『怪盗ニック全仕事1』エドワード・D・ホック【感想】初心者のためのミステリ

1966~72年発表 ニック・ヴェルヴェット1 木村二郎訳 創元推理文庫発行

 

エドワード・D・ホックという男

 エドワード・D・ホック(Edward Dentinger Hoch)は1930年にニューヨークに生まれた。幼少期からエラリー・クイーンの作品に魅せられ、高校を卒業するころにはミステリ作家になることを志していたそうだ。19歳のころにはMWA(アメリカ探偵作家クラブ)に入会し、クイーンやカーマクロイなどの推理小説の大家たちと交流を深め、図書館助手、軍人、編集者、コピーライターといった職を転々としながら、執筆活動を続けていた。彼が作家として日の目を見たのは1955年。齢2000歳ともいわれる聖職者サイモン・アークを生み出し、超常現象を鮮やかに解決するオカルティックな風味が味わえるシリーズが人気を博した。その後もホックは類まれなるトリック・プロット創案能力をいかんなく発揮し、生涯で世に送り出した短編は800を超えるという。ホックが創作した探偵たちのキャラクターは非常に濃く、先述のサイモン・アークをはじめ、警察もののレオポルド警部、田舎町の開業医サム・ホーソーン、西部時代のガンマンであるベン・スノウ、イギリス諜報部のジェフリー・ランドなど個性派ぞろい。中でも日本での人気が高いのが、本作で主人公を務める怪盗ニック・ヴェルヴェットだ。彼のモットーは、価値のないもの(誰も盗もうと思わないもの)だけを盗むこと。何故そんなものを?というホワイダニットから、どうやって?というハウダニット、さらには誰が背後で糸を引いているのか?といったフーダニットまで、ミステリを楽しむ醍醐味が贅沢に詰まったシリーズになっている。

 

 

各話感想

『斑の虎を盗め』The Theft of the Clouded Tiger(1966)

難易度:B 盗みの美技:C 謎解き:C

 動物園で飼われている凶暴な虎を盗め、という意味不明な依頼ですが、その真相への繋がりはそこここに用意されています。ニック・ヴェルヴェット初登場作品だからか、全て(特に盗みの手法)において乱暴で崖っぷちなところが目立ちますが、解決の切れ味はすでに鋭く、強い男ニックを見せるための導入としてはぴったりの作品です。

 

『プールの水を盗め』The Theft from the Onyx Pool(1967)

難易度:A 盗みの美技:S 謎解き:S

 間違いなく本書の中でもベスト級の一作。プールの水全部“抜く”のではなく“盗む”という高難易度の依頼ですが、ニックは奇抜な発想で見事に依頼を達成してしまいます。盗みのテクだけでなく、その真相と、真相を引き出すための詐術も極上で、短編ミステリとして言うことなしの傑作です。ミステリ作家を相手にした犯罪というエッセンスも、説得力とリアリティにおいて利いている気がします。

 

『おもちゃのネズミを盗め』The Theft of the Toy Mouse(1968)

難易度:B 盗みの美技:A 謎解き:C

 一見すると誰の目にも“価値のないもの”というのは、依頼する当人にとっては“命を賭ける価値のあるもの”に変貌する、という本シリーズの本質を突く一作です。盗みの手際の良さが目を引きますが、解決編で窮地に陥るニックの一発逆転の推理に輝きがあります。一方で、手掛かり配置の面で物足りない部分も。

 

『真鍮の文字を盗め』The Theft of the Brazen Letters(1968)

難易度:B 盗みの美技:B 謎解き:S

 めっちゃ綺麗な短編ですね。盗みそのものは一般的というか普通なんですが、堕ちても怪盗ニック。プロの流儀というかプライドを見せられた気がします。盗難依頼の背後にある犯罪も巧みで、その手掛かりも洒落てます。さらに良いのは、本作にはニックを追う刑事ウェストンが登場するのですが、こちらもニックに劣らずの切れ者。警察と怪盗の対決という横軸が面白さを倍増させています。

 

『邪悪な劇場切符を盗め』The Theft of the Wicked Tickets(1969)

難易度:C 盗みの美技:C 謎解き:B

 着想と設定は特殊で興味をひかれますが、タイトルで少し躓いたせいか、真相も犯人もかなり見え見えなのが残念です。どちらかというと空回りを続けるニックを眺めるのが正しい見方でしょうか。

 

『聖なる音楽を盗め』The Theft of the Sacred Music(1969)

難易度:A 盗みの美技:A 謎解き:A

 協会に備え付けられている巨大なオルガンを盗め、という難題を抱えたニックですが、その盗みの鮮やかさには目を瞠るものがあります。さらに、オルガンを盗む動機と真相に迫るニックの推理と慧眼ぶりも見どころです。ニックが推理の飛躍だけでなく、しっかり地道な捜査をしている点にも好感が持てます。

 

『弱小野球チームを盗め』The Theft of the Meager Beavers(1969)

難易度:S 盗みの美技:A 謎解き:A

 本書いちユーモラスな短編です。大リーグチームを丸ごと盗み出すという、滑稽かつ意味不明な依頼も面白いのですが、その背景にある野球好きの異国の大統領や、クセの強い大リーグの監督などが物語に華を添えています。野球というスポーツと状況設定を上手く組み込み、卑劣な犯罪を作り上げてしまうホックのアイデアマンぶりにも脱帽です。

 

『シルヴァー湖の怪物を盗め』The Theft of the Silver Lake Serpent(1970)

難易度:? 盗みの美:C 謎解き:B
 シルヴァー湖に棲む大蛇(Serpent)のような生き物を盗め、という存在しないかもしれないものを盗む難ミッションです。伝説の生物の正体というワンアイデアを膨らまして、二つの対立する観光ホテルを舞台に、殺人事件にまで発展させてしまう著者の手腕に驚かされます。

 

『笑うライオン像を盗め』The Theft of the Laughing Lions(1970)

難易度:C 盗みの美技:B 謎解き:B

 会員制クラブにあるライオン像を盗むという比較的安牌な依頼ですが、ニックは絶体絶命のピンチに陥ってしまいます。ここからどう脱するのか、またライオン像を巡る登場人物たちの背景がよく練られています。

 

『囚人のカレンダーを盗め』The Theft of the Cool Loot(1970)

難易度:S 盗みの美技:S 謎解き:B

 囚人房の中のものを盗むという到底不可能に見える依頼をどうやって達成するか、その一点だけでも読む価値がある素晴らしい作品。謎の方は小粒で真相は見え見えですが、悪党どもを出し抜き、目当てのお宝を掻っ攫う怪盗らしい勢いのある活劇は見ごたえがあります。

 

『青い回転木馬を盗め』The Theft of the Blue Horse(1970)

難易度:C 盗みの美技:B 謎解き:A

 “もっとも単純な犯罪はもっとも予期せぬ事態を引き起こすことがある”というニックの心配通り、複雑に込み入った事件の内幕がよくできています。作中の言葉を借りると“ドラゴンと戦う騎士”のように、女性を助けるために悪党に立ち向かうニックのヒロイックな姿も印象的ですし、危険度に見合った報酬を得んと奔走する抜け目ないニックも堪能できます。

 

『恐竜の尻尾を盗め』The Theft of the Dinosaur’s Tail(1971)

難易度:A 盗みの美技:? 謎解き:S

 それってめっちゃ価値あるものじゃないの?という疑問はさておき、登場人物の造形に長けた作品で、事件のプロットも巧み。盗みの依頼の背後にある真意を、巧妙に隠す“恐竜の尻尾”が秀逸です。盗みに入るニックの周到な準備も見どころで、小さなプロップまで手が込んだ秀作です。

 

『陪審団を盗め』The Theft of the Satin Jury(1971)

難易度:S 盗みの美技:A 謎解き:S

 ニックのライヴァル、ウェストン警部補再登場作品。本書屈指の名作短編になっています。世にも珍しい女性同士の決闘が行われたとされる殺人事件の裁判から、陪審団を盗むよう依頼を受けたニックですが、『弱小野球チーム』よりも多い人数かつ厳重な警戒が敷かれた状況では簡単ではありません。それでも練りに練った計画が実行に移され、切れ者ウェストンの策謀の妨害にも会いながら、物語は映画『シャイニング』を彷彿とさせる自然の迷宮へと進みます。

 解決編では、推理小説の中の名探偵さながら、殺人事件の真相を推理するニックの名推理を堪能できますし、骨子のトリック・プロットともに高品質です。味わい深いオチも含めて、傑作と呼ぶにふさわしい短編です。

 

『革張りの柩を盗め』The Theft of the Leather Coffin(1971)

難易度:A 盗みの美技:C 謎解き:A

 こちらも手の込んだ一編。革張りの柩を望む背景は容易に想像がつきますが、西部地方独特の空気やメキシコ人、マリファナ(マリワナ)畑など、それらしい設定がミスディレクションとなって、結末で不意打ちを食らわしてくるサプライズの煙幕となっています。革張りの柩を無駄にしない、意味深長なオチもグッド。

 

『七羽の大鴉を盗め』The Theft of the Seven Ravens(1972)

難易度:A 盗みの美技:C 謎解き:B

 本書では唯一「専門家として盗みを阻止してくれ」と依頼を受けたニックですが、直後に「盗んでくれ」という依頼も飛び込み……という怪盗としての手腕が問われる特殊な一作です。

 異国の外交官がいて、反政府を掲げるヒロインがいて、とキャラクターにも厚みがありますが、解決編は捻りすぎたのかやや物足りない部分も。

 

 

おわりに

 個人的ベストは、謎解きの質が高い『プールの水を盗め』『真鍮の文字を盗め』『恐竜の尻尾を盗め』『陪審団を盗め』(多いな)です。特に『陪審団』は、正統派の推理小説の雰囲気も持っていて(もちろんニックらしくはない)、名探偵であるニックの一面を堪能できる作品です。

 

 今回読んだ創元推理文庫の『怪盗ニック全仕事1』は、1975年にHPB/ハヤカワ文庫で独自編纂された怪盗ニック・ヴェルヴェットシリーズを新訳/改訳化し、発表順に編纂しなおした新シリーズです。

 シリーズは、2019年に第6巻が刊行され完結し、これで全てのニック・ヴェルヴェットものが日本で読めるようになりました。

 エドワード・D・ホックの作品は、冗長で緩慢な記述もなく、登場人物も多すぎず、それでいてトリックは切れ味抜群、ユーモラスでとっつきやすく読みやすい。まるでミステリ初心者のために作られたかのようなミステリです。今ならまだ書店に並んでいるはずなので、ぜひこの機会に手に取ってみるのはいかがでしょうか。

では!

 

怪盗ニック全仕事(1) (創元推理文庫)

怪盗ニック全仕事(1) (創元推理文庫)