僕の猫舎

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『あなたは誰?』ヘレン・マクロイ【感想】作者自信満々の力作

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1942年発表 ベイジル・ウィリング博士4 渕上瘦平訳 ちくま文庫発行

 

    建物を建てる時に最も重要な要素は基礎だとよく言われる。基礎がしっかりしていないと、地震や洪水などの災害に見舞われたとき、その家は耐えきれずに脆く崩れてしまうからだ。

    これはミステリでも同じだろう。「着想」と「発展」という2点の要素において、常に魅力的であり、論理性があり、豊富であり、一貫性があるか(ほぼエラリー・クイーンの受け売り)。この観点から、プロットの完成度はそのまま作品の完成度に大きく影響を及ぼすと考えている。(もちろんプロットが良くても最後に大コケする作品もある)

 

    だからこそ、プロットの完成度が高い作品を読んだ時に、作者の自信をひしひしと感じる時がある。「どうだ!」「これでもか!」と言わんばかりの強い気概を叩きつけられているような感覚だ。

   まさに、本書『あなたは誰?』は、作者が自信たっぷりに読者に突きつける〈挑戦状〉である。開幕の合図は、ある女性歌手の元に届く匿名の電話による不審な警告だ。警告の内容から彼女の知人であることは疑いようがない状況に不安と疑念が募るが、彼女は危険を承知で事件の舞台へと乗り込んでゆく。

 

    匿名の電話?しかも誰だか見当もつかない?そんなばかな、少なくとも声色から男か女か、くらいはわかるだろう、とお思いだろう。ここは、翻訳も相当難しかったのではないかと想像できるが、ふたを開けてみると完全にお手上げ状態。

    ベイジル・ウィリング博士シリーズの他の作品を読んだことのある読者には共感を得られるかもしれないが、本シリーズにおいて、先入観や思い込みといった読者の心理状況は悉く推理の妨げになる。

    そうやって作者に手玉にとられる危険性を知っていると、この冒頭の数ページを読むだけで、すでに本書は始まっている(当たり前なのだが)、仕掛けられている、というヒリヒリしたサスペンスフルな空気を感じるだろう。

 

    この緊迫感のある冒頭の余韻冷めやらぬうちに、摩訶不思議な事件が次々と発生する。ウサイン・ボルトは100mの予選などで、ゴール前では完全に流してしまうシーンをよく目にしたものだが、ヘレン・マクロイは事件の発展まで全力疾走だ。この間にシリーズ全体の見どころでもある心理実験も絡めつつ、決して読者を飽きさせることなく進んでゆく点も見逃せない。

 

    さて、これで感想自体は終わりたいと思う。唐突にボルトの話をしだした時点でお気づきだろうが、正直に言おう、自信がないのだ。ヘレン・マクロイ自身の強い自信を上回る秀逸な書評ができる自信がない。

    ネタバレ感想ではもう少し踏み込んで書いてみようと思うので、ぜひ未読の方は手に取って読んでいただきたい。

 

    シリーズ作品とはいえ、レギュラーキャラクターが登場しない点で単体で読むにはとても適している心理学を絡めた傑作ミステリ、という一文だけではとてもじゃないが言い表せないほど、魅力がたっぷり詰まった一作だ。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

    匿名の電話の主だが、一見文面(口調)からは男性のように感じる。

    この先入観は危険だ。いや、先入観(男)は危険(女)と思う時点で、作者と訳者の思うつぼか…

 

    ここは、単純にフリーダに来てほしくない理由から推理するのが得策。

1.アーチーとフリーダの結婚に反対

これなら姑のイヴと幼馴染のエリスが該当する。事件が起こってからは、別の理由が浮上する。

2.殺人計画にフリーダが邪魔だったから

ただこの理由の場合、チョークリーの死とフリーダを繋ぐ輪が見当たらない。二人は知人同士だった?描写は無い。

3.そもそも電話自体がフリーダの狂言?

これなら恐ろしいが、さすがに三人称で語られている以上、電話の描写がフェイクならアンフェア極まりない。多分違う。

 

    チョークリーの正体がゆすり屋だと判明してからは、俄然アーチーが怪しく見える。フリーダを遠ざける策があったことから、婚約者アーチーの明かされたくない真実をネタにチョークリーがゆすっていたと考えるとある程度つじつまは合うが、チョークリーの訪問が突然だったことと、アーチー自身が訪問にポジティブだったことの説明はつかない。

    怪人物ルボフとジュリアの関係を考えると、ジュリア犯人説もあり得るかと思ったのだが、フリーダへの脅迫の説明の方がつかなくなり袋小路に。降参。

 

推理

結果

ジュリア

    二重人格の事実が明かされたとたん、靄が弾け飛んでパっと目の前が明るくなるあの感じ何なんでしょうか。凄い。

    さすがに、本書最大のテーマ“二重人格”の仕掛け無しでは全体的に機能不全になることは明らかなので、ある程度最終盤まで引っ張る必要性については理解できますが、“二重人格”そのものを推理して論理的に謎解きするのは至難の業

    あと、最初っから最後までフリーダが全くルボフについて触れようとも(考えようとも)しないように見られるのもさすがに無理がある気がします。

 

    二重人格の取り扱いで特に秀逸だと思われるのは、マークの中の人格(副人格)がマーク自身には認知できず、妻であるジュリアのみがその真実に気づきマークの政治家としてのメンツを保つために奔走している点。

    さらに、ルボフの思惑(フリーダを遠ざけたい)とジュリアの願い(マークを守りたい)が交錯し、ジュリアにとっては最悪のタイミング(チョークリーの来訪)がやってきて、殺人の選択肢を選ぶしかないという悲劇的な展開が印象に残ります。逃亡の末事故死というオチも納得です。

 

    悲劇の元になったマークの心情や妻ジュリアとの関係を吐露する頁192~は改めて読み返すとやはり胸に来るものがあります。彼に着目して再読したくなる、名登場人物作品です。

 

 

 

ネタバレ終わり

    もうこれ以上はなにもない。ベイジル・ウィリング博士が探偵である必要性において、本作ほどその役割に責任が伴う作品は、今まで無かった。

    前半の最終部では、単体でも読めると言ったが、前三作の登場人物の名前がさらりと明かされているため(ミステリ的には問題なし)、どうしても気になる方は前作を読むことをオススメする。

    2019年2月現在前3作『死の舞踏』『月明かりの男』『ささやく真実』全てが新刊で手に入る状況なので、購入希望の方はお早めに。

では!