ルパンの多面性を堪能【感想】モーリス・ルブラン『ルパンの告白』

発表年:1911年~1913年

作者:モーリス・ルブラン

シリーズ:アルセーヌ・ルパン

訳者:堀口大學

 

年2ルパンの2作目。この感じだと年4は読めそうです。

さすが幾つも邦訳化されているだけって、タイトルも訳者によって様々なバリエーションがあります。当記事は、新潮文庫版堀口大學訳をベースにしております。各話感想のタイトル()内の単語は、その他の主要な翻訳のタイトルです。

 

各話感想の前に、総評だけ述べてしまいましょう。やっぱりルパンものは短編に限る!もちろん長編の出来がイマイチってわけじゃございません。

 

まず、短編だと、二転三転する展開がなんともスッキリ感じられます。これが長編になると二転三転じゃ済まず、三転四転・五転六転とドッタンバッタン物語がひっくり返るので、ついて行くのが精一杯になることもしばしば。

また、アルセーヌ・ルパンの個性が強烈過ぎ、彼の奔放な性格に振り回される度に疲れてしまいます。

それが、短編では、ルパンのしつこいくらいの騎士道精神も、ドラマチック・ロマンティックな物語もスーッと入ってくる不思議。

さらに、堀口大學訳は言い回しや表現が旧式(なんと60年近く前の翻訳!)ではあるのですが、むしろそれが妙に耳と目に残ります。

 

では、ようやく各話感想とまいりましょう。

大作『奇岩城』や『813』に先立つ珠玉の短編たちは、全てがオススメ作品といっても過言じゃない出来です。今まで読んだルパンシリーズの中でも上位に来るオススメ度合なので、是非お試しあれ。

 

 

『太陽のたわむれ(手品)』(1911)

他に類を見ない暗号、卑劣な悪党、結末のグロテスクさ、隠された財宝、魅力的な報酬、それらをギュギュっと一纏めにしたシリーズ屈指の短編。

よくよく考えると、暗号は多少時間的な制約もあってしんどい部分もありますが、結末部では、一見センチにも思えるルパンの、実際的な一面が垣間見える名作短編です。

また、作中で仄めかされる、他の短編のタイトル、

ニコラ・ジュグリバン(デュグリバルの間違い?)の細君に君が与えた5万フランの贈り物の話、『影の手引き(本書『影の指図』)』、『結婚リング』、『うろつく死神』

など、モーリス・ルブランが読者の期待を煽る、巧みな手法にもニヤニヤ。ちゃんと本短編集で語られるので、ゆるりと読み進めましょう。

 

『結婚リング(指輪)』(1911)

カッコ良すぎですよ、ルパンさん。

昔魅かれていた女に、名刺を渡して、

救援が必要な場合…この名刺を、ためらわずに投函なさるがよい。…僕はかならずやってきますから。

ですからねえ。

また、苦境に陥った女性に、このアイテムが、どれほど偉大なパワーと強力な安心を与えるか。男なら誰しも心の中に少しは宿ってるであろう、ロマンチックでナルシシズムの部分をくすぐる演出です。

ただ、そんな甘美で情緒的な物語で終わらないのが、ルパンシリーズの凄いところ。最後にルパンが仕掛けたあっと驚かされる手際のいいトリックには騙されること間違いなし。

本作筆頭と呼ぶべき名作短編です。

 

『影の指図(合図)』(1911)

ホームズの某短編を彷彿とさせる宝探しが題材の短編。

同じ風景が描かれた二枚の絵画と、15-4-2という共通して記された日付、そして、毎年その日付、同じ風景の場所にわらわらと集まる共通点の無い人物たち。

と謎の発端からして最高です。

ありきたりな財宝探しで終わらない、ルパンらしい皮肉めいたオチも印象的です。

 

『地獄(の)罠』(1911)

衝撃度ナンバ-1の異色作。

本作は『太陽のたわむれ』内で語られた、

ニコラ・デュグリバンの細君に5万フラン与えた話です。

冒頭の鮮やかな盗難劇から、よもやあんな結末が待っていようとは…絶体絶命の危機に瀕しても不可思議な能力で窮地をくぐり抜けるのは、やはり悪人の魅力たっぷりのルパンだからこそ許される所業でしょう。

 

『赤い絹のマフラー(スカーフ)』(1911)

ルパンの宿敵ガニマール警部が物語の進行役ですが、ルパン自身安楽椅子探偵ものとして活躍するベスト級の短編です。

まず、ルパンの物語への関わり方がとてつもなく面白い。

ガニマール警部の捜査へと舞台が移ってからも、ルパンの名推理は冴え渡り、ガニマールの心中穏やかでない雰囲気が堪りません。

そして、待ちに待ったライバル同士の対決シーンでは、切れ味鋭い素晴らしいラストが用意されています。何回読んでも楽しめる傑作です。

 

『うろつく死神』(1911)

前作『赤い絹のマフラー』事件後の物語なので、順番通りに読むことをオススメします。

ミステリの観点から、そこまで着目すべき作品ではないのですが、オチはユーモラスでニヤニヤさせられます。

 

『白鳥の首のエディス』(1913)

なんとも美しいタイトルで始まり、由緒あるお宝が登場し、ルパンの代名詞でもある犯行予告があって…のはずが、いつのまにか息もつかせぬ推理小説に早変わりしているのには脱帽です。

ルパンシリーズだけでなく、今まで読んだ短編ミステリの中でもトップクラスに面白いガニマール警部が登場すること以外、あまり物語の紹介をしたくないのですが、アルセーヌ・ルパンが探偵ではなく、怪盗であることを最大限に活かした傑作短編です。

※何故かは言えませんが、できたら『ルパンの冒険』は読んでおいた方が良いと思います。

 

『麦がら(わら)のストロー』(1913)

ルパンにしてはスケールがちっちゃい事件なんですが、個人的には結構好きな作品です。ルパンものの長編『水晶の栓』にも似た隠し場所系のトリックが駆使された短編、ということで、ミステリファンなら後学のためにも勉強がてら読んでおきたい一作です。

もしかしてルパンってこうやって手下を増やしていくのかも、と思わされるような素敵なオチも好きなんですよねえ

 

『ルパンの結婚』(1912)

さてさて、最後にして最大の問題作が登場です。どんな話か、もちろんタイトルどおりルパンが結婚しちゃう話なんですが、どうも後味は良くない。で良くないかと思ったら、ちょっと心を動かされている自分もいたり…

ルパンって、ただの浮気性の軟派男なのか、それとも強きを砕き弱きを救う、騎士道精神を貫くロマンチストなのか。

本作はそんなルパンの様々な特性を絶妙にミックスさせ、彼の多面性を押し出したドラマ部分が見どころです。

 

 

まとめ

何度も言いますが、傑作短編集だと思います。

訳の古さなんてなんのそので、物語の面白さが障がいを凌駕する瞬間に立ち会えるでしょう。とはいえ、新訳化されれば尚良し。ルパン愛好家、ミステリファンだけでなく多くの人に手に取っていただきたい短編集でした。

では!

全員、嫌い【感想】フランシス・アイルズ『殺意』

発表年:1931年

作者:フランシス・アイルズ(アントニイ・バークリー)

シリーズ:ノンシリーズ

訳者:大久保康雄

 

 

さてさて、三大倒叙ミステリの一角を落としてから、はや一年余り、ついに第二の倒叙の王に挑むことと相成りました。

その名も『殺意』ですよ。安直なのかそうでないのかパッと見ではよくわかりませんが、読み始めるとものの一行目からすでに主人公エドマンド・ビクリー博士は妻を殺す決心を固めておられるようで。初めの数章では、彼が妻に明確な殺意を抱くに至った経緯が細かに描かれます。

 

これは褒めても良いのかよくわからないのですが、アントニイ・バークリーってほんとクソ人間を書くのが上手い。いや、クソ人間というのはかなり語弊がありますね。

第二の銃声』にしても『ピカデリーの殺人』にしても、劣等感を抱いている人間の心情を描く手腕が天才的です。

 

ただ、前2作と違って本作はれっきとした倒叙ミステリなので、いかんせんビクリー博士のネガティヴな精神の波動みたいなものを受け取る時間が長い…ちょっとしんどいです。というか、登場人物全員がムカムカするキャラクターなのが輪をかけてキツイ

 

また、ビクリー博士がいかに細かに犯罪計画を立案し、どこでミスったか、そういった倒叙ならではの推理ポイントも乏しいため、ミステリを読んでいて感じる手ごたえが皆無です。

例えば、ビクリー博士のミスはあからさまだし、殺人の手際だって上手くない。関係者みんなに疑われるような言動を繰り返し、落ち着きが無く、とにかく何かやましいことがあるに違いない人物に成り下がっています。

だから、彼が捕まろうと、まんまと逃げおおせようと、全然興味が沸きません。倒叙で大事なオチまで、読者の興味を維持する魅力が決定的に欠いていると思います。

 

 

これでリチャード・ハル『伯母殺人事件』と併せて、三大倒叙ミステリのうち2作を読み終えたわけですが、出来で言えば圧倒的に『伯母殺人事件』の方が上です。というか、改めて『伯母~』すげえって思いました。やっぱり、倒叙には、単純に犯人対探偵という構図だけでなく、物語が放つ不穏な空気や、座りの悪い違和感がちゃんと謎として機能していることが重要で、そこにさらにサプライズがある『伯母~』は傑作ミステリです。

自分でも何の感想記事かよくわからなくなってきました。そういえば、本書の中島河太郎氏の解説も、バークリーの他の作品の紹介ばっかりで、本書の具体的な解説はほんの僅かだったので、案外評価が難しいミステリなのかもしれません。そもそも何を持って「三大倒叙」なのかよくわからないところでもありますし…

 

 

だらだらとまとまりのない感想記事になってしまいましたが、どこのアウトレイジだよってくらい全登場人物を好きになれないのは、素直に凄いです。よくここまでたくさん創造できたな、と感心します。

一方で、再読したいと思わせる魅力はあまり無く、精神衛生上良くない作風ですので、よっぽど新訳化&充実した解説が無い限り、再読する日はやってこない気がしています。

 

では!

漢(おとこ)臭いミステリ【感想】F.W.クロフツ『死の鉄路』

発表年:1932年

作者:F.W.クロフツ

シリーズ:フレンチ警部9

訳者:中山善之

 

 

本書はとにかく漢臭い。ただ、夏場の満員電車のような不快な汗臭さのことでありません。

舞台は「十月もすえ」のイギリス北部。鉄道の見習技師クリフォード・パリーなる三十二歳の苦労人の視点から物語は始まります。

微に入り細に入った鉄道工事描写は、さすが元鉄道技師のクロフツならではのもの。線路の複線化(1車線を2車線にする)工事の図面をスケッチした図解が登場するなど、作品に懸ける熱量や拘りはシリーズいちと言っても過言ではありません。

 

事件の展開は、過去に書いたノンシリーズもの『フローテ公園の殺人』(1923)に似通った部分がありますし、前後半に分かれるような構成も前作『二つの密室』と共通する部分です。しかし、10年間の作家活動を経て、物語の運び方やミステリとしての風呂敷の広げ方・畳み方が格段に上手くなったと感じます。

もちろん大陸を股にかけた壮大なストーリーなど、『フローテ公園~』にしかない良さがあるのは事実ですが、純粋なフーダニットだった(その分、すっきりしていて読み易い)のに対し、本作はフーはもちろん、ホワイにもちゃんと重みが付けられているのが巧みです。

 

また、登場人物も普段より粒ぞろいで個性が際立った人物が多いので、ミスディレクションが多彩なのも、読者にとっては嬉しい悩みでしょう。怪しげな記述がちょこちょこ挿入されるので、誰も彼もそれなりに疑わしく見えてきますし、ホワイ(動機)に関しても、横筋が単一的でないため、見方を変えると疑わしい容疑者は一人でも、動機が複数見つかったり、と、いつまで経っても謎の真相が見えてきません。

 

そして、作中で常に息づくのは、人々の豊かな暮らしの為、自身の生活の為、線路を敷き汗水流す熱い男たちです。

肉体労働だけでなく、時には緻密な計算を行い、鉄道会社・工事業者との折衝を重ねる技術者たちの姿からは、苦労だけでなく、やりがいや生きる喜びまで伝わってきそうです。

そんな熱さを嘲笑うかのような卑劣で冷酷な犯罪には、いつもは地味なクロフツ作品の中にあって比較的派手な仕掛けが施されています。また、シンプルな事件ではありますが、ちゃんとバリエーションも用意されているので、前述の「いつもの地味な」というクロフツ像はしっかり打ち砕いてくれる作品です。

 

ただ、問題は題材になっている線路の複線化工事…ちゃんとミステリに付随する要素ではあるのですが、鉄道に興味が無い読者にはかなりキツイ読書になるかもしれません。

色気(ロマンス)がありそうで無かったり、とにかく漢(おとこ)臭い、男性向けのミステリでした。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

パリーの人柄が好み。

苦労を重ね、実直に生きることで運が回ってくる、みたいな流れは好き。

 

鉄道会社が絡むミステリなので、やっぱり企業犯罪が背景にはあるに違いない。無駄に多い工事の描写は、企業犯罪の伏線だろう。

設計図のコピー云々や測定の数字がたくさん出てくるため、たぶんそれを弄って工事費水増しとかだと思う。

その証拠に、殺人事件の捜査はそっちのけで、コピーの保管場所などの会社の仕組みや、コピーや調査に携わった関係者の紹介が大半を占める。

 

なんといっても怪しいのは、設計主任ブラッグ。尻尾を出すまではいかなくとも、妙に心配したり、言動に怪しいところが多々見受けられる。

ケアリーが自殺してからは、さらにブラッグに嫌疑が強まる。

 

ケアリーが死亡直前にブラッグとの会見を望んでいた(頁148)こと、「どんな用があるんだろう?」(頁148)という白々しい返事。実際に会っても返事を先延ばしにした(頁150)ことから考えるに、後半登場する詐欺事件の実務がケアリー、そして計画者はブラッグ、というところだろう。

ロナルド・アッカリーは個人的な調査の結果、詐欺の真実を掴んでしまい、ケアリーもしくはブラッグに感付かれ殺された。

アッカリーはケアリーが、そしてケアリーをブラッグが殺したのだろう。

 

問題は、ケアリー殺害にブラッグは鉄壁のアリバイがあること。鉄壁とまでは言えないが、少なくとも、決定的な齟齬は無い。

う~ん。

ローエルは完全にミスディレクションだし、あと残ってる関係者はアイツだけど、まさかねえ。

 

推理

(強引に)ブラッグ

結果

クリフォード・パリー

 

あ~はいはい。こっち系ね。

まんまとやられました。

とにかくブラッグに固執し過ぎたのが敗因です(言い訳)。

とんとん拍子に上司が死んで、スライド昇格しまくるだけでも怪しさ満点なのに、全然気づきませんでした。

ただ、セコいっちゃあセコい

この手の叙述トリックを使うにしては、やっぱり細かいところまで徹底したフェアプレイ精神が無ければ、とうてい満足度は高まりません。

さらっと読み返してみても、それなりに破綻しないように、という意思は感じられるのですが、あくまで破綻しないギリギリのラインで踏みとどまっているレベル

 

例えば、第1章の最後で、パリーはアッカリーを殺害するわけですが、後日パリーの脳裏に鮮やかに蘇った二つのことと称して、パリーの指輪とパリーの健康状態のことが記述されていますが、いらんよね。あれ。完全にパリーを局外者にしたいがための描写ですよね。

書くなら、それがアッカリーが元気な姿を見せた最後の瞬間だった、程度で十分な気がします。

 

あと、見知らぬ男がケアリーの部屋を訪れた、というパリーの偽の証言が語られるシーンでは、以下のようにパリーの心情が描かれています。

パリーはちょっとした問題をどうしたものかと思いあぐねていた。自ら供述を買ってでるべきかどうか決めかねていたのだ。昨夜のあることについて、事件に関係しているかもしれぬあること―(頁157)

この場合、パリー自身にはその供述と事件の関係性が無いことは百も承知なわけで、自分に有利か不利かで迷うことはあっても、事件に関係しているかいないかで悩むことは絶対にありえません。読者を煙に巻くにしては、お粗末な記述です。

 

 

 

 

 ネタバレ終わり

クロフツって思ったより人物描写が下手じゃないんですよねえ。1作に一人は、こいつ好き!って人間が絶対出てきます。

その人物が紆余曲折を経てどんな人生を歩むか、という一本筋が通った人間ドラマがちゃんと用意されているので、読み応えがあります。たぶん本格ミステリには不必要なのかもしれませんが、本を閉じてしばらくたっても、彼らの印象が濃く残るのは、やっぱり彼ら自身の物語がちゃんと用意されているからでしょう。

クロフツ作品を語るうえで避けては通れない重要な作品でした。

 

では!

変な武器で変な攻撃してくる刺客【感想】C.デイリー・キング『タラント氏の事件簿[完全版]』

発表年:1935~1979年

作者:C.デイリー・キング

シリーズ:トレヴィス・タラント

訳者:中村有希

 

またまたのっけから意味不明なタイトルで読者を混乱させたことを深くお詫びいたします。

しかしですね。全編読んでみて、どんな作品だったか、短く説明するとしたら、変な武器で変な攻撃を仕掛けてくる刺客です。

いざ、尋常に勝負!と柄に手をかけたはいいものの、鎖鎌やら三節棍みたいな変な武器を取り出してチョイヤーッ!と襲い掛かってくる。面食らうのは当たり前、ただただ驚くしかありません。七支刀とか取り出して振り回し始める。え!?それ武器なの?と戸惑わされる。

そんな短編集でした(どんなだ)。

 

話は変わって、訳者の中村有希氏と言えば、創元推理文庫から続々と刊行されているエラリー・クイーンの国名シリーズの翻訳者でもあられます。結構好きな翻訳家さんです。

知ったような口を利きますが、登場人物の会話がとても温かみのある訳になっていて、海外ミステリの読み易さに大きく貢献しているような気がしています。

 

さっそく

各話感想

※決してトリックについてネタバレするつもりはありませんが、タイトルにこじつけて“武器”が云々言いますので辟易しないように。 

※また、ネタバレにはならなくとも、先入観を抱かせる記述がございます。素晴らしい短編集ですので、在庫のあるうちに書店でお求めいただき、読了後ご覧になることを強くお勧めいたします。

 

『古写本の呪い』(1935)

ジェリー・フィランは友人との賭けの一環で、メトロポリタン博物館で希少な古写本の番を勤めることになった。午前二時を過ぎ、次々と不思議な現象が起こり始めるが、はたしてこれは古写本の呪いなのか。

本書のオープニングを飾る一作ということで、語り手のジェリー・フィラン、探偵トレヴィス・タラント氏、日本人の執事カトーなどレギュラーキャラクターたちの紹介にもなっています。

本作のテーマはいたってありきたりな消失ものなのですが、使われているトリックは現実味がありハイレベル。ジェリーを通して語られるホラーな雰囲気も見事です。

そして、本作で使用された武器は、ある“ご婦人”。バチンと平手打ちされること間違いなしの逸品です。

 

『現われる幽霊』(1935)

アーサー・コナン・ドイルも愛したとされる怪奇幻想というテーマに、ジェリーのロマンスが見事に合致し味わい深い短編になっています。

摩訶不思議な現象ではありますが、ちゃんと論理的な説明がされるため、隙のない短編ミステリとも言えます。

あとは、“古代ロマン”という魔法が武器として炸裂しているのが魅力です。こういうのを読むと旅立ちたくなりますねえ。

元ネタについては、いくら調べてもヒットしなかったので、専門知識がおありの方は教えていただければ涎を垂らして喜びます。

 

『釘と鎮魂歌』(1935)

本作はこってり味の密室事件。タラント氏が締めの一文でも述べているとおり、

人間の頭脳は回転が遅すぎる

つまり“回転エネルギー”が武器です。

密室トリックとしては及第点ですが、面白いのは物語の運び方です。シリーズの準レギュラーであるピーク副警視の初登場作品であることからも、しっかり読み込んでほしい一作です。

 

『<第四の拷問>』(1935)

フィルポッツの『灰色の部屋』や、カーの『赤後家の殺人』に似通った死の部屋系トリックが見事な一作。

久々に短編を読んで、声を出して驚いてしまったほど、個人的には本書ベストの短編。

本作で襲いかかってくる武器は…なんでしょうねえ

”です(言えない)。

でもまあ、読む側は必ずパワフルな武器と精神力が必須でしょう。心して読んでください。

 

『首無しの恐怖』(1935)

こちらは文字通り“ギロチン”が容赦なく襲い掛かってきます。

死体消失やアリバイなど全ての謎が高水準のお坊ちゃんタイプの短編です。

問題は、肝心要の物理トリックがイメージしにくいところ。解説が欲しいです。

 

『消えた竪琴』(1935)

古典的トリックと(当時の)最新トリックが見事に融合した一作。バンシー騒ぎや古代アイルランドの伝承など飾り物は多いですが、タラント氏によって論理的に解きほぐされると解決はいたってシンプル。

シャーロック・ホームズの某短編を彷彿とさせる演出も効果的です。

今作では武器ではなく“難攻不落の書庫”という盾が立ちはだかります。堅牢な盾ですが、外から壊そうとしても勝ち目はありません。勇気を出して踏み込み、柔軟に想像力を働かせながら挑んでください。

 

『三つ眼が通る』(1935)

ご飯食べに行ったら突然殺人事件、というなんともセンセーショナルな書き出しで始まる本作は、タラント氏の関係者が疑われる重厚なミステリ。長編ミステリの解決編だけを抜き取ったかのような、ドキドキさせる終盤が見ものです。

本作で対決しなければならないのは“手塚治虫”です。タイトルのとおり「みつめがとおる」なのでハッとしたのですが、そこまで深い関係は無く…どちらかというと『トリトン』とか『ブラックジャック』が適しているかもしれません(無視してください

 

『最後の取引』(1935)

ここまであまりにふざけ過ぎたので、しっかりお伝えし損ねていますが、本シリーズ最大の美点は、タラント氏の温かいキャラクターや執事カトーとタラント氏の興味深い関係、ジェリーとタラント氏の名コンビなど、トリック創案よりは、キャラクター造形にあると思っています。

本作ではその“キャラクターの暴走”と戦わなければいけません。物語の性質上、何度か読み返さないとしっくりこない問題児ですが、不思議と余韻は悪くなく。

 

 

 

『消えたスター』(1944)

『釘と鎮魂歌』に対になるような誘拐を題材にした短編です。さらに、解決のために終始せかせかと慌ただしいタラント氏一行ですが、完全に安楽椅子探偵ものであることに驚かされます。

本作で挑むべきは“違和感”です。その正体はここで先に明かします。登場人物の一人である執事がカトーからブリヒドーというフィリピン人に変わっており、第二次世界大戦の真っ只中という情勢が、モロに直撃しています。

違和感を感じるでしょうが脳内補正はカトーで読みましょう。

 

『邪悪な発明家』(1946)

天才的な犯人による天才的な犯罪が印象に残る名作短編です。ピーク副警視自らがタラント氏の邸に事件の依頼に来る、というシャーロック・ホームズもニンマリの典型的な短編になっています。

本作では“犯人”が裸一貫で勝負を挑んでくるので、正々堂々素手で立ち向かいましょう。

本短編集では一番レベルの高い作品だと思います。

 

『危険なタリスマン』(1951)

本書ベストを迷った一作。『最後の取引』に連なる作品であることから、読む順番だけはしっかり守ってほしいと思います。

本編の対戦相手は…

ついに来ました“わたし”です。

 

『フィッシュストーリー』(1979)

最後を飾るにしては小粒な作品ですし、どうも手抜き感が…オチなんてほぼ落語ですしねえ。

本作だけ1979年に書かれた、ということですから、どちらかというとファン向けの、イベントっぽい一作なのかもしれません。

 

そしてここにきて、ようやく刺客は変な武器で攻撃を繰り返すのを止め、「ちょっと座って話そうよ」と言っている気がします。

座って語らいましょう。

そしてお互いの生傷を懐かしく労りながら、過去の戦いに思いを馳せましょう。

 

そして、当ブログの感想を一から読み返すのです。そして、『僕の猫舎』史上一番意味不明な記事だ、という思いを込めてそっとはてなスターを押すのです。

 

あとは、[完全版]という贈り物を与えてくれた創元社に感謝、訳者の中村氏にも感謝、読者の皆様に幸多からんことをアーメン。

では(なにこれ)

新風吹く【感想】エラリー・クイーン『シャム双生児の謎』

発表年:1933年

作者:エラリー・クイーン

シリーズ:エラリー・クイーン7

訳者:井上勇

 

前作『アメリカ銃の謎』が「水清ければ魚棲まず」状態で、どうも好きになれず…

しばらく(次の新訳が出るまで)お休みしようかとおもったのですが、運よく?ポンポンと本作と『チャイナ橙』『スペイン岬』と、国名シリーズが全作揃ってしまったので、諦めて読みました。

さすがに50年も前の訳の為、単語一つ一つの古臭さを感じますが、新訳版と比べてもキャラクターの軸は全くブレず。

エラリーとクイーン警視の微笑ましい会話も健在で、この二人が事件の歯車を回す意義を十分に感じ取れる力作でした。

 

本作の特徴と言えば、コレでしょう

本書(創元推理文庫版)の裏表紙記載のあらすじ

刑事も、指紋係も、検屍官もひとりとして登場しない…「国名シリーズ」に(「の」の間違いか?)中で珍重すべき一編である。

 

刑事も、指紋係も、検屍官もひとりとして登場しない、だと!?どういうことだ!?

 

できれば今回はあらすじを省略したいです…

事件が起こるまでがとにかく面白い。ワクワクします。いつもの道を外れて、新しいことにチャレンジする姿勢がまず好きですし、未知の世界・新しい体験ができと想像するとドキドキすること請け合いです。

文字通り道を外れ迷い込んだアロー・マウンテンで、自然の猛威に追い詰められた二人は一軒の屋敷に逃げ込みます。

 

普段よく読むイギリスのミステリでは中々お目にかかれない厳しくも雄大な叙景に感動しながらも、ちゃんと、不穏で良くない何かが起こりそうな雰囲気が高まってきての蟹!

 

いずれ『シャム双生児』も新訳化されるでしょうから、どのように表現されるか、また、舞台となるアロー・マウンテンの地名なんかもちゃんと訳されるのを期待しています。

GoogleMapでそれらしい場所を探したのですが、本書に登場するテピーズオスケワといった地名ではヒットせず。テキサスの北ってのはわかってるんですが…そもそも、テキサスでさえタッケサス(頁16)ですからねえ

 

 

本題のミステリにおける謎とその解決へと参りましょう。

舞台が田舎の古めかしい屋敷ではありますが、事件自体は昔風でもなんでもなく、エラリー・クイーン風の味付けが利いています。特に注目すべきはダイイングメッセージでしょう。

破り捨てられたトランプというオシャレな手がかりを元に、屋敷の面々が隠す秘密や、被害者の人となりから得られるデータを少しずつかき集める様子は、多くの警官や分析官がサポートするお馴染みのクイーン譚とは違った手法で行われるものの、程よい展開スピードで頁をめくる指を補助します。

 

探偵のポジショニングも良く、ある程度「お約束」になっている物語展開だとは思いますが、普段やらないコトだけにワクワク度は数倍増し

陸の孤島と化した屋敷にタイムリミット・サスペンスの趣向も加わり、今までのエラリー・クイーン像の脱却と新しい風を吹き込もうとするチャレンジ精神溢れる作品になっていると思います。

 

ミスディレクションも豊富かつ高品質なのも見逃せません。山奥の屋敷に集まった彼らの大きな目的、それに付随して渦巻くそれぞれの思い、そして招かれざる客。これらが渾然一体となって、さらには万華鏡のように見方によって姿形を変える手がかりとの相乗効果で、否が応でも結末まで読ませる力がある一作です。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

 

蟹を見た、というクイーン警視が出てきたときにはどうなることかと思ったが、さすがエラリー。

登場自体は事件が起こってからだが、登場人物の秘密を暴いていく中で、フランシス&ジュリアンの双生児を見出すのはさすが。

 

殺人の動機は金じゃない気がする。

死んだゼーヴィア博士が双子の研究をしていた、ということは、その研究に関係する動機かもしれない。ということは、研究をやめさせようとした双子の母親カロー夫人の線が強いか。

 

ダイイングメッセージ、半分に割かれたスペードの6についての警視の推理は面白かったが、長編向きではない。ゼーヴィア夫人を犯人に仕立てあげる材料としては十分だが。

 

あと手がかりになりそうなのは、消えたダイヤのネイブ、そして盗まれたクイーン警視の指輪。スペードの6と同じように英語絡みだとすると、残念ながら勝ち目はない。あきらめよう。

 

謎のスミス氏はカロー夫人を恐喝していた、で間違いは無さそう。ホィアリー夫人と≪骸骨≫とともに動機もないので犯人からは除外。

 

ホームズはゼーヴィアの助手を務め、ゼーヴィアの研究を知っていた節がある。カロー夫人と繋がっており、殺人を依頼された(または自ら進んで)という線も無くはない。

 

終盤のエラリーの推理から裂かれたダイヤのネイブ(ジャック)は、双子を指し示していると明かされる。

最初にゼーヴィアが掴んでいたのがダイヤのネイブ=双生児、だとするとマークは、双子が犯人だとわかっていてゼーヴィア夫人に罪を擦りつけたことになる。

マークはその後ウソがばれ、追い込まれることになるが、双子が犯人だと知っていたら、すぐに明かしそうなものだが…なぜ逃げたのか。

う~んややこしい。

 

単純にカードだけで言えばフランシス&ジュリアン、もしくは母親のカロー夫人でいきたいところだが、指輪の説明はつかず。

お手上げです。

 

推理

カロー夫人

結果

サラ・イゼール・ゼーヴィア

 

盗癖があるってのはどうなの?と思いましたが、頁211を見返してみると、

これほど、装身具が好きな男が、少なくとも指環のひとつくらいは持っていそうなものだと思わないかね。

クイーン警視が指輪を盗まれる前に既にゼーヴィア夫妻が不自然にも指輪を一つも持っていないことが仄めかされていました。

まあ「指環を一つも持っていない男が珍しい」って感覚が無いので、謎解きに有用な手がかりかどうかは怪しいところですが…

あとは、エラリー自らゼーヴィア夫人に助け舟を出している(頁182)のだけはムカつきます。しかもその前の章で長々と実験までしてねえ

 

 

 

 

 ネタバレ終わり

どうしても、100点満点と言えないのは、やはり不条理な中盤と結末部でしょうか。当記事の冒頭でも絶賛した舞台設定が仇となってか、解決は散漫になっている気がします。

最後だけを切り取ると、完全に別の作品じゃないのってくらい噛みあわせが悪く感じます。

もちろん前半で掲げた作品のテーマをちゃんと畳むためには、結末もしっかり書き切る必要があるのはわかるんですが…

どうもミステリの結末部で感じられるはずの浄化作用が弱めでした。

 

とはいえ、今までのシリーズでは上位に来る佳作ですし、新訳が出たら再読してみたいと思います。

では!

好き、がいっぱい詰まった短編集【感想】オースチン・フリーマン『ソーンダイク博士の事件簿Ⅱ』

発表年:1913~1927年

作者:オースチン・フリーマン

シリーズ:ソーンダイク博士

訳者:大久保康雄

 

 

各話感想

 

パーシヴァル・ブランドの替え玉』(1913)倒叙

犯罪者たちの中でも珍しい“常識家”タイプのパーシヴァル・ブランド氏による犯罪が第一部、その犯罪の謎をソーンダイク博士が科学考証により解き明かすのが第二部、という構成になっています。

フリーマンの巧みな筆致により、倒叙にありがちなドス黒い雰囲気は控えめで、どちらかといえば犯罪者の思考をニヤニヤしながら読めるのが本シリーズ最大の魅力です。

トリックこそ古臭いものの、犯罪までの過程や、どことなく余裕すら感じる犯罪者像が印象に残る本短編集の代表作と言って良い短編ミステリです。

 

消えた金融業者』(1914)倒叙

こちらも犯人像が際立った倒叙作品。

窮地に立たされた悲運の犯罪者、というのがしっくりくる同情を誘う犯人ですが、「罪」は罪でソーンダイク博士は見逃しません。

犯人視点で前半が語られているとはいえ、締めの一文は不穏な空気を醸し出しているのも巧いと思います。

 

ポンティング氏のアリバイ』(1927)

タイトルにアリバイとありますが、アリバイトリックにとどまらない、なんとも贅沢な短編です。

無駄な描写が全くと言って良いほど無く、全ての手がかりが犯人を指し示すよう緻密に計算されています。

 

パンドラの箱』(1927)

バラバラ遺体が登場する科学捜査との相性が良さそうな一作。綿密に計画された犯罪が魅力ではありますが、用いられているトリックもミステリファンならちゃんと読んでおきたい一作。これをちゃんと読み込んでいれば、解けた長編もいくつかあったかもしれません。

 

フィリス・アネズリーの受難』(1925)

そういえばセイヤーズもこの手のミステリをつくっていたなあ、というのは読み終えて思い出したことですが、こちらの方が科学捜査との相性も良く良質なミステリに仕上がっています。

ご丁寧なことに図解入りの解説までされるなど至れり尽くせりの一作です。

 

バラバラ死体は語る』(1927)

解説で、ある倒叙作品との対比がなされていますが、その本質は全然違うと思います。ソーンダイク博士の原動力や注力の大きさが桁違いだし、なんといっても犯人像がまるっきり違います。憎むべき犯罪者をとっちめるのはやっぱり気持ちが良い。

 

青い甲虫』(1923)

暗号もの。

そこまで飛抜けて良い出来ってわけじゃありませんが、『オシリスの眼』などに代表される中東のエッセンスが上手く活きた一作です。

 

焼死体の謎』(1923)

不審な状況で焼死した遺体を巡る謎が中心ですが、どうせ結末は、ミステリにおける「お約束」通りだろう、と本を閉じてはいけません。

終盤の検死裁判では、丁寧な実地検証と、科学捜査を基に、論理的に導き出された美しい真相が提示されます。

 

ニュージャージー・スフィンクス』(1923)

殺人現場に残された帽子を手がかりに犯人を追うフリーマン版『ローマ帽子の謎』…いや、あちらがエラリー・クイーン版『ニュージャージー・スフィンクス』か。忘れてください。

科学捜査の代名詞とも言える顕微鏡を巧みに使い、犯人像を作り上げていく様からは、ホームズを代表とする超人探偵と違った趣を感じます。推理の大きすぎる飛躍は無く、科学捜査から得られた事実を繋ぎ合わせ真相に迫っていくソーンダイク博士シリーズの魅力が最大限に詰まった一作です。

 

 

 

今まで創元推理文庫から発刊された「シャーロック・ホームズのライヴァルたち」シリーズの中から、思考機械ピーター・ウィムジィ卿隅の老人マックス・カラドス、と読み進めてきましたが、やっぱり頭一つぬきんでている気がしています。

どうも贔屓目な気もしますが、科学捜査という尖った要素や徹底されたフェアプレイ精神、人間味あふれるソーンダイク博士のキャラクター、グロテスクな題材と相反するようなユーモラスな文体など、個人的に「好き」な要素がいっぱい詰まった短編集でした。

 

では!

クロフツにしては珍しい人間ドラマ【感想】F.W.クロフツ『二つの密室』

発表年:1932年

作者:F.W.クロフツ

シリーズ:フレンチ警部8

訳者:宇野利泰

 

本作は、父と母を若くして亡くした苦労人アンがフレイル荘に勤め事件に遭遇するまでのⅠ部、フレンチ警部が捜査を開始し、事件が新たな展開を見せるⅡ~Ⅳ部に分かれており、クロフツ初期の数作を彷彿とさせる構成となっています。

フレンチ警部抜きで序盤の物語を成立させてしまうやり方は、『フレンチ警部とチェインの謎』や『ポンスン事件』でも実験済みで、まあ慣れた手つきでさらりと書かれた印象はあります。ただ先の2作よりも物語の重みはずっしり。

アンの容貌や性格も好感が持て、感情移入しながら読めます。

これがクリスティなら、アンに惚れるイケメン軍人や富豪の秘書とかを用意しそうなものですが、クロフツにかかるとこのようになります。

(頁14抜粋)「美人とはいいきれない」「肥満系の体型」に「まるまっちい鼻」と「大きすぎる口」を持ってはいますが、その目には「真実と誠実さが輝き」、「勇気と決断力があらわれた」あご(あご?)を持つ、「有能で、信頼のおける若い婦人」

なかなか主人公にはいないタイプの珍しいキャラクターです。

そんなアンの目線で、フレイル荘に巣食う悪意を細かに書き出す前半が終わると、ようやくフレンチ警部が出張ってきて、地道な捜査が始まるのですが…

 

視点がガラリと変わっているのに反して、物語の展開は緩やかそのもの。もう少しフレンチ警部の動きが活発なら良かったのですが、題材が題材なだけに物語に動きをもたせるのは難しかったのでしょう。

 

また、現場の図解や間取図など、用意されているギミックが多いだけに、どうしても精巧なトリック期待してしまう部分が多いのですが、そちらもクロフツの作風にはマッチせず。

 

人間ドラマを中心にした、どちらかというとクロフツらしくない珍奇な一作ではありますが、これはこれでクリスティっぽくて好きな自分もいます。

ミステリの核は時代の波を超えられませんし、ご都合主義と言われても仕方のない大きな欠陥があるのも事実ですが、ミステリの黄金期に果敢に新しいコトにチャレンジしているわけですから、読者もそれを温かく見守るスタンスで読むのが良いでしょう。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

アン目線で読んでみると最初は、シバラスエディスが不倫関係かと思ったが、相手はアイリーンだった。

 

シビルがアンに心を開いた矢先、あっけなくシビルがガス中毒で死んでしまった。フレイル荘にいる者ならだれでも殺害は可能だろう。

 

ガス漏れのトリックはわからないが、ここはフレンチにおまかせ。たぶん現代の読者は絶対に解らない物理トリック。

指紋の位置によって判明するある真実だが、そこまでドヤ顔で披露されても困る。

 

読者との温度差が凄いが、密室トリック(はたしてトリックと言って良いかどうか)は大丈夫か?

不安は的中し、ガス漏れトリックはかなりフィジカル。

しかも屋敷のあるエリアに、トリックに使用した部品を捨てるなんて、犯人は警察も読者も舐めすぎでは?

 

後半に入り、最有力容疑者のシバラスが自殺したが、他殺(しかも完全な密室)だとするとかなり厄介。

シバラスが実際に犯人で、誰かが自殺を唆したという線もあるが、それなら既にフレンチ警部が一役買っている。

 

ガス漏れトリックに使われたゼンマイの購入者が女性であることは確定なので、フレンチ警部はアイリーン犯人説を推すため証拠固めを始めるが、この設定はまるっとエディスにもあてはまることに気付いた。

 

最序盤の伏線もあることだし、シバラスを自殺に見せかけた密室殺人さえ解ければ万事解決。まさかアレじゃないよねえ…

 

予想

エディス・チーム

結果

勝利

 

一つ目はまだしも、二つ目の密室トリックは陳腐すぎます。

ただ、犯人が最初っから部屋の中にいた、というトリックは、色んな作品で仄めかされているとはいえ、実際にお目にかかるのは初めて

クロフツは、敢えて一番人気を外す、みたいな人間心理を逆手に取ったのかもしれませんが、二つ目が登場するのが作品の終盤ということもあって、本書の中核になるメイントリックに成り得ないことはクロフツ自身が自覚していた節もあります。

 

 

 

ネタバレ終わり

ミステリとしては水準に達するかどうかという微妙な作品ですが、クロフツにしては人間ドラマを中心に据えた珍しいミステリなので、愛着の沸く作品ではあります。

では!

冒険小説にした方が良かったのでは【感想】S=A・ステーマン『六死人』

発表年:1931年

作者:S=A・ステーマン

シリーズ:ヴェンス警部1

訳者:三輪秀彦

 

フランス冒険小説大賞受賞作、という触れ込みで、個人的にも読んでみたかった海外ミステリの一つでした。

「冒険小説」という名称ですが、実際には犯罪小説・サスペンス小説という意味合いが強いようで、たしかに本作でも冒険が重要なキーワードにはなっているものの、ちゃんとミステリの型にははまっています。

 

粗あらすじ

各々が巨額の富を得るために、五年後の再会を誓って冒険へと旅立った6人の青年たち。五年後、そのうちの一人で、目的を達し意気揚々と仲間を待つサンテールの元に突然の凶報が届いた。続々と彼らの元に届く不気味な<親展>の送り主とはいったい誰なのか、はたして6人は無事再会できるのか…

 

 

本作はネタバレ無しの感想が非常に難しい作品です。創元推理文庫版のあらすじやあとがきでも壮大にネタバレされていますので、お読みの際はお気を付け下さい。

 

 

まずは初ステーマンということで、作者のプロフィール紹介から行きましょう。

スタニスラス・アンドレ・ステーマンはベルギーのリエージュ(ワッフル発祥の地)生まれ。なんと14歳から短編を書き始め、16歳にはパリの雑誌に作品が掲載されるなど才能あふれる青年でした。その後も新聞記者として働く傍ら小説をいくつか発表し、ついに1928年ステーマン二十歳の時、同僚のサンテールと共同で長編ミステリを書き上げます。

 

冒頭で述べたとおり、『六死人』がフランス冒険小説大賞を受賞したり、フランスに本格ミステリを根づかせた立役者としての評価は高いのですが、作品に関しては辛辣な評を目にすることもしばしば

本作も着想は立派ですが、物語の造り込みや展開の豊富さが脆弱で、登場人物もイマイチだった気がします。

むしろ発端が魅力的なだけに、どんどん尻すぼみになっていくストーリーや下手くそなロマンス描写がその魅力を削っています。

 

ただ、トリックに関しては鮮烈な印象を残すものがあります。特に不可能犯罪に用いられたトリックと、ミスディレクションが良くできているので、それらを支える物語と特色ある登場人物がいないのがただただ残念と言うほかありません。

とはいえ、「犯行予告」とも受け取れる<親展>や、スリリングな犯人との対峙など見どころが多いのも否定できず…

 

真相に辿り着くための情報が後出しなのがやや気になるところですが、それを差し置いても読む価値は十分あると思いますし、なにより文庫本で200頁ちょっとというボリュームの少なさは魅力です。

ずっしり、どっしりというわけにはいきませんが、軽く読める海外ミステリとしてはそれなりに良い作品だと思います。

 

 

ネタバレを飛ばす

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

 

とっかかりはとても良い。財産分有を誓った六人の冒険者というだけでゾワゾワしてくる。

ただ登場人物が増えてきても、彼らの特徴が全くない。

あっても成功者か敗北者か、男か女か、一般人か警察関係者かくらいの違いしかなく、解り易いと言うより手抜き感が凄い。

サンテールペルロンジュールジェルニコも没個性的で魅力に乏しく、探偵のヴェンス警部に至っては経歴の紹介や心情描写がほとんどなく「お前はどこの誰なんだ」状態が続くので腹が立つ。

これが作者のただのリサーチ不足ならいいのだが、狙ってやっているとなると、この先続編を読むのがためらわれる。

ミステリではなくトリック小説だと揶揄されるのもここらへんが理由だろうか。

 

ただし、赤髭を生やしたサングラスの男、とか航海中の事故など、想像を掻き立てられる雰囲気作りは巧い。

ということで死んだ(とされている)ナモットは忘れないでおこう。

そしてナモットと同船していたジェルニコも第一候補…だと思っていたが、赤髭の男に撃たれたので違うか。

 

エレベーターのトリックはかなりよくできていると思う。まあ今と仕様が違うので、不変の名トリックは言い難いが…

 

財宝(?)の隠し場所なのだろうか、暗号が登場するがそちらは全く触れられない。案外楽しみにしていたのに。

 

物語は淡々と進み、生き残っているのは、サンテール、ペルロンジュール、そしてジェルニコの妻で財産の相続人アスンシオン。そして、死亡が定かでないナモット。

まあ動機・機会が十分なのはナモットだけなので消去法で一択か。

 

 

予想

アンリ・ナモット

結果

マルセル・ジェルニコ

 

う~ん。やっぱりそうか(負け惜しみ)

顔の無い死体ってのは気にはなっていたんですが、名も無き共犯者はちょっとセコくないですかね。

ジェルニコの死体を偽装するなら、ナモットの死体くらいちゃんと発見させてよ、というのはほんと負け犬の遠吠えです。

 

ただ、ようく冷静になって考えてみると、入れ墨の伏線はちゃんと張ってあるし、ナモットが犯人なら、自分の死を装う前にジェルニコを殺すはずだし、一度アスンシオンに財産が相続されたら後から丸ごとジェルニコのものにすることで動機に関しても完璧で、そもそもナモットを殺す機会があるのはジェルニコただ一人、さらにジェルニコの死体が顔無し、ってなったらジェルニコ一択……完全敗北です。

 

 

 

 

ネタバレ終わり

何度も言いますが、本作を紹介するときに用いられるあらすじや、本書のあとがきは兇悪です。(当記事ではだいぶ気を使ったつもりです

本書のネタばらしがあるのはもちろん、他作品のネタバレというリスクもあることから、なるべく予備知識を入れずに読むことを強くお勧めします。

 

あとは蛇足ですが、本書を読んで、若くして成功してもあまり良いことないな、と思いました。

若くして得た名声とそれに呼応する周囲の期待・プレッシャーは、それを本人が乗り越えられるかどうかかなり博奕なところがあると思うのです。昂ぶる自分を律する精神力は、経験を積み重ねて成長していくもの。

ステーマンは本作を書き上げることで、当時巻き起こったミステリという上昇気流に上手に乗っかったのかもしれませんが、ちゃんとした冒険小説としても読んでみたかった気もします。

6人の危険な冒険やそれぞれのロマンス。挫折と成功なんかをまとめれば、それはそれはロマンあふれる冒険小説になりそうです。

 

以上、蛇足も蛇足ですが、他の作品にも興味が沸く一作でした。

では!

クロフツお得意の戦術に嵌る【感想】F.W.クロフツ『英仏海峡の謎』

発表年:1931年

作者:F.W.クロフツ

シリーズ:フレンチ警部7

訳者:井上勇

 

粗あらすじ

英仏海峡間に漂うヨットには不穏な血だまりが残っていた。ヨットはどこから来て、どこへ行こうとしていたのか。また、ヨットで何が起こったのか。フレンチ警部が捜査に乗り出すと、何万もの人間の人生を奪う卑劣な犯罪が徐々に姿を現す。

 

あらすじを見てもわかるように、本作もまた不可解な謎を孕む事件がまず一番最初に登場し、フレンチ警部が地道な捜査の反復によって、少しずつその全容が見えてくるお決まりのパターンです。

前作『マギル卿最後の旅』が鉄道を中心にしていたのに対し、本作では船を舞台に金城鉄壁のアリバイトリックが用意されています。アリバイ、と言ってしまったところでネタバレにはなっていないはず…

 

本作では、不可思議な現場状況や証券会社の横領事件、登場人物たちの動きなど、一つ一つの事実はちゃんと明るみに出るとはいえ、それらを繋ぐ線はとんでもなく細いです。それを書いては消しを繰り返し、一つの形を描き出していく、こんな作り方は、たぶんクロフツしかできないでしょう。

事件の題材である企業犯罪・組織犯罪については、『製材所の秘密』や『フレンチ警部と紫色の鎌』でも取り組んでいますが、本作の方がその質も本格ミステリとしての仕上がりも上です。

創元推理版の冒頭には、英仏海峡付近略図なるものも用意されており、フレンチ警部とともに大陸を縦横無尽に捜査し、想像力を膨らませながら読めるのはやっぱり楽しい。

 

自分が持っている本は古本なので、略図には鉛筆で航路が書き入れられており、前の所有者も相当なクロフツファンだったんだなあとじんわり。

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書き込みもそうなんですが、各地の地名をググったり、名所をGoogleMapで見てみたり、と楽しみ方が読書の他にもあって、余計に読了までの時間がかかってしまうのもクロフツ作品の特徴かもしれません。

 

話を戻します。

ザ・クロフツな魅力がふんだんに盛り込まれている一方で、(あまり期待もしていないのですが)その犯罪を構成するキャラクターが大同小異なので、悪の魅力には乏しく、スリリングなはずのオチも既視感があるため、盛り上がりも今一つ。

ここらへんが本作の評価を少し下げている要因かもしれませんが、そんなこと気にしないでください。

本書最大の魅力は豊富なミスディレクションとスタイリッシュな手がかり提示にあります。読者がフレンチ警部を盲信しすぎる所為かもしれませんが、膨大な仮定の中にさりげなく忍ばされた真実と、ミスディレクションのバランスが絶妙です

地味な文体や、船やエンジンの仔細な描写に飽きなければ、しっかり騙されること請け合いです。

 

また、クロフツの遊び心なのか本作には、彼のノンシリーズの探偵たち、『ポンスン事件』のターナーと『製材所の秘密』のウィリスが登場します。彼らは、フレンチ警部の同僚として、しっかり『英仏海峡の謎』を解くための捜査に協力してくれるので、クロフツファンなら一度は目を通しておきたい作品かもしれません。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

英仏海峡に漂うヨット内で起きた事件、ということで何が起こったのか全く分からない五里霧中な雰囲気はさすが。

 

背景にある詐欺事件から動機は容易に想像できるが、犯人当てになると格段に難易度は上がる。

フレンチ警部の捜査を辿る限り証券会社の重役の誰かが犯人に違いない。

未だ消息の掴めないレイモンドエスデールのどちらか、または両人だろう。

あとは彼らがどのように事件を起こしたか事件を構築していくのみ。

 

なんだ、いつものクロフツ流企業犯罪の暴露話か…と思っていたら終盤レイモンドが捕まり、エスデールが死んでいたことが判明。

 

まさか…まさかね。

 

推理 

ノラン

どうやって実行したかは不明

 

結果

消去法で正解だけはしましたが、エンジンを増設することで犯行を可能にした物理トリックには参りました。

ノランがどうしても現場に間に合わなかった事実がかなり序盤で証明されていたため、完全に犯人から除外してしまったのですが、これも良くクロフツが使う戦術の一つです。何回引っかかったら気が済むんだ…

とはいえ、この手法はかなり有効なように思えます。

フレンチ警部の、地道ながらも堅実な捜査によって得られる数字に基づいた傍証を見る限り、ノラン犯人説を支持する物証はほとんどありません。以後の作品では気を付けましょう。

 

 

 

 ネタバレ終わり

読書メーターでも書いたのですが、多少はクロフツ作品への愛情がなければ苦しい部分もあります。

前半の摩訶不思議な状況はとっかかりとしては十分で、何が起こったのかを証明する過程は楽しめます。

ただひと度事件のあらましが見えてしまうと、後半の追走劇はかなり退屈です。舞台をフランスに変え、バディものっぽく目線を変えながら捜査が進むのですが、この点でも前作『マギル卿』に比べるとキャラクターが魅力が弱いのは問題です。

 

前半でも述べましたが、ターナー警部と軽口をたたきあうフレンチ警部の新たな一面を見るためだけにでも、さらっと読んでみる価値はあるんじゃないかと思います。

 

では!

控えめに言って傑作【感想】イズレイル・ザングウィル『ビッグ・ボウの殺人』

発表年:1892年

作者:イズレイル・ザングウィル

シリーズ:ノンシリーズ

訳者:吉田誠一

 

ひと月以上前に読んだ作品ということもあって、いかんせん記憶が曖昧で、抜けているところがあれば申し訳ないのですが、まあ面白かったのは覚えています。

再度片手に本書を持ちながらぼちぼち書いてみようと思います。

 

まず第一印象で言うと、表紙が途轍もなくカッコいい。自分が持っている海外ミステリの中でも群を抜いてカッコいいです。(逆にカッコ悪い部門代表は、レックス・スタウト『毒蛇』)

 

そして、表紙をめくってすぐ現われる、作者による序文がまたクール、そして面白い

自身の作品を自画自賛しながらも、読者諸氏と出版社に感謝の気持ちを述べ、ミステリというジャンルの核心にふれながら、最後にはクスリとくる小技を忍ばせています。

この序文だけ読んでも、イズレイル・ザングウィルがどんな作家だったか窺い知れるというものです(書けませんが)。

 


あらすじは至ってシンプルです。

濃霧立ち込める冬のロンドンで、ある朝、下宿屋を営むドラブダンプ夫人は戦慄の光景を目の当たりにします。凄惨且つ残忍な事件ははたして自殺なのかそれとも…最有力容疑者を前に、ロンドン警視庁の敏腕刑事と退職した元刑事が事件の解明に火花を散らせるが、裁判の日は刻一刻と近づき…

 

約200頁という頁数からわかるように、序盤から数程よいテンポで事件が起き、登場人物が紹介され、着々と捜査が進展します。

その中でも謎の中心はやはり密室トリックです。

1892年という年代を考えると、どんなトンでもない眉唾物のトリックが使われているのかと訝しんだのですが、物語が纏う雰囲気はいたって王道で堅実なのがなんとも不思議な感じでした。

 

また、密室トリックに頼り切ることなく、登場人物の人間描写にも磨きがかけられています。彼らの会話は無味乾燥なものではなく、謎に直接関係が有るものから全く無いものまで、ユーモラスで生きた会話に思えます。

もちろん被害者のライバルが有力な容疑者なのは言うまでもありませんが、その他の登場人物からも、それとなく怪しい臭いがするのが巧みです。

 

そして、ここに探偵同士の推理合戦の趣向がびたっとハマっているのも見逃せません。無実かもしれない容疑者を死刑執行までに救う、というタイムリミットサスペンスの趣もあって、よくぞここまでミステリの旨味を全て詰め込みながら、物語を綺麗に畳んだものだと、ただただ驚くよりほか在りませんでした。

 

驚き、でいうと、犯人・トリック・物語のオチの3点すべてにサプライズが用意されているのも圧巻です。

今まで読んだ海外ミステリの中でも一種の凄味すら感じる素晴らしいミステリでした。

 

ここからはやや蛇足です。

本書に登場する稀代の密室トリックはカーに、ユーモラスな文体はセイヤーズに、センスあふれる会話とキャラクターはクリスティに、といった具合に、本作から数十年後に産声をあげる黄金時代の作家たちに多大な影響を与えたと妄想すると、本書がミステリ界の歴史の1ページ目に飾られるべき、傑作ミステリという評は、あまり大きく的を外していないのではないかと思います。

 

 

ネタバレを飛ばす

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。


冒頭から冬のロンドンの叙景描写だけでも笑わせられる。すごいな。

個人的には、景色や無機物に温か味を付加する文章を書ける作家はたいてい好み。

 

序盤からサクサク事件が進み、検死審問、探偵たちによる捜査開始、となるのも良い。

最有力容疑者はもちろんモートレイク

ドラブダンプ夫人の時計が狂っていたのもアリバイトリックを連想させるし、動機も十分。

あとは密室トリックだが…


詩人のキャンタコットがどんどん怪しく見えてきた。

美を重んじ、“社会のため”という労働運動指導者の考えを唾棄する彼の特性は、この事件に妙にマッチするように見えてならない。

クラウル家に滞在していながら、家賃すら払わず、「催促する側の怠慢」などと平気で言ってのける捩じくれた精神の持ち主を、簡単には信用できない。

 

被害者の婚約者が消えたのも事件の香りがする。

キャンタコットが彼女について情報を知り過ぎていたのも気になるし、男女関係が原因の殺人もありえるか。

問題は彼が底抜けのバカっぽいことと、密室トリックが全く分からないこと。グロドマンがなにかしらの手がかりを見つけることをただただ願う。

 

いよいよモートレイクが逮捕され、裁判で密室トリックが明かされるが、中々イイ線行っていると思う。

ただ頁数的にこれで終わりじゃない?

トリックは合っているが、動機と犯人が違うということだろうか。ここらでお手上げ。

 


推理

デンジル・キャンタコット 

結果

ジョージ・グロドマン

 

 

ジョージ・グロドマン!!!!?

いやいや、そんなはずはありません。

事件を発見した時、ちゃんと彼は死んでいたはず……

書いてませんでした

うまくはぐらかされていました。

脱帽です。

 

検死審問時での再現のための証言は、当然の如く犯人なので嘘をつくわけで、叙述における仕掛けと、裁判での嘘という現実が境目なく繋ぎあわされているのが美技です。

 

グロドマンの動機については、少し難易度が高いかなとは思うのですが、退職し(やりきった)刑事ということと、犯罪者たちについて異常な興味があるという伏線から、その臭さに気付けた気もしないこともない…です。

改めて読み返すと、キャンタコットの「あなたはすぐ相手をとっつかまえる」というからかいに対して、

頁80「いや―もう引退したよ」

は、やや闇を感じます。

 

また、ドラブダンプ夫人の時計が狂っていたのが全く事件に関係なかった点は、控えめに言って好きです。

この伏線が、物語の謎と解決の中心になっていたら本書を投げ捨てていたでしょうが、その他の要素の出来が良すぎで何も気になりません。

これだけやりたい放題して、その水準も高いんだから、後世の作家たちは頭を悩ましたに違いありません。ご愁傷さまです。

 

 

 

ネタバレ終わり


解説を読んで気付かされるのですが、本書には若干の違和感があります。

作者の信条というか思想がちょっと漏れ出ている点です。

ここらへんがチェスタトンっぽい、と受け容れることができるか、なんだかよくわからず鬱陶しいと感じるかは人それぞれですが、もしキツくなっても是非我慢して読んでみてください。

 

古典ミステリの傑作?

いやいや…

 

ちょっと語彙があれなんでアレしますが…

 

いやいや(笑)最高です。

なんだこれ…

では!

ルパン史上最強最悪は伊達じゃない【感想】モーリス・ルブラン『水晶の栓』

発表年:1912年

作者:モーリス・ルブラン

シリーズ:アルセーヌ・ルパン6

訳者:平岡敦

 


だいぶと久々の更新になってしまいました…身体的にも精神的にも追い込まれた年度末・年度初めでしたが、ぼちぼちと「いつもどおり」を取り戻し始め、やっと4月1冊目を読み終えたところです。


読書計画で言いますと、昨年月一ポワロを宣言したはいいのですが、あまりに1940年代を駆け足にすぎさってしまうため、残念ながら断念しました。

ということで、今年の前半はクロフツ祭りと並行して年2ルパンは引き続き読んでいこうと思っています。

 

ルパンシリーズは結構勢いが必要とされるので、なるべく早め早めに消化していきたいところ。

とはいえ、早川文庫から出された本作『水晶の栓』は新訳版ということもあって、思ったよりすんなり読み終えた印象…なのですが、コレがやっぱり旧訳だったら、と想像しただけでゾッとします。

 


あらすじはいつものルパンらしく至ってシンプルです。

謎の秘宝「水晶の栓」を巡る、政界の大立者、大富豪の貴族、フランス政府、そして怪盗紳士が入り乱れてのお宝争奪戦が物語の筋。そこに、シリーズ最強最悪の敵とルパンの攻防や、人妻(!?)とのロマンスが組み合わさって本作は構成されています。

 

前作『813』や前々作『奇岩城』といったスケールの大きい冒険活劇からは、グッと舞台が限定されたことで、本格ミステリよりの造りになっているのもポイントです。

メインである「水晶の栓」の謎については、作中でも仄めかされている通り、ポーの多大な影響を受けたことがわかります。

出来は…まあ好きです。

有名なトリックだけに、ネタバレ前に読めればラッキーかもしれません。自分も知らず知らずのうちにネタバレされていた気がします。

 


本作最大の魅力はやはり、シリーズ最強最悪の敵とルパンの対決でしょう。『怪盗紳士ルパン』~『813』まで、歴代の悪人たちとの頭脳戦で快勝してきた、あのアルセーヌ・ルパンが、ここまでこてんぱんに惨敗しまくるのを見るのは、ジャイアントキリングを見ているようで快感だったりもします。

また、倒叙のように、逆に犯人が判明しているからこそ体感できる面白さもあって、とにかく敵のデカさと、ルパンの失敗との対比を純粋に楽しむのが吉。

敵対する敵も、その時々で変容し、四つ巴と言っても過言じゃないほど混雑した展開にも関わらず、案外すっきりとまとめられています。

前作『813』との時系列も無茶苦茶なので(たぶん『奇岩城』の後)、関連性もほとんどなく、シリーズ初心者でもすんなり入り込み易い作品です。

 

ルパンお得意の変装はもちろん、強大な組織のリーダーとしての手腕も堪能できる本作は、『813』や『奇岩城』と言った高名な作品の影に隠れてはいるものの、入手難易度、読み易さの観点からも是非オススメしたい一作でした。

 

では!

ベスト・オブ・バンコラン【感想】ジョン・ディクスン・カー『蝋人形館の殺人』

発表年:1932年

作者:ジョン・ディクスン・カー

シリーズ:アンリ・バンコラン4

 


アンリ・バンコランものは約1年ぶりでした。前作『髑髏城』は、ドイツの古城を舞台に、禍々しい雰囲気がダイレクトに伝わってくる作品で、仏独の二大探偵同士の推理合戦にも捻りが加えられた、バンコランものではベストだと感じたミステリでした。

ただ、それも本作に挑戦するまでの話。

バンコランものというだけでなく、今までのカーの作品の中でもベスト級の作品かもしれません。(個人差がございます)

 

まずは

粗あらすじ

行方不明の令嬢が最後に目撃されたのは、グロテスクで妖しげな蝋人形館だった。捜査の為、蝋人形館を訪れたバンコランとジェフ・マールは、そこで蝋人形以上に怪奇で恐ろしい光景を目撃する。おどろおどろしい蝋人形館と、退廃的な仮面クラブを繋ぐ不可思議な謎と、謎を取り巻く人物たちの秘密を、バンコランは解くことができるのか。

 

まず、導入部の空気作りが完璧です。これだけで海外ミステリを読むだけの価値というか、お金を払った元は取れたんじゃないかってくらいの見事な造り。

典型的なザ・悪党が登場したかと思うと、すぐに蝋人形館へと誘われ、次々と不可解で怪奇の趣たっぷりの事件が起こります。

 

今までのバンコラン作品と比べても、探偵バンコランの行動範囲や、事件の展開がかなり広く、大きくなった感があります。

所々で怪しい手がかりやヒントらしきものが披瀝されるので、カーが何かひっかけようとしていることは判るですが、舞台の移り変わりの多さ=読者の視点が巧妙に散らされるせいで、真相が一層見えにくくなっています。

 

登場人物に工夫が凝らされているのも作品の魅力でしょう。

暗黒街の大物ギャランや蝋人形館の窓口係マリーなんかはその代表格。

バンコランに敵うかと言われれば、到底勝ち目はないように思えるのですが、それでも対抗しようという意思は見え、一筋縄ではいかない事件全体の雰囲気を押し上げています。

 

また、蝋人形館だけでなく、舞台が曰くつき仮面クラブに移った後でも、雰囲気を損なうことなくむしろ盛りあがっていく点は、カーの素晴らしいストーリーテリングの賜物です。

助手で語り手であるジェフ・マールの、手に汗握る冒険劇も含めて、読者の興味と興奮を、常に高いレベルに維持したまま、完成度の高いミステリを成立させているのも特筆すべき点です。

 

そして極め付けは、遊び心と言うにはブラックすぎるオチ

オチの少し前には、驚愕の真相が明かされますが、その余韻に浸る間もなくもうひと波乱起きるのには、ただただ拍手。

もう本当カーって最後の最後まで容赦ないというか、働き者というか…読み返してみると、カー特有のやりすぎ感はこれでもかと感じるのにもかかわらず、巧みな筆致と高尚なフェアプレイ精神でもって、それを気付かせないところに本作の魅力は詰まっています。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。


蝋人形館で起こる事件は、怖いもの見たさで何度も読み返してしまう。

『夜歩く』や『黒死荘』よりもわかりやすい直接的な怪奇描写なだけに、今の読者にも伝わり易い一方、シンプルで素朴な題材をちゃんとらしく、しかも恐ろしく描けるところに、やはりカーの天賦の才を感じる。


仮面クラブの存在が明るみになったことで、典型的な悪党ギャランがちゃんと事件に絡んでくるのも巧い。

悪党であることには変わりないが、本殺人事件の犯人ではない…と思っていたが、決定的なアリバイがあるのは怪しいし、殺人の機会は十分にあるようにも思える。


被害者から推理してみよう。

オデット、クローディーヌジーナという3人の娘を取り巻く人間関係が手がかりなはず。

オデットの婚約者ロベールがオデットのスキャンダルを知り激怒しての犯行も考えられるし、オデットの幼馴染でクラブの会員ロビケーも彼女たちに思いを寄せていた節がある。

オデット、クローディーヌ、ロベールの三角関係も薄ら見えてくるので、交換殺人の可能性もあるかもしれない。

 

個人的には、蝋人形館の館主オーギュスタンを推しておく。

マリーがクラブの窓口かかりになって、毎夜多くの客を館内に引き込み、報酬として多額の収入を得ている事実を全く知らないというのが考えられない。馬鹿を演じている可能性は無いだろうか。

つまり、クラブを牛耳っているのはギャランではなくオーギュスタンなのでは?

そして、ギャランではなく、オーギュスタンを強請ったオデットを殺し、目撃者のクローディーヌも殺したのではないか。

論理的に提示できる証拠は皆無だが、オーギュスタンの証言(館の閉館時間について頁49)の裏付けをしていないのは気になる。

彼がウソをついていれば、たった数分だが殺人とその後の細工は簡単にできたはず、彼がクラブの会員であればすんなり逃走経路も確保でき犯行も可能だろう。

いや、そもそも彼がクラブの経営者なら何の問題もない。

これでいこう。

 


推理

オーギュスタン

結果

マルテル大佐

惨敗です。

こんなの当てれる読者はいるんでしょうか。

かなりトリッキーなのに不思議と読後感は悪くありません。蝋人形館の入場券に関する手がかりなんかは意地が悪すぎます(良い意味)。

犯人であるマルテル大佐の、堂々とした手がかりの提示が、彼の性格(キャラクター)と齟齬が無く一致しているのも、ストーリーに説得力を持たせている要因です。

なにより探偵のフェアプレイ、ではなく犯人のフェアプレイ精神というだけで、肌が粟立つのを感じます。こんなの見たことない。

そして彼の姿と絶妙にマッチするのが、白眉の結末です。

一見ミステリでよく見かける凡庸なラストかと思いきや、『蝋人形館の殺人』犯を暴いた後で、さらなる謎を提示し、明確な解答なしに物語を終了させてしまうカーの手腕には、驚嘆しかあり得ません。(この手の物語をリドルストーリーと言うそうです)

この点『火刑法廷』とは違い、ジャンルを怪奇と限定してしまう幅の狭さではなく、物語の余裕さえ感じられます。

 

何度も言いますが、カーのベスト級としても、推理小説界に輝く名犯人・名ラスト作品としても、見かけ(タイトル)以上に大きな存在感を放つ作品でした。ちなみに他のカー名犯人作品は『魔女の隠れ家』を推します。

 

 

 

ネタバレ終わり


カーの作品は、よく出来不出来に差がある、などと評されますが、今まで読んできて、悪いところにはそれなりに「悪い」という良さがあるように感じています。

本作にも、敢えてお約束を破るような意地の悪さはあるのですが、それが全部美点に変換されているような気がしてなりません。

 

本作は時系列順に読む必要があまり無いので、カーのフェル博士やH・M卿もの以外をお探しの方は、是非新訳版『蝋人形館の殺人』を手に取ってみるのをオススメします。

 

では!

新潮文庫オリジナルがオリジナルすぎる【感想】アーサー・コナン・ドイル『シャーロック・ホームズの叡智』

発表年:1892~1927年

作者:アーサー・コナン・ドイル

シリーズ:シャーロック・ホームズ

 


シャーロック・ホームズは実に約1年ぶりでした。ただ本作は、実際にアーサー・コナン・ドイルが発表した短編集ではなく、新潮文庫の発刊の都合上カットされた作品をまとめた、新潮文庫オリジナルの短編集です。なので今回は、短編集が発表された順に各短編の感想を残しておくだけの記事になってしまいそうです。

 


冒険』より『技師の親指』(1892)

前回の感想記事『事件簿』でも軽く述べたとおり、本作は事件自体の不可思議さにフォーカスしただけ作品で、明らかに『赤毛組合』の系譜を汲むミステリでしょう。

ただし、犯人が用いた場所を特定させない小トリックは秀逸で、一読の価値はあります。

 

緑柱石の宝冠』(1892)

事件自体はありきたりな盗難事件ですが、登場人物に用意された仕掛けにまんまと嵌ってしまいました。どちらかというとクリスティが得意そうなシチュエーションですが、コナン・ドイルも負けてはいません。


思い出』より『ライゲートの大地主』(1893)

どことなくコメディタッチな作品です。保養のために訪れた地で事件に巻き込まれたり、ドタバタと格闘劇があったりと、フワフワしたまんま事件は終わります。

ホームズの指摘する字に関する手がかりも面白くはあるのですが、信憑性にはやや欠く印象があります。


帰還』より『ノーウッドの建築業者』(1903)

本書では数少ない殺人事件を取り扱った一作です。

犯人や犯人が弄した策が見え易いだけに、どうなることかと心配しましたが、これまた絶妙な搦め手が用いられています。

どちらかというとメタっぽいトリックと、警察の捜査を逆手に取ったトリックの組み合わせも良いです。


三人の学生』(1904)

不可思議な事件や、独創的なトリックではなく、ミステリと人間ドラマを和えるところにコナン・ドイルの才能が見えます。

簡単に言えば、カンニングしたのは誰だ、というお話なのですが、結末部ではシャーロック・ホームズが凄く大人に見える不思議

 

スリークォーターの失踪』(1904)

大きい枠組みで見るとタイムリミット・サスペンスなのかと思うのですが、いつの間にか、これまた人間ドラマに変容しているのが笑えます。

本作も不可思議な事件を題材にしたミステリで、怪しげな人物(奇人)が登場するだけに、もっと事件は発展するかと思いきや、結末はこじんまり。

 

事件簿』より『ショスコム荘』(1927)

事件全体には陰惨でグロテスクな雰囲気が漂っており、ドイルらしい演出が光る作品です。まるで『白銀号事件』で登場する「吠えなかった犬」に対成すかのような、「吠えた犬」の手がかりが印象的です。


隠居絵具師』(1927)

これまたドイルらしい筆致でもって、暗くドロドロとした空気に満ちた作品。

安楽椅子探偵っぽい立ち位置にいるホームズも作品にマッチしていますし、ワトスンを通して読者が得られる手がかりもちゃんとミステリに機能している点も、本書いち堅牢なミステリだと思います。

一点だけ、この手の構成は、後年あのアントニイ・バークリーも用いていたので、なんらかの影響があったのかな、と訝ったりもします。

 

 


全体を眺めると、それほど違和感はないものの、さすがに30年にも亘って発表された短編をむりくり一纏めにした事実があるので、やはり各短編集毎に本書を参考にしながら並行して読むのがベターだと思います。

これでシャーロック・ホームズシリーズは、めでたく全作読破となりました。

短編ベスト10とかもやってみたい気もするのですが、短編によって全然ジャンルが違うのは悩ましいところ。少し時間を置いて再読しながらじっくり考えます。

 

では!

会心の一撃が当たるかどうかが問題【感想】F.W.クロフツ『マギル卿最後の旅』

発表年:1930年

作者:F.W.クロフツ

シリーズ:フレンチ警部6

訳者:橋本福夫


裏面の解説には、

著者の作品の中でも一、二を争う名作

と評されていましたがどんなもんでしょう。

 

タイトルに「旅」が入ってるため、これはまたフレンチ警部が「捜査」と称して色々楽しみながら旅してまわるのだ、と思っていましたが、ほぼ正解でした。

 

粗あらすじ

引退した事業家マギル卿が北アイルランドで失踪した。血痕の付いた帽子が見つかったことから、何らかの事件に巻き込まれたことだけはわかった。マギル卿が辿ったであろう、ロンドンから伸びた鉄道線上で一体なにが起こったのか。フレンチ警部はアイルランド警察と協力して事件の真相を究明する。

 

今までのフレンチ警部シリーズと比べても、がっつり鉄道がミステリに絡んでくるため、たしかにクロフツお得意のアリバイとの関連性も強く、一、二を争うクロフツらしい作品ではあると思います。

ただ、全体的に見るとただの旅行記であり緻密な捜査記録以上のものではない、というのが辛口な感想です。

 

文庫本で400頁近いボリュームではありますが、フレンチ警部が異国の警察とタッグを組み、特に本作の相棒であるマクラング部長刑事との相性がかなり良さげなので、彼との捜査会議やイングランドから北アイルランドまでの各地の叙景描写だけでも読ませるものはあります。

逆に、これだけ序盤で怪しい人物にライトが当たってしまえば、読ませるなにかが無いと、相当キツイ作品です。

 

ひとつミステリとしてやるな、と思わされたのが、会心の一撃系の手がかりの配置です。よくわからないと思うので簡単に説明しますと、会心の一撃、つまりはその一つの手がかりだけで形成を逆転させてしまうほどの、また犯人ないしは真相が一撃で判明してしまうほどの、重大かつリスキーな手がかりのことです。

ここは、ミステリとして理想的な形で用意されており、経験豊かなミステリファンをも満足させる手がかりなのではないでしょうか。あくまで会心の一撃を外さなければ、の話です。

 

この点作者クロフツも相当の自信があったようで、手がかりから導き出される真実を、同僚刑事たちに教授するフレンチ警部の異様なテンションからもよく伝わってきます(頁347)。

問題は、それ以外の捜査記録が多すぎることなので、残念ながら万人にオススメできるクロフツ作品ではありません。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。


「マギル卿」最後の旅ねえ。

ゲームの慣習(最近ハマっているワード、詳しくはコチラ)に基づけば、ジョン・マギル卿自らの策謀という予想もできるが、そこまでトリッキーなことをクロフツははたしてやるだろうか(冒涜)。


序盤からジョンとヴィクターがそっくりだとの伏線(頁44)がこれみよがしに張られている。ジョン卿の足取りを追う中でヴィクターが絡んでいる可能性は高いか。

また、イングランドと北アイルランドを結ぶうえで、どうしても船が登場することから、犯行があったとされる期間に船旅をしていたヴィクター一行はどうやっても怪しく見えてくる。

 

さらにはジョン卿をペテンにかけようとしたジョスがヴィクターの仲間…これは易しい。

 

こうなってくると、作者には悪いのだが、犯行の過程を一から推理しようとする原動力がもう無い。

 

事件構築の流れは興味深く、読み物としてはすこぶる楽しいのだが、謎探偵としての企画はここらでおしまい(すいません)。

 

推理

ヴィクター・マギルとその他(ジョン卿の遺産を狙った組織的犯罪)ジョン卿はロンドンからの鉄道内で死亡し、ヴィクターがジョン卿になりすまして攪乱させた。

結果

勝利

事件の見え易さは置いておいて、ジョスの決定的な証言を引き出した(頁192)フレンチ警部の手腕はさすがです。

正直、ジョスの立ち位置にもう少し頭のまわる人物がいれば状況は変わっていたのかもしれませんが。

 

あとは、犯人逮捕の決め手となった中古のタイプライターが問題です。あんなの真っ先に処分すべきもののはず。タイプライターだけがご都合的な手がかりなってしまっています。

 

 

 

ネタバレ終わり

以上著者の作品の中でも一、二を争う名作かどうかは諸説ありそうですが、冒頭に用意されている地図を見返しながら、また、作中に登場する各地の情景をGoogleマップと比べ合いながら、海外ミステリを通して旅する感覚を味わえるのは、クロフツ作品の大きな美点です。

 

まずは、同じような雰囲気を持つシリーズ一作『フレンチ警部最大の事件』を読んで、好みに合いそうなら是非本作にも挑戦してみてください。

ちなみにフレンチ警部ものでは過去作についての描写がちょこちょこあるので、なるべく順番通りに読むのがオススメです。

※本作では『海の秘密』『~紫色の鎌』の記述が若干あります。

 

では!

後世に影響を与えた(であろう)歴史的な一作【感想】ガストン・ルルー『黄色い部屋の謎』

発表年:1908年

作者:ガストン・ルルー

シリーズ:ジョゼフ・ルールタビーユ1

訳者:宮崎嶺雄

 

昨年末にホームズ時代に属する歴史的なミステリをいくつか入手できたので、今年の前半はそれらを消化しながら、クロフツ祭りができれば、と思っています。

今日は、前者の歴史的なミステリからこの一作。

超有名な作品だけあって、多くの出版社から様々な訳で翻訳されています。当記事で行う引用などの表記は全て、今回読んだ創元推理文庫の宮崎嶺雄訳を基準としておりますのでご了承ください。

 

粗あらすじ

物理学の権威であるスタンガースン博士を父に持つマチルダ嬢が、<黄色い部屋>で襲撃された。父親と老僕が部屋に押し入ったが、犯人の姿は見えず、部屋も完全な密室であったことがわかる。パリ警視庁屈指の名探偵が、この怪奇な事件の解決に乗り出す中、新聞記者ルールタビーユ青年もまた、特ダネそして真相の解明を狙っていた。

 

感想の結論から言えば、「歴史的な」という枕詞と許容の心が無ければ、手がかりの後出し部分が常に気になってしまい、他の良点が目立ちにくいかな、という印象です。

ただ、読者を驚かせようとする工夫が随所に盛り込まれているのは意外でした。(密室トリックも形だけのものかと疑っていたので)

 

たぶん後世の推理小説作家たちは、本作のエッセンスから名作たちを生み出したんだろうと、想像を掻き立てられます。

この部分を膨らましながら感想を書いていきたいと思います。

 

ルールタビーユ青年について

探偵役のルールタビーユ青年は弱冠18歳。これまでも警察に何度か協力し難事件を解決に導いている新聞記者です。

これはフィリップ・トレント(E.C.ベントリー)やアントニイ・ゲスリン(フィリップ・マクドナルド)を連想させます。

もちろんモーリス・ルブランのアルセーヌ・ルパンシリーズ『奇岩城』に登場した、ボートルレ青年とのキャラクターの酷似も避けられません。

警察とは関係の無い一般人でありながら、若く頭の回転が早い青年で、美しい女性に惹かれながらも、難事件に挑む。というのも似通った部分であることから、本作が後世に大きな影響を与えたことが窺えます。

また、素人探偵を配した時点である程度察すことができるのですが、どうも警察機関が空気というか無能ぶりが曝け出され、軽視されているように感じ、現実味が無いのはこの手の作品が抱えるデメリットでしょう。

その点『トレント最後の事件』や『』では、素人探偵の旨味を活かして、上手に解決されていたような気がします。

 

<黄色い部屋>の密室について

本書のトリックは、カーの『三つの棺』内の密室講義でもネタバレされているほど、高名なもの。

よって、該当作を読む際には注意した方が良いのはもちろんのこと、密室と言えばカー、とまで言われるほど密室の扱いに長けた彼が、影響を受けたと思しき作品なのですから、一読の価値はあります。

 

肝心の中身は、可以上良未満といったところでしょうか。ネタバレ回避のため多くは解説できませんが、物理・心理両面の歯車が、ガッチリ合ったものに仕上がっているのにはさすがの一言。

トリックだけでなく、登場人物の配役の妙技もさりげなく忍ばされており、密室の発展性の高さを世間に知らしめた作品と言って良いと思います。

 

 

全体的には無駄が多く、もっとすっきりできた気がしないでもないのですが、ここらへんは好みの範囲でしょう。

個人的には、ややまどろっこしいというか、勿体ぶった展開にやきもきしましたが、幸いなことにアルセーヌ・ルパンシリーズで耐性が付いていたのかなんとか乗り切れました。

それでも尚、話の横筋が散乱しているのは無視できないため、テンポの良いミステリが好みの読者は苦労するところもあるかもしれません。

 

とはいえ、解決編まで到達することができれば、あとは手に汗握る法廷シーンが待っています。

100頁近くある法廷シーンでは、M-1の優勝発表前のCMかというくらいぐいぐい引き延ばされながら、放置されていた全ての謎に真相が提示されていきます。

多少の根気は必要でしょうが、歴史的な一作としても、読者の興味を巧みに煽る解決編を読むためにも、チャレンジしてみることをオススメします。


最後に、今回読んだ創元推理文庫の宮崎嶺雄訳ですが、傍点や≪≫が多用されすぎていて、読みにくさ2割増しくらいにはなっていると思います。

ハヤカワ文庫の『黄色い部屋の秘密』を試し読みしてみたところ、本書よりも効果的に且つ必要最低限の強調がされているように感じました。

読み比べた方は、どのような違いがあったかご教授いただければ幸いです。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

これ、やっぱりモーリス・ルブランのボートルレ青年(『奇岩城』)まんまだな。そりゃガストン・ルルーも激おこだわ。

 

導入部からさらりと密室事件が紹介され、ワトスン役のサンクレールとルールタビーユが現場に赴くところまではテンポも良い。

ただ、ルールタビーユの含みを持たせた台詞にはイライラさせられる。なんか知っているなら言えよ。

 

<黄色い部屋>の密室状況については、堅牢すぎてぐうの音も出ない。これを論理的に解決できたら大したもの。

間取図があることから、これを用いた物理的なトリックがあるのだとは思うのだが、なにも思いつかない。

 

密室トリックに注目しすぎるのは危険なので、被害者や動機についても考えたい。

被害者マチルド嬢が何かを隠しているのが気になるところ。犯人を知っているか、自身に何か過失があり、犯人を暴けばその事実も明らかになってしまうかの二択だろう。

動機は、マチルド嬢の態度から考えると、スタンガースン博士の研究というのは弱いか。

マチルド嬢への憎悪だろうか。

アメリカにいたときの元彼というのもアリだろう。

となるとアーサー・ランス一択になってしまうが…

 

再びマチルド嬢が襲撃された事件で、ほぼ犯人については見えてしまった。

廊下の真ん中で鉢合わせて、急に犯人が消えるなんてことはありえない=その中の誰かが犯人であることは決定的。

スタンガースン博士は、ルールタビーユと一緒に走っていたので除外。となると後はジャック爺さんか探偵のラルサンしかない。

探偵が犯人か…なかなか面白い試み。

 

第一の事件を考えるとジャック爺さんには鉄壁にアリバイがあるため除外できる。

根拠はないが、ラルサンがマチルド嬢の元彼なら、彼がダルザックに罪を負わせたがっているのも納得できるし、ダルザックへのミスディレクションは全てラルサンを発生源としているのでほぼ確定で良いだろう。

あとは密室トリックのみ…

 

推理

フレデリック・ラルサン(マチルド嬢への憎悪)

結果

勝利

 

粗削りなところもありますが、密室トリック(だと誤認させるトリック)に関しては、概ね満足です。

物理的な問題を忌避したことでややセコイ印象を受けますが、マチルド嬢が(密室においてのみ)共犯した伏線はちゃんと用意されていますし、第一の密室に頼りきりになることなく第二の事件を発展させるなど、ミステリとしての造り込みは、すでに黄金時代と遜色ないプロットです。

さらに、密室以外にもラルサンが犯人であることを指す手がかり(ステッキ)がちゃんと用意されているのも素敵です。ステッキだけに。

 

本作以降、物理的な密室を作り上げる動きが活性化してきたことは言うまでもなく、後世の名作とされる密室ミステリの原石としてもミステリファンなら絶対に見逃せない一作です。

 

 

 

ネタバレ終わり

二度三度と再読できるかといえば、物語とキャラクターにそれほど深みはないように思えます。

ほぼ続編が確定的なルールタビーユの第二作『黒衣夫人の香り』を読んでいないため、最終的な判断はできかねますが、どうも純粋なミステリとは程遠い様子。

ルールタビーユ自身のキャラクターにしても、シャーロック・ホームズのように日々の研鑽と鍛錬から得た広範の知識は無く、ただ頭の回転の速い若造に留まっているのも残念です。

 

では!