発表年:1928年
作者:F.W.クロフツ
シリーズ:フレンチ警部4
訳者:向後英一
本作はF.W.クロフツが創造したシリーズ探偵フレンチ警部の第4作目なんですが、いかんせん手に入り難い…
全然新訳じゃなくても良いと思うので、復刊して是非多くの人に手に取ってもらいたいミステリです。
今日はあらすじは省略します。
とにかく事件が発覚するまで読んでほしい。
別に特段スリリングでもサスペンスフルでもない、サプライズもない、ただただハートフル。
むしろ『樽』。
なんでしょうかねえ親になったからでしょうか。いいよクロフツすごくいい話です。
全然ミステリと関係ないところで興奮してしまいましたが、事件が発覚してからがまたすごい。
事件のスタート地点がここまで脆かったミステリがいままであったでしょうか。
始めっから事件性だけはあるとはいえ、どんな事件なのか、全く展望が望めないにもかかわらず、フレンチ警部はいつものように地道な捜査を開始します。
ほんの小さな手がかりを足掛かりに(わかりにくいな)仮定と実践を繰り返すフレンチ警部と、本事件の相性は抜群です。
また事件を構成する要素も緻密且つ丁寧。
やっぱりクロフツの作品には、名犯人でも名トリックでも名探偵でもなく、名犯罪が多いな、とひしひし感じます。
一方でいつものように地味(地道)な捜査の展開はご愛嬌。
ただし、名作『樽』のようなネットリとまとわりつくような地味さではなく、これがダメなら次行こう、と計画的で軽やか(!)な地味さなので、地味な割にテンポが良い部分は高評価。
さらにフレンチ警部の捜査スタンスがまた良い。
シャーロック・ホームズのような天才的なひらめきや、百科事典のように奥深く専門的な知識の賜物ではなく、それこそ知りたいことがあったなら、図書館に行って専門書を借りてきて勉強しながら手がかりを得る、まるで苦学生のようなその姿勢には好感が持て自然と応援したくなります。
また、数学の証明問題を解いているかのように、着実に一歩ずつ前進しながら推理を構築できるのも読者には優しい設計です。
あと触れておきたいのはタイトルについて。
『海の秘密』原題:The Sea Mystery
…ザ・シー・ミステリーです。
いや地味っ!
シンプルとか通り越して地味!
ネットで検索しても、アガサ・クリスティの『カリブ海の秘密』しか出てこないのも悲しすぎます。
『木箱』とか『痣』とか、そんな一言でも表せそうなミステリですが、実はそんな地味さも、クロフツの作戦なのではないかと訝ってしまいます。
特に本作のように幾度も繰り返される仮定と実践の中では、本来なら絶対に見逃してはいけない手がかりやヒントをすっかり見落としてしまいがちです。
テンポが良くフレンチ警部の個性も光っていますが、とにかくクロフツ川の流れは今日も緩やか。
序盤で犯人の目星がついても、怒らず急がず焦らず、海の秘密とその種明かしを堪能してください。
ネタバレを飛ばす
以下超ネタバレ
《謎探偵の推理過程》
本作の楽しみを全て奪う記述があります。未読の方は、必ず本作を読んでからお読みください。
まず木箱を引き上げた親子のエピソードが良い。
久しぶりの親子水入らずの幸せな時間に、得体のしれない箱を吊り上げた興味津々の息子に対し、先に中身を見た父親の反応が実に愛に溢れていて素晴らしい。
こういうのを書けるのって、もしかしてクロフツも結婚して子どもがいたのか?と思い調べてみたが答えはわからず。
とりあえずこんな話も書けるのかと感心した。
身元の特定までの流れは、流石に良く練られていて導入部としては満点。
箱の状態から遺棄方法を、衣類の僅かな修繕跡から身元特定、車の部品に関する論理的な推理等一つひとつの捜査のクオリティがとても高い。
死体=スタンリーという線でフレンチは進んでいるようだが、どうも腑に落ちない。
これ、バーリンならとんでもない無駄足。
しかも、登場人物の少なさから、ある程度犯人は絞れてしまう。…と思っていたら、変な角度からドムリオ大佐が現われた。
たぶんウマいこと利用されただけだろうが、なかなかこの挿話も読みごたえがある。彼とフレンチ警部の絡みも面白く、ちゃんと次の手がかりに繋がっている。
つまり、ドムリオ大佐を嵌めたのは、死んだバーリンの妻フィリス(写真を撮らせたあたりで確信)とその愛人スタンリー。
これで決定。
一人二役で演じているであろう従兄弟ジェファーソンは、お粗末すぎて疑う気にもならない。
予想
フィリス・バーリン&スタンリー(ジェファーソン)・パイク
結果
完全勝利
久々の完全勝利。やっぱり全体を眺めてみて、派手さは無いけど、プロットの組み立て方という点においては、間違いなく今までのクロフツ作品の中でもずば抜けて上手いです。
『樽』のプロットをもう一度ブラッシュアップし、探偵役もフレンチ警部という強固な柱に入れ替えることで、格段に安定した出来になっています。
また終盤は、昭和の刑事ドラマのような典型的ピンチに陥る展開も新鮮でした。
余談ですが、このクライマックスのシーンでバーリン夫人がフレンチと取っ組み合うスタンリーに向かって叫ぶ台詞が
頁312 「あたしにピストルをよこして!」と彼は叫んだ。
となっていて台無しでした笑
ネタバレ終わり
地味地味言い過ぎてクロフツ先生には申し訳ない気持ちでいっぱいなのですが、最後に、本作の締めの一文だけご紹介します。
しかし、だいたいにおいて、彼は満足であった。
コレが最後の一文なんです。
地味とか通り越して、一周まわって新しいです。
この感想記事を書くにあたって、妙にこの締めの一文が頭に残っています。
この一文を読んで「うんうん良く頑張ったね」と頷くか、「満足すんなよ」とツッコむかはおまかせします。
では!