ブログをやっておいて良かったと思う理由2選

〜な理由◯選とかにしておけば絶対大丈夫と、Google先生は仰っていたのですが、選が少な過ぎる場合の書き方は教えてくれなかったので、このまま投下いたします。

 

 

 早いものでブログを開設してから6年が経ちました。最初の投稿をしてから約1年はさぼっていたので実働5周年というところでしょうか。おめでとうございます。

 30歳を超えて、いわゆる中堅の社会人になったので、徐々に後輩と組んで仕事をしたり、研修を企画して前に立って喋ったりする機会が増えてきて、改めて、長くブログを続けてきて良かったなあと思う訳です。

 ということで、今更ながらではありますが、ブログって良いよなって話を自分の体験談と結び付けて書いてみます。まああくまでも自分の場合って話なので、何の得るところもありませんよ。

 

 

 

文章に触れるのが億劫でなくなった

 別に文書が上手くなったりはしてないのよね。多少語彙は増えて、形だけ整ったかもしれないけど、あいかわらず誤字脱字は大石、美しい日本語の魅力を伝えきれて以内。

 ただ、自分でもびっくりするくらい、文章を書く(実際にはパソコンで作る)ことが億劫でなくなった。報告書や研修資料の文案を考えるスピードが格段に速くなった。

 一応これでも、文書に関する法律も知っておかなければならない職場にいるので、いつも文書を作るためのルールや規則を参照しながら作るのだけれど、その作業すら楽しく感じている。文字に触れるという行為が常態化して、体に馴染んできたからだと思う。

 文章を早く作ることができれば、それだけ業務の効率化や時間の短縮が図れるわけだけど、それだけでブログをやっていて良かったわけじゃない。たぶん、もっと仕事として業務に関連した文書をたくさん作っている人ほど、文書作成能力は高いはず。別にブログだけのおかげではない。

 書くのが億劫でなくなったということは、見るのも楽になったということ。他者の作った文書を読んだり、堅苦しい文書でも読む体力が付いてきたと感じる。これは、自分のブログ記事をめちゃくちゃ読み込んでいるからだろうと思う。一番多く再読したものは「僕の猫舎」なのだ。その都度、誤字脱字を発見するが、手直しするのは億劫なのは秘密だ。

 

 例えば、後輩が作った資料や文書を見て、「全く自分たちの仕事内容を知らない人が読んでも理解できるだろうか」とか「この文章だと、違った意味にとられないだろうか」などと質問することがある。時には一緒に考え、悩み、口に出して読み、ググり、ヤフり、ちょっと遠目で眺め、表現を打ち変え、また元に戻し、また変えて推敲する。

 いつも当ブログ記事を読んでいただいている方からは「おめえはこんな文書力で、他人に指摘してんのか」とお叱りを受けそうだが、そう、自分の作った文書も含めて指摘したりされてりしている。

 この文書の検討を介して人とコミュニケーションをとる、という行為もまた億劫でなくなった一つの事案だ。人に自分の文書を見られるのが恥ずかしいという感情も消えたし、人の文章にケチをつける言い方がうまくなった(おい)。

 自分の作った文章を否定されたり添削されるのは、大人になってからだとかなり傷つくものがある。自分では完璧だ、良いものが書けたと思ったときは尚更だ。しかし、ブログをやってきて思うのは、文書の作り方は千差万別で正解などないし、正しい文章は必ずしも読みやすい文章ではなく、ルールに則りながら堅苦しくなりすぎず且つ読みやすい文書の作成は、最高難易度のミッションだということ。そして、ただでさえ難しい所業を、心血を注いで完遂させたのに、他人に批評されたのじゃたまったもんじゃない、ということ。ここらへんを理解したうえで、他人との人間関係を崩すことなく、いかによりよい文書を作るという目標に向かって一緒に取り組めるか。

 ちょっと大げさに言った気もするけど、文書に触れることが億劫でなくなったことは、自分の人生にとってプラスにしかならなかったので、間違いなくブログをやってきて良かった理由に挙げることができる。

 

 

試験に受かった

 昇格や昇進、試験のための論文その他の書き物が、人生において避けては通れない状況になっている方。ブログは心からお勧めだ。

 別にブログでなくとも自作の小説でもなんでもよいのだが、長編ではなく、短くて完結するものがお勧めだ。

 当ブログでも何度か触れていることなのだが、大事なのは「完結」させたものを「蓄積」させること。「蓄積」したものを「公開」すること。「公開」したものを「読み返す」こと。「読み返し」たものを「修正」すること。

 最後のやつが急にブーメランで自分に返ってきて大けがしているけど、読むことと書くことの反復に慣れておく(それが日常になっている)と、論文などの人に評価される文章を書く時の糧には必ずなる。

 さらに、ブログを書くと同時に他者のブログ(文書)を読んでおけば、自分が生来持っていない文書の幅がぐぐんと広がるし、いざというとき、書くのに詰まってしまったときに、助けてくれるはずだ。たった一度でも、自分が読んで感銘を受けた文書やビビッときた表現というのは、案外記憶の奥に消えずに眠っていて、窮地になるとひょっこりはんしてくれることがある。

 

 自分の場合は、たしかにブログ解説の裏テーマが“5年後の昇格試験”だったが、試験に受かったのは運なのかもしれないし、ただの結果オーライ感は否めない。しかし、ブログをやってきて良かったと感じたのは本心だ。

 

 

さいごに

 今まで約5年間、短いレビューを「完結」させ「蓄積」することは達成できている。ということで、ここらでもう一段階ステップアップして、長編の物語を書いてみようと藻掻いている。

 現状はと言うと、ブログをやっているから全然スラスラと書ける、なんてことは全くなく、第1章だけが三つもできて停滞中だ。2章から先に全く進まない。コレが書きたい、というのは決まっているのに、脇道に逸れまくって辿り着かない。物事を説明したり、補足したりする作業に追われ(それじゃダメなのはわかっている)、肝心の本筋に戻れない。

 知識不足を補完するため、教養書を集め始めたはいいが、頭でっかちになって、ただの模写に成り下がっている。改めて、無から物語を生み出すプロの作家さんの凄まじさを痛感しているところだ。

 

 賞レースには全く興味がないが、なんとか完成させて自費出版くらいまでは漕ぎつけたい。そして、クリスティやカー、クイーンの本棚の間にひっそりと潜り込ませたい。架空の作家による自画自賛の帯も作って、豪奢に飾りたい。家を訪れた友人に、しれっと「面白いよ」と勧めたい。

では。