1936年発表 ヘンリ・メリヴェール卿5 白須清美訳 創元推理文庫発行
前作『一角獣の殺人』
次作『孔雀の羽根』
「カーって面白いの?」この本を手に取って、そう思ったあなた。そんなあなたにこそ、この小説を読んでもらいたい!
私が今回手に取ったハヤカワ文庫版の帯には、小説家二階堂黎人氏のこんな推薦文(解説の書き出し)が書かれています。
個人的なカーの印象は、面白い!というよりかは、いつもやり過ぎちゃう、盛り過ぎちゃう、詰め込み過ぎちゃう、行き過ぎちゃうというミステリ界のスギちゃんだと思っています。かなりワイルドです。
そこらへんが、作品によっては特殊な化学反応を引き起こして面白さに繋がったり、面白いかどうかわからないまま圧倒されて終わったり、と読者を翻弄してくれるあたりにカーの魅力が詰まっています。
だから、「カーって面白いの?」と思いながら本書を手にとっても、その瞬間にはなかなか面白さを感じ取れないのではないでしょうか。
そうですタイトルです。
パンチとジュディというのは、イギリスでは有名な喜劇味たっぷりの人形劇らしいのですが、なかなか日本人には伝わりにくいはずです。
原題のまんまThe Magic Lantern Murders(幻灯機の殺人)も、怪奇な謎との相性は良く、眩惑的なワードに興味が惹かれそうなのですが、見どころはたしかにそれだけじゃないんですよねえ…
パンチとジュディを形容する波乱万丈のドタバタコメディが、安楽椅子探偵や多重解決といったミステリ要素に直結しているあたりに、さすがカーの天才的なストーリーテリングと唸らされます。
前置きが長くなってしまったので本作の感想といきましょう。
本作は、H・M卿の元部下ケンウッド・ブレークを語り手に進行します。しかも、ケンのプライベートな状況がミステリに影響を与える作品なので、少なくともひとつ前の『一角獣の殺人』を読んでから本作に挑戦するのが絶対にオススメです。
オープニングから、人生の一大イベント前日にも関わらず、国際的犯罪者を追う危険なスパイミッションを命じられたケンの気持ちを考えると、可哀想というか苦笑いというか、彼の気持ちになっても本格ミステリとしても、嫌な予感しかしません。
そしていざ第一の事件が起きてから、物語が進みだすのか…と思いきや、その逆なのが唖然とさせられます。
簡単に要約するなら、やはり人形劇「パンチとジュディ」のストーリーをお示しするのがわかりやすいでしょう。
以下Wikipediaより抜粋。
基本はパンチが赤ん坊を放り投げ、ジュディを棍棒で殴り倒し、その後も犬や医者、警官やワニなどを殴り倒し、死刑執行人を逆に縛り首にし、最後に悪魔を殴り倒すというのが大筋である。
無茶苦茶です。起承転結もなにもあったもんじゃありません。
パンチとジュディの内容を地で行ったような展開に目を白黒させられながら、スピード感は保ったままどんどんページだけが過ぎ去っていき、いつの間にか物語は終幕へと差し掛かります。(ここらへんも過ぎちゃん)
解決編はと言えば、推理合戦的な趣向が凝らされているものの、思いのほかオーソドックスな展開に、ほっと胸をなでおろしたのも束の間、文字通り開いた口がふさがらない驚きの展開が待ち受けています。
これまた「カー、やったな」とやり過ぎの懸念がないこともないんですが、全ての過度な演出が物語としての面白さに好転しているのが幸運というか、カーすげえと言うか、正直に言えば評価に困るところです笑
そして、最後には痛快なオチが用意されています。もしかしたら、最初からカーはこれがやりたくて本作を書いたんじゃないかと疑いたくなるほど、見事なオチには自然と拍手を送りたくなりますし、おかげで読後感だけは凄まじく良いのも魅力の一つです。
タイトルだけ見て、「カーって面白いの?」とそう思ったあなた。ひとつ前から読むことと、心のゆとりさえ持っていれば絶対に「買い」です。
以下超ネタバレ
《謎探偵の推理過程》
本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。
さてさて初めてのカー&スパイ風であれば、不安しかなかったかもしれないが、前作『一角獣の殺人』でカーのスパイものを扱う上手さは実証済み。ある程度安心して良さそうだ。
ただ2作続けて、同じような題材というのはカーには似合わない。そこは何かしらの新たな試みが設けられていると予想して良いだろう。
ただ、事件が事件を呼ぶドタバタコメディチックな展開には、『盲目の理髪師』の悪夢が蘇る。やっぱり大丈夫か…
正直今回は推理という推理はできていない。事件はどんどん起こるのに、何も真実らしい真実が見えてこない。ハウ?フー?ホワイ?どこに絞って推理すれば良いかも皆目見当が付かない。やべえ。
とりあえず死んだ二人、ホウゲナウアとケッペルがお互いに殺しあった、と思わせるところまでが犯人の計算だった、ということにしよう。
で?
で、なんだ?
そうかそうか、国際的犯罪者Lは既に死んでいて、たーまたまLの実の娘が同じ町にいた?
で?
だからどうした、どう繋がるのだろう。
O・TE・A・GE
推理予想
…
結果
…
ほんと、二作続けて(『時計は三時に止まる』)ペランペランの推理ですんません。
適当にでも犯人を指摘できなかったミステリは初めてです。
こじつけもなにも、お先が真っ暗闇だったら名指しすらできないもんですね。完敗です。
事件全体はそんな感じで暗中模索なのですが、解決編に入ると(推理合戦が始まると)途端に先が明るくなるのが面白いところ。
事象同士を繋ぐ糸はしっかり張り巡らされていて、H・M卿の手によって紡がれればしっかりと形を成すのはただただ素晴らしい。
ただ、アンフェアだとまでは言いませんが、1行目のH・M卿の電報の時点で卿すら騙されているという状況ですから、その前提から読者に疑え、と言うのはかなり酷なような気もします。
とはいえ、卿の登場人物たちに対するアンフェアな(公明正大ではない)結末を考えると、徹頭徹尾一貫しているとも受け取れますし、結末の後に用意される強烈なオチも読者への救済(もしくは謝罪)なのではないでしょうか。許してあげましょう。
ファース色が強いというところで、さんざん例に挙げている『盲目の理髪師』ですが、読み易さ・推理のし易さ、という点ではあちらの作品に軍配が上がります。
ただ、ミステリとしての質の高さ、物語の面白さ、という点では『パンチとジュディ』なんですよねえ…
カーの作品がサービス精神旺盛なのは良いことなのですが、もう少し読み易く、整理された作品も多いので、ある程度ミステリを読み慣れた方にはオススメできますが、初めてカーを!という読者の方には是非避けていただきたい(笑)一作です。
では!