僕の猫舎

主に海外ミステリの感想を綴るブログです

たくわえる、のみこむ、はきだす

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ポケモンの技です。

ウルトラムーン買おうかな、と悩んでます。

今日はいつものブログの趣旨から外れてなんの脈絡もない3つの話。

 

 

めまいの話

5年程前の話。それまで自分は、結構精神的にタフな人間だと思ってて。どんな困難にぶち当たってもへこたれない自信があったし、自分は叩かれてもけなされても微動だにしない強いメンタルを持った人間だと。

でもある日仕事で大きなミスをして、その尻拭いのため尊敬していた先輩に多大な迷惑をかけちゃって。

普段温厚な先輩が激高したことと、自分自身への不甲斐無さもあって、恥ずかしいやら情けないやらで、彼女にも相談できずに、一人で落ち込んでいた期間が続いた。

心の中では「絶対大丈夫、済んだことは仕方ないし、これから取り返せばいい。前を向こう。」と思えば思うほど、朝起きて仕事に行くのが苦痛になり、しまいには強い耳鳴りと、座っていても立っていても寝ていてもめまいが起きるようになった。天井はグルグル回るし、床はぐにゃぐにゃ沈むしで、とにかく気持ち悪い。

突然のことに驚き、脳の病気かと思って、めまい外来なる専門的な科がある病院や脳外科に行ってCTを撮ったりしたけど、原因はわからず。

結局めまいを抑える薬を処方してもらって、症状は徐々に改善したけど、半年ほど軽度のめまいと耳鳴りと付き合いながら生活するのは結構辛かった。後半は病院に行くのもしんどくて、薬局に売っている酔い止め(めまいの薬と成分が同じらしい)を飲む毎日。しかも結構効くのこれが。

 

もしかして、俺って一時的なうつ状態なのかな?と気付いたのは、症状もやや治まってきた頃。

当時は「俺は強メンタルだから」という無根拠の自信があって、精神が擦り減って身体に異常が起きるなんて想像もしていなかった。それだけにショックが大きく、めっちゃ俺人並みやん…普通にメンタルやられてるやん…

 

と、なんでこんな話を思い出したかというと、このひと月、仕事が鬼のように忙しくて(職場に一人しかいない担当)、少し仕事に行きたくない自分がにょきにょき顔を出し始めたので、「あコレは危ないな」って。
これから慌ただしい年の暮れを迎え、仕事に忙殺されると、日々ストレスが蓄積するし、さらに年末年始の長期休業を挟むと、「嗚呼仕事に行きたくない」と、知らず知らずのうちに鬱な状態になるかも。

もしこれを読んでる人が「自分は大丈夫」と思っているなら、それは少し危険かもしれない。

誰だって、知らず知らずのうちに、落ちちゃうことありますからね。

 

今考えれば、少しでも周りの人に、今落ち目です…みたいに気軽に相談できれば、もちょっと回復が早かったはずなんですよ。

身の周りに相談できる人がいない…って人は、ネットを活用したらいい。

それこそブログなんて最高。

書いて投稿。書いて投稿。

ひたすらネガティヴなことでもいい、溜まってる膿を吐き出して少し心も体も軽くなったらいい。

例えそれが誰の目にも触れなくても、「悪いものを外部に放出した」という事実はしっかり残る。

腫瘍を取り除いて空いたスペースで、問題の解決策や逃避方法を考えたらいいんです。ということで、今日は、もう少し膿を放出するつもり。

 

 

年賀状っている?の話

こういう話をすると、必ず嫁に怒られるのでリアルでは自粛してたけど、どうしてもこの年の瀬に吐き出さずにはいられなかったので、気分を害する方もおられるかもしれませんが、暫しお付き合いください。

年賀状はいらない。これだけ。

送りたくないし、送ってもらわなくても良い。

自分の口でその理由を上手く説明できないところに問題の根深さはあって、今こうやって頑張って説明しようとキーボードを叩いていてもその答えは全く見えてない。

 

とにかく頑なに送りたくない。

まず、なんだろう。

あけましておめでとう、と思っていない。

これが大きい。

新年を迎えて何がおめでたいんでしょうか。年末年始は休みがあって、大みそかには紅白があって、1月1日には初詣に行くから、めでたい気分にさせられてるだけで、本当は、子どもが生まれたり、誕生日や結婚記念日を迎えたり、ボーナスが出た日の方がめでたいはず。下手すると、虫歯が完治したり、ソシャゲでSRが当たったり、通勤途中の信号が全て青だった日の方がむしろめでたい気分になる気がする。だから、そこまでめでたく無い日のために、わざわざお金を払ってまで誰かに挨拶したい気分にはならない。

そんなところです。

ただ1年間に起こっためでたいできごとの総まとめ、みたいな感じで年賀状を送るという意識が統一されているなら…いやそんなの知らんけど。

 

一緒に吐き出させてもらうと、内祝い(半返し)ってのもいらない。

こっちの方が本当は要らない。意味が解らない。それがマナー、礼儀ってことにされてるのも甚だ疑問だし。

年賀状とも通じるところがあるんだけど、送られると「送り返さなきゃ」みたいな気持ちが自分の心の中にあるのが嫌。

本能なんでしょうか、それとも育った環境?小さなころから何か刷り込まれてるんじゃないかと洗脳を疑いたくなるレベルで、何か返さないとマナーに反するんじゃないか、人として失格なんじゃないか、と強迫観念に駆られるところに闇がある。

 

とはいえ、年賀状システムについては、そこまで悪だとは思ってなくて。

人と人との繋がりの薄さというか、比較的他者と繋がりを持たずに過ごそう、という現代人特有の問題点が大きくなっているのも理解できる。

自殺とか、失踪とか、座間のアレとか、繋がりの希薄さが遠因に生まれる事件もたしかにある気がするんですよね…

だから、誰でも良いからどんな形でも人と繋がりたい、という本能的な欲求と、貰ったら返さなきゃいけない、という強迫観念の狭間でストレスを感じつつあるこの12月。ドロドロとしたものが溜まってる。

 

 

人が死ぬ話が面白いか、と聞かれた話

今日の本題。人が死ぬ話=ミステリですよ。

どんなジャンルの本が好きか、趣味は何か、ハマっていることは、土日は何をしているのか、もうプライベートな質問にはほぼほぼ「ミステリです」と答えるようになったここ数年。

逆に、人が死ぬ話(=ミステリ)を読んで面白いor楽しいんですか?(小馬鹿)みたいな質問を受けることがある。

調子が良いときはいいんですよ。でも、精神のバランスが悪いときは無性に腹が立つ。殴り倒したくなる。

これは被害妄想かもしれないけれど、人が死ぬ話=ミステリではなく、人が死ぬ話=凄惨で残酷な話、という方程式になっていて、あたかも「あなたシリアルキラーですか?」と聞かれている気がする。

こういう時の自分は、冷静に物事を考えられなくて、ミステリの良さを論理的に説明できない。

で、安定してから「ああミスったなあ」と後悔する。結論は簡単で、考え過ぎ、腹立て過ぎなのはわかってるんだけど、今一度、人が死ぬ話が面白いんですか、と聞かれた時の解答を考えておこうと思う。

 

人が死ぬ話が好きなわけじゃない△

当たり前だけどこれを言う場合は、クールに。

「むしろ世の中でおこる凄惨な事件には胸を痛めています」という一言を添えれると、なお良いかもしれない。

ただ、この解答におけるデメリットは、「人が死ぬ話が好きなわけじゃない(現実世界に限る)」という注釈が付く点。

実際、ミステリ内で、殺人が起きるまでのハラハラドキドキとした、雰囲気の盛り上がりを期待している自分がいるのは事実なので、ストレートに言いすぎるのは避けた方が無難か。

 

決して、ミステリ=人が死ぬわけじゃないんですよ◎

これが一番良い気がする。人が死んで、犯人を当てるのだけがミステリではなく、種々の犯罪や全く犯罪が絡んでいない不可思議な現象の解明だってミステリだと思う。大事なのは「謎」そして「解決」。

ここで例に挙げたいのは『シャーロック・ホームズ』シリーズ。『赤毛組合』を代表とした、奇妙な体験の解明に焦点を当てた作品の実例を挙げながら説明すると、少しは理解が得られるかもしれない。

 

ちょっと背伸びして、例え話でもしてみよう。

 

ミステリって折り紙みたいなものなんですよね。

謎一つひとつが1枚の折り紙です。

その謎には色んな色があります。

例えば、さっき外したメガネはどこだっけ?(盗難)とか、冷蔵庫のケーキ食べたの誰?(殺人)といったシンプルな謎がまずあって、それを多種多様な折り方で形作っていきます。

できた形は、オーソドックスな鶴は鶴でも色が違ったり、折り方が微妙に違ったり、アレンジが加えられていたり、その多彩なバリエーションを楽しむ。

コレがミステリなんですよ。

 

 

 

 

 

 

 

例えの中で例えるというわかりにくさ。

 

 

最後に締め的な話

ってな感じで最後は無理くり締めるけど、今日はぶわあっとめったくそに文章打って今書きたいことを書いてみた。

思ったのは、自分は何かを書くとき、やっぱりまだ自分に向けて書いてるなってこと。

めまいにしても年賀状にしてもミステリにしても、自分を納得させるため、溜まった不純物の発散の為に文章にしている。

外に外にという意識はあるんだけど、書き出すとどうしても「俺」が出てくる。

別に俺が俺がでもいいんじゃない?という自分と、もっと読者に読み易く、わかりやすく!みたいな自分との小競り合いが常にあって、いったい何が一番大事なんだろうと省察するタイミングが年に2,3回来る。

 

やっぱり毎回思うのが「継続

最近発見したブログで、特にリンクを貼ったりしないんだけど、スペインのプロサッカーチーム、レアル・マドリードに特化したブログがはてなブログにはある。

なんと10年もずっと、レアルのリーグ戦やその他カップ戦、チームの今後の考察や速報的なニュースまで徹底的にレアルについての情報を発信している真のマドリディスタ(レアルの熱心なファンのこと)だった。

なんだよマドリディスタって、すげーいい感じじゃねえか。

特に自分は熱狂的なサッカーファンではないが、記事で書かれていることを読んで、その熱量と説得力には圧倒された。

これが中の人の才能なのか、継続によって蓄積された経験値の賜物なのかはわからないが、少なくとも継続が意味のあること、するだけの価値があることは確信できた。

ゲスい話だが、来年のロシアワールドカップに向けて、あのブログを読んでいれば、周りの人間に良い感じのことを言えるんじゃないかと思っている。

 

 

締めるとか言っときながらまだダラダラ書いてるわけだけど、とにかく好きなことを長く続けることは、とても大変なことだけど、やるだけの価値があって、頑張って続けたいな、という話。

 

これからブログという文化がどうなっていくかわからないし、ブログ界では新参者だけれど、続けるよ。書くよ。

たぶん来年も同じようなことを書く気がするな。

来年は何か新しい企画でもするかな。

 

あと2017年も10日くらいですけど、体調崩さずにみなさんお過ごしください。

では。