『月明かりの男』ヘレン・マクロイ【感想】心理学をオチに使わない贅沢な一作

1940年発表 精神科医ベイジル・ウィリング博士2 駒月雅子訳 創元推理文庫発行

 

粗あらすじ

ヨークヴィル大学を訪れたフォイル次長警視正は、詳細な殺人計画が書かれたメモを拾う。警察官の勘か、妙な胸騒ぎを覚えたフォイルだったが、意を決する前に一発の銃声が静寂を破った。事件現場から逃げ出した人物は、月明かりに照らされた姿を複数人に目撃されていたが、その証言はどれ一つ一致せず、男か女かすらわからない始末。一方警察への協力を求められたウィリング博士は、摩訶不思議な実験が行われていた大学内で捜査を始めるが、何かを隠す登場人物たちや、意味ありげなシンボルに翻弄される。

 

前作『死の舞踏』もそうでしたけど、謎の発端と物語への導入部は満点です。レギュラーキャラクターであるフォイル次長警視正の視点で物語が語られ、彼が事件発生後も綿密な初動捜査が行われるところまで責任をもってその役を担うので、無駄な描写や省かれる手がかりがほとんど無くすんなり推理に入り込めます。

また、ここで提示される“月明かりの男”の謎がまた芳醇です。三者三様の異なった目撃証言の真意はしっかり結末部まで引っ張られますし、そのほかにも現場の謎や死体の謎、登場人物の謎に大学の実験の謎、など多数の謎が真相を守る堅牢な盾になっています。

 

そしてそれらの謎を解き明かすために、精神医学の実験(嘘発見器など)というド直球と、時代背景を取り入れた骨太のプロットという変化球が織り交ぜられているのも見逃せません。ココがウィリング博士シリーズ最大の魅力と言っていいでしょう。

また、真相に直結するわけではないのですが、登場人物に用意されたあるサプライズなんかは、これぞ精神科医!という題材に沿った特色あるサプライズでありながら、物語の展開にも影響を与える副次的な効果が秀逸です。この記事を書いている現在もマクロイの作品は併読中で、今のところ第4作まで読んでいるのですが、その全てで精神医学や心理学的要素をただのオチにするのではなく、物語に組み込んだうえで、謎と解決に結びつける卓越した構成力に瞠目させられます。

 

中盤は派生的に事件を広げ、読者を飽きさせないような工夫が多々見られますが、逆に散らかった印象も拭えません。もちろん結末部ではそれらの伏線は全て回収されるのですが、いかんせん物量が多いだけに「何が謎だったっけ?」と頁を遡らなければならないこともしばしば。

読みながらしっかりメモを取ったり、一気読みする習慣がないのが良くなかったのか、謎解きという点では少しダラけてしまいました。

あと、ミステリにロマンス、という個人的に大好きな組み合わせも登場するのですが、謎解きには少し邪魔というか前述の心理学的要素とのマッチングに比べると合っていない気もします。

 

最後にグチグチ言いましたが、有無を言わせない圧倒的なサプライズは健在で、論理的な美しさも高水準。80年も前に発表されたとは思えないほど、説得力のある心理学描写とミステリの完ぺきな融和を体験できるというだけでも、ぜひ多くの人に読んで欲しい名作です。

 

ネタバレを飛ばす

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

メインの謎、“月明かりの男”がただの見間違いなのか、それとも全員が正しいというトリッキーな答えなのか迷う。“見間違い“がウィリング博士の言う「心理学的な指紋」なのだとしたら、一人だけ女だと言ったソルトが怪しく見える。

遺書の“打ち間違え”も間違いなく手がかりの一つだろう。まあ、どう真相に繋がるかは全くわからないが…

 

コンラディの秘密の研究とドイツ人留学生の自殺など、豊富な派生を見せる中、どうコンラディ、エミリー殺害に繋がるのか見えない。さらに、円形に十字のシンボルと奇怪な行動をとるホールジーの謎が絡みだすと何が何やら…

 

終盤に入り、コンラディ、ディートリッヒ殺害の動機が明らかになると、犯人はぐっと絞り込まれる。フェンローかソルトか、どちらかだろう。ウィリング博士が「愛国心か金銭欲か」と言っているし。

 

推理

ジュリアン・ソルト(の方がフェンロー博士よりかは面白そう)

結果

勝利?

慣習による推理のため、勝利とは言い難いうえに、候補者が少ないにも関わらずソルトが犯人だとわかった瞬間には驚きました。

目撃証言の違和感には気づいたのに、論理的に事件を構築できなかったのは悔しいです。

 

ミステリの様式で言えば、心理学の連想実験が、犯人の炙り出しのためでなくホールジーの秘密を暴くために用いられるなど、かなり贅沢な構成になっていますし、手に汗握るサスペンスフルな犯人との対峙シーンも素晴らしいの一言。前作以上に磨き上げられた本格ミステリなのは間違いありません。

 

 

 

ネタバレ終わり

美しいパズルと緊迫したサスペンスが魅力の一作ではあるのですが、登場人物はいささか紋切り型。犯人も含めてペランペランな気がしないでもありません。もちろん、人間が書けているかどうか、というのがミステリに必須ではないとはいえ、もう少し人間味のある配役ができていれば、読み応えはあったかもしれません。

では!

『死の舞踏』ヘレン・マクロイ【感想】ホットな死体と、クールな探偵

発表年:1938年

作者:ヘレン・マクロイ

シリーズ:ベイジル・ウィリング博士1

訳者:板垣節子

 

ヘレン・マクロイにチャレンジするのはこれで二度目。初挑戦は、なんの気紛れかベイジル・ウィリング博士シリーズ第5作『家蝿とカナリア』からでした。該当記事は、海外ミステリ初心者だった鼻たれ小僧時代の記事なので、紹介が憚られます。

 

ということで初心に返ってまずは作者紹介から。

ヘレン・マクロイという女

1904年ニューヨークに生まれたヘレン・マクロイは、日刊紙の編集長である父の才能を受け継ぎ、14歳という若さで評論原稿で収入を得るほどの才人でした。

その後、パリの大学に進学し、アメリカの新聞社の特派員として働く傍ら、評論やミステリ、詩などを発表し生計を立てます。

 

主なシリーズは、本書でデビューした精神科医ベイジル・ウィリング博士。「心理的な指紋」と呼ぶ精神分析によって見出される手がかりを元に、数々の難事件を解決へと導くミステリ界屈指の名探偵です。

本書のような本格ものから、サスペンス溢れる作品まで、数多くの名作を世に送り出した彼女は、女性では初めてMWA(アメリカ探偵作家クラブ)の会長を務めた人物でもあります。

近年、続々と未訳長編が翻訳されている勢いのある女性作家なので、この機会に名前だけでも覚えて帰ってください。

 

 

本書のあらすじは、帯をお見せするだけで十分でしょう。

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帯下の紹介分までクールです。

 

本書、実はちょうど1年くらい前まではレア中のレア本(古本で1万とか2万はザラ)でした。

それが今では普通に定価以下で売ってますし、新品も紀伊国屋とかに並んでるんで驚きです。入手するとしたら間違いなく今がチャンス。

 

 

閑話休題、帯にもあるとおり魅力的すぎる事件の発端です。でも、これだけじゃないんです。

いや、これじゃない、が正解でしょうか。

本書の真の魅力は、異常でホットな死体ではなく、ウィリング博士の言う「心理的な指紋」の数々です。魅力的な「事件の謎」ではなく、魅力的な「手がかり」の数々に着目して読みましょう。

意識的な言動ではなく、無意識化の言動やちょっとした言い間違い・勘違いなどのミスが、謎の解決に一役買っている点が他のミステリにない最大の美点です。ともすれば、このテの手がかりは突拍子もなく眉唾物に思われてしまう可能性もありますが、本書の場合はどれもが説得力を持ち、手がかりの真の意味が明かされたときに、解決編も含めて重みのあるサプライズにつながるのも見逃せません。

また、探偵の真相を閃いた瞬間も丁寧に描写されているのも好きなポイント。ウィリング博士のクールな雰囲気が作品とも絶妙にマッチしています。

プロットの秀逸さも抜群で、1920年代の作品とは明らかに毛色の違う、黄金時代後期を代表する名作だと言えます。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

雪の中で熱中症らしい状況で見つかったアツアツな美女の死体。というだけでツカミは十分。

しかし、さらっと毒物による中毒死だと明かされるので、いささか面食らう。大丈夫か、そんなに簡単に明かして(あと200頁持つの?)。

 

第13章(頁144)で「心理的な指紋」の重要性が指し示されてから、入念に犯人のミスに視点が誘導されていく。うっかりミスねえ…

第18章ではわざわざ登場人物たちの心理的な指紋を一つひとつ提示し、改めて読者へ考察させる丁寧ぶり。

このどこかに犯人を指し示す重要な手がかりがあるはず…なのだが。

 

いち探偵として挑んでみると、まずスベルティスの副作用を知っている人物でなければ、殺人はできない。単純に伯父のエドガーが容疑者候補。

しかし、機会があっても動機は皆無。というか、そもそもキティを殺したいとはっきりとした殺意を抱いていた人物すら見つからない

気が付くと解決編…降参。

 

推理

結果

キャサリン・ジョウィット(愛娘がダイエット薬の副作用で死んだのに、企業にスキャンダルをもみ消される。さらに、その薬の宣伝モデルが自分では呑んでいなかった事実を知り生じた歪んだ復讐心。)

 

ホワイダニットのひとつの完成された形です。

う~ん、これからは特殊な形の毒殺が出てきた場合、その毒で過去に死んだ人物にも着目しなければならない、と教わった気がします。

最も決め手となる「心理的な指紋」が英語の綴り間違い、ということで、日本人にとってはかなりアンフェアな記述にはなっていますが、ここを仕方ないと受け流すことができるか・我慢できるかどうかで評価が大きく変わります。

個人的には、ちゃんとキティの署名(随所に登場)と犯人の名前がちゃんと英語で書かれていて関連性が提示されても、動機まで推理できたか怪しいと思っています。

 

 

ネタバレ終わり

オチまで美味しく楽しめる傑作長編であるうえに、物語の余韻が良いです。事件解決後の世界にも思いを馳せたくなるような独特の余韻が、どことなくクリスティの作品群を想像させます。

事件の題材は、現代でも色褪せない性質を持つので、この機会に重版・文庫化され多くの人の手に渡るといいなあ。

では!

 

物語のクセがすごい【感想】G.D.H.&M.コール『百万長者の死』

発表年:1925年

作者:G.D.H.&M.コール(夫妻)

シリーズ:ヘンリー・ウィルスン警視2

訳者:石一郎

 

遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。本年も僕の猫舎をどうぞよろしくお願い致します。まだまだ昨年の読書感想が残っているので、まずはその消化から。

 

 

本書『百万長者の死』が発表された1925年といえば、クロフツが『フレンチ警部最大の事件』でフレンチ警部を初登場させ、バークリーが“”という名義で『レイトン・コートの謎』でデビューし、ノックスが異色作『陸橋殺人事件』を発表するなど波乱に満ちた年。

そんな年に、ジョージ・ダグラス・コールマーガレット・コールという、二人そろって社会主義活動家で経済学に長けた夫婦が発表したのが本作になります。教養高い二人が共に作っただけあって、「お高い」「退屈な」ミステリという印象を与えがちなコール夫妻ですが、実際はどうなのでしょうか。

コール夫妻の他のシリーズの中には、本作のウィルスン警視シリーズ以外にも、私立探偵である息子を助けるワレンダー夫人シリーズ、なんてのもあるみたいです。絶対面白いよなあ…

邦訳化されている作品は入手難易度が高く激レアですし、邦訳化も少ないのでこれからどんどん紹介してほしい作家の一人です。

かくいう本書も↓こんな具合なので、併せて復刊してもらえると助かります。


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ISBNコードすら存在しない…


あらすじ

ロンドンで最高級のホテル、サグデンホテルに滞在する傑物イーリング卿は、秘密の会談を行うため交渉相手レスティントン氏を待っている。待てど暮らせど姿を現さないレスティントンに業を煮やした卿が彼の部屋に飛び込むが、そこはもぬけの殻にもかかわらず、紛れもない犯罪の痕跡があった。部屋から消えたロシア人秘書と鉱石の山、そして彼らの秘密裏の盟約には何の意味があるのか。

 

結構多めにあらすじを紹介してしまいましたが、基本的にずーっとこの謎を最後まで引っ張るので楽しみを削ぐことはないはず…

イギリス一の富豪で、政界の有能な権力者で、大企業の社長という傑物がしゃしゃり出て物語を搔き乱すので、いち警察官が地道に捜査を進めるのも一苦労。(彼は違う百万長者)

関係者たちが一様に本当のことを言わず口を閉ざす、という圧倒的不利な状況下で、ヤードの担当警部ブレーキと上司ウィルスン警視が苦労を重ねながら少しずつ真相へと迫ってゆきます。

たしかにこの地道な過程だけ見ると、クロフツっぽいっちゃあぽいのですが、物語の筋にも着目してみるとドラマチックさはホームズものを彷彿させますし、ブレーキ警部とウィルスン警視のバディものとしても楽しめます。

さらに肝心要の事件の真相については、(ぼんやりとしか言えませんが)さすがコール夫妻と唸らされるだけの風刺があふれた厚みのあるネタになっているので、ぜひ多くの読者に体験してほしいところです。

そして最後に待ち受けているのは、ブラックよりの皮肉に満ちたオチ。1920年代にあって、これだけメタ的要素を出した作品はかなり珍しいと思います。

 

なかなか容易に手にすることはできないかもしれませんが、王道な1920年代の本格ミステリの中でクセがすごい一品として、古本屋で見つけたらぜひ手に取っていただきたい作品でした。

ネタバレを飛ばす

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

死体消失、とくればやはり、そもそも死体が無かったと疑いたくなるところ。

そうなると先ず疑いたいのは部屋に閉じ込められていたカルペパー氏。ラドレット(レスティントン)の死体を見た、というのはカルペパーただ一人の証言によって支えられている。

しかしながら自分で自分を縛ることはできないので、単純に考えるとカルペパーは容疑者と共犯しラドレットを殺害したように見せかけ、ローゼンバウムという案山子を用意したことになる。

 

一度、もう一人の重要参考人ジョン・パスケット(と名乗る)人物の視点で考えてみよう。

彼曰くラドレットとともに脱獄したらしいが、中盤以降ラドレットがすでに死んでいる、という情報が飛び出す。

ではなぜパスケットは嘘をついているのか。

間違いなくラドレットの財産を端に発する詐欺事件に違いない。

 

一方でカルペパー一家の動静にも進展があり、なんらかの策謀の様子も見られる。

中心にあると思われる、故ラドレットの特許事業と、それを欲するイーリング卿、財産(権利)相続に一口乗ったカルペパー、そして相続人パスケット、で事件は完成だろう。

 

推理

犯人なし(ラドレットはすでに死んでいる)

事故を偽装しただけ

結果

うんうん。大筋は合っていました。

合って、というよりか、全て順序立てて丁寧に説明されるので、それをそのまんま順番に読んだだけなんですけど…笑

 

話の面白さはもちろん、物語が進むにつれて悪党の顔になってくるイーリング卿がいい味を出しています。悪党と探偵、という構図だけではなく、悪党とその甥という別軸の対決が用意されているのも巧みです。

また、詐欺に加担した大悪党にもかかわらず、持つ権力故に正面から抗えない、というのも皮肉が利いています。

 

一口にこんなミステリですよ、と言えないのが実に良いですよねえ。社長が自社の利益を最優先に詐欺をはたらくという点では企業犯罪なんですが、一方で社長も騙されていて殺人事件の真相を知りたいわけで、根底にはしっかりと殺人事件を追及する流れができています。

挿話に注目すると、はたしてパスケットはクロかシロか怪しげな人物として映るので、殺人か事故なのではないか、という雰囲気も漂ってきます。

じっくり読み込めば、もっと味わい深くなる作品かもしれません。

 

 

 

ネタバレ終わり

従来の型にはまったミステリを期待する読者なら肩透かしを食らうこと間違いなしだとは思います。

なので一度先入観を取っ払って、トリックの秀逸さやプロットの出来だけではなく、ストーリーテリングの巧さに着目して読むと、その輝きがしっかりと感じ取れるはずです。

では!

2018年読了海外ミステリベストテン

早いもので2018年ももう終わり。今年は昇格試験の年ということもあって、10月以降ガックリ読書数を落としてしまい最終結果は49冊(うち海外ミステリは45冊)でした。週一ペースを維持できず残念な気持ちもありますが、生涯ベストに肉薄する傑作と国内ミステリの最高峰と呼ばれる作品に出会えたので達成感は十分。

 

2018年読了ミステリベストテン

第10位『ラバー・バンド』(1936)レックス・スタウト

私立探偵ネロ・ウルフものを読み始めた時は、ここまで面白くなるとは想像もつきませんでした。シャーロック・ホームズものの古き良き雰囲気の中、緻密なプロットで書かれた優れた長編です。

前言撤回します。【感想】レックス・スタウト『ラバー・バンド』 - 僕の猫舎

 

第9位『ホッグズ・バックの怪事件』(1933)F.W.クロフツ

作者クロフツの安定した手腕の中に垣間見えるチャレンジ精神・開拓精神が完ぺきにハマっています。拘りや自分の強みを残したまんま、シリーズいち憎むべき犯罪が扱われているのも着目ポイントです。

絶妙な配合比率で生み出された力作【感想】F.W.クロフツ『ホッグズ・バックの怪事件』 - 僕の猫舎

 

第8位『赤い箱』(1937)レックス・スタウト

章毎に面白さが雪だるま式に増してゆく、というだけでも、ベストテンに入れたくなる良作でした。決して白眉のトリック・真相が用意されているわけでもないのに、物語に秘められた謎だけでここまで引っ張れるのは凄いと思います。

全章フルスロットル【感想】レックス・スタウト『赤い箱』 - 僕の猫舎

 

第7位『ビロードの爪』(1933)E.S.ガードナー

アメリカのハードボイルドの醸し出す雰囲気があんまし好きじゃないので、入り込めるか心配でしたがなんのその。

超個性的な一人の女性を始めとして、まったく無駄のない配役が見事です。探偵役が弁護士、というのも初めてだったのでただ純粋に楽しめた一作です。

ソフトボイルドがいい塩梅【感想】E.S.ガードナー『ビロードの爪』 - 僕の猫舎

 

第6位『ビッグ・ボウの殺人』(1892)イズレイル・ザングウィル

程よいテンポ、密室トリック、推理合戦の趣向、豊富なサプライズ、魅力的な法廷描写、どこを切り取っても一級品という作品はなかなかありません。1800年代に書かれたとは思えない傑作長編でした。

控えめに言って傑作【感想】イズレイル・ザングウィル『ビッグ・ボウの殺人』 - 僕の猫舎

 

第5位『サウサンプトンの殺人』(1934)F.W.クロフツ

丁寧で硬派な題材にもかかわらず、すいすい読めてしまう上に、話自体が面白い。シリーズ12作目なので、安易に手を出しにくい作品かもしれませんが、過去作のネタバレは無かった(はず)なので、少し無理してでも読むのをオススメしたい作品です。

丁寧な仕事してます【感想】F.W.クロフツ『サウサンプトンの殺人』 - 僕の猫舎

 

第4位『スペイン岬の謎』(1935)エラリー・クイーン

まだ感想が書けていません、申し訳ない。

今までの国名シリーズのらしさが全面に出ながらも、人間ドラマにも力が割かれているおかげで抜群に読みやすい作品でした。続きはまた今度。

 

第3位『オシリスの眼』(1911)オースチン・フリーマン

クラシックミステリの名作が3位にランクインです。これは感想記事で書きたいことは全て書いたので、そちらをご覧ください。

真のクラシック・ミステリ【感想】オースチン・フリーマン『オシリスの眼』 - 僕の猫舎

 

第2位『死の舞踏』(1938)ヘレン・マクロイ

こちらもまだ感想が未完成です。

一度読んだら忘れられない魅力的な事件の発端と、驚愕の真相が堪りません。デビュー作でこれだけハイレベルなんですからねえ。

 

第1位『蝋人形館の殺人』(1932)ジョン・ディクスン・カー

本作は今年だけでなく、生涯ベストの中でもベストテンに堂々と入る傑作です。初期のバンコランものとは少~しキャラクターが丸くなっているきらいもありますが、それが奏功しているのは確かでしょう。

カーといえばH・M卿フェル博士だけじゃない。パリ予審判事アンリ・バンコランの真の実力が発揮されています。

ベスト・オブ・バンコラン【感想】ジョン・ディクスン・カー『蝋人形館の殺人』 - 僕の猫舎

 

隠れた名作たち

ベストテンには入らないものの、一度読んだら忘れられない隠れた名作(迷作)たちをご紹介します。

 

『編集室の床に落ちた顔』(1935)キャメロン・マケイブ 

国書刊行会発行世界探偵小説全集の中の一冊ということもあって、入手難易度の高さがネックですが、奇書よりの一冊として絶対忘れられないミステリです。

扱われている題材は正統派本格っぽいだけに、結末に進むにつれ徐々に崩壊していく様が圧巻です。

推理小説殺し【感想】キャメロン・マケイブ『編集室の床に落ちた顔』 - 僕の猫舎

『黒衣の花嫁』(1940)ウィリアム・アイリッシュ

初アイリッシュでしたが、完全にハマりました。

解りやすいプロットの中にしっかりとサプライズが用意されているうえに、結末で感じるカタルシスや従来のミステリとは一線を画す性質を持っています。

アイリッシュの作風でもある孤独や遣る瀬無さが滲み出る名作です。

サスペンス小説の匠による名作【感想】コーネル・ウールリッチ『黒衣の花嫁』 - 僕の猫舎

 

短編部門

短編部門のエントリーは全8作品。豊作揃いでどれを紹介しようか迷います…

 

『ルパンの告白』(1911)モーリス・ルブラン

ご存知アルセーヌ・ルパンシリーズの一作です。古い訳でもまったく障害にならない素晴らしい短編がたくさん詰まっています。珠玉の傑作『赤い絹のマフラー』は、最近改版された創元推理文庫の『世界推理短編傑作集2』にも収録されていますので新訳版が読みたい方はそちらもおすすめです。

ルパンの多面性を堪能【感想】モーリス・ルブラン『ルパンの告白』 - 僕の猫舎

 

『タラント氏の事件簿』(1936)C.デイリー・キング

幻想的で摩訶不思議な短編集です。もちろん骨太の本格ミステリもあるのですが、奇妙味がある作品の方が面白いです。どの作品が、というより連作短編としてじっくり味わってほしい一冊でもあります。

変な武器で変な攻撃してくる刺客【感想】C.デイリー・キング『タラント氏の事件簿[完全版]』 - 僕の猫舎

 

『エラリー・クイーンの冒険』(1934)エラリー・クイーン

間違いなく短編集部門の頂点に君臨するであろう最高品質の短編集です。クイーンの“神”たる所以を理解できます。

神たる所以【感想】エラリー・クイーン『エラリー・クイーンの冒険』 - 僕の猫舎

 

『アブナー伯父の事件簿』(1918)M.D.ポースト

作品自体の質というよりもその世界観が好みです。1800年代のエネルギッシュな開拓時代のアメリカが舞台というだけで、ワクワクしてきます。『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズの『SBR』っぽい感じ…ってわかりますかね?

新訳化急募【感想】M.D.ポースト『アブナー伯父の事件簿』 - 僕の猫舎

 

あと2018年は久しぶりに国内ミステリを読みました。島田荘司『占星術殺人事件』です。この超傑作をネタバレに合わないうちに読めたのは幸運でしたねえ…しかし、トリックや凄みは確かにありますが、読者との距離は遠いというか、モヤっとする部分もあったり…当ブログで感想記事として公開するかはまだ迷っています。

 

 

ということでだいぶ駆け足にはなってしまいましたが、2018年の総括は以上です。

今年の10月以降は受験勉強もあってほとんど読書ができませんでしたが、来年合格してたら…気合を入れてバンバン読書したいと思っています。逆に落ちていたら…来年も受験勉強が待っています。考えたくねえ…

 

まだまだ貧弱なブログではありますが、1年間読んでいただきありがとうございました!来年もよろしくお願いいたします。

よいお年をお迎えください。

では!

新訳化切望【感想】M.D.ポースト『アブナー伯父の事件簿』

発表年:1918年

作者:M.D.ポースト

シリーズ:アブナー伯父

訳者:菊池光

 

 

今年は短編集を読む機会が少なく、結局たった7作品しか読めなかったのですが、その中でも断トツにお勧めしたい短編集が本書です。まずは初ポーストということで作者紹介から。

M.D.ポーストという男

メルヴィル・デイヴィスン・ポーストは1869年牛や馬の飼育で生計を立てている一家の長男として、アメリカ・ウエストバージニア州に生まれます。そんな環境から子どものころから牛や馬と触れ合う活発な少年でしたが、大学では法律について学を深め卒業後は弁護士として腕を振るいながら、夢であった作家にも果敢に挑戦してゆきます。

個人事務所の開設、結婚、子どもの誕生など順風満帆に見えた矢先、生後18か月で愛息子が他界。ポースト夫妻は深い悲しみを癒すため、仕事も辞めヨーロッパ旅行に赴きます。この時の経験が活きたのか、ポーストはイギリスの大衆雑誌にも連載を開始するようになり、1907年悪徳弁護士ランドルフ・メイスンもので作家としての地位を確固たるものにするのでした。

1914年に実母が亡くなって以降、拠点を故郷に移し、アブナー伯父の短編集を出版。その人気はますます高まります。しかしながら、ポーストの晩年は最愛の妻と父の死も重なり孤独なものだったようです。愛馬〈マーゴ〉を乗り回したり、隣人を招いて会食をしたりと、その孤独を紛らわす中、なんとその愛馬から落馬。その時の怪我がもとで1930年61歳の生涯の幕を閉じました。

 

本書「アブナーもの」も面白いんですが、それ以上に気になったのが、もう一つの主要シリーズ、史上初の悪徳弁護士ランドルフ・メイスンもの。法の抜け道を利用して犯罪者の無罪を勝ち取る、というのが大筋なようで、めちゃくちゃ面白そうなのですが、『クイーンの定員』に選ばれている作品しか邦訳では読めないのは残念すぎます。こちらも邦訳化が待ち望まれるシリーズかもしれません。

 

探偵役アブナー伯父について

一言で表現するなら、史上最も戦闘力の高い探偵、それがアブナー伯父です。推理小説の勃興から100年以上経ち、銃をバンバンぶっ放す探偵も数多く登場してきましたが、神の威光を感じさせる厳格で絶対的な力を持った探偵はアブナー伯父ただ一人です。

以下、本書第一編『天の使い』の一文です。

彼は、戦う教会の一員で、彼の神は、軍神である。

(一瞬、関羽かなんかかな?とは思いましたね)

 

常にポケットには聖書が入っており、気が向いたらいつでも読む、みたいな信心深いエピソードと全くマッチしない激烈な性分に最初は面食らうはずです。

しかし、直接的な暴はほとんどなく、聖書の警句や神への畏怖などの人々の信仰心に火をつけるような巧みな話術にこそ、彼の本質が感じられます。

似たような聖職者探偵ブラウン神父とは一味違い、第一印象からひとかどの人物であることがわかる超個性的な探偵ですが、決して非人間的ではなく、むしろ純粋に悪を憎む正義感の強すぎるおじさん、それがアブナー伯父なのかもしれません。

 

この「伯父」ですが、本編の語り手がアブナーの甥である9歳のマーティン少年だからで、彼はポーストの少年時代を投影したキャラクターだと言われています。

9歳の男の子の視点ですから、少年らしいユーモラスな筆致も魅力の一つなのですが、同時にアブナー伯父に対する羨望と畏敬の念もひしひしと感じられます。

 

あと書いておかなければならないのは、本書の舞台が1800年代前半のアメリカ開拓時代だという点。

アブナー譚が初めて世に出たのが1911年ですから、本書は約100年前を舞台に書かれたある意味歴史ミステリであり、さらには作者ポーストの目線で書かれた自伝的推理小説という点も忘れてはいけません。

本書を読んで200年前のアメリカに旅立ち、アブナー伯父とともに開拓時代の熱気溢れる厳しくもエネルギッシュな物語を堪能してください。

 

各話感想

『天の使い』(1911)

語り手マーティンとアブナー伯父の初登場作品です。

銀行など全くない時代、金の支払いという重要任務に就いた9歳の子どもの視点で物語は進みます。

謎と解決というミステリの根幹部分はアブナー伯父に丸投げ状態ですが、罪を犯す意を決した人間の表情はとても印象的です。

 

『悪魔の道具』(1917)

短編集にはお馴染みのの盗難事件が題材です。

単純なフーダニットに落ち着くのではなく、盗難品の性質がちゃんとミステリに反映されているので、想像以上にサプライズを感じる一編です。アブナーの推理小説作家としての力量を推し量るにはもってこいの作品です。

 

『私刑(リンチ)』(1914)

状況証拠に基づいて結論を急ぐ危うさを、「私刑」を通して表現した異色作です。

はっきりと謎が提示されるわけでも、どんでん返しがあるわけでもないのですが、アブナー伯父の果たす役割には捻りが利かされています。

 

『地の掟』(1914)

摩訶不思議な状況で消失と出現を繰り返す金貨のお話。不可能色溢れる題材と、濃い登場人物たちが印象に残る佳作です。

しっかり手がかりも提示されており、短編としての完成度が高いだけでなく、事件を〈魔女の伝説〉に絡めるなどエンタメ性も十分。

 

『不可抗力』(1913)

本書の中でも上位の一作です。

“神の御業”としか言いようがない不可抗力による事故で死んだ男が、如何にしてその不幸を身に招いたのか。

解決までのプロセスに明らかな欠落があるのは事実ですが、そこが補完されていれば屈指の名作短編になっていたであろう作品です。オチもアブナー譚を代表するかのような印象的なものになっています。

 

『ナボテの葡萄園』(1916)

ここにきてシンプルな殺人事件が登場します。仔細を分析してしまうとただの捜査記録以上のものではないかもしれませんが、物的証拠に着目し、法廷という魅力的な舞台の中で大どんでん返しをやってしまう手腕には脱帽です。

オチまで勢いを落とすことなく、スピード感があるのも特徴でしょう。本書を代表する一編であることに違いはありません。

 

『海賊の宝物』(1914)

いやあ巧い一編です。

遺産相続に絡む招かれざる放蕩息子の帰郷、というよくあるテーマの事件。

もちろん真相はあからさまに目の前にぶら下がっているのですが、解決までの過程に工夫が凝らされています。最後の一言がビシッと決まるのも快感です。

 

『養女』(1916)

こちらもシンプルな殺人事件。

“養女”を取り巻くドロドロとした雰囲気も良いのですが、やはり決定的証拠を頼みの綱にしたその構成力に目を見張るものがあります。もちろん、時代を考慮しないといけない部分もありますが、本書の中では好きな一編です。

 

『藁人形』(1917)

本書中ベストを決めるなら間違いなく本作です。

一見どこにでもある強盗殺人のように見える事件ですが、現場の状況には不審な点ばかり。ちゃんと犯人を指し示す決定的な証拠も巧妙に描かれており、フェアプレイの観点でも満点。100年以上の時の経過にも耐えうる名作短編です。

また、アブナー伯父の探偵観にも読み応えがあり、ミステリファンには是非ともお勧めしたい逸品です。

 

『偶然の恩恵』(19??)

迫力満点の一編が登場します。

サプライズを犠牲にして描かれるのは、アブナー伯父と犯罪者のヒリヒリとした一騎打ち。

話が進むにつれ事件の全容が少しずつ明らかになり、緊張感が高まっていくのが堪りません。何度読んでも楽しめる一作です。

 

『悪魔の足跡』(1927)

殺人が題材の“馬”ミステリです。

開拓時代のアメリカという背景と、事件が起こる舞台、そして小道具が絶妙にマッチした作品ですが、他の短編に比べると似たり寄ったりの部分が多いのも事実。訓話めいた、という点ではブラウン神父譚に通じるものがあります。

 

『アベルの血』(1927)

骨太のトリックが用いられている点で、本書の中でも注目すべき一作です。

現場に残された手がかりの一つひとつから的確に犯人を指し示すアブナー伯父が圧巻です。

あのクイーンが「完璧なタイトル」と評したのも頷けるオチのゾクゾクした感じ(宗教画っぽい雰囲気も好き)を是非体験してほしいです。

 

『闇夜の光』(1927)

「夜であった。」という、なんとも意味ありげな書き出しで始まります。

それ以外特筆すべき点はないのですが、脇役のアダム・バード老(『アベルの血』にも登場)が良い味を出しています。

 

『〈ヒルハウス〉の謎』(1928)

執筆順にしても最後のアブナー譚が本中編です。

ボリュームに比べるとミステリのエッセンスは物足りませんが、やはり解説でも触れられているとおり登場人物の一人がミソです。本作を読んで第一編『天の使い』を読むとまた味わい深いものがあります。

 

まとめ

論理的に整った素晴らしい短編集というわけではありませんが、1900年代の前半に発表された作品群ということを考慮すると求められるモノは違ったわけですから、そこらへんはご愛敬。

味わってほしいのは、アブナー伯父の迫力ある語り口と、インパクトのある解決方法の数々です。

ブラウン神父とは違い正式な聖職者ではないからこそ導き出せる解決手法は、法という規範意識がまだまだ徹底されていなかった1800年代のアメリカにもピッタリはまっています。

ぜひ昨今の古典ミステリブーム(?)に乗っかって新訳化を切望する短編集でした。

では!

 

丁寧な仕事してます【感想】F.W.クロフツ『サウサンプトンの殺人』

発表年:1934年

作者:F.W.クロフツ

シリーズ:フレンチ警部12

訳者:大庭忠男

 

染みわたるわあ~、砂漠で飲むお水くらい染みわたる。アクの強いカー作品を読んだ後ということもあって、真っ直ぐな作品に出会うとすいすい読めてしまいます。

今日紹介するのは、「今年はクロフツ祭りだ!」とか言っておきながらたった8作しか読めていないフレンチ警部シリーズの第12作。

 

本書はミステリとしての装いにひと手間加えられたプロット重視の名作なのですが、単体としてだけでなく、シリーズ作品としても感慨深い、記念すべき一作でもあります。

未だフレンチ警部に出会っていないそこのあなた!

新訳版も出ているので、ぜひシリーズ第一作『フレンチ警部最大の事件』からチャレンジしてほしいです。

 

間の10作も粒ぞろいなんですよこれが。名作『スターヴェル』や『海の秘密』、プロットの妙技が光る『二つの密室』にサスペンスフルな『死の鉄路』、絶対的悪が登場する『ホッグズ・バック』も捨てがたいです…

 

 

では感想をば。

本書の核心となるネタをあまり明かしたくないので、あらすじは省略しますが、題材はクロフツが得意とする企業犯罪です。この犯罪の行程がまず面白く、動機や手法にも説得力と確かなリアリティがあります。

また、当時の時代背景や、人々の生活環境がばっちり反映されているので、ミステリとしてだけでなく激動のヨーロッパの情勢に触れることができるのも楽しみの一つです。

 

そして、この設定を背景に、クロフツが用意した仕掛けをもって絵が描かれると、とたんに特殊な効果が発揮されるのが堪りません。

クロフツ従来の作品に比べると、丁寧に描きすぎて犯人まるわかり、トリックモロ見えみたいな弊害が全くなく、丁寧に堂々と描かれていながらも、一部分が見えそうで見えない、歯痒い感じが常にあります。ここに、推理を楽しむ余地が生じるのです。

 

一方、探偵役のフレンチ警部による捜査はいつも通り、地道で堅実そのもの。お旅行気分満載とはいきませんが、自分だけの知識では解決できない点は専門家から学んだり、得た知識を実地検証したりと、いつものフレンチ流探偵術だけでも、ワクワクしてきます。

どの捜査をとっても無駄足というわけではなく、フレンチ警部にとってはむしろ可能性の排除と言う点で、得るものがないのは進展の一つです。

この丁寧さこそ他のミステリ作家には出せない色なので、トリッキーな作品が好みの方にも一度はクロフツ作品に触れてほしい所以です。

 

あとは味わい深いオチでしょうか。

多少説明くさい文章にはなっていますが、ちゃんと登場人物のその後まで配慮が行き届いているので、読後感も爽やかです。

また次の作品でお会いしましょう、とフレンチ警部が優しく手を振っている姿が想像できる、そんな柔らかなミステリでした。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

本書旧装版の帯にも書いてあるように、「倒叙+本格」という新たな試みが、完全に成功している。

たぶん前作『クロイドン発12時30分』がトライアルになっていて、そこから着想を膨らませ描き切れなかったところを改善したのだろう。倒叙の形に興味を持っていたことは、もう少し前のフレンチ警部登場作品から薄っすら感じ取れるのだが…

クリスティやクイーンからは、常に新しく・今までにないものをという強いエネルギーを感じるのだが、クロフツの場合、過去作のブラッシュアップに注ぐ熱量が多く、しかもちゃんとより良いものになっているのだから毎回驚かされる。

企業犯罪というテーマ一つとっても、『製材所の秘密』『紫色の鎌』etcとどんどん精度が上がっているのがわかる。

 

 

倒叙という形式上、推理と呼べるほどの考察は必要無いハズなのだが、第二の事件が起こり、その犯人が第一の事件の犯人と同一人物ではない、と言われるとガラリと様相が変わってくる。

 

臆病で小心者のブランドは主犯から外すとして、大本命は実行犯キング

しかし、鉄壁のアリバイがあり、上司タスカーの助けなくしては犯行は不可能。

ここの物理的トリックはフレンチ警部におまかせ。

 

推理

フレデリック・キング(実行犯)

ジェームズ・タスカー(共犯者)

結果

ジェームズ・タスカー(首謀者!

フレデリック・キング(実行犯)

 

ほーほー。

タスカー、おぬしも悪よのう。

 

ほとんど最初っから黒幕だったとは驚きました。

あとは、随所に光る小技が良いですね。新製法に書かれた間違った文法までそのまんま写してしまったり、フレンチ警部が臆病なブランドから攻め落としたり、事件後ブランドはライバル会社から引き抜かれるけど、嫌気がさして国を離れたり(笑)、と全てのパズルピースが正しい場所に収まるよう念入りに物語が作られている点にクロフツの巧さを感じます。

 

 

 

ネタバレ終わり

フレンチ警部シリーズのランキングとか作ったら、絶対上位に来そうですねえ。

本シリーズ未読はあと17作もあるのですが、その内数作しか持ってない…全作読破・ランキング作成は遠い先のことになりそうです。

どうか、続々と新訳版が出ますように!そして、たくさんの人がフレンチ警部に出会えますように!東京創元社様、読者の皆々様よろしくお願いします。

では!

インパクト良し読後感悪し【感想】ジョン・ディクスン・カー『死者はよみがえる』

発表年:1937年

作者:J.D.カー

シリーズ:ギデオン・フェル博士8

訳者:橋本福夫

 

粗あらすじ

雪片ちらつく冬のロンドンに青年が一人佇んでいる。冒険旅行の終着点であるホテルの前で彼の前に舞い落ちたのは、雪片と見紛う一ひらの紙片。純白の招待状にいざなわれ、殺人事件の渦中に投げ込まれた青年が荒波の中縋り付いたのは、名探偵ギデオン・フェル博士その人だった。

…なんですかこれ。力入り過ぎて、変な感じしかしないですけど、冒頭(事件への導入)からかなり手の込んだ展開にはなっていると思います。

計らずして重要参考人となってしまった青年という偶然の要素も面白いのですが、事件自体がそもそも途中経過であり、現在進行形であり、幕間劇扱いなのですから驚かされます。

ただでさえ難解な不可能犯罪なのにも関わらず、探偵として過去と現在、そして未来の三方向に推理を働かせるのは至難の業です。

 

また、摩訶不思議な方法で行われた犯罪に添えられている、意味ありげなホテルの平面図と奇怪な登場人物たちがまた作品の雰囲気にマッチしています。それらの手がかりを元に、正体不明の制服の人物や密室などの立体的な謎を解かなくてはならないのですが…

ネックはやはり解決編、いや解決そのものです。

 

一つひとつの手がかりから導き出される(であろう)真実を順に並べてゆくと、たしかに回り道無く本書の真相に導かれるのですが、真相から逆算して構成されたような強引さがあるので、驚愕のサプライズに反して読後感は悪いです。

また、登場人物の無個性さの所為もあって、そこまでワクワクできる読書体験にならないのも問題の一つ。もちろん訳の古さもあるんでしょうけど…

 

真相のインパクトの強さゆえ印象に残る、と言えば聞こえは良いですが、多少のミステリ経験者でカー愛がないとお世辞にも名作だとは言えない一作かもしれません。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

冒頭から、やりすぎちゃってる感満載で、「おれ今カー読んでる!」という変な高揚感すら感じる。

ケントの不運はあっさり解決され、腑に落ちないところだらけなのだが、まあここはスルー。

もし彼が犯人だったら、こんな手の込んだ無銭飲食の茶番を演じる必要は無いし、第一の事件ロドニー殺しにもアリバイがある。

 

正直ロドニー殺しが過去のもので、回想でしか事件が語られないのがどうも気になる。一見ジェニー殺しが本命のように思えるが、もしかするとロドニー殺しこそ本命なのかもしれない。

一方で後ろ暗い過去があるっぽいジェニーの線も捨てられない。

そうなると、彼女の過去と関係がありそうな人間がゲイ卿だけなのが悩ましいところ。

 

あとはベローズが見たとされる、制服姿の男?が全然わからない。ホテルという衆人環視の中でどうやって犯行を犯したのか、手がかりもほとんどない(ように見えるだけ)のでお手上げ。

 

推理

…マジでなんも浮かばねえ

結果

リチー・ベローズ

ウソだろおい。

 

論争の種になりそうな“秘密の抜け道”については、そんなに文句があるわけじゃないんですよねえ。

むしろ、これはカーらしいというか、逆にアンフェアと言われないような心配りに余念がないので、まあ納得できるトリックでした。

 

それでもやっぱり釈然としないのは、物語の順序が面白くないからかもしれません。

ホテルでの密室トリックが盲点を突いた堅実なトリックなので、カー自身最初に持ってきたかった、ってのはわかるんですが、事件の順番をちゃんと時系列で紹介したほうが、ベローズの登場や異様さがちゃんと記憶に残るし、ずっと刑務所にいるという不可能状況も目立ってくるので、第二の事件でも読者を効果的に誘導できたんじゃないでしょうか。

 

となると、やっぱり無駄なのは、冒頭のケントが死体を発見するくだり

一番怪しげな人物が初めに2人捕まる、という対比を見せたかったのであれば、ケントを軽々しく放免してはいけないし、捕まっていればそれだけミスディレクションの幅が広がっていたハズなので、なにかがほんの少しだけ違っていれば、もしかすると名作に食い込むミステリになっていたかもしれません。

あと触れておきたいのはタイトル「死者はよみがえる」(ポケミス版は「死者を起こす」)ですよねえ。

 

ネタバレ終わり

4か月も前に読んだミステリなのにもかかわらず、犯人も動機もトリックもかなり印象に残っています。

それだけ個性の強い作品なので、ぜひ多くの人に体験してほしいミステリではあるのですが…

カーの作品の多くに該当することですが、決して初心者向けではないので、できればカーの作品をいくつか(ホラー風の『夜歩く』やゴシック風の『魔女の隠れ家』)を読んでから、気が向いたらで良いのでチャレンジしてください。

 

では!

推理小説殺し【感想】キャメロン・マケイブ『編集室の床に落ちた顔』

発表年:1934年

作者:キャメロン・マケイブ

シリーズ:ノンシリーズ

訳者:熊井ひろ美

 

 

三大奇書と呼ばれる作品(『ドグラ・マグラ』『黒死館殺人事件』『虚無への供物』)のどれひとつ読んでもいないのに奇書を語る資格なんて元々ないんですが、本書はアンチ・ミステリメタ・ミステリの観点から言えば、間違いなく奇抜で幻惑的な一作になっています。

少なくとも、牧歌的でユーモラスな黄金時代のミステリとは一線を画す、またそれだけでなく、既存の推理小説を抹殺してしまうような破壊的な推理小説です。ということであらすじさえあまり紹介したくありません。…のでまずは作者紹介から。

 

キャメロン・マケイブという男

キャメロン・マケイブというのはペンネームで、彼の正体は、本書の発表から40年以上も経ってから初めて明らかになります。

本名アーネスト・ボーネマンは1915年ドイツ生まれ。1936年にナチスの手を逃れ英国へと亡命した翌年、わずか19歳という若さで本書を書き上げます

その後アメリカにわたりいくつかの小説を発表したことはわかっているのですが、あまり情報は多くありません。

 

ここからは、本名Ernest Wilhelm Julius Bornemanを元に、もう少しだけ彼の人物像を掘り下げてみたいと思います。

調べたところによると、推理小説作家マケイブではなく、ジャズ批評家ボーネマンの方が有名なようです。

人生を辿ってみると音楽への傾倒は、10歳の時パリで行われた万博で民族音楽に触れた時からスタートしています。その後、イギリスで作家として一定の成功を収めた後も、プロのミュージシャンのツアーに帯同したり、クルーズ船でダンスバンドを組むなどして、ジャズへの造詣を深めたようです。1940年にはなんとジャズの百科事典まで出版しているのですからその傾倒ぶりがよく窺えます。

終戦後は母国ドイツやオーストリアで活動し、人類学者として博士号を取得するなど多方面で活躍し、晩年は性学者としても多くの著作を世に送り出しています。

そして、80歳になった1995年、自ら命を絶つ(詳細は不明)ことでその生涯を閉じたのでした。

 

上記の経歴は、海外版のWikipediaとドイツ語で書かれたファンサイト(ジャズ関連)を参考にしたものです。

 

さて、長々と作者についてのみ言及してきましたが、あとは本書の解説にある作者情報を僅かばかり紹介するのみです。

それは、ボーネマンが本書を描いた動機は、純粋に自分の語学(英語)力を試すためであり、それがカネになるかどうか自分を試す以上の思惑がなかったということ。

ましてや、推理小説というジャンルへ一石投じるつもりも毛頭なく、作者曰く「何のメッセージも持たない作品」だったと言うのですから驚きです。

 

 

当ブログでも、ここまで作者について書いて、中身の感想を先延ばしにしてきた記事は初めてです。

本書の紹介については、タイトルと登場人物について軽く触れておくのみとしたいと思います。

 

まずタイトル『編集室の床に落ちた顔』ですが、これは作者自ら丁寧にも本文に入る前に解説してくれています。

映画が完成したあと、何らかの理由により、彼らの出番は不必要だということが判明し…ハサミのひと裁ちでばっさりと(フィルムから)切り落とされた…男優あるいは女優のこと。

ちょこっと編集してます

このタイトルからわかるように、本書の舞台になっているのはイギリスの映画会社。今まで200冊ほど海外ミステリを読んできましたが、映画会社の登場がまず初めてで、導入からぐっと引き込まれました。女優や男優、脚本家や監督が事件に絡むことは多々ありましたが、技術者が中心となるミステリも初めてです。

 

そして、本書の語り手は映画会社に勤務する編集者キャメロン・マケイブ。彼の口から語られる衒学的と言っても差し支えないほどの機材知識や、唐突に突きつけられる黒人歌手が歌う「セントルイス・ブルース(ジャズ)」の歌詞などなど、“”な空気は序盤から漂ってきます。

 

一方事件自体はかなりシンプル。映画という材料がミステリに巧く組み込まれており、謎が謎を呼ぶ展開もオーソドックスな本格ミステリのよう。ミステリにおきまりのスコットランド・ヤードの探偵や、訳知り顔の老人記者など登場人物の個性にも事欠かず。

うん。やっぱりちゃんとしたミステリじゃないか。そう思ったのもつかの間、突然平手打ちをくらいます。

 

…ここらでやめときましょう。

この「平手打ち」ってのが読む人によって様々だろうと予想できるところに、本書の面白さは詰まっていると思います。ずしんと重い「ボディブロー」なのかそれとも「デコピン」程度の衝撃なのか…。

ぜひ、ある程度海外ミステリを読みなれた方(とくに黄金時代のミステリの経験値が高い方)に読んでもらって、感想を聞きたい奇妙なミステリです。

 

ネタバレを飛ばす

 

以下超ネタバレ

謎探偵のモヤモヤ

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

 

本編の奇妙な味がクセになる、個人的には好きな部類に入るミステリなのですが、それ以上に「エピローグ」が傑作問題作)です。これさえなければ、まだフツーのミステリなんですよねえ…

 

ネタバレなしの感想では、この凶悪なエピローグの存在と多重解決の趣向については全く触れませんでした。

他者の感想を覗いてたら「あまりの訳のわからなさに頭が変になりそうでした」ってのがあったんですが、このエピローグのせいだと思うんですよねえ…準奇書くらいの認定は与えてあげてもいいレベルなのかもしれません。

 

エピローグはまず、犯人の手記を入手したという導入で始まり、一見犯人の人間性を掘り下げていくような流れになるのかと思わせます。

これは、現実に(もちろん物語の中で)犯人の手記が世間に公開された後のお話ですが、一方で現実に(これは本当に現実に)存在している出版社や新聞の名前を挙げながら、また実在の作家の名前を用いて、書評や分析(こちらはフェイク)が紹介されます。

 

この複雑な序盤も、作者が読者に対して、本事件が現実に起こったことだと錯覚させるためのものでは、もちろんありません。そもそも何のメッセージもないのですから…

 

エピローグを数章進み、犯人の精神分析がひと段落着いたところで始まるのは、犯人の手記の書き方に関する論評です。

ここからは、もう殺人事件なんてどうでもよくなってきて、推理小説というジャンル全体への挑戦と、アイロニー満載の批評のオンパレード。

この、自分で作品を書いておいて、自分でその書き方を批評する≒自分を客観的に見ようとする姿勢が好きです。特に、犯人がなぜこの単語を使ったのか、この英語の言い回しを用いたのか、というところにまで自分でツッコミを入れているのですから、作者(ボーネマン)が自分の語学力を試すために本書を書いた、というのも納得の描写でしょう。

 

中盤以降、紆余曲折しながら、時たまミステリの核にも触れだす部分も決して見逃せません。アンフェアな描写や決定的な犯人のミスなど、ある意味で手がかり索引的な趣向もこの中には含まれています。

 

そして終盤、再び犯人の登場と相成ります。ここから世界がガラガラと崩れていくのが堪りません。最後の一文まで力を一切抜くことなく、延々と崩し続ける力業を堪能しました。

 

 

ネタバレ終わり

さっくりまとめるなら、少なくとも本書には、目新しい舞台と魅力的すぎる謎があり、巧みなプロットがあり、唖然とさせられるサプライズがある以上、間違いなくミステリです。しかし、八十年の時を経て、作者に甦ってもらわなければ全容が見えない怪作でもあります。

 

万人にオススメすべきでない作品なのはわかっているつもりなのですが、一方で多くの人に「推理小説を殺す推理小説」を読んで欲しいという欲にも抗えないでいます。

興味を持たれた方は是非。では!

 

 

神たる所以【感想】エラリー・クイーン『エラリー・クイーンの冒険』

発表年:1934年

作者:エラリー・クイーン

シリーズ:エラリー・クイーン

訳者:旧訳   井上勇

           新訳  中村有希

 

エラリー・クイーンシリーズの短編集を読むのはこれが初めてです。ずっと旧訳版は所持していたのですが、本書が発表された1934年以前の長編を全部読んでからじゃないと短編に挑みたくない、という変な拘りのせいでチャレンジがずいぶん遅くなってしまいました。

だって、たまーに探偵って、過去に解決した作品について言及したり、昔遭遇した犯人の名前なんかをサラッとネタバレするじゃないですか。

1934年『チャイナ橙の謎』を読み終えたタイミングと、新訳版の刊行が発表されたタイミングがばっちし合ったこともあり、今回は新旧両方を併読し、その違いなんかも交えながら、ランク付け(!)もする。という大渋滞の記事を書こうと思っています。本書をランク付けしているツイートを見てやりたくてやりたくて…

訳の差異について言及するため、ミステリのネタバレはなくとも、中身の記述が多めです。物語の筋すら知りたくない方は読了後ご覧になることをお勧めします

 

各話感想

『アフリカ旅商人の冒険』

A

大学へ犯罪講義へとやってきたエラリー・クイーン、という導入部分からよくできています。

3人の学生への応用犯罪学、と言いながら、4人目の学生は読者自身で、ある意味クイーンの長編ものでお馴染みの「読者への挑戦状」なわけでしょう?燃えます。

肝心の中身ですが、ボリュームが少い短編の中で多重解決をやってしまう、というだけで、エラリー・クイーンのミステリ作家としての技量の高さを見せつけられます。

素人探偵が辿るロジックの中には、短編で明かしてしまうには惜しいトリックもいくつかあり、本書の冒頭を飾るに相応しい贅沢な一編です。

訳の相違点

自分が気づく限りそんなに大きな相違点は無かったと思うのですが、登場人物の一人アイクソープ嬢に対するエラリーの態度(表現)が少し変わっています。旧訳版ではどちらかというと冷徹ともとれるくらいクールな態度なのに、新訳版では幾分柔らかな物腰です。小娘を軽くあしらう大人なエラリーという人物像に感じられます。

また、アイクソープ嬢が事件の情報を得ようと質問するライバルの学生に対する一言も違います。

「ジョン、あんたって意地悪ね」→「ジョンったら、ずるい!」

まあ抜け駆けを表すシーンではないはずなので、どっちも微妙かなあという気もしないのですが…

 

『首吊りアクロバットの冒険』

A

ハウダニットを一段掘り下げることで特殊な謎に昇華した珍しい一品です。魅力的な導入部に反して、手がかりの一つが提示された途端に、点と点が繋がり真相が明らかになってしまうのはやや残念かもしれません。

訳の相違点

サーカス団の名前がガラッと変わっていました。

「アトラス一座」→「プロメテウス一家」

どちらもギリシャ神話に登場する男神で、しかもこの二人は兄弟。原文がどうなっていたのか不明なので、なぜ変更したか詳しくはわかりませんが、旧訳が明らかに間違っていたのでしょうか?

 

『一ペニー黒切手の冒険』

B

本作は、高価な切手を巡る盗難劇です。

全体的に整った短編集の中で、唯一やや強引な一編。強引というか盛りすぎというか…

謎解きゲームとしての面白さは十分あるので、とやかく言うのは野暮なんですが、人間ドラマ好きにはちょっと物足りません。

訳の相違点

ドイツ人書店員のウネケル老の訛りが追加

「クイーン」→「クヴィーン」

こちらもたぶん原文に忠実に訳した結果なのだとは思います。旧訳では、口調を田舎っぺぽくすることでドイツ人の老人を区別していたので、そこらへんが時代にそぐわなかったのかもしれません。

 

『ひげのある女の冒険』

S

これまでの三作は、真相の前に一時中断して旧訳から新訳へと読み替えるタイミングがちゃんと用意されていたのですが、本書は唐突に種明かしがやってきたので失敗してしまいました。

が、サプライズの部分は満点

登場人物もごく少数で読みやすいのですが、これ舞台映えもしそうだな、と思いました。視覚で堪能したいミステリでもあります。

本編では明確な訳の相違は気づかなかったのですが、登場人物の描写が現代風になっているので、読みやすさ(謎解きのし易さ)は新訳の方が上。一方旧訳は、訳の古めかしさのせいで、手がかりポイントがかなり浮いています。

 

『三人の足の悪い(びっこの)男の冒険』

B

舞台装置はいたってオーソドックスなクイーンものなんですが、小道具や謎の性質がどことなくホームズを連想させる一作です。

また、人物描写も上手く、真相は小粒でも人間らしい犯人とともに妙に印象に残る一作です。

訳の相違点

タイトルも含めて、時代にそぐわない表現が変更されています

「びっこ」→「足の悪い男」

 

『見えない恋人の冒険』

S

このテの作品が大好きです。

手がかりがしっかりと提示されたうえで、ミスディレクションもしっかり機能していて、人間ドラマもちゃんと用意され、サプライズと余韻は十分ある。このバランスの良さが素晴らしいと思います。

天候や、時間帯も含めて、その時々に応じて明暗がはっきり分かれ、コントラストが強調されているのも巧いです。

また、エラリーのキャラクターも良い意味で軽くて好きなポイント。長編だとエラリーの個性が全面に出ることが少ないので、探偵自身について掘り下げられる作品は貴重かもしれません。

訳の相違点

登場人物の一人の声が

「どなり声」→「がらがら声」

に変わっています。旧訳の時は、なんで怒ってんの?と思いましたが、新訳でしっかり変わっていました。まあ怒鳴り声は大きな声って意味でもあるので余計なツッコミかもしれません。

 

『チークのたばこ入れの冒険』

A

あるべきところにすべてのピースが隙間なく納まる美しい一編です。最初っから最後までストーリーにも一貫性があり、解決編の「Q.E.D(証明終了)」までノンストップで読める佳作です。

訳の相違点

ヴェリー警部への一言

「この大ばか者め」→「なっ、馬鹿な!」

旧訳では、この大ばか者め、で何の問題もないくらい大ばか者っぷりを見せてくれるヴェリー警部に可愛さすら感じましたが、新訳版では叱咤が控えめになっています。この場合ガツンと言われたほうが良い気もしますが…

 

『双頭の犬の冒険』

A

怪奇風の味付けが利いています。

長編『シャム双生児の謎』と同じく、巻き込まれ型の探偵を演じるエラリーですが、正体がバレたくない名探偵、というおきまりの演出も見れて終始楽しい一作でした。

また、雰囲気にマッチした不気味な登場人物もちゃんと用意されるなど徹底されています。

訳の相違点

犯罪者を追跡しているのが

「探偵」→「刑事」

に変わっていました。えらい違いだとは思いますが、60年近くも前の訳なので探偵≒刑事でもアリなんでしょう。

 

『ガラスの丸天井付き時計の冒険』

SS

派手さは少なくとも、ミステリとしての完成度は間違いなくSSランク。

騙される喜びも、解決編のカタルシスもどれも最高のレベルに達します。今まで読んできた約300の短編の中でもミステリの純度で言えば文句なしのナンバー1野球で言うと、ギリギリストライクに入るアウトコース低めの真っすぐ。あそこに投げられたら手も足も出ない、完ぺきな一球でしたって感じ。

ただ「すごい短編」と「好きな短編」はイコールじゃないですからね。好きなのは『見えない~』かこの次の短編。

訳の相違点

詳細は省略しますが、陳列されている宝石の配置がとてもわかりやすくなっていました。旧訳だとどういうことだかイマイチだったのですが、新訳だとすんなり理解できました。謎解きにもある程度必要な要素なので、良い改変です。

 

『七匹の黒猫の冒険』

S

ハリー・ポッターはスルーします(言ったけど)。こいつの名前と「黒猫と老婆」という尖った組み合わせが妙に印象に残るんですよねえ。フーもホワイもハウもどれもが高水準かつ巧妙に張られた伏線が見事な、本書ではナンバー2の作品です。

物語だけを追っても、エラリーがいちゃこらしてるのも面白く、この一種の軽さも本編の魅力の一つだと思います。

訳の相違点

なんかありましたっけ?最後の最後でちょっと飽きてきました。そんなに大きな相違はなかったと思うのですが…もしあれば教えてください。

 

『いかれたお茶会の冒険』

B

こちらは、旧訳版には収録されていません。ゾッとするような演出もあるのですが、基本的にはエラリー・クイーンが文字通りハーレ・クイン役に徹する幻想的な一作です。

全体的に作り物の(リアリティがない)雰囲気が漂っているので、ワクワクさせるような楽しい作品ではないのですが、一種のクローズドサークルの中で、探偵エラリーが果たす役割というポイントにフォーカスを当てるとそれなりに楽しめます。

 

 

おわりに

終盤ちょっと尻すぼみになった感もありますが、全体的に大満足の短編集でした。

よくツイッターの中で、エラリー・クイーンのことを“”と称する評を目にすることがあるのですが、本書を読むとあながち間違ってないなと思わせられます。

二つ名で言うと、クリスティは“女王”、カーは“王“なわけですが、クイーンのみ人外の存在なのも納得の出来でした。

人知を超える驚異的な謎と解決がたくさん詰まった傑作短編集として、是非とも手許に置いておきたい素晴らしい作品です。

 

この絵から何を読み取るか【感想】アガサ・クリスティ『五匹の子豚』

発表年:1942年

作者:アガサ・クリスティ

シリーズ:エルキュール・ポワロ21

訳者:桑原千恵子

 

前回の記事『書斎の死体』に引き続き、半年ぶりのエルキュール・ポワロは、今まで彼が解決してきた事件とはひと味違う難事件

なんと16年も前に解決してしまった殺人事件の捜査依頼だったのです。事件の性質に興味を持ったポワロが“過去への後退”を始めるまでは良かったのですが、16年という年月のせいで風化してしまった証言の数々からはたして真相へとたどり着けるのか。

 

16年も前の事件ですから、いくらポワロの灰色の脳細胞を駆使したとしても新たな物的証拠が見つかる見込みはほとんど0。

だからこそ関係者たちの証言が大きな手掛かりとなるのですが、これはクリスティの得意分野です。

本文のほとんどを占める彼らの証言の中から、食い違いや証言の空白を探し出す作業が結構楽しくて、400頁という腹にたまる物量もくいくいと消化できてしまいました。

 

肝心のミステリの中身ですが、自分の場合変にクリスティ慣れしてしまっているせいか、「クリスティだったら、こうするだろうな」という事件の筋書き予想が見事当たってしまって、犯人と動機については的中。

とはいえ、真相がぼんやり見えてきて初めて、クリスティが用意した仕掛けの全容が見えてきます。

 

第1部の6章以降、主要な関係者による証言という形で進行するため、ある程度この時点で絞り込みは可能になっていますが、証言そのものに真相が隠されているわけではありません。ここに隠されているのは証言者たちの嘘。それも、知っている事実を隠ぺいするためだけでなく、“自分自身”へつく嘘というのが面白いトコロです。

なので、行間に込められた想いや違和感をしっかりと感じ取ることができれば、ガラリと事件への見方が変わるのが秀逸です。

これが決して犯人当てだけに作用するわけじゃなく、登場人物たちの相関性に影響を及ぼすのが…なんて言うんでしょう…画家が登場するってのも含めて、絵画的って言うんですかねえ…

例えば、世界的に有名な絵画には、隠された秘密やメッセージがあったり、書かれた背景や作者の思いを知ると絵画の見え方が変わる作品が多々あります。それと同じように、(一応伏せ字ここから一瞬で事件の姿形が変わってしまうここまで)という点で、名作『オリエント』や『ナイルに死す』に匹敵するものがあります。

ひとりの鑑賞者として、この絵から何を読み取るか。歴史に残る名画と違い予備知識はいりません。真っ向から純粋な気持ちで挑んで欲しいと思います。

 

また、シェイクスピアをはじめとしたイギリス文学の引用も多用され、ロマンチックな雰囲気が充満しているのもクリスティらしいポイントです。

シリーズ順に読むと20作は読まないといけませんが、過去に遡るという構成上の妙技を除いても、見どころは多いので、根気強く読み進める価値はある一作です。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

関係者全員が一つの共通した主題に関した証言を行う、ということで、多数派の意見とそうでないものを選り分けるのが簡単。

一番わかりやすいのは、クレイル夫妻が異常な形だとはいえ愛しあっていた、ということ。

カロリンが夫を愛していた以上、彼女が“毒殺”の犯人だとは思えない。

さらに、彼女が愛する夫の死を「自殺」と言い張るのは、カロリンが犯人を知っていた、もしくは知っていてかばっている可能性を予想できる。

 

第二部の各人の証言を整理して事件を構築してみると、カロリンが庇うのは、彼女が幼少期に傷つけてしまい負い目を感じている妹のアンジェラに他ならない。

アンジェラはアミアスのお酒に毒を入れた前科があり、カロリンが勘違いしたのだとすれば彼女の逮捕後の対応すべてに説明がつく。では本当の犯人は誰なのか。

 

これまた証言に隠された事実を考慮したほうが良いだろう。

フィリップの隠したカロリンへの恋慕が原因なら。アミアスへの友情は全て嘘で殺人の動機になりうる。

フィリップの兄弟メレディスはアミアスの愛人エルサに心惹かれており、フィリップと同じ動機がある。

愛人のエルサだが、もしアミアスが他の女と同様にエルサに飽きてカロリンの元に戻ろうとしていたら?カロリンとアミアスの絆の強さを考えると、エルサが捨てられ憎悪に駆られアミアスを殺したというのも十分頷ける事件。

アンジェラについては先述の通り説明済み。

この中で動機にピンとこないのは家庭教師のセシリアのみ。彼女が犯人なら相当手の込んだ事件だが、ちょっと記述不足か。

ということでここらで。

 

推理 

エルサ・グリヤー

結果

よしよし。クリスティはこういうロマンスの仕掛けがお好き。

さすがにポワロものを20作も読んでいたら、ある程度登場人物の相関にも疑いをかける習慣がつきます。

本作も、クレイル夫妻の関係と、その他の登場人物たちの嘘を見比べるとカロリン・アミアス・犯人で構成される三角関係が浮かんできます。

毒殺といえば女性という先入観と、エルサの強い独占欲・執着心が表す人物像、そして、第一部序盤のエルサ評“獰猛なジュリエット”が印象に残っています。

 

 

 

  ネタバレ終わり

謎解きの部分では、多少難易度は低めでも、解決を経て訪れる独特の余韻も魅力のひとつです。殺人という事象が救いになるのかならないのか。殺人を絶対に許さないポワロの強い態度と、それに対比するかのような慈愛に満ちた姿勢にも注目してほしいと思います。

では!

 

 

ありきたり、を逆手に取った名作【感想】アガサ・クリスティ『書斎の死体』

1942年発表 ミス・マープル2 山本やよい訳 ハヤカワ文庫発行

前作『牧師館の殺人

次作『動く指』 

 

 

半年ぶりのクリスティはミス・マープルの第二作。

マープルものの一作目『牧師館の殺人』を読んだのが3年以上も前なので、作品に馴染めるかどうか少々不安でしたが、短編を間にちょいちょい挟んでいたおかげか、比較的すんなり世界観に入り込むことができました。

 

本書は、まず本編に入る前に作者クリスティによる序文に触れるのですが、コレがいい!

ちゃんと作者と向き合って、どんな思いで書かれたか、事前に知ってから読む楽しさがあります。

まあこれもクリスティが稀代のミステリ作家だと認識されているから許された所業なのでしょう。ポッと出の作者がドヤ顔で序文なんて書こうものなら「ひっこんでろ」と言われそうなものですが、クリスティが書くと、テレビ局の前で芸能人の出待ちをしているファンのようにキャーと歓声を上げたくなるこのミーハーな感じ…

 

 

本題に入りましょう。

まず「序文」を読むと、クリスティは本書のテーマをミステリによく登場する“書斎の死体”に設定し、このオーソドックスな題材に変化をつけてアッと驚かす展開を用意していることがわかります。

このメインテーマから外れることなく、本編の開幕からものの数ページで事件が進展するのも、彼女のプレゼン能力の高さを感じます。

同時にあらすじの紹介も省略しましょう。序文を読むだけで、まちがいなく読書欲の増進剤になるはずです。

 

ミス・マープルは、ポワロみたくエキセントリックな探偵じゃない分、関係者(登場人物)たちのキャラクターが一層ひきたちます。そして、彼らの会話や行動がめちゃくちゃ楽しく面白い。コージーミステリってほど、おちゃらけてもくだけ過ぎることもなく、どちらかと言うと素の人間性がユーモアにつながっているように思えます。

 

また本作で好きなポイントは、みんながみんな程よく“良い人”なこと。

普通ミステリでは、登場人物たちが皆何らかの秘密を抱え、怪しく見えることで、ミスディレクションとして機能するのですが、本作ではほとんど全員が自分に正直で、善人な感じなのが逆に不気味です。

とはいえ、犯罪自体はクリスティが創造した多くの作品の中でも屈指の残忍で憎むべき事件。

犯人を突き止めるため、自ら取り調べを希望する力の入ったミス・マープルの姿も印象的です。

 

オーソドックスな題材で書かれ、どちらかと言えば「ありきたり型」な作品ではありますが、シンプルなトリックを極限まで研ぎ澄まし、それを特異なキャラクターたちが歯車となって動かすと、切れ味鋭いミステリに仕上がります。

ありきたりだと高を括って挑むと返り討ちに遭うに違いありません。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

退役大佐の書斎に似つかわしくない死体が登場するが、これだけではクリスティの言う「奇想天外な、人をあっといわせるもの」だとは思えない。

 

驚愕の真相から逆算すれば、実際に老大佐が犯人で、意外な死体にも論理的な説明がつくことも考えられるが、手がかりはない。

それにマープルに依頼してきた大佐の妻が愛らしすぎる。この一家は犯人であって欲しくない。

 

ここはシンプルに、誰か(犯人)が事件に巻き込むためにバントリー大佐の書斎に死体を運んだのだろう。

バントリー大佐もしくはバントリー夫人に恨みがある、かつ殺人を犯す動機があった人物を探そう。

 

しかしマジェスティック・ホテルに舞台を移すと、ジェファースン一家を取り巻く不穏な状況が顔を出す。

死んだルビー・キーンは主人のコンウェイに気に入られており、養子縁組が約束されていた。それを気に入らない一家の面々には動機が十分あるが、義理の娘アデレードも息子マークもこざっぱりとしていて裏表がない。犯人としての素養は満たしているのだが…

 

中盤に差しかかると、ミス・マープルものの短編集『火曜クラブ』でも登場したサー・ヘンリー・クリザリングがコンウェイの協力者として登場する。

サー・ヘンリーのマープルへの信頼は相変わらずで心地良いし、何の罪もない娘が死んだ第二の事件に対するハーパー警視の熱意と哀しみも胸を打つものがある。熱烈なミステリファンであるアデレードの息子(コンウェイの孫)ピーターも、謎を解く重要そうな手がかりを提供してくれるなど、探偵サイドの演出にも余念がない

 

謎解きに戻ると、手がかりである“爪”がよくわからない。死んだルビーらしくないと言えばらしくないのだが、それだけで死体がルビーでなかったと断定はできない。

だが、もし書斎の死体がルビーでなかったとすると、犯人は一択…あとはアリバイ崩しのみ。

 

推理

ジョゼフィン・ターナー

犯人

ジョゼフィン・ターナー

マーク・ギャスケル

 

そうか。そうすれが全て説明がつくのね。

もちろん二人の結婚で真相に到達するのですが、あまり関係性があるような描写が多くない気がします。

ただバジル・ブレイクとダイナ・リーの秘密裏の結婚という最低限の手掛かりをちゃんと用意しているのは、さすがクリスティと言うべきでしょうか。

 

正直、しょっぱなからサラリと書斎の死体が出てきたときは、たしかに雰囲気にそぐわない死体だとは思いましたが、そこまで珍しい設定だとは思いませんでした。

しかし、この時点でクリスティマジックは始まっていたわけです。

一度死体がバジル・ブレイクの関係者(ダイナ・リー)だという仮説を作中で提示しておく(頁34)ことで、次に死体に立候補してくるルビー・キーンの信ぴょう性が増しているのも、叙述的な仕掛けの一つかもしれません。(バカなだけかも)

いつもながら読者を手玉に取るクリスティに脱帽です。

 

 

 

   ネタバレ終わり

再度序文に戻りますが、クリスティはこの設定(書斎にある死体)を思いついてから数年はほとんど筆が進まなかった、と言っています。それなのにある夏、ある一家を見ただけでここまで想像を飛躍させ、意外な展開を持つミステリを創ってしまうんですから、やっぱりクリスティは天才です。

では!

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サスペンス小説の匠による名作【感想】コーネル・ウールリッチ『黒衣の花嫁』

発表年:1940年

作者:ウィリアム・アイリッシュ(コーネル・ウールリッチ)

シリーズ:ノンシリーズ

訳者:稲葉明雄

 

アイリッシュです。いや初ウールリッチと言ったほうが良いのか…彼と同じように別名義のあるミステリ作家と言えばエラリー・クイーン(バーナビー・ロス)が有名ですが、クイーンがバーナビー・ロス名義で書いた作品はたったの四つ(悲劇四部作)。

一方、アイリッシュ(ウールリッチ)は、どちらの名義でも名作と呼ばれる作品を多々世に送り出しています

個人的には、3年前ミステリにのめり込んだ初期に手に入れた『幻の女』の影響か、ウィリアム・アイリッシュの方が印象に残っています。※未読です。

 

そして、本書は、コーネル・ウールリッチと言う名を世間に知らしめ、サスペンス作家としての彼の地位を確立させたと言われるほどの力作。

どれほどのもんじゃい、と食ってかかったはいいものの見事に返り討ちに遭いました。

 

ということで、遅くなりましたがまずは簡単に作者紹介。

コーネル・ウールリッチは1903年ニューヨーク生まれ。幼い頃両親が離婚し、寂しい幼少期を過ごしました。30代で結婚するものの、自身の性癖が原因で離婚。以後約40年死ぬまでホテル暮らしを続けます。

晩年はアルコール中毒や糖尿病に苦しめられ、足の切断という不幸にも見舞われました。

作品が売れに売れた人気作家だっただけに、死後の資産は約百万ドルとも言われています。しかし、葬儀に参列したのは弁護士、医師、銀行家、そして資産管理者だけ。彼の死亡記事の名前の綴りは間違われ、作家仲間・団体からの弔辞すらなかったといいます。

そんな寂しく孤独な人生を送ったからか、作品にもそんな哀愁漂う、絶望的な状況が設定されたものが多いようです。

 

 

あらすじは要りますかねえ…

まずは第一部『ブリス』の1章で「女」が登場します。そして続く2章で「ブリス」が登場し、ええ……出会います。

 

この第一部の僅か40頁を読むだけで『黒衣の花嫁』がどんな作品なのか、どんなプロットを持つ作品かばっちりわかってしまいます。なのに

「なんということでしょう(匠)」

気づけば、読み終えていました。

 

ハヤカワ文庫版の裏表紙にあるあらすじで、ストーリーについてはほぼネタバレしているので、気になる方はお気をつけください。また、以下に書く感想も、事件の構成をバラしている可能性があります

先入観・予備知識すら持ちたくないと言う方は読了後ご覧になることをお勧めします。

 

 

 

事件同士の繋がりを示すミッシングリンクの仔細が、なかなか作中で明かされることはないものの、事件の裏で繋がりを怪しみ、捜査を続ける探偵役ウォンガーが良い味出してます。

作者が孤独な生涯をおくったからか、ウォンガーが同僚の賛同を得られないまま、地道にあきらめず捜査を続ける姿勢も印象に残っています。

 

読者からしてみれば、各部に何らかの関連性があるのが明らかなものの、作中の登場人物たちにとっては五里霧中の難事件。

各事件の共通点も乏しく、事件のバリエーションも多彩です。なので、謎解き(フー・ホワイダニット)の部分で奥深さはなくとも、ハウダニットとしての魅力がそれらを十分補っているように思えます。

そしてハウに重きを置いた分、ハラハラドキドキのサスペンスフルな筆致がさらに雰囲気を後押しします。

どこに、どんな死の罠が仕掛けられているか、そこらの推理小説では決して体感できないひりひりとした緊張感が最大の魅力です。

 

そして、最後はどんでん返し。

物語の筋がわかっちゃうだけに、どうやってオトすか注目でしたが、すんなりハードルは超えてきます。

もちろん真相についてはやや強引なきらいもありますが、それよりも賞賛すべきは、犯人と探偵役の絶妙な距離感です。

両人が徐々に近づいていく様相は素晴らしいですし、サスペンス小説として一級品なのも間違いありません。また読者によっては、倒叙作品に見えたり、犯罪小説にも見えたりしそうです。

 

しかし、個人的には警察小説として最高品質だと言っておきます。

とくに中盤以降、「女」を取り巻く状況、ではなく、警察の捜査に着目するのを忘れてはいけません。警察の目的の一つは、もちろん犯人逮捕ですが、真の目的は別のところにあります。

本書は、改めていち読者として探偵役の目線になって挑む必要性があると、再確認させてくれるはずです。

 

本書に詰め込まれたミステリ要素を支えるのは、翻訳を通しても伝わってくる、作者コーネル・ウールリッチの艶のある筆致です。生き生き、の反対ってなんて言うんでしょうか。

決して明るく、華やかな文章ではありません。それでも生への執着の無さに起因する決死の覚悟だったり、執念・怨念などの思いの強さが痛いくらい伝わってきます。自分の文章力では、なかなか上手く伝えられませんが、しばらくどっぷりハマりそうです。

 

以下、記憶の補完のため、事件の構成や秀逸なポイントを整理しますが完全にネタバレしています。未読の方はご注意ください。

 

 

 

《謎探偵の事件メモ》

第一の事件「ブリス」

  • なぜブリスの家に寄ったのか。色仕掛けで嵌める作戦だったとしても婚約中のブリスに効果があるとは思えない。部屋に何か仕掛ける(本書では登場しない方法?)作戦だったのか。
  • 序盤でコーリーを登場させる伏線が巧く利いている(唯一の目撃者であり真犯人)。
  • 殺害方法は転落死だが、パーティ中の犯行なので運要素がかなり強い

第二の事件「ミッチェル」

  • 色仕掛けが人物像とも符合していて巧妙。事前の準備から完全犯罪が徹底されていて巧い。
  • ミッチェルの恋人を救った機転も見事。

第三の事件「モラン」

  • 子どもの面前で父親を殺す、という非道な事件だが、目撃者を年端も行かない子どもに限定させるなど、犯罪としては完ぺきに近い。一方で、犯人に仕立て上げられた人物を救うために警察に真実を明かさなければならなかったため、この三部が犯人にとってターニングポイントになっている。

第四の事件「ファーガスン」

  • 不運なことにコーリーと再会してしたうえに、見逃してしまう。犯人のプライドが警察の助けになってしまうが、おかげで真犯人の手がかり(拳銃)も警察へと渡る。
  • 警察で指紋課に回るはずだった銃が弾道課に行き、結果としてコーリーが過去の事件の犯人だった、というくだりは見事だが、読者に推理できるかどうかは怪しい。最初は新米刑事に扮したコーリーが盗んだのかと思った。

第五の事件「ホームズ」

  • 最後の標的であるホームズが“作家”で、しかも“探偵”役のウォンガーに入れ替わっているという展開にニヤニヤ。
  • オチの無常感は、セイヤーズ『ナイン・テイラーズ』を読んだときに感じたものに似ている。形の定まらない、不安定なものを見た時に感じるふわふわとしたなにか。哀れ、とか虚しさ、以外のなにか。(なんだ)

 

 

事件全体を冷静に眺めてみると、本件は相当救いようのない犯罪です。軽く「むっちゃ面白いよ、読んでみてね」なんて到底言えません。

"救いようのない"と言いましたが、作中では「救い」は達せられ、事件も解決しています。ここらへんの、不条理でありながら物語を完結させてしまう手腕も見事としか言いようがありません。

では!

 

全章フルスロットル【感想】レックス・スタウト『赤い箱』

発表年:1937年

作者:レックス・スタウト

シリーズ:ネロ・ウルフ4

訳者:佐倉潤吾

 

レックス・スタウト、毎回毎回超えてきますねえ。どんどん面白さが跳ね上がってます。

この記事を『毒蛇』の感想を書いた当時の自分に見せてやりたい。

間違いない、そのままシリーズを読み進めて失敗はないぞ、と背中を押してやりたいくらい、本作の出来は良いと思います。

 

まずオープニングからエンジン全開です。

その巨漢と外出嫌いゆえ、絶対に自宅から外に出ないネロ・ウルフと依頼人の問答がまず最高に面白い。

事件は、依頼人が心惹かれる女性が巻き込まれた毒殺事件。複数人でチョコレート菓子を食べたのにも関わらず、死んだのはモデルの一人のみ。その他の人間に容疑がかかる状況に、ウルフとアーチーは巧みな実験を用いて、事件の全容に迫っていきます。

以降1章ごとに新たな発展があり、事件があり、物語があります。全くスピード感を落とすことなく全章フルスロットルで最後まで突っ走るのにはただただ驚かされるばかり。

 

少し脱線します。

どのミステリ作家も用いる当たり前のことなんですが、ミステリには魅力的な謎が必要です。

この点でカーやクイーンは、特に秀逸な謎をたくさん創作する手腕に長けていると思っています。

一方で、レックス・スタウトは、決して派手な謎を用意するわけではありません。本書の謎も、誰が?なぜ?チョコレートに毒を入れたのか、というシンプルなもの。

しかし、その謎解き(プロセス)には、遊び心がありながらも、論理的で趣向を凝らした手法が用いられています。それは、実行に移すユーモアに満ちたアーチーとウルフ、その他のレギュラーキャラクターたち、というところまで、しっかりと計算されているはずです。

 

上記の謎が鮮やかに解かれた、と思いきや発生するのは、登場人物たちの微妙な関連性と、それぞれの複雑な思惑。

お金の臭いがぷんぷんする怪しい空気の中、ウルフは生活のため(蘭の栽培のため)一歩も譲ることなく、捜査に関わってゆきます。

 

この、非の打ち所の無いくらい「人間らしい」姿もまたウルフの魅力の一つかもしれません。金にがめつく、我が強く、一見嫌味に見えそうでも、言っていることは全面的に正しく、反論の余地がない。そして、それが他人とのかかわり方だけでなく、推理にもちゃんと反映されているのも見逃せません。

 

全体的な満足度は高いのですが、強いて不満点を挙げるとするなら、「赤い箱」をめぐる大胆不敵な犯行が起こってからの展開。

人間関係がとき解され、事件の全容が見えてしまえば、あとはウルフの名推理を待つのみになってしまうのはやや難点かもしれません。

これは「赤い箱」という手掛かりの性質上の問題点も無きにしも非ずなのですが…

 

最後に、本書の解説でも触れられているウルフの推理の特徴“現象を感じる(捉える)”行為について。

それは、一見不可思議に見える状況、言動の事実だけを捉え、真相を見定める類稀な頭脳があって初めて実現可能な方法です。

 

これは助手のアーチーが苦手とする方法なので、彼は事実を炙り出すために渦中に飛び込んで暴れ回り、手がかりらしきものを暴き出します。

 

本書は、最初っから最後まで、この二人の分業制が効果的に機能しています。そして、この二人の掛け合いを楽しむには、やっぱり過去作をいくつか読んでおくのが吉

なかなか手に入りにくいシリーズではありますが、前作『ラバー・バンド』と本書を読むためには、必ず突破しておきたいところです。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

序盤から、アーチーの奸計に爆笑。

ただ、これが面白いと感じるのは、すでに何作かネロ・ウルフシリーズを読んでいるからだとは思う。

 

毒殺の本当の対象を突き止めるための実験も面白く、遊び心満載なのだが、冷静に考えると、そこまで仰々しくやる必要はない。

一言で済むはず。

 

当然マクネヤー氏の過去にフォーカスを当てて、謎解きに挑む必要がある。

マクネヤー氏のヘレンに対する態度を見れば、およそ予測が立つ。

 

たぶん亡くなったとされている実の娘。

…ということは、ヘレンの母親、カリダが俄然怪しく見えてくる。協力者として、ダドリーも候補に入れておこう。

 

終盤、ジェベール氏が殺されると、さらに容疑は強まる。

彼は間違いなくマクネヤー氏の遺産目当てでヘレンに求婚していた。邪魔だったに違いない。

マクネヤー氏の過去を知っている人物なので間違いない。

 

推理

カリダ・フロスト

結果

勝利

ふうむ。謎解きとしてはシンプル&シンプルで、目立ったトリックもなく、がちがちの本格ミステリと言うには程遠いでしょう。

ホワイダニットに振り切っているため、一度人間関係を整理してしまうと、すんなり真相までたどり着いてしまうのはやや物足りません

 

一方で、マクネヤー氏がヘレンにプレゼントしたダイヤモンドが誕生石を表していたり、被害者マクネヤー氏の愛ある計略(遺言書の書き換え)など、メインの被害者を中心とした挿話の中に上質な謎がちりばめられているのは贅沢です。

人間ドラマを基幹にしたミステリが好きな方にはばっちりハマる作品になるはず。

 

 

 

ネタバレ終わり

ネロ・ウルフファンの方には申し訳ないのですが、ネロ・ウルフものにはザ・傑作、といった高名な作品は多くないと思っています。(クリスティで言う『アクロイド』、カーの『火刑法廷』などなど)

あんま、レックス・スタウトの『○○』が大好き!という方にも出会いませんし…

 

なのに、なんでしょうこのクセになる感じ。

探偵ウルフ&助手のアーチーという組み合わせが、自分の大好きなポワロ&ヘイスティングズとダブって見えるのが関係していそうな気もしないでもない…。

アーチーが助手として完成されている違いはあるものの、お互いの信頼関係もユーモラスな会話にも近しいものを感じています。もう数作読めば、何か掴めそうなのですが…

とりあえず第5,6作目までは手元にあるので、そこまではしっかり読み進めたいと思います。

では!

 

500ページもいるかな【感想】ジョン・ディクスン・カー『アラビアンナイトの殺人』

発表年:1936年

作者:J.D.カー

シリーズ:ギデオン・フェル博士7

訳者:宇野利泰

 

まずは

粗あらすじ

フェル博士の自室に集まった三人の警察官が語るのは、ロンドンの博物館で起こった奇怪な事件の物語。数種のつけ髭と、石炭の粉舞う異様な博物館で起こった事件は、三者三様のお伽噺によって混乱を極める。すべての物語を聞いたフェル博士は見事真相を突き止められるのか。

 

上のあらすじでもわかるように、まずは本作、フェル博士による安楽椅子探偵ものです。プロローグでは、まるで子どもが寝る前にお話を聞かせてもらうかのような雰囲気の中、柔らかい暖炉の火明かりに包まれながら、さらりと奇怪な事件の導入が語られます。これだけで「あゝ良い」とため息が漏れます。

 

以降3人の語り手たちによって、事件のあらましや手掛かりが語られる(Ⅰ~Ⅲ部)ため、いったんフェル博士は退場。そして、500頁に差し掛かろうかというときになってやっとこ再登場し、ものの数ページで謎の真相を叩きつけます。

500頁という数字からもわかるように、本書は解決編にいたるまでに圧倒的なボリュームがあります。なので、解決編まで集中力を切らさずに、記憶力を保ちつつ謎解きにチャレンジするだけでも至難の業です。

しかも物語自体が、正統派ではなくファース味満載のため、なにかにつけ読者は混乱させられます。少なくとも博物館の見取り図は欲しかった…

 

特異な構成と、その一つ一つの挿話のバリエーションの多さから「アラビアンナイト(千夜一夜物語)の殺人」と題された事件ですが、相対的に見るともちろん小さな物語の集合体という形ではなく、一本筋の通ったミステリに仕上がっています。

Ⅱ部で謎の一つが解明され、見通しが明るくなったところでようやく謎の本質が見え、新たな展開をむかえる、

この構成もよくできているのではないでしょうか。

一方で、そのせいか、Ⅱ部が面白さのピークになっているような気がします。Ⅲ部以降、論理的に推理しようという意気がなくなってしまったのは、はたして膨大なページ数のせいだけでしょうか…

Ⅲ部構成と異なる語り手による安楽椅子探偵もの、という舞台づくりこそ成功しているものの、そもそも登場人物が入り乱れての茶番(事件)があまり面白くないですし、登場人物たちにも魅力はありません。サプライズにも感動は覚えず、オチにも説得力を欠いているきらいがあります。

膨大な物量に見合った内容とは到底言えず、傑作長編とはおせじにも言えない一作ですが、上述のカーの試みた実験にはちゃんと成果があったのではないかと思います。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

最初っから神秘的で幻想的な雰囲気で包み込むカーのストーリーテリングに酔わされる。

がしかし、事件の全容は五里霧中で全く見通せない。これはこれでカーがよく用いる手法なので、しばらくは純粋に楽しむことにしよう。

中盤を過ぎて明らかになっている(と思っている)ことを整理。

  1. 死んだ男ペンデレルはミリアムの元夫で脅迫者
  2. 動機らしきものがあるのは、父のウェイド博士と婚約者のマナリング
  3. マナリングは所持していた手紙から、ハメられたらしい

 

イリングワース博士の証言によって、死体が発見された経緯までは判明するが、現場の見取り図すらない状況では位置関係も不明で、登場人物たちの動きを辿る作業がとにかく苦痛。

 

少なくともペンデレルは石炭置き場で死亡した(ここで石炭の粉が付く)。

いや、ミリアムが地下室でペンデレルに会った、ということは、地下室で死んだのだ。

ミリアムがペンデレルとの会見後何者かが、ペンデレルが地下室に侵入したと同じ方法で侵入し、彼を殺す。そのあと石炭置き場に隠しておいてから、何らかの方法で馬車まで運ぶ。これで事件の流れは見えてきた。

…がここからが闇。

 

動機のあるマナリングにはアリバイがあるがどうも怪しい。もし彼が犯人なら憎きペンデレルを殺し、ついでに自分をハメようと協力者になったミリアムの過去も併せて犯人に仕立て上げようとする動機が見えてくる。

ただ、彼の殺人をほのめかす手紙の所持が発覚した時の反応が説明できない。重要そうな気がするのだが…

 

推理

グレゴリー・マナリング

結果

ジェリー・ウェイド

敗北

 

ほーほー正義感の殺人かあ…まあ動機としてはアリなんだろうけど、どうもしっくりこない。

それを警察官が三人もいて見逃すってのもなんだかなあ…

頁数の多さの弊害か、ジェリー自体どんなキャラクターだったか全く覚えてません。そもそもジェリー・ウェイドとジェフ・ウェイドという名前からして覚えにくい…。

 

事件の中に贋物の仕掛け(劇)が用意されているという点で、とんでもないファースミステリかと思いきや、解決までのプロセスは意外にしっかりしています。そこは高評価。

 

 

 

ネタバレ終わり

冒頭で述べたとおり、いたるところに石炭の粉が付着し、数種類のつけ髭が登場する本書は、ギデオン・フェル博士第4作『盲目の理髪師』に負けず劣らずの問題作。

こちらの方が、構造的にはしっかりしているので、読みごたえはありますが、何度考えてもこれだけのボリューム(頁数)が必要だったかなあとは思います。

では!

 

 

狂人探し【感想】G.K.チェスタトン『詩人と狂人たち』

発表年:1929年

作者:G.K.チェスタトン

シリーズ:ノンシリーズ

訳者:南條竹則

 

 

定期的にチェスタトンを摂取したくなるのなんなんでしょうか。耐性がないと(慣れないと)読みにくい逆説だらけの構成がどこかクセになっているのかもしれません。

 

衒学的というと言い過ぎかもしれませんが、チェスタトンものを読んでいると、逆に自分がアホになった気がしてきます。言葉の魔法にかけられているというか、幻術にかけられているかのような微睡みを覚える作品も多々あります。

その中でも本書は、特に奇妙な謎がふんだんに盛り込まれ、各話に美しい解決が用意された異色の連作短編集です。

 

本書は、1929年発表という古典ミステリの【新訳版】ということで、現代人にもかなり読みやすくなっています。

そして大幅に改訳されながらも、チェスタトンものの雰囲気が全く損なわれていないのは、訳者南條竹則氏のおかげでしょう。

とくに漢字が多用されている部分、そして、なかなかお目にかからないような読みをさせる単語の数々からは、魔法がかった言葉の不思議で奇妙な味を感じます。

※手斧(ちょうな)とか醜男(ぶおとこ)などなど

 

今回は各話感想を省略して、導入の1作のみご紹介します。

風変わりな二人組

“旭日亭”にふらりとやってきた絵描きとその代理人。さびれた宿屋に再び活気を取り戻すため、絵描きは看板に新しく絵を描く。そこに突然の絶叫が谺し…

本書の導入でありながら、その全てと言っていい作品です。本篇を読むだけで、本書がいかに奇妙な世界を取り扱っているかがわかります。

 

 

感想を何も書かないと記憶がどんどん薄れちゃうので、以降ネタバレにならない範囲で、奇妙な世界を構築するための小道具のみ記載しておきたいと思います。

『黄色い鳥』

  • 鳥籠
  • 金魚

『鱶の影』

  • 曲がった傷
  • 海星

『ガブリエル・ゲイルの犯罪』

  • 雨粒

『石の指』

  • 化石

『孔雀の家』

  • テーブルナイフ

『紫の宝石』

  • 土産物
  • お菓子
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『冒険の病院』

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狂人探し

本書のタネは、たぶんタイトルを見ればおのずと明らかになると思われます。

推理小説におなじみの犯人探しがテーマではもちろんありません。

各話に登場するのは、一癖二癖では済まないほどネジの外れた狂人たち。手がかりだけは正々堂々と提示されているとはいえ、相手は狂った怪物たちですから、いち読者として論理的に解決しようと挑むのはなかなか骨が折れるはずです。

 

なので、注目していただきたいのは、そんな狂人たちの手綱を取りながら怪事件をさらりと解決してしまう一人の探偵です。

ここはなるべく先入観を抱いてほしくないので、できれば、裏表紙のあらすじなんかも適度に流して、第一話『風変わりな二人組』からチャンレンジしていただければと思います。しょっぱなから印象的なサプライズになるはずです。

続く『黄色い鳥』~『紫の宝石』までは、探偵役やシリーズキャラクターたちとともに、素直に幻想的なミステリを堪能してください。

そして最後『冒険の病院』ですよ…大好きです。クリスティの「クィン氏」とか「パーカー・パイン」のロマンティックな空気が好きな方ならがっつりハマると思います。

 

ただ、これを読むためにはまず『風変わりな二人組』を読まなければいけません。ならついでで良いので『黄色い鳥』~『紫の宝石』も読みましょう。で、それらを読み込んだら、最後の『冒険の…

 

では!