発表年:1941年
作者:アガサ・クリスティ
シリーズ:トミー&タペンス3
訳者:深町眞理子
何か違うことを言おう、違うことを言おう、と悩み過ぎた結果がこれです。
正直、講談社から出版されている霜月蒼氏の評論『アガサ・クリスティー完全攻略』の該当の項目が素晴らしいので、何を書くか本当に悩みました。
ほんと凄いんですよ。
全部言われちゃって…
「あっコレ言ってねえな!」と思ったら、最後の最後で言われちゃったりして…
見なきゃ良かったと思うくらいで(逆に良かったのか?)…
とにかく上記の評論集はクリスティファンなら絶対買いです。
本作はクリスティの創造した探偵夫婦トミー&タペンスシリーズの第3作です。
本題に入る前に再度
トミー&タペンスの軌跡
をおさらいしておきます。
本筋にはあまり関係ない自分の為の覚書なので飛ばしていただいてもオッケーです。
彼らの初登場は『秘密機関』(1922)
二人併せて45歳にもならないという若年ながら、見事国際的な犯罪を阻止し解決に導いた二人は、事件後晴れて結婚します。
そして、(作中の)6年後『おしどり探偵』(1929)で私立探偵事務所を開業し、ここでもドイツのスパイ相手に獅子奮迅の活躍を見せ、以後子育てという偉大な仕事に着手するのでした。
仮に『秘密機関』で22歳とすると、『おしどり探偵』では28歳になります。
そして本作では彼らの双子の子どもが登場し、しかも既に就職しているくらいの年齢になっているのですから、少なくとも20年近くは経っているとみていいでしょう。
すると二人の年齢は48前後ということになります。
そんな、子育ても終わり、暇を持て余したおじさんとおばさんが再び祖国の為立ち上がる、というのが物語の軸になっています。
あらすじやミステリの感想を少し省略して、まず
当記事のタイトルについて
本作は1922年にシリーズ1作目が発表されてから19年も経っていて、作中でも登場人物の年齢が30歳近く増えています。なのにも関わらず、違和感0なんですよ。
『秘密機関』はクリスティの長編第2作ということで、まだまだミステリ作家としてはぺーぺーだったはず。
それから数多の名作を書き上げ、ミステリ作家として腕も格段に上がり、ノりにノっている時期に書かれた久々(約12年後)の第三作が…
違和感0。
※ここで言う違和感というのは、キャラクターがブレていたり、作風が変わったり、といった類のこと
もしかしたらトミー&タペンスは実際に存在していて、クリスティは1922年から30年後にタイムトラベルして彼らの冒険譚を見聞きしてから本作を書き上げたんじゃないかってくらい、自然に時間が経っています。
しかも続編でもタイムトラベルしてるっぽいんですよね…クリスティの物語を紡ぎ出す力には、心底平伏させられます。
ことにクリスティのトミー&タペンスシリーズに懸ける熱情はかなり大きかったんじゃないかと思っています。
例えばドロシー・L・セイヤーズが自身の理想の男性像を、ピーター・ウィムジィ卿に投影したように、クリスティの理想の家族像というのはトミー&タペンスにあったのかもしれません。
ということで、今から本シリーズに挑もうとされる方は、是非『秘密機関』からポンポンポンと読み進めるのは如何でしょうか。
ちなみに『秘密機関』は冒険色豊かなので、夏休みなどのゆったりと時間があるときに、
短編集『おしどり探偵』は寝る前の心落ち着くひと時に、
そして本作は旅行中に読むと、各作品の雰囲気とマッチして良いと思います。
なんかここまでボンヤリとした感想しか述べてないので、最後にちゃんと
ミステリとして
も感想を書いておきたいと思います。
まずタイトルどおり、ドイツのスパイ『N』もしくは『M』の正体というところに謎の焦点が合っています。
スパイが潜むとされる<無憂荘>では、いつものように、様々な背景・属性を持った登場人物たちが登場し、会話や仕草、物的証拠や直観を頼りに、さて誰が『N』もしくは『M』なのか捜査が始まります。
とここまで見ると、一本調子のフーダニットもののように思えるのではないでしょうか。
いえいえ、そんな単純じゃございません。
ちゃんとハウダニットも用意されています。しかもこちらの精度がかなり高い。
クリスティのスパイものというと、全然的から外れていたり、スパイものだとスカされたり、と躱されることが多いのですが、本作はスパイ要素がかなり濃い目に作られています。
田舎でのスパイ活動ということで安心していたスパイにとっては、トミーとタペンスは異物でしかなく、黙って手をこまねいているはずはありません。
二人の捜査と並行して、影で暗躍するスパイの対策も結構細かく描かれていて、スパイと探偵が近づく終盤に行くにつれ緊張感がぐんぐん高まるのも見どころです。
またトミー&タペンスの双子の子ども(息子は空軍、娘は情報局に勤務)が物語に絡んでくるのも見逃せません。
『秘密機関』では独身、同僚として、『おしどり探偵』では生涯の伴侶として活動してきた二人ですが、『NかMか』では親になっています。
「親になる」ことで社会的な評価が今までとは変わってくる、そんな周囲の反応が探偵活動に影響を与えているのも巧みです。
探偵手法のバリエーションも多彩になり、推理力も格段に上がっているなど、彼らの成長が、そのまんまシリーズ作品としての成長(発展)に直結していると確信できます。
クリスティのミステリ作家としての欺ましの手法以上に、読者を楽しませる手法の鮮やかさに脱帽、の一作です。
では!