今年の3月に日本で公開されてからすでに半年以上経っているので、今更感がしないでもないのですが、鑑賞して「コレ、俺の好きなやつやないか」と思った部分が多々あったので、少しまとめてみようと思います。
ストーリーの核心をつく内容になりますので、未鑑賞の方は必ず鑑賞後にご覧ください。
難解なSF用語が多用されるわけでもなく、プロットも簡潔で登場人物も少ないので、SF映画が苦手という方でも安心して鑑賞できますし、なによりミステリ好きにもビビッとくるようなストーリーになっているのもオススメです。
主人公2人の圧倒的な演技力も素晴らしいの一言です。
コレ、俺の好きなやつやないか、のコレ
自分を悪と思っていない絶対悪
そんな奴が出てくるんですよ。最高です。
コイツ、胸糞悪くなるほど悪だな、と唾を吐きたくなるほどの悪。
そんな男が主人公として、最初っから最後まで微塵の容赦もなく悪を撒き散らすんですから涎出ます。
前半に漂う悪
作中でヒロインのオーロラ(ジェニファー・ローレンス)が言うとおり、主人公のジム(クリス・プラット)が行った行為は、殺人と同義です。
自らの欲望のためだけに他者の人生を奪い、その上、愛や信頼を勝ち得ようと画策し成功させる。これってかなり特殊な殺人だと思います。
普通(?)の殺人というのは、お金や目先の利益のために人命を奪うことが多いですが、ジムの行為は、彼女からの愛情だったり、肉体的な快楽だったり、幸せという感情を得るために、生かしておきながら命を奪っています。
目の前で命を直接的に奪えば、多少の後悔や罪悪感を感じるところを、彼女の幸せそうな笑顔や態度を置き換えて「彼女の為」と自分を慰めているあたりが特に気持ち悪い。
ここまでまあボロクソに言ってるわけですが、
「お前は追い込まれたジムの孤独な気持ちがわからないのか?」
と聞かれれば、ビンビンわかります。
「お前はジムと同じことをしないと言えるか?」
ゼンゼン言えません。
というか、ジムと同じように、自分一人が目覚めて孤独死するのが確定していて、周囲に4999人の生きた人間がいたら、自殺する可能性よりも誰かを目覚めさせる可能性の方が高いと思います。
一人で誰にも知られずに死ぬよりも、誰かを目覚めさせた方が楽しい人生を送られる確率が増えるわけですから、人間の弱さという表現では足りないほど性悪(生まれながらに悪)的な部分がゴリゴリと顔を出すに違いないと思うわけです。
ここまでは、ジムの選択が一択だとある程度の理解を示しながらも、ジムの悪人としての入口しか紹介してないんですが、物語には続きがあります。
後半に巣食う悪
ひょんなことから、ジムの悪事はオーロラにバレてしまいます。
以降のジェニファー・ローレンスの演技は圧巻です。
吐き気を催すほどの嫌悪感と憎悪から、ある日オーロラはこっそりジムの部屋に侵入し、彼を襲撃します。なにか棒状のもので滅多打ちにし、さあとどめだ、という時になって彼女は躊躇します。
この時のジムの感情を考えてみましょう。
「あれ?殺されないんだ、ラッキー☆」
と思わなかったと言えるでしょうか。
この瞬間ジムは、自分が感じている以上に、オーロラの中でジムという存在が大きなものになっていることに気付きます。
プロセスはどうあれ、ジムが死んでしまえば、オーロラは一人になってしまう。ジムは、オーロラの心に付け入る隙を見つけました。
直接的な謝罪を拒絶されたジムは、ロボットを修理したり、木を植えたりと間接的な方法でオーロラに悔恨の気持ちを伝え始めます。
この期に及んで、です。
それらの行動が故意かどうかはわかりませんが、たぶん本能的に悪なんですよ。
面と向かって謝罪しても受け入れてもらえるはずもなく、ジムが強硬手段で向かってきた場合、男女の力の差は歴然です。
オーロラにさらなる恐怖を感じさせることはあってはならない。
だから、許してもらえなくてもいい、ただ善行を積み重ねよう。
ちょっとジムという人間に恐怖すら覚え始めました。
乗組員のガスが目覚め、宇宙船の壊滅的な状況が明らかになると、ようやくジムの存在意義が明らかになります。
そして同時に、ジムを嫌悪するこの矛の納め時が見えてきました。
つまり、結局ジムがどう行動しようとも、3年くらいで宇宙船は壊滅し、乗客5000人は全員死亡してた、という事実が明らかになるからです。
そして、宇宙船の修理の可能性が浮上すると、ジムが目覚めたこと、そしてジムがオーロラを目覚めさせたことにも意味が生まれました。
2人ならば宇宙船を直すことができる。
5000もの命を救うことができる。
そしてジムは自分の命を投げ打って、宇宙空間に飛び出します。
辛うじて宇宙船の修理には成功しましたが、ジムは絶体絶命の状況です。
奇跡とも呼べる幸運でジムは一命を取り留め、再びオーロラとジムは一つ屋根の下長い宇宙旅行を再開させます。
さあ、再び矛を抜きましょう。
ジムは、船内の設備を用いて人工冬眠できる手段を発見します。そして、オーロラに提案するわけです。
どうする?と。
この提案がまた悪!
危機的な状況を乗り越え、一定の絆を構築した二人ですから、ジムの中には、もしかしたらこのまま残ってくれるんじゃないか、という打算があっても不思議じゃありません。
しかも、別にオーロラが冬眠を選んでも、ジムにとっては痛くも痒くもありません。
また誰かを起こせばいいわけですから。
バーテンダーでアンドロイドのアーサーは、同じ轍を踏まないように処分すればいいし。
しかも、ガスのidというフリーパスがあるのです。船内は好き放題に使えるし、目覚めさせる人も選び放題。
ジムは、そんな甘く美味しい餌が目の前にあって、飛びつかない人間でしょうか。
次はもっと巧くやりますよ。そして歯止めが利かなくなるはずです。
さんざん悪だ、悪だと言っておきながらあれですが、「ジムがこうしておけば」とかそういった類の感想は持ち合わせていません。
謝罪と後悔の気持ちがあっても、それに伴う行為全てが悪だと気づいていない、そんな絶対悪が登場する作品が大好物なので一人で勝手に盛り上がってしまいました。
最後に少しだけ
SFとしての緩さ
を指摘しておきます。
- バーテンダーのアンドロイド・アーサーが精巧且つ高性能なわりに、他のアンドロイドがいないのはなぜでしょうか。
- 何故120年もの間使うことが想定されていないのに、アーサーは起動しているのでしょうか。使いもしないバーのバーテンダーよりもセキュリティを守るアンドロイドや、今回のような不慮の事故があった時に修理や船外活動ができるようなアンドロイドの方が必要ではないでしょうか。
- 前半で、ジムは地球のホームステッド本社(宇宙旅行の計画者)に自身の境遇を知らせようと緊急通信を行うのですが、送受信に何十年もかかるようなシステムならいらなくないですか?50年後に返答がもらえるような質問をするバカがいますか?(いた)
- 乗組員のポッドがあるスペースが鉄壁なのに対し、スイートルーム(ジムが無理矢理こじ開けた)のセキュリティが脆弱じゃないですか?
- よく考えたら、ジムが一度入り直したポッドに閉じ込められたけど、空いて本当良かったね。あそこで映画終わってたかも。
こたつに入って熱いお茶でも飲んでミカン剥いてると、そんなどーでもいいギャグ的な演出も気になってくるのですが、
ひとつの娯楽作品としての完成度は高く、特に主役の二人の演技力が圧巻です。
ジムの間抜け面は、今回のような歪んだ視点で眺めると恐怖に変わりますし、敢えて挑発するようなオーロラの色気むんむんな容姿と、反転する激烈な憎悪には圧倒されます。
まとめ
映画の批評サイトでは、ジムの行動の是非やオーロラの心境を理解できるか否か、みたいなところで評価が大きくわかれるようですが、私はジムみたいな悪が登場しただけで変なスイッチが入ってそれどころじゃありませんでした。
ジムは、自分が行った悪がどれほどの悪か計り知れずに、さらなる悪を積み重ねる生粋の悪人でありながら、悪に抗おうと償おうとしているにもかかわらず取る選択肢がことごとく悪、という、個人的には映画史上ドストライクのキャラクターです。胸糞は悪いですが(矛盾)。
だからですね…カップルや夫婦と言った愛し合う二人では見ない方がいいと思います。
オチの在り方以前に、SF的な映像美や近未来的な描写に驚く余裕の無いまま(頭に入ってこないまま)、ただただ不快になるかもしれません。
では!