発表年:1938年
作者:パトリック・クェンティン
シリーズ:ピーター・ダルース2
今年読んだミステリで群を抜いて面白かったです。前作『迷走パズル』で少し触れましたが、感想を書く前にもう一度パトリック・クェンティンという作家についておさらいしたいと思います。
そもそもパトリック・クェンティンというペンネームは、ウェッブとホイーラーという2人の作家の合同のペンネームです。しかもウェッブは『パズル』シリーズの発表よりも前からメアリーとマーサという二人の女性と同じペンネームでミステリを発表しており、ウェッブ&ホイーラーは3代目のパトリック・クェンティンなのです。こうした影響からパトリック・クェンティンの作品は、書かれた時期・実際の作者によって大きく作風が変わるのが特徴のようです。
特に本シリーズはパトリック・クェンティンの代表作でもあるし、『迷走パズル』がウェッブ&ホイーラーコンビの最初の作品であることからも、是非シリーズ発表順に読むことをオススメします。
※以下前作『迷走パズル』の記述があります。
粗あらすじ
アルコール依存症から抜け出し、再びプロデューサーとして新たな船出を切ったピーター・ダルースだったが、個性的な俳優陣と曰くつきの劇場に頭を悩ませる。素晴らしい脚本と実力者たちが揃ってリハーサルも着々と進む中ついに死者が…はたしてピーターは無事に初日を迎えることができるのか!?
前作ではアルコール依存症の療養のため精神病院に閉じ込められていたピーターとアイリスですが、本作では無事に退院しピーターはプロデューサーとして、アイリスは女優として再起をかけて奮闘します。
一見、閉鎖的な病院から解放的な世界へと旅立ったかに思えますが、読んでいると逆に動きを制限された息苦しい閉塞感を感じます。たぶん登場人物のほとんどが、劇中に登場する『洪水』という劇に縋り付き、現状からの脱却と自身の名声の復活をこの劇だけに賭けているからだと思います。全体的に危なっかしくて不確実なモノの上に立脚しているせいで、前作以上に捉えどころのない不気味な雰囲気が漂っており、唯一無二の世界観を醸し出しているのが堪りません。
もう一つ見逃せないのが探偵役でしょう。前作では探偵の配役にトリッキーな手法が効果的に用いられていたのですが、本作ではほぼピーターの主治医レンツ博士が探偵だといって良いと思います。明らかにピーターよりも事実を掴んでおり、常に読者の先を進んでいるからです。間違いなくココが本作最大のミソで、自然な形で読者がピーターの影を追ってしまうがゆえに、作者の用意したトリックにまんまとハマってしまいます。どれだけ予防線を張っていても、防げたかどうかは怪しい。
そして最後に用意されているのは、見事な解決編です。どういう状況で、というのも楽しみを奪わないため伏せたいのですが、こんな解決編は未だかつて見たことがありません。
最終幕に突入する309頁以降は、終始漂う仄暗い雰囲気のままに、まさに疾風怒濤の展開と急転直下の結末へ向けてぐんぐん進んでいきます。そして明かされる驚愕の真実…
キャラクターたちの特異な性格描写と動機の整合性、魅惑的なプロットと一貫した物語の論理性、どこをとっても一級品という作品は珍しいのではないでしょうか。
強いて言うなら、横筋がミステリをそこまで密接に関係していないきらいはあるのですが、もちろん二人の人生の物語としても楽しめるし、ピーターとアイリスの微笑ましいやりとりや、レンツ博士の愛くるしいキャラクターは、本作では一添えの清涼感としてしっかり機能しています。
圧迫された異様な雰囲気の中で全く不快感を感じない貴重で素晴らしい傑作でした。
ネタバレを飛ばす
以下超ネタバレ
《謎探偵の推理過程》
本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。
冒頭から劇場にまとわりつく幽霊騒ぎが発端となって幸先の悪い出だし。
俳優陣は全員個性的でアクが強く、誰が表面化しない悪意を抱いていても不思議じゃない。
アル中の名女優ミラベル、心と顔に消えない傷を負った主演俳優ウェスラー、恋多き女優セオと子どもっぽさが残る若手俳優ジェラルド。彼らが複雑に絡み合った人間ドラマを主軸に、老優ライオネルの過去、リリアンの亡霊が横筋か。と思っていたら、局外者がなかなか怪しい。脚本家ヘンリーのおじクレイマーとミラベルの元夫ゲイツが良い具合に一行をかき乱している。
ライオネルの死には偽装っぽい部分がないので偶然だと思う。もしライオネルがミラベルの死に対する報復で死んだのなら、ミラベルと関係のあった人物にスポットを当てればいいと思うが、まったく関係する情報が登場しないのでこの説は無しか。
中盤以降やっと殺人がおこった。この殺人の発見までの演出は、劇場内で起こるだけあって目を見張るものがある。
その後彼がゆすり屋であることも発覚したので、動機がほぼ確定か。
容疑者たちのアリバイから絞り込むことがなかなかできず、どうも分析面から言えばお粗末な気もする。
なのでクレイマーの行動から推理してみよう。気になるのは、クレイマーが劇の一員として参加したがった点。給料が欲しかったからとは思えず、たぶん俳優陣の誰かに近づくのが目的だろう。俳優としての格の違いからセオとジェラルドは除外した。やはり主役級のミラベルとウェスラーが目当てだったのだろう。
ミラベルとウェスラーが憎み合っているというのも怪しい。二人ともゆすられており、結託している可能性も考慮したほうがいいかもしれない。ゲイツがミラベルに執着しているのは、あえて彼女に視線を集めるためか。最有力はウェスラーということにしておこう。
ウェスラーといえば、療養中の義弟の存在に触れられていた。ありきたりかもしれないが、入れ替わりも念頭に置いたほうが良いだろう。常に脚光を浴びることを羨望していた弟が、実はウェスラーになり変わっていたと考えると、クレイマー殺害の動機にはなり得る。ただどうもウェスラーのキャラクターが毒気がないと言うか、悪人っぽくないのが気になるところ。
意外性の部分で驚かないわけではないのだが、やはり想定の範囲内に収まってしまう気がする。どこかもっと奥深い何かがあるような気がしてならない。
推理予想
ウェスラー(フォン・ブラント)
結果
完全敗北
マジか…なんという完璧なホワイダニット。かなりトリッキーなはずなのに説得力が凄い。また、よくよく見返してみると頁93が悪質(良い意味で)です。
そのとき確信した―金が必要になったクレイマーが甥に前借りさせたことを。見れば見るほどクレイマーが邪悪な男に思え―
ピーターの勝手な想像と無根拠の確信に見事に騙されてしまいました。最初っからピーターの曇ったフィルターを通して物語を眺めていたせいで、肝心要のウェスラーの特殊な能力やウェスラーを遠ざけようとする影の圧力の根源に目が向きませんでした。
これだけ華麗に騙されると見返そうとなかなか思えずお腹いっぱいになる作品です。
では!
ネタバレ終わり