僕の猫舎

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『テニスコートの殺人』ジョン・ディクスン・カー【感想】終わり良ければ全て良し

The Problem on the Wire Case

1939年発表 ギデオン・フェル博士11 三角和代訳 創元推理文庫発行

前作『緑のカプセルの謎

次作 『震えない男』

 

 

 “足跡のない殺人”を扱ったギデオン・フェル博士シリーズ第11作。怪奇や密室といったカーお得意の要素が無いので、もちろん名作になる。怪奇や密室満載の作品を貶しているのではなく、そういった装飾を剥ぎとるからこそ、王道の本格ミステリを堪能できるというわけ。

 

 カーは『白い僧院の殺人』で“雪に残った足跡”を用いた名作ミステリを生み出したが、本作では“雨後のぬかるんだテニスコートに残った足跡”を用意した。それも飛び道具などで殺されたのではない、紛うことなき絞殺死体を用意している。

 本旨は正編を読んでいただけるとわかるのだが、実際には“足跡のない殺人”ではなく“足跡がある殺人”である。いや“足跡がなかった殺人”か。絶対に犯人であって欲しくない人物の足跡があることが物語をややこしくしており、ここらへんはさすが物語を生み出す天才カーだと唸る部分。

 第一章が「恋愛」で始まるのもユニークだ。章題どおり混み入った恋愛が邪魔をして足跡を出現させているし、素人探偵ならぬ素人犯人がどたばたと事件をかき乱す様も面白い。また、傲慢で「けしからん腐った男」を始め、殺人罪で告発された過去を持つ未亡人、切れ者の若手弁護士、偏屈で奇矯な老人、復讐に燃える軽業師など登場人物の創造にも工夫が凝らされている

 フェル博士の鋭い眼光を避けるように立ち回る登場人物たちには笑いを禁じ得ないが、彼らの背中を押すかのように都合よく偶然の要素が介入し、捜査をかく乱するのもカーらしい部分。怪奇や密室がなくワンアイデアの不可能犯罪でも面白いミステリが書けることをカーは証明してくれている。

 また、偶然の要素を演出する登場人物の役どころも良い。事件の渦中で昏迷するある二人の男女を救う救世主として、事件解決のキーマンとして、印象に残る人物だ。

 

 ちょっと変なことを言うが、やはり本書の根底にあるのは愛だと思う。それは、ときに歪んでいたり、真っ直ぐ情熱的だったり、奥ゆかしかったりと、登場する箇所によって表情を変えるが、人間愛がミステリを作る好例としてカーの著作の中でも特色ある一作だと思う。

 そして、愛情はカーから読者に対しても顕著に表れている。「登場人物のその後」と題した後日談が該当するが、このクリスティを連想させるラストが心地よい。カーは本書に関して、「中編にすれば良かった。無理に引き延ばすべきじゃなかった」などと言ったようで、もしかするとこの後日談も全体の不和を誤魔化す読者サービスなのかもと穿った見方はできる。しかし、本書のオチにもあるように「終わりよければ全て良し」である。クリスティ風と括ってしまうのは乱暴だが、犯人の醜悪さを緩和させる優しいミステリとして、カーが苦手という読者にこそ進んで手に取ってほしい作品だ。

ネタバレを飛ばす

 

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本書を読んでからお読みください。

 テニスコートで起こる殺人ということでアンテナを張ってみると、序盤からニックの怪しさが目立つ。テニスコートを設計したのはニックだった(頁33)し、絞殺のアイデアを持っていたのもニック(頁89)だ。

 意外性という観点からも、車いす生活のニックは犯人にしやすい。もう治っているというのも手か?

 また、別の場所で考察して、彼を担いでテニスコートの真ん中に運ぶ。そのあと、付けた足跡を戻ってく、というベタなやつは、どこかで消去されていた?

 

 フェル博士は捜査開始からすぐに足跡がなかった殺人であることは気づいている様子(頁142)

 ハドリー警視が警戒する若手弁護士ヒュー、そしてヒューが「手強い」と認識しているハドリー警視、という二人の構図がイカす。だからか、一瞬だけヒューが真犯人か?と疑ってしまった。アリバイはなく、候補には入っている。

 

 終盤まで、ヒューとブレンダが犯人と疑われないよう偽装する、警察とフェル博士が少しずつ嘘を暴く、というリープを繰り返すので、不可能犯罪のトリックに関する手掛かりが出てこない。

 

 被害者ドランスに復讐を誓うチャンドラーが登場すると、物語は進みだす。彼は何かを撮っていた?彼が死ぬと容疑者はぐっと絞り込まれる。もちろんヒューとブレンダではない。動機らしきものがあるのはブレンダに心を寄せているらしきニックのみ。

 テニスコートのトリックは皆目見当がつかないが、犯人はニックでいいだろう。金網のドアとネットに何らかの仕掛けを施して死体を中央まで運んだ、とかでいいと思う。

 

推理

ニック・ヤング

 トリックについてはさすがというほかない。さらっと3ページ目でテニスロボットを登場させる奸計にも頭が下がる。

 カーは「中編にしておくべきだった」と後悔を述べているが、十分長編でも読みごたえはある。後半のサーカスでのごたごたや巻き込まれ型のカップルなどは、パトリック・クェンティンピーター・ダルース夫妻を連想させるし、犯人の造形もグロテスクで良い。

 やや手を抜いたかに見える決定的な証拠が残念な部分だが、あれはもしかするとハドリーのハッタリか?

 

 

 

 

        ネタバレ終わり

 本作のネタを忘れるのが困難なほど、全てにおいて映像として印象に残る衝撃的/劇的な作品でした。

 探偵対犯人というオーソドックスな形ではなく、間に入った闖入者によって話の筋が混線しているというややこしさはありますが、総じてカー特有のとっつきにくさは少ないので、カーの入門書としてはお勧めしやすい作品です。一方で、カーのクセのある出汁は出ていませんが。

では!