生涯ベストテンの一角【感想】アントニイ・バークリー『第二の銃声』

発表年:1930年

作者:アントニイ・バークリー

シリーズ:ロジャー・シェリンガム5

 

じつは、本作に挑むまでに処女作の『レイトン・コートの謎』しか読んでいなかったため、何作か飛ばして本作を読むのには若干の躊躇いがありました。

そんな躊躇いを消し去ってまでも、本作に挑戦した理由は、前回の投稿であるミルワード・ケネディの『救いの死』(国書刊行会)を読んだからです。

先の解説では、『第二の銃声』との共通点について触れられていましたが、私は該当の箇所に近づいた瞬間、ネタバレの脅威を感じすぐに本を閉じることができました。

そして、ネタバレを見る前に、また『救いの死』の記憶が薄れる前に読んでおかなければ、と思い立った次第です。

 

 

2作とも読み終えた結論から言うなら、こんな印象的な2作品を今後忘れるわけがない!と言い切りたいところですが、人の記憶は曖昧なものです(特に自分)。

久々に胸躍る推理小説に出会えたこの興奮冷めやらぬうちに感想を書いておこうと思います。

 

 

事件のあらすじはシンプルです。

推理作家のヒルヤード邸に集まった男女8人。近隣に住む作家たちを観客に、彼らは推理劇を行うことになった。不穏な空気が漂う中、推理劇は無事終了したかに思われたが、その内一人が死体となって発見された。シリル・ピンカートンは現場の状況、動機などから警察に殺人の嫌疑をかけられていることを知り、かつての学友ロジャー・シェリンガムに探偵を依頼する。

 

なんといっても注目すべきは、プロローグを除く全編がシリル・ピンカートン氏の“草稿”という形の一人称で書かれていることでしょう。

この一人称で書かれた推理小説は厄介なもので、どう先入観を排除しようとしても、頭の片隅では「もしかして…」という疑念が残ったまま読み進めることになります。

 

しかし、推理小説の黄金時代を築き上げたバークリーが、そんなこと重々承知の上で本作に挑んだことは、A・D・ピーターズにと題した冒頭の文章から容易に読み取ることができる(と思います)。

 

バークリーの表現を借りるなら、彼自信「プロットを語るうえでの実験に向かう道」は「すでに試し終わって」おり、「心理学的であることによって読者を惹きつける小説」に取り組んでいることがわかる(と思います)。

つまり、“ピンカートン氏の草稿”を数ページ読んで一度冒頭の文章に戻った私は、本作があの某有名作品のように一人称で書かれたアクロバティックな作品とはまた違った趣を持つ作品なのではないか?と推理することで、一人称で書かれた推理小説に抱きがちな先入観を捨てることに成功したのです。

 

さて次は草稿の筆者ピンカートン氏について。

彼は齢37歳の中年独身男性。恋愛経験もなく、女性という性に対して、少なからず劣等感からくる嫌悪感を抱いています。スポーツも達者ではなく、泳ぎもできない。女性から好意を抱かれる要素に乏しい人物でしょう(本人も自覚している)。

そんな彼が、いかにして数奇に翻弄され、事件の中心人物となり得たかが物語の核であり、彼とロジャー・シェリンガムという名(迷?)探偵なくして本作は語りえません。

 

ピンカートン氏の、章を追うごとに印象を増す、人間的な性格は読者に好感を与え、ロジャーの論理的で鮮やかな推理はミステリ愛好家の喉を潤します。

そんな二人の特異なキャラクターと、ユニークな結末が相まって、本作は唯一無二の素晴らしいミステリに仕上がっているのです。

  

では!