発表年:1929年
作者:F.W.クロフツ
シリーズ:フレンチ警部
訳者:井上勇
粗あらすじ
映画館の切符売り場で働く娘がフレンチ警部の元に助けを求めてやってきた。なにやら良からぬ犯罪に巻き込まれているらしい。最初は冗談半分に聞いていたフレンチ警部だったが、話を聞いてゆくと、過去に起きた死亡事故との共通点に気付く。どちらの事件にも登場するのは、手首に紫色の鎌の入れ墨がある男。はたしてフレンチ警部は犯罪の進展を止めることができるのか、そして犯人の目的とは?
本作はフレンチ警部シリーズとはいえ、どちらかというとノンシリーズ『製材所の秘密』に似た犯罪小説色の強い作品です。
なので、殺人やアリバイやキャラクター描写に余力を割くことなく、ただ純粋に犯罪にのみ焦点が当てられ、さてフレンチ警部はそれを見破ることができるのか、その犯罪の中身はなんなのか、というところに全ては収束されています。
この作風に少しは耐性が無いと読み進めるのは辛いかもしれません。
またフレンチ警部の捜査、そして素行に大いに問題があるのも本作の特徴です。
ネタバレ回避の為多くは語りませんが、前作『海の秘密』のフレンチ警部とは別人なんでしょうか。
前作では、門外漢な分野の問題に直面しても、図書館に行って資料を読み漁り、データを手に入れせっせと実践検証を行う勤勉家なところを見せ付けたと思いきや、コレですからねえ…
フレンチ警部の新たな一面と言うにはショッキングすぎる気もしますが、それだけ犯人に追い詰められていたとも受け取れます。
少しだけ書かれた背景に目を向けてみると、1929年に起こった世界恐慌は外せません。
同年に発表されたエラリー・クイーンの『ローマ帽子の謎』が華やかで煌びやかなブロードウェイの劇場内で開幕したのに対し、本作はいたって地味で荒んでいてアングラ感がぷんぷん漂っています。
お金に執着した事件が題材なのも少しは影響を受けている証拠でしょうか。
あとターゲティングが違うのかもしれません。まあ国が違うので当たり前なんですが。クイーンの国名シリーズが、中流階級以上の、人生を楽しむ余力のある人々を対象にしているとしたら、本作はどちらかというと労働者階級(しかも犯罪者すれすれ)のところも視野に入っていたりして…と思ってしまいます。
それくらいフレンチ警部をヒールに、また憎き警察!みたいなステレオタイプに仕上げてあるような気がしてなりません。
つまり、犯罪者予備軍には
「どんな犯罪も警察にはお見通しだよ。犯罪、ダメ、絶対」
というメッセージを発信しつつ、一方では
「国家権力だか知らないが、そんな卑怯で傲慢な態度が許されるのかよ」
みたいな、国民のストレスも絶妙にミックスされているような気がしています。
少しばかりミステリ外のことで盛り上がり過ぎてしまったきらいもありますが、どうやってもミステリの濃度は濃くなりません。
犯人に魅力がないせいかもしれません。
何度も言いますが、本作の主役は謎を孕んだ事件そのもので、それを操る犯人は中々表に出てきません。そしてミステリに必須のサプライズも、事件の真相、では到底主力になれるわけもなく…
とはいえクロフツ独創性、柔軟な発想には驚かされます。
純粋なミステリとしての評価はかなり低めですが、黒いクロフツ、黒フツが見れただけでもよしとしましょう。
今回は≪謎探偵の推理過程≫は省略します。
事件の真相については全くピンとこなかったことだけは告白しておきます。
では!