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『死体は散歩する』クレイグ・ライス【感想】本そのものに酔う

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1940年発表 弁護士J.J.マローン2 小鷹信光訳 創元推理文庫発行

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 感想は、読書メーターに投稿した短文を転載するのみで事足りるかもしれない。

1940年に発表された弁護士J.J.マローン第2作は、酔っ払いの酔っ払いによる酔っ払いのための推理小説。全編通してどたばたとした、コメディタッチな作風ではあるが、それも全て「お酒」のせい。常に登場人物たちはアルコールを摂取し続け、それは警察官であっても同様だ。全員がほろ酔い(泥酔)状態の所為か、クサい台詞だってスラスラ言えてしまうし、シラフ状態の人間では理解できない人知を超えた力で事件を掻き回してしまう。当然だが読者もシラフではいけない。ジンのボトル片手に頭のネジが緩んだ状態で読むのが吉。

 

 家では本書を読むのを口実に、だいぶとお酒を飲ませてもらった。心より感謝。

 たしかにアルコールミステリと言っても良いくらい登場人物ほぼ全員がひっきりなしにお酒をがぶ飲みするのだが、オープニングはと言うと、かなりムーディな雰囲気で始まる。というか、このムーディでありながらサスペンスフルでゾクゾクする感覚は第1章でしか味わえず、その後は跡形も無く消えるのでじっくり反芻して欲しい。

 主人公の一人ジェイクがお酒を浴びたくなるのも頷ける程、その後の彼の受難が凄まじい。専属契約しているスター歌手に降りかかる火の粉を払いながら、ビッグな契約も勝ち取り、愛する女性と結婚しなければならない、という過酷なミッションが待っている。

 

 肝心のミステリ部分はと言うと、タイトルどおり死体が散歩したとしか思えないような不可思議な謎が魅力的だが、それに付随して起こる脅迫事件、連続殺人、放火事件が輪をかけて混乱させる。似たようなドタバタとしたファース味満載のカー作品(『盲目の理髪師』『パンチとジュディ』など)を読んでいたので、ある程度事件の構図や経緯は描き易かった。しかし、その予想全てを覆す、驚愕の真実を突き付けられることになる。何百とミステリを読んできて、あれほど全てを疑わなくてはならないと学んだはずなのに、こうも毎回簡単に騙されてしまうのは何なのだろうか。

 本作においては、一つに作者クレイグ・ライスの色っぽい筆致にあると思っている。スター歌手ネルの甘美な歌声や蠱惑的な眼差しのせいなのか、それともジェイクの固執的なヘレンとの結婚願望のせいか、真っ直ぐにこう!と決めたことや与えられた情報や手掛かりをこちらも同調して妄信してしまい、真相にたどり着けなかったのかもしれない。作中で唯一冷静沈着な弁護士J.J.マローンが、幾度となく軌道修正をしてくれていたのだが……。

 

 最終章で描かれる登場人物たちのその後もまた堪らない。ロマンチックという言葉が陳腐に聞こえるほど、淡く切なくそして残酷なラスト。そうだ、俺は酒に酔っていたんじゃない、この本と台詞に酔っていたのだ。眼前に立ちはだかる障壁から目を背け、心の傷の痛みを麻痺させるため、ただそれだけのために。

 

 冒頭ではあたかも「酔っ払い」ミステリかのような紹介をしてしまったが、前作『時計は三時に止まる』以上に高まったマローン&ジェイク&ヘレンのトリオものとしての質と、味わい深いフーダニットだけでも読む価値がある。映画やテレビの普及により今ではすっかり衰退してしまったが、ラジオショー界のリアルが描かれる作品としても特異な作品だ。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

 

 簡単に「それ出してみろ」と言われて、この雰囲気が出るもんじゃない。 

 まるで歩いて散歩にでも行ったかのように動き回る死体にクスクスが止まらない。現代ならば都会の至る所に監視カメラがあり、実現が不可能に近い状況設定なだけに、この設定の妙味だけでも体験する価値がある。

 

 正統な推理で行けば、犯人はネルをスキャンダルから守るために暗躍したと考えられる。ここで浮かんでくるのは、愛人のベイビーとラジオ部門の責任者ジョン。しかし、契約相手のギヴァスが殺害されてしまうと、動機の点から容疑者とは思えなくなってくる。そしてジョンも死んでしまった。

 脅迫の元締めだったポールと金蔓のギヴァス、そしてネルとの独占契約を目論んでいたジョン、と全てにネルが関係しているのは間違いがない。ジョンとポールだけ死んでいたのだったら、ベイビーかもしくはその他の彼女に恋する男性だと思うのだが……。いつも女を追っかけているルー・シルヴァーという候補もあるか?やはりギヴァスだけがわからない、降参。

 

推理

(裏をかいて)ルー・シルヴァー?

真相

ヘンリー・ギブソン・ギフォード(トゥーツ)

 

 恥ずかしい。普通にハズして恥ずかしい。

 ネルとトゥーツの間にある愛に見向きもしなかった。なんとなく、ネルの性格と億万長者のトゥーツが結びつかなかったからなのかもしれない。

 よくよく考えてみると、トゥーツ初登場シーンからして怪しさ満点だ。

 ジェイクの第一印象は

これまであった中でいちばん魅力的で知識も豊富な人物

-頁68

なのに、誰か見知らぬ男たちにスパイされているという妄想や、自宅に馬を飼っているという幻覚まで見ているらしい。

 その後のマローンの穿鑿も意味深だった。

トゥーツの幻覚がどんなふうに始まったのか聞かせてくれないか。原因を知りたいんだ。

-頁72

(ネルが、医者に「二、三日安静にしていれば治る」と言われた、と聞いて)医者が、治ると言ったのか?

-頁72

  さらに、ネルに対してのマローンの尋問がまた巧妙なのだ。マーチを殺したいと思っていた人物は?という質問の後、ネルは「彼を知っている人全員」そしてマーチの情報について「かつてあたし(ネル)がその一部だった」ことだけを挙げた(頁76)。つまり、この時点で、マーチが殺された要因はネルと関係があったから=ネルを守ろうとした人物が犯人なのは明白だ。

 しかも、この記述の後、ヘレンとジェイクは勝手に作戦を立てて、勝手に盛り上がるのだが、マローンはと言えば一言も発しないのだ。要するに、折角マローンが正しい手がかりとヒントを与えてくれているのに、そのミスディレクションとして読者をたばかろうとしているのがヘレンとジェイクに他ならない。

 最初から二対一なのだから、読者に分が無いのは仕方ないとして、クレイグ・ライスが、レギュラーキャラクターそのものをレッドへリングとして用いるという特殊な手法駆使していたと知れただけで、良い経験になった。次のマローンものからはもっと注意して読み進めたい。

 

  ネタバレ終わり

 

 

 

 思い返せば、酔っ払いの~なんちゃらかんちゃらは、本当失礼でした。読者である自分が勝手に酔って、勝手に転がされていただけです。だって、読後感はめちゃくちゃスッキリしていて、晴れやかなんだもの。

 創元推理文庫版マローンものの表紙の多くは、イラストレーター・佐々木悟郎氏によるものなんですが、じんわりと滲む水彩の温かみと懐かしさに加えてセピア調の色彩がハードボイルドぽさも演出していて、めちゃくちゃ作品の雰囲気に合致しています。大好きです。

 

 お酒はただ酔うためにあるんじゃない。様々なスピリッツ同士を混合し、複雑な製法過程を経て生まれる幻惑的なカクテルと同様に、科学と技巧が詰まった芸術作品として『死体は散歩する』はお勧めできます。

 大丈夫、今日も酔ってる。

では!

 

死体は散歩する (創元推理文庫)

死体は散歩する (創元推理文庫)

  • 作者:クレイグ ライス
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 1989/12
  • メディア: 文庫