1935年発表 ヘンリー・メリヴェール卿4 田中潤司訳 創元推理文庫発行
前作『赤後家の殺人』
次作『パンチとジュディ』
今年度の下半期は、カー作品を読み漁っています。傑作と呼ばれる『ユダの窓』に向けてまっしぐらです。
だから、それまでの数作はサラッと読み終えてしまおうと軽い気持ちで挑んでいたのですが、どれも秀作ぞろいでビビってます。
≪僕の猫舎≫では、そーでもない作品であればあるほど、筆者の筆が乗るというミステリアスな傾向にあります。なので、ここ何作品かの感想書きは結構苦労しました。
次『パンチとジュディ』も良いんですよこれが…
さっそく粗あらすじ
“一角獣”なる政府の極秘事項、一角獣に貫かれたような空洞を持つ死体、稀代の怪盗フラマンドと宿敵ガスケ、それらが混沌と化した怪事件に巻き込まれたのは、元英国諜報部員ケンウッド・ブレーク。フランスの古城を舞台に三つ巴の戦いの幕が上がる。
もろ手を挙げて拍手喝采、とまではいかないんですが、これだけは言わせてください。
カー先生、スパイもののお料理もお上手ですね。
単純にスパイものと括るのは尚早かもしれませんが、本作では他のミステリでは味わえない独特のハラハラドキドキ感を味わえるはずです。
決して、主人公が悪漢に頭を殴られ気絶したあと監禁され水責め、とかそんなシーンはございません。むしろそんなんじゃ全然ハラハラしないし冷めます。
でも本作では一風変わった演出で抜群のサスペンスを体験できます。
また、H・M卿が諜報員をぶん殴ったり、喜劇的な側面もあるにはあるんですが、全てが本格ものの雰囲気を高めるために好転しているようです。
怪盗と宿敵の警部というルパンを連想する構図も、決して荒唐無稽なものではなく、しっかりと情報部長H・M卿や語り手ケンとかみ合っているのも美点です。
一方、中心となるあるトリックの難易度は、かなり簡単な部類に入るのではないでしょうか。
現場の状況も丁寧に説明され、見取り図も用意されているので、推理する材料としては十分すぎる程です。ただ、そのトリックが解けたからといって油断はできません。
このメイントリックに古城という舞台が嵌った時、謎は極限まで深まります。
クローズドサークルへと変容する古城、つまりは物語の進行によって基底からガラリと変わってしまうのが、巧妙に謎と絡み合っています。
序盤のケンの介入から謎解きの最後の最後まで、決して気を抜けない佳作です。
以下超ネタバレ
《謎探偵の推理過程》
本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。
序盤は、ちょっと雑な巻き込まれ方だなあとげんなり。大丈夫か英国諜報部。
怪盗フラマンドと警部ガスケというのもそそられない。
このテーマで大丈夫か?
フランスの古城近くで飛行機が不時着し、主要人物で“一角獣”の保有者ラムズデン卿一行が到着するが、これは別にフラマンド、ガスケどっちの策略でも問題ない。とりあえず古城に行ければ問題ないということか。
やっぱり目を離してはいけないのは殺人事件のほう。
フラマンド=殺人者という構図がイマイチ呑み込めないが、それでいいのだろうか。
ギルバート・ドラモンドはなぜ死ななければならなかったのか。
弟のハーヴェイ・ドラモンドはなぜ古城に来て、何故自分をガスケと言ったのか。
それらの謎も全く先が見えない…
一度的を絞ってみよう。
ガスケは誰か。自称ガスケのハーヴェイか、古城の城主ダンドリュー伯爵か。
実は最有力はH・M卿だったりする。
頁23 イギリス人にもフランス人にも化けられる―彼(フラマンド)は医者にでも弁護士にでも変装できて
イヴリンが触れていたのはフラマンドについてだが、2人とも実際の容姿が不明だし、「医者」と「弁護士」とくればH・M卿以外考えられない。
これは会心の推理か?
あとは“一角獣”を付け狙うフラマンドさえ当てればいい。
自称ガスケであるハーヴェイが死んだが、このトリックは簡単。
頭を抱えて階段を転げ落ちたのは犯人で、階段下にあった死体をさらに下に転がしただけだろう。
頁124どしんどしんという音
は事件前であるから、その伏線だろうか。
そして死体を転がした後、階段の壁の後ろから外に出られるとなれば、犯人はそこから自室へと脱出できるヘイワードかファウラーしかありえない。
秘密の手紙をタイプしたタイプライターがファウラーのもの、ということはヘイワードに若干容疑がかかる。
決定的な証拠を探すしかない。
頁171でハーヴェイが落下してゆくのを見た、というオーギュストに対して
「君も見たのかい?」ファウラーが鋭く尋ねた。
これはかなり怪しい。
と思っていたら、ええええええ!
まさかのケンが最有力容疑者????
最高に面白いし、最高にハラハラする。
ケンとイヴリンが拘束されてからは、H・M卿の動きがほとんど見えないので、既に材料は揃っているということだろうか。
ケンに助け舟を出したのはヘイワードだったので、ここは安直にいこう。
推理予想
ファウラー
結果
嘘でしょ。
ルパンのエッセンスが絶妙に利いています。
入れ替わり&一人二役だけに留まらず、まさかの“見えざる犯人”だったとは…完全にしてやられました。
単純に入れ替わりをトリックとして用いる(必然)だけでなく、入れ替わりによって生じる登場人物同士の矛盾(偶然1)と、橋が落されるという不運(偶然2)が、功を奏しているように思えます。
拘束されたケンとイヴリンが、警察だと判明した城の執事や使用人と話し合う部分は、一種の安楽椅子探偵的な趣向も凝らされているのも見どころです。
そしてなんともらしい一角獣にまつわるオチも満足度が高く、スパイもののパロディ以上にカーらしさが存分に発揮された作品です。
もちろん設定のルパンっぽさが良い味を出しているとはいえ、扱われるメインの食材は殺人事件なわけですから、どうもまとまりの悪さというか、いったい怪盗とか警部とか諜報部員とかってなんだったんだろうという虚無感を感じないでもありません。
ただユーモラスな登場人物たちの掛け合いも面白く、ケンとH・M卿の相性も抜群。
次作『パンチとジュディ』にも引き続き登場するので、是非順番に読むことをおすすめします。
では!