発表年:1935年
作者:ヘンリー・ウェイド
シリーズ:ノンシリーズ
訳者:岡照雄
倒叙です。
あんまり倒叙ものを読んだ経験に乏しいので参考になるかわかりませんが、ありきたりなプロットなのによく出来ていると思います。
訳者の岡照雄氏という名前は、あまり目にすることが少ないのですが(カーの『エドマンド・ゴドフリー卿殺害事件』外)ほんと名訳でした。主人公ユースタスに感情移入しまくりです。
殺人の正当性というか動機に関してはクズだとしか言えませんが、彼の切羽詰まった焦りや、一度転がった石は止めれない進退窮まる感じが上手く表現されています。
そんな追い詰められた彼を見ていると、頑張れ!(頑張るな!)と矛盾したよくわけのわからない感情を揺さぶられることもしばしばあって、これこそまさにヘンリー・ウェイド(と岡照雄氏)の素晴らしい功績・本作最大の魅力のひとつでしょう。
ヘンリー・ウェイドと言えば、当ブログでも過去2回世界探偵小説全集から刊行された『塩沢地の霧』と『警察官よ汝を守れ』を紹介してきましたが、本作はどちらかというとブラックユーモアの利いた作品に仕上がっています。
もちろん前2作でも共通する、纏わりつくような暗いねっとりとした雰囲気はそのまんまに、開放的でありながら緊張感を醸し出す鹿狩りのシーンや、人好きのする病弱な青年との面談など、どこか日常的に感じられる雰囲気を同居させているのも魅力です。
あと話しておかなければいけないのは、オチに用意された最大の仕掛けです。冒頭でも書いたようにたしかにありきたりではあります。
ただ、倒叙に大切な犯人の魅力に関しては、十分に書き切れているかなといった印象です。
一般的な推理小説の主役が探偵だとすると、倒叙の主役は間違いなく犯人です。そして、そんな犯人にはクールさ、一種のカッコよさが必要だと思っています。それが本作にはたしかに存在していました。
ヘンリー・ウェイドの作品群には『倒叙』のエッセンスが入っているものが多く、中には本作のような完全倒叙ではなく半倒叙や倒叙の「と」の字程度の作品もあります。
その中でも一番倒叙に振り切っただけあって、かなりスタイリッシュに着地を決めた本作は、今のところヘンリー・ウェイドいちと言って良い作品でした。
入手難易度を考慮しなければかなりオススメの一作です。
以下超ネタバレ
《謎探偵のボヤキ》
本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。
オチの性質を言ってしまえば、
主人公ユースタス自身が知らず知らずのうちにヘンリーに操られていたということなのですが、前後半で物語の勢いに大きな落差があるせいでサプライズの点ではやや物足りない気がします。
基本ユースタスが運頼みというという所為もあるのですが、その運に見放されない前半(特にデヴィッドが死ぬかどうかの瀬戸際)から中盤(バラディス老との会談)までは手に汗握る展開が目白押しで読み応えも十分です。
問題の後半は潮目が変わって、ユースタスが追い詰められてゆくのですが、あまりハラハラしないのはやっぱり真犯人が完全に見えちゃうため。
というか、最序盤から相続人の溺死自体がヘンリーによって仕組まれていたことが示唆されています(頁39)し、ヘンリーがユースタスの本心を読んでいる描写もこれでもか、と表現されています。
そしてデズモンドの死が第三者によるものが明らかになると、いとこのジョージではミスディレクションには役不足でヘンリーの関与は疑いが無いものに。
以上尻すぼみ感はありますが、ヘンリーのクールな犯人ぶりは、それはそれで楽しめます。遺産相続人が自分ではなく妻、というのも巧みでオシャレです。
そして最後の一文です。
ヘンリーの家に警察官がやってきて…というところで終わるのですが、ただのユースタス死亡のお知らせなのかな?
気のせいかもしれませんが、最後の最後に読者に委ねるような書き方がされているのも作者のサービス精神の表れでしょうか。
倒叙をただの倒叙にすることなく、サプライズを加えたうえでクールさを醸し出しながらも独特の余韻まで残しちゃう。オススメです。
では!