発表年:1934年
作者:キャメロン・マケイブ
シリーズ:ノンシリーズ
訳者:熊井ひろ美
三大奇書と呼ばれる作品(『ドグラ・マグラ』『黒死館殺人事件』『虚無への供物』)のどれひとつ読んでもいないのに奇書を語る資格なんて元々ないんですが、本書はアンチ・ミステリ、メタ・ミステリの観点から言えば、間違いなく奇抜で幻惑的な一作になっています。
少なくとも、牧歌的でユーモラスな黄金時代のミステリとは一線を画す、またそれだけでなく、既存の推理小説を抹殺してしまうような破壊的な推理小説です。ということであらすじさえあまり紹介したくありません。…のでまずは作者紹介から。
キャメロン・マケイブという男
キャメロン・マケイブというのはペンネームで、彼の正体は、本書の発表から40年以上も経ってから初めて明らかになります。
本名アーネスト・ボーネマンは1915年ドイツ生まれ。1936年にナチスの手を逃れ英国へと亡命した翌年、わずか19歳という若さで本書を書き上げます。
その後アメリカにわたりいくつかの小説を発表したことはわかっているのですが、あまり情報は多くありません。
ここからは、本名Ernest Wilhelm Julius Bornemanを元に、もう少しだけ彼の人物像を掘り下げてみたいと思います。
調べたところによると、推理小説作家マケイブではなく、ジャズ批評家ボーネマンの方が有名なようです。
人生を辿ってみると音楽への傾倒は、10歳の時パリで行われた万博で民族音楽に触れた時からスタートしています。その後、イギリスで作家として一定の成功を収めた後も、プロのミュージシャンのツアーに帯同したり、クルーズ船でダンスバンドを組むなどして、ジャズへの造詣を深めたようです。1940年にはなんとジャズの百科事典まで出版しているのですからその傾倒ぶりがよく窺えます。
終戦後は母国ドイツやオーストリアで活動し、人類学者として博士号を取得するなど多方面で活躍し、晩年は性学者としても多くの著作を世に送り出しています。
そして、80歳になった1995年、自ら命を絶つ(詳細は不明)ことでその生涯を閉じたのでした。
上記の経歴は、海外版のWikipediaとドイツ語で書かれたファンサイト(ジャズ関連)を参考にしたものです。
さて、長々と作者についてのみ言及してきましたが、あとは本書の解説にある作者情報を僅かばかり紹介するのみです。
それは、ボーネマンが本書を描いた動機は、純粋に自分の語学(英語)力を試すためであり、それがカネになるかどうか自分を試す以上の思惑がなかったということ。
ましてや、推理小説というジャンルへ一石投じるつもりも毛頭なく、作者曰く「何のメッセージも持たない作品」だったと言うのですから驚きです。
当ブログでも、ここまで作者について書いて、中身の感想を先延ばしにしてきた記事は初めてです。
本書の紹介については、タイトルと登場人物について軽く触れておくのみとしたいと思います。
まずタイトル『編集室の床に落ちた顔』ですが、これは作者自ら丁寧にも本文に入る前に解説してくれています。
映画が完成したあと、何らかの理由により、彼らの出番は不必要だということが判明し…ハサミのひと裁ちでばっさりと(フィルムから)切り落とされた…男優あるいは女優のこと。
ちょこっと編集してます
このタイトルからわかるように、本書の舞台になっているのはイギリスの映画会社。今まで200冊ほど海外ミステリを読んできましたが、映画会社の登場がまず初めてで、導入からぐっと引き込まれました。女優や男優、脚本家や監督が事件に絡むことは多々ありましたが、技術者が中心となるミステリも初めてです。
そして、本書の語り手は映画会社に勤務する編集者キャメロン・マケイブ。彼の口から語られる衒学的と言っても差し支えないほどの機材知識や、唐突に突きつけられる黒人歌手が歌う「セントルイス・ブルース(ジャズ)」の歌詞などなど、“奇”な空気は序盤から漂ってきます。
一方事件自体はかなりシンプル。映画という材料がミステリに巧く組み込まれており、謎が謎を呼ぶ展開もオーソドックスな本格ミステリのよう。ミステリにおきまりのスコットランド・ヤードの探偵や、訳知り顔の老人記者など登場人物の個性にも事欠かず。
うん。やっぱりちゃんとしたミステリじゃないか。そう思ったのもつかの間、突然平手打ちをくらいます。
…ここらでやめときましょう。
この「平手打ち」ってのが読む人によって様々だろうと予想できるところに、本書の面白さは詰まっていると思います。ずしんと重い「ボディブロー」なのかそれとも「デコピン」程度の衝撃なのか…。
ぜひ、ある程度海外ミステリを読みなれた方(とくに黄金時代のミステリの経験値が高い方)に読んでもらって、感想を聞きたい奇妙なミステリです。
ネタバレを飛ばす
以下超ネタバレ
謎探偵のモヤモヤ
本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。
本編の奇妙な味がクセになる、個人的には好きな部類に入るミステリなのですが、それ以上に「エピローグ」が傑作(問題作)です。これさえなければ、まだフツーのミステリなんですよねえ…
ネタバレなしの感想では、この凶悪なエピローグの存在と多重解決の趣向については全く触れませんでした。
他者の感想を覗いてたら「あまりの訳のわからなさに頭が変になりそうでした」ってのがあったんですが、このエピローグのせいだと思うんですよねえ…準奇書くらいの認定は与えてあげてもいいレベルなのかもしれません。
エピローグはまず、犯人の手記を入手したという導入で始まり、一見犯人の人間性を掘り下げていくような流れになるのかと思わせます。
これは、現実に(もちろん物語の中で)犯人の手記が世間に公開された後のお話ですが、一方で現実に(これは本当に現実に)存在している出版社や新聞の名前を挙げながら、また実在の作家の名前を用いて、書評や分析(こちらはフェイク)が紹介されます。
この複雑な序盤も、作者が読者に対して、本事件が現実に起こったことだと錯覚させるためのものでは、もちろんありません。そもそも何のメッセージもないのですから…
エピローグを数章進み、犯人の精神分析がひと段落着いたところで始まるのは、犯人の手記の書き方に関する論評です。
ここからは、もう殺人事件なんてどうでもよくなってきて、推理小説というジャンル全体への挑戦と、アイロニー満載の批評のオンパレード。
この、自分で作品を書いておいて、自分でその書き方を批評する≒自分を客観的に見ようとする姿勢が好きです。特に、犯人がなぜこの単語を使ったのか、この英語の言い回しを用いたのか、というところにまで自分でツッコミを入れているのですから、作者(ボーネマン)が自分の語学力を試すために本書を書いた、というのも納得の描写でしょう。
中盤以降、紆余曲折しながら、時たまミステリの核にも触れだす部分も決して見逃せません。アンフェアな描写や決定的な犯人のミスなど、ある意味で手がかり索引的な趣向もこの中には含まれています。
そして終盤、再び犯人の登場と相成ります。ここから世界がガラガラと崩れていくのが堪りません。最後の一文まで力を一切抜くことなく、延々と崩し続ける力業を堪能しました。
ネタバレ終わり
さっくりまとめるなら、少なくとも本書には、目新しい舞台と魅力的すぎる謎があり、巧みなプロットがあり、唖然とさせられるサプライズがある以上、間違いなくミステリです。しかし、八十年の時を経て、作者に甦ってもらわなければ全容が見えない怪作でもあります。
万人にオススメすべきでない作品なのはわかっているつもりなのですが、一方で多くの人に「推理小説を殺す推理小説」を読んで欲しいという欲にも抗えないでいます。
興味を持たれた方は是非。では!