1937年発表 エラリー・クイーン11 創元推理文庫発行 井上勇訳
国名シリーズを脱却しながらも「読者への挑戦」を用意するなど、優等生だった『中途(途中)の家』に続く作品。前作でよっぽど抑圧されていたのか、本作は、解き放たれ道を踏み外した問題児のような一作だった。
あらすじ
日本文化にも精通し、類稀なる文才を持つ女流作家カーレン・リースの日本庭園で事件の幕は上がる。ここでは、癌研究の大家マクルア博士の一人娘エヴァも、日本庭園での茶会に招待されていた。カーレンによって明かされるサプライズニュースとエヴァへの個人的な相談とはいったい何のか。
本によっては、物凄い箇所に凶悪的なネタバレが潜んでいるので注意!(と指摘するのがネタバレか?)さらっと1ページ目から読むように。
〈国名シリーズ〉の一角に加えるべきかどうかはさておいて、そんな枠組みを取っ払って読む価値がある作品だった。まず、当時のニッポン感というか興味が上手くミステリに反映されている点。書かれた1937年と言えば、第二次世界大戦の勃発によって、沖縄(琉球)が戦火に包まれる僅か7,8年前だが、本書では既に琉球を始めとする風俗文化や、着物やリュウキュウカケス(カケス科の亜種の一つ?)など日本固有の小道具が多々輸入されている。フジヤマの件(頁19)や日本語の台詞、アジア人への偏見など目を瞑らないといけない部分も多々あるが、ミステリにそこまで影響は無いのでスルーできる。
また、エヴァを中心としたロマンスも心地良いいし、『中途(途中)の家』で未出演だったクイーン警視やジューナなどレギュラーキャラクターたちの登場も嬉しい。さらに、こちらも前作同様だが、クイーンの旧友(知人)が登場するので、探偵クイーンへの愛着も増したように思える。
しかし、横筋に注力されているからといって、クイーンらしい論理性の追求や新鋭的なトリックは蔑ろにされている、なんてことは全く無い。寧ろ国名シリーズに何ら遜色はない。密室を解き明かす鍵は、ミステリ史に残る記念碑的トリックだし、サプライズの演出方法も完ぺきだ。後者については、推理小説における探偵の命題ともいえるある難問に挑戦しており、今までのエラリー・クイーンとは一風違った苦味を感じるオチが印象に残る。このオチこそ、冒頭で「問題児」と言った理由なのだが、それはネタバレ箇所で書くことにする。
とにかく、日本描写を底本に、ストレートで情熱的なロマンスや人間ドラマが用意され、不世出のトリックとロジカルで透徹したプロットが見どころの佳作だった。
以下超ネタバレ
《謎探偵の推理過程》
本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。
鉄壁の密室に、カーレンを殺す動機を誰も持たない殺人、という二つの謎が目を引くが、密室トリックがピンとも来ないので、動機(ホワイ)を中心に考える。
中盤まで進み(進むんかい)カーレンの妹で彼女のゴーストライターを務めていたエスターの存在が明らかとなる。カーレンは彼女の死を隠し、彼女を出汁にマクルア博士と結婚したのか。いや、むしろマクルア博士はエスターを救うために結婚した。エスターとマクルア博士の共犯が濃厚か。
しかし、後半になると、エスターが死んだのはカーレンが死ぬよりも前、しかもマクルア博士は船上でエラリーと完ぺきなアリバイがある。う~ん、違うか。
やはり、問題はカーレンがエヴァに伝えたかった「何か」
エヴァの母親がエスターだ、という線が強いがそうなると、カーレンの遺産はエスターに、エスターが死ねばエヴァに遺される。マクルア博士は正確には血縁ではないので金銭は贈与されない?ならばエヴァを執拗に結婚したがっていたスコット医師が俄然怪しくなってくる。これだな(密室トリックは無視)。
推理
リチャード・バー・スコット
真相
自殺(真相は、癌の権威マクルア博士の恣意的な誤診による自殺教唆。自殺に用いた凶器は飼っていたカケスの光り物を集める習性で消失。密室トリックはそもそも無し。)
むむむ。真相としては小粒ながら、解決までのロジックが美しい。カケスの盗癖や、投石の推理、ハラキリの要素もしっかり本事件と符合している。
ここまでは良いが、問題は二重解決。エラリーの二重解決ものを体験するのは初めてだったのでシンプルに興奮した。ここで探偵エラリーは、暗示による精神的な殺人を解明するため、偽の証拠を捏造し真犯人を追い詰める。ひとつ感じたのは、別に捏造、ではなく普通に樋の中から発見したのでは駄目だったのか、ということ。しかも、別に「癌と診断されました」という遺書が残っていて、犯人の誤診が原因であったとしても、殺人罪に問われるかどうかは怪しい。単純に「誤診でした」で逃れるもよし、そもそも自死が明らかであれば、本当に癌だったのかを調べる理由が無い(たぶんプラウティー医師なら調べたと思うが)。
一方で、上記の結末だったら間違いなく面白くなかったはず。エラリーの頭脳を持ってしても、論理的な解決方法で犯人を名指しできなかった稀有な例として語り継がれるのはもちろん、探偵と犯人という両極の対決の中で、最終的な勝負では勝っていても試合で負けているかのような絶妙な関係性が峻烈で苛酷な印象を残す。探偵と犯人の関係性について苦悩した作品は多々あれど、本作のようなプロセスを経て行動に移した探偵が他にいただろうか。もちろんエラリー自身も、過去作で同様の苦悩があったが、ここまで振り切った選択を取りはしなかった。寧ろ、某作の経験がエラリーに厳しい決断を迫る遠因になったのかもしれない。
個人的な印象としては、今まで知性溢れる洒落た名探偵止まりだったエラリー・クイーンが、ガツンと壁を打ち破り(良い方向かどうかはわかんないですけど)成長し始めた。本書はそんな作品だとも思いました。
エラリーのキャラクターの方向転換だけで言えば、短編集『エラリー・クイーンの冒険』辺りからあったのかもしれませんが、これからも“成長する探偵”としてのエラリー・クイーンにも注目して読んでいきたいです。
では!