推理小説殺し【感想】キャメロン・マケイブ『編集室の床に落ちた顔』

発表年:1934年

作者:キャメロン・マケイブ

シリーズ:ノンシリーズ

訳者:熊井ひろ美

 

 

三大奇書と呼ばれる作品(『ドグラ・マグラ』『黒死館殺人事件』『虚無への供物』)のどれひとつ読んでもいないのに奇書を語る資格なんて元々ないんですが、本書はアンチ・ミステリメタ・ミステリの観点から言えば、間違いなく奇抜で幻惑的な一作になっています。

少なくとも、牧歌的でユーモラスな黄金時代のミステリとは一線を画す、またそれだけでなく、既存の推理小説を抹殺してしまうような破壊的な推理小説です。ということであらすじさえあまり紹介したくありません。…のでまずは作者紹介から。

 

キャメロン・マケイブという男

キャメロン・マケイブというのはペンネームで、彼の正体は、本書の発表から40年以上も経ってから初めて明らかになります。

本名アーネスト・ボーネマンは1915年ドイツ生まれ。1936年にナチスの手を逃れ英国へと亡命した翌年、わずか19歳という若さで本書を書き上げます

その後アメリカにわたりいくつかの小説を発表したことはわかっているのですが、あまり情報は多くありません。

 

ここからは、本名Ernest Wilhelm Julius Bornemanを元に、もう少しだけ彼の人物像を掘り下げてみたいと思います。

調べたところによると、推理小説作家マケイブではなく、ジャズ批評家ボーネマンの方が有名なようです。

人生を辿ってみると音楽への傾倒は、10歳の時パリで行われた万博で民族音楽に触れた時からスタートしています。その後、イギリスで作家として一定の成功を収めた後も、プロのミュージシャンのツアーに帯同したり、クルーズ船でダンスバンドを組むなどして、ジャズへの造詣を深めたようです。1940年にはなんとジャズの百科事典まで出版しているのですからその傾倒ぶりがよく窺えます。

終戦後は母国ドイツやオーストリアで活動し、人類学者として博士号を取得するなど多方面で活躍し、晩年は性学者としても多くの著作を世に送り出しています。

そして、80歳になった1995年、自ら命を絶つ(詳細は不明)ことでその生涯を閉じたのでした。

 

上記の経歴は、海外版のWikipediaとドイツ語で書かれたファンサイト(ジャズ関連)を参考にしたものです。

 

さて、長々と作者についてのみ言及してきましたが、あとは本書の解説にある作者情報を僅かばかり紹介するのみです。

それは、ボーネマンが本書を描いた動機は、純粋に自分の語学(英語)力を試すためであり、それがカネになるかどうか自分を試す以上の思惑がなかったということ。

ましてや、推理小説というジャンルへ一石投じるつもりも毛頭なく、作者曰く「何のメッセージも持たない作品」だったと言うのですから驚きです。

 

 

当ブログでも、ここまで作者について書いて、中身の感想を先延ばしにしてきた記事は初めてです。

本書の紹介については、タイトルと登場人物について軽く触れておくのみとしたいと思います。

 

まずタイトル『編集室の床に落ちた顔』ですが、これは作者自ら丁寧にも本文に入る前に解説してくれています。

映画が完成したあと、何らかの理由により、彼らの出番は不必要だということが判明し…ハサミのひと裁ちでばっさりと(フィルムから)切り落とされた…男優あるいは女優のこと。

ちょこっと編集してます

このタイトルからわかるように、本書の舞台になっているのはイギリスの映画会社。今まで200冊ほど海外ミステリを読んできましたが、映画会社の登場がまず初めてで、導入からぐっと引き込まれました。女優や男優、脚本家や監督が事件に絡むことは多々ありましたが、技術者が中心となるミステリも初めてです。

 

そして、本書の語り手は映画会社に勤務する編集者キャメロン・マケイブ。彼の口から語られる衒学的と言っても差し支えないほどの機材知識や、唐突に突きつけられる黒人歌手が歌う「セントルイス・ブルース(ジャズ)」の歌詞などなど、“”な空気は序盤から漂ってきます。

 

一方事件自体はかなりシンプル。映画という材料がミステリに巧く組み込まれており、謎が謎を呼ぶ展開もオーソドックスな本格ミステリのよう。ミステリにおきまりのスコットランド・ヤードの探偵や、訳知り顔の老人記者など登場人物の個性にも事欠かず。

うん。やっぱりちゃんとしたミステリじゃないか。そう思ったのもつかの間、突然平手打ちをくらいます。

 

…ここらでやめときましょう。

この「平手打ち」ってのが読む人によって様々だろうと予想できるところに、本書の面白さは詰まっていると思います。ずしんと重い「ボディブロー」なのかそれとも「デコピン」程度の衝撃なのか…。

ぜひ、ある程度海外ミステリを読みなれた方(とくに黄金時代のミステリの経験値が高い方)に読んでもらって、感想を聞きたい奇妙なミステリです。

 

ネタバレを飛ばす

 

以下超ネタバレ

謎探偵のモヤモヤ

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

 

本編の奇妙な味がクセになる、個人的には好きな部類に入るミステリなのですが、それ以上に「エピローグ」が傑作問題作)です。これさえなければ、まだフツーのミステリなんですよねえ…

 

ネタバレなしの感想では、この凶悪なエピローグの存在と多重解決の趣向については全く触れませんでした。

他者の感想を覗いてたら「あまりの訳のわからなさに頭が変になりそうでした」ってのがあったんですが、このエピローグのせいだと思うんですよねえ…準奇書くらいの認定は与えてあげてもいいレベルなのかもしれません。

 

エピローグはまず、犯人の手記を入手したという導入で始まり、一見犯人の人間性を掘り下げていくような流れになるのかと思わせます。

これは、現実に(もちろん物語の中で)犯人の手記が世間に公開された後のお話ですが、一方で現実に(これは本当に現実に)存在している出版社や新聞の名前を挙げながら、また実在の作家の名前を用いて、書評や分析(こちらはフェイク)が紹介されます。

 

この複雑な序盤も、作者が読者に対して、本事件が現実に起こったことだと錯覚させるためのものでは、もちろんありません。そもそも何のメッセージもないのですから…

 

エピローグを数章進み、犯人の精神分析がひと段落着いたところで始まるのは、犯人の手記の書き方に関する論評です。

ここからは、もう殺人事件なんてどうでもよくなってきて、推理小説というジャンル全体への挑戦と、アイロニー満載の批評のオンパレード。

この、自分で作品を書いておいて、自分でその書き方を批評する≒自分を客観的に見ようとする姿勢が好きです。特に、犯人がなぜこの単語を使ったのか、この英語の言い回しを用いたのか、というところにまで自分でツッコミを入れているのですから、作者(ボーネマン)が自分の語学力を試すために本書を書いた、というのも納得の描写でしょう。

 

中盤以降、紆余曲折しながら、時たまミステリの核にも触れだす部分も決して見逃せません。アンフェアな描写や決定的な犯人のミスなど、ある意味で手がかり索引的な趣向もこの中には含まれています。

 

そして終盤、再び犯人の登場と相成ります。ここから世界がガラガラと崩れていくのが堪りません。最後の一文まで力を一切抜くことなく、延々と崩し続ける力業を堪能しました。

 

 

ネタバレ終わり

さっくりまとめるなら、少なくとも本書には、目新しい舞台と魅力的すぎる謎があり、巧みなプロットがあり、唖然とさせられるサプライズがある以上、間違いなくミステリです。しかし、八十年の時を経て、作者に甦ってもらわなければ全容が見えない怪作でもあります。

 

万人にオススメすべきでない作品なのはわかっているつもりなのですが、一方で多くの人に「推理小説を殺す推理小説」を読んで欲しいという欲にも抗えないでいます。

興味を持たれた方は是非。では!

 

 

神たる所以【感想】エラリー・クイーン『エラリー・クイーンの冒険』

発表年:1934年

作者:エラリー・クイーン

シリーズ:エラリー・クイーン

訳者:旧訳   井上勇

           新訳  中村有希

 

エラリー・クイーンシリーズの短編集を読むのはこれが初めてです。ずっと旧訳版は所持していたのですが、本書が発表された1934年以前の長編を全部読んでからじゃないと短編に挑みたくない、という変な拘りのせいでチャレンジがずいぶん遅くなってしまいました。

だって、たまーに探偵って、過去に解決した作品について言及したり、昔遭遇した犯人の名前なんかをサラッとネタバレするじゃないですか。

1934年『チャイナ橙の謎』を読み終えたタイミングと、新訳版の刊行が発表されたタイミングがばっちし合ったこともあり、今回は新旧両方を併読し、その違いなんかも交えながら、ランク付け(!)もする。という大渋滞の記事を書こうと思っています。本書をランク付けしているツイートを見てやりたくてやりたくて…

訳の差異について言及するため、ミステリのネタバレはなくとも、中身の記述が多めです。物語の筋すら知りたくない方は読了後ご覧になることをお勧めします

 

各話感想

『アフリカ旅商人の冒険』

A

大学へ犯罪講義へとやってきたエラリー・クイーン、という導入部分からよくできています。

3人の学生への応用犯罪学、と言いながら、4人目の学生は読者自身で、ある意味クイーンの長編ものでお馴染みの「読者への挑戦状」なわけでしょう?燃えます。

肝心の中身ですが、ボリュームが少い短編の中で多重解決をやってしまう、というだけで、エラリー・クイーンのミステリ作家としての技量の高さを見せつけられます。

素人探偵が辿るロジックの中には、短編で明かしてしまうには惜しいトリックもいくつかあり、本書の冒頭を飾るに相応しい贅沢な一編です。

訳の相違点

自分が気づく限りそんなに大きな相違点は無かったと思うのですが、登場人物の一人アイクソープ嬢に対するエラリーの態度(表現)が少し変わっています。旧訳版ではどちらかというと冷徹ともとれるくらいクールな態度なのに、新訳版では幾分柔らかな物腰です。小娘を軽くあしらう大人なエラリーという人物像に感じられます。

また、アイクソープ嬢が事件の情報を得ようと質問するライバルの学生に対する一言も違います。

「ジョン、あんたって意地悪ね」→「ジョンったら、ずるい!」

まあ抜け駆けを表すシーンではないはずなので、どっちも微妙かなあという気もしないのですが…

 

『首吊りアクロバットの冒険』

A

ハウダニットを一段掘り下げることで特殊な謎に昇華した珍しい一品です。魅力的な導入部に反して、手がかりの一つが提示された途端に、点と点が繋がり真相が明らかになってしまうのはやや残念かもしれません。

訳の相違点

サーカス団の名前がガラッと変わっていました。

「アトラス一座」→「プロメテウス一家」

どちらもギリシャ神話に登場する男神で、しかもこの二人は兄弟。原文がどうなっていたのか不明なので、なぜ変更したか詳しくはわかりませんが、旧訳が明らかに間違っていたのでしょうか?

 

『一ペニー黒切手の冒険』

B

本作は、高価な切手を巡る盗難劇です。

全体的に整った短編集の中で、唯一やや強引な一編。強引というか盛りすぎというか…

謎解きゲームとしての面白さは十分あるので、とやかく言うのは野暮なんですが、人間ドラマ好きにはちょっと物足りません。

訳の相違点

ドイツ人書店員のウネケル老の訛りが追加

「クイーン」→「クヴィーン」

こちらもたぶん原文に忠実に訳した結果なのだとは思います。旧訳では、口調を田舎っぺぽくすることでドイツ人の老人を区別していたので、そこらへんが時代にそぐわなかったのかもしれません。

 

『ひげのある女の冒険』

S

これまでの三作は、真相の前に一時中断して旧訳から新訳へと読み替えるタイミングがちゃんと用意されていたのですが、本書は唐突に種明かしがやってきたので失敗してしまいました。

が、サプライズの部分は満点

登場人物もごく少数で読みやすいのですが、これ舞台映えもしそうだな、と思いました。視覚で堪能したいミステリでもあります。

本編では明確な訳の相違は気づかなかったのですが、登場人物の描写が現代風になっているので、読みやすさ(謎解きのし易さ)は新訳の方が上。一方旧訳は、訳の古めかしさのせいで、手がかりポイントがかなり浮いています。

 

『三人の足の悪い(びっこの)男の冒険』

B

舞台装置はいたってオーソドックスなクイーンものなんですが、小道具や謎の性質がどことなくホームズを連想させる一作です。

また、人物描写も上手く、真相は小粒でも人間らしい犯人とともに妙に印象に残る一作です。

訳の相違点

タイトルも含めて、時代にそぐわない表現が変更されています

「びっこ」→「足の悪い男」

 

『見えない恋人の冒険』

S

このテの作品が大好きです。

手がかりがしっかりと提示されたうえで、ミスディレクションもしっかり機能していて、人間ドラマもちゃんと用意され、サプライズと余韻は十分ある。このバランスの良さが素晴らしいと思います。

天候や、時間帯も含めて、その時々に応じて明暗がはっきり分かれ、コントラストが強調されているのも巧いです。

また、エラリーのキャラクターも良い意味で軽くて好きなポイント。長編だとエラリーの個性が全面に出ることが少ないので、探偵自身について掘り下げられる作品は貴重かもしれません。

訳の相違点

登場人物の一人の声が

「どなり声」→「がらがら声」

に変わっています。旧訳の時は、なんで怒ってんの?と思いましたが、新訳でしっかり変わっていました。まあ怒鳴り声は大きな声って意味でもあるので余計なツッコミかもしれません。

 

『チークのたばこ入れの冒険』

A

あるべきところにすべてのピースが隙間なく納まる美しい一編です。最初っから最後までストーリーにも一貫性があり、解決編の「Q.E.D(証明終了)」までノンストップで読める佳作です。

訳の相違点

ヴェリー警部への一言

「この大ばか者め」→「なっ、馬鹿な!」

旧訳では、この大ばか者め、で何の問題もないくらい大ばか者っぷりを見せてくれるヴェリー警部に可愛さすら感じましたが、新訳版では叱咤が控えめになっています。この場合ガツンと言われたほうが良い気もしますが…

 

『双頭の犬の冒険』

A

怪奇風の味付けが利いています。

長編『シャム双生児の謎』と同じく、巻き込まれ型の探偵を演じるエラリーですが、正体がバレたくない名探偵、というおきまりの演出も見れて終始楽しい一作でした。

また、雰囲気にマッチした不気味な登場人物もちゃんと用意されるなど徹底されています。

訳の相違点

犯罪者を追跡しているのが

「探偵」→「刑事」

に変わっていました。えらい違いだとは思いますが、60年近くも前の訳なので探偵≒刑事でもアリなんでしょう。

 

『ガラスの丸天井付き時計の冒険』

SS

派手さは少なくとも、ミステリとしての完成度は間違いなくSSランク。

騙される喜びも、解決編のカタルシスもどれも最高のレベルに達します。今まで読んできた約300の短編の中でもミステリの純度で言えば文句なしのナンバー1野球で言うと、ギリギリストライクに入るアウトコース低めの真っすぐ。あそこに投げられたら手も足も出ない、完ぺきな一球でしたって感じ。

ただ「すごい短編」と「好きな短編」はイコールじゃないですからね。好きなのは『見えない~』かこの次の短編。

訳の相違点

詳細は省略しますが、陳列されている宝石の配置がとてもわかりやすくなっていました。旧訳だとどういうことだかイマイチだったのですが、新訳だとすんなり理解できました。謎解きにもある程度必要な要素なので、良い改変です。

 

『七匹の黒猫の冒険』

S

ハリー・ポッターはスルーします(言ったけど)。こいつの名前と「黒猫と老婆」という尖った組み合わせが妙に印象に残るんですよねえ。フーもホワイもハウもどれもが高水準かつ巧妙に張られた伏線が見事な、本書ではナンバー2の作品です。

物語だけを追っても、エラリーがいちゃこらしてるのも面白く、この一種の軽さも本編の魅力の一つだと思います。

訳の相違点

なんかありましたっけ?最後の最後でちょっと飽きてきました。そんなに大きな相違はなかったと思うのですが…もしあれば教えてください。

 

『いかれたお茶会の冒険』

B

こちらは、旧訳版には収録されていません。ゾッとするような演出もあるのですが、基本的にはエラリー・クイーンが文字通りハーレ・クイン役に徹する幻想的な一作です。

全体的に作り物の(リアリティがない)雰囲気が漂っているので、ワクワクさせるような楽しい作品ではないのですが、一種のクローズドサークルの中で、探偵エラリーが果たす役割というポイントにフォーカスを当てるとそれなりに楽しめます。

 

 

おわりに

終盤ちょっと尻すぼみになった感もありますが、全体的に大満足の短編集でした。

よくツイッターの中で、エラリー・クイーンのことを“”と称する評を目にすることがあるのですが、本書を読むとあながち間違ってないなと思わせられます。

二つ名で言うと、クリスティは“女王”、カーは“王“なわけですが、クイーンのみ人外の存在なのも納得の出来でした。

人知を超える驚異的な謎と解決がたくさん詰まった傑作短編集として、是非とも手許に置いておきたい素晴らしい作品です。

 

この絵から何を読み取るか【感想】アガサ・クリスティ『五匹の子豚』

発表年:1942年

作者:アガサ・クリスティ

シリーズ:エルキュール・ポワロ21

訳者:桑原千恵子

 

前回の記事『書斎の死体』に引き続き、半年ぶりのエルキュール・ポワロは、今まで彼が解決してきた事件とはひと味違う難事件

なんと16年も前に解決してしまった殺人事件の捜査依頼だったのです。事件の性質に興味を持ったポワロが“過去への後退”を始めるまでは良かったのですが、16年という年月のせいで風化してしまった証言の数々からはたして真相へとたどり着けるのか。

 

16年も前の事件ですから、いくらポワロの灰色の脳細胞を駆使したとしても新たな物的証拠が見つかる見込みはほとんど0。

だからこそ関係者たちの証言が大きな手掛かりとなるのですが、これはクリスティの得意分野です。

本文のほとんどを占める彼らの証言の中から、食い違いや証言の空白を探し出す作業が結構楽しくて、400頁という腹にたまる物量もくいくいと消化できてしまいました。

 

肝心のミステリの中身ですが、自分の場合変にクリスティ慣れしてしまっているせいか、「クリスティだったら、こうするだろうな」という事件の筋書き予想が見事当たってしまって、犯人と動機については的中。

とはいえ、真相がぼんやり見えてきて初めて、クリスティが用意した仕掛けの全容が見えてきます。

 

第1部の6章以降、主要な関係者による証言という形で進行するため、ある程度この時点で絞り込みは可能になっていますが、証言そのものに真相が隠されているわけではありません。ここに隠されているのは証言者たちの嘘。それも、知っている事実を隠ぺいするためだけでなく、“自分自身”へつく嘘というのが面白いトコロです。

なので、行間に込められた想いや違和感をしっかりと感じ取ることができれば、ガラリと事件への見方が変わるのが秀逸です。

これが決して犯人当てだけに作用するわけじゃなく、登場人物たちの相関性に影響を及ぼすのが…なんて言うんでしょう…画家が登場するってのも含めて、絵画的って言うんですかねえ…

例えば、世界的に有名な絵画には、隠された秘密やメッセージがあったり、書かれた背景や作者の思いを知ると絵画の見え方が変わる作品が多々あります。それと同じように、(一応伏せ字ここから一瞬で事件の姿形が変わってしまうここまで)という点で、名作『オリエント』や『ナイルに死す』に匹敵するものがあります。

ひとりの鑑賞者として、この絵から何を読み取るか。歴史に残る名画と違い予備知識はいりません。真っ向から純粋な気持ちで挑んで欲しいと思います。

 

また、シェイクスピアをはじめとしたイギリス文学の引用も多用され、ロマンチックな雰囲気が充満しているのもクリスティらしいポイントです。

シリーズ順に読むと20作は読まないといけませんが、過去に遡るという構成上の妙技を除いても、見どころは多いので、根気強く読み進める価値はある一作です。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

関係者全員が一つの共通した主題に関した証言を行う、ということで、多数派の意見とそうでないものを選り分けるのが簡単。

一番わかりやすいのは、クレイル夫妻が異常な形だとはいえ愛しあっていた、ということ。

カロリンが夫を愛していた以上、彼女が“毒殺”の犯人だとは思えない。

さらに、彼女が愛する夫の死を「自殺」と言い張るのは、カロリンが犯人を知っていた、もしくは知っていてかばっている可能性を予想できる。

 

第二部の各人の証言を整理して事件を構築してみると、カロリンが庇うのは、彼女が幼少期に傷つけてしまい負い目を感じている妹のアンジェラに他ならない。

アンジェラはアミアスのお酒に毒を入れた前科があり、カロリンが勘違いしたのだとすれば彼女の逮捕後の対応すべてに説明がつく。では本当の犯人は誰なのか。

 

これまた証言に隠された事実を考慮したほうが良いだろう。

フィリップの隠したカロリンへの恋慕が原因なら。アミアスへの友情は全て嘘で殺人の動機になりうる。

フィリップの兄弟メレディスはアミアスの愛人エルサに心惹かれており、フィリップと同じ動機がある。

愛人のエルサだが、もしアミアスが他の女と同様にエルサに飽きてカロリンの元に戻ろうとしていたら?カロリンとアミアスの絆の強さを考えると、エルサが捨てられ憎悪に駆られアミアスを殺したというのも十分頷ける事件。

アンジェラについては先述の通り説明済み。

この中で動機にピンとこないのは家庭教師のセシリアのみ。彼女が犯人なら相当手の込んだ事件だが、ちょっと記述不足か。

ということでここらで。

 

推理 

エルサ・グリヤー

結果

よしよし。クリスティはこういうロマンスの仕掛けがお好き。

さすがにポワロものを20作も読んでいたら、ある程度登場人物の相関にも疑いをかける習慣がつきます。

本作も、クレイル夫妻の関係と、その他の登場人物たちの嘘を見比べるとカロリン・アミアス・犯人で構成される三角関係が浮かんできます。

毒殺といえば女性という先入観と、エルサの強い独占欲・執着心が表す人物像、そして、第一部序盤のエルサ評“獰猛なジュリエット”が印象に残っています。

 

 

 

  ネタバレ終わり

謎解きの部分では、多少難易度は低めでも、解決を経て訪れる独特の余韻も魅力のひとつです。殺人という事象が救いになるのかならないのか。殺人を絶対に許さないポワロの強い態度と、それに対比するかのような慈愛に満ちた姿勢にも注目してほしいと思います。

では!

 

 

ありきたり、を逆手に取った名作【感想】アガサ・クリスティ『書斎の死体』

1942年発表 ミス・マープル2 山本やよい訳 ハヤカワ文庫発行

前作『牧師館の殺人

次作『動く指』 

 

 

半年ぶりのクリスティはミス・マープルの第二作。

マープルものの一作目『牧師館の殺人』を読んだのが3年以上も前なので、作品に馴染めるかどうか少々不安でしたが、短編を間にちょいちょい挟んでいたおかげか、比較的すんなり世界観に入り込むことができました。

 

本書は、まず本編に入る前に作者クリスティによる序文に触れるのですが、コレがいい!

ちゃんと作者と向き合って、どんな思いで書かれたか、事前に知ってから読む楽しさがあります。

まあこれもクリスティが稀代のミステリ作家だと認識されているから許された所業なのでしょう。ポッと出の作者がドヤ顔で序文なんて書こうものなら「ひっこんでろ」と言われそうなものですが、クリスティが書くと、テレビ局の前で芸能人の出待ちをしているファンのようにキャーと歓声を上げたくなるこのミーハーな感じ…

 

 

本題に入りましょう。

まず「序文」を読むと、クリスティは本書のテーマをミステリによく登場する“書斎の死体”に設定し、このオーソドックスな題材に変化をつけてアッと驚かす展開を用意していることがわかります。

このメインテーマから外れることなく、本編の開幕からものの数ページで事件が進展するのも、彼女のプレゼン能力の高さを感じます。

同時にあらすじの紹介も省略しましょう。序文を読むだけで、まちがいなく読書欲の増進剤になるはずです。

 

ミス・マープルは、ポワロみたくエキセントリックな探偵じゃない分、関係者(登場人物)たちのキャラクターが一層ひきたちます。そして、彼らの会話や行動がめちゃくちゃ楽しく面白い。コージーミステリってほど、おちゃらけてもくだけ過ぎることもなく、どちらかと言うと素の人間性がユーモアにつながっているように思えます。

 

また本作で好きなポイントは、みんながみんな程よく“良い人”なこと。

普通ミステリでは、登場人物たちが皆何らかの秘密を抱え、怪しく見えることで、ミスディレクションとして機能するのですが、本作ではほとんど全員が自分に正直で、善人な感じなのが逆に不気味です。

とはいえ、犯罪自体はクリスティが創造した多くの作品の中でも屈指の残忍で憎むべき事件。

犯人を突き止めるため、自ら取り調べを希望する力の入ったミス・マープルの姿も印象的です。

 

オーソドックスな題材で書かれ、どちらかと言えば「ありきたり型」な作品ではありますが、シンプルなトリックを極限まで研ぎ澄まし、それを特異なキャラクターたちが歯車となって動かすと、切れ味鋭いミステリに仕上がります。

ありきたりだと高を括って挑むと返り討ちに遭うに違いありません。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

退役大佐の書斎に似つかわしくない死体が登場するが、これだけではクリスティの言う「奇想天外な、人をあっといわせるもの」だとは思えない。

 

驚愕の真相から逆算すれば、実際に老大佐が犯人で、意外な死体にも論理的な説明がつくことも考えられるが、手がかりはない。

それにマープルに依頼してきた大佐の妻が愛らしすぎる。この一家は犯人であって欲しくない。

 

ここはシンプルに、誰か(犯人)が事件に巻き込むためにバントリー大佐の書斎に死体を運んだのだろう。

バントリー大佐もしくはバントリー夫人に恨みがある、かつ殺人を犯す動機があった人物を探そう。

 

しかしマジェスティック・ホテルに舞台を移すと、ジェファースン一家を取り巻く不穏な状況が顔を出す。

死んだルビー・キーンは主人のコンウェイに気に入られており、養子縁組が約束されていた。それを気に入らない一家の面々には動機が十分あるが、義理の娘アデレードも息子マークもこざっぱりとしていて裏表がない。犯人としての素養は満たしているのだが…

 

中盤に差しかかると、ミス・マープルものの短編集『火曜クラブ』でも登場したサー・ヘンリー・クリザリングがコンウェイの協力者として登場する。

サー・ヘンリーのマープルへの信頼は相変わらずで心地良いし、何の罪もない娘が死んだ第二の事件に対するハーパー警視の熱意と哀しみも胸を打つものがある。熱烈なミステリファンであるアデレードの息子(コンウェイの孫)ピーターも、謎を解く重要そうな手がかりを提供してくれるなど、探偵サイドの演出にも余念がない

 

謎解きに戻ると、手がかりである“爪”がよくわからない。死んだルビーらしくないと言えばらしくないのだが、それだけで死体がルビーでなかったと断定はできない。

だが、もし書斎の死体がルビーでなかったとすると、犯人は一択…あとはアリバイ崩しのみ。

 

推理

ジョゼフィン・ターナー

犯人

ジョゼフィン・ターナー

マーク・ギャスケル

 

そうか。そうすれが全て説明がつくのね。

もちろん二人の結婚で真相に到達するのですが、あまり関係性があるような描写が多くない気がします。

ただバジル・ブレイクとダイナ・リーの秘密裏の結婚という最低限の手掛かりをちゃんと用意しているのは、さすがクリスティと言うべきでしょうか。

 

正直、しょっぱなからサラリと書斎の死体が出てきたときは、たしかに雰囲気にそぐわない死体だとは思いましたが、そこまで珍しい設定だとは思いませんでした。

しかし、この時点でクリスティマジックは始まっていたわけです。

一度死体がバジル・ブレイクの関係者(ダイナ・リー)だという仮説を作中で提示しておく(頁34)ことで、次に死体に立候補してくるルビー・キーンの信ぴょう性が増しているのも、叙述的な仕掛けの一つかもしれません。(バカなだけかも)

いつもながら読者を手玉に取るクリスティに脱帽です。

 

 

 

   ネタバレ終わり

再度序文に戻りますが、クリスティはこの設定(書斎にある死体)を思いついてから数年はほとんど筆が進まなかった、と言っています。それなのにある夏、ある一家を見ただけでここまで想像を飛躍させ、意外な展開を持つミステリを創ってしまうんですから、やっぱりクリスティは天才です。

では!

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サスペンス小説の匠による名作【感想】コーネル・ウールリッチ『黒衣の花嫁』

発表年:1940年

作者:ウィリアム・アイリッシュ(コーネル・ウールリッチ)

シリーズ:ノンシリーズ

訳者:稲葉明雄

 

アイリッシュです。いや初ウールリッチと言ったほうが良いのか…彼と同じように別名義のあるミステリ作家と言えばエラリー・クイーン(バーナビー・ロス)が有名ですが、クイーンがバーナビー・ロス名義で書いた作品はたったの四つ(悲劇四部作)。

一方、アイリッシュ(ウールリッチ)は、どちらの名義でも名作と呼ばれる作品を多々世に送り出しています

個人的には、3年前ミステリにのめり込んだ初期に手に入れた『幻の女』の影響か、ウィリアム・アイリッシュの方が印象に残っています。※未読です。

 

そして、本書は、コーネル・ウールリッチと言う名を世間に知らしめ、サスペンス作家としての彼の地位を確立させたと言われるほどの力作。

どれほどのもんじゃい、と食ってかかったはいいものの見事に返り討ちに遭いました。

 

ということで、遅くなりましたがまずは簡単に作者紹介。

コーネル・ウールリッチは1903年ニューヨーク生まれ。幼い頃両親が離婚し、寂しい幼少期を過ごしました。30代で結婚するものの、自身の性癖が原因で離婚。以後約40年死ぬまでホテル暮らしを続けます。

晩年はアルコール中毒や糖尿病に苦しめられ、足の切断という不幸にも見舞われました。

作品が売れに売れた人気作家だっただけに、死後の資産は約百万ドルとも言われています。しかし、葬儀に参列したのは弁護士、医師、銀行家、そして資産管理者だけ。彼の死亡記事の名前の綴りは間違われ、作家仲間・団体からの弔辞すらなかったといいます。

そんな寂しく孤独な人生を送ったからか、作品にもそんな哀愁漂う、絶望的な状況が設定されたものが多いようです。

 

 

あらすじは要りますかねえ…

まずは第一部『ブリス』の1章で「女」が登場します。そして続く2章で「ブリス」が登場し、ええ……出会います。

 

この第一部の僅か40頁を読むだけで『黒衣の花嫁』がどんな作品なのか、どんなプロットを持つ作品かばっちりわかってしまいます。なのに

「なんということでしょう(匠)」

気づけば、読み終えていました。

 

ハヤカワ文庫版の裏表紙にあるあらすじで、ストーリーについてはほぼネタバレしているので、気になる方はお気をつけください。また、以下に書く感想も、事件の構成をバラしている可能性があります

先入観・予備知識すら持ちたくないと言う方は読了後ご覧になることをお勧めします。

 

 

 

事件同士の繋がりを示すミッシングリンクの仔細が、なかなか作中で明かされることはないものの、事件の裏で繋がりを怪しみ、捜査を続ける探偵役ウォンガーが良い味出してます。

作者が孤独な生涯をおくったからか、ウォンガーが同僚の賛同を得られないまま、地道にあきらめず捜査を続ける姿勢も印象に残っています。

 

読者からしてみれば、各部に何らかの関連性があるのが明らかなものの、作中の登場人物たちにとっては五里霧中の難事件。

各事件の共通点も乏しく、事件のバリエーションも多彩です。なので、謎解き(フー・ホワイダニット)の部分で奥深さはなくとも、ハウダニットとしての魅力がそれらを十分補っているように思えます。

そしてハウに重きを置いた分、ハラハラドキドキのサスペンスフルな筆致がさらに雰囲気を後押しします。

どこに、どんな死の罠が仕掛けられているか、そこらの推理小説では決して体感できないひりひりとした緊張感が最大の魅力です。

 

そして、最後はどんでん返し。

物語の筋がわかっちゃうだけに、どうやってオトすか注目でしたが、すんなりハードルは超えてきます。

もちろん真相についてはやや強引なきらいもありますが、それよりも賞賛すべきは、犯人と探偵役の絶妙な距離感です。

両人が徐々に近づいていく様相は素晴らしいですし、サスペンス小説として一級品なのも間違いありません。また読者によっては、倒叙作品に見えたり、犯罪小説にも見えたりしそうです。

 

しかし、個人的には警察小説として最高品質だと言っておきます。

とくに中盤以降、「女」を取り巻く状況、ではなく、警察の捜査に着目するのを忘れてはいけません。警察の目的の一つは、もちろん犯人逮捕ですが、真の目的は別のところにあります。

本書は、改めていち読者として探偵役の目線になって挑む必要性があると、再確認させてくれるはずです。

 

本書に詰め込まれたミステリ要素を支えるのは、翻訳を通しても伝わってくる、作者コーネル・ウールリッチの艶のある筆致です。生き生き、の反対ってなんて言うんでしょうか。

決して明るく、華やかな文章ではありません。それでも生への執着の無さに起因する決死の覚悟だったり、執念・怨念などの思いの強さが痛いくらい伝わってきます。自分の文章力では、なかなか上手く伝えられませんが、しばらくどっぷりハマりそうです。

 

以下、記憶の補完のため、事件の構成や秀逸なポイントを整理しますが完全にネタバレしています。未読の方はご注意ください。

 

 

 

《謎探偵の事件メモ》

第一の事件「ブリス」

  • なぜブリスの家に寄ったのか。色仕掛けで嵌める作戦だったとしても婚約中のブリスに効果があるとは思えない。部屋に何か仕掛ける(本書では登場しない方法?)作戦だったのか。
  • 序盤でコーリーを登場させる伏線が巧く利いている(唯一の目撃者であり真犯人)。
  • 殺害方法は転落死だが、パーティ中の犯行なので運要素がかなり強い

第二の事件「ミッチェル」

  • 色仕掛けが人物像とも符合していて巧妙。事前の準備から完全犯罪が徹底されていて巧い。
  • ミッチェルの恋人を救った機転も見事。

第三の事件「モラン」

  • 子どもの面前で父親を殺す、という非道な事件だが、目撃者を年端も行かない子どもに限定させるなど、犯罪としては完ぺきに近い。一方で、犯人に仕立て上げられた人物を救うために警察に真実を明かさなければならなかったため、この三部が犯人にとってターニングポイントになっている。

第四の事件「ファーガスン」

  • 不運なことにコーリーと再会してしたうえに、見逃してしまう。犯人のプライドが警察の助けになってしまうが、おかげで真犯人の手がかり(拳銃)も警察へと渡る。
  • 警察で指紋課に回るはずだった銃が弾道課に行き、結果としてコーリーが過去の事件の犯人だった、というくだりは見事だが、読者に推理できるかどうかは怪しい。最初は新米刑事に扮したコーリーが盗んだのかと思った。

第五の事件「ホームズ」

  • 最後の標的であるホームズが“作家”で、しかも“探偵”役のウォンガーに入れ替わっているという展開にニヤニヤ。
  • オチの無常感は、セイヤーズ『ナイン・テイラーズ』を読んだときに感じたものに似ている。形の定まらない、不安定なものを見た時に感じるふわふわとしたなにか。哀れ、とか虚しさ、以外のなにか。(なんだ)

 

 

事件全体を冷静に眺めてみると、本件は相当救いようのない犯罪です。軽く「むっちゃ面白いよ、読んでみてね」なんて到底言えません。

"救いようのない"と言いましたが、作中では「救い」は達せられ、事件も解決しています。ここらへんの、不条理でありながら物語を完結させてしまう手腕も見事としか言いようがありません。

では!

 

全章フルスロットル【感想】レックス・スタウト『赤い箱』

発表年:1937年

作者:レックス・スタウト

シリーズ:ネロ・ウルフ4

訳者:佐倉潤吾

 

レックス・スタウト、毎回毎回超えてきますねえ。どんどん面白さが跳ね上がってます。

この記事を『毒蛇』の感想を書いた当時の自分に見せてやりたい。

間違いない、そのままシリーズを読み進めて失敗はないぞ、と背中を押してやりたいくらい、本作の出来は良いと思います。

 

まずオープニングからエンジン全開です。

その巨漢と外出嫌いゆえ、絶対に自宅から外に出ないネロ・ウルフと依頼人の問答がまず最高に面白い。

事件は、依頼人が心惹かれる女性が巻き込まれた毒殺事件。複数人でチョコレート菓子を食べたのにも関わらず、死んだのはモデルの一人のみ。その他の人間に容疑がかかる状況に、ウルフとアーチーは巧みな実験を用いて、事件の全容に迫っていきます。

以降1章ごとに新たな発展があり、事件があり、物語があります。全くスピード感を落とすことなく全章フルスロットルで最後まで突っ走るのにはただただ驚かされるばかり。

 

少し脱線します。

どのミステリ作家も用いる当たり前のことなんですが、ミステリには魅力的な謎が必要です。

この点でカーやクイーンは、特に秀逸な謎をたくさん創作する手腕に長けていると思っています。

一方で、レックス・スタウトは、決して派手な謎を用意するわけではありません。本書の謎も、誰が?なぜ?チョコレートに毒を入れたのか、というシンプルなもの。

しかし、その謎解き(プロセス)には、遊び心がありながらも、論理的で趣向を凝らした手法が用いられています。それは、実行に移すユーモアに満ちたアーチーとウルフ、その他のレギュラーキャラクターたち、というところまで、しっかりと計算されているはずです。

 

上記の謎が鮮やかに解かれた、と思いきや発生するのは、登場人物たちの微妙な関連性と、それぞれの複雑な思惑。

お金の臭いがぷんぷんする怪しい空気の中、ウルフは生活のため(蘭の栽培のため)一歩も譲ることなく、捜査に関わってゆきます。

 

この、非の打ち所の無いくらい「人間らしい」姿もまたウルフの魅力の一つかもしれません。金にがめつく、我が強く、一見嫌味に見えそうでも、言っていることは全面的に正しく、反論の余地がない。そして、それが他人とのかかわり方だけでなく、推理にもちゃんと反映されているのも見逃せません。

 

全体的な満足度は高いのですが、強いて不満点を挙げるとするなら、「赤い箱」をめぐる大胆不敵な犯行が起こってからの展開。

人間関係がとき解され、事件の全容が見えてしまえば、あとはウルフの名推理を待つのみになってしまうのはやや難点かもしれません。

これは「赤い箱」という手掛かりの性質上の問題点も無きにしも非ずなのですが…

 

最後に、本書の解説でも触れられているウルフの推理の特徴“現象を感じる(捉える)”行為について。

それは、一見不可思議に見える状況、言動の事実だけを捉え、真相を見定める類稀な頭脳があって初めて実現可能な方法です。

 

これは助手のアーチーが苦手とする方法なので、彼は事実を炙り出すために渦中に飛び込んで暴れ回り、手がかりらしきものを暴き出します。

 

本書は、最初っから最後まで、この二人の分業制が効果的に機能しています。そして、この二人の掛け合いを楽しむには、やっぱり過去作をいくつか読んでおくのが吉

なかなか手に入りにくいシリーズではありますが、前作『ラバー・バンド』と本書を読むためには、必ず突破しておきたいところです。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

序盤から、アーチーの奸計に爆笑。

ただ、これが面白いと感じるのは、すでに何作かネロ・ウルフシリーズを読んでいるからだとは思う。

 

毒殺の本当の対象を突き止めるための実験も面白く、遊び心満載なのだが、冷静に考えると、そこまで仰々しくやる必要はない。

一言で済むはず。

 

当然マクネヤー氏の過去にフォーカスを当てて、謎解きに挑む必要がある。

マクネヤー氏のヘレンに対する態度を見れば、およそ予測が立つ。

 

たぶん亡くなったとされている実の娘。

…ということは、ヘレンの母親、カリダが俄然怪しく見えてくる。協力者として、ダドリーも候補に入れておこう。

 

終盤、ジェベール氏が殺されると、さらに容疑は強まる。

彼は間違いなくマクネヤー氏の遺産目当てでヘレンに求婚していた。邪魔だったに違いない。

マクネヤー氏の過去を知っている人物なので間違いない。

 

推理

カリダ・フロスト

結果

勝利

ふうむ。謎解きとしてはシンプル&シンプルで、目立ったトリックもなく、がちがちの本格ミステリと言うには程遠いでしょう。

ホワイダニットに振り切っているため、一度人間関係を整理してしまうと、すんなり真相までたどり着いてしまうのはやや物足りません

 

一方で、マクネヤー氏がヘレンにプレゼントしたダイヤモンドが誕生石を表していたり、被害者マクネヤー氏の愛ある計略(遺言書の書き換え)など、メインの被害者を中心とした挿話の中に上質な謎がちりばめられているのは贅沢です。

人間ドラマを基幹にしたミステリが好きな方にはばっちりハマる作品になるはず。

 

 

 

ネタバレ終わり

ネロ・ウルフファンの方には申し訳ないのですが、ネロ・ウルフものにはザ・傑作、といった高名な作品は多くないと思っています。(クリスティで言う『アクロイド』、カーの『火刑法廷』などなど)

あんま、レックス・スタウトの『○○』が大好き!という方にも出会いませんし…

 

なのに、なんでしょうこのクセになる感じ。

探偵ウルフ&助手のアーチーという組み合わせが、自分の大好きなポワロ&ヘイスティングズとダブって見えるのが関係していそうな気もしないでもない…。

アーチーが助手として完成されている違いはあるものの、お互いの信頼関係もユーモラスな会話にも近しいものを感じています。もう数作読めば、何か掴めそうなのですが…

とりあえず第5,6作目までは手元にあるので、そこまではしっかり読み進めたいと思います。

では!

 

500ページもいるかな【感想】ジョン・ディクスン・カー『アラビアンナイトの殺人』

発表年:1936年

作者:J.D.カー

シリーズ:ギデオン・フェル博士7

訳者:宇野利泰

 

まずは

粗あらすじ

フェル博士の自室に集まった三人の警察官が語るのは、ロンドンの博物館で起こった奇怪な事件の物語。数種のつけ髭と、石炭の粉舞う異様な博物館で起こった事件は、三者三様のお伽噺によって混乱を極める。すべての物語を聞いたフェル博士は見事真相を突き止められるのか。

 

上のあらすじでもわかるように、まずは本作、フェル博士による安楽椅子探偵ものです。プロローグでは、まるで子どもが寝る前にお話を聞かせてもらうかのような雰囲気の中、柔らかい暖炉の火明かりに包まれながら、さらりと奇怪な事件の導入が語られます。これだけで「あゝ良い」とため息が漏れます。

 

以降3人の語り手たちによって、事件のあらましや手掛かりが語られる(Ⅰ~Ⅲ部)ため、いったんフェル博士は退場。そして、500頁に差し掛かろうかというときになってやっとこ再登場し、ものの数ページで謎の真相を叩きつけます。

500頁という数字からもわかるように、本書は解決編にいたるまでに圧倒的なボリュームがあります。なので、解決編まで集中力を切らさずに、記憶力を保ちつつ謎解きにチャレンジするだけでも至難の業です。

しかも物語自体が、正統派ではなくファース味満載のため、なにかにつけ読者は混乱させられます。少なくとも博物館の見取り図は欲しかった…

 

特異な構成と、その一つ一つの挿話のバリエーションの多さから「アラビアンナイト(千夜一夜物語)の殺人」と題された事件ですが、相対的に見るともちろん小さな物語の集合体という形ではなく、一本筋の通ったミステリに仕上がっています。

Ⅱ部で謎の一つが解明され、見通しが明るくなったところでようやく謎の本質が見え、新たな展開をむかえる、

この構成もよくできているのではないでしょうか。

一方で、そのせいか、Ⅱ部が面白さのピークになっているような気がします。Ⅲ部以降、論理的に推理しようという意気がなくなってしまったのは、はたして膨大なページ数のせいだけでしょうか…

Ⅲ部構成と異なる語り手による安楽椅子探偵もの、という舞台づくりこそ成功しているものの、そもそも登場人物が入り乱れての茶番(事件)があまり面白くないですし、登場人物たちにも魅力はありません。サプライズにも感動は覚えず、オチにも説得力を欠いているきらいがあります。

膨大な物量に見合った内容とは到底言えず、傑作長編とはおせじにも言えない一作ですが、上述のカーの試みた実験にはちゃんと成果があったのではないかと思います。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

最初っから神秘的で幻想的な雰囲気で包み込むカーのストーリーテリングに酔わされる。

がしかし、事件の全容は五里霧中で全く見通せない。これはこれでカーがよく用いる手法なので、しばらくは純粋に楽しむことにしよう。

中盤を過ぎて明らかになっている(と思っている)ことを整理。

  1. 死んだ男ペンデレルはミリアムの元夫で脅迫者
  2. 動機らしきものがあるのは、父のウェイド博士と婚約者のマナリング
  3. マナリングは所持していた手紙から、ハメられたらしい

 

イリングワース博士の証言によって、死体が発見された経緯までは判明するが、現場の見取り図すらない状況では位置関係も不明で、登場人物たちの動きを辿る作業がとにかく苦痛。

 

少なくともペンデレルは石炭置き場で死亡した(ここで石炭の粉が付く)。

いや、ミリアムが地下室でペンデレルに会った、ということは、地下室で死んだのだ。

ミリアムがペンデレルとの会見後何者かが、ペンデレルが地下室に侵入したと同じ方法で侵入し、彼を殺す。そのあと石炭置き場に隠しておいてから、何らかの方法で馬車まで運ぶ。これで事件の流れは見えてきた。

…がここからが闇。

 

動機のあるマナリングにはアリバイがあるがどうも怪しい。もし彼が犯人なら憎きペンデレルを殺し、ついでに自分をハメようと協力者になったミリアムの過去も併せて犯人に仕立て上げようとする動機が見えてくる。

ただ、彼の殺人をほのめかす手紙の所持が発覚した時の反応が説明できない。重要そうな気がするのだが…

 

推理

グレゴリー・マナリング

結果

ジェリー・ウェイド

敗北

 

ほーほー正義感の殺人かあ…まあ動機としてはアリなんだろうけど、どうもしっくりこない。

それを警察官が三人もいて見逃すってのもなんだかなあ…

頁数の多さの弊害か、ジェリー自体どんなキャラクターだったか全く覚えてません。そもそもジェリー・ウェイドとジェフ・ウェイドという名前からして覚えにくい…。

 

事件の中に贋物の仕掛け(劇)が用意されているという点で、とんでもないファースミステリかと思いきや、解決までのプロセスは意外にしっかりしています。そこは高評価。

 

 

 

ネタバレ終わり

冒頭で述べたとおり、いたるところに石炭の粉が付着し、数種類のつけ髭が登場する本書は、ギデオン・フェル博士第4作『盲目の理髪師』に負けず劣らずの問題作。

こちらの方が、構造的にはしっかりしているので、読みごたえはありますが、何度考えてもこれだけのボリューム(頁数)が必要だったかなあとは思います。

では!

 

 

狂人探し【感想】G.K.チェスタトン『詩人と狂人たち』

発表年:1929年

作者:G.K.チェスタトン

シリーズ:ノンシリーズ

訳者:南條竹則

 

 

定期的にチェスタトンを摂取したくなるのなんなんでしょうか。耐性がないと(慣れないと)読みにくい逆説だらけの構成がどこかクセになっているのかもしれません。

 

衒学的というと言い過ぎかもしれませんが、チェスタトンものを読んでいると、逆に自分がアホになった気がしてきます。言葉の魔法にかけられているというか、幻術にかけられているかのような微睡みを覚える作品も多々あります。

その中でも本書は、特に奇妙な謎がふんだんに盛り込まれ、各話に美しい解決が用意された異色の連作短編集です。

 

本書は、1929年発表という古典ミステリの【新訳版】ということで、現代人にもかなり読みやすくなっています。

そして大幅に改訳されながらも、チェスタトンものの雰囲気が全く損なわれていないのは、訳者南條竹則氏のおかげでしょう。

とくに漢字が多用されている部分、そして、なかなかお目にかからないような読みをさせる単語の数々からは、魔法がかった言葉の不思議で奇妙な味を感じます。

※手斧(ちょうな)とか醜男(ぶおとこ)などなど

 

今回は各話感想を省略して、導入の1作のみご紹介します。

風変わりな二人組

“旭日亭”にふらりとやってきた絵描きとその代理人。さびれた宿屋に再び活気を取り戻すため、絵描きは看板に新しく絵を描く。そこに突然の絶叫が谺し…

本書の導入でありながら、その全てと言っていい作品です。本篇を読むだけで、本書がいかに奇妙な世界を取り扱っているかがわかります。

 

 

感想を何も書かないと記憶がどんどん薄れちゃうので、以降ネタバレにならない範囲で、奇妙な世界を構築するための小道具のみ記載しておきたいと思います。

『黄色い鳥』

  • 鳥籠
  • 金魚

『鱶の影』

  • 曲がった傷
  • 海星

『ガブリエル・ゲイルの犯罪』

  • 雨粒

『石の指』

  • 化石

『孔雀の家』

  • テーブルナイフ

『紫の宝石』

  • 土産物
  • お菓子
  • 白い紙

『冒険の病院』

  • 頓狂院

 

狂人探し

本書のタネは、たぶんタイトルを見ればおのずと明らかになると思われます。

推理小説におなじみの犯人探しがテーマではもちろんありません。

各話に登場するのは、一癖二癖では済まないほどネジの外れた狂人たち。手がかりだけは正々堂々と提示されているとはいえ、相手は狂った怪物たちですから、いち読者として論理的に解決しようと挑むのはなかなか骨が折れるはずです。

 

なので、注目していただきたいのは、そんな狂人たちの手綱を取りながら怪事件をさらりと解決してしまう一人の探偵です。

ここはなるべく先入観を抱いてほしくないので、できれば、裏表紙のあらすじなんかも適度に流して、第一話『風変わりな二人組』からチャンレンジしていただければと思います。しょっぱなから印象的なサプライズになるはずです。

続く『黄色い鳥』~『紫の宝石』までは、探偵役やシリーズキャラクターたちとともに、素直に幻想的なミステリを堪能してください。

そして最後『冒険の病院』ですよ…大好きです。クリスティの「クィン氏」とか「パーカー・パイン」のロマンティックな空気が好きな方ならがっつりハマると思います。

 

ただ、これを読むためにはまず『風変わりな二人組』を読まなければいけません。ならついでで良いので『黄色い鳥』~『紫の宝石』も読みましょう。で、それらを読み込んだら、最後の『冒険の…

 

では!

付録:倒叙寸評【感想】F.W.クロフツ『クロイドン発12時30分』

発表年:1934年

作者:F.W.クロフツ

シリーズ:フレンチ警部11

訳者:加賀山卓朗

 

本書の読了を持って三大倒叙ミステリをすべて読破したわけですが、どうもノってこない一作。

倒叙」とはいえ、まず最初に殺人が描かれるってのは『殺意』や『叔母殺人事件』と差別化できる特色の一つと数えていいと思います。

冒頭の飛行機の記述も古典ミステリでは比較的珍しい部類なので、ミステリファンとしてしっかり記憶に残しておきたい部分です。

が、しかし。

犯人であるチャールズが哀れで愚かな完全犯罪を目論む過程や、そこに至るまでの心情が赤裸々につづられている一方で、その中身はお粗末そのもの。フレンチ警部が過去にばっさばっさと快刀乱麻を断つ如く解決してきた難事件に比べて明らかに小粒であり、犯人の知能レベルを比べても、過去の犯人たちには遠く及ばず。

まるでフレンチ警部が苦労していないのには苦笑いしかありません。

 

自分ではうまくやったつもりが、凡ミスをして、目撃者もいて、偽装工作もすべて裏目に出て…と運も実力も根性も無い、憐れむべき犯罪者チャールズの奮闘、という意味で「倒叙」らしいといえばらしいのですが、それ以上に惹きつけられる記述はほとんどありませんでした。しかし、読む価値がないわけでは、もちろんありません。

解決編は、チャールズのミスを読者が答え合わせできる形になっており十分楽しめますし、終盤には探偵役のフレンチ警部へサプライズがしっかり用意されています

ミステリファンのみならず、フレンチ警部ファンとして記念すべき一作なのは間違いありません。

 

 

(口パクパク)あれ…(パクパク)文字数が…(パクパク)極端に…(パクパク)少ないよ…

倒叙寸評

たいした内容にはならない予定ですが、せっかく「三大倒叙ミステリ」を読破したことですから、三作まとめての評価および倒叙ミステリというジャンルについて何か書いておきたいと思います。

 

ひとくちに「倒叙」と言っても、そのスタイルには実に多彩なバリエーションがあります。

そして、「三大倒叙ミステリ」もそれぞれ違った手法で、違った到達点を目指して書かれたミステリです。

個々のスタイルとネタを明かしてしまうのはフェアではありませんので省略しますが、これから倒叙ミステリを選んで読もう、と思っている読者の方には、まずこの3つの作品を読むことを強くお勧めします。

実のところ、今まで読んだ倒叙ものの長編はたった4作ほどなので、偉そうなことはあまり言えないのですが…

三作の中では、リチャード・ハル『伯母殺人事件』の圧勝です。犯人がいて被害者がいて探偵がいて、というオキマリの型にはまらない柔軟な発想の勝利でしょう。というかそもそも、作者のリチャード・ハル自身が『殺意』を読んで作家を志したようなので、「三大」の同列に加えて良いか悩ましいトコロです。

 

倒叙作品全体に目を向けて見ると、倒叙とは自分がどんなミステリが好きなのかを炙り出す、または篩い分けるジャンルなのかもしれません。

例えば、登場人物の細やかな心理描写や人間ドラマに食指が動くのか、それとも憎き犯罪者を追い詰める警察(探偵)の手腕を楽しみたいのか、それとも、そもそも倒叙に興味がないのか。

 

倒叙ミステリの面白いところは、この倒叙に興味がない読者でも楽しめる余白がある、という部分。「ああ自分はやっぱ倒叙を楽しめないな」という読者もあきらめる必要はありません。

もちろん、ちゃんと作品を選ぶ必要がありますが、倒叙という舞台で開幕しながらも、いつの間にやら倒叙を小道具に用いトリッキーなミステリに仕上がっている作品(倒叙の皮を被った化け物)が中にはあります。

 

また、読み物としての「倒叙」には、刑事コロンボや古畑任三郎のような映像で見る倒叙と違い、叙述による仕掛けがあるのが前提ですし、完全に倒叙ではなく「半倒叙」と呼ばれる細分化されたジャンルもあって楽しみ方は様々。

 

正当な「本格ミステリ」とは違った魅力を味わいたい方は、ぜひ「三大倒叙ミステリ」から始めてみるのがいいでしょう。

では!

ソフトボイルドがいい塩梅【感想】E.S.ガードナー『ビロードの爪』

発表年:1933年

作者:E.S.ガードナー

シリーズ:弁護士ペリー・メイスン1

訳者:小西宏

 

 

弁護士ペリー・メイスンといえば、ミステリ界においても屈指の長寿シリーズです。

40年にもわたり計82もの長編に登場するペリー・メイスンの初登場作品が本作『ビロードの爪』であります。ってゆうか年2冊ペースってどんだけバケモンなんだ…

 

 

シリーズの後半作品のタイトルを見ていると、興味をそそられる作品が多々あることに気づきます。

一時期ツイッター界隈でも話題に上がっていた『嘲笑うゴリラ』を筆頭に、溺れるアヒル、弱った蚊、寝ぼけた妻、虫のくったミンク、駆け出した死体、色っぽい幽霊、無軌道な人形、などなど枚挙にいとまがありません。

これはあくまでも憶測ですが、作者ガードナーは、二つの箱に別々のキーワードを書いた紙を入れて、えいっと引いて組み合したものをそのまんまタイトルにしたんじゃなかろうか、ってくらい一見テキトーにも思えるタイトリングの数々に興味津々です。

全82作ということなので、まだまだ収集自体進んでいませんが、少なくとも『嘲笑うゴリラ』くらいまではのんびり読もうと思います。

 

ということで本書の

粗あらすじ

から

弁護士ペリー・メイスンの事務所にやってきたのは、大物政治家とのスキャンダルの揉み消しを依頼しに来た美女。メイスンの秘書デラは不吉な予感がすると警告を発するが、結局依頼を引き受けてしまう。多くの難題に直面しながらも、有能な探偵ポール・ドレイクとともに解決策を模索する中、ついに関係者の一人が死亡し、しかも最有力容疑者にはメイスンの名が!?八方ふさがりの状況の中、メイスンは事件の解決と依頼の達成を同時に遂行できるのか。

 

いつもより多めにあらすじを書いてしまった感もありますが、この大筋を書かないと物語の面白さがどうしてもうまく伝わりません。(伝えれません)

メイスンの立場は弁護士ということで、殺人事件が起きた場合、どうしても犯罪を立証する警察側とは反対の立場にならざるを得ません。

もちろん真実を追い求めるため警察と協力することもありますが、本書のように最有力容疑者になってしまっては話が変わってきます。

弁護士らしからぬ武骨でハードボイルドなキャラクターも、たしかに魅力としては十分です。キャラクターが独り歩きすることもなく、犯罪とまではいかなくとも、ルールを逸脱するかしないか、といったギリギリのラインで行われる捜査も新鮮でした。

 

このようにデビュー作でありながら、弁護士という強みを活かした法廷ミステリに固執せず、奇抜な設定と効果的な演出でペリー・メイスンの有能さをこれでもかとアピールできているのが素晴らしい点でしょう。

 

一方で、このキャラクターと人物描写が、なかなか現代の読者には受け容れてもらえないのではないか、という懸念もあります。

1930~40年代と言えばハードボイルド全盛期。典型的な白人美女と名探偵という構図ですら、今となっては錆びついてしまっている感もあって、ちょっとソレ(ハードボイルド)らしい空気があった時点で本を読む手が止まってしまう読者もいそうです。

007のような視点を散らすアクションも全くないので、ここはやっぱりミステリを構成する「謎と解決」に焦点を絞って読んでほしいところ。

怪しさ満載の依頼人と、翻弄され窮地に陥るメイスン、そして殺人事件、それらを結びつけるたった一つの真実とは。という視点だけでも十分頭を悩ませられる上質なミステリになっています。

 

また、登場人物全員にも全く無駄な配役はなく、なにかしらの役が与えられており、彼らの複雑な動きに混入する“偶然の要素”も印象的です。

たしかにハードボイルドの味付けはありますが、まだまだ薄味でソフトボイルド、くらいなので、そのテの作風が苦手って方にも比較的おすすめしやすい作品でした。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

 

どう考えてもイヴァが怪しすぎ&妖しすぎる。

彼女くらい、呼吸をするかのように嘘を垂れ流す人物は、自分の読書経験上はじめてかもしれない。

そして、そんな人物でも依頼を受け、救おうとするメイスンのキャラクターがいまいち理解できない。やっぱり金か、金なのか。

 

脅迫者との直接対決が早々にあって、しかも依頼人がなんと脅迫者の妻、という贅沢な演出にはうっとり。

この物語を生み出す見事な手腕には、レックス・スタウトと通じるものがある。アメリカの推理小説作家も侮れない。

 

なんとなく編集長のロックが肝なような気がするがどうだろうか。

彼からベルターの牙城が崩せないか…と思ったらベルターが死んだ。でアッと言う間にメイスンが容疑者候補に。

これは笑いを禁じ得ない。

 

依頼人がまさかの目撃者で、しかもその嘘を暴く証拠すらないとは…いやはや恐れ入る。

 

ミステリの観点では、これ以上にイヴァ犯人説を推し進める条件はまたとないと思われる。

しかも、のうのうと邸に入り、バスローブ姿でベルターと面会した時点で、イヴァ確定なような気もするがそんな簡単ではないか。

 

後半に入ると、ロックの秘密が暴かれ、依頼人の本来の依頼はすんなり達成。ただ殺人事件に関しては進展なし。

 

う~ん、イヴァが自供し、めでたしめでたしかと思ったが、なんとなく腑に落ちず…

消去法で行くとグリフィンだけど、立証ができない。

降参。

 

推理(推測)

カール・グリフィン

犯人

ミセス・ヴィーチ

カール・グリフィン

ノーマ・ヴィーチ

完全敗北

 

う~む。たしかにイヴァの自供が早すぎたので、実は弾が当たってなかったのかな、とは思ったのですが、そもそも外れた弾を警察が見逃すなんてありえないと思うんですが…

 

全体的に見ても、ミセス・ヴィーチはイヴァの乱行に便乗しただけで、犯罪者としてはかなり微妙なレベルでしょう。

むしろイヴァのほうが、メイスンを嵌めたり、遺言の偽造に心理的トリックを組み合わせたりなど、名犯人の素養を十分見せています。

ちょっとやそっとで忘れられない印象的な悪女でした。

 

メイスンはと言えば、ぱっと見、依頼人に嵌められた間抜けな弁護士ですが、そんな苦境の中でもしっかり依頼をこなしたうえで、真実を究明し、かつ依頼人(イヴァ)の無実も証明する、という離れ業をやってのけたのには、ただただ脱帽です。

 

 

ネタバレ終わり

 

今後のペリー・メイスンシリーズでは結構法廷描写も多く登場するようなので、どんどん読み進めたいシリーズです。

しかし、ほぼ同世代に登場(1939年)したクレイグ・ライスのJ・J・マローンも同じアメリカの弁護士で3人組。

あっちは酔っぱらい3人衆で、こっちは有能でハードボイルドタッチ。これらを並行して読むつもりなので、どう違うか、どんな謎と解決が用意されているか、楽しみながら読み進めたいと思います。

では!

 

着想の限界か【感想】S・S・ヴァン・ダイン『ケンネル殺人事件』

発表年:1933年

作者:S・S=ヴァン・ダイン

シリーズ:ファイロ・ヴァンス6

訳者:井上勇

 

エラリー・クイーンに多大な影響を与えたとされる、ヴァン・ダインですが、その有名な名前に反して、作品の評価はあまり高くないように思えます。

どうしても、ちょっとした先入観(ハードルを低うく設定)でもって作品にチャレンジしてしまうことも多く、どうにかフラットな気持ちで作品に向き合えないかと毎回心に決めるのですが…今回だけは順番が悪すぎました

エラリー・クイーン『チャイナ橙の謎』(1934)の次に呼んだのが運の尽き。もちろん真相も、トリックの中身もまるっきり違うんですが、妙に似通っている部分が多々あります。

 

さらに本作に向かい風なのは、物語の構成自体が『チャイナ橙の謎』に到底かなわないこと。『チャイナ橙』でさえそんなに巧い方じゃないんですが、こちらはそれを何回りか下回るレベルなので、とにかく読んでいてつまらない。

 

ぐちぐち言っててもアレなんでまずはあらすじ紹介

中国陶器の蒐集家が自室でピストル自殺をした、という通報を受けて、現場へ急行したヴァンス一行が見つけたものは、完ぺきな密室と瀕死のスコッチ・テリアだった。それらが意味する真実はいったいなんなのか。次々と見つかる事件の痕跡に翻弄されながらも、ヴァンスは傷ついたテリア片手に、真相へと迫っていく。

 

タイトルの「ケンネル」とは、直訳すると犬舎・犬小屋のことですが、本書では、犬の品評会やドッグショーを主催する団体「ケンネル・クラブ」のこと。

ファイロ・ヴァンスが、由緒ありげなスコッチ・テリアの正体を探るために、各団体・専門家を訪ねるなど、たしかにちゃんと「犬」要素がミステリと絡み合っている印象は受けます。

 

ただ、真相に至るまで、常にそのスピードは緩やかなので、冗漫な前~中盤にかけて我慢する忍耐力が必要です。

 

一方で高評価できる点は、狭い事件現場なのにも関わらず、事件の痕跡が被害者邸のいたるところに散らばっており、事件全体の不可思議性が高まっている点。そして、事件を混乱させている、前代未聞の偶然の要素

後者はよおく分析してみると、めちゃくちゃ面白いはずなんですが、いかんせん物語の紡ぎ方がへたくそです。

カーがこの着想を持っていたら、ファースとやり過ぎを存分につぎ込んで、ものすごいものができたんだろうなあ…

この二つだけで、一応読んだ成果としては十分だと思います。

 

最後に、どうしても許容できない記述について少し。

密室トリックの解決編ですが、まるっと実在の短編推理小説からパクったうえに、その小説まで引用しちゃうのはどうなんでしょうか。

登場人物の中に推理小説の蒐集家がいたり、ヴァンス自身の蔵書も明かされるなど、なんだか雲行きが怪しいなあとは思っていたのですが、ここまであからさまに開き直って堂々と完全にパクられると、首をかしげてしまいます。

これでよかったのかヴァン・ダイン。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

 

銃を使った自殺のように見せかけて刺殺、とか自殺には不向きの服装など、頑張って不可思議状況を作り出そうとするヴァン・ダインの作風に慣れてきたようで慣れない。

やっぱり贋物っぽい雰囲気が気になって、せっかくの不可思議な設定が頭に入ってこない。

 

瀕死のテリア(しかも高血統ぽい)というアイデアはなかなかいいと思う。どう料理するか楽しみ。

ただ問題は、食材(登場人物)が少なすぎること。コー兄弟が亡くなった今、犯人候補はリードレークグラッシリャン、の4人のみ。

一人ずつ動機を考えてみたい。(機会はみな平等にある)

  • リード  アーチャーとの関係の悪さは、レークに端を発するもの違いないので、動機の点では満点。ただ、ブリスベーン殺害の動機が不明。
  • レーク 遺産目当てというだけで動機は十分だが、一番疑われそうな状況で殺人というリスクを冒す理由が見つからない。犯人候補がほかにいるとはいえ、二人同時に始末するという離れ業をすぐに実行しなければならなかった理由はない。
  • グラッシ 金と愛という両面で動機を持っているように見える容疑者候補筆頭。リードに罪を擦り付けた後で、レークとくっついて遺産を総取り、という完ぺきなプランか。問題はスコッチ・テリアとは全く関連性が無いこと。
  • リャンは確かにいろんな意味で怪しく見えるが、中国陶器を守るためだけに2人を殺すのは根拠薄弱。殺さずとも、陶器の盗難は可能。

 

こうなると、誰もコー兄弟を殺したようには思えない。

 

犬関係でようやくリードが顔を出し、最有力容疑者に名乗りを上げるが、どんなトリックかは不明。お手上げ(というか諦め)。

 

推理

レイモンド・リード

結果

勝利

ややこしや。

 

落ち着いて終盤のプロットを分解してみると、よく計算されたミステリに思えますが、全てご都合的な要素に固められ、説得力はありません

まず、ブリスベーンがアーチャーを殺そうとしていたという伏線が弱い。ここをもっと徹底的に掘り下げて中盤でこの謎だけでも明かしておけば、オチの驚きは2割増しくらいになっていたと思います。

リードがアーチャーだと思ってブリスベーンを殺した、そして、アーチャーはまだ死んでいなかった(しかもリャンに容疑を擦り付けたうえで)という驚きと複雑さが噛み合った勘違い殺人のプロットがなかなか巧みなので、ほかの要素を削ぎ落せなかったのがつくづく残念としか言いようがありません。

スコッチ・テリアに関しては、とってつけたような要素で、あっても無くてもどっちでもよいレベルなのですが、ヴァン・ダインが犯人の最期をああいった形で描きたかった以上、読者には文句を言う資格はないでしょう。個人的には好きなラストです。

 

 

 

  ネタバレ終わり

この六冊だけは完成するつもりだが、それ以上は書かない。(以下略)一人の作家に六つ以上の探偵もののりっぱな想があるかどうか私はすこぶる疑わしく思っている。

これは本書執筆中にヴァン・ダインが自伝の中で述べた文章の抜粋です。

ヴァン・ダインの言う、立派な着想で書ける限界の数である六作のうち、本作は最後の作品、ということです。

 

ミステリファンならよくご存じのように、その後ヴァン・ダインは、絶対に六作以上書かないぞ!お金にも興味ないし!と言いながらも、結局十二作を書き上げました。

要するに、後半の六作は、陳腐で貧弱な着想を元に作られた長編ミステリと自ら認めたわけでしょう?もう読むの怖い。でも全部持っちゃってるんですよねえ…気が向いたら(年1)くらいで読もうと思います。

 

では!

ホームズ時代へのリスペクトが詰まった一作【感想】エラリー・クイーン『チャイナ橙の謎』

発表年:1934年

作者:エラリー・クイーン

シリーズ:エラリー・クイーン8

訳者:井上勇

 

空前絶後の超絶怒涛の“あべこべ殺人”がご登場です。

事件が起こるまでがかなり印象深いので、なるべくボカシながら書きたいのですが、インパクトという意味では超ど級の殺人事件です。

ある程度序盤でサクサクと進んでしまうので、ぜひともまずは事件が起こるまで丁寧に読んでほしいと思います。

事件後明らかになるのは、

チャンセラー・ホテルに滞在するカーク家の面々とカーク家を取り巻く人々の人間模様。そして彼らがひた隠しにするナニカ。どこから手を付けていいか、見当もつかない難事件にも関わらず、クイーンはわずかな手がかりから糸口をつかみ、徐々に事件の背後にある核心「チャイナ橙」へと迫っていきます。

 

全体としての評価で言えば、とても面白い試みだと思いました。めちゃくちゃな殺人現場にも関わらず、大道具・小道具を取り揃えつつ、ちゃんと仕掛けが用意されている、と読者に思わせておく(興味を保持する)準備は徹底されています。良し悪しは置いておいて…ですが。

 

あと、究明すべき謎の優先順位を絞らせない試みも比較的うまくいっているように思えます。ただその仕掛けに気づいてしまい、ゲームの慣習に従えば、いとも簡単に犯人にだけはたどり着いてしまえるのは難点。

かなり強固で堅牢そうな城壁なのに、実は張りぼてみたいな印象があります。ただ、作者にとってそんな張りぼてでも、如何に大きく強固に見せるかが腕の見せ所なはずなので、そういった意味では成功かもしれません。

 

また、個人的な憶測にすぎませんが、本書は作者エラリー・クイーンのホームズ時代への賛歌、リスペクトの現れた作品なのではないかと思います。

“あべこべ殺人”に見られる古典トリックの応用や、無秩序な部屋に用意された仕掛けからは、ホームズ時代のミステリを彷彿とさせる懐かしさ、そして時代を超えて新しいエッセンスを加え読者を楽しませようとするクイーンのプライドを感じました。

 

一方で、上記の感想以外に、序盤で述べた「面白い試みだと思った」以上のものはありませんでした

アメリカ銃の謎』でも感じたところですが、クイーンの作品には横筋に無駄なものが多い。

ミステリに物語の面白さを求めすぎるのはいけませんが、メインストーリーはまだしもサイドストーリーに面白みがほとんどないのは、どうなんでしょう。

しかもそれらが、一見するとメインの謎に関与している、と思わせておいて、とってつけたような説明のみで、後付け感がある上に、まったく面白くないのは、あまりに自分が高望みしすぎているからでしょうか。

 

こうやって書いているとメインストーリーのほうも気になってきました。

高額切手や無くなったみかんなどの小道具は高品質でも、真実への紐づけはやや強引なきらいがあります。

常に論理性を求め、推理小説界屈指のパズラーであるクイーンにしては、パズル自体はピタッとはまりこそすれ、その図柄はやや乱れた、標準的なミステリだと思います。

 

ネタバレを飛ばす

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

 

序盤からわずかながら感じられる仄かなロマンス。すぐさま発見される混とんとした事件現場。消えたミカン、

とこれでもかと、贅沢に要素をつぎ込んでいくクイーンに、やや出オチを心配する幕開け。まずは謎を整理。

  1. 被害者は誰か
  2. 密室のトリックやいかに
  3. 動機はなにか(1が解ければおのずと)
  4. 部屋を“あべこべ”にした理由はなにか

 

一見ガチガチに固められているかのように見えるが、1と3は相互に補完しあっているし、2と4は関係しあっているように思える。

読み進めていくと、1と3の情報が提供される速度が遅く、2と4に集中されているように感じた。

 

ただ、2と4が関係しあっているとはいえ、ひとつ違和感の塊と言える謎がある。

それが被害者の背面に通された2本のヤリ

部屋の“あべこべ”にまったく関係がなく、被害者をどこかに立てかけておくため、としか考えられない。

ということは?

→部屋を密室にするための物理トリック

→密室にしてメリットがあるのはオスボーンのみ、

というところまで簡単に仮説が立てられてしまう。あとはこの仮説に沿って、動機を推理していくのみ。

 

物理トリックについては…ねえ?

手がかりないもの。

 

動機として一番単純なのが高額切手の詐取だが、本人はちゃんと否定済み(頁219)だし、むしろ怪しいポイントに加算。

ここらへんからほぼ惰性で読んでしまった。

 

つまり、犯人あてさえ外さなければ、そのほかの記述に興味を魅かれるものはほとんどない。

リューズの脅迫やマーセラのスキャンダルなど、そこまでミステリに直結するほどの謎ではなく、完全に端折ってもいいレベル。

 

読者への挑戦もとってつけたようなもの(前作『シャム双子』では忘れていた)だし、ほんとうに密室を解かせる気があったのかどうかも怪しい。

 

推理

ジェームス・オスボーン

結果

勝利

 

ここまできて擁護にまわるのも変な話なんですが、読者が密室について論理的に解き明かす必要は全くないんですよね。

推理すべきなのは、密室を作り出す必要性が事件にあったか否か。いや密室はあったのか、なかったのかの一点のみ。

 

ただ、ここに集中しても気になるところが…

完全に密室にしてしまうとオスボーン一人に嫌疑がかかる、というならわかります。ただそうなると、外部犯(単純な物盗り)を装っておきながら、部屋をあからさまに弄り、被害者の身元を判別させないよう工夫する必要が見当たりません。

つまり、犯人の思惑として、

①自分には疑いの目を向けたくない(わかる)

②物盗り目的の外部犯に見せよう、関係者に迷惑をかけたくない(わかる)

③できれば身元も来た目的も悟られたくない(やりすぎじゃないの)

④よし!儀式っぽくヤリを刺したうえで、部屋をあべこべにして捜査をかく乱しよう(わからない

 

たしかに木を隠すなら森の中なんですが、森の中に隠すなら木だけじゃないといけません。ヤリはダメよヤリは。

 

なので、こんな「やらかし系」の犯人の中では案外印象に残る犯人でした。

序盤と結末の繋がりも、クイーン(作者)に弄ばれた感があって、どこか悲しい犯人のような気もします。

 

 

  ネタバレ終わり

なんやかんや言いましたが、さすがクイーンと唸らされる箇所も多々あり、見どころはちゃんと用意されている作品だとは思います。

古典トリックがちゃんと時を超えて受け継がれているのは好感が持てますし、なによりメインディッシュの“あべこべ殺人”だけはしっかり解きほぐされるので、そこは安心して読むことができるでしょう。

では!

ホームズ時代最後の超人探偵【感想】アーネスト・ブラマ『マックス・カラドスの事件簿』

発表年:1914~1927年

作者:アーネスト・ブラマ

シリーズ:マックス・カラドス

訳者:吉田誠一

 

初アーネスト・ブラマということで、先ずはあっさり作者紹介。

彼のことを紹介するのに一番適している単語は「秘密主義」です。どんな集まりにも顔を出さず、要件はほとんど電話で済ませ、出版社の人間とも極力合わない。おかげで彼の生年ですら今なお不確定という徹底ぶりでした。

読者に伝えたいことはすべて私の著書の中に尽されている」という彼の言葉どおり、本書を読めばアーネスト・ブラマについて少しはわかるのでしょうか。

 

ストランド・マガジンに掲載されたシャーロック・ホームズの影響を受け、1890~1920年代にかけて続々と誕生した個性豊かな超人探偵たち。

このホームズ時代最後の探偵と呼ばれるのが、アーネスト・ブラマの創造した盲人探偵マックス・カラドスです。

後天的な事故によって失明したけど、その他の感覚が研ぎ澄まされて、特異な能力となって発現する、と言う設定が、いかにも厨二っぽくて興味がそそられます。

しかし、贔屓目に見ても「物珍しさ」が際立つだけで、肝心のミステリの中身に関しては、水準に届くかどうか、という微妙なレベル

本書はマックス・カラドスの登場する全4短編集からある程度万遍なく収録されているので、残念ながらこの程度か、という印象をぬぐえません。もっと想像力が飛躍しているかと期待しすぎた所為もあるのでしょう。

1ヵ月以上も前に読了したので、再度読み返しながら、美点を探してみたいと思います。

 

 

ディオニュシオスの銀貨』(1914)

マックス・カラドスの初登場作品です。

ワトスン的ポジションのカーライルと執事のパーキンソンなどのレギュラーキャラクターの紹介になっている短編ですが、いかんせん事件の題材が地味

作者アーネスト・ブラマ自身が古銭学の専門家というだけあって、用いられる小道具には拘りが見られるものの、本作の骨子はただ、登場する銀貨が本物なのかどうかという一点のみ。

事件の背景は掘り下げが甘く、犯人の情報も後出し気味であまり読後感も良くありません。

あくまでも本短編集の前置き(プロローグ)という位置づけの短編です。

 

ストレイウェスト卿夫人の奸知』(1914)

タイトルと富豪夫妻が紛失した真珠のネックレスとくれば、だいたい話の筋は予想がつきます。

ここにきてようやくカラドスの肩が温まってきたのか、盲目ゆえの冴えた捜査が登場し、なかなかよくできたミステリにはなっているのですが…基本的にカラドスものは、読者に謎を解かせようとする気は全くないらしく、決定的な手がかりはほとんど解決編でさらりと紹介されるのみ。カラドスのキレた推理を単純に楽しむしかないのかもしれません。

 

マッシンガム荘の幽霊』(1923)

これまた小粒のミステリです。

勝手にガスが付いたり、水が出たりする不思議な部屋の調査を依頼されたカラドスですが、うーんなんでしょうかこのコレジャナイ感。

文体や登場人物の会話が格式高いだけに、事件がなんとも幼稚で小粒なのが残念です。カラドスが盲目である必要性も薄いですし、事件のオチ(サプライズ)もあるにはあるんですが、似たような幽霊屋敷を扱った短編の中でもかなり下位の作品だと思います。

 

毒キノコ』(1923)

ようやく殺人が登場です。

病気静養中の青年が大好物のキノコを食べて中毒死、という一見滑稽な事件ですが、地元の青物商も家族もどこから毒キノコが混入したかはわからずじまい。登場人物に金銭絡みの事実が浮かび上がり、謎は深まる…かと思いきや深まらない。奥行が出るかと思えば出ない。

素直に毒キノコを中心にミステリしていればいいものを、毒そのものにフォーカスしてしまうので、せっかくの謎が薄まってしまいます。

そして解決も然り…薄いです。

 

へドラム高地の秘密』(1927)

ミステリという枠組みからは少し外れますが、当時の情勢を上手く反映させたスパイものとして、なかなかよくできた一作だと思います。

助手で執事のパーキンソンの活躍も見られ、演出は間違いなくイギリス版「座頭市」こういうのが読みたかったんですよ、こういうのが。

 

フラットの惨劇』(1927)

ここにきてちょっと、カラドス譚について考え直さないといけない気がしてきました。

本作の冒頭、カラドスとカーライルの会話の中で、2人の手掛ける事件は「公金横領とか離婚とかいったもの」が中心になっていることが明かされます。つまり彼らの取り組む事件は、人々の日常に密接に絡み合った謎だということです。ハデハデしい殺人事件やセンセーショナルな事件とは縁遠い探偵ということでしょうか。

 

しかし本作は、その中でも一段とセンセーショナルでロマンチックな事件という触れ込み通り、なかなか良くできた殺人事件になっています。

真相については想定の範囲内ですが、ちゃんと真相に辿り着くための手がかりが目に見える形で提示されている点は高評価。情熱的なオチも印象に残る短編です。

 

靴と銀器』(1927)

そんなに良質な作品では決して無いのですが、本短編集の中でどれが好き?と聞かれたら間違いなく本作です。

童話のようなタイトルと、こんなのアリ?と頭を抱えたくなる夢想的で唯一無二のオチが脳裏にこびり付く異色作です。

ネタバレ予防の為これくらいにしておきます。

 

カルヴァー・ストリートの犯罪』(1927)

ユーモアと怪奇がうまくミックスされた一作です。

燃える倉庫、生還した狂人、狂人の書く意味不明のメモ、それらが導くたったひとつの真実とは?

多少最後は強引な気がしないでもありませんが、想像を膨らませるとかなり怖いです。

 

 

まとめ

後半にいくにつれ右肩上がりに調子を上げる短編集ですが、始めに抱いた作品への印象(物珍しさ)を払しょくするには少し足りませんでした。

マックス・カラドスの登場する短編は全部で25あり、そのうちまだ1/3しか読んでないわけで断定的な評価はできません。ただ、これから先続々と邦訳される、なんてこともまあ無さそうなので、再読が遠い先になるシリーズになりそうです。

 

そういえば、マックス・カラドスが活躍する唯一の短編『The Bravo of London』(1934)は、偽造貨幣をばらまき金融破壊を行おうとする犯罪者とカラドスの知的闘争がテーマの作品らしいです。

短編集が出尽くし最後に長編ってけっこう珍しくないですか?カラドスが登場する最後の作品ですし、アーネスト・ブラマの嗜好(古銭学の専門家)がさく裂したであろう長編だけに、かなり読んでみたい作品です。

せめて短編のもう半分くらい邦訳化されないかなあ…

 

では!

絶妙な配合比率で生み出された力作【感想】F.W.クロフツ『ホッグズ・バックの怪事件』

発表年:1933年

作者:F.W.クロフツ

シリーズ:フレンチ警部10

訳者:大庭忠男

 

フレンチ警部シリーズもついに10作を突破しました。ポワロシリーズで言えば『雲をつかむ死』(『ABC殺人事件』のひとつ前)なので、ミステリ作家としても中堅になり油の乗った時期の作品だと言えるでしょう。

 

ストーリーはいたってオーソドックスで、フレンチ警部による失踪した医師の捜索が大筋です。さらにはその医師に浮気相手との駆け落ちの疑いがあって…と言う具合に徐々に物語が膨らんでゆきます。

 

医師の失踪状況がいかにもな不可能状況なので、これはまたトリッキーなクロフツ作品かと胸をわくわくさせられるに違いありません。

 

本作で顕著なのは、クロフツ流ミステリの配合術です。

クロフツのミステリは、地味で退屈だという誤ったイメージが先行しているようですが、それらが間違いなのは当ブログでも散々お伝えしていると思います。

 

地味ではなく地道、退屈ではなく手抜きをしないだけなのです。

そんな作品全体を流れる血に対し、そのボディには、常に先鋭的で革新的なものを産み出そうというエネルギーが満ちています

 

例えば1部と2部に分けて物語を構成する手法

この手法の先駆者はアーサー・コナン・ドイルですが、クロフツはこれをアレンジし、探偵とアマチュアに分けてしまったり(『製材所の秘密』)、不運な夫人のふつう小説になったり(『二つの密室』)と、創意工夫が凝らされたどれも特徴のある作品を仕上げています。

 

本作も似たような展開を迎えるものの、その骨組の中に、鉄道描写やアリバイなどのクロフツの譲れぬ拘りがしっかりと組み込まれているのも見逃せません。

シリーズいちと言って良いほど悪質で憎むべき犯罪に対し、並々ならぬ情熱と正義感を持って事件にぶつかるフレンチ警部の描写も巧く、過酷で実りの少ない捜査に全力を傾ける警察諸氏の描写にも注力されているのがひしひし伝わってきます。

つまり、クロフツらしい地道な警察捜査に、特異な構成、拘りの鉄道描写が絶妙なバランスで配合されたのが本作なのです。

 

肝心のミステリの核についても同様に、退屈手抜き無しの捜査に相応しい、精妙巧緻な犯罪が圧巻です。

何度か読み返さないと理解できないくらい難解なトリックではありますが、処女作『樽』を彷彿とさせる、歯車がきっちりとかみ合った、クロフツにしか書けない良質のミステリでした。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

失踪したアールの浮気は疑いようが無く、自動的に妻のジューリアと愛人スレイドが怪しく見えてくるが…スレイドが登場人物欄にない!?

ということは関係が無い、ということだろか。

ゲームの慣習“推理で申し訳ないが、少なくともスレイドの単独犯ではない。

ジューリアは保留。

 

序盤から怪しさを醸し出す人物が一人。

それがハワード・キャンピオン

ハワードが機械いじりが得意なことは、今後のトリックに関する伏線かもしれないし、アール医師の業務を引き継いている点も、浮気とは違う別のアール殺害の動機に繋がる伏線かもしれない。

 

物語が進むと、同じく同時期にヘレン・ナンキヴィルという看護婦も失踪したことが判り、駈け落ち説が再燃するが、彼女を知っている人間誰もが、彼女をそんなことをするような人ではない、と言う。

これは、アールとヘレンを同時に葬りたい人物の策略に違いない。やはりジューリアか。

 

視点を変えて、死体の処理方法だが、バイパス工事現場だろう。

前作『死の鉄路』で土を盛ったり掘ったりする複線化工事のアイデアが上手く流用されているはず。

ただ、女手で二人もの人間を短期間のうちに土の中に隠すなど到底できっこない。ということは共犯者(男)がいたことになる。

ここでキャンピオンか?

ドール・ハウスを作っている間はアリバイができるし、アーシュラが失踪した(死んだ?)ということは、彼女を自由に攫うことのできる身近な人物が犯人に違いない。

問題は、キャンピオンのアリバイと動機だったが、物語も終盤に来ると、フレイザー老毒殺を巡る事件の全容が見えてしまったので、ここらで。

 

推理

ハワード・キャンピオン(と共犯者)

結果

ハワード・キャンピオン

アーサー・ゲーツ

 

二人でアリバイを補完し合うとはうまいですねえ。ただ、かなりオーソドックスなトリックなのに、読者にまったく気づかせずに結末まで持って行くのは至難の業だったはず。

そのために、不可思議な失踪方法や、アール医師の浮気、ジューリアの不倫、アール医師の危険な研究などホワイダニットに着目させないテクニックが冴え渡っています

読み始めた当初は完全にフーかハウだと思っていました。完敗です。

 

 

 

 

  ネタバレ終わり

言い忘れてましたが、本作には手がかり索引的なものも忍ばされており、かなりクロフツ自身フェアプレイを念頭に置いた気を使う作品だったんだろうとは思います。

なので、いつもの伸び伸びとした旅行記のような雰囲気は無く、陰惨で暗い事件に仕上がっているのも、今までの作品とは違った良さです。

 

では!

前言撤回します。【感想】レックス・スタウト『ラバー・バンド』

発表年:1936年

作者:レックス・スタウト

シリーズ:ネロ・ウルフ3

訳者:斉藤数衛

 

多くの批評家がネロ・ウルフもののベストと推す『毒蛇』や『腰ぬけ連盟』に、あまりしっくりこなかったこともあって、期待値はかなり低めだったのですが、今までの3作の中では一番面白かったです。体感的に。

前作・前前作の感想で言ったことの半分くらいは前言撤回して、素直に面白い、と認めなきゃいけません

耐性というか免疫がついたおかげもあるんでしょうねえ。ウルフとアーチーの掛け合いや、ウルフを取り巻くレギュラーキャラクターたちの活躍が自分の中に染み込んだ気がします。

 

本作はプロットがずば抜けて巧みです。

今回ネロ・ウルフが手掛けるのは、

ある会社の社長が持ってきた、社内での盗難事件の捜査、そして半世紀も前に起こった“輪ゴム団(ラバー・バンド)”が関わった密約についての捜査です。

この二つが絶妙な具合で混ざり合い、さらに、大胆な殺人事件に発展します。これらのミステリの核を取り巻くのは、ネロ・ウルフ一行と警察との小競り合いや、登場人物の性格や証言から頭の中で仮説を組み立て、真相に迫ってゆくネロ・ウルフの天才的な安楽椅子探偵振り

ストーリー運びの軽妙さや、助手のアーチー・グッドウィンの軽口も健在で読み易いのも魅力の一つ。

 

一方で犯人の正体が見え易いのはご愛嬌。

もちろん粗方犯人の目星がついても、ウルフによる論理的な解決まで興味を保持する力はちゃんとあります

関係者たちや警察の面々が一堂に会し、ウルフの説を聞くミステリにお馴染みの光景も、安楽椅子探偵である彼のキャラクターを考えると、重みが全然違います。

例えば、変装を駆使し情報を収集するホームズルパン、また偽の名刺を提示して関係者に近づくフレンチ警部、こっそり重要な証拠をスっちゃうエラリーなどとは違い、ウルフはただ事務所で寛ぎ、蘭を愛で、酒を飲んで食を愉しみながら、頭を働かせます。

犯人サイドにとっては、部下のアーチーたちが何かを探っているのはわかっていても、ウルフの頭の中までは到底想像できません。

そんなウルフが、関係者を集め、真相を語り始める。まさに犯人にとって致命の一撃に外ならず、いよいよクライマックスだぞ、というヒリヒリした緊張感に満たされる終盤の空気が、他の海外ミステリに無い最大の魅力です。

 

そういえば、このテのプロットどこかで見たような気がしていたのですが、シャーロック・ホームズもののいくつかの作品でも同じような展開が用いられていることを思い出しました。

過去の良からぬ交友や法の裁きを逃れた犯罪者という類似点が、作品の雰囲気にマッチしています。

この、どこか懐かしい、知った作品のような気がする点が、本作を読み易くしている要因の一つなのかもしれません。

 

英国ミステリのほのぼのとした雰囲気が好きな方にも、ハードボイルドの入口として、米国ミステリの導入としておすすめできる一作でした。

 

ネタバレを飛ばす

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

まず、ネロ・ウルフが依頼された二つの事件と登場人物を整理。

  • エロおやじパリーとエロおやじ2ミューアはどちらもクララを狙っている
  • クララ一行はクリヴァーズ侯爵から金を貰いたい(だんじて強請ではなく契約)
  • しかし、クララには3万ドル窃盗の容疑がかかっている
  • 一方、クリヴァーズは金が惜しい
  • クリヴァーズの甥もクララに首ったけ

 

あとは、これらを繋ぎ合わせるだけか。

単純に筋を書けば、金が惜しいクリヴァーズが権力を使ってミューアを操りクララの信用を墜とさせ、自身か誰か他の人物の手を借りて、クララ一味を順に葬っていくという筋書きが見える。

そして、たぶんこれじゃない。

 

肝心の“輪ゴム団”ボス・コールマンはいつ出てくるんだろうかと思っていたら、まさかの、数十年も前にクリヴァーズからお金を受け取っていたらしい。

これが真実なら、間違いなくコールマンが犯人だし、嘘ならクリヴァーズが犯人だろう。

 

ただ、クリヴァーズが犯人なら、殺人を犯す判断が早すぎる。別に強請られたわけでもなし、2人も殺すリスクが大きすぎる。2つ目の殺人でもわざわざ捕まりに行く理由が無い。

 

むしろコールマンが犯人なら、100万ドルの領収書偽造を隠すためなら何人でも殺すに違いない。

 

で、該当人物はと言えば…パリーとミューアのWエロおやじしかいない。

3万ドル紛失の件を考えると、訴えたミューアに偏りたくなるが、殺人についてはあまり情報が少ない。

むしろ、パリーの方がクララ一行について情報を得る手段と方法があったはず。

冒頭のスコヴィルとパリーの絡みも意味深だったのでこれで。

 

推理

アンソニー・ペリー(“ゴム”のコールマン)

結果

勝利

メインの謎と解決に関しては、思ったよりオーソドックスで正統派なのは好印象です。

細部を突き詰めていけば、やや情報の欠落(アリバイ関係)はありますが、犯人を特定するだけの手がかりは十分用意されています。

 

あとオシャレなのが、タイトルにもなっている“輪ゴム団(ラバー・バンド)”です。

前作『腰ぬけ連盟』に引き続き架空の団体名称に遊び心があって面白いのはもちろん、本作ではラバー・バンド=輪ゴムがミステリに用いられているところに、レックス・スタウトのミステリ作家としての技能の高さが現われています。

 

 

ネタバレ終わり

ネロ・ウルフの第一作『毒蛇』と第二作『腰ぬけ連盟』ともに、個人的にはそんなに高評価ではなかったミステリですが、もしかしたら、今読めばガラリと評価が変わるかもしれません。

とりあえず、これからシリーズを読もうとしている読者がいらっしゃれば、数作は読んでみた方が良いかもしれません。

 

どこでハマるかは人それぞれだとは思いますが、ある程度慣れと許容が必要なシリーズです。

 

では!