ホームズ時代へのリスペクトが詰まった一作【感想】エラリー・クイーン『チャイナ橙の謎』

発表年:1934年

作者:エラリー・クイーン

シリーズ:エラリー・クイーン8

訳者:井上勇

 

空前絶後の超絶怒涛の“あべこべ殺人”がご登場です。

事件が起こるまでがかなり印象深いので、なるべくボカシながら書きたいのですが、インパクトという意味では超ど級の殺人事件です。

ある程度序盤でサクサクと進んでしまうので、ぜひともまずは事件が起こるまで丁寧に読んでほしいと思います。

事件後明らかになるのは、

チャンセラー・ホテルに滞在するカーク家の面々とカーク家を取り巻く人々の人間模様。そして彼らがひた隠しにするナニカ。どこから手を付けていいか、見当もつかない難事件にも関わらず、クイーンはわずかな手がかりから糸口をつかみ、徐々に事件の背後にある核心「チャイナ橙」へと迫っていきます。

 

全体としての評価で言えば、とても面白い試みだと思いました。めちゃくちゃな殺人現場にも関わらず、大道具・小道具を取り揃えつつ、ちゃんと仕掛けが用意されている、と読者に思わせておく(興味を保持する)準備は徹底されています。良し悪しは置いておいて…ですが。

 

あと、究明すべき謎の優先順位を絞らせない試みも比較的うまくいっているように思えます。ただその仕掛けに気づいてしまい、ゲームの慣習に従えば、いとも簡単に犯人にだけはたどり着いてしまえるのは難点。

かなり強固で堅牢そうな城壁なのに、実は張りぼてみたいな印象があります。ただ、作者にとってそんな張りぼてでも、如何に大きく強固に見せるかが腕の見せ所なはずなので、そういった意味では成功かもしれません。

 

また、個人的な憶測にすぎませんが、本書は作者エラリー・クイーンのホームズ時代への賛歌、リスペクトの現れた作品なのではないかと思います。

“あべこべ殺人”に見られる古典トリックの応用や、無秩序な部屋に用意された仕掛けからは、ホームズ時代のミステリを彷彿とさせる懐かしさ、そして時代を超えて新しいエッセンスを加え読者を楽しませようとするクイーンのプライドを感じました。

 

一方で、上記の感想以外に、序盤で述べた「面白い試みだと思った」以上のものはありませんでした

アメリカ銃の謎』でも感じたところですが、クイーンの作品には横筋に無駄なものが多い。

ミステリに物語の面白さを求めすぎるのはいけませんが、メインストーリーはまだしもサイドストーリーに面白みがほとんどないのは、どうなんでしょう。

しかもそれらが、一見するとメインの謎に関与している、と思わせておいて、とってつけたような説明のみで、後付け感がある上に、まったく面白くないのは、あまりに自分が高望みしすぎているからでしょうか。

 

こうやって書いているとメインストーリーのほうも気になってきました。

高額切手や無くなったみかんなどの小道具は高品質でも、真実への紐づけはやや強引なきらいがあります。

常に論理性を求め、推理小説界屈指のパズラーであるクイーンにしては、パズル自体はピタッとはまりこそすれ、その図柄はやや乱れた、標準的なミステリだと思います。

 

ネタバレを飛ばす

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

 

序盤からわずかながら感じられる仄かなロマンス。すぐさま発見される混とんとした事件現場。消えたミカン、

とこれでもかと、贅沢に要素をつぎ込んでいくクイーンに、やや出オチを心配する幕開け。まずは謎を整理。

  1. 被害者は誰か
  2. 密室のトリックやいかに
  3. 動機はなにか(1が解ければおのずと)
  4. 部屋を“あべこべ”にした理由はなにか

 

一見ガチガチに固められているかのように見えるが、1と3は相互に補完しあっているし、2と4は関係しあっているように思える。

読み進めていくと、1と3の情報が提供される速度が遅く、2と4に集中されているように感じた。

 

ただ、2と4が関係しあっているとはいえ、ひとつ違和感の塊と言える謎がある。

それが被害者の背面に通された2本のヤリ

部屋の“あべこべ”にまったく関係がなく、被害者をどこかに立てかけておくため、としか考えられない。

ということは?

→部屋を密室にするための物理トリック

→密室にしてメリットがあるのはオスボーンのみ、

というところまで簡単に仮説が立てられてしまう。あとはこの仮説に沿って、動機を推理していくのみ。

 

物理トリックについては…ねえ?

手がかりないもの。

 

動機として一番単純なのが高額切手の詐取だが、本人はちゃんと否定済み(頁219)だし、むしろ怪しいポイントに加算。

ここらへんからほぼ惰性で読んでしまった。

 

つまり、犯人あてさえ外さなければ、そのほかの記述に興味を魅かれるものはほとんどない。

リューズの脅迫やマーセラのスキャンダルなど、そこまでミステリに直結するほどの謎ではなく、完全に端折ってもいいレベル。

 

読者への挑戦もとってつけたようなもの(前作『シャム双子』では忘れていた)だし、ほんとうに密室を解かせる気があったのかどうかも怪しい。

 

推理

ジェームス・オスボーン

結果

勝利

 

ここまできて擁護にまわるのも変な話なんですが、読者が密室について論理的に解き明かす必要は全くないんですよね。

推理すべきなのは、密室を作り出す必要性が事件にあったか否か。いや密室はあったのか、なかったのかの一点のみ。

 

ただ、ここに集中しても気になるところが…

完全に密室にしてしまうとオスボーン一人に嫌疑がかかる、というならわかります。ただそうなると、外部犯(単純な物盗り)を装っておきながら、部屋をあからさまに弄り、被害者の身元を判別させないよう工夫する必要が見当たりません。

つまり、犯人の思惑として、

①自分には疑いの目を向けたくない(わかる)

②物盗り目的の外部犯に見せよう、関係者に迷惑をかけたくない(わかる)

③できれば身元も来た目的も悟られたくない(やりすぎじゃないの)

④よし!儀式っぽくヤリを刺したうえで、部屋をあべこべにして捜査をかく乱しよう(わからない

 

たしかに木を隠すなら森の中なんですが、森の中に隠すなら木だけじゃないといけません。ヤリはダメよヤリは。

 

なので、こんな「やらかし系」の犯人の中では案外印象に残る犯人でした。

序盤と結末の繋がりも、クイーン(作者)に弄ばれた感があって、どこか悲しい犯人のような気もします。

 

 

  ネタバレ終わり

なんやかんや言いましたが、さすがクイーンと唸らされる箇所も多々あり、見どころはちゃんと用意されている作品だとは思います。

古典トリックがちゃんと時を超えて受け継がれているのは好感が持てますし、なによりメインディッシュの“あべこべ殺人”だけはしっかり解きほぐされるので、そこは安心して読むことができるでしょう。

では!