発表年:1933年
作者:F.W.クロフツ
シリーズ:フレンチ警部10
訳者:大庭忠男
フレンチ警部シリーズもついに10作を突破しました。ポワロシリーズで言えば『雲をつかむ死』(『ABC殺人事件』のひとつ前)なので、ミステリ作家としても中堅になり油の乗った時期の作品だと言えるでしょう。
ストーリーはいたってオーソドックスで、フレンチ警部による失踪した医師の捜索が大筋です。さらにはその医師に浮気相手との駆け落ちの疑いがあって…と言う具合に徐々に物語が膨らんでゆきます。
医師の失踪状況がいかにもな不可能状況なので、これはまたトリッキーなクロフツ作品かと胸をわくわくさせられるに違いありません。
本作で顕著なのは、クロフツ流ミステリの配合術です。
クロフツのミステリは、地味で退屈だという誤ったイメージが先行しているようですが、それらが間違いなのは当ブログでも散々お伝えしていると思います。
地味ではなく地道、退屈ではなく手抜きをしないだけなのです。
そんな作品全体を流れる血に対し、そのボディには、常に先鋭的で革新的なものを産み出そうというエネルギーが満ちています。
例えば1部と2部に分けて物語を構成する手法。
この手法の先駆者はアーサー・コナン・ドイルですが、クロフツはこれをアレンジし、探偵とアマチュアに分けてしまったり(『製材所の秘密』)、不運な夫人のふつう小説になったり(『二つの密室』)と、創意工夫が凝らされたどれも特徴のある作品を仕上げています。
本作も似たような展開を迎えるものの、その骨組の中に、鉄道描写やアリバイなどのクロフツの譲れぬ拘りがしっかりと組み込まれているのも見逃せません。
シリーズいちと言って良いほど悪質で憎むべき犯罪に対し、並々ならぬ情熱と正義感を持って事件にぶつかるフレンチ警部の描写も巧く、過酷で実りの少ない捜査に全力を傾ける警察諸氏の描写にも注力されているのがひしひし伝わってきます。
つまり、クロフツらしい地道な警察捜査に、特異な構成、拘りの鉄道描写が絶妙なバランスで配合されたのが本作なのです。
肝心のミステリの核についても同様に、退屈手抜き無しの捜査に相応しい、精妙巧緻な犯罪が圧巻です。
何度か読み返さないと理解できないくらい難解なトリックではありますが、処女作『樽』を彷彿とさせる、歯車がきっちりとかみ合った、クロフツにしか書けない良質のミステリでした。
以下超ネタバレ
《謎探偵の推理過程》
本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。
失踪したアールの浮気は疑いようが無く、自動的に妻のジューリアと愛人スレイドが怪しく見えてくるが…スレイドが登場人物欄にない!?
ということは関係が無い、ということだろか。
“ゲームの慣習“推理で申し訳ないが、少なくともスレイドの単独犯ではない。
ジューリアは保留。
序盤から怪しさを醸し出す人物が一人。
それがハワード・キャンピオン。
ハワードが機械いじりが得意なことは、今後のトリックに関する伏線かもしれないし、アール医師の業務を引き継いている点も、浮気とは違う別のアール殺害の動機に繋がる伏線かもしれない。
物語が進むと、同じく同時期にヘレン・ナンキヴィルという看護婦も失踪したことが判り、駈け落ち説が再燃するが、彼女を知っている人間誰もが、彼女をそんなことをするような人ではない、と言う。
これは、アールとヘレンを同時に葬りたい人物の策略に違いない。やはりジューリアか。
視点を変えて、死体の処理方法だが、バイパス工事現場だろう。
前作『死の鉄路』で土を盛ったり掘ったりする複線化工事のアイデアが上手く流用されているはず。
ただ、女手で二人もの人間を短期間のうちに土の中に隠すなど到底できっこない。ということは共犯者(男)がいたことになる。
ここでキャンピオンか?
ドール・ハウスを作っている間はアリバイができるし、アーシュラが失踪した(死んだ?)ということは、彼女を自由に攫うことのできる身近な人物が犯人に違いない。
問題は、キャンピオンのアリバイと動機だったが、物語も終盤に来ると、フレイザー老毒殺を巡る事件の全容が見えてしまったので、ここらで。
推理
ハワード・キャンピオン(と共犯者)
結果
ハワード・キャンピオン
アーサー・ゲーツ
二人でアリバイを補完し合うとはうまいですねえ。ただ、かなりオーソドックスなトリックなのに、読者にまったく気づかせずに結末まで持って行くのは至難の業だったはず。
そのために、不可思議な失踪方法や、アール医師の浮気、ジューリアの不倫、アール医師の危険な研究などホワイダニットに着目させないテクニックが冴え渡っています。
読み始めた当初は完全にフーかハウだと思っていました。完敗です。
言い忘れてましたが、本作には手がかり索引的なものも忍ばされており、かなりクロフツ自身フェアプレイを念頭に置いた気を使う作品だったんだろうとは思います。
なので、いつもの伸び伸びとした旅行記のような雰囲気は無く、陰惨で暗い事件に仕上がっているのも、今までの作品とは違った良さです。
では!