発表年:1933年
作者:S・S=ヴァン・ダイン
シリーズ:ファイロ・ヴァンス6
訳者:井上勇
エラリー・クイーンに多大な影響を与えたとされる、ヴァン・ダインですが、その有名な名前に反して、作品の評価はあまり高くないように思えます。
どうしても、ちょっとした先入観(ハードルを低うく設定)でもって作品にチャレンジしてしまうことも多く、どうにかフラットな気持ちで作品に向き合えないかと毎回心に決めるのですが…今回だけは順番が悪すぎました。
エラリー・クイーン『チャイナ橙の謎』(1934)の次に呼んだのが運の尽き。もちろん真相も、トリックの中身もまるっきり違うんですが、妙に似通っている部分が多々あります。
さらに本作に向かい風なのは、物語の構成自体が『チャイナ橙の謎』に到底かなわないこと。『チャイナ橙』でさえそんなに巧い方じゃないんですが、こちらはそれを何回りか下回るレベルなので、とにかく読んでいてつまらない。
ぐちぐち言っててもアレなんでまずはあらすじ紹介
中国陶器の蒐集家が自室でピストル自殺をした、という通報を受けて、現場へ急行したヴァンス一行が見つけたものは、完ぺきな密室と瀕死のスコッチ・テリアだった。それらが意味する真実はいったいなんなのか。次々と見つかる事件の痕跡に翻弄されながらも、ヴァンスは傷ついたテリア片手に、真相へと迫っていく。
タイトルの「ケンネル」とは、直訳すると犬舎・犬小屋のことですが、本書では、犬の品評会やドッグショーを主催する団体「ケンネル・クラブ」のこと。
ファイロ・ヴァンスが、由緒ありげなスコッチ・テリアの正体を探るために、各団体・専門家を訪ねるなど、たしかにちゃんと「犬」要素がミステリと絡み合っている印象は受けます。
ただ、真相に至るまで、常にそのスピードは緩やかなので、冗漫な前~中盤にかけて我慢する忍耐力が必要です。
一方で高評価できる点は、狭い事件現場なのにも関わらず、事件の痕跡が被害者邸のいたるところに散らばっており、事件全体の不可思議性が高まっている点。そして、事件を混乱させている、前代未聞の偶然の要素。
後者はよおく分析してみると、めちゃくちゃ面白いはずなんですが、いかんせん物語の紡ぎ方がへたくそです。
カーがこの着想を持っていたら、ファースとやり過ぎを存分につぎ込んで、ものすごいものができたんだろうなあ…
この二つだけで、一応読んだ成果としては十分だと思います。
最後に、どうしても許容できない記述について少し。
密室トリックの解決編ですが、まるっと実在の短編推理小説からパクったうえに、その小説まで引用しちゃうのはどうなんでしょうか。
登場人物の中に推理小説の蒐集家がいたり、ヴァンス自身の蔵書も明かされるなど、なんだか雲行きが怪しいなあとは思っていたのですが、ここまであからさまに開き直って堂々と完全にパクられると、首をかしげてしまいます。
これでよかったのかヴァン・ダイン。
以下超ネタバレ
《謎探偵の推理過程》
本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。
銃を使った自殺のように見せかけて刺殺、とか自殺には不向きの服装など、頑張って不可思議状況を作り出そうとするヴァン・ダインの作風に慣れてきたようで慣れない。
やっぱり贋物っぽい雰囲気が気になって、せっかくの不可思議な設定が頭に入ってこない。
瀕死のテリア(しかも高血統ぽい)というアイデアはなかなかいいと思う。どう料理するか楽しみ。
ただ問題は、食材(登場人物)が少なすぎること。コー兄弟が亡くなった今、犯人候補はリード、レーク、グラッシ、リャン、の4人のみ。
一人ずつ動機を考えてみたい。(機会はみな平等にある)
- リード アーチャーとの関係の悪さは、レークに端を発するもの違いないので、動機の点では満点。ただ、ブリスベーン殺害の動機が不明。
- レーク 遺産目当てというだけで動機は十分だが、一番疑われそうな状況で殺人というリスクを冒す理由が見つからない。犯人候補がほかにいるとはいえ、二人同時に始末するという離れ業をすぐに実行しなければならなかった理由はない。
- グラッシ 金と愛という両面で動機を持っているように見える容疑者候補筆頭。リードに罪を擦り付けた後で、レークとくっついて遺産を総取り、という完ぺきなプランか。問題はスコッチ・テリアとは全く関連性が無いこと。
- リャンは確かにいろんな意味で怪しく見えるが、中国陶器を守るためだけに2人を殺すのは根拠薄弱。殺さずとも、陶器の盗難は可能。
こうなると、誰もコー兄弟を殺したようには思えない。
犬関係でようやくリードが顔を出し、最有力容疑者に名乗りを上げるが、どんなトリックかは不明。お手上げ(というか諦め)。
推理
レイモンド・リード
結果
勝利
ややこしや。
落ち着いて終盤のプロットを分解してみると、よく計算されたミステリに思えますが、全てご都合的な要素に固められ、説得力はありません。
まず、ブリスベーンがアーチャーを殺そうとしていたという伏線が弱い。ここをもっと徹底的に掘り下げて中盤でこの謎だけでも明かしておけば、オチの驚きは2割増しくらいになっていたと思います。
リードがアーチャーだと思ってブリスベーンを殺した、そして、アーチャーはまだ死んでいなかった(しかもリャンに容疑を擦り付けたうえで)という驚きと複雑さが噛み合った“勘違い殺人”のプロットがなかなか巧みなので、ほかの要素を削ぎ落せなかったのがつくづく残念としか言いようがありません。
スコッチ・テリアに関しては、とってつけたような要素で、あっても無くてもどっちでもよいレベルなのですが、ヴァン・ダインが犯人の最期をああいった形で描きたかった以上、読者には文句を言う資格はないでしょう。個人的には好きなラストです。
この六冊だけは完成するつもりだが、それ以上は書かない。(以下略)一人の作家に六つ以上の探偵もののりっぱな想があるかどうか私はすこぶる疑わしく思っている。
これは本書執筆中にヴァン・ダインが自伝の中で述べた文章の抜粋です。
ヴァン・ダインの言う、立派な着想で書ける限界の数である六作のうち、本作は最後の作品、ということです。
ミステリファンならよくご存じのように、その後ヴァン・ダインは、絶対に六作以上書かないぞ!お金にも興味ないし!と言いながらも、結局十二作を書き上げました。
要するに、後半の六作は、陳腐で貧弱な着想を元に作られた長編ミステリと自ら認めたわけでしょう?もう読むの怖い。でも全部持っちゃってるんですよねえ…気が向いたら(年1)くらいで読もうと思います。
では!