『かくして殺人へ』ジョン・ディクスン・カー【感想】ド直球のラブコメがど真ん中に直撃

And So to Murder

1940年発表 ヘンリ・メリヴェール卿 白須清美訳 創元推理文庫発行

 

前作『読者よ欺かるるなかれ

次作『九人と死で十人だ』

 

登場人物たちが演じる役柄とその関係性が話のミソでもあるので、あらすじは省略しますが、ド直球のラブコメなので、めちゃくちゃ楽しいです。しかも、灯火管制が敷かれる第二次世界大戦下の物語なので、敵襲の恐怖やスパイ風の味付けもほのかにあって、朗らかなラブコメの中に、どこか暗くて不安をあおる空気も漂っているのが特徴です。

 

前作『読者よ欺かるるなかれ』が、欺かれた驚きと腹立ちの半分半分、というすごいようなすごくないような、あやふやな作品だったので、ちょっと心配でしたがなんのその。きれいにまとめられた登場人物と映画撮影所という閉じられた空間で起こる怪事件、カーの作品の中ではハズレなしと謳われる(てきとー)消えた撮影フィルムを巡るスパイ要素、それらが完全に一体となっています。唯一の欠点はスケールの小ささ、でしょうか。こちらも興を削いでしまうおそれがあるので、多くは語れませんが、怪事件自体の陰惨さ、卑劣さから考えると、頭の狂った犯人が期待されますが、映画撮影所が舞台とはいえそこは英国。ハリウッドのような、スケール感の大きい派手な演出があるわけでもなく、抑圧された怒りとか憎しみといった感情が滲み出るかのような、独特の暗さ/恐ろしさが漂っています。特に、脳裏にしっかりとうす暗い撮影所やセットが映像として浮かぶような、情景描写がそれを冗長させています。灯火管制(戦時下において照明の使用を制限すること)の影響もあって、真っ暗な部屋に蝋燭や煙草の火明かりひとつがポウっと点っているかのような、スリリングでありながらも落ち着いた雰囲気が、これぞ英国ミステリという感じがします。

 

なんか、雰囲気のことばっか言ってるのでミステリについても少し。

原題And So to Murderはそのまま、『そして殺人へ』という意味です。このタイトルを念頭に置いてあらためて本書を読むと(安心してくださいネタばれはありません)、もちろんタイトルに込められた作者の意図がわかるのですが、それ以上に、絶対に(ここは絶対に)最終盤まで読み進めないと本書の旨味がわからないようになっているのはシンプルにすごいと思います。ミステリとしてすごいというのではなく、カーという作家の豪胆さというか、自信満々のその姿勢に驚かされます。逆に『殺人』というお強いワードを使っていること自体、ひとつの仕掛けになっているような気がしないでもないような……。兎に角、最終盤の大きな展開まで、(あえて言うならば)ハイライトもなく、カーお得意の(あえて言うならば)首をかしげるようなトリックも登場しないのにもかかわらず、物語をひっぱる強いストーリーテリングと、前述の本書の旨味だけで、本書を読む価値はあるというもの。

これもカーによくありがちですが、いくつか王道のミステリを読んだうえで読むと「みんな違ってみんないい」が味わえるのでお勧めです。

 

 

ネタバレを飛ばす

 

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本書を読んでからお読みください。

 

ど真ん中を流れるラブコメ要素はいったんミステリからははずしておく。

メインの登場人物は、プロデューサーのハケット、監督のフィスク、助監督のガーゲルン、彼の妻でスター女優のフルーア、そして脚本家のティリー

まあティリーは最初の事件の時に現場にはいなかったので主犯ではない。

 

一番最初に思い浮かんだのは、不道徳(だとされる)モニカの作品の主役をフルーアにさせたくない、という動機。この動機なら、助監督で彼女の夫であるガーゲルンが疑わしい。

第一、第二の事件ともにアリバイはないし、第二の事件に至っては実際につかまっている。

しかもH・M自らガーゲルン犯人説を一蹴してしまった。実はカートライトを狙っていたフルーア、というのも思いついたが、伏線がこれっぽっちもない。

う~ん。

 

真っ向から、モニカを狙った犯罪だとしたら、モニカの気を引こうとするカートライトが犯人でもよいが、彼には鉄壁のアリバイがある。やはり、モニカを煙幕にした第三の事件=ディリー殺害が目的か。

ただ、ティリーを殺す動機が見つからない。

降参。

 

真相

クルト・フォン・ガーゲルン

(目的は妻であるティリー・パーソンズの殺害。ガーゲルンはティリーとの結婚を隠し、フルーアと結婚したため、重婚がバレる前にティリーを殺そうとした。モニカは煙幕。ティリー殺害未遂トリックは……何度読み返しても、フェアかどうかが疑問符がつく)

 

H・M卿のガーゲルン犯人説の消去がちょっとモヤモヤするが、動機の提示方法は巧い(頁31)。とはいえ、最初っから怪しいと気づくはずもなく(そもそも怪しい記述ですらない)、正々堂々としたミステリからは程遠い。見方をガラッと変えて、Whose(誰の殺人か)に注目してみると、ティリー・パーソンズが殺されそうになった瞬間を”解決編”と捉え、改めて読み返すこともでき、もう少し読みごたえは増えそう(するかどうかは別の話)。

 

 

 

 

    ネタバレ終わり

カーといえば「やりすぎ」が個人的なキーワードなのですが、今回は、最後の最後まで徹底的に「やりすぎ」ているのが、めちゃくちゃ好感が持てます。コメディタッチな雰囲気も含めて心に優しいミステリなので、ドギツいミステリはちょっと…という気分の夜にお勧めです。

では!