『すねた娘(怒りっぽい女)』E.S.ガードナー【感想】理想の探偵であり上司

1933年発表 弁護士ペリー・メイスン2 大岡昇平訳 創元推理文庫発行

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    E.Sガードナーと言えば、推理小説界屈指の多作な作家です。多い時で年5冊ものペースでぼこぼこと作品を生み出した彼の代表的な作品群【弁護士ペリー・メイスンシリーズ】は、ガードナー自身が弁護士だったこともあり、その経験が色濃く反映された作品群になっています。

 

    1933年『ビロードの爪』で初登場したメイスンは、エキセントリックな女依頼人が絡んだ難事件を見事に解決しました。そして、興奮冷めやらぬうちに、またもや型破りな依頼人が弁護士事務所のドアを叩きます。本作も1933年発表なんですよねえ。ただただ凄い。

 

   『ビロードの爪』のラストで紹介された依頼人“すねた娘”の登場によって進みだす物語は、前作と違い王道のリーガルミステリ。弁護士にすら真っ正直に依頼しない捻くれた依頼人ですが、メイスンには全てお見通し。アッという間に、依頼内容の本質と目的を探ってしまいます。ここで事件が発生し、関係者が窮地に立たされるのもフォーマットどおりです。

    ここまでのスピード感が凄まじく、メイスンの推理同様に軽やかかつ流麗です。さらにドラマ仕立てかのようにスムーズな舞台転換と、一話一話に用意されたドラマチックな展開のおかげで、どんどんそのスピード感は増していきます。

    間怠っこい余計な挿話が全く無く、常に物語の解決にベクトルが向き、クライマックスである法廷での戦いまで一直線に進む力強さも魅力的なポイントです。

    また、弁護士ペリー・メイスンに対立する軸を、法の手を逃れ依頼人を貶める凶悪犯以外にも用意している点が上手いと思います。

 

    謎解きの山場でもある法廷での戦いでは、ライバル検事ドラムとの丁々発止のやり取りを中心に、巧みな弁舌で窮地をくぐり抜け、一発逆転の瞬間にまで漕ぎつけるメイスンの手腕を堪能できるに違いありません。そして、その終幕は、スリリングな現場検証や法廷劇を経てたどり着く静かすぎる無言の判決です。

    オーソドックスな推理小説では決して体感できない、法という名の牢獄に四方を囲まれた絶望感と、裁判という評決の場にある凍り付くような空気が見事に一体となり、物語は大団円を迎えます。

 

    オチだけは都合が良過ぎるきらいがありますが、シリーズの醍醐味でもある次回予告はバッチリ決まっているので、早く次作が読みたくなること間違いなし!

    法廷ミステリの入り口としても、万人にオススメできる作品です。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

    いや、もう二作続いてとんでもない女が依頼人。

    ただ、前作で上手く転がされたメイスンも、本作では序盤からかなりのキレを見せる。私立探偵ドレイクの使い方やライバル弁護士や関係者への狸っぷりも面白い。

 

    肝心の殺人事件に目を向けてみると、二階から呼びかけた被害者ノートンは、声だけで生きている姿は見られていないことから、すでに死んでいたと予想できる。ということは?クリンストングレイヴスの共犯、で間違いなさそう。共同経営者という立場上クリンストンの動機も予想しやすいし、目撃者のパーレイ判事が一度も被害者に会ったことが無い、というのも犯人たちにとって好都合で打算的な香りがする。

推理

アーサー・クリンストン&ドン・グレイヴス

 

    犯人当てと動機についてはほぼ満点。まあこれだけヒントが散らばっていたら、謎解きだけで言えば当たらなきゃおかしいか…ただ、解決(評決)までのプロセスとなると、そこは作者ガードナーの独擅場。

    犯人の嘘をどのように暴き、法廷という環視の中で真実を明るみに出すか、ドラマチックでスリリングな演出で構成された解決編は圧巻。これだけでも、今後メイスンものを読み続けようと思わせるだけの旨味が詰まっている。

 

    また、メイスンという探偵の魅力だけでなく、一人の人として魅力的な人物でもあることが確信できた。

    前作では程よいハードボイルド風味も見どころの一つだったが、今回は私立探偵ドレイクとの共同捜査(探偵術の奥義を伝授してもらう)は新鮮かつエキサイティングだし、新聞記者ネバーズを用いてのメディア操作も巧妙だ。法廷では、鬼神の如く攻め抜いた次の瞬間にはのらりくらり脱力して躱してしまう柔軟性を披露してくれるし、法廷外では、見習い弁護士エヴァリイに対して教育者としての温かく頼りがいのある姿も見せてくれる。理想の探偵であると同時に、理想の上司(味方でいてほしい)でもある男だった。

 

 

 

ネタバレ終わり

    弁護士ペリー・メイスンシリーズは全82作ということで、どこまで当ブログで紹介できるかわかりませんが、探偵そして上司としても理想の男メイスンと、魅力に溢れた係者たちがいるかぎり、是非とも読み続けていきたいシリーズではあります。

    と言いつつも次作(『幸運の足の娘(幸運の脚)』)は未所持。まだまだ『嘲笑うゴリラ』(第40作)は先になりそうです。

では!

『ホロー荘の殺人』アガサ・クリスティ【感想】傑作だけど好きにはなれない

エルキュール・ポワロ 中村能三訳 ハヤカワ文庫

 

粗あらすじ

長閑なホロー荘に集った、秘めた想いを抱えた登場人物たち。彼らが演じる悲劇を最前列で鑑賞したのは、名探偵エルキュール・ポワロだった。死者が口にしたダイイングメッセージが指し示すのは犯人かそれとも…

 

    事前に誂えたような劇場型の犯罪に、クリスティお得意のロマンスが加わること、それ自体は彼女の作品の中でも珍しい設定ではないのですが、全体的にドロドロとした複雑で険悪な雰囲気に満ちているのは異色です。唾棄すべき極悪人を扱った作品であればまだしも、それらとは一味違った悪意が感じられ、とにかく気持ちの悪さ、ぎこちない坐りの悪さを感じてしまいます。

    頁の大半が登場人物たちの心境や相関の描写に割かれ、それらがミステリを解くための重要な手がかりになっているのもいつも通り。ただ、登場人物の多くに好感が持てないので、読むのにはかなりの精神力が要されるのも事実です。

 

 

    欺しの天才であるクリスティは、読者の思考を逆手に取ったトリックを用いるのが常ですが、これは推理小説家としてのテクニックです。本作では、推理小説というよりも普通小説として、人物描写において読者の予想を裏切るような、また、求めるもの(ハッピーエンド)を敢えて与えないような、ある種の意地悪さが滲み出ているような気がしてなりません。

 

    ミステリを構成する要素を分解してみると、ダイイングメッセージに始まり、不可能犯罪偶然の要素を巧妙に絡めた重厚な作品だとわかります。

    ただスピード感が全くなく、探偵ポワロの指揮力も皆無、とくれば、知的遊戯としての推理小説も楽しみたい読者からしてみれば苦痛そのもの。登場人物へ共感できないことが多いため不満(というかモヤモヤ)が残る一作となってしまいました。

 

    以下余談です。

    クリスティの作品はある種のスターシステムを用いていると思っています。名前や容姿が違っていても、生まれ持った性質や思想が似通った人物が作品を超えて登場します。

    これを、自分はクリスティ劇場と(勝手に)呼んでいるのですが、彼、そして彼女たちは作品毎に立場を語り手、被害者、犯人、とコロコロと変え、見事に役を演じます。とはいえ全員が同じような行動をとり、同じ結末に到達することはありません。

    クリスティは、彼らの行動を人間の多面性を加味してパターン化し、それを登場人物の数だけ組み合わせ巧妙に物語を作り出します。ひとつの事象に対し、ポジティブにとらえるのかネガティブにとらえるのか、ロマンスで言えば潔く身を引いて諦めるのか、それともあらゆる手を用いて欲望を実現させるのか。どちらにも転び得るのが人間で、その人間らしさの複雑なコンビネーションが騙しのトリックの一つなのではないでしょうか。

    だからこそ、読者の人生観や恋愛観が彼らとビタッと合えば、登場人物たちの行動が透けて見え格段に難易度が下がる一方、自分が思うパターンの逆を突かれたときにアッと驚くサプライズに繋がるのです。

    さらに、これは作品の好き嫌いにもつながります。何が言いたいのかと言うと、自分が本作には合わなかった、ということ。少なくとも登場人物の行動に同調できず、むしろ嫌悪感が募る時点で、かなりしんどい読書でしたし、オチの性質上の問題もあります。

    間違いなくクリスティの作品群の中でも傑作の部類に入るハイクオリティな作品ですが、本作を語るのには、まだまだ自分はおこちゃまみたいです。

 

 

    今回≪謎探偵の推理過程≫はお休み。

    さんざんネガティブなこと言った後のフォローになるかわかりませんが、本作にはちゃんと「救い」も用意されています。決して好感が持てるキャラクターがいないわけではありませんし、コメディ要素も用意されています。

 

では!

 

『途中の家(中途の家)』エラリー・クイーン【感想】美しさと懐の広さが両立

1936年発表 エラリー・クイーン10 青田勝訳 ハヤカワ・ミステリ文庫発行

 

 

    『ローマ帽子』から始まる≪国名シリーズ≫をついに読み終え、お次は『災厄の町』以降の≪ライツヴィルもの≫への繋ぎとなる一作です。

探偵エラリー・クイーンがいるのは、ニュージャージー州会議事堂前のホテル。実在の場所が出てくるのが珍しくて、色々と画像を調べて回ったのですが、残念ながら現在は議事堂近辺にホテルは全く無し。さらに冒頭に登場する地名ラムバートンやキャムデン(カムデン)、デラウェア河などヒントに事件現場の特定に挑んでみたものの撃沈。ただ、議事堂の金の屋根の描写は現代のものとピッタリと一致します。

 

   話を元に戻すと、クイーンはホテルのバー・ルームで偶然旧友ビルと再会します。ビルは義理の弟ジョーについて何やら疑念を抱いているようで、エラリーとの親交を温める暇もなくジョーとの会見に臨むのでした。会見場所では読者の予想通り事件が発生し、エラリーの登場と相成ります。

    ここでエラリーが友人ビルのために一肌脱ぐ過程(描写)がかなりアツい。国内シリーズの前半では、探偵エラリー・クイーンのキャラクターは控えめで、謎を解明するためだけのデウス・エクス・マキナと化しているのですが、後半にいくにつれ心情や人間関係にも重きが置かれ、キャラクターものとしても楽しめる要素が増えてきます。本作でも、エラリーは友人の苦境に心動かされ、自主的に事件に首を突っ込んでいきます。(結局のところ、ビルの妹が関係者の中にいた、というのが大きかった気もしますが)

 

    肝心のミステリの中身で言えば、物語の中核をなすフームダニットを中心とした謎が秀逸です。ビルの置かれた状況や関係者の登場のタイミングによって、予想はつき易いかもしれませんが、あくまでも予想は予想。タイトル『途中(中途)の家』のとおり、全てにおいてどっちつかずで中途に留め置かれた状況設定と、明らかに曰くありげな物的証拠も見どころです。

    前者については、事件の心理的な側面と直結しており、後者はエラリー・クイーン(作者)が得意とする論理的で美しいパズルミステリの屋台骨になっています。数学的な美を備えつつミステリとしてバランスの取れていた前シリーズから一転し、心理・物理の両面で平均以上の水準をクリアした安定の一作として、また、捜査一辺倒な古典ミステリと違い法廷描写など読者を楽しませる小技も用意されているので、ミステリ初心者の方にもオススメしやすく懐の広い作品でもあります。シリーズ作品としての絡みはほとんどなく、登場人物もそこまで多くありません。キャラクターに目を向けてみても、探偵エラリー・クイーンとその仲間たちという構図で行動する、弁護士ビルと女性記者エラとのトリオものとしても常に読んでいて楽しいミステリでした。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

    偶然にも、本作を読んでいたのはほとんどが、飲み会帰りの電車の中。適度に(時には過度に)お酒が入った中読んだので、探偵エラリーの友人を思う「アツさ」にウルウルきっぱなしの読書だった。ただ、酔っぱらっていたとはいえ、推理はそこまで難しくない。

 

    中盤の公判のシーンまで読み進めて、推理できることは、ギムボール派の誰かがルーシィに成りすまして、ガソリンスタンドを訪れ、目撃者を用意したこと。

    焦げたコルクの謎は全くわからなかったが、何かメッセージが書かれた可能性が出てきたので、まず間違いなく、アンドリアへの脅迫の手紙だろう。ジョーが殺された原因が重婚だと考えると、ここも騙されていたギムボール派の誰か、ということになる。

    重婚の被害者はジェシカだが、保険金の支払い問題を考えるとフィンチも怪しい。いや怪しすぎる。彼のオフィスでやり取りされた特注の煙草のエピソードや、エラリーに送られてきた煙草とマッチ箱の描写も怪しい。というか、マッチ、煙草、とくればそのまま事件現場の不可思議な謎ではないか。女装しても一言も声を発しなかったことも含めて、ルーシィに成りすましていたのは、グロヴナー・フィンチで間違いなさそう。アンドリアを拉致して命を奪わなかったのも犯人像と一致する。

 

推理

グロヴナー・フィンチ

真相

勝利

    動機だけは誤っていました。いの一番に保険金の受取人変更を知っていたので、最初っからギムボール家への義理が動機かと思っていましたが、それプラス、ジェシカへの愛もあったとは…正直ジョーが諸悪の根源じゃないかとも思うのですが、堂々と不倫や重婚をテーマにしてしまうところは、1930年代からずいぶん進歩(?)したなあと思わざるを得ません。

    ≪読者への挑戦状≫が付された作品の中では難易度が低い作品でしたが、中でも、脅迫文を書くために使った焦げたコルクの手がかりがそのまま、犯人が男性だと暗示している点(女性ならものを書くためなら口紅を使えばいいから)はさすがです。謎を覆い隠す手がかり、さしずめ二重の手がかりには一読の価値があります。

 

 

 

 

ネタバレ終わり

    他の方の感想でチラッと見た記憶があるのですが、本来本書って前書きがあるの?今回読んだハヤカワ文庫の旧訳版には無かったので、シリーズ順に読みたい方は新訳の方がエラリー・クイーンらしさがあって良いかもしれません。

    あと、オチに用意された“リップ”サービスも含めて、作者エラリー・クイーンがのびのびと書いた様が容易に想像できる作品なので、シリーズ順に読むのもおすすめです。

では!

 

『魔法人形』マックス・アフォード【感想】奥深いプロットとモクモク

1937年発表 数学者ジェフリー・ブラックバーン2 霧島義明訳 国書刊行会発行

 

    マックス・アフォードは初挑戦なので、まずは簡単に作者紹介から。

 

マックス・アフォードという男

    マックス・アフォードは1906年オーストラリア・アデレード生まれ。若くしてオーストリアを代表するラジオ局でラジオ・ドラマ制作で生計を立て、その実力は局のシナリオコンテストでも入賞するほど高いものでした。その後は劇作家としても人気を博して100を超える作品を世に送り出し、ラジオ・ドラマの製作は1000話を超えるほどだったと言います。

    そんな膨大なラジオ・ドラマに比べて、生み出した長編推理小説の数はわずか5作。“オーストラリアのカー”と呼ばれるほど密室と不可能犯罪をテーマにした作品が多いのが特徴です。

    そして彼が生み出した主な探偵は、数学者ジェフリー・ブラックバーン。論理的な“数学者”ほど探偵役に合う職業はあまりありません。引き締まった肢体にクールな表情と愛らしい灰色の目、35歳で数学教授の座に就き、かなりのヘビースモーカーで、チェスの名手でもある。と、多くの探偵の中でもなかなかのイケメン具合。クイーンやピーター卿、キャンピオン氏のようなスタイリッシュ探偵の仲間でしょう。

    残念ながら本作はシリーズ作品の2作目なので、できれば1作目から読んでみたいところです。

 

粗あらすじ

悪魔学研究家の屋敷で起こるのは、家族一人ひとりを象った不気味な人形にまつわる怪事件。

 

    コレだけでワクワクしてきます。この恐ろしげな空気が、作中の天候や、屋敷の様相、施設や設備の入念な設計との符合によって独特の雰囲気を醸し出しており、たしかにカーを彷彿させるだけのものはあります。

    探偵役ジェフリー・ブラックバーンは、警察から絶大な信頼を受けているようですが、1作目を読んでいないため多少の違和感は拭えません。また、ヘビースモーカー、という点以外飛びぬけたところはあまり多くみられませんが、“数学者”故の細かで論理的な思考が常に推理に活用されています。一方で多少怒りっぽいところが玉に瑕ですが…

 

    物語に登場するプロップ・木彫りの人形、そして殺害予告と言えば、クリスティの名作を否が応でも想像してしまいますが、本作はフーダニット一点に絞ることなく、ホワイ(動機)、ハウ(方法)、さらには包括的にホワット(何が起きていたのか)ダニットにまで範囲を広げて多彩な展開を見せます。これらのどこに重み付けがなされているかは、ネタバレのため省略しますが、これら多彩な謎の種類と構成に作者がある仕掛けを施しています。

    全体的に感じられる正統派な印象とは違う、攻めのスタイルで書かれた挑戦的な一作だと言えるでしょう。個人的には好きな作品です。

 

    一方で、ミステリ初心者うけはあまり良くなさそう。というのも、巧みに練られたプロットから導かれる真相や演出が実は作者の計算のうちだった、ということが、めちゃくちゃ気づきにくいからです。巧いけど地味。川相の送りバント…じゃないですね。あれは芸術なので。

    …とにかく、“オーストラリアのカー”の名に恥じぬ実力は発揮していますし、最後に待ち受ける“会心の一撃の破壊力も抜群。ミステリファンなら読んでおいて損はない一作です。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

    序盤から大好きな雰囲気。怪奇風の小道具に、私立探偵、摩訶不思議な密室、とミステリを彩る装飾に余念がない。

    密室も怪奇もたしかにカーらしいが、私立探偵との推理合戦もあるとすると、それこそアンリ・バンコランものを彷彿とさせる造り。

 

    ロジャーの死を経て、一度物語を整理してみると、ベアトリスを事故に見せかけて殺したロジャーが、復讐のために殺された、というのはアリか。そうなるとベアトリスの兄であるロチェスター教授が怪しく見えてくる。

    凶器のナイフが射出された可能性も提示され、密室のトリックにも光明が差す。そもそも礼拝堂のカギも屋敷の主なら合鍵ぐらい持っていても不思議ではない。

 

    決定的な証拠が無いまま物語が進むが第二の事件直前で、あきらかに怪しげな人物が…私立探偵ピムロットの、プレーター殺害は決定的では?頁169のピムロットによる一人二役はさすがに目立つ。

    また、終盤、密室トリックが機械仕掛けの凶器によってもたらされたものだとわかると、ピムロットのアリバイは崩れ、ほぼ決定的に。最後に明かされる遺言書の中身で動機も提示され謎解きとしては終わり。

 

推理

トレヴァー・ピムロット(アーサー・ハーバート・テンプル)

真相

勝利!

 

    「犯人あて」にだけ絞ってみると、実に簡単なミステリですが、再度サラッと読み返してみると、作者マックス・アフォードがどんな思惑でプロットを組んだのか朧げですがその形が見えてきます。

    まず、わかりやすいのは、一見すると密室トリックと関連付けたくなるアリバイトリックが、実はピムロットにとって想定外の事案だった点。ここは、私たち読者視点ですが、不必要なアリバイができてしまったがゆえに、物理的な密室トリックが解けた瞬間、唯一アリバイがあるピムロット(とジャン)が目立ってしまいました。しかし、ピムロットはここで自信をつけ、大胆かつイチかバチかの賭けに出ます。それが第二の殺人です。作中では見事探偵を騙すことに成功していますが、ここで用意されているのが、ひとたび見破ってしまえば犯人に直結してしまう“会心の一撃”になる手がかりでした(頁183)。しかもこの手掛かりの解説を最後の「余録(頁321)」で明かしてしまうのも憎い演出です。

 

    また、遺言状の隠し場所と付随する事件の全体像も秀逸です。外国に住む相続人による犯罪、というテーマ自体はありきたりなものですが、犯行後の計画まで完璧なミステリはありませんでした。ただ、これらの美点になかなか初読で気づきにくいのは難点。

 

 

 

ネタバレ終わり

    決して玄人向けということはないと思うのですが、初読時に感じる以上の奥深さがあるので、ある程度ミステリの形式や造りに慣れておくと、面白さが倍増しそうです。

    探偵ジェフリーも、推理しながら燻製でも作っちゃうんじゃないか、と思われる(作中にエピソードあり)ほど愛煙家探偵で、個性はバッチリ。未訳も含めて邦訳化が期待されるシリーズです。

では!

 

 

 

『ドラゴン殺人事件』S・S・ヴァン・ダイン【感想】次回に期待

1933年発表 ファイロ・ヴァンス7 井上勇訳 創元推理文庫発行

 

粗あらすじ

スタム邸の屋内プール、通称“ドラゴンプール”で飛び込み事故が発生した。凶報を受けて駆け付けたヴァンス一行だったが、被害者の影も形も無い一方で、紛うことなき伝説の巨竜の痕跡が見つかるなど、事件は混とんの様相を呈する。巨竜伝説の真贋と事件の真相やいかに。

 

    悪くない。導入部から、事件の展開もそこまで悪くない印象だ。前作『ケンネル殺人事件』ほど登場人物も少なくなく、人間模様も複雑そうで、誰が犯人でもおかしくない雰囲気がただよっている。特に異彩を放っているのがマチルダ・スタム夫人。彼女の精神を病んでいるかのような言動や妄想と本事件の背景が合致しているおかげで、作品としての一体感も生まれている

    また、このテの人物造形がどこかクリスティの作品にも通じるところがあるように思えるのは気のせいだろうか。一人の超個性的な人物に振り回される家族とその関係者たちという構図は、作者ヴァン=ダインが6作を書き終えて一度原点回帰を計った表れかもしれない。

 

    導入こそ立派で読者の興味を持続させそうな魅力的な着想だが、発展は実に稚拙だ。周辺地図ありきで決められているような事件の発展は単純につまらないし、そのつまらない手法を何回もくりかえすのだから逆に恐れ入る。ミスリードこそあれ、それすら数多の推理小説で目にしたありきたりな人物造形だ。では、ミステリ初心者なら楽しめるのかと問われれても答えはノー。「犯人当て」だけに挑んでみても難易度が低すぎる。誰がどう見ても怪しい人物が犯人で、それを隠そうとする手法がまたお粗末だ。というか隠そうとすらしていない。これくらいで読者を騙せると思っていたなら大きな間違いだろう。

    同年代に生み出された傑作たち(『エジプト十字架の謎』『Yの悲劇』『エッジウェア卿の死』などなど)と比べるのが気の毒かもしれないが、少なくとも、物理トリックやミステリとしての形式など有形的なものに囚われ過ぎて、人間や事件の心理的な側面を描くことを疎かにしているとしか思えない。この点は、各事件の登場人物だけに限らず、レギュラーキャラクターであるマーカム検事ヒース部長刑事、語り手のヴァンにも通じる。何作読んでも彼らの人間的な部分に触れることも、新しい発見も無い。常に型にハマった動きを延々と繰り返すだけで、ファイロ・ヴァンスという超人に蘊蓄を喋らせるための栄養を補給し続ける肥料に成り下がっている。唯一ドアマス医師だけは、登場する時間が少ないおかげか、たまあに出てくるとぐちぐち溢すのが面白い。

 

    先入観を抱かないようにとは思っていたが、贔屓目に見ても水準以上の作品とは言い難い。現時点で次作『カシノ殺人事件』までは読んでいるのだが、そっちは本作よりも面白かったので、好評は次回に持ち越し。

ネタバレを飛ばす

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

    プールに飛び込んで消えた死体、という着想は立派。

可能性としては、

  1. 単純に被害者モンタギュが誰かを担ごうと画策し逆に殺された。
  2. 共犯者と協力して消失した→モンタギュ生存ルート
  3. 共犯者と協力して消失した→死亡ルート

 

    物語が進むと3は無いことがわかるが、問題はやはりどうやって消失したか。こっそりダムを通って消えたか、作中のエピソードにもあったインディアン洞窟への地下道のようなものが水中に設けられているかの二択だろうか。

    ドラゴンプールに落石があったことは、地下道を隠す目的だったとも考えられる。

 

    プールの水を抜く作業が終わり、結局地下道なんてものもなく、竜の蹄?の跡だけが見いだされる。ここまでが犯人の思惑だとすると、物理トリックについては行き詰まるのでここらで一度保留。

 

    犯人当てに取り掛かると、どう考えてもアリバイがないルドルフに注目せざるを得ない。酔っぱらっていた、というのは何の証拠にもならないし、ほかのメンバーが一定アリバイがあるだけに、いくらミスリードがあろうとも第一容疑者は動かない。母親であるマチルダがドラゴン伝説に固執しているのも何気にクサい。息子を守るためか?

 

推理

ルドルフ・スタム(酔っぱらったふりをして偽のアリバイを作る)

真相

    そりゃあ当たるよなあ。本作の難易度の低さはどうしようもないんですが、推理小説において、犯人が早々に分かってしまったからと言って面白さが大きく損なわれることは、あまりないと思っています。その分ホワイダニットやハウダニットに重きを置いていれば、十分読むに堪えうるわけですから。

    本作に欠けているのは、説得力です。とくに、一番怪しげな協力者リーランドが真相を見抜いていたのにヴァンスに言わなかった理由が「義理」だけでは弱すぎます。むしろ、真相に気づいたリーランドを退場させるくらいの力業できてくれたほうが良かったです。二人目のグリーフは、ただ物語を繋ぐだけの無意味な死で、死んでも死ななくても何の記憶にも残らないキャラクターなのでただただ可哀そう。

 

    アリバイトリックと消失トリック頼みなのに、片方がよれよれなので全体を支えることができなかった脆弱な一作です。

 

 

 

ネタバレ終わり

    当初はこんなに酷評するつもりは全くなく、むしろ6作しか作らないと言っておいて出した7作目にしては良いじゃん、と肯定的に書こうと思っていたのだがダメだった。前半でも言ったように次作『カシノ』は本作よりもドラマチックに、またサプライズもしっかり用意されているのでちゃんと好評できる…と思う…たぶん。

 

では!

 

『試行錯誤(トライアル&エラー)』アントニイ・バークリー【感想】奇想天外がぴったりな傑作

1937年発表 鮎川信夫訳 創元推理文庫発行

 

    また、とんでもないものを読んでしまった…恐るべしバークリー。

    う~んあらすじの中に展開バレを含みそうなので、恐恐としますが、とある人物が完全犯罪を目論むお話とでも言いましょうか。この、物語の筋が早々に明かされるため、一見ミステリのジャンルの一つである倒叙形式のようにも思えますが、そこはバークリー。そう簡単にはいきません。

 

    計画と挫折を繰り返す中で、殺人者としての矜持に磨きがかかり、段位が徐々に積みあがっていく過程には、ヒトが決して超えてはいけない壁を超えてしまう瞬間の恐怖を感じます。

    一方で、男の精神の中には、ある種独特のユーモアが混在しており、殺人という大罪を犯す当事者ながら、斜に構えた特殊なスタンスが奇妙な味を出しています。

 

    バークリーと言えば、オーソドックスな推理小説だけでなく、犯人の心理に軸足を置く作風も見どころですが、本作では、肝心要の部分が巧妙に隠されているため、読者ははたして額面通り犯人目線で読んでよいのか、それとも、シリーズ探偵であるチタウィックの目線で挑んだらよいのか、良い意味で宙ぶらりんの状況に留め置かれることになります。

    この中途半端な状況が、膨大な500頁超(文庫版)というボリュームの中で大部分を占めるにもかかわらず、ほとんどダレることなく物語が進んでゆくのは、主人公格の男の人間的な魅力のおかげでしょう。バークリー作品に登場する人物の中には、冴えない、女性不信の、金持ちの独身おじさんがよく登場します。本作でも同様なのですが、彼にはプラスαのエッセンスが備わっているため、そんな男が抱きがちな劣等感ではなく、正義感や愛を感じるのが不思議です。

    また、彼が本書で担う役割にも一捻り加えられています。立証できない殺人犯を演じるかと思えば、一方では巧緻な犯人としての顔を持ち、犯人の犯行を立証する探偵(助手)として汗を流した次のページでは、思い通りにいかず苛立ったり、予想外の展開に右往左往したり、とまるでコメディ俳優のような動きを見せます。

 

    さらに面白いのは、殺人犯の行きつく先=死に対する、犯人の捉え方がミステリに調和している点。普通の犯人は、真っ先に死を避けるために様々な策を弄しますが、彼の場合、敢えて策を弄さずに逃げの一手を打ちます。にもかかわらず、後半では彼の死への思いはぐるりと転換し、さらには多くの登場人物の思いを乗せながら「死ねない」「死なせられない」「死んでほしくない」「でも死んでほしい」とぐるぐると目まぐるしく回転しながら物語が進むことになります。そして、ここに読者が翻弄される最大の要素が詰まっているのです。ネタを割りそうなのでここらで退散…。

 

    本作以上に奇想天外という言葉がぴったりの作品はありません。冒頭でも述べたとおり、全編を通して作者バークリーの特殊な思想が根底を流れており、その水を吸収し育つのは、完成されたミステリなんかじゃなく、招かれざる闖入者によってぐちゃぐちゃに荒らされた怪作です。

    一方で、ユーモアいっぱいに描かれ、また、ヒロイックな物語でありながらシニカルな精神が詰まったバークリーらしさも満載なので、彼の発表した数少ない作品の中でも、まず間違いなく超のつく傑作であり、ATB級と言っても差し支えない一冊だと言えます。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

    推理と言うほどのことはないのだが、本書の展開予想は大きくに分けられる。

  1. トッドハンター氏は女を殺したと証明し、誤認逮捕を阻止する(本書の筋通り)
  2. トッドハンター氏は女を殺したと思い込んでいるだけで、真犯人は別にいる
  3. トッドハンター氏は女を殺し、誤認逮捕を誘発させることで、同時に二人を殺そうとしている

 

    もちろん逮捕されたビンセントがそのまま犯人でも良いし、真犯人の目的が女優とビンセントの二人でも良い。

 

    バークリーの作風でもある「犯人を描く」手法を考えると、トッドハンター氏の胸中から探るに3の可能性も無きにしも非ずか。犯罪を訴える変人(しかも証拠なし)は、ビンセント弁護側からしても迷惑でしかない。

    しかし、それだと、トッドハンター氏とチタウィックの捜査描写は全て無意味だし、やはり2か。こちらはすんなり飲み込める。

    そもそも、殺害後、証拠隠滅(銃弾の回収や指紋消去)を行ったのが怪しい。とはいえ、主題は1なのだから、そこまで疑う理由は無いし、銃の交換のわざとらしさや腕輪の紛失の件は3を指しているようにも見える。巧いなバークリー。

 

    法廷に舞台が変わり、間違いなくトッドハンター氏が犯人になりたがっているのはわかるが、これでバツンと死刑になるのは可哀そう…どうなるのこれ。

 

〜〜〜〜

 

    トッドハンター氏が辿るブラックユーモアが利いたオチと、満足度の高いサプライズが用意された真相など、美点はもちろん多い。また、真相に対する説得力も十分備わっているように思える。終始、彼は誰かを殺さなければならないと感じているし、その使命を痛感するエピソードも前半部で盛り込まれているからだ。

    ただ、改めて読み返すと、この前半のエピソード自体が真相の巧妙な伏線であったことに気づき驚かされた。つまり、殺人を犯す必然性・必要性・正当性を持つ人物に成り代わり、余命幾ばくもない自らが罪を肩代わりをする、というトッドハンター氏の信念(プロット)は、既に事件の前に出来上がっており、第一部「悪漢小説風」全てが一つの伏線として機能していた。これは、ただの殺人者として死ぬというプロローグの会談とは全く違う内容である。それを、派手派手しい超個性的な被害者によって目くらましをかけ、トッドハンター氏という凡庸な殺人者との対比にクロースアップさせることで、真犯人を隠す手法になっているのは凄すぎる。

 

 

 

ネタバレ終わり

    善いミステリとは言えず、手放しで「面白い」とも言えるわけではありませんが、そもそもミステリを評価するための枠組みから大きく飛び出た奇作として、後世に伝えるべき、唯一無二の長編ミステリです。

    バークリーが出した長編ミステリはたった十数作で、本書はその中でもかなり後期にあたる作品。彼がミステリの中で書こうと画策した要素が全て詰まった集大成的な一作として、ぜひ多くのミステリファンに読んでいただきたい一冊でした。入手難易度だけでも、どうにかならんかねえ。

では!

 

『思考機械の事件簿Ⅱ』ジャック・フットレル【感想】失われた短編たちのご冥福をお祈りして

1906年発表 池央耿訳 創元推理文庫発行

 

    今年初の短編海外ミステリです。

    「二たす二は四、いつでも、どこでも、ぜったい四!」が口癖の≪思考機械≫ことオーガスタス・S・F・X・ヴァン・ドゥーゼン博士シリーズ。やっぱり古典ミステリを読むと、心が洗われるというか、初心に戻れる感覚があるので良いですね。

    本書は日本独自編纂の短編集のため、収録作の発表年代もバラバラです。まだ未発表のものもあるらしいので早く全作読みたいなあ…と思っていた矢先!春以降に作品社から『思考機械【完全版】』が二巻分冊で刊行予定、との報が入ってきました。1冊6,800円というややお高い作品ですが、増税の影響が出る前になるべく手にしておきたいところです…いや、というか【完全版】は現代人に読みやすい新訳で刊行されるようなので、ひとまず旧訳の『思考機械の事件簿Ⅲ』までは読んでおこうかなあ…ゴニョゴニョ

 

各話感想

『呪われた鉦』(1912?)

    あえてどんな中編と言いたくない一作なのですが、Twitterで一時期流行った#でもよく目にした一作です。「○○」という要素を抜きにしても、短中編ミステリのATBに選出する読者がいるほど名作の中の名作と言えます。これは新訳で読んでみたいですねえ…

    表題の「鉦(しょう・かね)」はお寺にぶら下がっている鐘とは違い小型の皿状をしており、主に底部を叩いて鳴らす打楽器です。祭りやお囃子で用いられるコンチキをイメージすると良いでしょう。

    日本の小道具が登場する珍しい一編でありながら、ソーンダイク博士顔負けの科学推理小説としての側面も持ち、さらには羊の皮を被った狼のような曲者ミステリであるなど、間違いなく作者フットレルの代表作といって良い名作中編です。

 

『幽霊自動車』(1908)

    シンプルかつキャッチーな不可思議現象が題材の一作。前作『思考機械の事件簿Ⅰ』に収録されている『燃える(焔をあげる)幽霊』と似たタイプの短編です。

    結末はともかく、とにかくお化け屋敷の作り方が巧い結末はともかく、登場人物たちの掛け合いにもちゃんと温度があるので、恐ろしげな雰囲気にもかかわらず、結末はともかくどこか微笑ましく思えてしまいます。

 

『復讐の暗号』(1906)

    捻りはあまりありませんが、オーソドックスな暗号ものの秀作です。また、「暗号」そのものに仕掛けられたトリック以上に、登場人物自体に読者を煙に巻く仕掛けが施されている点も見逃せません。というか暗号自体が添え物なんですよねえ…恐れ入りました。

 

『消える男』(1907?)

    この短編集の中でも少し異質の作品です。毛色が違うというか、ブラウン神父っぽいというか…不可思議な事件自体にフィーチャーした一作で、また一つフットレルという作家の多才さを裏付けています。こちらもトリック云々より、斜め上を行くオチが印象的です。

 

『跡絶えた無電』(1908)

    船上というクローズドサークル内で行われる殺人事件です。船上のミステリというとクリスティの『ナイルに死す』やカーの『盲目の理髪師』、キングの『海のオベリスト』が思い出されますが、本作はそれらが発表される30年も前に発表されています。

    中身はやや小粒の感もありますが、フーダニットだけでなくホワイダニットにも重点置かれており、船長と一等航海士の熱い友情も見どころの一つです。

 

『ラジウム盗難』(1908)

    短編集には必須の盗難事件が登場です。さすがにトリックが陳腐なので、名作とは到底言えませんが、≪思考機械≫が関係者による事件当時の証言から論理的に真相に迫って行く部分はよくできています。また、ユーモラスなオチも魅力的。読者の追及の手をスルリと抜ける技量にニヤリとします。

 

『三着のコート』(1907?)

    本作を読むと、やっぱり書かれた当時の探偵たちは自ずとシャーロック・ホームズを意識して書かれていたのだと痛感します。

    あらすじは、見知らぬ男にコートを三着も引き裂かれて物色された男の話。摩訶不思議な状況と、真相、そして特徴的なオチにいたるまで、どこを切り取ってもホームズぽい。良いとか悪いとかはないんですが、もう少し≪思考機械≫らしさを期待してしまうのはしょうがないかもしれません。

 

『百万長者ベイビー・ブレイク誘拐』(1906)

    さる名作に対するフットレルのリスペクトの表れともとれる一編です。雪上の足跡の元祖的な作品としても、ぜひミステリファンには一読して欲しいところ。種々の要素と偶然の符合が重なった複雑なプロットも見どころの一。出来不出来ではなく、単純に「好き」な一編でした。

 

『モーターボート』(1908)

    ショッキングな発端に始まり、印象的な登場人物が配された殺人事件がテーマ。短編の中でスピーディーに二転三転させる手腕が見事です。古典の中で日本人が登場する珍しいミステリとしてもオススメできる一作です。

 

『百万ドルの在処』(1907?)

    嫌でも想像力を刺激する“失われた遺産”をテーマにした一作。こちらも似たような作品がホームズものの中にあった気がします。それだけじゃなく、解説のとおりアブナー伯父ものや、セイヤーズの短編、ポワロものの短編にもありました。

    フットレルが想定していたかどうかは不明ですが、“失われた”過程が描かれるシーンに不思議な空気感が漂っている(気の所為かも)ので、勝手に推理が飛躍して変な方向に行っちゃったのは反省です。

 

『幻の家』(1907)『嗤う神像/家ありき』

    解説によると『幻の家』というのは便宜上のタイトルで、メイ・フットレル夫人による前編『嗤う神像』が問題編。そして後編『家ありき』がジャック・フットレルによる解決編、と夫婦二人による連作短編の体になっています。

    正直「二人で話し合ったんじゃないの~?」と疑いたくなるほど、超自然現象を扱った雰囲気が絶妙にマッチしていて、解決もコレしかない!という見事なもの。

    夫人が書いたという先入観のせいかもしれませんが、前半部の細やかで丁寧な描写は、逆に脆く不安定な事件現場の恐怖を盛り上げていますし、≪思考機械≫に成りきった夫ジャックによる解決編では、推理ゲームの締めくくりの一文がオシャレに輝いています。

    世間から隔絶された、標識も外灯も無い辺縁の地なら、今でも十分起こり得る耐久性のある短編ミステリでした。

 

おわりに

    作者ジャック・フットレルと言えば、あのタイタニック号の沈没で命を落とした著名人の一人です。タイタニック号とともに海の底に沈んだ≪思考機械≫ものの短編も数多くあったようで、今春刊行の【完全版】ですら真の意味で完全とは言えないのは何とも寂しいかぎり。

    ≪思考機械≫自身は、ホームズを踏襲した超人探偵ではありますが、設定や特殊なサプライズの数々、トリッキーなオチは、フットレルが書いてこそのミステリです。【完全版】は少々お高いですが、皆で買えば家電みたいにいつか安くなるんですか?文庫化されるんですか?

    もっと多くの人に≪思考機械≫と出会う機会が増えますように。

では!

『オルヌカン城の謎』モーリス・ルブラン【感想】時代がルブランに書かせた愛国の書

1916年発表 アルセーヌ・ルパン9 井上勇訳 創元推理文庫発行

 

    本書をアルセーヌ・ルパンシリーズと呼んでいいのかどうか、まだ悩んでいます。

  発表順に言うと9作目にあたる本書は、第一次世界大戦(1914)勃発直後の激動の2年間にモーリス・ルブランによって書き上げられた一作です。

    本書最大の魅力は、ルブランの作風でもある史実を元にした重厚な物語でしょう。終始フランス人である作者ルブランの視点で語られるため、かなり偏った描写があるのも事実ですが、それら『偏った視点』そのものが、苛烈で陰惨な戦争のリアリティを生み出しているのも確かです。

 

    舞台は、大戦初期のフランス・ドイツ両国の主力同士による「マルヌ会戦」前後。イギリスやベルギーをも巻き込んだ、血で血を洗う激戦とその後の終わりの見えない塹壕戦に至るまで、「そこまで酷く描写するか」「そんなに煽る必要があったのか」と悲しく、やりきれなくなるほど、フランス愛とドイツに対する敵愾心剥き出しの文体が胸を打ちます

 

本書の主人公はフランス人青年ポール・デルローズ。新妻であるエリザベートとの新婚生活に期待感を募らせていた矢先の1914年7月30日、物語は静かに動き出します。彼の愛する父を殺した、ドイツ人暗殺者とエリザベートの家系との関係とは一体何なのか、大戦を動かすドイツ軍の壮大な作戦の裏には何があるのか。フランスの古城オルヌカンを舞台に一世一代の戦いが始まる…

 

    終始戦争に絡められた重たい内容にはなっていますが、ルパンに比肩する無鉄砲で知略家で腕っぷしの強いデルローズ青年の強烈な個性が、ぐいぐい物語を牽引してくれます。また、デルローズの義弟ベルナールもデルローズに負けず劣らずの才気煥発を発揮するので、二人のバディものとして楽しむことも可能です。二人がルパンシリーズに見られるような変装やトリックを多用することは無いものの、フランス対ドイツの「謎解き」を中心に据えたミステリの様式はしっかりと出来上がっています。

 

    一方で、正統な「ルパンシリーズ」の一作としてはオススメできないのが正直なところ。

    フランス中に伝播する生々しい戦禍から、目を覆いたくなるような物語のオチまで、あくまで第一次世界大戦を題材にしたフィクションとして、また、戦争小説の一つの入門書、派生作品として、興味のある方にはぜひ手に取ってほしい一作です。

 

    戦争の火種が燻り続ける今復刊されれば、もっと多くの人に読まれるのかもしれません。もちろん、読まれないほうが状況としては良いとは思いますが…

では!

 

『カササギ殺人事件』アンソニー・ホロヴィッツ【ネタバレなしなし感想】完璧なイギリスのミステリ

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2016年発表 山田蘭訳 創元推理文庫発行

 

    フォロワーの方にオススメしていただいた(おねだりした)一作です。2018年末の主要なミステリランキング全てにおいて1位、と大傑作であることは折り紙付き。Twitter界隈のリアルな評価も高く、読む前から既にブログで脱帽&脱帽する気配は漂っていました。

    事前予習した『ストームブレイカー』の効果は全くなかったのですが、とにかく面白かったです。たぶんオススメされていなければ、十年か二十年後にしか読まなかった作品なんでね…「今」の傑作海外ミステリを紹介していただいた、こいさん@Gyaradusには深く感謝。

 

 

本文(ネタバレなし)を飛ばす

 

    さて、本書の紹介といきたいのですが…たぶんこの記事を読んでいる方ってのは、ほとんどが『カササギ殺人事件』読了者なわけでしょう?これだけタイトルを総なめにした傑作ミステリなんだから、「なにそれ?知らない」なんて読者はいてないんですよね?ね?

 

え?いる?

 

まだ私読んだことない!って?

 

    そうですか。なら安心してください。今回は「展開バレ」的な部分も含めて、終始ネタバレせずに感想を書いてみたいと思います。当記事を読んで「どんな話だかよくわかんなかったけど面白そう」と思っていただければ幸せですし、「本当に何の話なのかわからなくて怖い」と思わせてしまったらすいません。

 

 

    まず、本書の帯が既にネタバレです。未だ手に取っていない方はくれぐれもご注意ください。本屋に行ったら何も見ずに、赤と青の2つ並びになった文庫本を手に取りましょう。ちなみに私が所持している本の帯を、参考までに載せておきますが安心してください。もちろん修正済みですし、本書を紹介するのにものすごく大切なことが書いてあります。

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「完璧」な「イギリス」の「ミステリ」

 

    必要な情報はこれくらいで十分。※もちろん帯が伝えたい内容とはまるっきり違います。

    海外の古典ミステリの中にはまず間違いなく、傑作・名作と呼ばれるに相応しい長編ミステリが数多くあるわけですが、その中に「完璧なミステリ」と評される作品はほとんどありません。ただ本書に限って言えば「完璧」と評価しても差し支えないと思っています。

    では、何が「完璧」なのか。それは、徹頭徹尾貫かれた物語の構成、筋≒プロットです。100点満点中100点。一つのミスもなく、齟齬も瑕疵も無い、完全無欠のプロット。次のページを捲るとどんな展開が待っているのか、読者の興味を常に高いレベルで維持させる全美なプロット。この一点においては、今まで読んできた拙い海外ミステリ経験(約250冊)の中でも、文句なしにトップクラス。それが『カササギ殺人事件』です。

 しつこいようで申し訳ないのですが、プロットが文句のつけようがないほど完璧なおかげで、上下二巻というボリューミーな分量にもかかわらず、終始面白さを損なうことなく(個人的には上巻≧下巻)高いリーダビリティを維持しながら読了させてしまう、という良い意味での“強引さ”はなんとなくわかっていただけたでしょうか。この時点でボンヤリでも「へえ~完璧なプロットかあ…面白そう」と思っていただければ御の字。ぜひ書店でお買い求めください。

 

 

 「こいつほんと何言ってんのかわかんねえな」というそこのあなたのために、もう少しだけ絞り出したいと思います。

    それは、作者が構想15年という長年月をかけて創造した、ミステリという、間口の広いジャンルの特性を最大限に生かした特殊な仕掛けです。

    時は2018年。ミステリの勃興から150年以上の月日が経ち、偏にミステリと言っても数多の細分化されたミステリのジャンルが生み出されています。クラシカルなフーダニットから、ミステリでありながらミステリを拒むと言われる奇書なるミステリまで、その種類は千姿万態です。

    そして、種類の多さに比例して、現代の読者の好みも様々。クラシック・ミステリファンと奇書愛好家が必ずしも両極にいるわけがありませんが、本書『カササギ殺人事件』には、読者の“好みの差”という枠に囚われず(対象を絞らず)に、全てのミステリファンを楽しませる仕掛けが施されています。

    ただ、決して本書が唯一無二というわけではありません。似たような形態のミステリは、過去にいくつもあったでしょう。しかし、ここでまた前半に戻ってきます。この特殊な仕掛けを「完璧なプロット」の中でやり遂げてしまったことこそ、歴史に残る圧倒的な傑作だと呼ばれる所以なのかもしれません。

 

 あと書いておきたいことはほんの少しです。あとちょっと我慢してください。本書の功績は、歴史的な超傑作を生みだしたことだけではないのかもしれません。

    ディープなミステリファンだけでなく、ライト層の、いや、そもそも海外文学すらあまり手に取らず、ましてやミステリにも興味がない、という新しい読者までもミステリの沼に引きずりこむことにも成功している点にあります。

    それは、作者アンソニー・ホロヴィッツの類稀なる才能を活かした絶妙なアレンジと、長い歴史と伝統を持つミステリに対する熱烈で純粋な愛の結晶です。

    この点は、ミステリ愛好家たちのために書かれたとしか思えない、サービス精神満載の友情出演、ミステリ用語のお手本となるような仕掛け、数えきれないほどの伏線などのギミックを除けると尚明瞭になります。愛着の沸くキャラクターやロマンティックな人間ドラマ、グロテスクな人物造形、シンプルでありながら深遠な愛や友情。それら自体の描写も、物語への結合も全てが高品質です。読まれるべくして読まれている、そんな必然性をも感じる超傑作でした。

 

 

         本文終わり

おわりに

 今回は無駄にネタバレに配慮しながら書いてきましたが、そもそも本書の最初の1ページを読むだけで、ミステリファン云々関係なく違和感しか生じず、ネタバレなんて関係なくなってきます。でも大丈夫。何も気にせず、戸惑わず、考えずに読み進めましょう。

    もし、裏表紙のあらすじも読まず、公式ホームページの商品紹介も読まず、強いて言えばこの記事の本文でさえ読まずに本書を手に取れたなら、あなたは幸せです。

 一人でも多くの読者が、ピュアな気持ちで『カササギ殺人事件』に触れることができるように心から願っています。

では!

 

『曲がった蝶番』ジョン・ディクスン・カー【感想】ホームラン級の一作

1938年発表 ギデオン・フェル博士9 三角和代訳 創元推理文庫発行

 

 ギデオン・フェル博士シリーズはこれで9作目になりました。少しだけおさらいをしておくと、彼の初登場作は『魔女の隠れ家』(1933)当時は“辞書編纂家”という肩書でしたが、その後はロンドン警視庁の非公式な顧問として多くの難事件に関わってゆきます。

 カーの想像した主な三人の探偵たちは、全員が尖った個性を持つキャラクターです。“法の執行者”を体現する悪魔的なアンリ・バンコランや、“生粋の軍人”を絵にかいたようなヘンリー・メリヴェール卿と違って、“天才肌”でありながらちょっぴりお茶目なフェル博士は、ミステリ初心者にも親しみやすいはずです。

黄金の羊毛亭で、フェル博士を長嶋茂雄に、H・M卿を野村克也に例えていたのが衝撃的すぎて忘れられません。もう、そうとしか見えない。

 

 正直なところ、これまでフェル博士シリーズは(言い方が悪いですが)第6作『三つの棺』だけ読めたらいいな、という軽い気持ちと惰性で読み進めてきたところがありました。各長編ごとに新たな読者への挑戦と実験精神が詰まった力作ぞろいではあるのですが、『三つの棺』ほど完成された長編には出会えませんでした。既に擦り尽くした評ですが、カーの作品が「出来不出来の差が激しい」というのは、あながち間違っていないのかもしれません。

 しかしながら、本作『曲がった蝶番』は違います。間違いなくホームラン級の一作です。打率で言うと2割2分2厘ですから、安定感はありませんが「当たったら怖い」がぴったりの外国人助っ人として、これからも読書リストのクリーンアップをまかせたいところ。フェル博士の巨漢を活かした豪快なフルスイングを見ると、やはり美しいアーチを期待してしまいますし、実のところ打球(その他8作)の軌道は悪くありません。

 

 なんのこっちゃわからなくなってきたので、話を戻すと、ブラックホール並に強い引力を持つ導入部と、金城鉄壁の不可能犯罪。そして、次第に濃度が増す怪奇趣味と脳を直接揺るがすような圧巻の解決編。これだけで、読む価値としては十分すぎます。フェアプレイの点で多少の難があるのは否めませんが、解決編の意匠・演出についてのみ言えば、満点を上げたいところ。たった一文で視界がぐんにゃりと歪んでしまうような(真相と言う意味では視界はくっきり晴れるわけですが)衝撃的な真相は、その性質ではなく、明かされるまでの綿密な空気づくりが巧妙です。

 

 やっぱりあらすじだけ簡単にご紹介しておきましょう。村の権力者である准男爵のもとに、本物の准男爵を名乗る男が来訪します。どちらも本物を主張する摩訶不思議な状況の中、ついに事件が…この魅力的な発端が、奇怪な小道具の影響で予測不能の事態へと進んでいきます。この続きは是非とも実際に本書を手に取って体験してください。シリーズ作品の良さを阻害する要素がないため、単体でも十分楽しめるはずです。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

 のこのことやってきたパトリック・ゴアと家庭教師のマリーに死亡フラグが突き刺さるなか、読者をあざ笑うかのように、カーはファーンリーを殺してしまう。なんだこれ。これだけで並の作家じゃない(知ってる)。しかも、ほぼ完ぺきな不可能状況も成立させてしまっている。

 ぱっと思いつくのは紐に付いた凶器を手繰り寄せてファーンリーの喉元に突き刺す方法(具体的な方法はちんぷんかんぷんだが)。これなら、背後や茂みの中に身を隠していれば何をしているかわからないし、ファーンリーの近くにいなくても実現可能だ。

 そして、この方法なら唯一の目撃者ノールズを含め、多くの人物に嫌疑が生まれる。目撃者ノールズ自身が犯人なら面白そうだが…

 

 まずは、ファーンリーが殺された理由(動機)を考えなければならない。自殺は端から問題外として、指紋帳の存在だけでファーンリーが偽物の准男爵だと想定できる。指紋帳の真贋や、ゴアとマリーの共犯関係の有無がどうあれ、ファーンリー殺害の動機には絶対にならない。

 死んだところで指紋の照合はできるし、彼の死を望んでいた人物に見当もつかな…と思っていたが、もし彼が本当に偽物(わかりにくいな)だとしたら、真っ先に彼を憎むであろう人間がいた。

 妻のモリーだ。彼女は幼少期から、ファーンリー(当時は本物)に対し偏執的な愛情を注いでいた節もあり、長年愛情を傾けていた男がファーンリーではなかったと知ったなら、その裏切り行為への報復として殺したくなるに違いない。

 

 ただ、殺害方法についてと、事件と自動人形〈金髪の魔女〉との関連性がわからない。メイドのベティの証言「古い人形の膝のところに目が合ったんです(頁289)」からすると、人形の中に隠れて人形を動かした可能性が見えてくるが、頁211ではエリオット警部の手によって「なにかが入る余地はない」と否定されている。

 悪魔信仰やヴィクトリア・デーリーの死などはモリーを指し示しているように見えるが、ハウダニットが難題。ここらで降参。

 

推理

モリー・ファーンリー(偽ファーンリーの裏切りを知って、憎悪による殺人)

 

真相

パトリック・ゴア

モリー・ファーンリー

 いやはや、完全にやられました。冒頭からやけに手の込んだ会談だなあとは思ったのですが、殺人そのものも計画の内だったとは驚かされました。

 あと、これは完全に自分のミスですが、〈金髪の魔女〉に「小さな子ども(頁211)」が入れるくらいのスペースがあった記述を読み落としてました。そのほんの少し前にエリオット警部が否定してるので、完全に気が抜けていたようです。

 さらに、自分の想像力が乏しいのか、ファーンリーの『曲がった蝶番』に関する記憶と、両足が切断された経緯については、そこまで巧いとは感じませんでした。もちろんゴアの告白にはゾッとしましたが…

 

 当初はほとんど軽蔑しあっているように見えたモリーとゴアも、真相を知った後よくよく読み返してみるとガラリと見え方が変わるのは、読者が思っている以上にカーの登場人物たちの書き込みが巧かった証でしょう。

 また、変装や自動人形の操縦や殺害方法など本件を構成する要素全てが、サーカス経験を蓄積したパトリック・ゴアを指している点も見逃せません。

※ダミーのヤヌスの仮面や、タイトル『曲がった蝶番』もパトリック・ゴアに関連しています。

 

 最後に、これ凄くない!?というところを一つだけ。

真犯人ゴア、どこから消えた?どこまで出てた?

 創元推理文庫の【新版】で確認してみたところ、なんとゴアが最後に表舞台で喋って存在感を出したのは、まだまだ物語中盤であるはずの頁213が最後でした(ゴアの存在確認だけで言えば頁235)。しかも内容はようやっと自動人形〈金髪の魔女〉の実物を検証する、というまだまだ発展の段階。

 その後しれーっと姿を消すわけですが、なんの違和感も無いのには目を、というか自分を疑いました。あれ?ずっと出てた気がするけど…でも出てないんですよ。

 

 物語の進行通りに辿ってみると、その後ファーンリーの検死審問が開かれるのですが、ここでもゴアは目立ちません。ちなみにモリーの存在が確認できるのはここ(頁231あたり?)が最後です。ここで彼らを隠すのは、フェル博士顔負けの巧みな弁舌を披露するマデライン・デイン。彼女の円転自在な証言のおかげで、読者はファーンリーに隠された秘密にのめり込む反面、どんどんゴアとモリーの印象が薄れてゆきます。

 その後舞台は転換しますが、ゴアとモリーには掠ることなく、マデラインとペイジによる、ヴィクトリア・デーリー事件の謎解きが始まります。本書冒頭から仄めかされている事件だけに、読者はこの箇所にも意識を持っていかれます。もちろんゴアとモリーは蚊帳の外です。

 さらに、畳みかけるように、〈金髪の魔女〉が恐ろし気に登場し、またまた舞台はフェル博士の元に返ります。

 そして、ようやく〈金髪の魔女〉目撃者ベティの証言が語られる(正直遅いくらいなのですが)のです。これまた、事件の謎の解明に必須である、という雰囲気が満ちているので読者は目を離すことはできません。このころには、完全にゴアとモリーの存在を忘れています。

 これらが消化されてから、第一の解決編と相成ります。しかし、ここでもフェル博士は

ゴアさんにも使いを出したよ。-レディ・ファーンリーも呼んでもらえんかね。(頁304)

と言うだけで、結局彼らはそのまま姿を消してしまうのでした。

 

 作者カーによる犯人逃亡までの時間稼ぎが、あまりにも美しく、かつ物語としても全く面白さを損なうことが無いのはとにかく素晴らしいと思います。それだけ、謎の魅力の力強さとそれを飾りつける怪奇要素の水準が高いということでしょう。

※ 検死審問でのゴアの落ち着いた様子も、〈金髪の魔女〉が明るみになった時点(頁213)で形成の悪さを察し、心ここに在らずでせっせと逃亡計画を練っていたから、と考えると、味わい深いものがあります。

 

 

 

ネタバレ終わり

 ネタバレ感想の方で、書くうちにどんどん熱が上がってしまったせいで、もうこれ以上書くことが思いつきません。ネタバレの最後にも書いた要素が、個人的にはかなりツボったので、ぜひ多くの方に読んでいただいて、感想を聞いてみたいところ。

 カーの作品の中でもベストオブベストかと聞かれるとそういうわけではないのですが、印象に残るという意味では強烈ですし、『三つの棺』に次ぐ(今のところ)名作とは言えそうです。

では!

『あなたは誰?』ヘレン・マクロイ【感想】作者自信満々の力作

1942年発表 ベイジル・ウィリング博士4 渕上瘦平訳 ちくま文庫発行

 

    建物を建てる時に最も重要な要素は基礎だとよく言われる。基礎がしっかりしていないと、地震や洪水などの災害に見舞われたとき、その家は耐えきれずに脆く崩れてしまうからだ。

    これはミステリでも同じだろう。「着想」と「発展」という2点の要素において、常に魅力的であり、論理性があり、豊富であり、一貫性があるか(ほぼエラリー・クイーンの受け売り)。この観点から、プロットの完成度はそのまま作品の完成度に大きく影響を及ぼすと考えている。(もちろんプロットが良くても最後に大コケする作品もある)

 

    だからこそ、プロットの完成度が高い作品を読んだ時に、作者の自信をひしひしと感じる時がある。「どうだ!」「これでもか!」と言わんばかりの強い気概を叩きつけられているような感覚だ。

   まさに、本書『あなたは誰?』は、作者が自信たっぷりに読者に突きつける〈挑戦状〉である。開幕の合図は、ある女性歌手の元に届く匿名の電話による不審な警告だ。警告の内容から彼女の知人であることは疑いようがない状況に不安と疑念が募るが、彼女は危険を承知で事件の舞台へと乗り込んでゆく。

 

    匿名の電話?しかも誰だか見当もつかない?そんなばかな、少なくとも声色から男か女か、くらいはわかるだろう、とお思いだろう。ここは、翻訳も相当難しかったのではないかと想像できるが、ふたを開けてみると完全にお手上げ状態。

    ベイジル・ウィリング博士シリーズの他の作品を読んだことのある読者には共感を得られるかもしれないが、本シリーズにおいて、先入観や思い込みといった読者の心理状況は悉く推理の妨げになる。

    そうやって作者に手玉にとられる危険性を知っていると、この冒頭の数ページを読むだけで、すでに本書は始まっている(当たり前なのだが)、仕掛けられている、というヒリヒリしたサスペンスフルな空気を感じるだろう。

 

    この緊迫感のある冒頭の余韻冷めやらぬうちに、摩訶不思議な事件が次々と発生する。ウサイン・ボルトは100mの予選などで、ゴール前では完全に流してしまうシーンをよく目にしたものだが、ヘレン・マクロイは事件の発展まで全力疾走だ。この間にシリーズ全体の見どころでもある心理実験も絡めつつ、決して読者を飽きさせることなく進んでゆく点も見逃せない。

 

    さて、これで感想自体は終わりたいと思う。唐突にボルトの話をしだした時点でお気づきだろうが、正直に言おう、自信がないのだ。ヘレン・マクロイ自身の強い自信を上回る秀逸な書評ができる自信がない。

    ネタバレ感想ではもう少し踏み込んで書いてみようと思うので、ぜひ未読の方は手に取って読んでいただきたい。

 

    シリーズ作品とはいえ、レギュラーキャラクターが登場しない点で単体で読むにはとても適している心理学を絡めた傑作ミステリ、という一文だけではとてもじゃないが言い表せないほど、魅力がたっぷり詰まった一作だ。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

    匿名の電話の主だが、一見文面(口調)からは男性のように感じる。

    この先入観は危険だ。いや、先入観(男)は危険(女)と思う時点で、作者と訳者の思うつぼか…

 

    ここは、単純にフリーダに来てほしくない理由から推理するのが得策。

1.アーチーとフリーダの結婚に反対

これなら姑のイヴと幼馴染のエリスが該当する。事件が起こってからは、別の理由が浮上する。

2.殺人計画にフリーダが邪魔だったから

ただこの理由の場合、チョークリーの死とフリーダを繋ぐ輪が見当たらない。二人は知人同士だった?描写は無い。

3.そもそも電話自体がフリーダの狂言?

これなら恐ろしいが、さすがに三人称で語られている以上、電話の描写がフェイクならアンフェア極まりない。多分違う。

 

    チョークリーの正体がゆすり屋だと判明してからは、俄然アーチーが怪しく見える。フリーダを遠ざける策があったことから、婚約者アーチーの明かされたくない真実をネタにチョークリーがゆすっていたと考えるとある程度つじつまは合うが、チョークリーの訪問が突然だったことと、アーチー自身が訪問にポジティブだったことの説明はつかない。

    怪人物ルボフとジュリアの関係を考えると、ジュリア犯人説もあり得るかと思ったのだが、フリーダへの脅迫の説明の方がつかなくなり袋小路に。降参。

 

推理

結果

ジュリア

    二重人格の事実が明かされたとたん、靄が弾け飛んでパっと目の前が明るくなるあの感じ何なんでしょうか。凄い。

    さすがに、本書最大のテーマ“二重人格”の仕掛け無しでは全体的に機能不全になることは明らかなので、ある程度最終盤まで引っ張る必要性については理解できますが、“二重人格”そのものを推理して論理的に謎解きするのは至難の業

    あと、最初っから最後までフリーダが全くルボフについて触れようとも(考えようとも)しないように見られるのもさすがに無理がある気がします。

 

    二重人格の取り扱いで特に秀逸だと思われるのは、マークの中の人格(副人格)がマーク自身には認知できず、妻であるジュリアのみがその真実に気づきマークの政治家としてのメンツを保つために奔走している点。

    さらに、ルボフの思惑(フリーダを遠ざけたい)とジュリアの願い(マークを守りたい)が交錯し、ジュリアにとっては最悪のタイミング(チョークリーの来訪)がやってきて、殺人の選択肢を選ぶしかないという悲劇的な展開が印象に残ります。逃亡の末事故死というオチも納得です。

 

    悲劇の元になったマークの心情や妻ジュリアとの関係を吐露する頁192~は改めて読み返すとやはり胸に来るものがあります。彼に着目して再読したくなる、名登場人物作品です。

 

 

 

ネタバレ終わり

    もうこれ以上はなにもない。ベイジル・ウィリング博士が探偵である必要性において、本作ほどその役割に責任が伴う作品は、今まで無かった。

    前半の最終部では、単体でも読めると言ったが、前三作の登場人物の名前がさらりと明かされているため(ミステリ的には問題なし)、どうしても気になる方は前作を読むことをオススメする。

    2019年2月現在前3作『死の舞踏』『月明かりの男』『ささやく真実』全てが新刊で手に入る状況なので、購入希望の方はお早めに。

では!

『動く指』アガサ・クリスティ【感想】隠れた傑作

1943年発表 ミス・マープル3 高橋豊訳 ハヤカワ文庫発行

 

2019年初クリスティは、ミス・マープルシリーズ第三作。

当ブログでも度々言っていることだが、筆者ぼくねこは海外ミステリをほぼ発表年順に読んでいる。所持している1910~1930年代(約250冊)のミステリの多くを読み終えたため(穴あきもあるが)、ようやっと1940年代の海外ミステリにも手を伸ばし始めたのが昨年の終わりごろだった。このままの計算(50冊/年)では、1970年代に書かれたポワロものの後期作品を読むのは少なくとも10年後になる。人間どこでどう死ぬか全くわからない。だからこそ、早めにクリスティ全作は読み終えたいのだが…

40歳でクリスティ読破、となるとそれはそれで、ちょうど息子(10年後は中学生)にも勧めやすいタイミングなのでアリか。

 

粗あらすじ

傷痍軍人バートンは療養のために妹を連れて都会ロンドンから田舎町へとやってきた。心穏やかに静養できるはずのまるで“いやな事件など起こりそうにない”平和な土地にやってきた矢先、陰湿で醜聞的な嫌がらせが頻発しだす。疑心暗鬼になった村人たちの不和が広がる中、ついに悪質ないたずらの犠牲者が…

 

クリスティ作品には珍しいことに、物語の多くをけん引するのは、高名な名探偵ではなく、傷痍軍人のバートン。彼はおせじにも知性溢れる人物とは言えないが、軍人らしい行動力と活力に満ち、村人からはそれなりに頼られる一目置かれた人物像に仕上がっている。

そして、彼とコンビを組んで物語を盛り上げるのが、妹のジョアナ。ロンドン育ちだけあって都会的であか抜けたキャラクターで、恋多き(というかダメ男に惹かれやすい)女性だ。

この兄妹が、お互いの恋愛観や異性交遊を弄り合い、励まし合うのが物語を楽しくさせている一つの要因になっている。こんな二人が表に出っ放しということは、もちろんクリスティ風のロマンスがあると思っていい。ここらへんはミステリに大きく関係ないので省略するが、もうすぐ30を迎えるおっさんでもそれなりに楽しめた。というのは強がりで、普通にニヤニヤしたし、ふふふ、くらいの声は出た。正直に言うと、大好きだ。

 

事件の題材は、一種の病的な嫌がらせを端に発する事件、ということで、はたしてそれが本当に病的なものなのか、それとも、ちゃんとした知性に支えられたものなのかで展開が大きく変わってくる。

最近読み進めているヘレン・マクロイのウィリング博士(精神科医)だったらどう料理するだろうか、などと妄想しながら読み進めていったが、やはり、不気味な事件の背景をいつまで経ってもハッキリさせないクリスティの筆致が冴えている。事件後は警察の専門家も登場し、探偵役の交代かと思いきや、彼らもまた上手い具合にポンコツだ。

 

そうこうしているうちに、ほとんど進展もないまま傍観を続けた結果、事件は平和な村で起こるはずもない悲惨な結末へと発展してしまう。ここにきて緊迫感が一気に増し、プチパニック状態が起こるが、ここでようやく事件が整理され、怪しげな登場人物たちの化けの皮が徐々に剥がされるに至って、読者はハハンと確信する。ここからが本番だな、と。いや、ここからだ、と思い込んだときには既にクリスティの掌で転がっているのだ。クリスティが私の経絡秘孔を無慈悲に突き「お前はもう死んでいる」と言う声が聞こえる。

 

さて、本来なら、ある程度早い段階で〈読者への挑戦状〉くらいは顔面に叩きつけても良いくらいなのだが、クリスティはラストに向けて挿話を綺麗に畳んでゆく。この手際もまた素晴らしい。ただ素晴らしいのは「手際」だけであって、畳まれた衣服の形自体はやや不揃い。オチにも多少強引なところもあるが、ここはあえてドラマチックと言い換えてあげてもいいだろう。

 

魅力的でミスリードになる挿話にはそこまで尖った部分は無いが、クリスティは探偵役ミス・マープル自身にもある種の魔法をかけている。ぜひここは本書を読んで体験していただきたい。

タイトル「動く指」が暗示するとおり、自分もクリスティの魔法にかかってしまったのか勝手に指が動いて、いつもと違う変てこな記事になってしまった気もするがそこはご容赦いただきたい。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

モナの自殺、そしてメイドのアグネスの殺害が起こる中盤まで読み進めて、ある程度事件の構成は読める。モナの死こそ犯人の真の目的で、アグネスはそれに気づいてしまったから殺された。もちろん怪文書の差出人が犯人で間違いないだろう。

あとは怪しい人物から絞り込むだけなのだが…最有力はシミントン家の家庭教師エルシー。不思議な魅力をもつ美女で、ディック目当てだと考えれば一応は納得できる。怪しすぎて逆に全然犯人に見えないのは問題だが。

パイ氏も犯人候補にしてみたくなる怪しげな人物だが、登場人物一覧に載っていないので犯人ではない(←暴論)。

あと一瞬だけ疑ったのは、リトル・ファージ邸のお手伝いパトリッジ。アグネスは犯人について知った(であろう)ことを伝えようとした矢先に殺されたので、彼女が秘密を持っていることを知っていたのはバートン兄妹とパトリッジしかいない。シミントン家の人間が彼女の電話を盗み聞きしていない限り。

…ということは、やはりエルシー犯人説もあり得るか。ただ、アグネスの殺害方法からは力のある男性という犯人像が浮かぶ。オーエンもジョアナが惹かれている“ダメ男”という点は候補に入るが、それだけじゃなんともなあ…まさかだけどディックか?

クリスティの作品ではよくあることだが、仮説はいくつかあっても決定的な描写がないのが厄介。

 

推理

ディック・シミントン

結果

正解…はしたけど…

う~ん何回クリスティに転がされたら気が済むんでしょうか笑

あえて書くまでもないことかもしれませんが、シミントン夫人の死によって得をする人物を隠す煙幕が巧妙です。ジェリー・バートンという一人の男性を語り手にして、男性目線でエルシーを見るように誘導することで、ディックの恋慕という決定的な動機に気づきにくくなっています。このジェリーを語り手にすることによる誘導は、叙述による心理操作トリックと言い換えてもいいでしょう。

また、タイプライターの寄贈や用いられた封筒も、それらを寄贈する前に準備することで、時系列を誤認させるトリックになっているのも秀逸です。

これは余談ですが、並の作家なら、アグネスの殺害方法にもっと(便宜上)女性的な方法を取らせたと思うんですよねえ。毒殺は避けるとしても、エメに嫌疑がかかるよう誘導するのもアリだったとは思うのですが、あえてここで犯人の残虐性と焦りを出させた(ドジを踏ませた)のもクリスティの技能の高さの現れでしょうか。

 

 

 

ネタバレ終わり

本書は数多のクリスティ作品の中でも、語られることのあまり多くない作品だとは思う。しかしながら、何度か読み返すと、コミカルで柔らかな作風に交じってクリスティが実に挑戦的な仕掛けを施していることがようくわかる。それは紛れもなく真相に直結し、真犯人に大打撃を与える一手なのだが、読んでいるとその伏線には全く気付かないまま解決編へと突入してしまう。

物語の面白さを備えつつ、そのベールに覆われてミステリ的な装飾を施す手腕に改めて脱帽する。クリスティ作品の中でも間違いなく上位に来る隠れた傑作である。

では!

 

『三人の名探偵のための事件』レオ・ブルース【感想】パロディものと侮るなかれ

1936年発表 ウィリアム・ビーフ巡査部長1 小林晋訳 扶桑社発行

 

初レオ・ブルース、ということで、まずは簡単に作者紹介からいきましょう。

レオ・ブルースという男

レオ・ブルース(本名ルパート・クロフト・クック)はイングランド・ケント州生まれですが、その後アルゼンチンで就学し、書籍の批評家や編集者として働きながら、本名名義でも自伝・普通小説・詩などの多くの書籍を世に送り出します。

1953年、同性愛者の嫌疑を受け6か月の服役命令を受けて以降、彼はモロッコに移住し、その後もチュニジア、キプロスなど異国の地を旅して15年以上の月日を過ごしました。

そんなブルースのミステリとしての代表作は、ポワロを始めとする名探偵たちをモチーフにした人物が登場するなど、パロディものの傑作として知られる本書『三人の名探偵のための事件』。本書を皮切りにウィリアム・ビーフ巡査部長シリーズを8作、そしてパブリック・スクールの歴史教師キャロラス・ディーンものを20作以上発表します。

後者については、学校を舞台にしているだけあって、アクの強い校長やヤンチャな問題児など個性的なレギュラーキャラクターやユーモア描写も魅力の一つらしく、日本ではシリーズ第一作『死の扉』ぐらいしか手に入りにくいのはなんとも勿体ないところです。*1

 

 

本書のあらすじはごくごくシンプル。

粗あらすじ

サーストン家で開かれたパーティの夜に起こった密室事件。翌朝、世界に名を馳せた名探偵たちが続々と登場し、三者三様の捜査を開始する。“あってはならぬことが起きている”そんな異様な屋敷で起こってしまった悲惨な事件を名探偵たちは解決できるのか。

 

上記のとおり、本書には海外ミステリの黄金時代から活躍する有名な名探偵たち(に似たキャラクター)が多数登場します。アガサ・クリスティのエルキュール・ポワロ、ドロシー・L・セイヤーズのピーター・ウィムジィ卿、G.K.チェスタトンのブラウン神父という贅沢な顔ぶれです。

しかし、ただのパロディものと侮るなかれ。題材となった事件自体は、推理小説ではありきたり過ぎる気もしますが、密室事件の方はよく練られています。密室の帝王カーが創造するような金城鉄壁な密室ではなく、三人の名探偵たちに推理させるためにあえて隙のある密室にしてある点が秀逸です。

さらに、仮に密室事件を解いたとしてもフーダニット(犯人当て)にはまた別の視点で挑まなければいけません。登場人物全員が容疑者候補であり、アリバイや動機などにも(これまた)隙が用意されています。

 

ただ、この形を完成させるために、パロディ、多重解決、密室トリックと力を分散しているせいもあってか、わりと物語はペランペラン。(実際には裏を流れる人間ドラマも複雑なはずなのですが、探偵たちを主軸にする構成せいでほとんどのエピソードが薄くなっています。)

以上三つの構成要素について興味がある≒推理小説愛好家にとっては、贅沢な一品ではありますが、単純に「面白いミステリが読みたい」という読者に対しては、パロディの元となった名探偵たちを知っているかどうかで面白さが多少増減する懸念もあって、なかなか万人にオススメしづらい一作です。

 

でもボリューミーで贅沢な解決編だけは読んで欲しいんですよねえ。何回転するのか予想もつかないほど豊富でトリッキーな作品なので、いくつかオーソドックスな作品を読んでからチャレンジしてみてください。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

いたってオーソドックスなオープニング。気になるのは、被害者の3回に分けた悲鳴。どうも芝居臭さというか、不自然さを感じる。

この時点で叫んだのはサーストン夫人ではないのではないか、という疑問が。

あと窓が開いた密室ってもう密室じゃないじゃん、というツッコミは無粋か。

 

屋敷の略図から見てとれるのは、犯罪現場(2階)からの脱出経路の多さ。

名探偵たちの捜査によって、各所からロープが発見されるに至り、脱走経路は地階か上階かのどちらかだろうと推理できる。

上の階の可能性は早い段階で示唆されるので、正答は地階ラウンジだろうか。というか、サーストン夫人のものと思われている悲鳴が実は別の女性、例えばメイドのイーニドの発声したもので、彼女が共犯者となっていれば、殺害時刻を少しいじれば登場人物のうちほとんどが犯行可能になる。←まあコレでは?

 

有力なのはやはりイーニドの婚約者フェロウズだが、婚約者というのが気になる。もし本当の相手はサーストンだったら?…そんな伏線が全くないのが問題だが。

 

推理

アリグザンダー・サーストン&イーニド(二人には不倫関係がある、もしくは、イーニドはサーストン夫人と婚約者フェロウズとの関係を知り、憎悪からサーストンに協力。トリックはイーニドの絶叫による犯行時間の誤認トリック)

結果

敗北

記憶の補完のためにも、ちょっと多重解決の中身を整理しておきましょう。

 

一つ目の推理、継子ストリックランドとフェロウズの犯行。上でも下でもなく、横にロープを振るという脱出トリックは巧いです。ロード・サイモン(ピーター卿)のトリック披露の瞬間に、スミス師(ブラウン神父)が口出ししたくなるのも頷けるほど、ブラウン神父っぽい盲点を突いた巧妙なトリックになっています。

ただフェロウズが犯行へ加担するのはちょっと強引な気もします。

 

二つ目のピコン(ポワロ)の推理は、トリックも含めて自分のものとかなり似ていました。このタイプの推理は、たしかにポワロが(というよりクリスティ)が好きそうなロマンスを絡めたプロットです。動機がメイドに残される遺産、というのがやや弱い気もしますが、ここにロマンスが絡むとぐっと強固になります。

 

三つ目の推理は、いかにもブラウン神父ぽいゾッとする推理です。ストールの殺人教唆、牧師のライダーによる狂信的な殺人というのは、作中に忍ばされた伏線も相まってなかなか説得力があります。脱出トリックも一つ目の推理の応用で気が利いています。

 

さて、あからさまな多重解決の趣向と、小ばかにしたようにも見えるパロディ描写から、中盤から嫌~な感じしかしていなかったのですが、やはり本命はシリーズ探偵ビーフ巡査部長の推理。

一番シンプルな犯人ですよねえ。目的は金銭?それとも不倫を知っての憎悪?……と思っていたら、まさかの大大どんでん返し!

 

ここまで綺麗に躱されると、負け惜しみで文句言いたくなります。

真実にたどり着くための手がかりのほとんどがアンフェア気味です。これは、結末でのサプライズという一点に集中砲火した代償でしょう。

時間があれば再読して伏線の数々も探してみたいのですが、冒頭に推理小説論を語る登場人物たちの中で、ミステリにロマンを求める印象的な台詞を放つのが真犯人ウィリアムズというのはなんだかニヤニヤします。

また、芝居めいた一幕や、いかにも共犯が必要そうな意味ありげなロープなど、多重解決を用いて複数犯(ビーフの推理前半も共犯前提)を匂わす、いや刷り込むミスディレクションが十全に機能しています。

 

 

 

 ネタバレ終わり

本書の先導役を担うウィリアム・ビーフ巡査部長シリーズは、一作毎に異なった趣向と手法で書かれた作品群ということで、あらすじをサラッと辿ってみると、どれも多様でめちゃくちゃ面白そう。

例えばシリーズ4作『Case with Four Clowns』は、占い師の「殺人事件が起こる」という占いに惹かれてビーフの捜査が始まります。どんなプロットなんでしょうか。気になりすぎます。

 

もしかしたら、まだ日本人が知らない名作がシリーズの中には隠れているかもしれませんねえ…ぜひ各出版社、翻訳者の皆様には、レオ・ブルース普及の促進もお願いしたいところです。

では!

 

*1:国書刊行会『世界ミステリ作家事典』およびWikipedia参照

『スペイン岬の謎』エラリー・クイーン【感想】ぶ厚い物語と堅固なプロットが持ち味

1935年発表 エラリー・クイーン9 井上勇訳 創元推理文庫1959年版

 

本当は島田荘司『占星術殺人事件』の感想を先に書こうと思っていたんですが、このタイミングで本を失くしました。これは、ミステリ界の神“エラリー・クイーン”の「書くな」というお告げなのか。

 

本作はエラリー・クイーンの最も有名なシリーズ“国名シリーズ”の最終作。

最終作と言っても、何かシリーズの集大成だったり、連作的要素は全く無いので、初心者でもチャレンジしやすい作品です。

とはいえ、レギュラーキャラクターのクイーン警視ジューナが登場しないので、気になる方は発表順に『ローマ帽子』から入るのが良いでしょう。

 

あらすじは極力省略したいですねえ…まずは導入部で一つ小噺がありまして。そして、小噺の中には大犯罪がありまして。そんな犯罪が起こった「スペイン岬」へ、エラリーが休暇へとやってきます。

 

今回エラリーは、よくある不運な巻き込まれ型の探偵を演じることになるわけですが、事件自体は、一度目にしたら二度と忘れられないような視覚に訴えるものになっており、この事件を軸に、まったくブレることなく結末まで突っ走っていく勢いがあります。この勢いと、物語の随所にあしらわれている心をくすぐる演出は、たしかに見どころの一つなのですが、ちょっと物足りない、というか…パンチ力不足、というか…

 

もちろんエラリー・クイーンの代名詞とも言える「読者への挑戦状」があったり、手がかりから論理的に紐解かれた美しい真相が用意されているなど、国名シリーズの中でも抜群に上出来の作品だとは思います。しかしながら、物語に厚みがある弊害なのか、ある程度ミステリを読み慣れている読者ならゲームの慣習(いわゆる、当てずっぽう)による推理でも真相に掠ってしまう可能性がありそうです。

となると、せっかく用意された魅力的な謎も、謎を論理的な思考で解き解す楽しい過程も、半ばすっ飛ばして結末まで流してしまうわけで、クイーンものの良さが若干薄れてしまった気がしています。

クリスティのように、読者を掌上で翻弄する巧みな筆致で戦うわけではないので、どうもこのタイプのプロットではクイーンらしさが全面に出ないのかもしれません。

 

上記のような理由で、コアなミステリファンの評価が割れそうな一作ですが、可か不可、ではなく良か可、ほどの誤差レベルだとも思うので、ある程度万人にオススメできます。

 

前半で述べた通り、特殊な効果を持つ導入と、インパクト大の事件、全体を流れる人間味ある物語のおかげで400頁を超えるボリュームも難なく消化できます。そしてオチに待つこれまた印象的な演出で彩られた驚愕の真相

地図や図面が無いため、若干イメージしにくい部分がある点を除けば、ぶ厚い物語と堅固なプロットが持ち味の、海外ミステリ初心者の方でも十分楽しめるオススメの作品です。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

冒頭の誘拐事件からはちょっと芝居臭い感じもする。というかデーヴィッド・カマーを人違いで誘拐、という設定に若干の無理がある気がしないでもない。まあここは素直に受け取っておく。

 

マントのみを着用した裸の男の死体、というオープニングはたしかに衝撃的。

服に因んだミステリと言えばクイーンの『チャイナ橙』を思い出すが、ソレとは違う要因で服を脱がしたのだろう。

 

何点か可能性が提示されるが、「服を着て逃亡した」という可能性が検討されていない。マーコの死体の状況から、浜で絞殺され服を脱がされたのは決定的なので服の行方が重要なポイントか。ただ、海から犯人が来ていないと証明されている以上、なぜ服を着なければいけなかったか証明できないが…

 

物語の筋は、脅迫とゆすりを生業にしている悪党が殺された、ということでほぼ全員が容疑者。

とくに怪しいのはスペイン岬の所有者ウォルター・ゴッドフリー。彼が妻の不貞に知らなかったフリをしていたら?彼のキャラクターで妻を許すという姿が想像し難い。

しかしそうなると被害者はまずステラでないといけないし、ステラが続いて殺される気配もない。う~ん。

 

裸で海から泳いできて、服を着て逃亡したのなら誘拐を演出したデーヴィッド・カマーが犯人だろうけど、実質不可能だしなあ。降参。

 

推理

デーヴィッド・カマー(ぽい)

結果

惜しいトコロまではいってました。

毎回毎回、エラリー本人に騙されるんですけどどうなのこれ?

もちろん、描写自体は決してアンフェアではなく、ミステリとしての格式は高い水準をキープ。

 

まあ、探偵が自身で証明したことを結末部でひっくり返されると、ややゲンナリしたというのが本音なのですが、以外と読後感が良好なのは、やはり事件と犯人の特性のおかげでしょうか。

また、探偵助手を務める経験豊富なマクリン判事に加え、素人探偵の才能を発揮するティラーが良いキャラクターをしています。

 

 

ネタバレ終わり

J.J.マックというシリーズお馴染みの執筆者によるまえがきに始まり、皮肉が利いたオチ、論理性を損なうことなく最後まで手を抜かずに書かれたあとがきに至るまで、国名シリーズの掉尾を飾るにふさわしい名作です。

では!

 

『ささやく真実』ヘレン・マクロイ【感想】浅見光彦系が好み

1941年発表 精神科医ベイジル・ウィリング博士3 駒月雅子訳 創元推理文庫発行

 

典型的な悪女と彼女のドス黒い計画、そしてそれに触発され起こる怪事件。ミステリのテンプレとも言える導入部ですが、ここに浅見光彦系主人公(警察がその正体を知らない名探偵)を演じるウィリング博士と、個性的な登場人物たちが配役されると、巧妙なプロットと想像力を掻き立てられる物語が用意された、素晴らしいミステリに仕上がります。

 

事件が起こるまさにその瞬間まで、小さなサプライズが用意されているのが面白いのですが、それでも肝心要のところは絶妙・巧妙に隠されています。このように、ある程度事件の結末(決して犯人ではない)が見えそうでも、その過程や遷移が中空になっているので、数学の証明問題のように筋道立ててひとつずつ答えに近づく形ではなく、穴あきのパズルを組み立てていくような構成が光を放っています。

 

また、メインの物語だけでなく挿話にも一捻り加えられているのも見逃せません。事件とは別の舞台でウィリング博士が会談する舞踊家との一幕は、それ自体がひとつの謎を提示していながら、間接的に本書の謎にも関わってきます。

ここでは前作『月明かりの男』に登場する人物が再び顔を出すため、先ずはぜひ前作から読んで欲しいところ。

 

犯人当てだけにフォーカスしてしまうと、綱渡り的なやや危なっかしい印象を受けますが、ミスディレクションはちゃんと機能しているので、(途中までは)少なくとも二度三度と翻弄されるはずです。

ただ()のとおり、正々堂々と手がかりが提示されすぎるせいで、終盤になると犯人は見え見えの状態になってしまうのも事実。とはいえ、真相がわかって尚楽しめる作品なのは間違いありません。

再読すると今までの景色がガラッと変わって見える箇所があり、作品の奥深さも感じます。

 

前作、前々作と違い、心理学的な大仕掛けはないので、精神科医探偵の大技を期待するとやや肩透かしを食らう可能性がありますが、ウィリング博士の着眼点、真相への嗅覚にはただただ脱帽。

今までさらりと流されていた手がかりの数々を元に、怒涛の如く犯人へと迫って行く解決編は圧巻です。真相の見え易さというネガティブ要素を気にしなければ、物語の面白さ、オチの味わい深さ、論理的な美しさの点で傑作と呼ぶにふさわしい一冊だと思います。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

自身の利己的な目的のためだけに他者を破滅に追い込む悪女。この設定は大好きだ。この手の人物を殺すとなると、クリスティの作品のテンプレにもあるように人間ドラマがある程度重要になってくる。

事件が起こるのが100頁を超えてからとはいえ、不穏な空気が充満し、爆発寸前になる瞬間が堪らない。

暴露合戦の対象者のうち誰かが犯人であるに違いなく、一定秘密が暴かれた後、さらなる秘密(殺人)を抱えて話が進むのも良い。

 

怪しいやつだと地元警察に睨まれるウィリング博士も好き。浅見光彦シリーズが大好きなのでニヤニヤしてしまう。早く警察関係者だと言ってよウィリング博士!

 

登場人物の中で一番怪しく見えるのはチャールズ

耳が聞こえないのが本当なのかも怪しいし、クローディアの会社の経営者で、資金の使い込みやストを手引きしていた可能性もありそうだ。

 

一方で終盤に差し掛かり、最有力容疑者に名乗りを上げたのは、複雑な和音を聞き分ける(頁218)ほどずば抜けた耳を持つロジャー。そういえば、ほかにも耳が良い描写があった気が…どこだったっけ。

あと思い返してみると、彼だけノボポラミン(自白剤)を飲んでいない。クローディアに薬を盗まれた事実を唯一知っていた人物として、薬を飲まなかった言い訳も完ぺきだし。動機は…まあ痴情の縺れ?みたいな感じで。

 

推理

ロジャー・スレイター

結果

勝利

うんうん。ほぼ完勝と言っていいでしょう。

思い返してみると容疑者候補として、耳の聞こえないふりして振動でバッチリ聞こえている超人と、耳が超絶良い超人が登場する耳ミステリでした。

 

最後の最後、ウィリング博士の仕掛けた罠はさすがに強引で引っかかる犯人も馬鹿だな、とは思いますが、不思議と読後感は悪くないんですよねえ。

犯行方法から犯人が医学に長けている人物だと示したり、ノボポラミンの効能から犯行可能なのがロジャーただ一人だった、など聴覚以外の重要な手がかりからも的確に犯人を指し示すウィリング博士の卓越した手腕のおかげでしょうか。

 

また、若林踏氏の巻末の解説

謎解きが終わった後にこそ、真のドラマが始まるのだ。

の通り、再読して改めて犯人の葛藤や憎しみが文脈から溢れてくるからかもしれません。

本格ミステリで人間ドラマも楽しみたい人間にしてみれば、この手の作品の方が好みです。

 

 

 

ネタバレ終わり

この例示が正しいのか、また、的確に指摘できる部分もないんですが、どことなくクリスティが書きそうな、黄金時代初期の雰囲気も感じます。決して“古き良き”というわけではなく、新しい要素も織り交ぜつつも懐かしさを感じる作品です。

では!