1906年発表 池央耿訳 創元推理文庫発行
今年初の短編海外ミステリです。
「二たす二は四、いつでも、どこでも、ぜったい四!」が口癖の≪思考機械≫ことオーガスタス・S・F・X・ヴァン・ドゥーゼン博士シリーズ。やっぱり古典ミステリを読むと、心が洗われるというか、初心に戻れる感覚があるので良いですね。
本書は日本独自編纂の短編集のため、収録作の発表年代もバラバラです。まだ未発表のものもあるらしいので早く全作読みたいなあ…と思っていた矢先!春以降に作品社から『思考機械【完全版】』が二巻分冊で刊行予定、との報が入ってきました。1冊6,800円というややお高い作品ですが、増税の影響が出る前になるべく手にしておきたいところです…いや、というか【完全版】は現代人に読みやすい新訳で刊行されるようなので、ひとまず旧訳の『思考機械の事件簿Ⅲ』までは読んでおこうかなあ…ゴニョゴニョ
各話感想
『呪われた鉦』(1912?)
あえてどんな中編と言いたくない一作なのですが、Twitterで一時期流行った#でもよく目にした一作です。「○○」という要素を抜きにしても、短中編ミステリのATBに選出する読者がいるほど名作の中の名作と言えます。これは新訳で読んでみたいですねえ…
表題の「鉦(しょう・かね)」はお寺にぶら下がっている鐘とは違い小型の皿状をしており、主に底部を叩いて鳴らす打楽器です。祭りやお囃子で用いられるコンチキをイメージすると良いでしょう。
日本の小道具が登場する珍しい一編でありながら、ソーンダイク博士顔負けの科学推理小説としての側面も持ち、さらには羊の皮を被った狼のような曲者ミステリであるなど、間違いなく作者フットレルの代表作といって良い名作中編です。
『幽霊自動車』(1908)
シンプルかつキャッチーな不可思議現象が題材の一作。前作『思考機械の事件簿Ⅰ』に収録されている『燃える(焔をあげる)幽霊』と似たタイプの短編です。
結末はともかく、とにかくお化け屋敷の作り方が巧い。結末はともかく、登場人物たちの掛け合いにもちゃんと温度があるので、恐ろしげな雰囲気にもかかわらず、結末はともかくどこか微笑ましく思えてしまいます。
『復讐の暗号』(1906)
捻りはあまりありませんが、オーソドックスな暗号ものの秀作です。また、「暗号」そのものに仕掛けられたトリック以上に、登場人物自体に読者を煙に巻く仕掛けが施されている点も見逃せません。というか暗号自体が添え物なんですよねえ…恐れ入りました。
『消える男』(1907?)
この短編集の中でも少し異質の作品です。毛色が違うというか、ブラウン神父っぽいというか…不可思議な事件自体にフィーチャーした一作で、また一つフットレルという作家の多才さを裏付けています。こちらもトリック云々より、斜め上を行くオチが印象的です。
『跡絶えた無電』(1908)
船上というクローズドサークル内で行われる殺人事件です。船上のミステリというとクリスティの『ナイルに死す』やカーの『盲目の理髪師』、キングの『海のオベリスト』が思い出されますが、本作はそれらが発表される30年も前に発表されています。
中身はやや小粒の感もありますが、フーダニットだけでなくホワイダニットにも重点が置かれており、船長と一等航海士の熱い友情も見どころの一つです。
『ラジウム盗難』(1908)
短編集には必須の盗難事件が登場です。さすがにトリックが陳腐なので、名作とは到底言えませんが、≪思考機械≫が関係者による事件当時の証言から論理的に真相に迫って行く部分はよくできています。また、ユーモラスなオチも魅力的。読者の追及の手をスルリと抜ける技量にニヤリとします。
『三着のコート』(1907?)
本作を読むと、やっぱり書かれた当時の探偵たちは自ずとシャーロック・ホームズを意識して書かれていたのだと痛感します。
あらすじは、見知らぬ男にコートを三着も引き裂かれて物色された男の話。摩訶不思議な状況と、真相、そして特徴的なオチにいたるまで、どこを切り取ってもホームズぽい。良いとか悪いとかはないんですが、もう少し≪思考機械≫らしさを期待してしまうのはしょうがないかもしれません。
『百万長者ベイビー・ブレイク誘拐』(1906)
さる名作に対するフットレルのリスペクトの表れともとれる一編です。雪上の足跡の元祖的な作品としても、ぜひミステリファンには一読して欲しいところ。種々の要素と偶然の符合が重なった複雑なプロットも見どころの一。出来不出来ではなく、単純に「好き」な一編でした。
『モーターボート』(1908)
ショッキングな発端に始まり、印象的な登場人物が配された殺人事件がテーマ。短編の中でスピーディーに二転三転させる手腕が見事です。古典の中で日本人が登場する珍しいミステリとしてもオススメできる一作です。
『百万ドルの在処』(1907?)
嫌でも想像力を刺激する“失われた遺産”をテーマにした一作。こちらも似たような作品がホームズものの中にあった気がします。それだけじゃなく、解説のとおりアブナー伯父ものや、セイヤーズの短編、ポワロものの短編にもありました。
フットレルが想定していたかどうかは不明ですが、“失われた”過程が描かれるシーンに不思議な空気感が漂っている(気の所為かも)ので、勝手に推理が飛躍して変な方向に行っちゃったのは反省です。
『幻の家』(1907)『嗤う神像/家ありき』
解説によると『幻の家』というのは便宜上のタイトルで、メイ・フットレル夫人による前編『嗤う神像』が問題編。そして後編『家ありき』がジャック・フットレルによる解決編、と夫婦二人による連作短編の体になっています。
正直「二人で話し合ったんじゃないの~?」と疑いたくなるほど、超自然現象を扱った雰囲気が絶妙にマッチしていて、解決もコレしかない!という見事なもの。
夫人が書いたという先入観のせいかもしれませんが、前半部の細やかで丁寧な描写は、逆に脆く不安定な事件現場の恐怖を盛り上げていますし、≪思考機械≫に成りきった夫ジャックによる解決編では、推理ゲームの締めくくりの一文がオシャレに輝いています。
世間から隔絶された、標識も外灯も無い辺縁の地なら、今でも十分起こり得る耐久性のある短編ミステリでした。
おわりに
作者ジャック・フットレルと言えば、あのタイタニック号の沈没で命を落とした著名人の一人です。タイタニック号とともに海の底に沈んだ≪思考機械≫ものの短編も数多くあったようで、今春刊行の【完全版】ですら真の意味で完全とは言えないのは何とも寂しいかぎり。
≪思考機械≫自身は、ホームズを踏襲した超人探偵ではありますが、設定や特殊なサプライズの数々、トリッキーなオチは、フットレルが書いてこそのミステリです。【完全版】は少々お高いですが、皆で買えば家電みたいにいつか安くなるんですか?文庫化されるんですか?
もっと多くの人に≪思考機械≫と出会う機会が増えますように。
では!