『ゼロ時間へ』アガサ・クリスティ【感想】クリスティ中期の集大成的大傑作

1944年発表 バトル警視シリーズ 三川基好訳 ハヤカワ文庫発行

 

    クリスティの創造した名探偵たちの一人、バトル警視が探偵役を務める長編。彼は本作以前にも『チムニーズ館の秘密』『七つの時計』『ひらいたトランプ』『殺人は容易だ』で登場しているが、いずれもメインの探偵役ではなく、素人探偵やポワロにその席を譲っている。今回はようやく主役の座を勝ち取ったはいいが、いかんせん物語の展開が混み入っていて、存在感は薄め。

 

    物語は、有名な老弁護士トレーヴをメンバーとする会合から始まる。ここでは犯罪学に関する意味深な会話が交わされ、本書のタイトルでもある“ゼロ時間へ”というワードも登場する。トレーヴ老の「わたしはよくできた推理小説を読むのが好きでね」という喋り出しで、彼はいつも必ず殺人事件が起こったところから始まる一般的な推理小説を否定した。そして、殺人は様々な要因と出来事の結果として起こるものである、と続ける。

    この言葉通り、本書では殺人事件の発生はやや遅い。前半部で登場人物たちの心象描写や相関関係が徹底的に描かれ、ようやく殺人事件の発生と相成るのだが、実はこの形、クリスティに限って言えば特段珍しいことではない。人間ドラマや心理的な繋がりがミステリに作用するのはクリスティの十八番の手法だし、殺人事件が起こるまで時間がかかる作品は他にも多々ある。むしろクリスティは、作中では一件も事件を起こさずに、過去に起こった殺人事件の調査だけで一長編作ってしまうくらいなのだから、“ゼロ時間へ”という大層な名前がついているとはいえ、その実はごくごく普通の推理小説で、殺人が遅いかどうかはあまり関係が無いようにも思える。

 

    ただ、トレーヴ老の意味深なプロローグに始まり、自殺願望者のエピソードを絡めつつ、病理的な犯罪者の挿話やセンスのあるメロドラマを盛り込み、それらを一つに纏めて推理小説を完成してしまう筆致は、相変わらず素晴らしい。並の作家であれば、散漫になり安っぽくなりそうなエピソードの数々も、クリスティにかかると、生き生きとした登場人物の織り成す人間ドラマに読者も感情移入させられ、いつの間にか自分の特性に近いキャラクターに似た視点で推理小説を読んでしまう。そして、見事に騙され、いかに自分が型に嵌った人間だったかと痛感させられる。ここまでがクリスティの掌の上だ。

 

 バトル警視シリーズ?を全て、そして男性が探偵役を務める作品を読んできて感じたことだが、クリスティが異性に求めるものや理想を、作品を通して慮るのはかなり難しい。

    クリスティ作品に登場する男性は、多くが頭のネジが抜けたマヌケな性質を見せ、女性という性に弱く、利己的でありながら優柔不断な性格であることが多いように思える。その逆を見せることがあっても、その所為で誰かを不幸にしたり陰惨な殺人事件の切欠になるなど、クリスティにとってミステリの中の男性というのはあくまでも着火剤/添え物/おまけ程度の扱いで、主役はやはり女性だと感じる。

    つまり、クリスティが作品の中で描くのは、理想の男性像などでは絶対に無く、苦境にあっても輝く女性の姿/困難を乗り越え幸せをつかむ女性の姿だ。そして、たとえエピローグで男性の愛を勝ち取り幸せなエンディングを迎えたとしても、その後男の心移りで不幸になり、また別の作品で主役級として名前を変えて出演させる、なんてやり方をクリスティがとっていたとしても不思議はない。

    別にクリスティがフェミニストなのかどうかとかそんなことには興味がないが、一定偏った描き方をしているクリスティ作品の中でも、本作に登場するある男性は生き生きと描写されており、ミステリの中でも重要な役割を背負っている。今まで救いをもたらす存在だった女性に成り代わり、その任を負った重要人物が登場する貴重な作品だ。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

 

    プロットの始まりは、古風な田舎で起こる痴話騒動だが、ここにプロローグで登場したトレーヴ老やバトル警視、自殺しそこねた男がどう絡んでくるのか。

    オードリーネヴィルケイの三角関係が肝だが、オードリーを想うトマス、トマスを想うメアリー、ケイを想うテッドも忘れてはいけない。多分この中の誰かが、トレーヴ老の言う殺人者的傾向を持った人物であり、その事実を全員の前で明かしてしまったからこそ彼は死ななければならなかったのだろう。

 

    では、レディ・トレシリアンの死は?

    ネヴィルに罪を押し付けようとする試みからは、ケイ目当てのテッドか、オードリー目当てのトマスが怪しく見えるが、クリスティのことだからそんな簡単なことではない。

    ただどう考えてもレディ・トレシリアンの死によって直接的な恩恵を被るのはネヴィルのみ。

 

   う~んホワイダニットにおいてどこかで勘違いをしているのか?序盤の綿密な殺人計画と外地にいるトマスは相性が良いような気もするしここらで。

 

 

推理

トマス・ロイド

結果

ネヴィル・ストレンジ

    毎度毎度、なんでこうもあっさり騙されるのか。とはいえ、今回の犯人は終始用心深く、慎重過ぎるほど慎重。ことあるごとに、オードリーへの愛(憎)を口走り、ケイとの離婚まで大々的に宣言してしまう始末。ケイに対する気持ちも端から無かったのにもかかわらず、徐々に心が離れていく様を皆に見せつけ、それも全てオードリーの出現の所為にする周到さも巧みだ。

頁183ぼくの奥さんはきみだよ、オードリー……

↑これに至っては独り言ですから笑

 

    また、オードリーがネヴィルと一緒に滞在することを望んでいるかのような、関係者の勝手な予想(頁62)や先入観が、輪をかけて誤った方向へ突き進む助けになっている。

    さらに、上述のような叙述を駆使したミスディレクションだけでなく、表層を覆う目に見える人間関係に視線を誘導することで、過去に存在していた相関関係/恋愛関係が重要な手がかりであることを隠している。これまた、過去作で用いられた手法の一つではあるが、断然本作の方が精度/完成度は上。

 

    最後にタイトル『ゼロ時間へ』について。

    プロローグでトレーヴ老が言っていた「ゼロ時間」とは、殺人が起こるまさにその瞬間/結果としての意味以上のものはなかった。しかし、本作を読み終えてみると「ゼロ時間」というのは一種の巧妙なミスディレクションであり、ダブル・ミーニングを孕んだ避けようのないトラップだとわかる。

    間違いなくこの『ゼロ時間へ』というのは、犯人ネヴィル視点でのオードリーの死を究極の到達点としている。しかし、読者にとってはゼロ=殺人事件であり、殺された要因が明らかなトレーヴ老を除くと、レディ・トレシリアンの死こそゼロ時間だと誤認してしまうはずだ。

    しかし事件が起こるのは本書の中盤。事件後も物語は捜査/推理という形で進んでいくが、これもまたゼロ時間へ向かう過程に過ぎない。このプロットも実は序盤の犯人らしき人物の殺人計画で伏線が張られており、総じてギリギリの綱渡りの中で創られたクリスティ渾身の長編だろう。

 

 

 

ネタバレ終わり

    冒頭では、バトル警視のことを存在感は薄め、と言ったが、オーソドックスな警察探偵はそれはそれで安心感があって、読み心地は良い。また、バトル警視流の行動力あるアグレッシブな捜査に加え、ことあるごとにエルキュール・ポワロの影がちらつくのもクリスティファンにとっては嬉しいサービス。

    決定的な手がかりが、物語の都合に合わせた後出しジャンケン的なところにだけ目を瞑れば、傑作と言って良いミステリだろう。

では!