1937年発表 ヘンリ・メリヴェール卿6 厚木淳訳 創元推理文庫発行
前作『パンチとジュディ』
次作『ユダの窓』
カーの作品は当たりハズレが多いとよく聞きます。
たしかにそういう一面もあると思います。
なんだこれ、みたいな。
え?正気?みたいな。
結果的に作品の出来不出来で評価が変わってくるのは、作家として仕方ないとはいえ、その根底にあるのは作者(カー)のテンションの違いだと思うのです。
まさに本作は「はっ…わたしはさっきまで何やってたんだろう」的な作品だと思います。
ウッヒョーの部分はもちろん前作『パンチとジュディ』、前々作『一角獣の殺人』でしょう。
これでもか、これでもか!と頭に思い浮かんだ奇天烈な現象を詰め込んだビックリ箱だった前作から一転し、どこか「ふぅ…」というカーの自身を落ち着かせるような吐息すら感じます。
それくらいガチガチの本格、しかもゴリゴリの密室が仕上がっているのです。
このギャップがたまらなく好きです。
では粗あらすじ
空家に突如出現した十客のティーカップと孔雀模様のテーブル掛け。警察に届いた予告状から思い出されるのは、2年前にほとんど同じ状況で起きたある事件。前回以上に厳重に監視された状況下で果たして何が起こるのか。
密室カッチカチやろ…いやガッチガチです。
カーの密室ものの代表作『三つの棺』に勝るとも劣らない堅牢さだと思います。
さらに今回の方がシンプルです。
詳しい見取り図はないので、現場の状況をしっかり思い浮かべる最低限の想像力は必要ですが、あればあったで親切過ぎな気もします。頑張りましょう。
物語のエピソードは多く、一見煩雑かに思えますが、よく整理してみると一本道です。
たくさんの挿話が最終的に結実するわけではなく、時系列や順序に一本筋が通っているおかげで、カーにしてはスッキリまとまったミステリに落ち着いています。
一つ一つのエピソードを分解してみると、少々中弛みする部分があるのは事実ですが、どれも全く無駄が無く、長編一作作れそうな上質なトリックも贅沢に織り込まれているのにも気づきます。
例えば、ほぼ同じ筋書きを辿る2年前の事件からは、本件と繋がる謎の環を探すというミッシングリンクの趣も感じられますし、衆人環視の中で起こる密室事件も『三つの棺』のように「○○と××は嘘をついていない」みたいなフリが無い分、事件が目の前で起こるというサスペンスフルな演出が功を奏しています。
解決編での堂々とした手がかり索引も見どころの一つで、やや不自然な状況に目を瞑ればフェアプレイに関しては納得の出来です。
ただ密室を除けば、カーらしさは控えめ(やり過ぎ感はあるけど)なので「カーが読みたい」というよりかは「本格ミステリが読みたい」という読者にオススメしたいミステリです。
以下超ネタバレ
《謎探偵の推理過程》
本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。
2年前の事件と今回の事件の関連性が全く見えず延々と悩まされる。
やはり一番怪しいのはジャネット。
まさに悪女が板についている。
しかもアリバイが完璧すぎるのも気に入らない。動機は完璧なのに…
となると彼女は計画者で、実行犯は他にいるということか?
なら一番怪しいのは夫のジェレミーになる。
彼が妻ジャネットについて語った際に
112頁 不貞はまったくなかった
と確信を持っているかのような口ぶりが気になった。
つまりジャネットは、ジェレミーの指図でヴァンスに近づき、遺産を遺贈してもらう手筈が整ってからアリバイ工作をし、ジェレミーが殺人を実行する、そんな流れだろうか。
またH・M卿から何か思い当たることは?と聞かれたジェレミーが
115頁 うん。わたしは連鎖(リンク)を探せと言いたいね。
と述べたのも引っかかる。
過去の事件との因果関係に着目させようとするミスディレクションかもしれない。
本当は、過去の事件は本当の秘密結社、もしくは事故、または無関係の事件で、それにジェレミーはインスピレーションを受けたのだろう。
とはいえ、密室状況解決の糸口が全く見えないので、犯人にするには根拠薄弱。
重要な記録が読者の前に提供される、と題された14章は、主に被害者の従者バートレットの証言で構成される。ここにはジェレミーのことには全く触れられておらず、フィリップとガードナーが中心に登場する。これはどちらかが犯人か?
兎にも角にも密室が解けなきゃ何の意味もない。お手上げ。
推理予想
ジェレミー&ジャネット
結果
敗北
ジャネットの情夫が誰か、という伏線がちょっと弱い気もしますが、密室トリックには脱帽です。フーなのかハウなのか曖昧なのも上手いですね。
本作で使用されているのは、犯人は部屋に出入りせずに殺害だけをやってのけてしまうことで、厳密に言えば密室ではない部屋を、どう密室らしく(不可能犯罪を)演出するかに注力されています。
徹底的に不可能犯罪である点を執拗に煽ることで、アリバイが無かったり、動機がバレても証拠不十分で無罪になる、という法の盲点も上手く突いた巧妙な事件でした。
それだけ事件(謎)が魅力的なのにも関わらず、登場人物はジャネットを除いて無個性でつまらない人間に写るのがやや残念です。
秘密結社についての情報が犯人の狂言だったというサプライズはありますが、あまりに誰も秘密結社を信じていないためか、その効果も半減し盛り上がりには欠けます。
小さいことを言うなら、トリックについても20メートルも先から小さな焦げ跡を狙って(しかも旧も旧式の)銃で精確に狙撃できるか、という難問はありますが、まあできたんだからしょうがありません。
しかしそれこそ「できた」という可能性も作中で堂々と示されるんですから、そこは素直に素晴らしいと認めましょう。
物語の冗長さとトリックの秀逸さのバランスが悪い作品ではありますが、輝かしい美点は間違いなくあります。
せっかちな人は、中盤イライラするかもしれないので、ゆっくり時間のあるときに、温かいココアでも飲みながら読むことをオススメします。
では!