『誘拐殺人事件』S・S・ヴァン=ダイン【感想】ハードボイルドの勢いに押され蹴躓いた一作

The Kidnap Murder Case

1936年 ファイロ・ヴァンス10 井上勇訳 創元推理文庫発行

前作『ガーデン殺人事件

次作『グレイシー・アレン殺人事件』

 

 

 

ネタバレなし感想

 さてさてファイロ・ヴァンスシリーズもいよいよ10作目となった。今までのレビューで、本シリーズについては色々とグチグチ言ってきたが、あと2作でシリーズ全てを読み終えてしまう、と考えるとそれはそれで名残惜しく思う……なんてことにならないのは、本作『誘拐殺人事件』に全責任がある。

 

 言うだけ野暮なのだが、『誘拐殺人事件』というタイトルが煩い。まず本作は、由緒ある旧家のドラ息子が誘拐されるところから始まる。なんと二階の自室から大の大人が窓を伝って誘拐されたらしい。窓敷居には5万ドルもの身代金の要求書。ザ・誘拐事件な展開だ。それでもファイロ・ヴァンスは意味深長な間合いで「やっこさん、もしかすると、もう死んでるよ」と宣う。でしょうね。だって誘拐“殺人”事件だものね。

 もちろん、ヴァン・ダインは並大抵の作家じゃないので、ここに様々な物語の展開を用意していて、自作自演だの、苛烈な銃撃戦、第二の誘拐事件が嵐のように巻き起こる。ここは一筋縄ではいかない。

 単純に“誘拐”と“長編ミステリ”を掛け合わせるという試みは面白いのだが、そもそもの誘拐事件に緊張感が全く無いので、興味が全然増進しない。誘拐とミステリ、と聞いてもパッと思いつくものは少ないが、日本の推理作家法月綸太郎の『一の悲劇』は、誘拐が長編ミステリに巧妙に組み込まれ、タイムリミットサスペンスの緊迫と、魅力的な殺人事件のバランスが良い作品だったと思う。それに比べ、本作は誘拐される人間に魅力が無い

 当たり前だが誘拐される人間というのは、誰かに「必要とされ」「愛されている」人間であるべきだ。どれだけお金を積んでも返してほしい、命を代えても犯人と交渉する、そんな気持ちにさせるような人間が誘拐されてほしい。しかし、本作で誘拐される人間は親類や知人にお金をせびり、放蕩する問題児。誰にも感情移入できず、別に誘拐された人間がどうなってもかまわない、そんな荒んだ心理状態になる。

 

 誘拐殺人事件というタイトルに引っ張る力は無いが、中盤以降ちょっとずつ面白くなってくるのも事実。特に第二の誘拐事件が起きて以降だ。なぜ第二の誘拐が行われたのか?複雑に絡み合う(単純だけど)誘拐犯の思惑と、背後に潜む暗黒街の悪党どもとの関係は?関係者たちの証言の食い違いは何を意味するのか。二転三転とまではいかないが、倒立前転くらいの小技は見せてくれる

 

 作品全体の意匠に、当時隆盛期だったハードボイルドの脈動が感じられるが、そこは不整脈気味。オチはいたってオーソドックスなもので、古典的なミステリを踏襲する形で王道を逸脱しない。最後、ヴァンスが全くの無表情で犯人に近づき、正確無比な手練で鉛玉を胸に三発撃ち込んだ、とかならもしかすると時代は変わっていたのかもしれないが、やっぱり変貌し続けるヴァンスは見たくないとも思う。古の老紳士カーリーに給仕され、同じくらい古びた美術品を眺めながら蘊蓄を浴びせるクールな探偵に魅了されたのだから。

ネタバレを飛ばす

 

 

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。

 

 

 推理という推理はないのだが、まず自作自演はない。普段から金をせびっていて、最終手段が誘拐、は考えられない。誘拐するシチュエーションも現実的でない。どちらかというと、自分から出ていった可能性の方が高い。(出ていった現場で誘拐、そのまま殺されたか?)その後、犯人が部屋に細工し、自作自演の可能性を演出した、と考えれば、部屋の不自然さの答えとミスディレクションが揃う。

 身代金受け渡し時のドンパチがあって、明らかに真犯人と誘拐の実行犯は共犯関係にあると思われる。

 ここで俄然怪しく見えてくるのは弁護士フリール。ケンティング家の財産管理人で遺言の共同執行人である彼が不正をしていた、と考えると、ケンティング家から金を巻き上げる口実になる。放蕩息子のカスパーは良い当て馬になるはずだ。そう考えると、フリールへの銃撃はギャングからの脅しに違いないし、ケンティング夫人誘拐も、身代金が支払われないことに痺れを切らしたギャングたちの強行だという説明がつく。

犯人

エルドリッジ・フリール

 まあ、これくらいなら推理とは言わず、ただの消去法だろう。

 ひとつだけオシャレだな、と思ったのは、ケンティング夫人が誘拐された後フリールに送られた脅迫状が、フリール本人にあてた共犯者からの真の脅迫状だったということ。本文中に暗号が書いてあったことから、ここでフリールが犯人なのは確定するが、二度目の誘拐事件なので、どんな脅迫の文句もそれらしく見え、一見直接犯人を告発する手掛かりになっていないのは巧い。

 一方で、エメラルドの香水はやりすぎに思えた。フリールの秘書がブロンドじゃなくて、エメラルドの香水がブロンドの人向けじゃない……って、直接的すぎでしょ。まあ嫌いじゃないけど。

 

 

 

 

 

 

 

      ネタバレ終わり 

 もう一つ言い忘れていたが、本書には、30頁弱のあとがきという名のヴァン・ダイン自らが筆を執った自伝が掲載されている。(実際には1936年に発表されたファイロ・ヴァンス殺人事件集という長編作品集の序文)これは一部評伝によると、粉飾だらけと聞いたことがあるのだが、嘘か誠かはどうでも良い。シンプルに面白いのだ。

 1935年ニューヨークにて書かれたこの自伝は、当時のアメリカを飲み込んでいたミステリのビッグウェーブを描写しているし、なにより大ヒットに大ヒットを重ね、懐がほくほくとあったまったヴァン・ダインの余裕とか(過剰な)自信、葛藤(というか言い訳)、(強がりにも聞こえる)老後の悠々自適な展望/願望など、作者のそのままが投射されている。さらに、この序文を書いた僅か四年後に51歳という若さで亡くなったというのがまた無常の感を強くさせる。

 もっと長く生きていたら、ミステリ界の重鎮として、鋭い目線と豊富な知識を駆使し、若手ミステリ作家の作品に辛辣なダメ出しをしていたのじゃないか、エラリー・クイーンを愛弟子とか言っちゃってたんじゃないか、と想像を逞しくしてしまう。まあその儚さも、ファイロ・ヴァンス特有の輝きだったのかもしれない。

では。

 

 

誘拐殺人事件 (創元推理文庫 103-10)

誘拐殺人事件 (創元推理文庫 103-10)