『怪盗レトン』ジョルジュ・シムノン【感想】想像していたよりもドロッとせず、キリっとしてる

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Pietre le Letton

1929年発表 メグレ警部1 稲葉明雄訳 角川文庫発行

次作『死んだギャレ氏』

 

 

 メグレ警部と言えば、名探偵コナンの目暮警部の名前の由来になった名探偵です。

 その記念すべき1作目が本作『怪盗レトン』なのですが、本書に出会うのには本当に苦労しました。電子書籍ならあるんですが、どうも出版社に抵抗がありましてね。

その話は置いといて、ようやく今年、ある程度適正な値段で本書と出会えましたので、これからは、メグレシリーズもちょくちょく読んでいきたいと思います。と言いつつ第二作『死んだギャレ氏』の入手難易度も凶悪です。各出版社の皆様復刊をよろしくお願いいたします。

 

で本書の感想なんですが、シムノン自身が、あくまで自分を”純文学の作家”だと思っていたという話どおり、オーソドックスな推理小説とは一線を画す独特の文体と空気感が見事です。

なんか、こういうかっちょイイ空気をもつ作品を読むと、いっつも読書メーターの感想が、その熱に当てられておかしくなっちゃうんで、一応晒しときます。

1931年発表のメグレ警部シリーズ第1作。国際的犯罪組織の首領ピートル・ル・レトンとメグレ警部の対決が骨子。人間の持つ豊かな感情を全て曝け出して物語を紡ぐシムノンの怪腕によって、魅力的な犯罪者と天才的な探偵という正統派の探偵小説とはまるっきり違う作品になっている。人間とはかくも豊かで、愚かで、愛しく、馬鹿馬鹿しい生き物か。ミステリ的なサプライズはほぼ無いが、厳しくも情緒ある描写、探偵と犯人のノスタルジックな雰囲気さえ感じさせる対決、そこからガラッと一変する温かいラストが、全てを上回る充足感を与えてくれる。

なにが「馬鹿馬鹿しい生き物か」なんでしょうか。

 

さて、冒頭のメグレの元に届いた電報のシーンから、大人の雰囲気が爆発しています。なんか、タイプライターのカタカタという乾いた音が聞こえてきそうな(電報だっての)レトロな空気です。メグレ警部の一つひとつの動きだけで絵になるというか、重さを感じるのはやはりシムノンの天才的な筆致と、訳者稲葉明雄氏の名翻訳のおかげでしょう。

物語の方はシンプルで、メグレ警視が、国際刑事警察委員会(インターポールのようなもの?)からの情報を元に、国際的犯罪組織のボスであるレトンを追い詰めるシーンから始まります。メグレは、レトンの人相書きを頭に叩き込み、レトンが乗っていると思われる列車の停車駅で彼を待ちますが、レトンの身体的特徴にぴったり符合する男を見つけた矢先、メグレの足を止める事件が起こってしまいます。

 

初めてのシムノン作品ということもあって、どのような楽しみ方をすればよいか、その感覚を掴むのが難しかったです。モーリス・ルブランのルパンシリーズのように怪盗とメグレ警部の追いかけっこが中心というわけではなく、メインの殺人事件が物語の前提を破壊してしまうことで一気に物語の奥行きと厚さが増すのがわかります。

レトンと思しき人物を追跡するにつれ、メグレは様々な痕跡に出会います。そして痕跡を辿って、フランス北西部の町フェカン、暗く長い露地が続くパリの裏町を冒険する一つ一つの情景が、簡潔かつ流麗にテンポよく描かれています。しっかり調べたわけではないんですが、体感的に短文の方が多くて、ダラダラとした冗長な描写が少ないのでめっちゃ読みやすいんですよね。なのに、メグレに降りかかる凶事と、悲劇に涙することも許されないメグレの静かな怒りの焔がストーリー全体にどっしりと重たくのしかかります。

パリの裏町に住む激情的で意思堅固なユダヤ人の女アンナ・ゴルスキン、そして港町フェカンで二人の子どもを守りながら船乗りである父親の帰りを待つスワン夫人、この一見交差することのないような二人の女性を繋ぐ、レトンという極悪人そして彼に瓜二つの男。彼らの複雑に絡み合った人生の糸を解す解決編は、謎の解決としては小粒ながら、登場人物に向き合うメグレの造形が冴えわたっており勢いもピークを迎えます。特に、どっしりと椅子に腰を据え、ラム酒の壜を挟んで犯人と対面するシーンは、紋切り型のミステリを吹き飛ばしてしまう衝撃と破壊力があります。

同じようなミステリを探してみたんですけど、今まで自分が出会ったことのないミステリのようです。フランスのミステリってもっとドロッとしていたり、女性の扱いになんかモヤモヤすることが多かったのですが、本書はメグレの視点とメグレの見せ方がかっこよくて没入度も半端なかったです。

では!