『緑は危険』クリスチアナ・ブランド【感想】作者の最高傑作、は伊達じゃない

Green for Danger

1944年 コックリル警部2 中村保男訳 ハヤカワ文庫発行

前作『切られた首』

次作『自宅にて急逝』

 

 完全にミスった。いつもシリーズ作品は、第一作から読むことを習慣にしているのに、間違って2作目から読んでしまった。

 まあ、いいか、めちゃくちゃ面白かったし。

 

ネタバレなし感想

 本作の舞台は第二次世界大戦下の病院。第一章から、ただの登場人物紹介に甘んじることなく、読者を煽る一文が光っている。郵便配達夫の届ける郵便と交差して、関係者たちの過去の重要なシーンが写真のように切り取られていくのも面白い構成。

 冒頭でクセと影がある関係者たちを紹介し、その中に、事件の伏線や手掛かりになり得る描写を挿入するのは、処女作『ハイヒールの死』でも見られるようにブランドお得意の手法らしい。

 

 落ち着きはらった医療関係者たちとは裏腹に、常に付きまとう空襲による無慈悲な死、次々に運び込まれる負傷者たち、治療と手術、看護の繰り返しなどに起因する不安や不満がそこはかとなく伝わってくる。戦時下の別の側面を見せてくれるブランドの筆致は素晴らしい。

 さらに、ボルテージが上がってくるのは、そんな死の嵐が吹き荒れる外界と隔絶され、安全色の緑一色に包まれた手術室に入った途端、背筋が凍るような恐怖と緊迫感が感じられるから。それは、ただの細かい情景描写のおかげではない。手術室にある一つひとつの小道具から、死の気配が漂ってくるかのような絶妙なテクニックのおかげだ。

 

 物語の本流は、ドロドロとした医師と看護師たちのロマンスの濁流で、関係者たちの視線や会話に集中してしまうが、殺人事件の発端となる死が不意を突いてやってくるので、その時点で一度ブランドにぶん殴られるのを感じる。

 国内の某有名医療ミステリの原型にも見える第一の事件のプロットも見どころで、不可能性・不可思議性の大きさと高い緊張感が奏功し、どんどん物語のテンポが上がっていく。

 

 そして、さらに恐怖のレベルを一段上げるのが第二の事件。第一の事件でさえ、全く見当のつかない謎なのに、第二の事件ではさらに不可解な状況で事件が起きている。

 第一の事件では、事件性があるのかないのか不明で、物腰も柔らかかったコックリル警部だったが、第二の事件でその背後にある悪意をしっかりと感じ取る。

 

 コックリル警部の熱心で粘り強い捜査が始まると、関係者たちの抱える闇や秘密が少しずつ明らかとなり、事件の輪郭が朧げに見えてくる。なぜあんな状況で、なぜ死体に不可解な痕跡が、そもそもなぜ事件が起きたのか。舞台は再び始まりの場所へ。全ての答えが出される、空気が張り詰めた解決編へとなだれ込む。

 

 ミスディレクションは大味だが、遊び心と好演出がこれでもかと詰まった解決編はまさに圧巻。事件のその後を描く悲哀に満ちたオチも見事で、クリスティ・クイーン・カーを受け継ぐといわれるブランドの実力がいかんなく発揮された傑作だ。

 

ネタバレを飛ばす

 

 

以下超ネタバレ

《謎探偵の推理過程》

本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本書を読んでからお読みください。

 

 

 冒頭の登場人物紹介から翻弄される。

 この中の7人のうち一人が犯人だと!?彼らの間に何が起こるのだろうか。

 序盤で感じられるのは、オーソドックスな痴情の縺れ。イーデンを中心とした色恋沙汰だろう。

 もう一つの軸は、ムーンバーンズの会話の中にあった医療ミスの噂と息子を殺された老医師のエピソード。

 

 第一の事件が起きるが、なんと死んだのは冒頭で登場した郵便配達夫ヒギンズ。手紙の配達中になにかに気づいた、ということだろうか。

 ヒギンズの言葉「どこで俺はあの声を聞いたのか」からわかるのは、ヒギンズと関係者たち7人の過去の接点が事件の鍵だ、ということ。

 

 ヒギンズの死は、安直にいけば麻酔医バーンズ博士のミスだが、彼の過去の噂とヒギンズの接点は今のところ見つからない。一番疑われる麻酔医が麻酔を用いて殺害するのも合理的ではない。

 トリックはシンプルにボンベに細工されたと考えるのが普通だが、事件後も他の患者に使用されたのであれば、入れ替わった可能性は少ないか。

 

 シスター・ベーツとバーンズのひと悶着はさらなる波乱を予感させる。

 案の定、何かに気づいたベーツは何者かによって殺されてしまう。理由はもちろん、ヒギンズ殺害の証拠に気づいてしまったからだろう。

 ここで魅力的な謎が提示される。

「なぜ二度も刺されたのか」

 これもシンプルに考えると、死体に残った一度目の痕跡を隠そうとしたため、もしくは手術衣そのものに残された何らかの痕跡を隠そうとしたのだろう。まあ、何かはわからないが。関係者の中に怪我をしている(血痕が残る)人物もいないし、身体的な特徴がある人もいない。

 

 フレデリカの殺害未遂はさらに混迷する。なんとなく本事件の画にまったく似合わない事件に見える。もしかしてフレデリカの自作自演か?

 消えたモルヒネは……たぶん最後に犯人が自分に使うんだろうな。

 

推理

ムーン少佐

息子が殺された復讐。だが、コックリル警部を呼んだのはムーン少佐だ。なぜか、どうやってかはわからない。作中で示唆されているように、ヒギンズの死因は、たぶん酸素欠乏。なんやかんやで手術中に酸素が供給されなくなったに違いない。例えば物理的に口が塞がれていたとか。

ベーツがムーン少佐に犯人を知っていると漏らしたり、彼のキャラクター的にも犯人から遠いのはわかっているが、彼以外の犯人が思い浮かばない。

 

真相

エスター・サンソン

ヒギンズは、母の救出をせず見殺しにした(故意ではなく現実的に不可能だった)元救助隊員だった。母を置いて出て行った後悔や葛藤から、母を殺したという妄執に囚われ、ヒギンズを殺し、彼の部下だったウィリアムをも殺そうとする。ヒギンズの殺害トリックは二酸化炭素のボトル(緑)を酸素のボトル(黒)に塗り替えるもの。ヒギンズの正体を知り、事前にボトルを塗り替える準備ができたのは、エスターのみ、という論理。ベーツはヒギンズ殺しの証拠に気づかれたため殺害。

 

 サプライズの大きさはもちろん、愛するエスターを救おうとしたムーン少佐とその結末(さらにはムーン少佐のその後)まで、鮮やかな演出が記憶に残るが、動機の部分でもう少し手がかりが欲しかった、というのが正直なところ。

 エスターの母親の死が誰にも過失がなかったのが原因だろうが、救助隊が間に合わなかったという描写は合っても良かったのではないか(見つけられなかった)

 

 

 

    ネタバレ終わり

 クリスチアナ・ブランドの最高傑作と呼び声高い『緑は危険』は、その名に恥じぬ傑作長編。登場人物たちの過去・現在・未来をまっすぐ線で繋いで、その中で生じた重層的な謎を綺麗に畳む技量の高さに圧倒さた。次も(というか前作も)期待できる。

では。