僕の猫舎

主に海外ミステリの感想を綴るブログです

私のミステリ遍歴

ひょんなことから、ある団体から「ぼくねこさんのミステリ遍歴を教えてください」と頼まれたいなあと思って書きました。

 

 

 

 

 

 小学校1年生の時に親が離婚した。母は私を育てるため昼はトラックの運転、夜は新聞配達と働き通し、私は何の予告も無しに一人になった。兄弟もおらず、家では常に一人だったが、学研の図鑑と絵本が大量にあったし、ぬいぐるみで一人遊びだってできた。暇つぶしに困ることはなく不幸せだと感じたことも一度もない。むしろ何でもないようなことが幸せだったと思う。

 

 当時通っていた小学校は、府内随一のマンモス校で図書館の品ぞろえが充実していた。その図書館で出会ったのが江戸川乱歩の『少年探偵団』シリーズ(ポプラ社)だった。小学校の6年間で全巻読破した記憶だけが残っていて、肝心の中身をすっかり忘れてしまったが、ポプラ社の表紙は鮮明に覚えている。特に『青銅の魔人』と『夜光人間』が恐ろしかった。調べてみたところ、文庫版で装丁が一新されたシリーズも出ているようなので、これから集めて再読するつもりだ。

 

 中学校に入っても読書熱だけは下がらなかった。ただ、買って良い本は教育的で健全なものだけ。暴力的で下品な描写のテレビ番組も見せてくれなかったし、小学校1年生の時になんの気紛れか『名探偵コナン』(青山剛昌)を買ってもらったけど、結局1巻で止まったっけ。

 そんなこんなで遂には小学館の『まんが日本の歴史』と『マンガ古典文学シリーズ』がお供のコチコチの13歳ができあがったわけだが、転機は13歳の誕生日。叔父からの誕生日プレゼントにもらった深緑の箱に入っていたのは、当時世界中を席巻していたファンタジー作品『ハリー・ポッター』シリーズ(J.K.ローリング)だった。魔法というロマンあふれる要素にもワクワクしたのだが、中でも一番胸をときめかせたのは、各巻のラストで描かれる驚愕のラスト、つまりはミステリにおける解決編/犯人あてのシーンだった。『シャーロック・ホームズ』シリーズ(アーサー・コナン・ドイル)のモリアーティ教授のような巨悪こそあれ、各巻の魅力的な事件の首謀者や発端は巧妙な伏線に隠されている。解決編ではこれまで忍ばされていた手掛かりが論理的に提示され、ここには魔法で取り出したかのような強引さは全くない。当時、論理性だとか伏線などと考えながら読んだことはなかったが、今思えば、あれは単純にファンタジーに彩られたミステリに魅せられていたのだろう。

ハリー・ポッター文庫全19巻セット(箱入)

ハリー・ポッター文庫全19巻セット(箱入)

 

 

 

 高校生になると『ジョジョの奇妙な冒険』(荒木飛呂彦)にどっぷり浸かった。バイト代は全て古本に費やし、教室の自分の机の上に山積みし布教に勤しんだ。集合写真では常にJoJo立ちをし、いかに『ジョジョ』が素晴らしいか、その崇高さを体現した。ほんとやめとけばよかった。

 『ジョジョ』にはミステリ要素もあるのだが、どちらかというと犯罪小説に近いとも思っている。切れ味抜群の筆致で描かれるドス黒い悪と、悪人の中にある確固とした「正義のイメージ」は、ミステリに登場する印象深い犯人と連接するものがある。もちろん「スタンド」と呼ばれる超能力を用いた戦闘には、間違いなく謎解きが含まれているし、名探偵だっている。『ジョジョの奇妙な冒険 第3部』の主人公・空条承太郎のまるでシャーロック・ホームズのような名台詞を引用しておこう。

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観察しろというのは……見るんじゃあなくて観ることだ…聞くんじゃあなく聴くことだ。

引用:集英社 荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険38』94頁

 

 

 『ジョジョ』と並行しながら国内の作家の作品にも触れ始めた高校3年時。国内の作家といっても、本格ミステリの王道を行く重鎮たちには挨拶せず、まっすぐ東野圭吾乙一伊坂幸太郎奥田英朗といった新進の作家たちの本を手に取った。この時、誰かがそっと島田荘司綾辻行人有栖川有栖を進めてくれていたら、自分の嗜好はもっと国内寄りになっていただろうと思う。

 

 

 高校を卒業しすぐに就職した私は、忙しい毎日に追われ読書を忘れていった。『ジョジョ』をはじめとする漫画本の収集こそすれ、小説といった類の本からは遠ざかった。

 そして2015年、またもやターニングポイントが訪れる。三谷幸喜脚本のテレビドラマ版『オリエント急行殺人事件』(アガサ・クリスティ)である。もちろんアガサ・クリスティの名は知っていた。なんといっても阿笠博士の元ネタだ、知らないほうがおかしい。オリエント急行?アクロイド殺し?そんなの初耳だ。

 ドラマでは狂言師の野村萬斎がエルキュール・ポワロを演じていたが、なんだこのクセの強い探偵は、と心をぐっと掴まれた。さらに、謎解きの上質さ、解決の鮮やかさ、トリックの奇抜さにも度肝を抜かれた。解決編の一歩手前で真相に気付き、隣にいた妻に「ねえ、これってアレじゃない?ねえ、たぶんそうだよね?もしかして、こうじゃない?」みたいな感じでまくし立て、ヒかれたことを今でも覚えている。

 次の日、私は図書館に行き、偕成社文庫の『オリエント急行殺人事件』を手に取り一気に読んだ。ドラマ版で美化されすぎたのか、登場人物たちの会話シーンがやや退屈に感じる。調べてみると、偕成社文庫は子ども向けだった。すぐに早川書房のクリスティー文庫から発行されているものを購入し、またも再読。こちらはオリエント急行のオリエンタルな雰囲気が抜群で、真っ白な雪で閉ざされた叙景や様々な人種・階級の人間が一堂に会する列車の空気感だけでお腹いっぱいになる出来だった。

 こうして、私はクリスティにはまっていった。毎週ブックオフで中古本をポチったが、家に届くと妻にいろいろと言われそうなので全て職場に届くようにした。古書収集の初心者だったので、新訳と旧訳の区別や装丁の違いなど確認しないまま買い漁った。1年が経ったころ、クリスティ作品のほとんどを収集していたが、重複本がやたらと多く、クリスティが生涯で発表した作品数を超える本が手元に残った。戯曲『ブラック・コーヒー』(1930)に至っては4冊ある。「絶対に『暗い抱擁』だけは持ってないよな」と思って買ったら持ってた、みたいなことが茶飯事。

 

 

 アガサ・クリスティに夢中になると同時に、映画やミステリのレビューを綴るブログも始めた。ミステリに関しては、基本的には海外ミステリを読み進めてきた。聞くところによると、ミステリというジャンルは、制約があってこそ発展し進化してきたらしい。

 そして、あえて自身に制約を課し、5年かかって300冊弱海外ミステリを読んだ今、猛烈に国内ミステリへの興味が増大している。最近では『十角館の殺人』で綾辻行人デビューも果たした。島田荘司『占星術殺人事件』は昨年倒した(倒された)し、有栖川有栖『月光ゲーム』もいつだって倒せる。泡坂妻夫法月綸太郎の作品だって多数ある。いつでも国内ミステリに戦いを挑む準備はできているつもりだ。

 しかし、気が付くと海外ミステリを手に取り読んでいるし、自分の心が海外ミステリを欲していることにも気づく。そうか、いつの間にか制約は「一生海外ミステリを愛し続けます」という誓約に変わったのかもしれない。私の親は離婚したが、私たちはそうはならない。

 

 

 

 

 ……飛び上がったはいいけど、着地点(オチ)が全然見えなかった。空中でバタバタしてみたけど、全然落下速度は落ちなかった。

 真面目に言うと、別に海外ミステリにこだわっている特段の理由はなくて、ただ「旅がしたい」だけ。そもそも海外ミステリを読むことが「旅」で、ブログが「旅の記録」だってことも、あるブロガーさんに気付かされたことでただの受け売りだ。

 とはいえ、国内ミステリで感じにくい非日常を海外ミステリではストレートに感じることができるし、また行きたい(読みたい)と思わせる力があると考えると、もしかすると自分の海外ミステリへの興味/渇望は、海外文化そのものへの憧憬にあるのかもしれない。

 

 駄文長文でお目汚ししたかもしれないが、最後にお聞きしたい。

 皆さんの憧れはどこにあるだろうか。

 刺激的でスリリングなミステリを求めている人は、もしかすると退屈な日常に不満を抱いているのかもしれない。スプラッター描写に特徴のある過激なミステリや不快感が募るイヤミスを欲しているのは、もうちょっとした刺激では満足できなくなった人なのかもしれない。ロマンチックなミステリが読みたい人は、恋に恋している人かもしれないし、社会派ミステリを推す人はパワハラ上司をぶん殴りたい人かも。私はといえば、もうめちゃくちゃに海外に行きたい。

 ただ、時には自分だって、キュンキュンしたいし、ザ・本格を読みたい。つまりは、ミステリには読者がその時々に求めるすべてが詰まっているのだと思う。

 皆さんの憧れはどこに向かっているか。

 答えは全てミステリにあるのだ。

 

 

 という訳で「私のミステリ遍歴」が完全に霧散したここらで終わりたい。

では!