発表年:1908年
作者:ガストン・ルルー
シリーズ:ジョゼフ・ルールタビーユ1
訳者:宮崎嶺雄
昨年末にホームズ時代に属する歴史的なミステリをいくつか入手できたので、今年の前半はそれらを消化しながら、クロフツ祭りができれば、と思っています。
今日は、前者の歴史的なミステリからこの一作。
超有名な作品だけあって、多くの出版社から様々な訳で翻訳されています。当記事で行う引用などの表記は全て、今回読んだ創元推理文庫の宮崎嶺雄訳を基準としておりますのでご了承ください。
粗あらすじ
物理学の権威であるスタンガースン博士を父に持つマチルダ嬢が、<黄色い部屋>で襲撃された。父親と老僕が部屋に押し入ったが、犯人の姿は見えず、部屋も完全な密室であったことがわかる。パリ警視庁屈指の名探偵が、この怪奇な事件の解決に乗り出す中、新聞記者ルールタビーユ青年もまた、特ダネそして真相の解明を狙っていた。
感想の結論から言えば、「歴史的な」という枕詞と許容の心が無ければ、手がかりの後出し部分が常に気になってしまい、他の良点が目立ちにくいかな、という印象です。
ただ、読者を驚かせようとする工夫が随所に盛り込まれているのは意外でした。(密室トリックも形だけのものかと疑っていたので)
たぶん後世の推理小説作家たちは、本作のエッセンスから名作たちを生み出したんだろうと、想像を掻き立てられます。
この部分を膨らましながら感想を書いていきたいと思います。
ルールタビーユ青年について
探偵役のルールタビーユ青年は弱冠18歳。これまでも警察に何度か協力し難事件を解決に導いている新聞記者です。
これはフィリップ・トレント(E.C.ベントリー)やアントニイ・ゲスリン(フィリップ・マクドナルド)を連想させます。
もちろんモーリス・ルブランのアルセーヌ・ルパンシリーズ『奇岩城』に登場した、ボートルレ青年とのキャラクターの酷似も避けられません。
警察とは関係の無い一般人でありながら、若く頭の回転が早い青年で、美しい女性に惹かれながらも、難事件に挑む。というのも似通った部分であることから、本作が後世に大きな影響を与えたことが窺えます。
また、素人探偵を配した時点である程度察すことができるのですが、どうも警察機関が空気というか無能ぶりが曝け出され、軽視されているように感じ、現実味が無いのはこの手の作品が抱えるデメリットでしょう。
その点『トレント最後の事件』や『鑢』では、素人探偵の旨味を活かして、上手に解決されていたような気がします。
<黄色い部屋>の密室について
本書のトリックは、カーの『三つの棺』内の密室講義でもネタバレされているほど、高名なもの。
よって、該当作を読む際には注意した方が良いのはもちろんのこと、密室と言えばカー、とまで言われるほど密室の扱いに長けた彼が、影響を受けたと思しき作品なのですから、一読の価値はあります。
肝心の中身は、可以上良未満といったところでしょうか。ネタバレ回避のため多くは解説できませんが、物理・心理両面の歯車が、ガッチリ合ったものに仕上がっているのにはさすがの一言。
トリックだけでなく、登場人物の配役の妙技もさりげなく忍ばされており、密室の発展性の高さを世間に知らしめた作品と言って良いと思います。
全体的には無駄が多く、もっとすっきりできた気がしないでもないのですが、ここらへんは好みの範囲でしょう。
個人的には、ややまどろっこしいというか、勿体ぶった展開にやきもきしましたが、幸いなことにアルセーヌ・ルパンシリーズで耐性が付いていたのかなんとか乗り切れました。
それでも尚、話の横筋が散乱しているのは無視できないため、テンポの良いミステリが好みの読者は苦労するところもあるかもしれません。
とはいえ、解決編まで到達することができれば、あとは手に汗握る法廷シーンが待っています。
100頁近くある法廷シーンでは、M-1の優勝発表前のCMかというくらいぐいぐい引き延ばされながら、放置されていた全ての謎に真相が提示されていきます。
多少の根気は必要でしょうが、歴史的な一作としても、読者の興味を巧みに煽る解決編を読むためにも、チャレンジしてみることをオススメします。
最後に、今回読んだ創元推理文庫の宮崎嶺雄訳ですが、傍点や≪≫が多用されすぎていて、読みにくさ2割増しくらいにはなっていると思います。
ハヤカワ文庫の『黄色い部屋の秘密』を試し読みしてみたところ、本書よりも効果的に且つ必要最低限の強調がされているように感じました。
読み比べた方は、どのような違いがあったかご教授いただければ幸いです。
以下超ネタバレ
《謎探偵の推理過程》
本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。
これ、やっぱりモーリス・ルブランのボートルレ青年(『奇岩城』)まんまだな。そりゃガストン・ルルーも激おこだわ。
導入部からさらりと密室事件が紹介され、ワトスン役のサンクレールとルールタビーユが現場に赴くところまではテンポも良い。
ただ、ルールタビーユの含みを持たせた台詞にはイライラさせられる。なんか知っているなら言えよ。
<黄色い部屋>の密室状況については、堅牢すぎてぐうの音も出ない。これを論理的に解決できたら大したもの。
間取図があることから、これを用いた物理的なトリックがあるのだとは思うのだが、なにも思いつかない。
密室トリックに注目しすぎるのは危険なので、被害者や動機についても考えたい。
被害者マチルド嬢が何かを隠しているのが気になるところ。犯人を知っているか、自身に何か過失があり、犯人を暴けばその事実も明らかになってしまうかの二択だろう。
動機は、マチルド嬢の態度から考えると、スタンガースン博士の研究というのは弱いか。
マチルド嬢への憎悪だろうか。
アメリカにいたときの元彼というのもアリだろう。
となるとアーサー・ランス一択になってしまうが…
再びマチルド嬢が襲撃された事件で、ほぼ犯人については見えてしまった。
廊下の真ん中で鉢合わせて、急に犯人が消えるなんてことはありえない=その中の誰かが犯人であることは決定的。
スタンガースン博士は、ルールタビーユと一緒に走っていたので除外。となると後はジャック爺さんか探偵のラルサンしかない。
探偵が犯人か…なかなか面白い試み。
第一の事件を考えるとジャック爺さんには鉄壁にアリバイがあるため除外できる。
根拠はないが、ラルサンがマチルド嬢の元彼なら、彼がダルザックに罪を負わせたがっているのも納得できるし、ダルザックへのミスディレクションは全てラルサンを発生源としているのでほぼ確定で良いだろう。
あとは密室トリックのみ…
推理
フレデリック・ラルサン(マチルド嬢への憎悪)
結果
勝利
粗削りなところもありますが、密室トリック(だと誤認させるトリック)に関しては、概ね満足です。
物理的な問題を忌避したことでややセコイ印象を受けますが、マチルド嬢が(密室においてのみ)共犯した伏線はちゃんと用意されていますし、第一の密室に頼りきりになることなく第二の事件を発展させるなど、ミステリとしての造り込みは、すでに黄金時代と遜色ないプロットです。
さらに、密室以外にもラルサンが犯人であることを指す手がかり(ステッキ)がちゃんと用意されているのも素敵です。ステッキだけに。
本作以降、物理的な密室を作り上げる動きが活性化してきたことは言うまでもなく、後世の名作とされる密室ミステリの原石としてもミステリファンなら絶対に見逃せない一作です。
二度三度と再読できるかといえば、物語とキャラクターにそれほど深みはないように思えます。
ほぼ続編が確定的なルールタビーユの第二作『黒衣夫人の香り』を読んでいないため、最終的な判断はできかねますが、どうも純粋なミステリとは程遠い様子。
ルールタビーユ自身のキャラクターにしても、シャーロック・ホームズのように日々の研鑽と鍛錬から得た広範の知識は無く、ただ頭の回転の速い若造に留まっているのも残念です。
では!