鑢(やすり)【感想】フィリップ・マクドナルド

発表年:1924年

作者:フィリップ・マクドナルド

シリーズ:アントニイ・ゲスリン大佐1

 

探偵役のアントニイ・ゲスリン大佐は、第一次世界大戦を生き抜き、情報部の情報部員としても活躍し大佐まで昇りつめた頭脳明晰な人物。

その後、叔父の遺産を相続したゲスリンは、大学時代の友人スペンサー・ヘイスティングズに資金提供しともに新聞社を設立、社の看板でもある<梟>紙の表紙や詩・エッセイを書きながら、数々の難事件に挑みます。

 

本作では、ヘイスティングズの依頼で、<梟>紙の特派員として、大蔵大臣ジョン・フード殺害事件の調査に乗り出すゲスリンですが、この構図は、E・C・ベントリーの『トレント最後の事件』と酷似しています。ゲスリンを含む登場人物たちのロマンス要素もその影響を受けていると思っていいでしょう。

真相の意外性という点では『トレント最後の事件』に軍配が上がるでしょうが、本作の魅力は、意外性や犯人の動機といった登場人物の内面の描写ではなく、作者のフェアプレイ精神を感じられる随所に散りばめられたヒントと、それをもとに正確無比に整理されたゲスリンの報告書です。その分刻みに計算された報告書によって、まさに「手に取るように」わかる事件の全貌は、多少意外性を欠くとはいえ、圧倒されます。

また、一見非現実的にも見えるトリックも、緻密な報告書のおかげで、まるで現実に起こったことかのように錯覚させられるでしょう。

 

真犯人が周囲を謀るために弄したトリックの一つはかなり巧妙で、見破るのは一苦労です。

しかし、前述のとおり手がかりは読者に堂々と提示されているので、犯人の正体はもちろん、「鑢」に仕掛けられたトリックや、殺害方法、アリバイについて等様々な方向から事件を眺め、自分で推理してみる楽しさを味わえます。

 

物語全体を通して読んでみて、<梟>紙の編集長ヘイスティングズと秘書のマーガレットをはじめとする登場人物たちのキャラクターは引き立っており、むしろゲスリンが一番霞んでいるようにも思えるのですが、とにかく多彩な登場人物たちも大きな魅力の一つです。

本作以降12作に登場するゲスリン大佐ですが、残念なことに邦訳数は多くなく、5作目の「迷路」以外2作~11作目までが完了しておらず、今後の刊行が大いに期待される作家の一人に違いありません。12作目『Xに対する逮捕状』と13作目『エイドリアン・メッセンジャーのリスト』は既に手に入れているのですが、子どもができたり、メイドや執事などのシリーズキャラクターの存在を聞かされると、どうしても順番に読みたくなってきます。

是非どこかの出版社さんに邦訳を進めていただきたいものです。

 

 では!