1940年発表 精神科医ベイジル・ウィリング博士2 駒月雅子訳 創元推理文庫発行
粗あらすじ
ヨークヴィル大学を訪れたフォイル次長警視正は、詳細な殺人計画が書かれたメモを拾う。警察官の勘か、妙な胸騒ぎを覚えたフォイルだったが、意を決する前に一発の銃声が静寂を破った。事件現場から逃げ出した人物は、月明かりに照らされた姿を複数人に目撃されていたが、その証言はどれ一つ一致せず、男か女かすらわからない始末。一方警察への協力を求められたウィリング博士は、摩訶不思議な実験が行われていた大学内で捜査を始めるが、何かを隠す登場人物たちや、意味ありげなシンボルに翻弄される。
前作『死の舞踏』もそうでしたけど、謎の発端と物語への導入部は満点です。レギュラーキャラクターであるフォイル次長警視正の視点で物語が語られ、彼が事件発生後も綿密な初動捜査が行われるところまで責任をもってその役を担うので、無駄な描写や省かれる手がかりがほとんど無くすんなり推理に入り込めます。
また、ここで提示される“月明かりの男”の謎がまた芳醇です。三者三様の異なった目撃証言の真意はしっかり結末部まで引っ張られますし、そのほかにも現場の謎や死体の謎、登場人物の謎に大学の実験の謎、など多数の謎が真相を守る堅牢な盾になっています。
そしてそれらの謎を解き明かすために、精神医学の実験(嘘発見器など)というド直球と、時代背景を取り入れた骨太のプロットという変化球が織り交ぜられているのも見逃せません。ココがウィリング博士シリーズ最大の魅力と言っていいでしょう。
また、真相に直結するわけではないのですが、登場人物に用意されたあるサプライズなんかは、これぞ精神科医!という題材に沿った特色あるサプライズでありながら、物語の展開にも影響を与える副次的な効果が秀逸です。この記事を書いている現在もマクロイの作品は併読中で、今のところ第4作まで読んでいるのですが、その全てで精神医学や心理学的要素をただのオチにするのではなく、物語に組み込んだうえで、謎と解決に結びつける卓越した構成力に瞠目させられます。
中盤は派生的に事件を広げ、読者を飽きさせないような工夫が多々見られますが、逆に散らかった印象も拭えません。もちろん結末部ではそれらの伏線は全て回収されるのですが、いかんせん物量が多いだけに「何が謎だったっけ?」と頁を遡らなければならないこともしばしば。
読みながらしっかりメモを取ったり、一気読みする習慣がないのが良くなかったのか、謎解きという点では少しダラけてしまいました。
あと、ミステリにロマンス、という個人的に大好きな組み合わせも登場するのですが、謎解きには少し邪魔というか前述の心理学的要素とのマッチングに比べると合っていない気もします。
最後にグチグチ言いましたが、有無を言わせない圧倒的なサプライズは健在で、論理的な美しさも高水準。80年も前に発表されたとは思えないほど、説得力のある心理学描写とミステリの完ぺきな融和を体験できるというだけでも、ぜひ多くの人に読んで欲しい名作です。
以下超ネタバレ
《謎探偵の推理過程》
本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。
メインの謎、“月明かりの男”がただの見間違いなのか、それとも全員が正しいというトリッキーな答えなのか迷う。“見間違い“がウィリング博士の言う「心理学的な指紋」なのだとしたら、一人だけ女だと言ったソルトが怪しく見える。
遺書の“打ち間違え”も間違いなく手がかりの一つだろう。まあ、どう真相に繋がるかは全くわからないが…
コンラディの秘密の研究とドイツ人留学生の自殺など、豊富な派生を見せる中、どうコンラディ、エミリー殺害に繋がるのか見えない。さらに、円形に十字のシンボルと奇怪な行動をとるホールジーの謎が絡みだすと何が何やら…
終盤に入り、コンラディ、ディートリッヒ殺害の動機が明らかになると、犯人はぐっと絞り込まれる。フェンローかソルトか、どちらかだろう。ウィリング博士が「愛国心か金銭欲か」と言っているし。
推理
ジュリアン・ソルト(の方がフェンロー博士よりかは面白そう)
結果
勝利?
慣習による推理のため、勝利とは言い難いうえに、候補者が少ないにも関わらずソルトが犯人だとわかった瞬間には驚きました。
目撃証言の違和感には気づいたのに、論理的に事件を構築できなかったのは悔しいです。
ミステリの様式で言えば、心理学の連想実験が、犯人の炙り出しのためでなくホールジーの秘密を暴くために用いられるなど、かなり贅沢な構成になっていますし、手に汗握るサスペンスフルな犯人との対峙シーンも素晴らしいの一言。前作以上に磨き上げられた本格ミステリなのは間違いありません。
美しいパズルと緊迫したサスペンスが魅力の一作ではあるのですが、登場人物はいささか紋切り型。犯人も含めてペランペランな気がしないでもありません。もちろん、人間が書けているかどうか、というのがミステリに必須ではないとはいえ、もう少し人間味のある配役ができていれば、読み応えはあったかもしれません。
では!