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『緑のカプセルの謎』ジョン・ディクスン・カー【感想】二打席連続ホームラン

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1939年発表 ギデオン・フェル博士10 三角和代訳 創元推理文庫発行

 

 ギデオン・フェル博士シリーズ第10作は、摩訶不思議な毒殺事件がテーマの優れたフー&ハウダニットミステリ。前作『曲がった蝶番』(1938)を“ホームラン級”と称しましたが、二打席連続のホームランとなりそうです。

 

 イタリアのポンペイ遺跡内“毒殺者の間”と呼ばれる館跡地から物語は始まります。そこで集まる人々の間に異様な空気が漂っているのは、彼らの村で起きた毒入りチョコレート事件のせいでした。村の実業家チェズニーは、毒殺事件の謎を解明するために自らが考案した心理学の実験を企画するのですが……。

 

 上記あらすじでもわかるように、某名作を思い出すかのような“毒入りチョコレート事件”と、チェズニーの実施する心理学の実験が見どころです。“毒入りチョコレート事件”の方は、子どもを対象にした俗悪で無差別的な趣向もあって、犯人の気味の悪さが興味をそそられます。

 また副題「心理学的殺人事件」の名のとおり、心理学的な実験そのものが、本書の発端、手がかり、そして解決編など、物語全ての軸になっている点も見逃せません。この心理学的実験で提示される十の問いかけと、容疑者たちの告白にも似たそれぞれの回答には、カーらしいアレンジが加えられ、本書最大の見どころになっていると同時に、カーの作品の中でも群を抜いて注目すべき演出で盛り込まれています。

 何をおいてもこの心理学的実験が中心にドンと構えており、章立てでもわかるように、限定的な状況が鉄壁のアリバイになったり、ミステリの虚をつく作者の玩具になったり、と千変万化し物語を搔き乱します。

 

 もう一つ書いておかなければいけないのは、フェル博士による“密室講義(『三つの棺』)”ならぬ“毒殺講義”です。実在の高名な毒殺者たちを名指しし、彼らの傾向を細かに分析することで、本書の狡猾な犯人のプロファイリングを行っていきます。これは、事件解決のための大事なプロセスになっているのはもちろん、稀代の毒殺者たちのエピソードそのものに面白さがあり、作者カーの愛にも似た拘りが詰まった記述なので、この部分を読むためだけでも本書を手に取る価値があると思います。

 

 そして待ち受ける驚愕のラスト。ここで再び心理学的実験が持ち出され、有無を言わせない決定的な証拠をもって犯人が指摘されます。これだけ天才的な犯罪を想像したのにもかかわらず、幕引きは意外にあっさりというか肩透かしなところがあるのが、逆にリアリティがあるように感じられるのは気のせいでしょうか。少なくともカーの毒殺者への研究結果が反映されたオチなのでしょう。

 一か所だけ中弛みというか、不必要かなと思う挿話があることを除いて、副題が意味する「心理学者の殺人事件」の名に恥じない傑作長編です。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

 

 毒殺トリックの部分はいったんスルー。というか前半で早々に手品めいた毒殺トリックは明かされる。

 大事なのは、心理学的実験中に鉄壁だと思われる主要人物3名の相互補完されたアリバイ。

 ここで少し穿った見方をしてしまったのだが、第9章に

三名の証言のあいだにはいかなるたぐいの共謀もなかった(中略)このうちふたりが結託しているということもない

という作者の原注があるのは、「一人は嘘をついている」ということを指してはいまいか?

 そして、実験中に外に出て犯行を犯せそうな人物といえば、一番フランス窓に近かったハーディングが怪しく見えてくる。しかし、ハーディングのアリバイは、暗闇だったとはいえイングラム教授に保証されている。エメットが殺されたのは、やはり共犯だったからか?

 うーん、実験の全容(とマーカスの意図)が全く見えないので、推理のしようがない。

 

推理

ジョージ・ハーディング(遺産絡み?) 

 

 まあ犯人と動機だけは当たってはいましたけど、プロセスは壊滅的。めっちゃ凄いですねこれ。

 冷静に、論理的に考えてみると、ここまで手の込んだ犯罪を計画する意味はあまり感じられないのですが、ゲーム的なミステリとして考えると、本書ほど巧いミステリは中々見当たりません。

 一番は心理学的実験の効果です。殺人事件に関してのみ言えば、犯人をお膳立てしてしまう悲劇的な結果となった実験ですが、その実験を経て問われるマーカスによる十の質問が、犯人を指摘する最大の手がかりになっているというプロットは鮮やかです。

 また、時計の秒針を用いた心理的誤認のマジックや、決定的な証拠になり得る映像そのものの偽装など、トリックとプロットががっちりフィットし完璧に馴染んでいる点も素晴らしいと言えます。

 

 一点だけ、ブーイングが聞こえてきそうなアンフェア気味な記述

そしてこう言わねばならんのは残念なくらいだが、ハーディングも関係ない。(頁245)

についてだけ。

 こう言わねばならんのは残念、というフレーズだけでフェアプレイを満たそうとするのはさすがに無理があると思われます。前後にメイドたちが穿鑿している描写もほとんどなく、フェル博士の言い訳(頁322)はやはり苦しい、と言わざるを得ません。

 

 

 

 

  ネタバレ終わり

 フェアプレイ的にギリギリアウトな記述を除くと、ミステリにおける舞台設定と、謎と解決に至るプロット、核となるトリック全てにカーの全力が注がれた、素晴らしいミステリに仕上がっています。

 本書は、ギデオン・フェル博士シリーズの中の作品ですが、今まで発表された作品とのつながりは薄いので、本書単体で読むことも可能です。また、2016年に新訳で発表されており、まだまだ書店で見かける機会も多いので、ぜひこの機会に〈不可能犯罪の巨匠〉カーの毒殺を扱う鮮やかな手並みを堪能してみてください。

では!

 

 

緑のカプセルの謎【新訳版】 (創元推理文庫)

緑のカプセルの謎【新訳版】 (創元推理文庫)