The Sentence Is Death
2018年発表 ダニエル・ホーソーン2 山田蘭訳 創元推理文庫発行
前作『メインテーマは殺人』
ネタバレなし感想
『メインテーマは殺人』に次ぐ、ホーソーン&ホロヴィッツシリーズ第二作。メインキャラクターの紹介や、探偵と語り手の特殊な形の提示に頁を割いた前作に比べて格段に読みやすくすっきりとしている。一方でシリーズものの特徴が出すぎて単体として読めない弊害があるようにも思えた。
前作では、事件そのものが派手でセンセーショナルだったが、本作はいたって普通。なんてことない人物がなんてことない死に方をする。もちろん現場に残されたダイイングメッセージは、本書の大きな謎として機能している。
また、事件が起こった背景は叙景描写から丹念に造り込まれ、堅牢な下地の上に建つ物語も、作者の綿密なリサーチや蓄積した知識の賜物だと実感する。この信頼感というか、このクオリティの作品なら絶対に大ゴケしないだろうという安心感がすごい。どの章でも、(ホーソーンや作者を通して)どの描写が手掛かりですよ、と明示されているし、その明かし方(順序や大小)のバランスがまた巧い。どのヒントも、頁を繰れば自然と集まってくるような一方通行のものではなく、時には物語を遡ってみなければ、見方が変わらず手がかりの新たな側面が見えないような造りになっているのもさすがとしか言いようがない。
そして圧巻は、解決編の鮮やかさと、傑作級のサプライズ。久しぶりにミステリの醍醐味であるゾクゾクとしたあの感じを味わった。とはいえ、その驚愕のラストも推理の枠外から突然飛び出てくるタイプのものではなく、犯人を指し示す伏線以外にちゃんと読者を説得させる特殊な描写があったように感じている。ここらへんはネタバレ感想で。
本書の核をなす事件に関連する謎だけでなく、容疑者たちに秘められた謎にも余念がない。それは、本案件に自らどっぷりと浸かり、かつ業界の内情や作家としての経験に裏打ちされた著者ホロヴィッツの卓越したテクニックの集大成である。
さらにシャーロック・ホームズ愛に満ちた描写が多い点も見逃せない。ただ、シャーロック・ホームズを全作読んでいるのが当たり前!と言わんばかりにネタバレ気味な箇所があるので未読の方は注意されたい。
最後に探偵ダニエル・ホーソーンについて。本作では、新たにホーソーンが現職時代の同僚や関係者、彼の隣人が登場し、彼のプライベートがのぞき見できる。しかし、本作で彼の過去が全て明らかになる、なんてことはなく前作以上に謎めいてきたのも事実。同性愛者への怒りみたいなものの源泉や、彼が過去に犯した失態の真相も闇の中。過去に繋がりのあった人物には悉く嫌われているが、隣人たちの評価は高い。敵(尊敬に値しない)と判断した人物には容赦がないし、真相を知るため、秘密を暴くためにはどんな手段も厭わない。真実を追い求める者とは、修羅と化す必要があるのかもしれない、そう思わせるほど、徹底的に自分を「あるべき姿」に同化させていく。その言動の奥底には何があるのか。全十巻で構成される予定のホーソーンシリーズ(著者談)のどこかで、全て明らかにされるに違いなく、これからも目が離せないシリーズになりそうだ。
以下超ネタバレ
《謎探偵の推理過程》
本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。
まずは謎の整理
ダイイングメッセージ「182」の意味
→Blink-182しか思いつかんかった(冗談)。順当にいけばアキラへのミスディレクションだが、そんな簡単な答えじゃないだろう。
被害者の「もう遅いのに」の真意
→何かの事後に来訪者があった?=もう取り返しはつかないぞという脅し?←殺害の動機
実際に遅い時間だった?=誰かが被害者になりすました?
その人物にとって遅い時間だった?=本来なら寝ている時間、生活が逆転している人物?←アホンダラ
アキラ・アンノの隠し資産
→犯罪まがいのこと。ホロヴィッツが一矢報いる流れ?
「長路洞」で起きた本当のこと
→間違いなく事故ではない。故意だとするなら、死んだチャールズ・リチャードスンの妻ダヴィーナが最有力。←作者の思う壺
第一の事件は、グレゴリーの轢死事故。第二がリチャードの殺人。となるとリチャードがグレゴリーを殺害したという線もあるか。
チャールズの死の真相を知るグレゴリーがリチャードを脅迫する→口封じのためグレゴリーを列車事故に見せかけて殺害→リチャードは別の理由で誰かに殺される。こんな流れもあるかもしれない。面白くないけど。
ただ、グレゴリーのリチャード脅迫に説得力がない。なぜ今になって脅迫し始めたか、とか、グレゴリーの妻のスーザンに秘密を打ち明けていない保証がない中グレゴリーを殺す可能性が無いなど、欠陥だらけ。
もしかすると「長路洞」で何が起きていたか疑っていた人物=デイヴがリチャードとグレゴリーを脅迫していた?グレゴリーに金が無くなって、標的をリチャードに変えたのかもしれない。
ダヴィーナの発言「男の人がいてくれないと―どうにも役立たず(頁230)」はダヴィーナと繋がる男性の影を示している。これがデイヴだったら?長年グレゴリーを裏切り続けていたとしたら?デイヴがグレゴリーに保険金を残して死ぬ方法をこっそり伝授していたら?デイヴとダヴィーナが手を組んで、リチャードを強請ったが突っぱねられたら?逆にデイヴとの仲を見抜かれ、脅迫の罪で裁判を起こすと訴えられたら?ありかもしれない。
まあそうなると、デイヴが自らホーソーンに「長路洞」の事故に疑いがあるって進言した意味がようわからんけど(捜査かく乱のため?)。
推理
デイヴ・ギャリヴァン
ダヴィーナ・リチャードスン
真相
コリン・リチャードスン
はあ……久々にガツンとやられた。「もう遅いのに」が言われた人物にとって遅い時間だった、とかグレゴリーの自殺の真相、とか所々で真相を掠めていた。
もしかしてホロヴィッツ、もの凄いことしたんじゃない?というのは、ホーソーンの読書会メンバーの一人で筋ジストロフィーを患っている少年ケヴィンの配役である。
ホーソーンとケヴィンの関係性は、単純にシャーロック・ホームズで言うところのベイカー街遊撃隊(ベイカーストリートイレギュラーズ)のようなものかもしれないが、その詳細が本作で語られることはなかった。さらに、ケヴィン自身がホーソーンとの関係を否定している。
しかしここで注目したいのは、彼が重大なプライバシー侵害と違法なクラッキング行為を行う犯罪者としての側面を持っていた、ということ。つまり“子ども”が“犯人”であるというモチーフが既に提示されていたのだ。大人が思っている以上に子どもは狡猾で悪賢く、油断できない存在であり、文明の利器を駆使し大人が考え付かないような方法で犯罪を犯す実行力/行動力があるという伏線が巧妙に張られていたのだ。だからこそ、犯人あてのシーンには、サプライズと同時に、強い説得力があるのだと思う。
おわりに
目が離せない、とか言っときながら恐縮だが、今後ホーソーンの謎と事件の謎のバランスが悪くなると、かなり評価がブレる作品群になると思う。
そもそも、ホーソーンを始め(作者ホロヴィッツも)キャラクターに愛着が全然沸かないので、“ホーソーンの謎”と言われたところで、あまり興味がない自分もいる。
前作は、“メインテーマ”である殺人事件の謎>ホーソーンの謎になっており、本作は、“裁いた”者>ホーソーンの謎だったから、ぐいぐいと読むことができたのだと思っている。
さて次は何なのだろうか。少なくともホーソーンの謎を遥かに上回る魅力的な謎が用意されない限り好評価はできない(めっちゃ期待している)。
では。