1933年発表 ファイロ・ヴァンス7 井上勇訳 創元推理文庫発行
粗あらすじ
スタム邸の屋内プール、通称“ドラゴンプール”で飛び込み事故が発生した。凶報を受けて駆け付けたヴァンス一行だったが、被害者の影も形も無い一方で、紛うことなき伝説の巨竜の痕跡が見つかるなど、事件は混とんの様相を呈する。巨竜伝説の真贋と事件の真相やいかに。
悪くない。導入部から、事件の展開もそこまで悪くない印象だ。前作『ケンネル殺人事件』ほど登場人物も少なくなく、人間模様も複雑そうで、誰が犯人でもおかしくない雰囲気がただよっている。特に異彩を放っているのがマチルダ・スタム夫人。彼女の精神を病んでいるかのような言動や妄想と本事件の背景が合致しているおかげで、作品としての一体感も生まれている。
また、このテの人物造形がどこかクリスティの作品にも通じるところがあるように思えるのは気のせいだろうか。一人の超個性的な人物に振り回される家族とその関係者たちという構図は、作者ヴァン=ダインが6作を書き終えて一度原点回帰を計った表れかもしれない。
導入こそ立派で読者の興味を持続させそうな魅力的な着想だが、発展は実に稚拙だ。周辺地図ありきで決められているような事件の発展は単純につまらないし、そのつまらない手法を何回もくりかえすのだから逆に恐れ入る。ミスリードこそあれ、それすら数多の推理小説で目にしたありきたりな人物造形だ。では、ミステリ初心者なら楽しめるのかと問われれても答えはノー。「犯人当て」だけに挑んでみても難易度が低すぎる。誰がどう見ても怪しい人物が犯人で、それを隠そうとする手法がまたお粗末だ。というか隠そうとすらしていない。これくらいで読者を騙せると思っていたなら大きな間違いだろう。
同年代に生み出された傑作たち(『エジプト十字架の謎』『Yの悲劇』『エッジウェア卿の死』などなど)と比べるのが気の毒かもしれないが、少なくとも、物理トリックやミステリとしての形式など有形的なものに囚われ過ぎて、人間や事件の心理的な側面を描くことを疎かにしているとしか思えない。この点は、各事件の登場人物だけに限らず、レギュラーキャラクターであるマーカム検事やヒース部長刑事、語り手のヴァンにも通じる。何作読んでも彼らの人間的な部分に触れることも、新しい発見も無い。常に型にハマった動きを延々と繰り返すだけで、ファイロ・ヴァンスという超人に蘊蓄を喋らせるための栄養を補給し続ける肥料に成り下がっている。唯一ドアマス医師だけは、登場する時間が少ないおかげか、たまあに出てくるとぐちぐち溢すのが面白い。
先入観を抱かないようにとは思っていたが、贔屓目に見ても水準以上の作品とは言い難い。現時点で次作『カシノ殺人事件』までは読んでいるのだが、そっちは本作よりも面白かったので、好評は次回に持ち越し。
以下超ネタバレ
《謎探偵の推理過程》
本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。
プールに飛び込んで消えた死体、という着想は立派。
可能性としては、
- 単純に被害者モンタギュが誰かを担ごうと画策し逆に殺された。
- 共犯者と協力して消失した→モンタギュ生存ルート
- 共犯者と協力して消失した→死亡ルート
物語が進むと3は無いことがわかるが、問題はやはりどうやって消失したか。こっそりダムを通って消えたか、作中のエピソードにもあったインディアン洞窟への地下道のようなものが水中に設けられているかの二択だろうか。
ドラゴンプールに落石があったことは、地下道を隠す目的だったとも考えられる。
プールの水を抜く作業が終わり、結局地下道なんてものもなく、竜の蹄?の跡だけが見いだされる。ここまでが犯人の思惑だとすると、物理トリックについては行き詰まるのでここらで一度保留。
犯人当てに取り掛かると、どう考えてもアリバイがないルドルフに注目せざるを得ない。酔っぱらっていた、というのは何の証拠にもならないし、ほかのメンバーが一定アリバイがあるだけに、いくらミスリードがあろうとも第一容疑者は動かない。母親であるマチルダがドラゴン伝説に固執しているのも何気にクサい。息子を守るためか?
推理
ルドルフ・スタム(酔っぱらったふりをして偽のアリバイを作る)
真相
そりゃあ当たるよなあ。本作の難易度の低さはどうしようもないんですが、推理小説において、犯人が早々に分かってしまったからと言って面白さが大きく損なわれることは、あまりないと思っています。その分ホワイダニットやハウダニットに重きを置いていれば、十分読むに堪えうるわけですから。
本作に欠けているのは、説得力です。とくに、一番怪しげな協力者リーランドが真相を見抜いていたのにヴァンスに言わなかった理由が「義理」だけでは弱すぎます。むしろ、真相に気づいたリーランドを退場させるくらいの力業できてくれたほうが良かったです。二人目のグリーフは、ただ物語を繋ぐだけの無意味な死で、死んでも死ななくても何の記憶にも残らないキャラクターなのでただただ可哀そう。
アリバイトリックと消失トリック頼みなのに、片方がよれよれなので全体を支えることができなかった脆弱な一作です。
当初はこんなに酷評するつもりは全くなく、むしろ6作しか作らないと言っておいて出した7作目にしては良いじゃん、と肯定的に書こうと思っていたのだがダメだった。前半でも言ったように次作『カシノ』は本作よりもドラマチックに、またサプライズもしっかり用意されているのでちゃんと好評できる…と思う…たぶん。
では!