運送会社の関係者も共犯に入れておかなければなりませんでした。ヒスロップについては、サットンを目撃した最後の人物なので最初っからずっと最有力容疑者でした。

 

 本書の中で何よりも面白いのは、やはり事件の特性でしょう。船を沈没させる真の目的が、保険金を詐取するためではなく、積み荷の横領を隠すためだったとは普通に驚かされました。

 

 欲を言えば、サットンを生かして夫人の元に返して欲しかったな、というのが本音ですが、彼が死ぬことによって、企業犯罪・個人による詐欺犯罪ではなく、社会派ミステリの側面も持った組織的犯罪に昇華している感があるのも事実。

 本書と似たような要素が盛り込まれ、プラス冒険小説風の味付けが利いた作品に『フレンチ警部と紫色の鎌』(1929)がありますが、本作の方がずっしりどっしりとしたフレンチ警部らしさが味わえるので断然オススメです。

 

 問題は、やっぱりクロフツ流捜査の地道さに伴うスピード感の無さ。摩訶不思議な謎(事件)ではあるのに、推理ゲームとしてのミステリ路線に乗らず、お約束的な仕掛けが全く無いので、つまらないと思う人はとことん苦痛。クロフツの作品ではよくある特性なのにも関わらず、本書の事件の引っ張り具合はちょっと異常かもしれません。

 

 

 

 

    ネタバレ終わり

 問題は(本書を読みたい、と思う人にとって)冒頭でも述べた通り入手難易度の高さのみ。

 昨今の復刊ブームに乗っかって再版してくれたら嬉しいけど、ハヤカワは難しそうですよね。権利とかどうなってるかわからんけど、ぜひ創元推理文庫でどうでしょうか??私は買いますよ。

では!

 

ヴォスパー号の喪失 (1957年) (世界探偵小説全集) (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

ヴォスパー号の喪失 (1957年) (世界探偵小説全集) (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

  • 作者:F.W.クロフツ
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 1957
  • メディア: 新書
 

 

ヴォスパー号の遭難 (1981年) (ハヤカワ・ミステリ文庫)

ヴォスパー号の遭難 (1981年) (ハヤカワ・ミステリ文庫)

  • 作者:F.W.クロフツ
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 1981/10
  • メディア: 文庫
 

 



 

『ドイル傑作集Ⅰ/ミステリー編』アーサー・コナン・ドイル【感想】ドイル流面白さの凝縮版

1888年~1921年 ノンシリーズ短編集(日本独自) 延原謙訳 新潮文庫発行

 

 本書解説で訳者の延原謙氏が述べておられるとおり、世間一般ではアーサー・コナン・ドイルといえばシャーロック・ホームズ、という印象が強いと思われるし、シャーロック・ホームズを生み出すことで、ミステリ史を開闢した第一人者というイメージが先行するのも仕方ない。

 しかし、Wikipedia等のデータベースをざっと見てもわかるように、シャーロック・ホームズシリーズがわずか60編なのに対し、その他の作品数を合計するとホームズものの3倍以上にもなる。シャーロック・ホームズものの作品の中に、歴史的に価値が高く、今尚“傑作”と賞賛されるべき作品があることには違いないが、もしかすると、コナン・ドイルの才能が遺憾なく発揮されている作品というのはホームズもの以外の中にあるのではないか、とも思う。そして、それを強く感じることができる作品集が本書だ。

 

各話感想

 

『消えた臨急』(1898)

 物体消失系の一編。タイトルのとおり、列車丸ごと消失させてしまうのだから恐れ入る。トリックが多少陳腐でも、大胆な手法には驚かされるだろうし、スキャンダラスな題材とオチにも調和している。スパイものの元祖的作品としても興味深い作品。

 

『甲虫採集家』(1898)

 〈医師を雇いたし、昆虫学者ならばなお可。〉というなんとも不可思議な設定が魅力的な一編。明らかに、ホームズものの名作『赤毛組合』(1891)の系譜を継ぐ摩訶不思議な状況設定を導入に据えた作品だし、ホームズものの他の短編にも似た発展があるなど、特筆すべき点は多くないが、まず医師+昆虫学者という設定を思いついただけでドイルの勝ち

 

『時計だらけの男』(1898)

 登場人物の背負ってきた壮大で過酷な人生をほとんど明かさないまま、こじんまりとした導入で紡ぎ始める。ここに「時計だらけの男」などの印象的なフレーズを絡めてバックグラウンドを造り込んでゆき、物語を一つ完成させてしまう。

 言葉にすると簡単に聞こえるが、ドイルの類まれな創造力とストーリーテリングの巧さを再確認する一編。

 

『漆器の箱』(1899)

 本作のような心に響く作品が書けるドイルはやはり天才。見方や立ち位置が変わればガラリと景色が変わってしまう文学的錯視の手法は、ミステリの根幹であり必須要素だが、本作ではごく自然にそれが用いられている。

 一方、ミステリ的展開はほとんど無い。読者はただただ頁を繰るのみ。

 

『膚黒医師』(1898)

 人種間の軋轢を底本に、殺人事件、ロマンス、法廷描写、と“謎と解決”を全面に押し出した堅実な短編ミステリ時の波を超えることはできないが、探偵を据えずにここまでやれれば及第点。

 

『ユダヤの胸牌』(1899)

 これは面白い。たしかに地味ではあるし、派手さは無い。しかし、用いられるプロップが古代から出土した蒐集品であること、犯罪の独創性の高さを見ると、そんなことはどうでもよくなってくる。

 登場人物の配役を考えると、ホームズとワトスンでも違和感は無いので、ぜひそちらでも読みたかった……さすがにそれは贅沢か。

 

『悪夢の部屋』(1921)

 最&高。もし本作を舞台か何かで上演しているのを見ていたとしたら、間違いなくスタンディングオベーション必至の名作。

 本短編集の中では、時代的(他の短編は1800年代末期)に飛び抜けて新しい作品なので、発表当時は既に新鮮味が薄れていたのかもしれないが、今読んでも確かな驚きと感動を覚えるのは、ドイルの物語を生み出す力の強さに起因しているに違いない。

 

『五十年後』(1888)

 初出時は『ジョン・ハクスフォードの空白』という題名で発表され、書き出しもバタフライエフェクトを連想させるまるでSFかのようなオープニング。まったく話の展開が読めない作品ではある。

 しかし、少し読み進めるだけで没入感が強い。人間の持つ感情全てに訴えかけてくるかのような物語にただただ脱帽。喜怒哀楽全てを曝け出して迎える結末を読んだ時、全身が痺れるような感覚を味わった。

 

 実は本作には逸話があり、ドイルが当時の編集者に投稿した際、同時期に送ったあの『緋色の研究』が蹴られたのに対し、本作の掲載は通ったらしい。当時の時流や風俗とは違えど、約130年経った日本でもこれだけ心が動かされるのはシンプルに凄い作品なのだ。

 

 

おわりに

 「ミステリー編」と銘打たれてはいるものの、中には謎を解決させるつもりの無い作品もチラホラ。しかし、中には是非ともホームズとワトスンに出張ってもらい解決して欲しい短編もある。

 一方で、作中の登場人物自ら語り手を務め進行する形ならではの空気感があるのも事実なので、なんとも歯痒いところ。

 

 

 本書ベストは『悪夢の部屋』と『五十年後』この二編を読んで「ホームズシリーズを読破しただけでアーサー・コナン・ドイルのことをわかったつもりになっていた」自分を心底恥ずかしく思った。

 

 手元には新潮文庫から発行された『海洋編』や『冒険編』、またSFもののチャレンジャー教授シリーズや歴史物のジェラール准将シリーズがある。もっとドイルの世界を理解するためにも引き続き読み込みたい。そして、良さをもっと発信したい。そう発起させる一作だった。

では!

 

ドイル傑作集 1 ミステリー編 (新潮文庫 (ト-3-11))

ドイル傑作集 1 ミステリー編 (新潮文庫 (ト-3-11))

 

 

『緑のカプセルの謎』ジョン・ディクスン・カー【感想】二打席連続ホームラン

1939年発表 ギデオン・フェル博士10 三角和代訳 創元推理文庫発行

 

 ギデオン・フェル博士シリーズ第10作は、摩訶不思議な毒殺事件がテーマの優れたフー&ハウダニットミステリ。前作『曲がった蝶番』(1938)を“ホームラン級”と称しましたが、二打席連続のホームランとなりそうです。

 

 イタリアのポンペイ遺跡内“毒殺者の間”と呼ばれる館跡地から物語は始まります。そこで集まる人々の間に異様な空気が漂っているのは、彼らの村で起きた毒入りチョコレート事件のせいでした。村の実業家チェズニーは、毒殺事件の謎を解明するために自らが考案した心理学の実験を企画するのですが……。

 

 上記あらすじでもわかるように、某名作を思い出すかのような“毒入りチョコレート事件”と、チェズニーの実施する心理学の実験が見どころです。“毒入りチョコレート事件”の方は、子どもを対象にした俗悪で無差別的な趣向もあって、犯人の気味の悪さが興味をそそられます。

 また副題「心理学的殺人事件」の名のとおり、心理学的な実験そのものが、本書の発端、手がかり、そして解決編など、物語全ての軸になっている点も見逃せません。この心理学的実験で提示される十の問いかけと、容疑者たちの告白にも似たそれぞれの回答には、カーらしいアレンジが加えられ、本書最大の見どころになっていると同時に、カーの作品の中でも群を抜いて注目すべき演出で盛り込まれています。

 何をおいてもこの心理学的実験が中心にドンと構えており、章立てでもわかるように、限定的な状況が鉄壁のアリバイになったり、ミステリの虚をつく作者の玩具になったり、と千変万化し物語を搔き乱します。

 

 もう一つ書いておかなければいけないのは、フェル博士による“密室講義(『三つの棺』)”ならぬ“毒殺講義”です。実在の高名な毒殺者たちを名指しし、彼らの傾向を細かに分析することで、本書の狡猾な犯人のプロファイリングを行っていきます。これは、事件解決のための大事なプロセスになっているのはもちろん、稀代の毒殺者たちのエピソードそのものに面白さがあり、作者カーの愛にも似た拘りが詰まった記述なので、この部分を読むためだけでも本書を手に取る価値があると思います。

 

 そして待ち受ける驚愕のラスト。ここで再び心理学的実験が持ち出され、有無を言わせない決定的な証拠をもって犯人が指摘されます。これだけ天才的な犯罪を想像したのにもかかわらず、幕引きは意外にあっさりというか肩透かしなところがあるのが、逆にリアリティがあるように感じられるのは気のせいでしょうか。少なくともカーの毒殺者への研究結果が反映されたオチなのでしょう。

 一か所だけ中弛みというか、不必要かなと思う挿話があることを除いて、副題が意味する「心理学者の殺人事件」の名に恥じない傑作長編です。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

 

 毒殺トリックの部分はいったんスルー。というか前半で早々に手品めいた毒殺トリックは明かされる。

 大事なのは、心理学的実験中に鉄壁だと思われる主要人物3名の相互補完されたアリバイ。

 ここで少し穿った見方をしてしまったのだが、第9章に

三名の証言のあいだにはいかなるたぐいの共謀もなかった(中略)このうちふたりが結託しているということもない

という作者の原注があるのは、「一人は嘘をついている」ということを指してはいまいか?

 そして、実験中に外に出て犯行を犯せそうな人物といえば、一番フランス窓に近かったハーディングが怪しく見えてくる。しかし、ハーディングのアリバイは、暗闇だったとはいえイングラム教授に保証されている。エメットが殺されたのは、やはり共犯だったからか?

 うーん、実験の全容(とマーカスの意図)が全く見えないので、推理のしようがない。

 

推理

ジョージ・ハーディング(遺産絡み?) 

 

 まあ犯人と動機だけは当たってはいましたけど、プロセスは壊滅的。めっちゃ凄いですねこれ。

 冷静に、論理的に考えてみると、ここまで手の込んだ犯罪を計画する意味はあまり感じられないのですが、ゲーム的なミステリとして考えると、本書ほど巧いミステリは中々見当たりません。

 一番は心理学的実験の効果です。殺人事件に関してのみ言えば、犯人をお膳立てしてしまう悲劇的な結果となった実験ですが、その実験を経て問われるマーカスによる十の質問が、犯人を指摘する最大の手がかりになっているというプロットは鮮やかです。

 また、時計の秒針を用いた心理的誤認のマジックや、決定的な証拠になり得る映像そのものの偽装など、トリックとプロットががっちりフィットし完璧に馴染んでいる点も素晴らしいと言えます。

 

 一点だけ、ブーイングが聞こえてきそうなアンフェア気味な記述

そしてこう言わねばならんのは残念なくらいだが、ハーディングも関係ない。(頁245)

についてだけ。

 こう言わねばならんのは残念、というフレーズだけでフェアプレイを満たそうとするのはさすがに無理があると思われます。前後にメイドたちが穿鑿している描写もほとんどなく、フェル博士の言い訳(頁322)はやはり苦しい、と言わざるを得ません。

 

 

 

 

  ネタバレ終わり

 フェアプレイ的にギリギリアウトな記述を除くと、ミステリにおける舞台設定と、謎と解決に至るプロット、核となるトリック全てにカーの全力が注がれた、素晴らしいミステリに仕上がっています。

 本書は、ギデオン・フェル博士シリーズの中の作品ですが、今まで発表された作品とのつながりは薄いので、本書単体で読むことも可能です。また、2016年に新訳で発表されており、まだまだ書店で見かける機会も多いので、ぜひこの機会に〈不可能犯罪の巨匠〉カーの毒殺を扱う鮮やかな手並みを堪能してみてください。

では!

 

 

緑のカプセルの謎【新訳版】 (創元推理文庫)

緑のカプセルの謎【新訳版】 (創元推理文庫)

 

 



『メインテーマは殺人』アンソニー・ホロヴィッツ【ネタバレなし感想】100年先も読まれ続ける等身大の超傑作

2017年発表 山田蘭訳 創元推理文庫発行

 

 

 2018年の海外ミステリランキングを全て制覇した『カササギ殺人事件』からわずか1年。またもやアンソニー・ホロヴィッツは怪物を世に解き放った。今度は、作者アンソニー・ホロヴィッツ自らがワトスン役(語り手)を担い、シャーロック・ホームズを彷彿とさせる探偵ホーソーンとタッグを組んで難事件に挑む。

 

粗あらすじ

老婦人が自身の葬儀を依頼した、まさにその日に殺された。非公式な立場で捜査に介入する元刑事ホーソーンは、親交のあった作家アンソニー・ホロヴィッツに、本件の作品化を依頼する。いかにも推理小説映えしそうな魅力的な題材に興味を魅かれ協力を始めるアンソニーだったが、一匹狼で他人と慣れ合わなず偏屈で傲慢で無遠慮なホーソーンとは中々そりが合わず捜査も本作りも難航してしまう。はたして、老婦人は何故その日に死ななければならなかったのか、そして本は無事完成するのか。

 

 

 『カササギ殺人事件』ではクリスティの再誕、そして『絹の家』ではシャーロック・ホームズの正当な後継者のお墨付きをもらい、今最も輝いている海外ミステリ作家と言っても良いアンソニー・ホロヴィッツ。そんな作者がこの度満を持して送り込んできた新シリーズの一作目、ということで否が応でも期待値は上がった。しかし、そんな世間の目も他所に、ホロヴィッツはいたって等身大のミステリを投げてくる。

 ミステリを生み出すにあたって、この「等身大の」というのがものすごく難しいことなのではないかと思っている。100年以上もの歴史を誇るミステリにおいて、数多のマニアたちを唸らせるミステリを書く場合、どうしても、読者の思考レベルの範疇を超えた、珍しくて、突拍子もなく、斬新なものを探したくなるのではないか。古典ミステリを読んでも、1900年代でさえ、当時最新の科学技術や毒物、舞台装置や移動手段等をミステリに絡めた作家は数知れず。むしろ、時代の移り変わりや進歩を作中に取り込み易いジャンルの最たるものがミステリだとも思っているので、ここに何の文句もないが、それでも、既存のものだけを用いてミステリを生み出すのは、現代ではかなり困難な所業だろう。それを本作では堂々と、また、フェアプレイを完全に意識した上で遵守しながらも遊び心も忍ばせつつ、論理的にも美しく完璧に仕上げてしまっている。文句無しの傑作、今年読んだ海外ミステリでもダントツの出来だ。

 

 ここまで抽象的なことしか言っていないので、ここからは「等身大の」というワードを中心にもう少し物語に踏み込んで書いてみたい。

 

語り手=作家

 本作でアンソニー・ホロヴィッツは、語り手としてではなく、作家アンソニー・ホロヴィッツとしての顔を見せてくれる。作家人生の変遷から、現在進行中の企画、家族構成や担当編集者との付き合い、また自身の担当したドラマや書籍の裏話まで(どこまで本当かはわからないが)赤裸々に披露してくれる。

 本作がこの手法を最大限かつ効果的にミステリに用いていることは言うまでもない。ひとつには、虚実の境目が限りなく曖昧になる点。

 普通あまりにリアルすぎるミステリを書くときには、大抵第一章が始まる前に「この物語はフィクションです」という注釈があることが多いが、本作にはそれがない。(リアル志向のF.W.クロフツの作品にはよくある)とはいえ、見過ごせない超有名な固有名詞や実在の作品がどしどし登場するので、読者は「え?これマジなの?どっち?」と毎回頭を悩ませることになるのだ。

 単純に推理パートは全てフィクションだろう。しかし、ホロヴィッツの書きぶりを体感すると簡単にそうは思えない。

 例えば、警察組織の内情を語る場面があったとする。ホロヴィッツは、ある場面では作家ホロヴィッツとしてドラマ脚本をブラッシュアップするための部材として/小噺の一つとしてその情報を読者に提供してくれる。一方で、元刑事ホーソーン周囲を描く場合には、警察の話とはいえ、ミステリにおけるミスディレクションにもなりそうな(気配がある)のだ。こうなると、同じように事実に見えていても、どこに仕掛けが施されているのか、全く推理できない。このような場面が多々あるのだ。作家と語り手の双方の役割を忠実かつ均等にこなしつつ、ここには全くムラがない。

 

語り手=作者

 もう一つ忘れてはいけないのが、作者ホロヴィッツが自ら語り手を担っている点。どんなミステリでも、語り手は信頼できないものである。作中で、語り手は都合の良い手がかりしか見ず、読者にとって都合の悪い手がかりは全て見落とすのが常だ。しかし、此度のホロヴィッツは、全てを見落とさない。語り手として一級品であるだけでなく、作者としても一切フェアプレイ精神を書くことはない。読者を恣意的にミスリードする過度な誇張や虚飾がないという意味でも等身大、本格ミステリのあるべき姿を体現している。

 もちろん、作者が語り手だからこそできる芸当もしっかり用意されている。これはオチまで抜け目なく整備されている。

 

 

 

 最後に、「等身大」とは関係がないが、どうしても古典ミステリとの対比にも思いを巡らしたい。

 手がかりの配置方法や細やかさ、行き届いた配慮は間違いなくエラリー・クイーンを思い出させる。自身の職業を生き生きとリアリティ溢れる筆致で描くさまはF.W.クロフツだろうし、作者が語り手、で言うと間違いなくS・S・ヴァン・ダインのオマージュになる。もちろん人間関係の綾を解き解す精妙な手法はクリスティのそれに近い完成度を誇るし、鮮烈でグロテスクにも感じる死の描写はカーに通じるものもあるかもしれない。探偵と語り手の関係は言わずもがなだろう。

 これは、良いとこどり、という意味では決してない。作者ホロヴィッツがわざわざ意識して書いたようにも感じないが、それにもかかわらず、ここまで名だたる推理作家たちの影を感じてしまうのはなぜだろうか。

 

 これはあくまでも個人的な体感だが、本書の特殊な手法でもある「作者=語り手=作家」が大きく影響しているように感じる。

 作中ではホロヴィッツは、作品を生み出すときの葛藤や挫折、作品の成功とそれによって得られる栄誉、また作家自身のプライベートを明かしてくれる。それらを読むとき、もしかするとクイーンやカーやクロフツも同様だったのかもしれないと感じずにはいられない。ホームズを生み出し、そして殺したくもなったアーサー・コナン・ドイルの苦悩や、6作しか優れたミステリは書けないと言いながらも12作書くはめになったヴァン・ダインの憂鬱が、作者ホロヴィッツの心情吐露の描写をとおしてほんの少しわかった気がする。等身大の一人の人間の姿を本を通して垣間見ることは、まるで往年の伝説たちの生き様までも写してくれているようで感慨深いものがあった。

 

 

 本国イギリスでは、すでに本シリーズの第二作が刊行済み、と聞く。

 本書には特段物珍しさはなかった。白眉のトリックがあるわけでもない。しかし、作者ホロヴィッツの、手がかりや物語をバラバラに分解し、再構築し、一つの画を創り上げる技量の高さは、まさにホームズ級。つまり、間違いなく後世に100年を超えて伝わるであろう大作家だ。ぜひとも東京創元社には、これからもどんどん邦訳化を進めてもらいたい。

 

では!

 

メインテーマは殺人 (創元推理文庫)

メインテーマは殺人 (創元推理文庫)

 

 

 

『死が最後にやってくる』アガサ・クリスティ【感想】女王にナメられている

1945年発表 歴史ミステリ? 加島祥造訳 ハヤカワ文庫発行

 

 一つ言えるのは、古代エジプトミステリ……ではない、ということ。

本書の事件は紀元前二千年頃のエジプト、ナイルの河畔にあるシーブズ(古代エジプトの都市でいまのルクソール)で起こります。といっても場所も年代も物語自体にとっては付随的なもので、どこの場所でいつ起こったとしても構わないものです。

引用:ハヤカワ書房 加島祥造訳『死が最後にやってくる』

 

 これは、本書冒頭に書かれた「作者のことば」からの抜粋です。

 この「ことば」どおり、本書の舞台は古代エジプトですが、物語はいつものTHE・クリスティ風の味付けです。だから、本書に摩訶不思議な古代エジプトの秘術や儀式、ミイラ、ピラミッドに待ち受ける死の罠なんかを期待するのがお門違いというもの。古代エジプトという魅力的な武器を手にしても、それを必殺の凶器として用いないところには、クリスティの凄味を感じます。

 一見、傲慢にも写る家長イムホテプを中心に、歪で軋みながらも回っていた歯車が、ある妖女の登場でボロボロと崩壊していく様子も、女史のいくつかの長編を思い起こさせます。しかし、この後からが違います。絶対的な法秩序も整備されていない封建的な古代エジプトで、タガが外れたように暴走する冷血な犯人が鮮烈です。それも生まれながらではなく、家族という樽の中で醸成された濃厚な悪意が横溢し爆発する恐怖が、全編に満ちています。

 他人の秘密を暴くことに生き甲斐を見出す身も心も醜い召使い、自身の夫に権利と名誉を相続すべく諍い続ける性根の曲がった女たち、頑固で傲慢で独裁的な家長、まるでこの世が自分を中心に回っているかのように錯覚する不遜な青二才などなど、それこそ現実に相対すると、恐怖を感じるような登場人物の設定は、クリスティにしか創造できないものです。

 そして彼らが生み出す殺人という化学反応は、トリックや怪奇や歴史物にとらわれない柔軟な発想と、人間の性を熟知したクリスティのなせる業。

 

 

 本書の解説で小説家の深堀骨氏は、本書の魅力的な舞台設定を引き合いに出し、こう語っておられます。

仮にエラリー・クイーンが書いたとしたら、その時代にしか成立しないトリックを考え抜き、お得意の言語と論理の遊戯に耽ったろう。ジョン・ディクスン・カーが書いたとしたら、怪奇趣味たっぷりに道具立てに凝りまくり、大時代な活劇に仕立てたろう。F・W・クロフツは書かなかったろう。

 最後の一言には声を出して笑いましたが、完ぺきに的を得ていると思いました。カークイーンがミステリという一大ジャンルに果敢に挑み、正々堂々と真っ向勝負を仕掛けていたのに対し、クリスティは「ミステリ」のその向こう側にいる「読者」に対して仕掛けてきます。

 解説でも「ナメた態度」と揶揄されてますけど、これも案外間違いはなさそう。まぁミステリではなく読者に対して、だと思ってますが。

 本書やポワロものの『愛国殺人』を読むと、ちょっと尖ったことや物珍しいエッセンスを加えるだけで、どんどん本を買ってくれる読者を、暗に皮肉ってるんじゃないか。また、そんなナメた態度でもなお作家として活躍できる現状や、ポワロがもたらしてくれる富と栄光も他人事のように小馬鹿にしていたように感じます。

 そう思い込んで最初の「作者のことば」を読むとまた憎たらしいんですよこれが。

 上記は、あくまでも個人の妄想です。クリスティがどんな思いで書いていようと私たちが何を目当てでミステリを読もうと、「みんな違って、みんな良い」本書もまたシリーズでも無し、個性的な探偵がいるわけでもないので、好きなタイミングと順番で読んだら良いし、逆を言えば読まなくても良い。そんな一作。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

 「作者のことば」で細かく季節のことや代名詞の取り扱いについて語られていたので、どんだけややこしいんだ、と構えていたが、何のことは無い。いつも通り、ドロドロとした人間ドラマが中心のミステリ。

 

 薄氷を踏むごとくギリギリで均衡を保っていた家族が、異国の美女ノフレトの介入で一気に決壊する。案の定、ノフレトは死ぬが、彼女を殺す動機があったのは、息子のヤーモスソベクイピイ。そして彼らの妻サティピイカイト

 ホリとレニセンブのロマンスは全然ミステリに要らないのでここでは除外。

 局外者の立場で問題の家族を眺めるホリの助言は手がかりになりそうだが、容疑者であるソベク、サティピイが死に、ヤーモスの息がかかったであろう少年も死ぬと、犯人はヤーモス一択に。トリックらしいトリックもなく、手がかりは全てヤーモスを指している。

 

推理

ヤーモス

 

 もちろん正解。

 改めて読み返すと、やっぱりいつも通りのクリスティ劇場ですよね。

 実は今、ちょうどクリスティに登場するキャラクターたちを、特徴や属性ごとにまとめる作業をしていまして、クリスティの用いたスターシステムを一覧にしてみようと思っています。

 過去作ももう一度見返さないといけないので少し時間がかかると思いますが、形が成ったタイミングで公開してみるつもりです。何の目的?と聞かれると何の目的もないんですが……。

 

 最後にタイトルについて少しだけ。

 『死が最後にやってくる』と聞くと、誰しもがネガティブな感じ、誰か・何かの死がオチになっていると思い込みますが、些細だけどもコレまたクリスティの罠の一つ。本書のオチはそれのまるっきり反対で、レニセンブがホリに対して「死ぬまで、一緒に生きたい」と願うポジティヴでロマンティックなものでした。

 こんなとこでサプライズしなくてもねえ……。これも真面目に読んだ読者をヒラリと躱すクリスティの心憎い小技なのかもしれません。

 

 

 

 

  ネタバレ終わり

 前半部の感想では色々言いましたが、結論、クリスティがミステリの女王なのは大正義ですし何の異論もありません。

 本書と同年には、超のつく大傑作と言われる『春にして君を離れ』も発表されており、クリスティにナメられた(妄想)仕返しをしようとすると、たぶん痛いしっぺ返しをくらうんでしょう?今から楽しみです。

では!

 

死が最後にやってくる (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

死が最後にやってくる (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

 

 

 

『ギルフォードの犯罪』F.W.クロフツ【感想】等身大で原寸大の身近なミステリ

1935年発表

フレンチ警部13

前作『サウサンプトンの殺人

中山善之訳

創元推理文庫発行

 

 

    宝石商ノーンズ商会の役員会議から始まる本書は、作者F.W.クロフツがアリバイや鉄道に並んで得意とする企業犯罪がテーマの骨太な一作。

 

    関係者の死と大量の貴金属の盗難というたった二つの謎が出揃うまでは、僅か50頁。早々にフレンチ警部が登場し、スピーディーに捜査は進行する。メインの謎はたった二つだが、それらを解明するためにフレンチ警部がとる捜査方法は手が込んでいる。「初動捜査」に始まり「化学分析」「法医学」「アリバイ」と続く章立てを見れば明らかだ。

    もちろんこれだけではない。狡猾な犯人が仕組んだトリックを暴くため、フレンチ警部はありとあらゆる人脈・道具・推理を駆使し真相に迫って行く。

 

    本作は400頁近いボリューミーな長編で、全編にわたってフレンチ警部の停滞感や焦りが滲み出ている。しかし、読者にとっては一つひとつの警察の捜査が面白く、さらには、謎の解明のため着実に前進している、という手ごたえがあるので、頁数ほどのストレスは感じられない。まあここまでフェアだと、犯人当てにも苦労しないので、つまらない、という一面もあるにはあるが……。

 

    また、フレンチ警部と上司や部下との会話には、常にフレンチ警部らしさ/彼の優れた魅力的な人柄が出ており、シリーズものとして/またリアルな警察小説として読む価値は十分あると言える。

   

    しかし、純粋なミステリとして眺めてみると、首を傾げたくなる部分もチラホラ……。

    まず、先述のように警察のリアルな捜査を追体験する警察小説/企業の計画された犯罪を記録する犯罪小説、以外の魅力が乏しいこと。

    これは、クロフツの作品にはよく見られることだから、今更鬼の首をとったように指摘するまでも無いのだが、本書のような系統の作品(『製材所の秘密』『フレンチ警部と紫色の鎌』)と比較しても差があまりない。むしろ、作者クロフツの作家としての熟練や、フレンチ警部の成長物語、準レギュラーたちの友情出演など、シリーズものの楽しみ方を知っている読者意外には、ミステリとしてオススメできる根拠は無い

    同じ企業犯罪をテーマにしていても前作『サウサンプトンの殺人』や次作『ヴォスパー号の遭難(喪失)』の方が格段に上なので、クロフツ愛なくしては読めないのが正直なところ。逆に言えば、クロフツLOVEな私はシンプルに大好き!手放しで面白い!と言える一作だった。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

    淡々と、スピード感を保ったまま物語が進行する。一つ言えるのはスローリーが悪そうな奴ってこと。そのほかは推理も何もねえなあ……。

    被害者のミンターが死ぬ前にこそこそと動いていたのは、替え玉を疑わせるし、スローリー、シーンライドの協力関係が明らかになるとほぼ推理については完成。

 

推理

レジナルド・スローリー

ヘンリー・シーン

ランバート・ライド

 

    うんうん。

    謎解きの面白さは皆無と言っていいが、ミスリードというか、偽ミンターのグラスに付いた指紋の謎はなかなか良くできていると感じる。

    ミスディレクションでもあるノーンの行動には、普通の人間だったらそうするだろう、というリアリティがあるし、真っ正直な人間を、化学分析と心理分析によってシロだと推理する警察諸氏の活躍も見事。

    あと、飛躍した推理や、目撃者だけで推理を組み立てるのではなく、被害者のカラー(襟)についた扮装したライドの指紋という決定的な物的証拠を用意しているのも上手。

    最後の逃走劇はやや弛むが、宝石の隠し場所についての小ネタがあるなど、クロフツがかなり注力して書き上げたことは容易に想像できる。

 

 

 

 

 ネタバレ終わり

    たしかに本書には、アッと驚かされるようなサプライズは無いし、探偵を手玉に取る悪のカリスマがいるわけでもなく、いたって等身大で原寸大の、事件・被害者・犯人・動機、そして解決があるのみ。しかし、その物語を紡ぐ正義を背負った警察官たちと平和を願う市民たちの、生気あるドラマはクロフツ作品の最大の特徴であり魅力でもある。

    自分たちの住む隣町でいつ起きてもおかしくない、リアリティあるミステリなので、「つまらない」とは言わずぜひ手に取って読んで欲しい。

では!

 

ギルフォードの犯罪 (創元推理文庫 106-24)

ギルフォードの犯罪 (創元推理文庫 106-24)

 

 

 

『人形パズル』パットリック・クェンティン【感想】難易度?サプライズ?そんなの関係ねえ!

1944年発表 ピーター・ダルース3 白須清美訳 創元推理文庫発行

 

人形パズル (創元推理文庫)

人形パズル (創元推理文庫)

 

 



    演劇プロデューサーのピーター・ダルースを主人公とする通称パズルシリーズの第3作。前作前々作と傑作続きのシリーズですが、本作の評判はイマイチ……と聞いていました。いやいや誰だよ「イマイチ」みたいな評した人……気のせいかもしれんな。

 

    本作が発表されたのは第二次世界大戦真っただ中の1944年。舞台もアメリカ西海岸のサンフランシスコ。さらに主人公ピーター・ダルースは演劇プロデューサーではなく海軍中尉として登場します。長期間の海上勤務が終わり、ようやく愛する妻との甘い時間を過ごせると思いきや、静養のため訪れたサウナで事件に巻き込まれるのでした。

 

    あらすじのとおり、オーソドックスな巻き込まれ型探偵として活動を始めるピーターですが、その後の展開は全く定石どおりに行きません。良い意味でも悪い意味でも、巻き込まれプラス探偵ではなく、オンリー巻き込まれのまま突っ走るため、事件の捜査が着実に進んでもピーターとアイリスの状況がひとつも好転しないのには苦笑させられます。

    そもそも、素人探偵には荷が重すぎるのも確か。アンコントローラブルな酔っ払いに冷酷な暗殺者という傑出した人物たちを相手に、いち軍人で元演劇プロデューサーのピーターが何かを成し遂げようとするのが無理というものです。一方で、そんな苦境の中でも必死に抗い、死神の魔手を食い止めようとする姿には好感が持てますし、多少他力本願的なところがあるとはいえ、彼の原動力が妻とのスウィートタイム、というのも人間らしい探偵を主役にした本作の魅力です。

 

    もう一つ舐めてかかってはいけないのは、本作の根幹に仕掛けられたある趣向です。これは今までのパズルシリーズにも仕込まれていた要素でもあるのですが、本書ではその傾向が顕著に働いています。そして、前作、前々作に通じてあったサスペンスフルな空気が鳴りを潜め、ファース味が強まったドタバタ喜劇的な作風になっているのも特徴と言えるでしょう。

    戦争状態かつ事件の中枢まで巻き込まれた状況だからこそ生じるドキドキ感があまり感じられないのは、肩透かしですが、オーソドックスな展開の中で芯を外したような変化球的な面白さは間違いなくあります。また、“赤い薔薇”“白い薔薇”といった否が応でも脳内で色付きで再生してしまうような印象的なワードが多用され、それがちゃんとミステリに密接に繋がって無駄になっていないところにも作者の巧さを感じます。

 

    あと、注目したいのは、終盤1章丸ごと費やして書かれたある記述。解説でミステリ評論家の佳多山大地氏が述べられているように「本作の難点」と思われる読者も多いかもしれませんが、ここは否と声を出して言いたい。

 

否!

 

ここらへんはネタバレになりそうなので後半で。

 

    一応パズルシリーズというシリーズものの第3作なので単体でオススメできる代物ではありませんが、第1作『迷走パズル』第2作『俳優パズル』ともに超のつく傑作ミステリだと思っているので、是非とも順番にチャレンジして欲しい作品です。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

    冒頭からアイリスといちゃつきたがるピーターにニンマリ。

    被害者を狙い、ピーターの服を盗んで成りすました「舌足らず※の男」が犯人なのは間違いなさそうだが、はたして本当に「舌足らず」なのか。わざと印象付けているような気もする。

※原文のまま使用しています。

 

    リーナを殺した男が舌足らずでなかったことから、その可能性も高まる。

    そして中盤以降、ムショ帰りのローズ兄弟いう悪漢が、復讐のため3人の女と象の命を狙っていることが明らかになると、犯人は決定的に。

    しかしそれも酔っ払いエマニュエル・キャットの記録頼み。う~む、彼は登場人物一覧にも載っていないし、〈緑のキモノ〉でのアリバイもあるし犯人ではないか。あと、一覧に載っているアナポッパウロスはどう物語に関わってくるのか。

    わからん!!!

    ふつーにローズ兄弟じゃねえの?

 

推理

ローズ兄弟

真相

偽ハッチ&偽ビル 

え、あ、で、ですよね~……(^^;そりゃあそうですよねえ……。

 

 

    何百冊海外ミステリを読んでもそんなの全然関係ないってことですね。他の方のレビューを見ていると「真相がまるわかり」「サプライズが全くない」などかなり真相は見え見えなミステリなようで……自分が全く当てれなかっただけに、ミステリを読む楽しさは十分味わえました。

    ただ、冷静に考えてみると、たしかにサプライズを演出しようと思うと、ハッチとビルにその任を担ってもらうしかないってのは頷けます。

 

    最後に問題の17章について少しだけ。多くの博識な読者は、17章のエマニュエル・キャットの犯罪記録が明かされる前に真相にたどり着いていることでしょう。しかし、再度犯罪記録と偽ハッチ&偽ビルの記述を読み返してみるとあることに気づきます。

    著名な評論家に異論を差し挟むなどおこがましいことですが、解説の中でこの17章は、シャーロック・ホームズの長編作品群に登場する2部構成と比較されています。しかし、該当章は事件のバックグラウンドを描くためではなく、間違いなく謎解きのメインを担うれっきとした解決編です。

    例えば.記録の中では、二人が暗殺したジーノ・フォレッリ(芸名〈紫の薔薇))とローズ兄弟の兄で全ての計画の立案者でもあるブルーノ(芸名〈白い薔薇〉)との軋轢や事件の経緯が書かれますが、ここで登場する色(紫と白)は、物語の冒頭、偽ハッチの初登場シーンで彼が来ていた衣服の色になっており、犯人を暗示させるヒントとなっています。

    また彼らの身体的な特徴(筋骨隆々な体や太く逞しい足)はことあるごとにピーターの目を通して読者に明かされ、ただの私立探偵以上の存在であることが仄めかされていました。(頁26・93)

    このようにやや遠回しではありますが、窮地を救うヒーローとしてピーターに近づき共に行動することで彼を誤った方向に導くことができたのは、ハッチとビルだけだ……ってのに気づきそうなもんなんですけどねえ。

   

    最終盤、実際にピーターとアイリスに道化に化けた本物のローズ兄弟(道化メイクでハッチとビルとは気づかない)を追わせる演出も、ミスディレクションの観点から素晴らしい工夫だと思います。

 

 

 

 

 ネタバレ終わり

    多くのレビューを見る限り謎解きとしては物足りず、難易度の低い一作のように思っていましたが、その一点だけでミステリは評価できないはず。

    作者パトリック・クェンティンの演出力の高さは文句の付け所がありませんし、ピーターとアイリスのドタバタとした喜劇的な逃避行もスピード感があって面白かったです。

では!

『探偵術教えます』パーシヴァル・ワイルド【感想】万人にオススメできる自信作

1947年発表 通信教育探偵ピーター・モーラン 巴妙子訳 ちくま文庫発行

 

    ニューヨーク生まれの奇才パーシヴァル・ワイルドが1947年に上梓した、抱腹絶倒の連作短編推理小説。作者の実体験?を元に生み出された素人迷探偵Pピーター・モーランが作中を所狭しと駆け回り、搔き乱し、暴れ狂う。

    P・モーランはマクレイ家のお抱え運転手でありながら、通信教育で探偵講座を受講中。探偵通信教育学校の“主任警部”とは電報でやり取りをしながら、学校の専用テキストを購入し探偵術を学んでいます。そんなモーランの周りには、不思議と事件の方から集まってくるのですが、そこはモーラン、いっぱしの探偵気取りで学んだばかりの探偵術を駆使し事件に首を突っ込んでいきます。

    その暴走と、騒動そして解決まで容赦なくコメディをぶっこんでくるあたりは、劇作家としても客を楽しませる術を心得ていたワイルドらしい筆致と言えます。

    以下各話感想ですが、お堅い論理的な思考で頭を悩ますような推理小説では決してないので、気楽な気持ちで手にとることができるはずです。ただ、ほのぼのとしたユーモアミステリとはいえ、暴走する素人探偵がどうやって難事件を解決するのか、という常人では決して到達しえない/死角からガツンとくるタイプの/オフビートなサプライズがあるので、ある種の驚きがあるのは間違いありません。もっと多くの人に読まれて良い名作短編集です。

 

『P・モーランの尾行術』

レッスン1:身近な親類や友人を尾行することでそのスキルを磨くべし。

    モーランは主任警部の教示どおり、意気揚々と、街で見かけたイタリア人の尾行を開始するのですが……

    本書の裏表紙にも細かくあらすじが書かれているので物語のネタは省略しますが、なにより面白いのは、主任警部とモーランの意見の食い違い/勘違い/行き違いによっておこるハプニングの数々。簡単に言うとアンジャッシュのネタを思い浮かべてもらうと解り易いハズ。本作でハマればどんどん次を読みたくなること間違いなし。

 

『P・モーランの推理法』

レッスン2:「職業の特徴」を捉え、一目見ただけでその人物の職業を判断すること。地下鉄で向かい側に座った人物で試すべし。

    本作でも、主任警部の真意を汲み取れずに盲目的に突っ走るモーランに笑いをこらえることができません。モーランが見出したバイオリン弾きの屠殺業者(!)の男はいったい何者なのか。痛快なオチと、笑いの解っている主任警部のユーモアも見どころです。

 

『P・モーランと放火犯』

レッスン3:「ホテル探偵の仕事」を学んだ後、「強盗・中級」「上級」へステップアップすべし

    タイトルを見てもらうとわかるように、主任警部とモーランの向いている方角が最初っからバラバラなのが波乱を予感させます。本作ではモーランの一面でもある「女好き」なところが事件を拡大させてしまうポイント。商売上手かつ探偵としても有能な主任警部をガン無視して突き進むモーランも面白いのですが、なんといっても最高なのは強烈なオチ。頭を抱える主任警部が容易に想像できます。

 

『P・モーランのホテル探偵』

レッスン4:「ホテル探偵」の項を受講後10のホテル探偵の仕事についての質問に答えよ

    本作ではなんとモーランは実際にホテルの経営者からホテル探偵として雇われます。ついにレッスンの成果を見せることができるかと思いきや……もちろんそんな簡単に事は治まりません。モーランと主任警部の溝が良い意味で深まり、時にモーランが主任警部に対してマウントをとるようになるなど人間関係の変遷も見どころです。

 

『P・モーランと脅迫状』

レッスン5:筆跡や紙質、インクなどを注意深く観察し匿名の手紙の差出人をつきとめよ。

    ここまでくると、主任警部に対するモーランの揚げ足取りも堂に入ってきます。本作でも脅迫状の捜査のため雇われるモーランですが、終始ちんぷんかんぷんなことを言っているようで、実は(独力ではありませんが)徐々に真相に近づいていくなど、本書の中ではミステリ色も強い一編です。

 

『P・モーランと消えたダイヤモンド』

レッスン6:ダイヤモンドを探す旅に出る時は教えなさい

    冒頭から激しさを増す二人の舌戦が見事で、問題児を抱えた先生の苦悩が手に取るようにわかる作品でもあります。中身はタイトルどおり、モーランが依頼された消えたダイヤモンドの行方なのですが、解決には多重解決ものの趣向が凝らされ、さすがワイルドと唸らされます。

 

『P・モーラン、指紋の専門家』

レッスン7:「女強盗とその手口」を勉強しなさい。好きでしょう?

    これぞ連作短編集と拍手したくなる名短編が登場です。指紋について勉強したがるモーランをよそに、小ばかにする主任警部が笑えますが、巧妙な伏線、大どんでん返しが用意された珠玉のミステリとしても見逃せない一作です。

 

『P・モーランの観察術』

補講:人間観察の重要性を学びなさい。

    本書の中では「補講」と名付けられているだけあって、少し毛色の違う異色の短編です。もちろん、モーランを中心としたドタバタコメディはあるのですが、本作にはもう一人名探偵が登場し、さしずめ推理合戦(は言い過ぎですが)のような形をとります。オチの冴えは他の作品に頂を譲りますが、友人同士にも見ようによっては見えそうな主任警部とモーランのやり取りも微笑ましいですし、モーランが陥る危機と事件の帰結も本作を象徴するかのような作品です。

 

    オーソドックスな推理小説だと、読者の好みの差があって中々万人にオススメしやすい作品は少ないのですが、本作はユーモアに比重が置かれた短編集なので、別にミステリに興味がない、という方にも自信を持ってオススメできる一作です。

では!

 

 

探偵術教えます (ちくま文庫)

探偵術教えます (ちくま文庫)

 

 

 

『ゼロ時間へ』アガサ・クリスティ【感想】クリスティ中期の集大成的大傑作

1944年発表 バトル警視シリーズ 三川基好訳 ハヤカワ文庫発行

 

    クリスティの創造した名探偵たちの一人、バトル警視が探偵役を務める長編。彼は本作以前にも『チムニーズ館の秘密』『七つの時計』『ひらいたトランプ』『殺人は容易だ』で登場しているが、いずれもメインの探偵役ではなく、素人探偵やポワロにその席を譲っている。今回はようやく主役の座を勝ち取ったはいいが、いかんせん物語の展開が混み入っていて、存在感は薄め。

 

    物語は、有名な老弁護士トレーヴをメンバーとする会合から始まる。ここでは犯罪学に関する意味深な会話が交わされ、本書のタイトルでもある“ゼロ時間へ”というワードも登場する。トレーヴ老の「わたしはよくできた推理小説を読むのが好きでね」という喋り出しで、彼はいつも必ず殺人事件が起こったところから始まる一般的な推理小説を否定した。そして、殺人は様々な要因と出来事の結果として起こるものである、と続ける。

    この言葉通り、本書では殺人事件の発生はやや遅い。前半部で登場人物たちの心象描写や相関関係が徹底的に描かれ、ようやく殺人事件の発生と相成るのだが、実はこの形、クリスティに限って言えば特段珍しいことではない。人間ドラマや心理的な繋がりがミステリに作用するのはクリスティの十八番の手法だし、殺人事件が起こるまで時間がかかる作品は他にも多々ある。むしろクリスティは、作中では一件も事件を起こさずに、過去に起こった殺人事件の調査だけで一長編作ってしまうくらいなのだから、“ゼロ時間へ”という大層な名前がついているとはいえ、その実はごくごく普通の推理小説で、殺人が遅いかどうかはあまり関係が無いようにも思える。

 

    ただ、トレーヴ老の意味深なプロローグに始まり、自殺願望者のエピソードを絡めつつ、病理的な犯罪者の挿話やセンスのあるメロドラマを盛り込み、それらを一つに纏めて推理小説を完成してしまう筆致は、相変わらず素晴らしい。並の作家であれば、散漫になり安っぽくなりそうなエピソードの数々も、クリスティにかかると、生き生きとした登場人物の織り成す人間ドラマに読者も感情移入させられ、いつの間にか自分の特性に近いキャラクターに似た視点で推理小説を読んでしまう。そして、見事に騙され、いかに自分が型に嵌った人間だったかと痛感させられる。ここまでがクリスティの掌の上だ。

 

 バトル警視シリーズ?を全て、そして男性が探偵役を務める作品を読んできて感じたことだが、クリスティが異性に求めるものや理想を、作品を通して慮るのはかなり難しい。

    クリスティ作品に登場する男性は、多くが頭のネジが抜けたマヌケな性質を見せ、女性という性に弱く、利己的でありながら優柔不断な性格であることが多いように思える。その逆を見せることがあっても、その所為で誰かを不幸にしたり陰惨な殺人事件の切欠になるなど、クリスティにとってミステリの中の男性というのはあくまでも着火剤/添え物/おまけ程度の扱いで、主役はやはり女性だと感じる。

    つまり、クリスティが作品の中で描くのは、理想の男性像などでは絶対に無く、苦境にあっても輝く女性の姿/困難を乗り越え幸せをつかむ女性の姿だ。そして、たとえエピローグで男性の愛を勝ち取り幸せなエンディングを迎えたとしても、その後男の心移りで不幸になり、また別の作品で主役級として名前を変えて出演させる、なんてやり方をクリスティがとっていたとしても不思議はない。

    別にクリスティがフェミニストなのかどうかとかそんなことには興味がないが、一定偏った描き方をしているクリスティ作品の中でも、本作に登場するある男性は生き生きと描写されており、ミステリの中でも重要な役割を背負っている。今まで救いをもたらす存在だった女性に成り代わり、その任を負った重要人物が登場する貴重な作品だ。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

 

    プロットの始まりは、古風な田舎で起こる痴話騒動だが、ここにプロローグで登場したトレーヴ老やバトル警視、自殺しそこねた男がどう絡んでくるのか。

    オードリーネヴィルケイの三角関係が肝だが、オードリーを想うトマス、トマスを想うメアリー、ケイを想うテッドも忘れてはいけない。多分この中の誰かが、トレーヴ老の言う殺人者的傾向を持った人物であり、その事実を全員の前で明かしてしまったからこそ彼は死ななければならなかったのだろう。

 

    では、レディ・トレシリアンの死は?

    ネヴィルに罪を押し付けようとする試みからは、ケイ目当てのテッドか、オードリー目当てのトマスが怪しく見えるが、クリスティのことだからそんな簡単なことではない。

    ただどう考えてもレディ・トレシリアンの死によって直接的な恩恵を被るのはネヴィルのみ。

 

   う~んホワイダニットにおいてどこかで勘違いをしているのか?序盤の綿密な殺人計画と外地にいるトマスは相性が良いような気もするしここらで。

 

 

推理

トマス・ロイド

結果

ネヴィル・ストレンジ

    毎度毎度、なんでこうもあっさり騙されるのか。とはいえ、今回の犯人は終始用心深く、慎重過ぎるほど慎重。ことあるごとに、オードリーへの愛(憎)を口走り、ケイとの離婚まで大々的に宣言してしまう始末。ケイに対する気持ちも端から無かったのにもかかわらず、徐々に心が離れていく様を皆に見せつけ、それも全てオードリーの出現の所為にする周到さも巧みだ。

頁183ぼくの奥さんはきみだよ、オードリー……

↑これに至っては独り言ですから笑

 

    また、オードリーがネヴィルと一緒に滞在することを望んでいるかのような、関係者の勝手な予想(頁62)や先入観が、輪をかけて誤った方向へ突き進む助けになっている。

    さらに、上述のような叙述を駆使したミスディレクションだけでなく、表層を覆う目に見える人間関係に視線を誘導することで、過去に存在していた相関関係/恋愛関係が重要な手がかりであることを隠している。これまた、過去作で用いられた手法の一つではあるが、断然本作の方が精度/完成度は上。

 

    最後にタイトル『ゼロ時間へ』について。

    プロローグでトレーヴ老が言っていた「ゼロ時間」とは、殺人が起こるまさにその瞬間/結果としての意味以上のものはなかった。しかし、本作を読み終えてみると「ゼロ時間」というのは一種の巧妙なミスディレクションであり、ダブル・ミーニングを孕んだ避けようのないトラップだとわかる。

    間違いなくこの『ゼロ時間へ』というのは、犯人ネヴィル視点でのオードリーの死を究極の到達点としている。しかし、読者にとってはゼロ=殺人事件であり、殺された要因が明らかなトレーヴ老を除くと、レディ・トレシリアンの死こそゼロ時間だと誤認してしまうはずだ。

    しかし事件が起こるのは本書の中盤。事件後も物語は捜査/推理という形で進んでいくが、これもまたゼロ時間へ向かう過程に過ぎない。このプロットも実は序盤の犯人らしき人物の殺人計画で伏線が張られており、総じてギリギリの綱渡りの中で創られたクリスティ渾身の長編だろう。

 

 

 

ネタバレ終わり

    冒頭では、バトル警視のことを存在感は薄め、と言ったが、オーソドックスな警察探偵はそれはそれで安心感があって、読み心地は良い。また、バトル警視流の行動力あるアグレッシブな捜査に加え、ことあるごとにエルキュール・ポワロの影がちらつくのもクリスティファンにとっては嬉しいサービス。

    決定的な手がかりが、物語の都合に合わせた後出しジャンケン的なところにだけ目を瞑れば、傑作と言って良いミステリだろう。

では!

 

『カシノ殺人事件』S・S=ヴァン・ダイン【感想】化学と古典の融合

1934年発表 ファイロ・ヴァンス8 井上勇訳 創元推理文庫発行

f:id:tsurezurenarumama:20190722235638j:image

 

    ファイロ・ヴァンスも第8作目に突入。あらすじを紹介したいのは山々なのだが、どうも憚られる。というのも、創元推理文庫の裏表紙と中表紙のあらすじの中で既に盛大なネタバレがあるからだ。ここで書かれるあらすじ以上のものを期待して読む場合、期待値が上がり過ぎてしまい、どうも正当な評価が下しにくい傾向にあるように思える。ということで、当記事ではあらすじは極力省略したい。

 

    ファイロ・ヴァンスの第8作目と言えば、凡そ推理小説ファンなら察しが付くだろうが、本作は作者自らの限界を悟って尚書き続けた作品である。前作(第7作目)の通称“ドラゴンプール”、そして本作の“カシノ(カジノ)”と、事件の舞台だけは一丁前に仕上がっているが、ミステリの骨格自体には手抜きが目立つ。

    特にメインの科学トリック一辺倒になっている点がいただけない。本来骨子になるはずのトリックはペランペランになるまで延々と引き延ばされ、解決編のころには、直前に起こるホームズを数倍バカにしたようなエピソードの所為でさらに意識の彼方へ押しやられる。

    導入部の怪人物による告発状や、事件発生までの舞台装置が上手く機能しているだけに勿体ない。

 

 

 

…と、ここまでが、思いつくがままキーボードを叩いた感想です。次は、もう少しゆっくり読み直してみましょう。

 

 

    まずは繰り返しになりますが、導入部の告発状は合格点。単純な謎ながら、解決のパターンは多く、どんな事件に発展するのか、期待と不安が混在する内容になっています。地味に翻訳も良い味を出してますよねえ…

 

    事件の特性も面白味があります。ただの水を飲んで次々と倒れる関係者たち、というだけで一定の科学トリックは想定されますが、読み終えてみると、ここにも作者による仕掛けが施されていることに気づきます。

    本書に登場する事象は、1931年アメリカの学者によって生み出され、1934年にその学者がノーベル賞を受賞することで、多くの人に知られるようになりました。そして、そんな真新しい玩具をいち早くミステリに取り入れ古典的なトリックと融合させて一作を書き上げてしまったヴァン・ダインの手腕は馬鹿にできませんし、六作が限界だと思い込んで本作を忌避してしまうのは、それこそ勿体ないというものです。

    さらに、大金が一瞬で融けてしまう、いかにも喉が渇きそうなカジノという舞台で、「水」を武器に不可思議な事件を生み出す創作能力の高さも侮れません。

    もちろん、終盤のテンポの悪さと、名探偵ファイロ・ヴァンスの格を作者自身が下げてしまうような演出はいただけません。また、「殺人」そのものに魅力が無いのも事実ですし、事件の後始末のやり方も何だかモヤモヤします…

    しかし、前述の化学と古典の融合という点では一読の価値がありますし、安直な謎解きが多いヴァン・ダインの作品の中にあってサプライズも及第点など、前作『ドラゴン殺人事件』以上の出来とは言っていいと思います。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

    まずは序盤の告発文。女の口調なのが気になる。たぶん原文からして女を意識させようとする企みがあるように思えるがはたして?

 

    リン・リュウエリンを監視しろ、という命令が真実だとすれば、彼が最初の被害者になるべきなのだが、ただ毒を盛られただけで死なず。意外にも最初に死んだのは彼の妻ヴァージニアだった。しかもカシノ関係ないし。

    リンに注意を向けておいて、ヴァージニアを殺す計画だったとすれば、やはりアメリアかリンの母リュウエリン夫人が怪しいか。

    単純にリンとヴァージニアを殺す目的なら、アメリア狙いのケーン医師かブラッドグッドという線も濃厚。

    重水の存在はリュウエリン家のものなら知れたかもしれないし、リンが死ななかった以上ヴァージニアを殺すのが真の目的だったと考えざるを得ない。

    リンに無償の愛を注いでいるように見えるリュウエリン夫人なら邪魔なヴァージニアを殺す動機はあるし、アメリアも毒を盛っただけで殺意がなかったのも頷ける。

 

推理

リュウエリン夫人

真相

リン・リュウエリン

 

    やるやんヴァン・ダイン。

    別にそこまで難易度が高いわけではないのだが(騙されたけど)、ミスディレクションが豊富にあって迷わされたのは事実。重水という新奇なトリックが表面に出たので、これ以上作者が仕掛けてくるとは予想できなかった(なんて言うとヴァン・ダインに呪い殺されそうだが)。

 

    改めてさらりと読み返してみて凄さがわかったのが、何度も言うが冒頭の告発文。まず、リンとヴァージニアの結婚がとんでもない失策(頁15)だったとカミングアウトしちゃっている。失策だと言えるのは当事者か息子を思う母ぐらいだろう。

    また、晩餐会で関係者が集い、ある種のいざこざが起きる(頁16)と言っておきながら、そこは端折ってカジノでリン・リュウエリンを監視しなくてはなりません(頁16)というのも、よく考えると、最初からリュウエリン家ではなくカジノで事件が起こると知っていた人物=犯人であることを暗示している。

    さらにここでは、キンケイドとブラッドグッドにミスリードされるが、最初は「余計だな」と思っていた。しかし、重水の件が登場する段になると、既にあからさまなミスリードも忘れ去っていて、がっつり二人を怪しむこのマヌケな脳みそ。どうにかしてくれ。

 

 

 

 

 

ネタバレ終わり

    海外ミステリを読んでいて体験できる騙される快感って、最初は、経験値が増えれば増えるほど薄れるんだろうな、と思っていたのですが、そんなこたあない。

    別に犯人当てだけではなく、物語の展開に用意されたサプライズや、登場人物の意外な結末、探偵と犯人のサスペンスフルな一騎打ちとその勝敗など、自分の予想(=推理)から飛び抜けることは無数にあります。

    本書もそんな新しい発見と驚きを与えてくれる良い一例で、“ヴァン・ダインの六作”云々を取っ払って読むべき作品でしょう。ほら、あと多少はアラがあった方が愛着が沸きますし、ね?

では!

 

 

『すねた娘(怒りっぽい女)』E.S.ガードナー【感想】理想の探偵であり上司

1933年発表 弁護士ペリー・メイスン2 大岡昇平訳 創元推理文庫発行

f:id:tsurezurenarumama:20190717170836j:image

 

    E.Sガードナーと言えば、推理小説界屈指の多作な作家です。多い時で年5冊ものペースでぼこぼこと作品を生み出した彼の代表的な作品群【弁護士ペリー・メイスンシリーズ】は、ガードナー自身が弁護士だったこともあり、その経験が色濃く反映された作品群になっています。

 

    1933年『ビロードの爪』で初登場したメイスンは、エキセントリックな女依頼人が絡んだ難事件を見事に解決しました。そして、興奮冷めやらぬうちに、またもや型破りな依頼人が弁護士事務所のドアを叩きます。本作も1933年発表なんですよねえ。ただただ凄い。

 

   『ビロードの爪』のラストで紹介された依頼人“すねた娘”の登場によって進みだす物語は、前作と違い王道のリーガルミステリ。弁護士にすら真っ正直に依頼しない捻くれた依頼人ですが、メイスンには全てお見通し。アッという間に、依頼内容の本質と目的を探ってしまいます。ここで事件が発生し、関係者が窮地に立たされるのもフォーマットどおりです。

    ここまでのスピード感が凄まじく、メイスンの推理同様に軽やかかつ流麗です。さらにドラマ仕立てかのようにスムーズな舞台転換と、一話一話に用意されたドラマチックな展開のおかげで、どんどんそのスピード感は増していきます。

    間怠っこい余計な挿話が全く無く、常に物語の解決にベクトルが向き、クライマックスである法廷での戦いまで一直線に進む力強さも魅力的なポイントです。

    また、弁護士ペリー・メイスンに対立する軸を、法の手を逃れ依頼人を貶める凶悪犯以外にも用意している点が上手いと思います。

 

    謎解きの山場でもある法廷での戦いでは、ライバル検事ドラムとの丁々発止のやり取りを中心に、巧みな弁舌で窮地をくぐり抜け、一発逆転の瞬間にまで漕ぎつけるメイスンの手腕を堪能できるに違いありません。そして、その終幕は、スリリングな現場検証や法廷劇を経てたどり着く静かすぎる無言の判決です。

    オーソドックスな推理小説では決して体感できない、法という名の牢獄に四方を囲まれた絶望感と、裁判という評決の場にある凍り付くような空気が見事に一体となり、物語は大団円を迎えます。

 

    オチだけは都合が良過ぎるきらいがありますが、シリーズの醍醐味でもある次回予告はバッチリ決まっているので、早く次作が読みたくなること間違いなし!

    法廷ミステリの入り口としても、万人にオススメできる作品です。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

    いや、もう二作続いてとんでもない女が依頼人。

    ただ、前作で上手く転がされたメイスンも、本作では序盤からかなりのキレを見せる。私立探偵ドレイクの使い方やライバル弁護士や関係者への狸っぷりも面白い。

 

    肝心の殺人事件に目を向けてみると、二階から呼びかけた被害者ノートンは、声だけで生きている姿は見られていないことから、すでに死んでいたと予想できる。ということは?クリンストングレイヴスの共犯、で間違いなさそう。共同経営者という立場上クリンストンの動機も予想しやすいし、目撃者のパーレイ判事が一度も被害者に会ったことが無い、というのも犯人たちにとって好都合で打算的な香りがする。

推理

アーサー・クリンストン&ドン・グレイヴス

 

    犯人当てと動機についてはほぼ満点。まあこれだけヒントが散らばっていたら、謎解きだけで言えば当たらなきゃおかしいか…ただ、解決(評決)までのプロセスとなると、そこは作者ガードナーの独擅場。

    犯人の嘘をどのように暴き、法廷という環視の中で真実を明るみに出すか、ドラマチックでスリリングな演出で構成された解決編は圧巻。これだけでも、今後メイスンものを読み続けようと思わせるだけの旨味が詰まっている。

 

    また、メイスンという探偵の魅力だけでなく、一人の人として魅力的な人物でもあることが確信できた。

    前作では程よいハードボイルド風味も見どころの一つだったが、今回は私立探偵ドレイクとの共同捜査(探偵術の奥義を伝授してもらう)は新鮮かつエキサイティングだし、新聞記者ネバーズを用いてのメディア操作も巧妙だ。法廷では、鬼神の如く攻め抜いた次の瞬間にはのらりくらり脱力して躱してしまう柔軟性を披露してくれるし、法廷外では、見習い弁護士エヴァリイに対して教育者としての温かく頼りがいのある姿も見せてくれる。理想の探偵であると同時に、理想の上司(味方でいてほしい)でもある男だった。

 

 

 

ネタバレ終わり

    弁護士ペリー・メイスンシリーズは全82作ということで、どこまで当ブログで紹介できるかわかりませんが、探偵そして上司としても理想の男メイスンと、魅力に溢れた係者たちがいるかぎり、是非とも読み続けていきたいシリーズではあります。

    と言いつつも次作(『幸運の足の娘(幸運の脚)』)は未所持。まだまだ『嘲笑うゴリラ』(第40作)は先になりそうです。

では!

『ホロー荘の殺人』アガサ・クリスティ【感想】傑作だけど好きにはなれない

エルキュール・ポワロ 中村能三訳 ハヤカワ文庫

 

粗あらすじ

長閑なホロー荘に集った、秘めた想いを抱えた登場人物たち。彼らが演じる悲劇を最前列で鑑賞したのは、名探偵エルキュール・ポワロだった。死者が口にしたダイイングメッセージが指し示すのは犯人かそれとも…

 

    事前に誂えたような劇場型の犯罪に、クリスティお得意のロマンスが加わること、それ自体は彼女の作品の中でも珍しい設定ではないのですが、全体的にドロドロとした複雑で険悪な雰囲気に満ちているのは異色です。唾棄すべき極悪人を扱った作品であればまだしも、それらとは一味違った悪意が感じられ、とにかく気持ちの悪さ、ぎこちない坐りの悪さを感じてしまいます。

    頁の大半が登場人物たちの心境や相関の描写に割かれ、それらがミステリを解くための重要な手がかりになっているのもいつも通り。ただ、登場人物の多くに好感が持てないので、読むのにはかなりの精神力が要されるのも事実です。

 

 

    欺しの天才であるクリスティは、読者の思考を逆手に取ったトリックを用いるのが常ですが、これは推理小説家としてのテクニックです。本作では、推理小説というよりも普通小説として、人物描写において読者の予想を裏切るような、また、求めるもの(ハッピーエンド)を敢えて与えないような、ある種の意地悪さが滲み出ているような気がしてなりません。

 

    ミステリを構成する要素を分解してみると、ダイイングメッセージに始まり、不可能犯罪偶然の要素を巧妙に絡めた重厚な作品だとわかります。

    ただスピード感が全くなく、探偵ポワロの指揮力も皆無、とくれば、知的遊戯としての推理小説も楽しみたい読者からしてみれば苦痛そのもの。登場人物へ共感できないことが多いため不満(というかモヤモヤ)が残る一作となってしまいました。

 

    以下余談です。

    クリスティの作品はある種のスターシステムを用いていると思っています。名前や容姿が違っていても、生まれ持った性質や思想が似通った人物が作品を超えて登場します。

    これを、自分はクリスティ劇場と(勝手に)呼んでいるのですが、彼、そして彼女たちは作品毎に立場を語り手、被害者、犯人、とコロコロと変え、見事に役を演じます。とはいえ全員が同じような行動をとり、同じ結末に到達することはありません。

    クリスティは、彼らの行動を人間の多面性を加味してパターン化し、それを登場人物の数だけ組み合わせ巧妙に物語を作り出します。ひとつの事象に対し、ポジティブにとらえるのかネガティブにとらえるのか、ロマンスで言えば潔く身を引いて諦めるのか、それともあらゆる手を用いて欲望を実現させるのか。どちらにも転び得るのが人間で、その人間らしさの複雑なコンビネーションが騙しのトリックの一つなのではないでしょうか。

    だからこそ、読者の人生観や恋愛観が彼らとビタッと合えば、登場人物たちの行動が透けて見え格段に難易度が下がる一方、自分が思うパターンの逆を突かれたときにアッと驚くサプライズに繋がるのです。

    さらに、これは作品の好き嫌いにもつながります。何が言いたいのかと言うと、自分が本作には合わなかった、ということ。少なくとも登場人物の行動に同調できず、むしろ嫌悪感が募る時点で、かなりしんどい読書でしたし、オチの性質上の問題もあります。

    間違いなくクリスティの作品群の中でも傑作の部類に入るハイクオリティな作品ですが、本作を語るのには、まだまだ自分はおこちゃまみたいです。

 

 

    今回≪謎探偵の推理過程≫はお休み。

    さんざんネガティブなこと言った後のフォローになるかわかりませんが、本作にはちゃんと「救い」も用意されています。決して好感が持てるキャラクターがいないわけではありませんし、コメディ要素も用意されています。

 

では!

 

『途中の家(中途の家)』エラリー・クイーン【感想】美しさと懐の広さが両立

1936年発表 エラリー・クイーン10 青田勝訳 ハヤカワ・ミステリ文庫発行

 

 

    『ローマ帽子』から始まる≪国名シリーズ≫をついに読み終え、お次は『災厄の町』以降の≪ライツヴィルもの≫への繋ぎとなる一作です。

探偵エラリー・クイーンがいるのは、ニュージャージー州会議事堂前のホテル。実在の場所が出てくるのが珍しくて、色々と画像を調べて回ったのですが、残念ながら現在は議事堂近辺にホテルは全く無し。さらに冒頭に登場する地名ラムバートンやキャムデン(カムデン)、デラウェア河などヒントに事件現場の特定に挑んでみたものの撃沈。ただ、議事堂の金の屋根の描写は現代のものとピッタリと一致します。

 

   話を元に戻すと、クイーンはホテルのバー・ルームで偶然旧友ビルと再会します。ビルは義理の弟ジョーについて何やら疑念を抱いているようで、エラリーとの親交を温める暇もなくジョーとの会見に臨むのでした。会見場所では読者の予想通り事件が発生し、エラリーの登場と相成ります。

    ここでエラリーが友人ビルのために一肌脱ぐ過程(描写)がかなりアツい。国内シリーズの前半では、探偵エラリー・クイーンのキャラクターは控えめで、謎を解明するためだけのデウス・エクス・マキナと化しているのですが、後半にいくにつれ心情や人間関係にも重きが置かれ、キャラクターものとしても楽しめる要素が増えてきます。本作でも、エラリーは友人の苦境に心動かされ、自主的に事件に首を突っ込んでいきます。(結局のところ、ビルの妹が関係者の中にいた、というのが大きかった気もしますが)

 

    肝心のミステリの中身で言えば、物語の中核をなすフームダニットを中心とした謎が秀逸です。ビルの置かれた状況や関係者の登場のタイミングによって、予想はつき易いかもしれませんが、あくまでも予想は予想。タイトル『途中(中途)の家』のとおり、全てにおいてどっちつかずで中途に留め置かれた状況設定と、明らかに曰くありげな物的証拠も見どころです。

    前者については、事件の心理的な側面と直結しており、後者はエラリー・クイーン(作者)が得意とする論理的で美しいパズルミステリの屋台骨になっています。数学的な美を備えつつミステリとしてバランスの取れていた前シリーズから一転し、心理・物理の両面で平均以上の水準をクリアした安定の一作として、また、捜査一辺倒な古典ミステリと違い法廷描写など読者を楽しませる小技も用意されているので、ミステリ初心者の方にもオススメしやすく懐の広い作品でもあります。シリーズ作品としての絡みはほとんどなく、登場人物もそこまで多くありません。キャラクターに目を向けてみても、探偵エラリー・クイーンとその仲間たちという構図で行動する、弁護士ビルと女性記者エラとのトリオものとしても常に読んでいて楽しいミステリでした。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

    偶然にも、本作を読んでいたのはほとんどが、飲み会帰りの電車の中。適度に(時には過度に)お酒が入った中読んだので、探偵エラリーの友人を思う「アツさ」にウルウルきっぱなしの読書だった。ただ、酔っぱらっていたとはいえ、推理はそこまで難しくない。

 

    中盤の公判のシーンまで読み進めて、推理できることは、ギムボール派の誰かがルーシィに成りすまして、ガソリンスタンドを訪れ、目撃者を用意したこと。

    焦げたコルクの謎は全くわからなかったが、何かメッセージが書かれた可能性が出てきたので、まず間違いなく、アンドリアへの脅迫の手紙だろう。ジョーが殺された原因が重婚だと考えると、ここも騙されていたギムボール派の誰か、ということになる。

    重婚の被害者はジェシカだが、保険金の支払い問題を考えるとフィンチも怪しい。いや怪しすぎる。彼のオフィスでやり取りされた特注の煙草のエピソードや、エラリーに送られてきた煙草とマッチ箱の描写も怪しい。というか、マッチ、煙草、とくればそのまま事件現場の不可思議な謎ではないか。女装しても一言も声を発しなかったことも含めて、ルーシィに成りすましていたのは、グロヴナー・フィンチで間違いなさそう。アンドリアを拉致して命を奪わなかったのも犯人像と一致する。

 

推理

グロヴナー・フィンチ

真相

勝利

    動機だけは誤っていました。いの一番に保険金の受取人変更を知っていたので、最初っからギムボール家への義理が動機かと思っていましたが、それプラス、ジェシカへの愛もあったとは…正直ジョーが諸悪の根源じゃないかとも思うのですが、堂々と不倫や重婚をテーマにしてしまうところは、1930年代からずいぶん進歩(?)したなあと思わざるを得ません。

    ≪読者への挑戦状≫が付された作品の中では難易度が低い作品でしたが、中でも、脅迫文を書くために使った焦げたコルクの手がかりがそのまま、犯人が男性だと暗示している点(女性ならものを書くためなら口紅を使えばいいから)はさすがです。謎を覆い隠す手がかり、さしずめ二重の手がかりには一読の価値があります。

 

 

 

 

ネタバレ終わり

    他の方の感想でチラッと見た記憶があるのですが、本来本書って前書きがあるの?今回読んだハヤカワ文庫の旧訳版には無かったので、シリーズ順に読みたい方は新訳の方がエラリー・クイーンらしさがあって良いかもしれません。

    あと、オチに用意された“リップ”サービスも含めて、作者エラリー・クイーンがのびのびと書いた様が容易に想像できる作品なので、シリーズ順に読むのもおすすめです。

では!

 

『魔法人形』マックス・アフォード【感想】奥深いプロットとモクモク

1937年発表 数学者ジェフリー・ブラックバーン2 霧島義明訳 国書刊行会発行

 

    マックス・アフォードは初挑戦なので、まずは簡単に作者紹介から。

 

マックス・アフォードという男

    マックス・アフォードは1906年オーストラリア・アデレード生まれ。若くしてオーストリアを代表するラジオ局でラジオ・ドラマ制作で生計を立て、その実力は局のシナリオコンテストでも入賞するほど高いものでした。その後は劇作家としても人気を博して100を超える作品を世に送り出し、ラジオ・ドラマの製作は1000話を超えるほどだったと言います。

    そんな膨大なラジオ・ドラマに比べて、生み出した長編推理小説の数はわずか5作。“オーストラリアのカー”と呼ばれるほど密室と不可能犯罪をテーマにした作品が多いのが特徴です。

    そして彼が生み出した主な探偵は、数学者ジェフリー・ブラックバーン。論理的な“数学者”ほど探偵役に合う職業はあまりありません。引き締まった肢体にクールな表情と愛らしい灰色の目、35歳で数学教授の座に就き、かなりのヘビースモーカーで、チェスの名手でもある。と、多くの探偵の中でもなかなかのイケメン具合。クイーンやピーター卿、キャンピオン氏のようなスタイリッシュ探偵の仲間でしょう。

    残念ながら本作はシリーズ作品の2作目なので、できれば1作目から読んでみたいところです。

 

粗あらすじ

悪魔学研究家の屋敷で起こるのは、家族一人ひとりを象った不気味な人形にまつわる怪事件。

 

    コレだけでワクワクしてきます。この恐ろしげな空気が、作中の天候や、屋敷の様相、施設や設備の入念な設計との符合によって独特の雰囲気を醸し出しており、たしかにカーを彷彿させるだけのものはあります。

    探偵役ジェフリー・ブラックバーンは、警察から絶大な信頼を受けているようですが、1作目を読んでいないため多少の違和感は拭えません。また、ヘビースモーカー、という点以外飛びぬけたところはあまり多くみられませんが、“数学者”故の細かで論理的な思考が常に推理に活用されています。一方で多少怒りっぽいところが玉に瑕ですが…

 

    物語に登場するプロップ・木彫りの人形、そして殺害予告と言えば、クリスティの名作を否が応でも想像してしまいますが、本作はフーダニット一点に絞ることなく、ホワイ(動機)、ハウ(方法)、さらには包括的にホワット(何が起きていたのか)ダニットにまで範囲を広げて多彩な展開を見せます。これらのどこに重み付けがなされているかは、ネタバレのため省略しますが、これら多彩な謎の種類と構成に作者がある仕掛けを施しています。

    全体的に感じられる正統派な印象とは違う、攻めのスタイルで書かれた挑戦的な一作だと言えるでしょう。個人的には好きな作品です。

 

    一方で、ミステリ初心者うけはあまり良くなさそう。というのも、巧みに練られたプロットから導かれる真相や演出が実は作者の計算のうちだった、ということが、めちゃくちゃ気づきにくいからです。巧いけど地味。川相の送りバント…じゃないですね。あれは芸術なので。

    …とにかく、“オーストラリアのカー”の名に恥じぬ実力は発揮していますし、最後に待ち受ける“会心の一撃の破壊力も抜群。ミステリファンなら読んでおいて損はない一作です。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

    序盤から大好きな雰囲気。怪奇風の小道具に、私立探偵、摩訶不思議な密室、とミステリを彩る装飾に余念がない。

    密室も怪奇もたしかにカーらしいが、私立探偵との推理合戦もあるとすると、それこそアンリ・バンコランものを彷彿とさせる造り。

 

    ロジャーの死を経て、一度物語を整理してみると、ベアトリスを事故に見せかけて殺したロジャーが、復讐のために殺された、というのはアリか。そうなるとベアトリスの兄であるロチェスター教授が怪しく見えてくる。

    凶器のナイフが射出された可能性も提示され、密室のトリックにも光明が差す。そもそも礼拝堂のカギも屋敷の主なら合鍵ぐらい持っていても不思議ではない。

 

    決定的な証拠が無いまま物語が進むが第二の事件直前で、あきらかに怪しげな人物が…私立探偵ピムロットの、プレーター殺害は決定的では?頁169のピムロットによる一人二役はさすがに目立つ。

    また、終盤、密室トリックが機械仕掛けの凶器によってもたらされたものだとわかると、ピムロットのアリバイは崩れ、ほぼ決定的に。最後に明かされる遺言書の中身で動機も提示され謎解きとしては終わり。

 

推理

トレヴァー・ピムロット(アーサー・ハーバート・テンプル)

真相

勝利!

 

    「犯人あて」にだけ絞ってみると、実に簡単なミステリですが、再度サラッと読み返してみると、作者マックス・アフォードがどんな思惑でプロットを組んだのか朧げですがその形が見えてきます。

    まず、わかりやすいのは、一見すると密室トリックと関連付けたくなるアリバイトリックが、実はピムロットにとって想定外の事案だった点。ここは、私たち読者視点ですが、不必要なアリバイができてしまったがゆえに、物理的な密室トリックが解けた瞬間、唯一アリバイがあるピムロット(とジャン)が目立ってしまいました。しかし、ピムロットはここで自信をつけ、大胆かつイチかバチかの賭けに出ます。それが第二の殺人です。作中では見事探偵を騙すことに成功していますが、ここで用意されているのが、ひとたび見破ってしまえば犯人に直結してしまう“会心の一撃”になる手がかりでした(頁183)。しかもこの手掛かりの解説を最後の「余録(頁321)」で明かしてしまうのも憎い演出です。

 

    また、遺言状の隠し場所と付随する事件の全体像も秀逸です。外国に住む相続人による犯罪、というテーマ自体はありきたりなものですが、犯行後の計画まで完璧なミステリはありませんでした。ただ、これらの美点になかなか初読で気づきにくいのは難点。

 

 

 

ネタバレ終わり

    決して玄人向けということはないと思うのですが、初読時に感じる以上の奥深さがあるので、ある程度ミステリの形式や造りに慣れておくと、面白さが倍増しそうです。

    探偵ジェフリーも、推理しながら燻製でも作っちゃうんじゃないか、と思われる(作中にエピソードあり)ほど愛煙家探偵で、個性はバッチリ。未訳も含めて邦訳化が期待されるシリーズです。

では!