僕の猫舎

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『カシノ殺人事件』S・S=ヴァン・ダイン【感想】化学と古典の融合

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1934年発表 ファイロ・ヴァンス8 井上勇訳 創元推理文庫発行

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    ファイロ・ヴァンスも第8作目に突入。あらすじを紹介したいのは山々なのだが、どうも憚られる。というのも、創元推理文庫の裏表紙と中表紙のあらすじの中で既に盛大なネタバレがあるからだ。ここで書かれるあらすじ以上のものを期待して読む場合、期待値が上がり過ぎてしまい、どうも正当な評価が下しにくい傾向にあるように思える。ということで、当記事ではあらすじは極力省略したい。

 

    ファイロ・ヴァンスの第8作目と言えば、凡そ推理小説ファンなら察しが付くだろうが、本作は作者自らの限界を悟って尚書き続けた作品である。前作(第7作目)の通称“ドラゴンプール”、そして本作の“カシノ(カジノ)”と、事件の舞台だけは一丁前に仕上がっているが、ミステリの骨格自体には手抜きが目立つ。

    特にメインの科学トリック一辺倒になっている点がいただけない。本来骨子になるはずのトリックはペランペランになるまで延々と引き延ばされ、解決編のころには、直前に起こるホームズを数倍バカにしたようなエピソードの所為でさらに意識の彼方へ押しやられる。

    導入部の怪人物による告発状や、事件発生までの舞台装置が上手く機能しているだけに勿体ない。

 

 

 

…と、ここまでが、思いつくがままキーボードを叩いた感想です。次は、もう少しゆっくり読み直してみましょう。

 

 

    まずは繰り返しになりますが、導入部の告発状は合格点。単純な謎ながら、解決のパターンは多く、どんな事件に発展するのか、期待と不安が混在する内容になっています。地味に翻訳も良い味を出してますよねえ…

 

    事件の特性も面白味があります。ただの水を飲んで次々と倒れる関係者たち、というだけで一定の科学トリックは想定されますが、読み終えてみると、ここにも作者による仕掛けが施されていることに気づきます。

    本書に登場する事象は、1931年アメリカの学者によって生み出され、1934年にその学者がノーベル賞を受賞することで、多くの人に知られるようになりました。そして、そんな真新しい玩具をいち早くミステリに取り入れ古典的なトリックと融合させて一作を書き上げてしまったヴァン・ダインの手腕は馬鹿にできませんし、六作が限界だと思い込んで本作を忌避してしまうのは、それこそ勿体ないというものです。

    さらに、大金が一瞬で融けてしまう、いかにも喉が渇きそうなカジノという舞台で、「水」を武器に不可思議な事件を生み出す創作能力の高さも侮れません。

    もちろん、終盤のテンポの悪さと、名探偵ファイロ・ヴァンスの格を作者自身が下げてしまうような演出はいただけません。また、「殺人」そのものに魅力が無いのも事実ですし、事件の後始末のやり方も何だかモヤモヤします…

    しかし、前述の化学と古典の融合という点では一読の価値がありますし、安直な謎解きが多いヴァン・ダインの作品の中にあってサプライズも及第点など、前作『ドラゴン殺人事件』以上の出来とは言っていいと思います。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

    まずは序盤の告発文。女の口調なのが気になる。たぶん原文からして女を意識させようとする企みがあるように思えるがはたして?

 

    リン・リュウエリンを監視しろ、という命令が真実だとすれば、彼が最初の被害者になるべきなのだが、ただ毒を盛られただけで死なず。意外にも最初に死んだのは彼の妻ヴァージニアだった。しかもカシノ関係ないし。

    リンに注意を向けておいて、ヴァージニアを殺す計画だったとすれば、やはりアメリアかリンの母リュウエリン夫人が怪しいか。

    単純にリンとヴァージニアを殺す目的なら、アメリア狙いのケーン医師かブラッドグッドという線も濃厚。

    重水の存在はリュウエリン家のものなら知れたかもしれないし、リンが死ななかった以上ヴァージニアを殺すのが真の目的だったと考えざるを得ない。

    リンに無償の愛を注いでいるように見えるリュウエリン夫人なら邪魔なヴァージニアを殺す動機はあるし、アメリアも毒を盛っただけで殺意がなかったのも頷ける。

 

推理

リュウエリン夫人

真相

リン・リュウエリン

 

    やるやんヴァン・ダイン。

    別にそこまで難易度が高いわけではないのだが(騙されたけど)、ミスディレクションが豊富にあって迷わされたのは事実。重水という新奇なトリックが表面に出たので、これ以上作者が仕掛けてくるとは予想できなかった(なんて言うとヴァン・ダインに呪い殺されそうだが)。

 

    改めてさらりと読み返してみて凄さがわかったのが、何度も言うが冒頭の告発文。まず、リンとヴァージニアの結婚がとんでもない失策(頁15)だったとカミングアウトしちゃっている。失策だと言えるのは当事者か息子を思う母ぐらいだろう。

    また、晩餐会で関係者が集い、ある種のいざこざが起きる(頁16)と言っておきながら、そこは端折ってカジノでリン・リュウエリンを監視しなくてはなりません(頁16)というのも、よく考えると、最初からリュウエリン家ではなくカジノで事件が起こると知っていた人物=犯人であることを暗示している。

    さらにここでは、キンケイドとブラッドグッドにミスリードされるが、最初は「余計だな」と思っていた。しかし、重水の件が登場する段になると、既にあからさまなミスリードも忘れ去っていて、がっつり二人を怪しむこのマヌケな脳みそ。どうにかしてくれ。

 

 

 

 

 

ネタバレ終わり

    海外ミステリを読んでいて体験できる騙される快感って、最初は、経験値が増えれば増えるほど薄れるんだろうな、と思っていたのですが、そんなこたあない。

    別に犯人当てだけではなく、物語の展開に用意されたサプライズや、登場人物の意外な結末、探偵と犯人のサスペンスフルな一騎打ちとその勝敗など、自分の予想(=推理)から飛び抜けることは無数にあります。

    本書もそんな新しい発見と驚きを与えてくれる良い一例で、“ヴァン・ダインの六作”云々を取っ払って読むべき作品でしょう。ほら、あと多少はアラがあった方が愛着が沸きますし、ね?

では!