『ドイル傑作集Ⅰ/ミステリー編』アーサー・コナン・ドイル【感想】ドイル流面白さの凝縮版

1888年~1921年 ノンシリーズ短編集(日本独自) 延原謙訳 新潮文庫発行

 

 本書解説で訳者の延原謙氏が述べておられるとおり、世間一般ではアーサー・コナン・ドイルといえばシャーロック・ホームズ、という印象が強いと思われるし、シャーロック・ホームズを生み出すことで、ミステリ史を開闢した第一人者というイメージが先行するのも仕方ない。

 しかし、Wikipedia等のデータベースをざっと見てもわかるように、シャーロック・ホームズシリーズがわずか60編なのに対し、その他の作品数を合計するとホームズものの3倍以上にもなる。シャーロック・ホームズものの作品の中に、歴史的に価値が高く、今尚“傑作”と賞賛されるべき作品があることには違いないが、もしかすると、コナン・ドイルの才能が遺憾なく発揮されている作品というのはホームズもの以外の中にあるのではないか、とも思う。そして、それを強く感じることができる作品集が本書だ。

 

各話感想

 

『消えた臨急』(1898)

 物体消失系の一編。タイトルのとおり、列車丸ごと消失させてしまうのだから恐れ入る。トリックが多少陳腐でも、大胆な手法には驚かされるだろうし、スキャンダラスな題材とオチにも調和している。スパイものの元祖的作品としても興味深い作品。

 

『甲虫採集家』(1898)

 〈医師を雇いたし、昆虫学者ならばなお可。〉というなんとも不可思議な設定が魅力的な一編。明らかに、ホームズものの名作『赤毛組合』(1891)の系譜を継ぐ摩訶不思議な状況設定を導入に据えた作品だし、ホームズものの他の短編にも似た発展があるなど、特筆すべき点は多くないが、まず医師+昆虫学者という設定を思いついただけでドイルの勝ち

 

『時計だらけの男』(1898)

 登場人物の背負ってきた壮大で過酷な人生をほとんど明かさないまま、こじんまりとした導入で紡ぎ始める。ここに「時計だらけの男」などの印象的なフレーズを絡めてバックグラウンドを造り込んでゆき、物語を一つ完成させてしまう。

 言葉にすると簡単に聞こえるが、ドイルの類まれな創造力とストーリーテリングの巧さを再確認する一編。

 

『漆器の箱』(1899)

 本作のような心に響く作品が書けるドイルはやはり天才。見方や立ち位置が変わればガラリと景色が変わってしまう文学的錯視の手法は、ミステリの根幹であり必須要素だが、本作ではごく自然にそれが用いられている。

 一方、ミステリ的展開はほとんど無い。読者はただただ頁を繰るのみ。

 

『膚黒医師』(1898)

 人種間の軋轢を底本に、殺人事件、ロマンス、法廷描写、と“謎と解決”を全面に押し出した堅実な短編ミステリ時の波を超えることはできないが、探偵を据えずにここまでやれれば及第点。

 

『ユダヤの胸牌』(1899)

 これは面白い。たしかに地味ではあるし、派手さは無い。しかし、用いられるプロップが古代から出土した蒐集品であること、犯罪の独創性の高さを見ると、そんなことはどうでもよくなってくる。

 登場人物の配役を考えると、ホームズとワトスンでも違和感は無いので、ぜひそちらでも読みたかった……さすがにそれは贅沢か。

 

『悪夢の部屋』(1921)

 最&高。もし本作を舞台か何かで上演しているのを見ていたとしたら、間違いなくスタンディングオベーション必至の名作。

 本短編集の中では、時代的(他の短編は1800年代末期)に飛び抜けて新しい作品なので、発表当時は既に新鮮味が薄れていたのかもしれないが、今読んでも確かな驚きと感動を覚えるのは、ドイルの物語を生み出す力の強さに起因しているに違いない。

 

『五十年後』(1888)

 初出時は『ジョン・ハクスフォードの空白』という題名で発表され、書き出しもバタフライエフェクトを連想させるまるでSFかのようなオープニング。まったく話の展開が読めない作品ではある。

 しかし、少し読み進めるだけで没入感が強い。人間の持つ感情全てに訴えかけてくるかのような物語にただただ脱帽。喜怒哀楽全てを曝け出して迎える結末を読んだ時、全身が痺れるような感覚を味わった。

 

 実は本作には逸話があり、ドイルが当時の編集者に投稿した際、同時期に送ったあの『緋色の研究』が蹴られたのに対し、本作の掲載は通ったらしい。当時の時流や風俗とは違えど、約130年経った日本でもこれだけ心が動かされるのはシンプルに凄い作品なのだ。

 

 

おわりに

 「ミステリー編」と銘打たれてはいるものの、中には謎を解決させるつもりの無い作品もチラホラ。しかし、中には是非ともホームズとワトスンに出張ってもらい解決して欲しい短編もある。

 一方で、作中の登場人物自ら語り手を務め進行する形ならではの空気感があるのも事実なので、なんとも歯痒いところ。

 

 

 本書ベストは『悪夢の部屋』と『五十年後』この二編を読んで「ホームズシリーズを読破しただけでアーサー・コナン・ドイルのことをわかったつもりになっていた」自分を心底恥ずかしく思った。

 

 手元には新潮文庫から発行された『海洋編』や『冒険編』、またSFもののチャレンジャー教授シリーズや歴史物のジェラール准将シリーズがある。もっとドイルの世界を理解するためにも引き続き読み込みたい。そして、良さをもっと発信したい。そう発起させる一作だった。

では!

 

ドイル傑作集 1 ミステリー編 (新潮文庫 (ト-3-11))

ドイル傑作集 1 ミステリー編 (新潮文庫 (ト-3-11))