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『試行錯誤(トライアル&エラー)』アントニイ・バークリー【感想】奇想天外がぴったりな傑作

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1937年発表 鮎川信夫訳 創元推理文庫発行

 

    また、とんでもないものを読んでしまった…恐るべしバークリー。

    う~んあらすじの中に展開バレを含みそうなので、恐恐としますが、とある人物が完全犯罪を目論むお話とでも言いましょうか。この、物語の筋が早々に明かされるため、一見ミステリのジャンルの一つである倒叙形式のようにも思えますが、そこはバークリー。そう簡単にはいきません。

 

    計画と挫折を繰り返す中で、殺人者としての矜持に磨きがかかり、段位が徐々に積みあがっていく過程には、ヒトが決して超えてはいけない壁を超えてしまう瞬間の恐怖を感じます。

    一方で、男の精神の中には、ある種独特のユーモアが混在しており、殺人という大罪を犯す当事者ながら、斜に構えた特殊なスタンスが奇妙な味を出しています。

 

    バークリーと言えば、オーソドックスな推理小説だけでなく、犯人の心理に軸足を置く作風も見どころですが、本作では、肝心要の部分が巧妙に隠されているため、読者ははたして額面通り犯人目線で読んでよいのか、それとも、シリーズ探偵であるチタウィックの目線で挑んだらよいのか、良い意味で宙ぶらりんの状況に留め置かれることになります。

    この中途半端な状況が、膨大な500頁超(文庫版)というボリュームの中で大部分を占めるにもかかわらず、ほとんどダレることなく物語が進んでゆくのは、主人公格の男の人間的な魅力のおかげでしょう。バークリー作品に登場する人物の中には、冴えない、女性不信の、金持ちの独身おじさんがよく登場します。本作でも同様なのですが、彼にはプラスαのエッセンスが備わっているため、そんな男が抱きがちな劣等感ではなく、正義感や愛を感じるのが不思議です。

    また、彼が本書で担う役割にも一捻り加えられています。立証できない殺人犯を演じるかと思えば、一方では巧緻な犯人としての顔を持ち、犯人の犯行を立証する探偵(助手)として汗を流した次のページでは、思い通りにいかず苛立ったり、予想外の展開に右往左往したり、とまるでコメディ俳優のような動きを見せます。

 

    さらに面白いのは、殺人犯の行きつく先=死に対する、犯人の捉え方がミステリに調和している点。普通の犯人は、真っ先に死を避けるために様々な策を弄しますが、彼の場合、敢えて策を弄さずに逃げの一手を打ちます。にもかかわらず、後半では彼の死への思いはぐるりと転換し、さらには多くの登場人物の思いを乗せながら「死ねない」「死なせられない」「死んでほしくない」「でも死んでほしい」とぐるぐると目まぐるしく回転しながら物語が進むことになります。そして、ここに読者が翻弄される最大の要素が詰まっているのです。ネタを割りそうなのでここらで退散…。

 

    本作以上に奇想天外という言葉がぴったりの作品はありません。冒頭でも述べたとおり、全編を通して作者バークリーの特殊な思想が根底を流れており、その水を吸収し育つのは、完成されたミステリなんかじゃなく、招かれざる闖入者によってぐちゃぐちゃに荒らされた怪作です。

    一方で、ユーモアいっぱいに描かれ、また、ヒロイックな物語でありながらシニカルな精神が詰まったバークリーらしさも満載なので、彼の発表した数少ない作品の中でも、まず間違いなく超のつく傑作であり、ATB級と言っても差し支えない一冊だと言えます。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

    推理と言うほどのことはないのだが、本書の展開予想は大きくに分けられる。

  1. トッドハンター氏は女を殺したと証明し、誤認逮捕を阻止する(本書の筋通り)
  2. トッドハンター氏は女を殺したと思い込んでいるだけで、真犯人は別にいる
  3. トッドハンター氏は女を殺し、誤認逮捕を誘発させることで、同時に二人を殺そうとしている

 

    もちろん逮捕されたビンセントがそのまま犯人でも良いし、真犯人の目的が女優とビンセントの二人でも良い。

 

    バークリーの作風でもある「犯人を描く」手法を考えると、トッドハンター氏の胸中から探るに3の可能性も無きにしも非ずか。犯罪を訴える変人(しかも証拠なし)は、ビンセント弁護側からしても迷惑でしかない。

    しかし、それだと、トッドハンター氏とチタウィックの捜査描写は全て無意味だし、やはり2か。こちらはすんなり飲み込める。

    そもそも、殺害後、証拠隠滅(銃弾の回収や指紋消去)を行ったのが怪しい。とはいえ、主題は1なのだから、そこまで疑う理由は無いし、銃の交換のわざとらしさや腕輪の紛失の件は3を指しているようにも見える。巧いなバークリー。

 

    法廷に舞台が変わり、間違いなくトッドハンター氏が犯人になりたがっているのはわかるが、これでバツンと死刑になるのは可哀そう…どうなるのこれ。

 

〜〜〜〜

 

    トッドハンター氏が辿るブラックユーモアが利いたオチと、満足度の高いサプライズが用意された真相など、美点はもちろん多い。また、真相に対する説得力も十分備わっているように思える。終始、彼は誰かを殺さなければならないと感じているし、その使命を痛感するエピソードも前半部で盛り込まれているからだ。

    ただ、改めて読み返すと、この前半のエピソード自体が真相の巧妙な伏線であったことに気づき驚かされた。つまり、殺人を犯す必然性・必要性・正当性を持つ人物に成り代わり、余命幾ばくもない自らが罪を肩代わりをする、というトッドハンター氏の信念(プロット)は、既に事件の前に出来上がっており、第一部「悪漢小説風」全てが一つの伏線として機能していた。これは、ただの殺人者として死ぬというプロローグの会談とは全く違う内容である。それを、派手派手しい超個性的な被害者によって目くらましをかけ、トッドハンター氏という凡庸な殺人者との対比にクロースアップさせることで、真犯人を隠す手法になっているのは凄すぎる。

 

 

 

ネタバレ終わり

    善いミステリとは言えず、手放しで「面白い」とも言えるわけではありませんが、そもそもミステリを評価するための枠組みから大きく飛び出た奇作として、後世に伝えるべき、唯一無二の長編ミステリです。

    バークリーが出した長編ミステリはたった十数作で、本書はその中でもかなり後期にあたる作品。彼がミステリの中で書こうと画策した要素が全て詰まった集大成的な一作として、ぜひ多くのミステリファンに読んでいただきたい一冊でした。入手難易度だけでも、どうにかならんかねえ。

では!