サスペンス小説の匠による名作【感想】コーネル・ウールリッチ『黒衣の花嫁』

発表年:1940年

作者:ウィリアム・アイリッシュ(コーネル・ウールリッチ)

シリーズ:ノンシリーズ

訳者:稲葉明雄

 

アイリッシュです。いや初ウールリッチと言ったほうが良いのか…彼と同じように別名義のあるミステリ作家と言えばエラリー・クイーン(バーナビー・ロス)が有名ですが、クイーンがバーナビー・ロス名義で書いた作品はたったの四つ(悲劇四部作)。

一方、アイリッシュ(ウールリッチ)は、どちらの名義でも名作と呼ばれる作品を多々世に送り出しています

個人的には、3年前ミステリにのめり込んだ初期に手に入れた『幻の女』の影響か、ウィリアム・アイリッシュの方が印象に残っています。※未読です。

 

そして、本書は、コーネル・ウールリッチと言う名を世間に知らしめ、サスペンス作家としての彼の地位を確立させたと言われるほどの力作。

どれほどのもんじゃい、と食ってかかったはいいものの見事に返り討ちに遭いました。

 

ということで、遅くなりましたがまずは簡単に作者紹介。

コーネル・ウールリッチは1903年ニューヨーク生まれ。幼い頃両親が離婚し、寂しい幼少期を過ごしました。30代で結婚するものの、自身の性癖が原因で離婚。以後約40年死ぬまでホテル暮らしを続けます。

晩年はアルコール中毒や糖尿病に苦しめられ、足の切断という不幸にも見舞われました。

作品が売れに売れた人気作家だっただけに、死後の資産は約百万ドルとも言われています。しかし、葬儀に参列したのは弁護士、医師、銀行家、そして資産管理者だけ。彼の死亡記事の名前の綴りは間違われ、作家仲間・団体からの弔辞すらなかったといいます。

そんな寂しく孤独な人生を送ったからか、作品にもそんな哀愁漂う、絶望的な状況が設定されたものが多いようです。

 

 

あらすじは要りますかねえ…

まずは第一部『ブリス』の1章で「女」が登場します。そして続く2章で「ブリス」が登場し、ええ……出会います。

 

この第一部の僅か40頁を読むだけで『黒衣の花嫁』がどんな作品なのか、どんなプロットを持つ作品かばっちりわかってしまいます。なのに

「なんということでしょう(匠)」

気づけば、読み終えていました。

 

ハヤカワ文庫版の裏表紙にあるあらすじで、ストーリーについてはほぼネタバレしているので、気になる方はお気をつけください。また、以下に書く感想も、事件の構成をバラしている可能性があります

先入観・予備知識すら持ちたくないと言う方は読了後ご覧になることをお勧めします。

 

 

 

事件同士の繋がりを示すミッシングリンクの仔細が、なかなか作中で明かされることはないものの、事件の裏で繋がりを怪しみ、捜査を続ける探偵役ウォンガーが良い味出してます。

作者が孤独な生涯をおくったからか、ウォンガーが同僚の賛同を得られないまま、地道にあきらめず捜査を続ける姿勢も印象に残っています。

 

読者からしてみれば、各部に何らかの関連性があるのが明らかなものの、作中の登場人物たちにとっては五里霧中の難事件。

各事件の共通点も乏しく、事件のバリエーションも多彩です。なので、謎解き(フー・ホワイダニット)の部分で奥深さはなくとも、ハウダニットとしての魅力がそれらを十分補っているように思えます。

そしてハウに重きを置いた分、ハラハラドキドキのサスペンスフルな筆致がさらに雰囲気を後押しします。

どこに、どんな死の罠が仕掛けられているか、そこらの推理小説では決して体感できないひりひりとした緊張感が最大の魅力です。

 

そして、最後はどんでん返し。

物語の筋がわかっちゃうだけに、どうやってオトすか注目でしたが、すんなりハードルは超えてきます。

もちろん真相についてはやや強引なきらいもありますが、それよりも賞賛すべきは、犯人と探偵役の絶妙な距離感です。

両人が徐々に近づいていく様相は素晴らしいですし、サスペンス小説として一級品なのも間違いありません。また読者によっては、倒叙作品に見えたり、犯罪小説にも見えたりしそうです。

 

しかし、個人的には警察小説として最高品質だと言っておきます。

とくに中盤以降、「女」を取り巻く状況、ではなく、警察の捜査に着目するのを忘れてはいけません。警察の目的の一つは、もちろん犯人逮捕ですが、真の目的は別のところにあります。

本書は、改めていち読者として探偵役の目線になって挑む必要性があると、再確認させてくれるはずです。

 

本書に詰め込まれたミステリ要素を支えるのは、翻訳を通しても伝わってくる、作者コーネル・ウールリッチの艶のある筆致です。生き生き、の反対ってなんて言うんでしょうか。

決して明るく、華やかな文章ではありません。それでも生への執着の無さに起因する決死の覚悟だったり、執念・怨念などの思いの強さが痛いくらい伝わってきます。自分の文章力では、なかなか上手く伝えられませんが、しばらくどっぷりハマりそうです。

 

以下、記憶の補完のため、事件の構成や秀逸なポイントを整理しますが完全にネタバレしています。未読の方はご注意ください。

 

 

 

《謎探偵の事件メモ》

第一の事件「ブリス」

  • なぜブリスの家に寄ったのか。色仕掛けで嵌める作戦だったとしても婚約中のブリスに効果があるとは思えない。部屋に何か仕掛ける(本書では登場しない方法?)作戦だったのか。
  • 序盤でコーリーを登場させる伏線が巧く利いている(唯一の目撃者であり真犯人)。
  • 殺害方法は転落死だが、パーティ中の犯行なので運要素がかなり強い

第二の事件「ミッチェル」

  • 色仕掛けが人物像とも符合していて巧妙。事前の準備から完全犯罪が徹底されていて巧い。
  • ミッチェルの恋人を救った機転も見事。

第三の事件「モラン」

  • 子どもの面前で父親を殺す、という非道な事件だが、目撃者を年端も行かない子どもに限定させるなど、犯罪としては完ぺきに近い。一方で、犯人に仕立て上げられた人物を救うために警察に真実を明かさなければならなかったため、この三部が犯人にとってターニングポイントになっている。

第四の事件「ファーガスン」

  • 不運なことにコーリーと再会してしたうえに、見逃してしまう。犯人のプライドが警察の助けになってしまうが、おかげで真犯人の手がかり(拳銃)も警察へと渡る。
  • 警察で指紋課に回るはずだった銃が弾道課に行き、結果としてコーリーが過去の事件の犯人だった、というくだりは見事だが、読者に推理できるかどうかは怪しい。最初は新米刑事に扮したコーリーが盗んだのかと思った。

第五の事件「ホームズ」

  • 最後の標的であるホームズが“作家”で、しかも“探偵”役のウォンガーに入れ替わっているという展開にニヤニヤ。
  • オチの無常感は、セイヤーズ『ナイン・テイラーズ』を読んだときに感じたものに似ている。形の定まらない、不安定なものを見た時に感じるふわふわとしたなにか。哀れ、とか虚しさ、以外のなにか。(なんだ)

 

 

事件全体を冷静に眺めてみると、本件は相当救いようのない犯罪です。軽く「むっちゃ面白いよ、読んでみてね」なんて到底言えません。

"救いようのない"と言いましたが、作中では「救い」は達せられ、事件も解決しています。ここらへんの、不条理でありながら物語を完結させてしまう手腕も見事としか言いようがありません。

では!