『動く指』アガサ・クリスティ【感想】隠れた傑作

1943年発表 ミス・マープル3 高橋豊訳 ハヤカワ文庫発行

 

2019年初クリスティは、ミス・マープルシリーズ第三作。

当ブログでも度々言っていることだが、筆者ぼくねこは海外ミステリをほぼ発表年順に読んでいる。所持している1910~1930年代(約250冊)のミステリの多くを読み終えたため(穴あきもあるが)、ようやっと1940年代の海外ミステリにも手を伸ばし始めたのが昨年の終わりごろだった。このままの計算(50冊/年)では、1970年代に書かれたポワロものの後期作品を読むのは少なくとも10年後になる。人間どこでどう死ぬか全くわからない。だからこそ、早めにクリスティ全作は読み終えたいのだが…

40歳でクリスティ読破、となるとそれはそれで、ちょうど息子(10年後は中学生)にも勧めやすいタイミングなのでアリか。

 

粗あらすじ

傷痍軍人バートンは療養のために妹を連れて都会ロンドンから田舎町へとやってきた。心穏やかに静養できるはずのまるで“いやな事件など起こりそうにない”平和な土地にやってきた矢先、陰湿で醜聞的な嫌がらせが頻発しだす。疑心暗鬼になった村人たちの不和が広がる中、ついに悪質ないたずらの犠牲者が…

 

クリスティ作品には珍しいことに、物語の多くをけん引するのは、高名な名探偵ではなく、傷痍軍人のバートン。彼はおせじにも知性溢れる人物とは言えないが、軍人らしい行動力と活力に満ち、村人からはそれなりに頼られる一目置かれた人物像に仕上がっている。

そして、彼とコンビを組んで物語を盛り上げるのが、妹のジョアナ。ロンドン育ちだけあって都会的であか抜けたキャラクターで、恋多き(というかダメ男に惹かれやすい)女性だ。

この兄妹が、お互いの恋愛観や異性交遊を弄り合い、励まし合うのが物語を楽しくさせている一つの要因になっている。こんな二人が表に出っ放しということは、もちろんクリスティ風のロマンスがあると思っていい。ここらへんはミステリに大きく関係ないので省略するが、もうすぐ30を迎えるおっさんでもそれなりに楽しめた。というのは強がりで、普通にニヤニヤしたし、ふふふ、くらいの声は出た。正直に言うと、大好きだ。

 

事件の題材は、一種の病的な嫌がらせを端に発する事件、ということで、はたしてそれが本当に病的なものなのか、それとも、ちゃんとした知性に支えられたものなのかで展開が大きく変わってくる。

最近読み進めているヘレン・マクロイのウィリング博士(精神科医)だったらどう料理するだろうか、などと妄想しながら読み進めていったが、やはり、不気味な事件の背景をいつまで経ってもハッキリさせないクリスティの筆致が冴えている。事件後は警察の専門家も登場し、探偵役の交代かと思いきや、彼らもまた上手い具合にポンコツだ。

 

そうこうしているうちに、ほとんど進展もないまま傍観を続けた結果、事件は平和な村で起こるはずもない悲惨な結末へと発展してしまう。ここにきて緊迫感が一気に増し、プチパニック状態が起こるが、ここでようやく事件が整理され、怪しげな登場人物たちの化けの皮が徐々に剥がされるに至って、読者はハハンと確信する。ここからが本番だな、と。いや、ここからだ、と思い込んだときには既にクリスティの掌で転がっているのだ。クリスティが私の経絡秘孔を無慈悲に突き「お前はもう死んでいる」と言う声が聞こえる。

 

さて、本来なら、ある程度早い段階で〈読者への挑戦状〉くらいは顔面に叩きつけても良いくらいなのだが、クリスティはラストに向けて挿話を綺麗に畳んでゆく。この手際もまた素晴らしい。ただ素晴らしいのは「手際」だけであって、畳まれた衣服の形自体はやや不揃い。オチにも多少強引なところもあるが、ここはあえてドラマチックと言い換えてあげてもいいだろう。

 

魅力的でミスリードになる挿話にはそこまで尖った部分は無いが、クリスティは探偵役ミス・マープル自身にもある種の魔法をかけている。ぜひここは本書を読んで体験していただきたい。

タイトル「動く指」が暗示するとおり、自分もクリスティの魔法にかかってしまったのか勝手に指が動いて、いつもと違う変てこな記事になってしまった気もするがそこはご容赦いただきたい。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

モナの自殺、そしてメイドのアグネスの殺害が起こる中盤まで読み進めて、ある程度事件の構成は読める。モナの死こそ犯人の真の目的で、アグネスはそれに気づいてしまったから殺された。もちろん怪文書の差出人が犯人で間違いないだろう。

あとは怪しい人物から絞り込むだけなのだが…最有力はシミントン家の家庭教師エルシー。不思議な魅力をもつ美女で、ディック目当てだと考えれば一応は納得できる。怪しすぎて逆に全然犯人に見えないのは問題だが。

パイ氏も犯人候補にしてみたくなる怪しげな人物だが、登場人物一覧に載っていないので犯人ではない(←暴論)。

あと一瞬だけ疑ったのは、リトル・ファージ邸のお手伝いパトリッジ。アグネスは犯人について知った(であろう)ことを伝えようとした矢先に殺されたので、彼女が秘密を持っていることを知っていたのはバートン兄妹とパトリッジしかいない。シミントン家の人間が彼女の電話を盗み聞きしていない限り。

…ということは、やはりエルシー犯人説もあり得るか。ただ、アグネスの殺害方法からは力のある男性という犯人像が浮かぶ。オーエンもジョアナが惹かれている“ダメ男”という点は候補に入るが、それだけじゃなんともなあ…まさかだけどディックか?

クリスティの作品ではよくあることだが、仮説はいくつかあっても決定的な描写がないのが厄介。

 

推理

ディック・シミントン

結果

正解…はしたけど…

う~ん何回クリスティに転がされたら気が済むんでしょうか笑

あえて書くまでもないことかもしれませんが、シミントン夫人の死によって得をする人物を隠す煙幕が巧妙です。ジェリー・バートンという一人の男性を語り手にして、男性目線でエルシーを見るように誘導することで、ディックの恋慕という決定的な動機に気づきにくくなっています。このジェリーを語り手にすることによる誘導は、叙述による心理操作トリックと言い換えてもいいでしょう。

また、タイプライターの寄贈や用いられた封筒も、それらを寄贈する前に準備することで、時系列を誤認させるトリックになっているのも秀逸です。

これは余談ですが、並の作家なら、アグネスの殺害方法にもっと(便宜上)女性的な方法を取らせたと思うんですよねえ。毒殺は避けるとしても、エメに嫌疑がかかるよう誘導するのもアリだったとは思うのですが、あえてここで犯人の残虐性と焦りを出させた(ドジを踏ませた)のもクリスティの技能の高さの現れでしょうか。

 

 

 

ネタバレ終わり

本書は数多のクリスティ作品の中でも、語られることのあまり多くない作品だとは思う。しかしながら、何度か読み返すと、コミカルで柔らかな作風に交じってクリスティが実に挑戦的な仕掛けを施していることがようくわかる。それは紛れもなく真相に直結し、真犯人に大打撃を与える一手なのだが、読んでいるとその伏線には全く気付かないまま解決編へと突入してしまう。

物語の面白さを備えつつ、そのベールに覆われてミステリ的な装飾を施す手腕に改めて脱帽する。クリスティ作品の中でも間違いなく上位に来る隠れた傑作である。

では!