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『ニュー・イン三十一番の謎』オースティン・フリーマン【感想】幻のソーンダイク博士第一長編

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1912年発表 ソーンダイク博士3 福森典子訳 論創海外ミステリ発行

 

 タイトルで「第一長編」としたのには理由があるが、その理由については、定期的に購読している、渕上氏による海外クラシック・ミステリ探訪記の該当記事「31 New Innはソーンダイク博士の初登場作なのか?」をご覧いただきたい。

 

 存在したとされている幻のオリジナル版「31 New Inn」と本書の差が何なのかは予想もできないし、下手すればソーンダイク博士とジャービスが登場していたのかすらわからない。それでもなお本書を是非ともオススメしたい理由は、本書の中身そのものにある(普通はそうだ)。

 前述の渕上氏の記事によると、幻のオリジナル版「31 New Inn」が書かれたのは1905年。その2年後の1907年、ソーンダイク博士シリーズ第一作『赤い拇指紋』で作者フリーマンは推理小説作家として本格的に始動する。しかし、謎と解決を中心に据えたミステリとして書いた初めての作品は本書だったのだ。

 

 「デビュー作には作家の全てがある」が誰の言葉かは知らないが、幻のデビュー作である本書にはオースティン・フリーマンの全てが詰まっているに違いない。その熱い思いは、本書の序文に既に現れている。

 簡単に要約すると、出来事や捜査法の完全なリアリズムこそ、探偵小説を面白くする必須要素であり、それを証明するために作者フリーマン自らが実地で考案した測量法が本書の捜査に用いられているらしい。この宣誓は本書の2~3章で存分に達せられている。

 序文の隙間では、自身の著書も紹介するなど商魂逞しいフリーマンにニヤりとさせられるが、もう一つ注目したい点は、本書の舞台“ニュー・イン”が実際に存在した場所だったということ。そして、今は取り壊され、面影のみが幻のように漂う“ニュー・イン”の裏門のスケッチが描かれているところだ。

 この序文の数頁を擦るだけで、瞬く間に物語の中に吸い込まれた。聞いたことも無いビッグベンの鐘の音が聞こえたような気になり、ジャーヴィスの診察室にある書き物机の上で、カリカリと音を立てる鉛筆のこそばゆい振動が伝わってくるようだった。まさに海外ミステリを通して異国に旅をする感覚、というものがひしと感じられる作品になっている。

 

 なので序盤のたった数章を読むだけで大満足。クラシック・ミステリに自分が魅かれる理由とは何か。日常生活に足りない/得られない何を欲しているのか。それは『赤い拇指紋』や『オシリスの眼』や『ニュー・イン三十一番の謎』の中にある。19世紀末の電力事情・交通機関・情報通信技術など目まぐるしく進化を続ける激動のロンドン。その後勃発する世界大戦という歴史変動の中心地のひとつであった欧米。近代化してゆく社会の裏地にあしらわれた、伝統を守りクラシックを愛でる精神。その全てが内包されている。

 

 

 さてさて、ミステリ部分がお留守になってきたので、そちらも少し。

 冒頭から魅力的な謎のオンパレード。患者の謎に始まり、家の謎、症状の謎、家主の謎、そして遺言状の謎。実を言うと、それらの謎と謎を結び合わせるのはそこまで難業ではない。作者フリーマンのフェアプレイを遵守する姿勢からもわかるように、全ての出来事には完全なリアリズムと符合性があり、叙述的な仕掛けが主役になることはない。

 しかし、ちりばめられた謎の粒を辿り結んでいくと、どんどんまた違った種類の謎が顔を出す。楔形文字の謎やガラスの欠片の謎がそれだ。まるで科学の実験に使うシャーレに乗せられるかのごとく謎にはラベルが貼られ整列させられてゆく。

 ここでも探偵役のソーンダイク博士はジャーヴィスに語り掛けながら、私たち読者にも正々堂々と忠告を与えてくれる。どこそこを見なさい、とかだれそれの供述を見返しなさいと。しかし、その繋がりがわからない。ゲームの慣習による一足飛びの安直な推理に頼ることなく、物証や事実のみを根拠にした論理的な推理ができない。こんなにも近くに、また手に取るように証拠の数々を眺めているのに適切な解が求められない。それでもソーンダイクには全て視えているらしいのだ。

 この「手がかり配置」と「焦らし」のリフレインが何とも言えない快感をもたらしてくれる。これは、完璧なパズルミステリを目指し、フェアプレイに重きを置いたクイーンの作風とも被るところがある。一方で、犯人の特性や犯罪そのものの傾向はホームズ時代の古めかしさがある。つまり、本書を始めとするフリーマンの初期作品で既に、黄金時代と遜色ないハイレベルのミステリが生み出されていたことにはならないだろうか。

 解決編では、セイヤーズばりのユーモアのテクニックとセンスのある台詞が炸裂しているし、ポワロヘイスティングズの関係性は、ホームズ&ワトスンというよりもソーンダイク&ジャーヴィスの方が似通って見える。カーが生み出したH・M卿の医者兼弁護士という肩書すら、ソーンダイク博士と結びつけたくなってくるくらいだ。

 

 誰もが真似をしたくなる、自然と影響を受けてしまう、そんなミステリが1900年代初頭に既に存在していた。そう考えると、やはりオースティン・フリーマンは恐ろしい……いや、素晴らしい。

 その素晴らしさが浸透してきたのだろうか。2020年の春以降、ソーンダイク博士ものの中短編集の全集が発行されると聞く。まだまだ未訳の長編もあるようなので、どんどんどんどん邦訳化していただきたい。その都度、フリーマンの良さを布教してゆくつもりだ。

では!

※今日は≪推理過程≫はお休み。

 

ニュー・イン三十一番の謎 (論創海外ミステリ225)

ニュー・イン三十一番の謎 (論創海外ミステリ225)