Death in High Heels
1941年発表 チャールズワース警部1 恩地三保子訳 ハヤカワ文庫発行
次作『ジュゼベルの死』(コックリル警部4)
クリスティやクイーン、カーと並び称される推理小説作家クリスチアナ・ブランドの処女長編です。まずは作者紹介をば。
クリスチアナ・ブランドという女
1907年現在のマレーシアに生まれる。幼少期はインドで過ごし、その後イギリスに帰国するが、17歳の時に父親が破産し、独りで身を立てなければならなくなる。以後10年にわたって、モデル・家庭教師、ダンサー、ホステス、秘書など職を転々とするが、転機となったのは、売り子の仕事で職場の女性の売り場主任に虐められた苦々しい経験だった。この女性主任を被害者のモデルに書いた作品がデビュー作『ハイヒールの死』(1941)である。
ブランドが創造した探偵のうち高名なのは、本作で登場する女性にめっぽう弱いチャールズワース警部と、彼と同じ世界線で活躍する〈ケント(イギリスの州)の鬼〉ことコックリル警部。コックリル警部ものはまさしく”傑作”と称される作品が多い。魅力的な謎、エキセントリックな登場人物たち、大胆な手法で仕込まれる伏線と手がかり、鮮やかかつ驚愕のトリック、アクロバティックなどんでん返しの数々。こう聞くだけで只者じゃないことがよくわかる。それら傑作を読んだことが無いので創造だけが膨らむが、今はクリスティ、カー、クイーンを合体させたかのような超人が思い浮かぶ。
ネタバレなし感想
第一章からめちゃくちゃ読みにくい。中身は、事件の舞台になるであろう服飾業界とそこで生きる女性たちの紹介が主になる。随所にユーモラスな(笑わせようとする)記述が散らばり、「面白いんだろうな」とは思うが実際には面白くはない。ここは国柄(言語)の違いだろうか。
また、登場人物に彩はあっても、個性が感じられないのも入り込めないポイント。もちろん彼女たちの人生は千差万別だし、抱える悩みや野心もそれぞれ違う。それでも、なんだかよくわからない現象が生じるのは、たった1章に詰め込まれた登場人物とカタカナの多さのせい。
人物だけでイレーネ・ハリス・ヴィクトリア(あだ名はボビイ・ダズラー)・レイチェル・ドゥーン・ベヴァン・アイリーン・ホワットシット・グレゴリイ・ジェシカ・ジュディ・マカロニと大洪水。それに加え、クリストフ衣裳店やドーヴィル(地名)の店、ミッチェルの店などがぼこぼこと増殖する。細かいところで言うと、“グレイの服”とかも鬱陶しくなってくる(イが腹立つ)。同じ登場人物なのに、名前と苗字どちらも多用されるのもきつい。
さらに難儀だなと思ったのは、とにかく会話が多いこと。さらさらと読み進めることができる叙景描写や説明文がほとんどない。事件に関係してきそうな手掛かりが会話の中にちりばめられているので、しっかり読まないといけないにも関わらず、誰が喋っているのかよくわからないまま進行するのでかなり疲れる。蛇足だが、改めてヴァン・ダインってすごいなと思った。彼の作品のいくつかは、それこそ衒学的な記述を丸々読み飛ばしてしまっても、ミステリとしては読めてしまうし、推理だって成立してしまうこともが多い。逆に、凝った記述の部分は、自分の知識欲を刺激する場合にはミステリと関係ないところで楽しい読書になるし、頭を休める機会にもなる。その点本書はまるっきり違い、どこも気が抜けない。もちろん登場人物同士の会話から、相互の関係(動機探し)や、事件前後の詳細な動き(アリバイ)に関する手掛かりを得られるのだが、重要であろう手掛かりの合間に、冗談めいた記述や、世間話がどんどん侵入する。気が抜けない。しんどい。そんな状況が400頁以上続くのだ。
ただ、肝心のミステリの部分はと言えば、一点を除いてよくできていると感じる。アリバイと動機を事細かに洗い出し、犯人と犯罪のありとあらゆる組み合わせを試しながら真実を絞り込んでいく過程は、なかなか旨味がある。解決編自体は登場人物の派手さに比べ地味だが、終盤の展開は豊富だし、伏線の回収も丁寧に行われている。それでも、前述の会話の煩雑さに刃毀れしてしまっている印象は拭えないのだが。
クリスチアナ・ブランドの持ち味は、二転三転する驚愕の結末、張り巡らされた伏線とその回収、精巧細緻なプロットにあるらしい。ここにユーモラスで生き生きとした登場人物たちが配役されていることがクイーンと違うところだろうか。しかしながら、本作ではまだ覚醒前なのか、その魅力が100%伝わってこない。ブランドは傑作揃いと聞いて最初に手に取ったのが本作だったら、一定の割合で落伍者が出るんじゃないかというレベルで物足りない。
唯一というか、個人的にしっくりきたのは、探偵役チャールズワース警部のキャラクター。恋愛体質の名探偵って今までに無かったように思う。しかも、手あたり次第恋に落ちるというタイプではなく、ちゃんと探偵としての観察眼が備わったロマンスになっているのが良い。というか恋に落ちて多少観察眼と判断力が曇るのがさらに良い。
また、チャールズワースとタッグを組む中年のビッド部長刑事も渋い。この立場が逆転したベテランと若手というバディーは決して派手なドンパチを起こすわけではないが、堅実で忍耐的な捜査で着実に真相に近づいてくれるし、何より厭味がない。
中盤以降登場するチャールズワースの同期生でライバルのスミザーズも同様にキャラがたっている。このあたりのキャラクターの掘り下げやプロットのブラッシュアップが今後進む、と考えると、次作以降大いに期待できると思う。
今回、いつも以上にまともに推理ができていません。ごめんなさい。
以下超ネタバレ
《謎探偵の推理過程》
本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本書を読んでからお読みください。
第一章から頭が痛い。印象に残った人物は、誰からも好かれそうにないミス・グレゴリイとおっちょこちょいなマカロニだけ。他の販売員たちは覚えれる気がしない。
少し読み進めれば慣れるだろうと思ったが、何章になっても朧気にしか記憶できない。
衣裳店のオーナーは誰彼構わずちょっかいを出しているようだが、誰と、いつ、くっついているのか情報の整理が捗らない。シンプルに物語だけ楽しむか……。
第二の事件が起きてようやっと容疑者が絞り込める。グレゴリイ、ヴィクトリア、レイチェル、アイリーン、ジュディの誰か。
ヴィクトリアではない(チャールズワース警部が惚れているから)。
この時点で解決できていない謎は
・別の薬局で蓚酸を買った人物
・イレーネの遺書を書いた人物
・そもそも何故ドゥーンを殺さなければならなかったか
全然わからん。お手上げ。
犯人
ミス・グレゴリイ(トリック:僅かな空き時間で別の方法で毒薬を入手するアリバイトリック。動機:愛した男の近くに居るために、恋敵を殺した)
あらためてさらっと見返してみて、頁34~35に動機がそのまんま書かれていた。第一章こそがめちゃくちゃ大胆不敵な伏線の塊だった……。
遺書を偽造した大きな手の手がかりも頁340でひっそり忍ばされている。会話の中でさりげなく配置するオシャレな叙述のテクニックは、ブランドの十八番なのかもしれない。次も気を付けよう。
400頁を超える雄編ですし、登場人物のややこしさもあるんですが、意外とするすると読めるんですよね。ユーモラスな会話や解決を競う若手警部同士の火花散らす推理対決も背中を後押ししてくれます。まあ逆に気を抜いて読み過ぎて、重要な手がかりをいくつもすっ飛ばしていたわけですが……。
後の傑作を読んでいないのになんの説得力もないですが、傑作の萌芽”っぽさ”は確かにありました。デビュー作でここまで大きく物語を広げて、かつ綺麗に畳めるだけでも凄いです。また、ちゃんと強めのミスディレクションがあって、それをおざなりにせずに論理的に解決してしまう技巧もデビュー作とは思えない完成度でした。
では!