発表年:1932年
作者:F.W.クロフツ
シリーズ:フレンチ警部9
訳者:中山善之
本書はとにかく漢臭い。ただ、夏場の満員電車のような不快な汗臭さのことでありません。
舞台は「十月もすえ」のイギリス北部。鉄道の見習技師クリフォード・パリーなる三十二歳の苦労人の視点から物語は始まります。
微に入り細に入った鉄道工事描写は、さすが元鉄道技師のクロフツならではのもの。線路の複線化(1車線を2車線にする)工事の図面をスケッチした図解が登場するなど、作品に懸ける熱量や拘りはシリーズいちと言っても過言ではありません。
事件の展開は、過去に書いたノンシリーズもの『フローテ公園の殺人』(1923)に似通った部分がありますし、前後半に分かれるような構成も前作『二つの密室』と共通する部分です。しかし、10年間の作家活動を経て、物語の運び方やミステリとしての風呂敷の広げ方・畳み方が格段に上手くなったと感じます。
もちろん大陸を股にかけた壮大なストーリーなど、『フローテ公園~』にしかない良さがあるのは事実ですが、純粋なフーダニットだった(その分、すっきりしていて読み易い)のに対し、本作はフーはもちろん、ホワイにもちゃんと重みが付けられているのが巧みです。
また、登場人物も普段より粒ぞろいで個性が際立った人物が多いので、ミスディレクションが多彩なのも、読者にとっては嬉しい悩みでしょう。怪しげな記述がちょこちょこ挿入されるので、誰も彼もそれなりに疑わしく見えてきますし、ホワイ(動機)に関しても、横筋が単一的でないため、見方を変えると疑わしい容疑者は一人でも、動機が複数見つかったり、と、いつまで経っても謎の真相が見えてきません。
そして、作中で常に息づくのは、人々の豊かな暮らしの為、自身の生活の為、線路を敷き汗水流す熱い男たちです。
肉体労働だけでなく、時には緻密な計算を行い、鉄道会社・工事業者との折衝を重ねる技術者たちの姿からは、苦労だけでなく、やりがいや生きる喜びまで伝わってきそうです。
そんな熱さを嘲笑うかのような卑劣で冷酷な犯罪には、いつもは地味なクロフツ作品の中にあって比較的派手な仕掛けが施されています。また、シンプルな事件ではありますが、ちゃんとバリエーションも用意されているので、前述の「いつもの地味な」というクロフツ像はしっかり打ち砕いてくれる作品です。
ただ、問題は題材になっている線路の複線化工事…ちゃんとミステリに付随する要素ではあるのですが、鉄道に興味が無い読者にはかなりキツイ読書になるかもしれません。
色気(ロマンス)がありそうで無かったり、とにかく漢(おとこ)臭い、男性向けのミステリでした。
以下超ネタバレ
《謎探偵の推理過程》
本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。
パリーの人柄が好み。
苦労を重ね、実直に生きることで運が回ってくる、みたいな流れは好き。
鉄道会社が絡むミステリなので、やっぱり企業犯罪が背景にはあるに違いない。無駄に多い工事の描写は、企業犯罪の伏線だろう。
設計図のコピー云々や測定の数字がたくさん出てくるため、たぶんそれを弄って工事費水増しとかだと思う。
その証拠に、殺人事件の捜査はそっちのけで、コピーの保管場所などの会社の仕組みや、コピーや調査に携わった関係者の紹介が大半を占める。
なんといっても怪しいのは、設計主任ブラッグ。尻尾を出すまではいかなくとも、妙に心配したり、言動に怪しいところが多々見受けられる。
ケアリーが自殺してからは、さらにブラッグに嫌疑が強まる。
ケアリーが死亡直前にブラッグとの会見を望んでいた(頁148)こと、「どんな用があるんだろう?」(頁148)という白々しい返事。実際に会っても返事を先延ばしにした(頁150)ことから考えるに、後半登場する詐欺事件の実務がケアリー、そして計画者はブラッグ、というところだろう。
ロナルド・アッカリーは個人的な調査の結果、詐欺の真実を掴んでしまい、ケアリーもしくはブラッグに感付かれ殺された。
アッカリーはケアリーが、そしてケアリーをブラッグが殺したのだろう。
問題は、ケアリー殺害にブラッグは鉄壁のアリバイがあること。鉄壁とまでは言えないが、少なくとも、決定的な齟齬は無い。
う~ん。
ローエルは完全にミスディレクションだし、あと残ってる関係者はアイツだけど、まさかねえ。
推理
(強引に)ブラッグ
結果
クリフォード・パリー
あ~はいはい。こっち系ね。
まんまとやられました。
とにかくブラッグに固執し過ぎたのが敗因です(言い訳)。
とんとん拍子に上司が死んで、スライド昇格しまくるだけでも怪しさ満点なのに、全然気づきませんでした。
ただ、セコいっちゃあセコい。
この手の叙述トリックを使うにしては、やっぱり細かいところまで徹底したフェアプレイ精神が無ければ、とうてい満足度は高まりません。
さらっと読み返してみても、それなりに破綻しないように、という意思は感じられるのですが、あくまで破綻しないギリギリのラインで踏みとどまっているレベル。
例えば、第1章の最後で、パリーはアッカリーを殺害するわけですが、後日パリーの脳裏に鮮やかに蘇った二つのことと称して、パリーの指輪とパリーの健康状態のことが記述されていますが、いらんよね。あれ。完全にパリーを局外者にしたいがための描写ですよね。
書くなら、それがアッカリーが元気な姿を見せた最後の瞬間だった、程度で十分な気がします。
あと、見知らぬ男がケアリーの部屋を訪れた、というパリーの偽の証言が語られるシーンでは、以下のようにパリーの心情が描かれています。
パリーはちょっとした問題をどうしたものかと思いあぐねていた。自ら供述を買ってでるべきかどうか決めかねていたのだ。昨夜のあることについて、事件に関係しているかもしれぬあること―(頁157)
この場合、パリー自身にはその供述と事件の関係性が無いことは百も承知なわけで、自分に有利か不利かで迷うことはあっても、事件に関係しているかいないかで悩むことは絶対にありえません。読者を煙に巻くにしては、お粗末な記述です。
クロフツって思ったより人物描写が下手じゃないんですよねえ。1作に一人は、こいつ好き!って人間が絶対出てきます。
その人物が紆余曲折を経てどんな人生を歩むか、という一本筋が通った人間ドラマがちゃんと用意されているので、読み応えがあります。たぶん本格ミステリには不必要なのかもしれませんが、本を閉じてしばらくたっても、彼らの印象が濃く残るのは、やっぱり彼ら自身の物語がちゃんと用意されているからでしょう。
クロフツ作品を語るうえで避けては通れない重要な作品でした。
では!