息子が小学生になる不安だ

 息子がもうすぐ小学生になる。不安だ。ちゃんと勉強についていけるのか。誰かを傷つけたり、逆に傷つけられたりしないか。先生とはうまくやっていけるか。大なり小なり絶対にトラブルはあるだろうし、壁にぶつかるのは間違いないだろうけど、その未来があと半年もすれば現実になると考えるときりきりと胃が痛む。

 

 息子の成長過程で、ちょっとでも異常な行動をとったり、誰もやっていないような言動をしたりすると「もしかして何らかの障がいがあるんじゃないか」なんて神経過敏に反応してしまうこともあった。保育所の先生には別に普通だと言われても、周りの子たちができて息子にできないことがあるとすぐ「大丈夫か?」と心配になってしまう。もちろん先生から「全然大丈夫じゃない」と言われることもある。

 

 個人的に学校の先生と喋る機会が多いので、最近は子どもの発育・発達に関してや、勉強の進め方、なんかを積極的に聞いて情報収集している。ということで、ここ数年アドバイスをもらったことや、ハッと気づかされたことなんかを記録のために残しておきたい。予め言っておくと、人間十人十色、千差万別なので類型的にハウツーを述べるつもりはない。あくまで自分が良い!と感じて実践してみようと思っていることの記録だ。

 

息子が苦手としていること

人の話が聞けない

 目の前にやりたいこと、興味があることがあると、先生や親の話が全然耳に入っていない時がある。もちろん子どもってそういうもの、と言われればそうなのかもしれないが、しっかり話を聞いて手順通り物事を進めることができる同級生だっているのだ。

 話が聞けないため、聞き取りの精度もめちゃくちゃ悪い。ものを粗末に扱う、お友達に意地悪をするなどして怒られた次の日には「(昨日怒られたの)なんやったっけえ?」である。

 この点を保育所の先生に相談してみた。効果抜群な改善方法があるのか。

 

 答えは、無かった。

 淡々と冷静に、怒らず、丁寧に繰り返し話すのみ。保育所では話を聞いていない所為で、製作やお遊戯、運動が禁止されることもあるようだが、親としては致し方ないかなと思う。日本が欧米に比べると自主性を抑え込む教育形態になっているとはいえ、やはり危険が伴う作業や運動の際には、集団行動ができず話も聞けない子どもを自由にさせることはできない。

 

 一つ、参考になったのが、話をする際に体に触れながら話すということ。例えば覚えておいてほしい言葉があったら、「今の話は(ここで)ちゃんと聞けた?」と言いながら子どもの耳に触れる。話が聞けて「今の話を(ここで)どう思う?」と聞くときに頭に触れる。「どんな気持ち?」と聞くときには心臓あたりに触れて心で感じた事を引き出す。心がそこにあるのかは置いておいて、実際に我が家でもやってみたところ、触覚を刺激しながら話をすると、覚えが良いように感じている。あと心臓に手を当てて、首を傾げながら他人の心情を考える息子がきゃわゆい。

 

めっちゃ動きが大きい

 とんでもなくパーソナルスペースが広いらしい。ダンスや体操の時には周囲の子にばんばん手が当たる。動きが激しく大きいということもあるだろうが、他人のエリアに入り込んで全く抵抗が無いうえに、入ったことすら気づいていない。隣の子の顔に手が当たっても、当たったことに全く気付かないのだ。「当たってないしな」「○○(息子の名)ちゃうしな」である。

 家でも、壁や机やいすにばんばん手や足をぶつけて痛がっているのをよく目にするが、保育所でそんな実害が起こっていたとは。日産の先進技術でソナーつけてほしい。

 

 ただパーソナルスペースが広いことは悪いことではないらしい。息子はパーソナルスペースが広い分、友だちの変化や異常にも気づきやすく(ぶつかったことは気づかないが)、穏和な性格の子の主張を代弁してあげたり、何かを代わりにやってあげようとする自己犠牲の精神があるという。この点小学校の教員にも聞いてみたところ、「パーソナルスペースが広い子どもは、『誰かのために動ける』ように教えてあげると大化けする」と言われた。

 パーソナルスペースが広い分、その中に入った人や物を自分のことのように大事にできる人間は素晴らしいと思う。「お前のものは俺のもの」という訳か。息子の顔は完全にのび太だけど、その部分だけはジャイアンになってもいいと思う。

 

息子が得意としていること

ミスを恐れない

 自分がやりたいこと、楽しそうだなと思ったことに対する前のめり感は凄い。先生の話も聞かずどんどん進んでしまうのは考え物だが、自分のやり方でこうと思った自己流の手法で突き進む姿勢は褒めてもらった。しかも、たとえ失敗したとしても、周囲の子どものやり方をじっと見て学習しアレンジを加え、修正できるらしい。俺はできんぞそんなこと。

 改めて、息子がやりたいと言ったことは止めずにやらせてあげようと思った。家では、よくビールの缶を洗いたがる。終わった後、シンク周りがびしょびしょになるので絶対にやらせたくなかったが、その積極性を買って任せてみようと思う。その小さな体験が未来のスティーヴ・ジョブズを生むかもしれないからだ。

 

独創的

 保育所ではピアノの音頭に合わせて、一人ずつポージングをとる取り組みがあるらしい。色んなポーズを自分で考え、体で表現することに意義があるという。

 最近の保育園では、これを苦手にしている園児が多いようだ。失敗(そんなもの無いのだが)や流れが止まるのを恐れて、一番最初の子がやったポーズを真似するため、10人中10人がほとんど同じポーズというのもざらにあるらしい。そんな中、息子は毎回違うポーズをしてクラス運営に貢献している(笑)

 親バカ感が増してきたが、これは絶対私のおかげだと思っている。私は常々、様々な仮面ライダー変身ポーズを考案している。息子とお互いに新しい変身ポーズを披露しあった日々が今の息子を作っているのかもしれない。

 

 

小学校入学までの準備

 小学校の教員から、保育所や幼稚園期間中の家庭での暮らしが小学校の学習に大きく影響すると言われた。特に言語能力である。

 小学校に入ると本格的に読み・書きが始まる。今の保育所や幼稚園ではすでにひらがな教育が進んでいるようで、うちの子もかなりの数のひらがなを認識できるようになってきた。

 結論から言うと、読み・書きを今から特訓しようとは全く思っていない。前述の教員との会話で再確認できたのは、語彙の豊富さ(どれだけ名詞を言えるか)が言語の習得に貢献するということ。

 例えば、燕(つばめ)のイラストの横に三つの□があったとする。もちろん、その動物が何か知っていれば答えることができるし知らなければわからない。それだけの話のように思える。単純に知らない子どもは「ぽっぽ」とか「とりさ(ん)」と書くし、知っている子供は正解できる。

 しかし、前者の原因は、家庭でお父さん・お母さんが指示代名詞を多用していることに一因があるらしい。「あれ(醤油)とって」とか「あれ(明日の用意)した?」などその家でしか通用しないコミュニケーションを多用すると、自然と物の名前を言えなく(覚えなく)なるというのだ。

 

 ではなぜ語彙力がひらがな習得を早めるのか。言語学習においては「文字を発する音」「文字の形」「その文字が連想させるイメージ」この3つが上達の鍵だと言う。「音」と「形」についてはわかりやすい。書いてある文字を見て発音すればよい。しかし、「その文字が連想させるイメージ」には個人差が出る。先ほどの例を挙げると、つばめを知っているだけで、「つ」という文字を見たときに『つばめの「つ」』といったかたちで、「つ」がつく固有名詞を連想しやすくなり、結果としてひらがなの習得が進むらしい。

 たくさんの固有名詞を覚えて、連想先を増やすこと。そのために専用のテキストを買って家で特訓などしなくても良い。道を歩いていて、出先で、目に付いたものの名前を教えてあげるだけで、立派な授業になっているのだ。最近は「あれが、でんちゅう、でその上の黒い線がでんせん。これはまんほーる」などと積極的に話すようにしているが、いまだに「ください」を「くだちい」と読む。ガンツかよ。

 

おわりに

 上記の記述全ては、あくまでも個人の体験談(人からの伝聞)で、根拠があるわけではない。綿密な実験や実証によって証明された情報ではないことをご理解いただきたい。また、「家庭でのこんな取り組みが良かったよ」みたいな情報があれば、教えていただければ幸いだ。

 今思い出したけが、「痛いことに耐えることができるやつは字がうまくなる」って情報もあったけど、ちょっとまとまらなくて止めた。機会があれば書く。

 

では。