1936年発表 フレンチ警部14 訳 ハヤカワ・ポケット・ミステリ発行
本書はフレンチ警部シリーズの中でも、かなり入手難易度の高い一冊。早川書房によってポケミス版(昭和32年)と文庫版(昭和56年)で発行されて以来復刊も無く、特に文庫版はAmazonのマケプレで6,000円以上もの値が付く稀覯本となっています。まあ、めちゃくちゃ人気だから手に入らないって言うよりかは、単純に刷数が少なかった(人気が出なかった)んじゃないの……とは思いますけどね。とは言っても、これは20年以上も前の状況ですから、クロフツ作品復刊の流れが進む今なら、自信を持ってオススメできるはず!
開幕から面白いエピソードがあるのであらすじは省略します。タイトルどおり「ヴォスパー号」に訪れる危機が発端となっていますが、このヴォスパー号、(無意味な伏字ココから)船(ココまで)なんですよ。自分が持っているのはポケミス版なのでタイトルが「ヴォスパー号の喪失」となっていて、ヴォスパー号が何なのか推測できる情報があまりありませんでした。なんとか号と聞くと、やっぱりホームズの白銀号(『白銀号事件』(1893))を思い出されますが、こっちの喪失エピソードの方が断然ドラマチック。
本作で用いられる大道具自体は、クロフツの過去の作品でも度々登場するものなのですが、時代背景や登場機関との繋がりなどの構成には、強い説得力とリアリティがあるため、のちに起こる大事件への導入としては満点。フレンチ警部ものの犯罪小説群の中でも特に優れた部類に入る根拠になっています。
犯罪小説を愉しめるかどうかの大事なポイントは、魅力的な事件かどうか、とその解決のための手法(プロセス)だと考えています。その点、本書の事件自体は、魅力的なのかどうかすら読者に把握させない五里霧中ぶりが異彩を放っています。
今までのクロフツ作品だと、読者が探偵役を一歩先んじることもしばしばありましたが、本書においては、読者とフレンチ警部の推理は横一線。着実ではあるものの遅々とした捜査進捗も輪をかけて停滞感を高めています。
自分の場合は、どっぷりクロフツ沼にハマっているので「たまんねえ」となるわけですが、クロフツ愛が無ければここらへんの退屈さがかなりキツいかもしれません。
一方で犯人が計画した悪質な犯罪自体は秀逸と言えますし、犯罪計画を隠し、実現のため張り巡らされた予備計画も綿密そのもの。クロフツのアイデアマンとしての高い能力を感じることができるでしょう。
あと、贔屓目にみると、作中ののろのろとした時間の進み具合がむしろ奏功しているような気がしています。後半に入ってようやく明らかになる一つの事実は、順当な展開とはいえ、タメられた時間の分だけより一層悲劇的に感じます。これがクロフツの思惑通りだとすると案外侮れません。
以下超ネタバレ
《謎探偵の推理過程》
本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。
爆発の度にダメージが蓄積し、沈没へ向けたカウントダウンが進んでゆくヴォスパー号の描写がとにかく悲しく、そしてスリリング。
船を沈没させる、もしくは乗組員の誰かを葬るためだけなら、一度の大爆発で事足りるので、目的は船にかけられていた保険金だろうか。作中でもその筋で話が進められるので、たぶん違う。クロフツは話の前提から罠を仕掛けてくる傾向がある。
フレンチ警部の知人として私立探偵サットンが登場したのは驚き。これはウェリス警部やタナー警部と同様に、フレンチ警部との共同戦線決定か!?と思いきや、サットンが失踪。
彼の実直で誠実なキャラクターを考えると、まず間違いなく事件に巻き込まれたのだろう。悲しい。
推理に戻ると、サットンが失踪前に注目していたのは、船そのものではなく積み荷の経路だった。中でも登場人物一覧にも載っており、フレンチ警部の尋問も受けた、ウィーバー・バニスター工業会社の関係者で犯人は決まりだろう。
推理
ドーンフォードかヒスロップ(本命)
そうですよね、もちろんヴォスパー号に積んだ運送会社の関係者も共犯に入れておかなければなりませんでした。ヒスロップについては、サットンを目撃した最後の人物なので最初っからずっと最有力容疑者でした。
本書の中で何よりも面白いのは、やはり事件の特性でしょう。船を沈没させる真の目的が、保険金を詐取するためではなく、積み荷の横領を隠すためだったとは普通に驚かされました。
欲を言えば、サットンを生かして夫人の元に返して欲しかったな、というのが本音ですが、彼が死ぬことによって、企業犯罪・個人による詐欺犯罪ではなく、社会派ミステリの側面も持った組織的犯罪に昇華している感があるのも事実。
本書と似たような要素が盛り込まれ、プラス冒険小説風の味付けが利いた作品に『フレンチ警部と紫色の鎌』(1929)がありますが、本作の方がずっしりどっしりとしたフレンチ警部らしさが味わえるので断然オススメです。
問題は、やっぱりクロフツ流捜査の地道さに伴うスピード感の無さ。摩訶不思議な謎(事件)ではあるのに、推理ゲームとしてのミステリ路線に乗らず、お約束的な仕掛けが全く無いので、つまらないと思う人はとことん苦痛。クロフツの作品ではよくある特性なのにも関わらず、本書の事件の引っ張り具合はちょっと異常かもしれません。
問題は(本書を読みたい、と思う人にとって)冒頭でも述べた通り入手難易度の高さのみ。
昨今の復刊ブームに乗っかって再版してくれたら嬉しいけど、ハヤカワは難しそうですよね。権利とかどうなってるかわからんけど、ぜひ創元推理文庫でどうでしょうか??私は買いますよ。
では!